萬葉集を讀む

正岡子規




      (一)

 四月十五日草廬に於いて萬葉集輪講會を開く。議論こも/″\出でゝをかしき事面白き事いと多かり。文字語句の解釋は諸書にくはしければこゝにいはず。只我思ふ所をいさゝか述べて教を乞はんとす。
籠もよみ籠もち、ふぐしもよみふぐしもち、此岡に菜摘ます子、家聞かな名のらさね、空見つやまとの國は、おしなべて吾こそ居れ、しきなべて吾こそをれ、我こそはせとはのらめ、家をも名をも
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   天皇登香具山望國之時御製歌
やまとにはむら山あれど、とりよろふ天の香具山、のぼりたち國見をすれば、國原は煙立ち立つ、海原はかまめ立ち立つ、うまし國ぞあきつ島やまとの國は
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 使使
   天皇遊獵内野之時中皇命使間人連老ハシビトノムラジオユ[#ルビの「ハシビトノムラジオユ」に〈原〉の注記]
やすみしゝ我大君の、あしたには取り撫でたまひ、夕にはいよせ立てゝし、みとらしの梓の弓の、なか筈の音すなり、朝狩に今立たすらし、夕狩に今立たすらし、みとらしの梓の弓の、なか筈の音すなり
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()()便便滿()()※(「木+(「孝」の「子」に代えて「丁」)」、第4水準2-14-59)()
 使
   反歌
玉きはる内の大野に馬なめて朝ふますらん其草深野
 
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   幸讚岐國安益郡之時軍王見山作歌
霞立つ長き春日の、暮れにけるわづきも知らず、むら肝の心を痛み、ぬえ子鳥うらナゲ[#ルビの「ナゲ」に〈原〉の注記]居れば、玉だすきかけのよろしく、遠つ神我大君の、いでましの山ごしの風の、獨り[#ルビの「ヲ」に〈原〉の注記]る我衣手に、朝夕にかへらひぬれば、ますらをと思へる我も、草枕旅にしあれば、思ひやるたづきを知らに、網の浦のあまをとめらが、燒く鹽の思ひぞ燒くる、我が下心
滿便()()
   反歌
山ごしの風を時じみ寢る夜落ちず家なる妹をかけてしぬびつ
「ときじみ」に説あり。
   額田王歌
秋の野のみ草刈り葺きやどれりし宇治の宮子の假庵しおもほゆ
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   額田王歌
熟田津ニギタヅ[#ルビの「ニギタヅ」に〈原〉の注記]船乘フナノリ[#ルビの「フナノリ」に〈原〉の注記]せむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎいでな
 伊豫の熟田津より西國に行幸ある時の歌なるべしと。「月待てば」は實際は潮を待つならん。「ふなのり」といふ語今は俗語に用ゐられて歌などに詠まれぬが如し。
 莫囂圓隣云々の歌讀方諸説あり。今省く。
〔日本附録週報 明治33・6・11 三〕
[#底本ではここに「編注」あり。「莫囂圓隣云々の歌」とは「熟田津に」の次にある歌、という内容]

      (四)

   中皇命往于紀伊温泉之時御歌
君が代もわが代も知らむ磐代の岡の草根をいざ結びてな
 
吾勢子は假廬つくらす萱なくば小松が下の萱を刈らさね

わがほりし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の珠ぞひろはぬ
 第二句一に「見しを」とあり。野島は既に見たれど阿胡根の浦はまだ見ずとの意にや。「底深き」は前の「小松が下」と同じく無意味の裝飾的の語なれど「小松が下」の自然なるに如かず。併しここも惡きに非ず。以上三首皆面白し。
   三山歌
かぐ山はうねびをゝしと、耳梨とあひあらそひき、神代よりかくなるらし、いにしへもしかなれこそ、うつせみも妻をあらそふらしき
 天智御製なり。男山女山といふ事に就きて即ち初二句の解釋に就きて論ありたれどそは如何やうにもあるべし。戀の爭ひといはゞ俗にも聞ゆべきを、山の爭ひを比喩に引きしために氣高く聞ゆ。結末七言二句の代りに十言一句を置く、亦一法なり。「こそ」の係「らしき」の結なり。
   反歌
かぐ山と耳梨山とあひし時立ちて見に來し伊奈美國原
 出雲の阿菩あぼの大神が三山の爭ひを諫めんために播磨の印南郡に到りしが爭ひやみたりと聞きて行かでやみきとなり。反歌には戀の意無し。
わだつみの豐旗雲に入日さしこよひの月夜あきらけくこそ
 
   天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
冬ごもり春さりくれば、鳴かざりし鳥も來鳴きぬ、咲かざりし花も咲けれど、山を茂み入りても取らず、草深み取りても見ず、秋山の木の葉を見ては、黄葉をば取りてぞしぬぶ、青きをばおきてぞなげく、そこしうらめし秋山吾は
 
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2005525

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