曙覧の歌

正岡子規




 ()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)()()()()()()()()()()()※(「てへん+慮」、第4水準2-13-58)()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
わが歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声する夜の窓
灯火ともしびのもとに夜な夜な来たれ鬼わがひめ歌の限りきかせむ
人臭き人にきかする歌ならず鬼の夜ふけてばつげもせむ
凡人ただひとの耳にはいらじ天地あめつちのこころを妙にらすわがうた
 ()()()()()()()()()
 ()()()
橘曙覧の家にいたる詞
おのれにまさりて物しれる人は高きいやしきを選ばず常にあい見て事尋ねとひ、あるは物語をきかまほしくおもふを、けふはこの頃にはめづらしく日影あたたかに久堅ひさかたの空晴渡りてのどかなれば、山川野辺のけしきこよなかるべしとつづみうつ頃より野遊のあそびに出たりき、三橋といふ所にいたる、中根師質なかねもろただあれこそ曙覧の家なれといへるを聞て、にわかにとはむとおもひなりぬ、ちひさき板屋の浅ましげにてかこひもしめたらぬにそこかしこはらひもせぬにや塵ひぢ山をなせり柴の門もなくおぼつかなくも家にいりぬ、師質心せきたるさまして参議君の御成おなりぞと大声にいへるに驚きて、うちよりししじものひざ折ふせながらはひいでぬ、すこし広き所に入りてみればおちかかり障子はやぶれ畳はきれ雨もるばかりなれども机に千文ちふみ八百やおふみうづたかくのせて人丸ひとまろ御像みぞうなどもあやしき厨子ずしに入りてあり、おのれきものぬぎかへてしずるつづりおりに似たる衣をきかへたりこの時扇一握いちあく半井保なからいたもつにたまひて曙覧にたびてよと仰せたり、おのれいへらく、みましの屋の名をわらやといへるはふさはしからず、橘のえにしあれば忍ぶの屋とけふよりあらためよといへり、屋のきたなきことたとへむにものなししらみてふ虫などもはひぬべくおもふばかりなり、かたちはかくまずしくみゆれどその心のみやびこそいといとしたはしけれ、おのれは富貴の身にして大厦たいか高堂に居て何ひとつたらざることなけれど、むねに万巻のたくはへなく心は寒く貧くして曙覧におとる事更に言をまたねば、おのづからうしろめたくて顔あからむ心地せられぬ、今より曙覧の歌のみならでその心のみやびをもしたひまなばばや、さらば常の心のよごれたるを洗ひ浮世のほかの月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔おおくらたゆう朝臣あそん慶永よしなが元治二年衣更著きさらぎ末のむゆか、館に帰りてしるす
 ()



 ()()
人にかさかしたりけるに久しうかへさざりければ、わらはしてとりにやりけるにもたせやりたる
山吹のみの一つだに無き宿はかさも二つはもたぬなりけり
 その貧乏さ加減、我らにも覚えのあることなり。
ひた土にむしろしきて、つねに机すゑおくちひさき伏屋ふせやのうちに、竹いでて長うのびたりけるをそのままにしおきて
壁くぐる竹に肩する窓のうちみじろくたびにかれもえだ振る
膝いるるばかりもあらぬ草屋を竹にとられて身をすぼめをり
 明治に生れたる我らはかくまで貧しくなられ得べくもあらず。(「草屋」を「草の屋」と読ませ「草花」を「草の花」と読まする例、集中に少からず。漢語にはあらず)
銭乏しかりける時
米の泉なほたらずけり歌をよみ文をつくりて売りありけども
 彼が米代をもうけ出す方法はこの歌によりてやや推すべし。(「泉」は「ぜに」と読むべし)
ある日、多田氏の平生窟より人おこせ、おのがいおの壁のくずれかかれるをつくろはす来つる男のこまめやかなる者にて、このわたりはさておけよかめりとおのがいふところどころをもゆるしなう、机もなにもうばひとりてこなたかなたへうつしやる、おのれは盗人のいりたらん夜のここちしてうろたへつつ、かたへなるところに身をちひさくなしてこのをの子のありさま見をる、我ながらをかしさねんじあへて
あるじをもここにかしこに追たてて壁ぬるをのこ屋中塗りめぐる
 家の狭さと、あるじの無頓着むとんちゃくさとはこの言葉書ことばがきの中にあらわれて、その人その光景目前に見るがごとし。
おのがすみかあまたたび所うつりかへけれど、いづこもいづこも家に井なきところのみ、妻して水みはこばする事もかきかぞふれば二十年あまりの年をぞへにきける、あはれ今はめもやうやうおいにたれば、いつまでかかくてあらすべきとて、貧き中にもおもひわづらはるるあまり、からうじて井ほらせけるにいときよき水あふれづ、さくもてくみとらるべきばかりおほうあるぞいとうれしき、いつばかりなりけむ□「しほならであさなゆふなに汲む水もからき世なりとぬらすそでかな」と、そぞろごといひけることのありしか、今はこのぬれける袖もたちまちかわきぬべう思はるれば、この新しき井の号を袖干井そでひのいとつけて
ぬらしこし妹が袖干そでひの井の水の涌出わきいづるばかりうれしかりける
 ()()()()()()()()
()()※(「口+金」、第3水準1-15-5)()()()便
たのしみはあき米櫃こめびつに米いでき今一月はよしといふ時
たのしみはまれに魚児等こら皆がうましうましといひて食ふ時

 ()()()()()()()()()


 ()()()※(「口+金」、第3水準1-15-5)
たのしみは木芽このめ※(「さんずい+龠」、第4水準2-79-46)にやして大きなる饅頭まんじゅうを一つほほばりしとき
たのしみはつねに好める焼豆腐うまくたててくわせけるとき
たのしみは小豆あずきの飯のひえたるを茶づけてふ物になしてくふ時
 ()()()()()※(「口+金」、第3水準1-15-5)()()()
 ()()()()()
たのしみは銭なくなりてわびをるに人のきたりて銭くれし時
たのしみは物をかかせてき価おしみげもなく人のくれし時
 ()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
高山彦九郎正之
大御門おおみかどそのかたむきて橋上に頂根うなねつきけむ真心まごころたふと
をりにふれてよみつづけける(録一)
吹風ふくかぜの目にこそ見えぬ神々はこの天地あめつちにかむづまります
独楽※(「口+金」、第3水準1-15-5)(録二)
たのしみは戎夷えみしよろこぶ世の中に皇国みくに忘れぬ人を見るとき
たのしみは鈴屋大人すずのやうしの後に生れその御諭みさとしをうくる思ふ時
赤心報国せきしんもてくににむくゆ(録一)
国汚すやっこあらばと太刀ぬきあだにもあらぬ壁に物いふ
示人ひとにしめす(録一)
天皇すめらぎは神にしますぞ天皇のちょくとしいはばかしこみまつれ
 ()()()()()()()()
慶応四年春、浪華に
行幸あるにわが
宰相君さいしょうのきみ御供仕おんともしたまへる御ともつこうまつりに、上月景光主こうづきかげみつぬしのめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに
天皇のさきつかへてたづがねののどかにすらん難波津にゆけ
すめらぎのまれ行幸いでまし御供みともする君のさきはひ我もよろこぶ
天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひびとどもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる
隠士も市の大路に匍匐はらばいならびをろがみまつる雲の上人
天皇の大御使おおみつかいと聞くからにはるかにをがむ膝をり伏せて
 勅使をさえかしこがりて匍匐はらばいおろがむ彼をして、一たび二重橋下に鳳輦ほうれんを拝するを得せしめざりしは返すがえすも遺憾いかんのことなり。
都にのぼりて
大行たいこう天皇の御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺せんにゅうじもうでたりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるをかしこけれどうれはしく思ひまつりて
ゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車おおみくるまのうしや世の中
 



 
 ()()()()()()()()()調()()()()()()()
いつはりのたくみをいふな誠だにさぐれば歌はやすからむもの
()西()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


()()()()()()()()
日の光いたらぬ山のほらのうちに火ともしいりてかね掘出ほりいだ
赤裸まはだか男子おのこむれゐてあらがねのまろがり砕くつちうちふり
さひづるやからうすたててきらきらとひかるまろがりつきてにする
かけひかけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる
黒けぶりむらがりたたせ手もすまに吹鑠ふきとろかせばなだれおつるかね
とろくれば灰とわかれてきはやかにかたまり残る白銀の玉
しろがねの玉をあまたにはこ荷緒にのおかためて馬はしらする
しろがねの荷おえる馬をひきたてて御貢みつぎつかふる御世のみさかえ
 ()()()()()()()()()()
 調


 
 ()()
 ()
きのふまでわが衣手ころもでにとりすがり父よ父よといひてしものを
 父の十七年忌に
今も世にいまされざらむよはひにもあらざるものをあはれ親なし
髪しろくなりても親のある人もおほかるものをわれは親なし
 母の三十七年忌に
はふ児にてわかれまつりし身のうさはおもだに母を知らぬなりけり
 古書を読みて
真男鹿まおしかの肩焼くうらにうらとひて事あきらめし神代をぞ思ふ
 筑紫人つくしびとのその国へかえるに
程すぎて帰らぬ君と夕占ゆうけとひまつらむ妹にとくゆきて逢へ
 
 ()退()()()()()()()()()※(「走にょう+咨」、第4水準2-89-24)※(「走にょう+且」、第4水準2-89-22)()()()()()()()()()()()



 ()()
秋田家あきのでんか
※(「虫+乍」、第4水準2-87-38)いなごまろ[#「虫+孟」、271-12]うるさくいでてとぶ秋のひよりよろこび人豆を打つ
とり詠十二時じゅうにじをよむの内)
夕貌ゆうがおの花しらじらと咲めぐるしず伏屋ふせやに馬洗ひをり
松戸まつのとにて口よりいづるままに(録二)
ふくろふののりすりおけと呼ぶ声にきぬときはなち妹は夜ふかす
こぼれ糸※(「糸+麗」、第4水準2-84-64)さでにつくりて魚とると二郎じろう太郎たろう三郎さぶろう川に日くらす
行路雨こうろのあめ
雨ふれば泥ふみなづむ大津道おおつみち我に馬ありめさね旅人
古寺雨こじのあめ
風まじり雨ふる寺の犬ふせぎしぶきのぬれにうつるみあかし
寒灯
ともすればしずむ灯火ともしびかきかきてをうむ窓にあられうつ声
砂月涼さげつすずし
そとの浜さとの目路めじちりをなみすずしさ広き砂上すなのうえの月
薔薇そうび
羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな
題しらず
雲ならで通はぬ峰の石陰いわかげに神世のにほひ吐く草花くさのはな
歌会の様よめる中に(録五)
人麻呂の御像みかたのまへに机すゑともしびかかげ御酒みきそなへおく
設け題よみてもてくる歌どもを神の御前にならべもてゆく
ことごとく歌よみいでし顔を見てやをら晩食ゆうげ折敷おしきならぶる
めせとすすめめぐりてとぼしたる火もきえぬべく人つきあたる
戸をあけて還る人々雪しろくたまれりといひてわびわびぞゆく
初午詣はつうまもうで
稲荷坂見あぐるあけの大鳥居ゆりうごかして人のぼり来る
使()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()調


 調()()()調()
 調調
書中乾胡蝶しょちゅうのからこちょう
からになる蝶には大和魂を招きよすべきすべもあらじかし
 結句字余りのところ『万葉』を学びたれどいきおい抜けて一首を結ぶに力弱し。『万葉』の「うれむぞこれが生返るべき」などいえるに比すれば句勢に霄壌しょうじょうの差あり。
緇素月見しそつきをみる
しきみつみたかすゑ道をかへゆけど見るは一つの野路の月影
 この歌は『古今』よりも劣りたる調子なり。かくのごとき理屈の歌は「月を見る」というような尋常の句法を用いて結ぶ方よろし。「見るは月影」と有形物をもって結びたるはなかなかにいやしくいとわし。

あないぶせ銚子さしなべかけてたくわらのもゆとはなしに煙のみたつ
「あないぶせ」とかようにはじめに置くこと感情の順序にもとりて悪し。『万葉』にてはかくいわず。全くこの語を廃するか、しからざれば「煙立ついぶせ」などように終りに置くべし。下二句の言い様も俗なり。

賤家しずがいえ這入はいりせばめて物ううる畑のめぐりのほほづきの色
 この歌は酸漿ほおずきを主として詠みし歌なれば一、二、三、四の句皆一気呵成かせい的にものせざるべからず。しかるにこの歌の上半は趣向も混雑しかつ「せばめて」などいう曲折せる語もあり、かたがたもって「ほほづきの色」という結句を弱からしむ。
よそありきしつつ帰ればさびしげになりてひをけのすわりをるかな
 西()()
かつふれていわおの角に怒りたるおとなひすごき山の滝つせ
 この歌は滝のいきおいを詠みたるものにて、言葉にては「怒りたる」が主眼なり。さるを第三句に主眼を置きしゆえ結末弱くなりて振わず。「怒り落つる滝」などと結ぶが善し。
島崎土夫主しまざきつちおぬし軍人いくさびとの中にあるに
妹が手にかはるよろいそでまくら寝られぬ耳に聞くや夜嵐よあらし
 上三句重く下二句軽く、ひさごさかしまにしたるの感あり。ことに第四句力弱し。
狛君こまぎみ別墅べっしょ二楽亭
広き水真砂のつらに見る庭のながめをひきて山も連なる
 前の歌と同じ調子、同じ非難なり。

〔『日本』明治三十二年四月二十二日〕


酔人の水にうちいるる石つぶてかひなきわざにひじを張る哉
 これも上三句重く下二句軽し。曙覧の歌は多くこの頭重脚軽とうじゅうきゃくけいの病あり。
宰相君さいしょうのきみよりたけを賜はらせけるに
秋の香をひろげたてつる松のかさいただきまつるもろ手ささげて
 これも前の歌と同じく下二句軽くして結び得ず。
羊腸つづらおりありともしらで人のせにおわれて秋の山ふみをしつ
 これも頭重脚軽なり。この歌にては「背に負はれ」というが主眼なれば、この主眼を結句に置かざれば据わらざるべし。
ふくろふの糊すりおけと呼ぶ声にきぬときはなち妹は夜ふかす
こぼれ糸※(「糸+麗」、第4水準2-84-64)さでにつくりて魚とると二郎太郎三郎川に日くらす
 ()()
 調調調
 ()()()()()()()()()()()調退()()()()()()()()()()()()()

この稿を草するなかばにして、曙覧おう令嗣れいし今滋いましげ氏特に草廬そうろたたいて翁の伝記及び随筆等を示さる。って翁の小伝を掲げて読者の瀏覧りゅうらんに供せんとす。歌と伝と相照し見ば曙覧翁眼前にあらん。
竹の里人付記

〔『日本』明治三十二年四月二十三日〕






底本:「子規選集 第七巻 子規の短歌革新」増進会出版社
   2002(平成14)年4月12日初版第1刷発行
底本の親本:「子規全集 第七卷 歌論 選歌」講談社
   1975(昭和50)年7月18日第1刷発行
初出:「日本」日本新聞社
   1899(明治32)年3月22日〜24日
   1899(明治32)年3月26日
   1899(明治32)年3月28日
   1899(明治32)年3月30日
   1899(明治32)年4月9日
   1899(明治32)年4月22日〜23日
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年2月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213

調

JIS X 0213-


「虫+孟」    271-12