墨汁一滴

正岡子規




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枕べの寒さばかりに新年の年ほぎ縄を掛けてほぐかも



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あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑてし病めるわがため

(一月十七日)


 この頃根岸倶楽部クラブより出版せられたる根岸の地図は大槻おおつき博士の製作にかかり、地理の細精さいせいに考証の確実なるのみならずわれら根岸人に取りてはいと面白く趣ある者なり。我らの住みたる処は今うぐいす横町といへど昔はたぬき横町といへりとぞ。
田舎路はまがりくねりておとづるる人のたづねわぶること吾が根岸のみかは、抱一ほういつが句に「山茶花さざんかや根岸はおなじ垣つゞき」また「さゞん花や根岸たづぬる革ふばこ」また一種の風趣ふうしゅならずや、さるに今は名物なりし山茶花かんちくの生垣もほとほとその影をとどめず今めかしき石煉瓦れんがの垣さへ作り出でられ名ある樹木はこじ去られいにしへの奥州路おうしゅうじの地蔵などもてはやされしも取りのけられ鶯の巣は鉄道のひびきにゆりおとされ※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)くいなの声も汽笛にたたきつぶされ、およそ風致といふ風致は次第に失せてただ細路のくねりたるのみぞ昔のままなり云々うんぬん
と博士はしるせり。中にも鶯横町はくねり曲りて殊に分りにくき処なるに尋ね迷ひてむなしく帰る俗客もあるべしかし。



 ()()()()歿()()()()西歿


 伊勢山田の商人あきんど勾玉こうぎょくより小包送りこしけるを開き見ればくさぐさの品をそろへて目録一枚添へたり。
祈平癒呈へいゆをいのりてていす
御両宮之真境(古版)              二
御神楽之図おかぐらのず(地紙)               五
五十鈴いすず川口のはぜ(薬といふうしの日にる)    六
高倉山のしだ                  一
いたつきのいゆといふなる高倉の御山みやまのしだぞはしとしたまへ
  辛丑かのとうしのはじめ
大内人匂玉
 まじめなる商人なるを思へば折にふれてのみやびもなかなかにゆかしくこそ。



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ふで禿びて返り咲くべき花もなし



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年玉をならべて置くや枕もと



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大鏡おおかがみ』に花山かざん天皇の絵かき給ふ事を記して
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などあり。また俊頼としよりの歌の詞書ことばがきにも
大殿おおとのより歌絵うたえとおぼしく書たる絵をこれ歌によみなしてたてまつれとおおせありければ、屋のつまにおみなをとこに逢ひたる前に梅花風に従ひて男の直衣のうしの上に散りかかりたるに、をさなきちごむかひ居て散りかかりたる花を拾ひとるかたある所をよめる
などあるを見るにいにしえの人は皆実地を写さんとつとめたるからに趣向にも画法にもさまざま工夫して新しきを作りにけん。土佐派狩野派かのうはなどいふ流派さかんになりゆき古の画を学び師の筆をするに至りてまた画に新趣味といふ事なくなりたりと覚ゆ。こは画の上のみにはあらず歌もしかなり。

(二月一日)


 われ筆を執る事が不自由になりしより後は誰か代りて書く人もがなと常に思へりしがこの頃馬琴ばきんが『八犬伝』の某巻に附記せる文を見るに、初めに自己が失明の事、草稿を書くに困難なる事など述べ、次に
文渓堂ぶんけいどうまた貸本屋などいふ者さへ聞知りて皆うれはしく思はぬはなく、ために代写すべき人をたずぬるに意にかなふさる者のあるべくもあらず云々
とあるを見れば当時における馬琴の名望位地を以てしてもなほ思ふままにはならずと見えたり。なほその次に
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など書ける、この文昔はただ余所よそのあはれとのみ見しが今は一々身にしみて我上わがうえの事となり了んぬ。されど馬琴は年老い功成り今まさに『八犬伝』の完結を急ぎつつあるなり。我身のいまだ発端をも書きあへず早くすでに大団円に近づかんとするともとより同日に論ずべくもあらず。



歿()()()()
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 節分の夜に宝船の絵を敷寐して初夢をうらなふ事我郷里のみならず関西一般に同様なるべし。東京にては一月二日の夜に宝船を売りありくこそ心得ね。しかしこれも古き風俗と見え、『滑稽太平記こっけいたいへいき』といふふみ
  回禄以後鹿相成家居に越年して
去年こぞたちて家居もあらた丸太かな       卜養
宝の船も浮ぶ泉水              玄札
この宝の船は種々くさぐさの宝を船に積たる処をかき回文かいぶんの歌を書添へ元日か二日の夜しき寐してしき夢は川へ流す呪事まじないごとなりとぞ、また年越としこしの夜もしくことある故に冬季ともいひたり、しかるに二つある物は前の季に用る行年ゆくとしをとらんためなればこの理近かるべしといへるもあり、されども玄札老功たり既にする時は如何いかんとも春たるべしといふもありけり
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四十二の古ふんどしや厄落し



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稿()()()()()()()()※(二の字点、1-2-22)()()()()()()稿()()()()()()()()稿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()稿()()()()


 ()()()()()()()鹿


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 ()()()調()()()調()
 ()()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()


 ()()調()()()()()()※(「女+無」、第4水準2-5-80)()
 
  天保八年三月十八日自彦崎至長尾村途中
うしかひの子らにくはせと天地あめつちの神の盛りおける麦飯むぎいいの山

  五月三日望逢崎
柞葉ははそばの母をおもへば児島こじまの海逢崎おうさきの磯なみ立ちさわぐ

  五月九日過藤戸浦
あらたへの藤戸の浦に若和布わかめ売るおとひをとめは見れど飽かぬかも

  逢崎賞月
まそかゞみ清き月夜つくよに児島の海逢崎山に梅の散る見ゆ

  望父峰
父の峰雪ふりつみて浜風の寒けく吹けば母をしぞ思ふ

  小田渡口
いにしえのますらたけをが渡りけん小田の渡りをあれも渡りつ

  神崎博之宅小飲二首
こゝにして紅葉もみじを見つゝ酒のめば昔の秋し思ほゆるかも
盃に散りもみぢ葉みやびをの飲む盃に散り来もみぢ葉

(二月十六日)


 元義の歌
 
  児島備後びんご三郎大人うしの詩の心を
大君おおきみものなおもほし大君の御楯とならん我なけなくに

  失題
大君の御門みかど国守くにもりまなり坂つき面白しあれ独り行く(御門国守まなり坂は皆地名)
高島の神島山を見に来れば磯まの浦にたずさはに鳴く
妻ごみにこもりし神の神代よりすがの熊野に立てる雲かも
うへ山は山風寒しちゝのの父の命の足冷ゆらしも

  三家郷八幡大神の大御行幸おおみゆきを拝み奉りて
かけまくもあやかしこき、いはまくも穴に尊き、広幡ひろはた八幡やはた御神みかみ、此浦の行幸いでましの宮に、八百日日やおかびはありといへども、八月はつきの今日を足日たるひと、行幸して遊びいませば、神主かみぬしは御前に立ちて、幣帛みてぐらを捧げつかふれ、真子まなごなす御神の子等は、木綿ゆうあさね髪らし、胸乳むなぢをしあらはし出だし、裳緒もひもをばほとに押し垂れ、歌ひ舞ひ仕へまつらふ、今日の尊さ

  十一月三日芳野村看梅作歌
板倉と撫川なずかわさとの、中を行く芳野の川の、川岸に幾許ここら所開さけるは、たがうえし梅にかあるらん、十一月しもつきの月の始を、早も咲有流さきたる

(二月十七日)


 元義の歌

  送大西景枝
真金まがね吹く吉備きびの海に、朝なぎに来依きよ深海松ふかみる、夕なぎに来依る○みる、深みるのよせてし君、○みるのよせて来し君、いかなれや国へかへらす、ちゝのみの父を思へか、いとこやのいもを思へか、つるぎ太刀たち腰に取佩とりはき、いにしえふみにぎり、国へかへらす

  十二月五日御野郡の路上にて伊予の山を見てよめる歌并短歌
百足ももたらず伊予路を見れば、山の末島の崎々、真白にぞみ雪ふりたれ、並立なみたちの山のこと/″\、見渡みわたしの島のこと/″\、冬といへど雪だに見えぬ、山陽かげともの吉備の御国は、すみよくありけり

  反歌
吹風ものどに吹なり冬といへど雪だにふらぬ吉備の国内くぬち




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  失題
いもと二人あかとき露に立濡れてむか峰上おのえの月をるかも
妹が家のむかいの山はま木の葉の若葉すゞしくおひいでにけり
鴨山かもやま滝津たきつ白浪しらなみさにつらふをとめと二人見れど飽かぬかも
久方ひさかたあま金山かなやま加佐米山かさめやま雪ふりつめり妹は見つるや

(二月十九日)


 元義吾妹子わぎもこの歌

  遊于下原
石上いそのかみふりにし妹が園の梅見れどもあかず妹が園の梅

  正月晦日
皆人の得がてにすちふ君を得てわが率寝いぬる夜は人なきたりそ

  自玉島至下原途中
矢かたをうち出て見れば梅の花咲有さける山辺やまべに妹が家見ゆ

  河辺渡口
若草の妻の子故に川辺かわべ川しば/\渡るつまの子故に

  自下原至篠沖村路上
吾妹子わぎもこ山北そともに置きてわがくれば浜風寒し山南かげともの海

  夜更けて女のもとに行きて
有明ありあけ月夜つくよをあかみ此園このその紅葉もみじ見にその令開ひらかせ

  従児島還一宮途中
いもに恋ひ汗入あせりの山をこえ来れば春の月夜にかり鳴きわたる

  失題
妹が家の板戸おしひらきわが入れば太刀の手上たがみに花散りかゝる
夕闇の道は暗けど吾妹子に恋ひてすべなみいでてくるかも
遠くともいそげ大まろ吾妹子に早も見せまくほしき此文
吾妹児破わぎもこは都婆那乎つばなを許多ここだ※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)良詩くいけらし昔見四従むかしみしより肥坐二※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)こえましにけり

  讃岐さぬきの国に渡りける時吉備きびの児島の逢崎にて
逢崎おうさきは名にこそありけれはしけやし吾妹わぎもが家は雲井かくりぬ

  美作みまさかに在ける時故郷の酒妓のもとより文おこせければ
春の田をかへす/″\も妹が文見つゝし居れば夜ぞあけにける
 


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  西蕃漢張良賛
ことあげて雖称ほむともつきじ月のる西のえみし大丈夫ますらおごゝろ

  望加佐米山
高田のや加佐米かさめの山のつむじ風ますらたけをが笠吹きはなつ

  自庭妹郷至松島途中
大井川朝風寒み大丈夫ますらおおもひてありし吾ぞはなひる

  遊于梅園
丈夫ますらおはいたもせりき梅の花心つくして相見つるから

  失題
天地あめつちの神に祈りて大丈夫を君にかならず令生うませざらめや
鳥が鳴くあづまの旅に丈夫が出立いでたち将行ゆかん春ぞ近づく
石竹なでしこもにくゝはあらねど丈夫の見るべき花は夏菊の花

  業合大枝を訪ふ
弓柄ゆつかとるますらをのこし思ふこととげずほとほとかへるべきかは
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  失題
おほろかに思ふな子ども皇祖すめおや御書みふみれる神の宮処みやどころ

  喩高階騰麿
すがの根の長き春日はるひいたずらに暮らさん人は猿にかもおとる

  題西蕃寿老人画
ことさへぐ国の長人ながひとさかづきに其が影うつせいもにのません

  和安田定三作
今日よりは朝廷みかどたふとみさひづるや唐国人からくにびとにへつらふなゆめ

  備中闇師城に学舎をたてゝ漢文よませらるゝときゝて
暗四鬼くらしき司人等つかさびとたちねがはくは皇御国すめらみくに大道おおみちを行け

  失題
大君おおきみ御稜威加賀焼みいつかがやく日之本荷ひのもとに狂業須流奈たわわざするな痴廼漢人おそのからびと



 調調()()()調()()()

  高階謙満宅宴飲
天照皇御神あまてらすすめらみかみも酒に酔ひて吐き散らすをば許したまひき

  述懐
おお牟遅神むちかみみことは袋ひをけの命は牛かひましき

  失題
足引あしびきの山中治左じさける太刀たち神代かみよもきかずあはれ長太刀
五番町石橋の上でわが○○をたぐさにとりし我妹子わぎもこあはれ
弥兵衛やひょうえつかのつるぎ遂に抜きて富子とみこりてふたきだとなす
弥兵衛がこやせるかばねうじたかれ見る我さへにたぐりすらしも
ひとり知るとまをさばかむろぎのすくなひこなにつらくはれんか
弓削破只ゆげはただ名二社在※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)なにこそありけれ弓削人八ゆげびとは田乎婆雖作たをばつくれど弓八不削ゆみはけずらず
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()()()()()()廿()



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 姿
 
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 ()調調()調()()()()()()


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調稿()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿


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 42-842-842-842-8()
 42-1042-10()()()()
※(「土へん+冢」、第3水準1-15-55)()42-1242-12()42-13()42-13()()
 42-1442-14()
 
 43-143-1()()()()()
 ※(「やまいだれ」、第3水準1-88-44)※(「やまいだれ」、第3水準1-88-44)
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我見ても久しくなりぬすみの絵のきちの掛物幾代いくよ出ぬらん

 
 
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 ※(二の字点、1-2-22)()()()()()()
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  題釜
こおり解けて水の流るゝ音すなり     子規



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 調※(二の字点、1-2-22)西


 
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 ※(「二点しんにょう+兔」、第3水準1-92-57)※(「寛の「儿」を「兔」のそれのように、第3水準1-47-58)
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 47-7()
 ()47-847-8()
 
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 ()※(「獵のつくり」、第4水準2-8-77)※(「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71)()
 ※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)()()()
 ※(「懶−りっしんべん」、第3水準1-92-26)※(「さんずい+懶のつくり」、第3水準1-87-30)()
()()※(「くさかんむり/塵」、第4水準2-87-4)()()()()()
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 ※(「蝦−虫」、第4水準2-3-64)()
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 ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)()()※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)
 
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 ※(「臣」の「コ」に代えて「口」、第4水準2-85-54)49-15
 ()()()※(「摘のつくり」、第4水準2-4-4)
 
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(略)※(「懶−りっしんべん」、第3水準1-92-26)※(さんずい+懶のつくり、第3水準1-87-30)獺懶等のつくりは負なりおおがいにあらずとせられ候へども負にあらず※[#「刀/貝」、52-4]の字にて貝の上は刀に候勝負の負とは少しく異なり候右等の字はらつより音生じ候また※[#「聖」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、52-5]の下は壬にあらず※[#「壬」の下の横棒が長いもの、52-5](音テイ)に候※[#「呈」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、52-6][#「望」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、52-6]等皆同様に御座候右些細の事に候へども気付たるまま(一老人とうず
 またある人より
(略)菩薩ぼさつ薩摩の薩は字原せつなり博愛堂『集古印譜』に薩摩国印は薛……とあり訳経師やっきょうし仮釈かしゃくにて薛に二点添付したるを元明げんみんより産の字に作り字典は薩としあるなり唐には決して産に書せず云々
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年の内に春は来にけり一年ひととせ去年こぞとやいはむ今年とやいはむ
便()()()()
     供若水わかみずをそなう               立春日
若水といふ事は去年こぞ御生気の方の井をてんして蓋をして人にくませず、春立つ日主水司もんどのつかさ内裏だいりに奉れば朝餉あさがれいにてこれをきこしめすなり、荒玉の春立つ日これを奉れば若水とは申すにや云々
※(二の字点、1-2-22)()()()()()()
 ()()()()()便
 西()西()西



 稿稿()()()()()()()()()


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 便()()


 不平十ヶ条
一、元老の死にさうで死なぬ不平
一、いくさの始まりさうで始まらぬ不平
一、大きな頭の出ぬ不平
一、郵便の消印が読めぬ不平
一、白米小売相場の容易に下落せぬ不平
一、板ガラスの日本で出来ぬ不平
一、日本画家に油絵の味が分らぬ不平
一、西洋人に日本酒の味が分らぬ不平
一、野道の真直について居らぬ不平
一、人間に羽の生えて居らぬ不平

(三月十二日)


 多くの人の俳句を見るに自己の頭脳をしぼりてしぼり出したるは誠に少く、新聞雑誌に出たる他人の句を五文字ばかり置きかへて何知らぬ顔にてまた新聞雑誌へ投書するなり。一例を挙げていはば
○○○○○裏の小山に上りけり
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をともす石燈籠いしどうろうや○○○○○
といふ十二字を得たらば「梅の花」「糸柳」「糸桜」「春の雨」「夕涼み」「庭の雪」「夕時雨しぐれ」などそのほか様々なる題をくつつけるなり。あるいは
広目屋の広告通る○○○○○
()()便()()()()



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○正誤 関羽かんう外科の療治の際は読書にあらずして囲碁なりと。

(三月十五日)


 名前ばかり聞きたる人の容貌をとあらんかくあらんと想像するは誰もする事なるがさてその人に逢ふて見ればいづれも意外なる顔つきに驚かぬはあらず。この頃破笛はてきの日記を見たるに左の一節あり。
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 禿()()


 ()()63-11()()()()()()63-1263-12()()()()()
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附記、ある人より舍の字は人冠に舌に非ず人冠に干に口なる由いひこされ、またある人より議のを恊に書くは誤れる由いひこされたり。



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宝引ほうびきのしだれ柳や君が袖      失名
※(二の字点、1-2-22)
保昌やすまさが力引くなり胴ふぐり     其角きかく
宝引や力ぢや取れぬ巴どの     雨青
時宗が腕の強さよ胴ふぐり     沾峩せんが
などいふ句は争ふて縄を引張る処をいへるなるべく
宝引やさあと伏見の登り船     山隣
といふ句は各※(二の字点、1-2-22)が縄を引く処を伏見の引船の綱を引く様に見立てたるならん。
宝引に夜を寐ぬ顔のおぼろかな     李由りゆう
宝引の花ならば昼をつぼみかな     遊客
などいふ句あるを見れば宝引はおもに夜の遊びと見えたり。そのほか宝引の句
宝引に蝸牛かぎゅうの角をたゝくなり    其角
投げ出すやおのれ引き得し胴ふぐり   太祇たいぎ
宝引や和君わぎみ裸にして見せん     嘯山しょうざん
宝引や今度は阿子に参らせん    之房
宝引の宵は過ぎつゝ逢はぬ恋    几董きとう

  結神
宝引やどれが結んであらうやら   李流



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 頭の黒い真宗しんしゅう坊さんが自分の枕元に来て、君の文章を見ると君は病気のために時々大問題に到著とうちゃくして居る事があるといふた。それは意外であつた。
病牀に日毎餅食ふ彼岸ひがんかな



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   宿

と書けり。余はさる事をいひしや否や今は忘れたれどもし言ひたらばそは誤なり。何々顔といふ語は俳諧に始まりたるに非ずして古く『源氏物語』などにもあり、「そらも見知り顔に」といへる文句を挙げて前年『ホトトギス』随問随答欄に弁じたる事あり。されば連歌れんが時代の発句ほっくにも
又や鳴かん聞かず顔せば時鳥ほととぎす    宗長そうちょう
などあり。なほ俳諧時代に入りても元禄より以前に
ふぐ干やかれなんねぎの恨み顔     子英
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寺に寐てまこと顔なる月見かな     芭蕉ばしょう
苗代なわしろやうれし顔にも鳴く蛙     許六きょりく
はす踏みて物知り顔の蛙かな     卜柳
ひな立て今日ぞ娘の亭主顔      硯角けんかく
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春水の盥に鯉の※(口+僉、第4水準2-4-39)※(口+禺、第3水準1-15-9)あぎとかな
盥浅く鯉の背見ゆる春の水
鯉の尾の動く盥や春の水
頭並ぶ盥の鯉や春の水
春水の盥に満ちて鯉の肩
春の水鯉の活きたる盥かな
鯉多く狭き盥や春の水
鯉の吐く泡や盥の春の水
鯉の背に春水そゝぐ盥かな
鯉はねて浅き盥や春の水



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わづらへる鶴の鳥屋みてわれ立てば小雨ふりきぬ梅かをる朝
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法師らがひげの剃り杭に馬つなぎいたくな引きそ「法師なからかむ」 (万葉十六)
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いざや子ら東鑑あずまかがみにのせてある道はこの道はるのわか草
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亀の背に歌かきつけてなき乳母うばのはなちし池よふか沢の池
 ※(二の字点、1-2-22)()()()()()()()()()()()()



かざしもて深さはかりし少女子おとめごのたもとにつきぬ春のあわ雪
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舞姫が底にうつして絵扇えおうぎの影見てをるよ加茂かもの河水
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むらさきの文筥ふばこひものかた/\をわがのとかへて結びやらばいかに
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君が母はやがてわれにも母なるよ御手みてとることを許させたまへ
 ()()西西()
この身もし女なりせでわがせことたのみてましを男らしき君
()()()()()()()()()



まどへりとみづから知りて神垣かみがきにのろひのくぎをすてゝかへりぬ
 ()()()()



 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()寿()()()()()()()


 ()()()()()()()()西調()()()()()西調調()()西
()


といふやうにも聞えた。しかし原作がこんなに俗であるかどうかそれは知らぬ。



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 ()()()()西()()()()()()()()
 ()()()()()()()()稿稿()稿稿()()


 


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すき返せ草も花咲く小田の原     紹巴じょうは
山川のめぐり田かへす裾輪すそわかな    同
濁りけり山田やかへす春の水     同
など田をかへすといふ事は既にいへり。その後寛文かんぶん頃の句に
  沼津にて
ぬまつくや泥田をかへす※(「魚+檀のつくり」、第3水準1-94-53)うなぎしま     俊治
 これも田をかへすと詠めり。しかるに元禄に入りて「あら野」に左の三句あり。
動くとも見えで畑打つ麓かな     去来きょらい
万歳をしまふて打てる青田かな    昌碧しょうへき
子をひとりもりて田を打やもめかな      快宣かいせん
 そのうち他の二句は皆田を打つとあるに去来ばかりのは畑打つとあり、あるいはこの句などがようを作りたるにやあらん。
 このほか元禄の句にて畑打とあるは
畑打に替へて取つたる菜飯なめしかな    嵐雪らんせつ
ちら/\と畑打つ空や南風      好風

 ()()西()西()()()()()



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 すじの痛をこらへて臥し居れば昼静かなる根岸の日の永さ
パン売の太鼓も鳴らず日の永き
 上野は花盛はなざかり学校の運動会は日ごと絶えざるこの頃のいおながめ
松杉や花の上野の後側
 把栗はりつ鼠骨そこつが一昨年我病を慰めたる牡丹ぼたん去年こぞは咲かずて
三年目につぼみたのもし牡丹の芽
 窓前の大鳥籠には中に木をゑて枝々にわらの巣を掛く
追込の鳥早く寐る日永かな
 毎日の発熱毎日の蜜柑みかんこの頃の蜜柑はやや腐りたるがうま
春深く腐りし蜜柑好みけり
 隣医ひさご花活はないけに造り椿つばきを活けて贈り来る滑稽の人なり
ひねくり者ありふくべ屋椿とぞ呼べる
 かねば邪魔になる煖炉だんろ取除とりのけさせたる次の朝の寒さ
煖炉取りて六畳の間の広さかな
 歯の痛三処に起りて柔かき物さへ噛みがてにする昨今
たけのこに虫歯痛みて暮の春
 或人こけを封じ来るこは奈良春日神社かすがじんじゃ石燈籠いしどうろうの苔なりと
苔を包む紙のしめりや春の雨

(四月十六日)


 鼠骨が使をよこしてブリキのカンをくれといふからやつたら、そのカンの中へくじを入れて来た。先づ一本引いて見たらば、第九十七凶といふので、その文句は
霧罟重楼屋むころうおくをかさぬ  佳人水上行かじんすいじょうにゆく  白雲帰去路はくうんかえりさるのみち  不見月波澄げっぱすむをみず



 ()()()西()()()()()()()()
擬墨汁一滴ぼくじゅういってきにぎす              左
()
道入どうにゅうらくの茶碗や落椿
春雨のつれづれなるままのたわぶれにこそ、と書きたり。時に取りていとをかし。



 


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 前日記したる御籤みくじの文句につき或人より『三世相』の中にある「元三大師がんざんだいし御鬮みくじしょう」の解なりとて全文を写して送られたり。その中に佳人水上行かじんすいじょうにゆくを解して
かじんすいじやうにゆくとはうつくしき女の水の上をあゆむがごとくわがなすほどのことはあやふく心もとなしとのたとへなり
とあり。不見月波澄げっぱすむをみずを解して
きりふかく月を見ざればせめてみづにうつるかげなりとも見んとすれどなみあればみづのうへの月をも見る事なしとなり
とあり。その次に
○病人はなはだあやふし ○悦事よろこびごとなし ○失物うせもの出がたし
○待人きたらず…………… ○生死あやふし……………
退()()()()()()



 調調調調調調()()()()()()調()調調()※(虫+礼のつくり、第3水準1-91-50)()()


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ソノ画ク所花卉かき※(「令+挧のつくり」、第3水準1-90-30)れいもう山水人物ことごと金銀泥きんぎんでいヲ用ヒテ設色スルニ※(「禾+農」、第4水準2-83-8)じょうえん妍媚けんびナラザルハナク而モ用筆ようひつ簡淡かんたんニシテ一種ノ神韻しんいんアリ
()()()()()
マタ茶道ヲ千宗佐せんそうさニ受ケテ漆器ノ描金びょうきんニ妙ヲ得硯箱すずりばこ茶器ノ製作ニ巧ミナリ
()()()鹿


 ()()()()


 ()()()
山吹やいくら折つても同じ枝     子規
山吹や何がさはつて散りはじめ    同
の二句は月並調にあらずやと。かういふ主観的の句を月並調とするならば
鶴の巣や場所もあらうに穢多の家   子規
なども無論月並調の部に入れらるるならん。抱琴ほうきんいふ、
鶯や婿むこに来にける子の一間ひとま      太祇たいぎ
は月並調に非ずやと。挿雲そううんいふ、
初午はつうまはおのれが遊ぶ子守かな     挿雲
調調調
二日灸ふつかきゅう和尚もとより灸の得手      碧梧桐
草餅や子を世話になる人のもと    挿雲
手料理の大きなる皿や洗ひ鯉     失名
など月並調に近きやう覚ゆ。古人の句にても
七草や余所よその聞えも余り下手     太祇
七草や腕のきたる博奕打ばくちうち      同
帰り来る夫のむせぶ蚊遣かやりかな     同
など月並調なり。芭蕉ばしょう
春もやゝけしきとゝのふ月と梅    芭蕪
なども時代の上よりいへば月並調の一語を以て評し去ること気の毒なれど今日より見れば無論月並的の句なり。もと月並調といふ語は一時便宜のため用ゐし語にて、理窟の上より割り出だしたる語にあらねばその意義甚だ複雑にしてかつ曖昧なり。されど今一、二の例につきていはんか、前の「山吹や何がさはつて」の句をその山吹を改めて
夕桜何がさはつて散りはじめ
となさば月並調となるべし。こはしも七五の主観的形容が桜に適切ならぬためことさらめきて厭味を生ずるなり。また「二日灸和尚固より」の句を
二日灸和尚は灸の上手なり
調調()()()()()()()()調
調調



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 夕餉したため了りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。えんにもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。この道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて
かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書の上に垂れたり
藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも
藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ
藤なみの花の紫絵にかゝばこき紫にかくべかりけり
瓶にさす藤の花ぶさ花れて病の牀に春暮れんとす
去年こぞの春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも
くれなゐの牡丹ぼたんの花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり
この藤は早く咲きたり亀井戸かめいどの藤咲かまくは十日まり後
八入折やしおおりの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く
 おだやかならぬふしもありがちながら病のひまの筆のすさみは日頃まれなる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。



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 病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸のかたわら、竹垣の内に一むらの山吹あり。この山吹もとは隣なるわらわの四、五年前に一寸ばかりの苗を持ち来て戯れに植ゑ置きしものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめてうたた歌心起りければ原稿紙を手に持ちて
裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花
小縄もてたばねあげられ諸枝もろえだの垂れがてにする山吹の花
水汲みに往来ゆききそでの打ち触れて散りはじめたる山吹の花
まをとめのなおわらはにて植ゑしよりいくとせ経たる山吹の花
歌の会開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花
いおをめぐらす垣根くまもおちず咲かせ見まくの山吹の花
あき人も文くばり人も往きちがふ裏戸のわきの山吹の花
春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花
ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寐ながら見ゆる山吹の花
春雨のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花
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『宝船』第一巻第二号の召波しょうは句集小解しょうかいを読みて心づきし事一つ二つ
紙子かみこきて嫁が手利てききをほゝゑみぬ
「老情がよく現はれてゐる」との評なれど余はこの句は月並調に近き者と思ふ。
反椀そりわんは家にふりたり納豆汁
「古くなつて木が乾くに従ひつて来る」とあれども反椀は初より形の反つた椀にて、古くなつて反つた訳にはあらざるべし。
あたゝめよ瓶子へいしながらの酒の君
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河豚ふぐしらず四十九年のひが事よ
 四十九年の非を知るとは『論語』にあるべし。「ひが事」の「ひ」の字は「非」にかかりたるなり。
佐殿すけどの文覚もんがくふぐをすゝめけり
比喩ひゆに堕ちてゐるから善くない」とあれどもこの句の表面には比喩なし。裏面には比喩の面影あるべし。
無縁寺の夜は明けにけりかんねぶつ
 寒念仏といふのは無縁の聖霊しょうりょうを弔ふために寒中に出歩行であるく者なればこの句も無論むろん寺の内で僧の念仏し居る様には非るべし。
此村に長生多き岡見かな

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 しひて筆を取りて
佐保神さほがみの別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに
いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす
病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも
世の中は常なきものと我づる山吹の花散りにけるかも
別れ行く春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも
夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも
くれなゐの薔薇ふゝみぬ我病いやまさるべき時のしるしに
薩摩下駄さつまげた足にとりはき杖つきて萩の芽摘みし昔おもほゆ
若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり
いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種をかしむ
 心弱くとこそ人の見るらめ。

(五月四日)


 岩手の孝子こうし何がし母を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でて今の美談となす。
たらちねの母の車をとりひかひ千里も行かん岩手の子あはれ
草枕くさまくら旅行くきはみさへの神のいそひ守らさん孝子の車
みちのくの岩手の孝子名もなけど名のある人にあに劣らめや
下り行く末の世にしてみちのくに孝の子ありと聞けばともしも
世の中のきたなき道はみちのくの岩手の関を越えずありきや
春雨はいたくなふりそみちのくの孝子の車引きがてぬかも
みちのくの岩手の孝子ふみに書き歌にもよみてよろづまでに
世の中は悔いてかへらずたらちねのいのちの内に花も見るべく
うちひさすみやこの花をたらちねと二人し見ればたぬしきろかも
われひとり見てもたぬしき都べの桜の花を親と二人見つ



 ()()※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)
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 ※(「木+解」、第3水準1-86-22)()()()()()
椎の葉にもりにし昔おもほえてかしはのもちひ見ればなつかし
白妙しろたえのもちひを包むかしは葉の香をなつかしみくへど飽かぬかも
いにしへゆ今につたへてあやめふく今日のもちひをかしは葉に巻く
うま人もけふのもちひを白がねのうつはに盛らずかしは葉に巻く
ことほぎて贈る五日のかしはもち食ふもくはずも君がまに/\
かしは葉の若葉の色をなつかしみこゝだくひけり腹ふくるゝに
九重ここのえ大宮人おおみやびともかしはもち今日はをすかもしずさびて
常にくふかくのたちばなそれもあれどかしはのもちひ今日はゆかしも
みどりのおいすゑいはふかしは餅われもくひけり病ゆがに
色深き葉広はびろがしはの葉を広みもちひぞつゝむいにしへゆ今に

(五月七日)


 碧梧桐へきごとういふ、
手料理の大きなる皿や洗ひごい
調調調()()()調調()()()()()()()()()()()()調
 


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さへづるやからうすなす、奥の歯は虫ばみけらし、はたつ物魚をもくはえず、木の実をば噛みても痛む、武蔵野の甘菜あまな辛菜からなを、粥汁にまぜても煮ねば、いや日けに我つく息の、ほそり行くかも
下総しもうさ結城ゆうきの里ゆ送り来し春のうずらをくはん歯もがも
すがの根の永き一日ひとひいいもくはず知る人も来ずくらしかねつも

(五月九日)


 ある人いふ、『宝船』第二号に
やはらかに風が引手ひくての柳かな     鬼史きし
銭金ぜにかねを湯水につかふ桜かな      月兎げっと
調調()()調()
銭金を湯水につかふ松の内
調()


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竜岡たつおかに家居る人はほとゝぎす聞きつといふに我は聞かぬに
ほとゝぎす今年は聞かずけだしくも窓のガラスの隔てつるかも
逆剥さかはぎに剥ぎてつくれるほとゝぎす生けるが如し一声もがも
うつ抜きに抜きてつくれるほとゝぎす見ればいつくし声は鳴かねど
ほとゝぎすつくれる鳥は目に飽けどまことの声は耳に飽かぬかも
置物とつくれる鳥は此里に昔鳴きけんほとゝぎすかも
ほとゝぎす声も聞かぬは来馴れたる上野の松につかずなりけん
我病みていの寝らえぬにほとゝぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
ガラス戸におし照る月の清き夜は待たずしもあらず山ほとゝぎす
ほとゝぎす鳴くべき月はいたつきのまさるともへば苦しかりけり
 歌は得るに従ひて書く、順序なし。



 


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 ()使()
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 ()()()()()()()()便
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 ()()()()退()
 ()()()()()綿
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 ()()()稿()
 ()()西()()()


 稿


 


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『春夏秋冬』序
『春夏秋冬』は明治の俳句を集めて四季にわかち更に四季の各題目によりてみたる一小冊子なり。
『春夏秋冬』は俳句の時代において『新俳句』に次ぐ者なり。『新俳句』は明治三十年三川さんせん依托いたくにより余の選抜したる者なるが明治三十一年一月余は同書に序して
(略)元禄にもあらず天明にもあらず文化にもあらず固より天保てんぽうの俗調にもあらざる明治の特色は次第に現れ来るを見る(略)しかもこの特色は或る一部に起りて漸次ぜんじに各地方に伝播でんぱせんとする者この種の句を『新俳句』に求むるも多く得がたかるべし。『新俳句』は主として模倣時代の句を集めたるにはあらずやと思はる。(略)ただし特色は日をふて多きを加ふ。昨集むる所の『新俳句』は刊行に際する今已にそのいくばくか幼稚なるを感ず。刊行し了へたる明日は果して如何に感ぜらるべき。云々
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()()()()調
 調調()
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()
明治三十四年五月十六日               獺祭書屋だっさいしょおく主人

(五月十八日)


『春夏秋冬』凡例
一 『春夏秋冬』は明治三十年以後の俳句を集め四季四冊となす。
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一 新年はこれを四季の外とし冬の部の附録とす。その他は従来の定規に従ふ。
一 撰択の標準は第一佳句、第二流行したる句、第三多くの選に入りし句等の条項にる。



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()

()()()調()()調()
寿

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()()()()調
 
()()()()調
拍子木ひょうしぎ         幕



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 ()()宿宿()()()()()()()()()()()


 病床に寐て一人聞いて居ると、垣の外でよその細君の立話がおもしろい。
あなたネ提灯ちょうちんを借りたら新しい蝋燭ろうそくをつけて返すのがあたりまへですネそれをあなた前の蝋燭も取つてしまふ人がありますヨ同じ事ですけれどもネさういつたやうな事がネ……
などとどつかの悪口をいつて居る。今の政治家実業家などは皆提灯を借りて蝋燭を分捕ぶんどりする方の側だ。もっともづうづうしいやつは提灯ぐるみに取つてしまつて平気で居るやつもある。
提灯を返せ/\と時鳥ほととぎす

(五月二十四日)


 余は『春夏秋冬』をむに当り四季の題を四季にわかつに困難せり。そは陽暦を用ゐる地方(または家)と陰暦を用ゐる地方(または家)と両様ありてそれがために季の相異を来す事多ければなり。たとへば
 陽暦を用ゐれば       陰暦を用ゐれば
春┌灌仏かんぶつ          春┌新年
 └端午たんご           └やぶ入
夏┌七夕          夏┌灌仏
 └盂蘭盆会うらぼんえ         └端午
秋┌十夜じゅうや御命講おめいこう      秋┌七夕
 └芭蕉忌ばしょうき          └盂蘭盆会
冬┌新年          冬┌十夜、御命講
 └やぶ入          └芭蕉忌
の如きものにして東京は全く新暦を用ゐ居れど地方にては全く旧暦に従ひ居るもあり、または半ば新暦を用ゐ半ば旧暦を用ゐ居るもあり。この際に当りて東京に従はんか地方に従はんかは新旧暦いづれが全国の大部分を占め居るかを研究しての後ならざるべからず。余はこの事につきていまだ研究する所あらざれども恐らくは「新年」の行事ばかりは新暦を用ゐる者全国中その過半に居るべしと信じこれを冬の部に附けたり。その他は旧歳時記さいじきの定むる所に従へり。但こは類別上の便宜をいふ者なれば実地の作句はその時の情況によりて作るべく、四季の名目などにかかはるべきに非ず。



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 羽後うご能代のしろ方公ほうこう手紙をよこしてその中にいふ、
御著『俳諧大要』に言水ごんすい
うば捨てん湯婆たんぽかんせ星月夜
の句につきて「湯婆に燗せとは果して何のためにするにや」云々と有之これあり候、その湯婆につき思ひ当れるは、当地方にて銚子ちょうしの事をタンポと申候事にてお銚子持つて来いをタンポ持つて来いと申候、これにて思ふに言水の句も銚子の事をいへるにて作者の地方かまたは信州地方の方言を用ゐたるにはあらざるかとぞんじ候云々
 この解正しからん。



 ()()()()()()()()()()()()綿()


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 東京に生れた女で四十にも成つて浅草の観音様を知らんといふのがある。嵐雪らんせつの句に
五十にて四谷を見たり花の春
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 この頃碧梧桐へきごとうの俳句一種の新調をなす。その中に「も」の字最も多く用ゐらる。たとへば
桐の木に鳴くうぐいす茶山かな     碧梧桐
()()調()()()()()
いちご売る世辞せじよき美女や峠茶屋
調調()()西()()()()()()()()


 ()()()()()()使()()
ぼうたんやしろがねの猫こがねのちょう
といふ風変りの句なり、これを見れば蕪村も特にこの句にのみ用ゐたるが如く決して普通に用ゐたるにあらず。それを蕪村が常に用ゐたるが如く思ひて蕪村がこの語を用ゐたりなどいふ口実を設けこれを濫用らんようすること蕪村は定めて迷惑に思ふなるべし、この事は特に蕪村のために弁じ置く。



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 ※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)
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 俳句を作る人大体の趣向を得て後言葉のつかひ方をおろそかにする故主意の分らぬやうになるが多し。
浮いて居る小便桶や柿の花
便便
 ()


西
始終動いて居る優美の挙動やまた動くにつれて現はれて来る変化無限の姿を見せるといふ点で日本服はドウしても西洋服にまさつて居ります
西()()
 西西()
()
 ()()西西()()西西西


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 ()()()  西



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 西西()()西西()()
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 西()()


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 退


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 ()()西()()()()西()
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 ()()()()宿()()()()()()()()()


 西()()()()()()
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 ()()西()()()()()()()()()()()()


 ()()()()宿宿()()()()()()()()()()
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 ()()()()綿
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 ()()()()()()()()()()()()()()()()※(二の字点、1-2-22)
 ()()()()()()()()調調()()()
 
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 ()
 
 
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 西()()


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   1927212151
   19845931615
   1998101535
JIS X 0208






31-15-55



31-92-57
31-47-58



31-91-71
31-92-26
31-87-30
※(「臣」の「コ」に代えて「口」、第4水準2-85-54)




()()使使

5-86



2005613
20051122

http://www.aozora.gr.jp/






 W3C  XHTML1.1 





JIS X 0213

調

JIS X 0213-


「麾−毛」    42-8
「麾」の「毛」に代えて「手」」    42-8
「麾」の「毛」に代えて「石」」    42-8
「麾」の「毛」に代えて「鬼」」    42-8
「兎」の「儿」を「兔」のそれのように    42-10
「免」の「儿」を「兔」のそれのように    42-10
「わかんむり/一/豕」    42-12、42-13
「塚のつくりのわかんむりと豕の間に一」    42-12、42-13
「入/王」    42-14、63-12
「兪/心」    42-14
「示+氏」    43-1、43-1
「内」の「人」に代えて「入」    47-7、63-12
「聖」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの    47-8、52-5
「門<壬」    47-8、63-11
「女+※(「臣」の「コ」に代えて「口」、第4水準2-85-54)    49-15
「刀/貝」    52-4
「壬」の下の横棒が長いもの    52-5
「呈」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの    52-6
「望」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの    52-6