敬首和尚の典籍概見

内藤湖南




 西
 ※(「音+欠」、第3水準1-86-32)簿
 廿歿※(「滴のつくり」、第4水準2-4-4)
 
一切の書を見るには先づ題號を解するを簡要とす次には其の書の部類を分別すべし
是れ目録學の綱領を摘出したる者なり。又云く、
史通。文心雕龍。筆叢は常に左右を離ことなかれ中にも筆叢は書の中の寶書也學者これを讀ば知識十倍すべし
 支那にては明の中世、揚愼、陸儼等より以來、史通、文心雕龍二書を愛好する學者多くなり、最近、張之洞の※(「車+鰌のつくり」、第3水準1-92-47)軒語等に至るまで、史學、文學の門徑として之を推稱したれども、我邦にて之に注意したる學者は幾んど之なきに、敬首和上のかくも此二書を推稱せるは、以て其の讀書眼の卓拔なるを見るべし。胡元瑞の筆叢は、其の書き方の氣のきゝたる割合に、内容に乏しき書なれども、其の博覽にして能く之を要約せることは、明代の一人ともいふべき人なれば、和上の如き頭腦の鋭敏なる人が之に惚れ込みたるも無理ならず。ともかく其の渉覽せる萬卷の書中より、此の三書を擧げて門弟等に示せるは、和上の非凡なる識見によるものといふべし。次に目録の專書としては、崇文總目、鄭樵の藝文略、焦弱侯の國史經籍志を擧げたり。而して佛教の目録に就ては
佛者一代藏經と名て其目録あり甚だ非なり予此れを正むと欲す
といはれたるは、その單に索引を主として著述流別の原則に合せざるを遺憾とせられし者ならん。又
中華の書には一種に頗る多板あり故に一板を見て即ち是とすべからず必ず善本を得て校合すべし
といはれ、既に校勘學の必要を説かれたり。尤も校勘學に於ては、儒家に於て徂徠門下に當時已に山井、根本諸人の如きあり、佛家にも忍澂和上の如きありたれば、此の一事は敬首和上の特見とし難し。其外
注に本文とをし並べてことの外大切にする注あり
※(「麗+おおざと」、第3水準1-92-85)

字書と雜記の書と類書との三類は常に能々看讀すべし其の中雜記の書は尤も翫味すべき者也一には見識を増し二には事實を知り三には經史子集を見るに甚だ助とす

凡そ書籍に僞書多し關尹子。墨子。鬻子。晏子春秋等の書は恐は後人の僞作也眞書には非ず
といひ、
近代中華より來る所の藏經の中語録相ひ半ばせり此れ乃ち塵芥を以て金文を汚せり
といへるは、並びに極端に失するに似たれども、又見得て透徹せる處なきにしもあらず。
佛書の中天台と慈恩と一行とは別に一格ある用意の書なり此の三書は尤も大事なり一行の書は易老子の如し慈恩の文は楊子法言太玄經の如し天台の書に又一格あり此の三書の格は甚深の口傳あるべし唯授一人の祕法なり筆示すべからず云々
※(「凱のへん+頁」、第3水準1-94-1)
新羅より出る書容易に看過すべからず……中國の人夷情を得ぬが故に此を知らず予日本に生して夷情を得たり中國の人情は海の如し新羅高麗の人情は海と川との堺ひ目の如し日本の人情は川の如し此は且く佛書を云若し俗書は不爾甚だ野鄙なり本と文なき邦なるが故に佛書は理の甚深を云故に一奇特の文體をなす者なり

 
 
書を多く聚るを人中の賢者とすべし

 
  







 
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2001924
2016421

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