俳諧大要

正岡子規





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一、同一の人にして時に従ひ美の標準を異にすれば、一般に後時の標準は概括的標準に近似する者なり。同時代の人にして各個美の標準を異にすれば、一般に学問知識ある者の標準は概括的標準に近似する者なり。ただし特別の場合には必ずしもかくの如くならず。


第二 俳句と他の文学


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一、俳句の種類は文学の種類とほぼ相同じ。
一、俳句の種類は種々なる点より類別し得べし。
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一、意匠と言語とを比較して優劣先後あるなし。ただ意匠の美を以てまさる者あり、言語の美を以て勝る者あり。
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一、以上各種の区別皆優劣あるなし。
一、以上各種の区別皆比較的の区別のみ。故に厳密にその区域を限るべからず。

一、一人にして各種の変化を為す者あり、一人にして一種に長ずる者あり。


第四 俳句と四季


一、俳句には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきものをぞうと言ふ。
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一、単に月と称すれば和歌にては雑となるべし。俳句にては秋季となるなり。時雨しぐれは和歌にては晩秋初冬共にこれを用う。ことに時雨を以て木葉このはむるの意に用う。俳句にては時雨は初冬に限れり。従ひて木葉を染むるの意に用うる者ほとんどこれなし。しもは和歌にては晩秋よりこれを用ゐ、また紅葉こうようを促すの一原因とす。俳句にては霜は三冬に通じて用うれど晩秋にはこれを用ゐず。従ひて紅葉を促すの一原因となさず。俳句季寄きよせの書には秋霜しゅうそうの題を設くといへども、その作例は殆んど見るなし。
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一、四季の題目中きょ(抽象的)なる者は人為的にその区域を制限するを要す。これを大にしては四季の区別の如きこれなり。春は立春立夏の間を限り、夏は立夏立秋の間を限り、秋は立秋立冬の間を限り、冬は立冬立春の間を限る。即ち立冬一日後あえて秋風と詠ずべからず、立夏一日後敢て春月と詠ずべからず。
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一、四季の題目を見れば則ちその時候の聯想を起すべし。例へばちょうといへば翩々へんぺんたる小羽虫しょううちゅうの飛び去り飛び来る一個の小景を現はすのみならず、春暖ようやく催し草木わずかに萌芽ほうがを放ち菜黄さいこう麦緑ばくりょくの間に三々五々士女の嬉遊きゆうするが如き光景をも聯想せしむるなり。この聯想ありて始めて十七字の天地に無限の趣味を生ず。故に四季の聯想を解せざる者はついに俳句を解せざる者なり。この聯想なき者俳句を見て浅薄せんぱくなりと言ふまたむべなり。(俳句に用うる四季の題目は俳句に限りたる一種の意味を有すといふも可なり)
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一、俳句をものせんと思はば思ふままをものすべし。巧を求むるなかれ、せつおおふ莫れ、他人に恥かしがる莫れ。
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一、初心の恥かしがりてものし得べき句をものせぬはわろけれど、恥かしがる心底しんていはどうがなして善き句を得たしとののぞみなればいと殊勝しゅしょうなり。この心は後々までも持ち続きたし。
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一、四季の題目は一句中に一つづつある者と心得て詠みこむを可とす。但しあながちになくてはならぬとには非ず。
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一、古俳書など読むも善し、あるいはこれを写すも善し、あるいは自ら好む所を抜萃ばっすいするも善し、あるいは一の題目の下に類別するも善し。
一、古句を半分位ぬすみ用うるとも半分だけ新しくば苦しからず。時には古句中の好材料を取り来りて自家の用に供すべし。あるいは古句の調にして調子の変化をもさとるべし。
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一、初心の人古句に己の言はんと欲する者あるを見て、古人すでに俳句を言ひ尽せりやと疑ふ。これ平等を見て差別を見ざるのみ。こころみに今一歩を進めよ。古人は何故にこの好題目をのこして乃公だいこうに附与したるかとあやしむに至るべし。

一、初心の人あまがわの題を得て句をものせんとす。心頭づ浮び来る者は


あら海や佐渡さどに横たふ天の川      芭蕉
真夜中やふりかはりたる天の川     嵐雪らんせつ
け行くや水田みずたの上の天の川      惟然いぜん

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一僕いちぼくを雨に流すな天の川        浪化ろうか
打ちたたく駒のかしらや天の川      去来
引はるや空に一つの天の川       乙州おとくに
西風の南に勝つや天の川        史邦ふみくに
よひ/\にれしか此夜天の川     白雄しらお
天の川星より上に見ゆるかな      同
江に沿ふて流るゝ影や天の川      暁台きょうたい
天の川飛びこす程に見ゆるかな     士朗しろう
天の川ただすの涼み過ぎにけり       同
天の川田守たもりとはなす真上かな      乙二おつに
てゝれ干す竿さおのはづれや天の川     嵐外らんがい
  巨鼇山きょごうやま
山風やかしひのきも天の川         同

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一、一題一句づつ多くの題につきて句を試むるも善し、あるいは一題十句、一題百句などの如く一題にて出来るだけの変化を試むるも善し。
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一、三笠附みかさづけ、懸賞発句募集、その外博奕ばくえきに類し私利に関する事にはたづさはるべからず。
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古池やかわず飛びこむ水の音        芭蕉

といふ句を見て、作者の理想は閑寂かんじゃくを現はすにあらんか、禅学上悟道の句ならんか、あるいはその他何処いずくにかあらんなどと穿鑿せんさくする人あれども、それはただそのままの理想も何もなき句と見るべし。古池に蛙が飛びこんでキヤブンと音のしたのを聞きて芭蕉がしかく詠みしものなり。

稲妻やきのふは東けふは西       其角きかく

 といふは諸行しょぎょう無常的の理想を含めたるものにて、俗人はこれを佳句の如く思ひもてはやせども文学としては一文の価値なきものなり。
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一、学識なき者は雅俗の趣味を区別すること難く、学識ある者は理想に偏して文学の範囲外にさまよふこと多し。しかれども終局において学識ある者は学識なき者にまさること万々ばんばんなり。
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一、俳諧は滑稽なりとて滑稽ならざるは俳句にあらずといふ人あり。局量の小なる一笑するにへたり。これ己れたまたま滑稽よりして俳諧に入りしかばしか言ふのみ。濁酒を好む馬士まごの清酒を飲んで酒に非ずといひたらんが如し。
一、初学の人にして自己の標準立たずとて苦にする者あり、もっともの事なれども苦にするに及ばず。多くものし多く読むうちにはおのづと標準の確立するに至らん。
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一、俳句の題は普通に四季の景物を用う。しかれども題は季の景物に限るべからず。季以外の雑題を取り季を結んでものすべし。両者並び試みざればつい狭隘きょうあいを免れざらん。

一、俳句の題は必ずしもその題を主としてものするを要せず。ただその題を詠みこまばそれにて十分なり。例へば頭巾ずきんといふ題を得たる時に頭巾を主としてものすれば俗に陥りやすく陳腐に傾きやすし。故に時々この題を軽く詠みこみて他へそらすことも忘るべからず。


始めて東武に下る時
頭巾取りえりつくろふや富士の晴れ    湖春こしゅん

 といふが如き富士を主としたるものをものするも差支なし。此の如くならざれば尽く陳腐に流れてしかも変化すべき区域狭くなるべし。故に俳句の題は和歌の如く題にかなふ叶はぬをやかましく穿鑿せんさくするに及ばず。

一、俳句の題を得たる時はそれを主とせずして可なるのみならず、その題を全く空想中の物となして実在せしめざるもまた可なり。例へばつたといふ秋季の題を得たる時


野の宮の鳥居に蔦もなかりけり     涼菟りょうと

 の如く蔦といふ実物を句中に現在せしめざるも差支なし。これにてやはり秋季と為るなり。
一、月並者流の題に文字結もじむすびと言ふ事あり。例へば雪の題にて結字むすびじ「後」と定められたる時は、雪の句の中に「後」の字をも詠みこむなり。これは単に雪の題ならば俗俳家が古人の雪の句を剽窃ひょうせつし来り、または自己の古き持句を幾度いくたびも出さんとする者多き故にこれを予防するの策なり。いやしくも徳義を解し廉恥れんちを知る人に対して為すべきに非ず。いはんや文字結なる者は到底佳句を得るに能はざるをや。
一、他人が悪しと言ふ句も己が善しと思はば人に構はずその種類をものすべし。もしその種の句にして果して悪き者ならば長くものし多くものする間には自然と厭嫌えんけんを生ずべし。
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一、あるいは解しがたきの句をものするを以て高尚こうしょうなりと思惟しいするが如きは俗人の僻見へきけんのみ。佶屈きっくつなる句は貴からず、平凡なる句はなかなかに貴し。
一、俳句の妙味はついに解釈すべからざるを以て各人の自悟じごを待つよりほかなしといへども、字句の解釈に至りてはもとより容易に説明し得べし。故に初学者のために古句の解説を与へあわせて多少の批評を為すべし。

(修学第一期中に列ねたる条項は思ひつくままに記したるを以て、前後錯綜さくそう重複ちょうふくあるを免れず、読者請ふこれを諒せよ)



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 雲の峰は夏季にして夏雲多奇峰かうんきほうおおしの意なり。この雲が出て来ると熱くなる故、雲の峰には夏の空の晴れて熱き心を言へるが例なり。この句は旅人のから尻などに乗りて行く様を言ひしものなれば、綺麗な馬に非るは勿論もちろんなれど、特に見ぐるしきと言ふ上は通常のよりもよほど見ぐるしとの意なり。けだし炎天に人をせて歩むこと故、馬もいたく疲れて道はかどらず、毛は汗によごれて如何にも見苦しきさまを言へるなり。一句吟じおわれば炎天に人馬の疲労せしさま見るが如し。

一、初学の人道に進むはいづれの方向よりするも勝手なれども、普通の学生などの俳句をものするは多く漢語を用ゐ漢詩を応用する者を実際上多しとす。例へば水村山郭酒旗風すいそんさんかくしゅきのかぜといふ杜牧とぼくの成句を取りてこれに秋季の景物を添へ


沙魚はぜつるや水村山郭酒旗風        嵐雪

 といふが如きこれにても俳句なり。この辺より悟入ごにゅうするも可なり。また成句を用ゐざるもただ目前の景物を取りて一列に並べたるばかりにても俳句にならぬ事はあらじ。


奈良七重ななえ七堂伽藍がらん八重桜        芭蕉
藪寺やぶでら筍月夜たけのこづきよ時鳥           成美せいび
浦山や有明霞ありあけがすみ遅桜おそざくら           羽人うじん

 などの作例もあるなり。この三句の中にて成美の句もっとも佳なりとす。

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ものゝふの矢なみつくろふこての上にあられたばしる那須の篠原  源 実朝みなもとのさねとも

 の如きをしかりとす。この外『新古今』の「入日いりひをあらふ沖つ白浪しらなみ」「葉広はびろかしはに霰ふるなり」など、または真淵まぶちわしあらし粟津あわづ夕立ゆうだちの歌などの如きは和歌の尤物ゆうぶつにして俳句にもなり得べき意匠なり。

一、前には初学者のために多少古句の解釈など試みたれど、そは標準とすべき者を挙げたるにはあらず。故に今ここに標準とすべき者十数句を挙げて第一期の結尾となすべし。但し俳句に入る人繊巧より佶屈より疎大より滑稽よりおのおの道を選びて進むこと勿論なれども、平易より進む方最も普通にしてしかも正路せいろなりと思ふが故に、ここに平易なる句を抜萃ばっすいせり。分け登る道はいづれなりとも、その極に至れば同じ雲井に一輪の大月だいげつを見るの外はあらじ。


五六本よりてしだるゝ柳かな      去来
永き日や大仏殿の普請声        李由りゆう
こがらし刈田かりたのあとの鉄気水かなけみず        惟然いぜん
清水の上から出たり春の月       許六きょりく
声かけて鵜縄うなわをさばく早瀬かな     涼菟
鎌倉の街道をのすつばめかな        尚白しょうはく
春の日の念仏ゆるき野寺かな      同
静かさは栗の葉沈む清水かな      同
よろ/\と撫子なでしこ残る枯野かな      同
わら積んで広く淋しき枯野かな      同
道ばたに多賀の鳥居の寒さかな     同
夕立や川追ひあぐる裸馬        正秀まさひで
山松のあはひ/\や花の雲       その
市中はものゝ匂ひや夏の月       凡兆ぼんちょう
百舌鳥もず鳴くや入日いりひさしこむ女松原めまつばら    同
なが/\と川一筋や雪の原       同
旅人の見て行くかどの柳かな       樗良ちょら
春雨や松に鶴鳴く和歌の浦       同
いお榎許えのきばかりの落葉かな        同

 以上の句は皆句調の巧を求めず、ただありのままの事物をありのままにつらねたるまでなれば、誠に平易にして誰にも分るなるべし。しかしてその句の価値を問へば即ち多くはこれ第一流の句にして俳句界中有数の佳作なり。
* この句の作者は、子規自身「随問随答」でただしているように「尚白」でなく「柳陰」であるが底本のままとしておいた。

第六 修学第二期


一、利根りこんのある学生俳句をものすること五千首に及ばば直ちに第二期に入るべし。普通の人にても多少の学問ある者俳句をものすること一万首以上に至らば必ず第二期に入り来らん。
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一、一些事さじ微物びぶつにつきてもなほ比較的に壮大雄渾なる者あり。例へば牡丹を見る者、牡丹数輪の花をり来ると、ただ一輪の牡丹を把り来るとを比較すれば、一輪牡丹の方花の大きなるやう感ずべし。これ花の特別に大なるに非ず、一輪なれば比較すべき者なきがためなり。あるいは庭園中の牡丹を詠ずると、場所を指定せずしてただ一株の牡丹をのみ詠ずるとを比較すれば、後者の方牡丹の大なるを感ず。これまた牡丹の大なるに非ず、比較すべき者なきがためなり。(近く見れば大に遠く見れば小なるの理もあり)例へば


押し出して花一輪の牡丹かな      春来しゅんらい
四五輪に陰日南かげひなたある牡丹かな      梅室ばいしつ

 の二句を比較せば前者の花大にして後者の花小なるを感ずべし。


蝋燭ろうそくに静まりかへる牡丹かな      許六
どや/\と牡丹つりこむへいの内     士朗しろう

 の二句を比較せば前者の牡丹大にして後者の牡丹小なるを感ずべし。これを壮大といふは文字穏当ならずといへども、小に対して大といふはすなわち可ならん。
一、壮大雄渾なるものも繊細精緻なるものも普通の美術上の価値において差異なきははじめに述べたる如し。しかして今ここに特に壮大雄渾を挙ぐる者は、この種の句最も少きを以て一層渇望に堪へざるがためなり。何故にこの種の句少きかと問へば、第一に世間この種の句の趣味を解する者少きこと、第二に世間この種の天然的人事的大観少きこと、第三俳句の字数少くしてこの種の大観をあらはすに苦しきことこれなり。
一、美術の標準は吾人ごじんの主観中に一定して動くものにあらずといへども、客観的にこれを見れば同一の美術品にして時と場合により価値に差異を生ずることあり。即ち吾人の標準中には斬新を美とし陳腐を不美とするの一箇条あるがために、客観的に変動するを免れざるなり。例へば昔は面白き絵画なりと評せられしその意匠も、今日にありてこれを模倣せば人皆陳腐としてこれをしりぞけん。あるいは今日にありて斬新なりとてもてはやさるる詩文小説も、後世に至り同様の意匠を為す者多からばついには陳腐として厭嫌せられんが如きたぐいなり。(元禄時代にいはゆる不易流行なる語はややこの意に近しといへども、かの時代には推理的の頭脳を欠きし故曖昧あいまいを免れず)
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一、古来壮大雄渾の句を為す者極めてまれなり。試みに我心頭わがしんとうに記憶し来る者を記さば


あら海や佐渡によこたふ天の河       芭蕉
いのししも共に吹かるゝ野分かな       同
湖の水まさりけり五月雨さつきあめ        去来
稲妻や海のおもてをひらめかす     史邦
初汐はつしおや鳴門の波の飛脚船        凡兆
嵐吹く草の中より今日の月       樗良
五月雨さみだれや大河を前に家二軒       蕪村
湖の水傾けて田植かな         几董
ありの道雲の峯より続きけり       一茶いっさ
せみなくや天にひつゝく筑摩川ちくまがわ      同
とう/\と滝の落ちこむ茂りかな    士朗

 等の類なり。(芭蕉の句にはなほ数首の壮大雄渾なる者あれども、そは芭蕉雑談に論じたるを以てここに言はず。この外にも比較的に壮大雄渾なるものは枚挙にいとまあらず)
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一、繊細精緻なる句は一々に引例に及ばざるべしといへども、見当りたる者数首を取りて左に列記せん。


蒲公英たんぽぽや葉を下草に咲て居る      秋瓜しゅうか
草刈りてすみれり出すわらべかな       鴎歩おうほ
白魚をふるひよせたる四つ手かな    其角
うぐいすの身をさかさまに初音はつねかな      同
杜若かきつばたしぼむ下から開きけり       自友じゆう
愛らしう撫子なでしこの花つぼみけり      平十
萩の花追々こけてさかりかな      孤舟
草の葉や足の折れたるきり/″\す    荷兮かけい
うす起す小春の草のほのかなり      吟江ぎんこう
埋火うずみびに年よる膝の小さゝよ       咫尺しせき
はこべ草枯野の土にしがみつく     蓮之れんし

一、壮大なる事物は少く繊細なる事物は多し。数個の繊細なる事物を合すれば一個の壮大なる事物となるべく、一個の壮大なる事物を分てば数個の繊細なる事物となるべし。
一、壮大を見る者繊細を見得ざるが如く、繊細を見る者また壮大を見得ざるが多し。注意せざるべからず。
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一、題目已に壮大なるあり、題目已に繊細なるあり。四季の題目を以てこれを例せんに
夏山 夏野 夏木立なつこだち 青嵐 五月雨さみだれ 雲の峰 秋風 野分のわき 霧 稲妻 あまがわ 星月夜 刈田 こがらし 冬枯ふゆがれ 冬木立 枯野 雪 時雨しぐれ くじら
 等はその壮大なる者なり。また
東風こち すみれ ちょう あぶ 蜂 孑孑ぼうふら 蝸牛かたつむり 水馬みずすまし ※(「頭のへん+支」、第3水準1-92-22)まいまいむし 蜘子くものこ のみ  撫子なでしこ 扇 燈籠とうろう 草花 火鉢 炬燵こたつ 足袋たび 冬のはえ 埋火うずみび

 等はその繊細なる者なり。壮大を壮大とし繊細を繊細とするは普通なれども、時としては壮大なる題目をとって比較的繊細に作するの技倆ぎりょうもなかるべからず。例へば五月雨を詠ずるに


雲濡れて温泉を吐く川や皐月雨さつきあめ     春来
山陰やまかげに湖暗し五月雨さつきあめ          吟江

 と大きく深くのみものせず、かへつて


五月雨さみだれかわずのおよぐ戸口かな      杉風さんぷう
三味線や寐衣ねまきにくるむ五月雨さつきあめ      其角

 などとやや繊細にものするが如し。またこれと同じく繊細なる題目も時としては比較的壮大に作するの技倆なかるべからず。例へば胡蝶の題にて


寐る胡蝶羽に墨つけん縁の先      坡仄はそく
飛びかふて初手しょての蝶々まぎれけり     嘯山しょうざん

 とやさしく美しく趣向をつけるももとより善けれど、そはありうちの事なり。これを少し考へかへて


ある程の蝶の数見るつむじかな     一排
真直まっすぐ矢走やばせを渡る胡蝶こちょうかな       木導もくどう

 など、一は強く一は大きくものしたるもめずらかに面白かるべし。
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一、幽邃深静ゆうすいしんせいを好んで繁華熱鬧はんかねっとういとふは普通詩人たるものの感情なり。前者の雅にして後者の俗なるは言ふまでもなけれど、さりとて繁華熱鬧必ずしも文学的の分子を含まざるに非ず。いはんや如何なる俗事物もこれを冷眼にる時は、そのこれを冷眼に視る処において多少の雅趣を生ずるをや。「白眼看他世上人はくがんたをみるせじょうのひと」と言へば「世上人」は極めて俗なる者なれども「白眼看はくがんみる」の三字を添へて無上の雅致を生ずるが如し。(前項雅樸婉麗の条をも参照すべし)
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一、理屈といふには非るも送別、留別、題画、慶弔けいちょう、翻訳などもややこれに類せり。例へば


生きて世に人の年忌や初茄子はつなすび      几董

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一、初心の人は固より何事をも知らざれども、少し俳句に入りたる人は理屈的の句、または前書附まえがきつきの句はむつかしきを悟るべし。しかして後やや熟練を経、かろうじてこの種の句をものするに至れば独り心にうれしく、ただその言ひおほせたるを喜んでかへつてその句の雅俗優劣を判ずる能はざることあり。常にみずかかえりみるを要す。
一、天保以後の句はおおむね卑俗陳腐にして見るに堪へず。称して月並調といふ。しかれどもこの種の句も多少はこれを見るを要す。例へば俳諧の堂に入りたる人往々にして月並調の句を賞し、あるいは自らものすることあり。けだしこの人月並調を見る事多からざるを以て、その中の一体やや正調に近き者を取てかく評するなり。いずくんぞ知らんこの種の句は月並つきなみ家者流において陳腐を極めたるものなるを。恥をかざらんと欲する者は月並調も少しは見るべし。
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一、趣向はなるべく斬新なるを要すれども、時にはこれらの陳套ちんとうを翻案して腐を新となし死を活となすの技倆ぎりょうあるを要す。
()西()()()西()()()()()()()()()()()

一、趣向の上に動く動かぬといふ事あり、即ち配合する事物の調和適応すると否とを言ふなり。例へばかみ十二文字またはしも十二文字を得ていまだほかの五文字を得ざる時、色々に置きかへ見るべし。その置きかへるは即ち動くがためなり。


○○○○○雪積む上の夜の雨      凡兆

 といふ下十二字を得て後、上の句をさまざまに置きかへんには「町中や」「凍てつくや」「薄月うすづきや」「淋しさや」「音淋し」「藁屋根わらやねや」「静かさや」「苫舟とまぶねや」「帰るさや」「枯蘆かれあしや」など如何やうにもあるべきを、芭蕉はついに「下京や」の五文字動かすべからずといひしとぞ。一字一句の推敲すいこうもゆるがせにすべからざることなり。
一、何といふ語句を置くべきかといふ場合に推敲するは普通の事なり。しかれども何かは知らず已に十七字を成したる後、その句につきて一々動く動かぬを検するは学生諸子の多く為さざる所なり。自ら名句を得たりとて得意人に示す時、その人この語は如何と質問すれば、なるほどそれは不穏なりき、何々の語のかた善かりしものをなど気のつく事多かるべし。生前にこれを発見すれば一時の恥ばかりにて済む事なれども、死んで後は人の非難を如何いかんともする能はざるべし。
一、四季の題目につきて動きやすき者を挙ぐれば
春風ト秋風 暮春ト晩秋 五月雨ト時雨 桜ト紅葉 夕立ト時雨 夏野ト枯野 夏木立ト冬木立
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一、俳句を学んで堂に入る者は意匠と言語と並び達せんことこそ最も願はしけれ。誰でも先づ両者相伴ふて進歩する者なれど、それはある一部分の事にて全体の上にあらず。例へば雅樸なる句をものするには甚だ句調の和合わごうに長じながら、婉麗えんれいなる句をものするには句調全く和合せざる事あり。く能く注意研究を要す。
()()()()()()()()()調()()()

一、句調のたるむこと一概には言ひ尽されねど、普通に分りたる例を挙ぐれば虚字の多きものはたるみやすく、名詞の多き者はしまりやすし。虚字とは第一に「てには」なり。第二に「副詞」なり。第三に「動詞」なり。故にたるみを少くせんと思はばなるべく「てには」を減ずるを要す。試みに天保以後の俳句を検せよ。不必要なる処に「てには」を用ゐて一句を為す故に句調たるみて聞くべからず。またこれに次ぎて副詞はたるみを生じ、動詞もまたたるみやすし。但し副詞、動詞などはその使ひやうによるべし。今たるみたる句の例を挙げんに


ものたらぬ月や枯野を照るばかり    蒼※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)

 といふ句の中に必要なるものは月と枯野との二語あるのみ。「月や枯野を照るばかり」といへば「ものたらぬ」の意はおのずからその中に含まれ、「ものたらぬ月の枯野」といへば「照るばかり」の意は自らその中に含まれたり。否、両方ともに実は無用の語のみ。この句の意は単に「月の枯野」とかまたは「枯野の月」とかいふばかりにて十分なりとす。同じ事を幾やうにもくり返さねばその意の現はれぬ如き心地するは、初学者及び局外者の浅薄なる考より来るなり。今この句の外に枯野の月を詠ずる者を挙げんに


月も今土より出づる枯野かな      雨什うじゅう
松明たいまつは月の所に枯野かな        大甲たいこう
昼中に月吹き出して枯野かな      金塢きんう

 三句おのおの巧拙ありといへども、※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)そうきゅうの句に比すれば皆数等の上にあり。けだしこれらは「ものたらぬ」とも「照るばかり」ともいはでその意を言外に含むのみならず、かへつてそれより外の趣向を取り交ぜて一句を面白くしたるなり。ただ枯野の月とばかりにては単純に過ぎて俳句になりがたきがためなり。しかし単純に枯野の月を詠じたる句もなきにはあらず。


三日月の本情見する枯野かな      甘棠かんとう

 ()()()()()()()()※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)()()※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)()()()()()
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調()()()()()()()()()()()()()

一、試みに句のたるみし有様を比較せんがために、元禄と天明と天保との三句を列挙すべし。


立ち並ぶ木も古びたり梅の花      舎羅しゃら
ふたもとの梅に遅速を愛すかな      蕪村
すくなきはいおの常なり梅の花      蒼※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)

 ()調※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)※(「暮」の「日」に代えて「手」、第3水準1-84-88)()()()調
一、元禄と天明とは各長所あり、いづれに従ふも善し。また元禄にして天明に似、天明にして元禄に似たる者も多し。これ天工人工その極処に至りて相一致する所以ゆえんなり。
()()()()()()()()調調()()()調()穿()()()()()()()()()()()穿()()()()()()()※(「木+眉」、第3水準1-85-86)()()()()()()()()
()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()()鹿

奈良阪やはた打つ山の八重桜       旦藁たんこう
蚊帳かやを出て奈良を立ち行く若葉かな   蕪村
菊の香や奈良には古き仏たち      芭蕉
奈良七夜ななよふるや時雨しぐれの七大寺      樗堂ちょどう

 

一、俳句四季の題目の中に人事に属し、しかもあまねく世人に知られざるものには季の感はなはだ薄きを常とす。例へば筑摩つくま鍋祭なべまつりの如き、夏季に属すといへどもこれを詠ずる人、またその句を読む人多くは夏の感を有せず。いはんやその四月なるか五月なるかの差違に至りては殆んどこれを知らず、故にこの題を詠ずる者は甚だ苦吟し、はた古来これを詠じたる句も無味淡泊を免れず。これ時候の聯想なきがためなり。


君が代や筑摩祭も鍋一つ        越人えつじん

 は筑摩祭の唯一の句として伝へられたる者、一誦いっしょうするの価値ありといへども、その趣味は毫も時候の感と関係せず。むしろぞうの句を読むの感あり。しかれどもこれ吾人が筑摩祭を知らざるの罪のみ。吾人をしてもしこの祭を見聞するに慣れしめば何ぞ季の感を起さざらん。季の感已に起らば何ぞ名句を得るにくるしまんや。その他大師講だいしこうの如き、吾人はその冬季たるの感もっとも薄しといへども、天台てんだいの寺にありて親しくこれを見し者は必ずや冬季における幾多の聯想を起すべきなり。これを要するにわが見聞すること少き人事を詠ずるは、雑の句を詠ずると同様の感ありて無味を免れざるなり。

一、かわずといへる題目は和歌以来春季に属すといへども、吾人はとかくに春季の感を起さず。かへつて夏季の感を起す傾きあり。春季と定むることこれ恐らくは吾人普通の感情に逆らひしものにあらざるを得んや。こと


古池や蛙飛びこむ水の音        芭蕉

 
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()西西
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()谿()()
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()宿()
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()()()()()()()()()()()()()※(「禾+魯」、第3水準1-89-48)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
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一、課題を得て空想上より俳句を得んとする時に、その課題もし難題なれば作者は苦吟のあまり見るに堪へざる拙句を為すこと、老練の人といへども往々免れざる所なり。『俳諧問答』なる書に許六の自得発明弁じとくはつめいのべんといふ文あり。そのはじめに題詠の心得を記したり。曰く
一、師の云、発句ほく案ずる事諸門弟題号の中より案じいだす是なきものなり、余所よそより尋来たずねきたればさてさて沢山成事なることなりといえり、予が云、我『あら野』『猿蓑さるみの』にてこの事を見出したり、予が案じ様たとへば題を箱に入てその箱の上にあがりて箱をふまへ立ちあがつて乾坤を尋るといへり、云々うんぬん
 と、けだしこれ題詠の秘訣ひけつなり。
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一、熟練の人にして俳句の二句目の終りにある「や」の字を嫌ふ人多し。例へば


※(「渓のつくり+隹」、第4水準2-91-81)にわとりの片足づゝや冬籠ふゆごもり          丈草
呼び出しに来てはうかすや猫の恋    去来
紙燭しそくして廊下過ぐるや五月雨      蕪村
家見えて春の朝寐や塩の山       嵐外らんがい


 調()()()()調

うぐいすのあちこちとするや小家がち     蕪村

 といふ句の如きも「がち」の語あるがために「や」の字さほどにたるまずと。この言真なり。
()※(二の字点、1-2-22)()()()()()

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 ()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


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 ()()()()()()()()()()()()()()()()()調調

折られぬを合点がてんで垂れる柳かな
くわと足三本洗ふ田打たうちかな
足柄あしがらの山に手を出すわらびかな
ものもうの声に物る暑さかな
片耳に片側町の虫の声
邪魔が来て門たたきけり薬喰くすりくい

 の如き巧拙は異なれどもその意匠の総て諧謔に傾き頓智とんちによる処ことごとく相似たり。以て全豹ぜんぴょうすべし。


一、   飛び入りの力者あやしき角力すもうかな     蕪村


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一、言ひがたきを言ふは老練の上の事なれど、そは多く俗事物を詠じてなるべく雅ならしむる者のみ。その事物如何に雅致ある者なりとも、十七字に余りぬべきほどの多量の意匠を十七字の中につづめんことはほとんど為し得べからざる者なれば、古来の俳人も皆これを試みざりしに似たり。しかれども一、二この種の句なくして可ならんや。池西言水いけにしごんすいは実にその作者なり。

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姨捨てん湯婆たんぽかん[#「酉+間」、U+288C9、84-1]せ星月夜       言水

 ()()()()U+288C984-3()()

一、これらの句は言水においても他に多くの例を見ず。


黒塚や局女つぼねおんなのわく火鉢         言水


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人之性善

一、   折つて後もらふ声あり垣の梅      沾徳せんとく


 といふ句は意匠卑俗にして取るに足らずといへども、中七字のはたらきは俳句修学者の注意せざるべからざる所なり。余所よその垣根の梅を折つて今や帰らんとする時、もらひますよと一言の捨言葉を残したるを「もらふ声あり」と手短かに言ひたる、さすがに老熟と見えたり。ただしこの句の価値をいはば一文にもあたらず。


一、   絶頂の城たのもしき若葉かな      蕪村


 調()()()
一、学生俳句に多くの漢語を用ゐて自ら得たりと為すも、佶屈きっくつに過ぎて趣味を損ずる者多し。漢語を用うるは左の場合に限るべし。
漢語ならでは言ひ得ざる場合
漢土の成語を用うる場合
漢語を用うれば調子よくなる場合

一、現時の新事物は俳句に用ゐて可なり。但し新事物には俗野なる者多ければ選択に注意せざるべからず。


第七 修学第三期


一、修学は第三期を以て終る。
一、第二期にある者已に俳家の列に入るべし。名を一世に挙ぐるが如きまた難きにあらず。第三期は俳諧の大家たらんと欲する者のみこれに入ることを得べし。一世の名誉に区々たる者の如きはついにこの期に入るを許さざるなり。
一、第三期は卒業の期なし。入る事浅ければ百年の大家たるべく、入る事深ければ万世ばんせいの大家たるべし。
一、第二期は天稟てんぴんの文才ある者能く業余を以てこれを為すべし。第三期は文学専門の人に非ざれば入ること能はず。
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一、第二期は知らず知らずの間に入りをることあり。第三期は自ら入らんと決心する者に非れば入るべからず。
一、文学専門の人といへども自ら誇り他をあなどり研究琢磨たくまの意なき者は第二期を出づる能はず。
一、一読を値する俳書は得るに随つて一読すべし。読み去るに際してその書の長所と短所とを見るを要す。
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一、空想と写実を合同して一種非空非実の大文学を製出せざるべからず。空想に偏僻し写実に拘泥こうでいする者は固よりその至る者に非るなり。
一、俳句の諸体に通ぜざるべからず、自己の特色なかるべからず。
一、俳書を読むを以て満足せば古人の糟粕そうはくむるに過ぎざるべし。古句以外に新材料を探討せざるべからず。新材料を得べき歴史地理書等これを読むべし。もしあたふべくんば満天下を周遊して新材料を造化より直接に取り来れ。
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一、文学を作為するは専門家に非れば能はず。和歌を能くして俳句を能くせず、国文を能くして漢文を能くせざるが如き、あながとがむべきに非ず。しかれども文学の標準は各体において各地において相異あるべからず。故に和歌の標準を知りて俳句の標準を知らずといふ者は和歌の標準をも知らざる者なり。俳句の標準を知りて小説の標準を知らずといふ者は俳句の標準をも知らざる者なり。標準は文学全般に通じて同一なるを要するは論をたず。
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一、極美の文学を作りていまだ足れりとすべからず、極美の文学を作るますます多からんことを欲す。

一、一俳句のみ力を用うること此の如くならばすなわち俳句あり、俳句あり則ち日本文学あり。


第八 俳諧連歌


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一、古来定め来りし去り嫌ひはやや寛に過ぐるをうれふ。二句去り、三句去りといふもの多くは五句も六句も去らざれば変化少かるべし。
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一、春秋二季は三句乃至ないし五句続き、夏冬二季は一句乃至三句続くを定めとす。時の宜しきに従ふべし。
一、月といふ者必ずしも秋月なるを要せず。ことに裏の月は秋月ならぬ方かへつて宜しからん。
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一、恋を一句にててずといふ定めあり、従ふに及ばず。
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一、規則きそくつけ様等一々に説明しがたし。古書について見るべし。
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   ()()※(「缶+瓦」、第4水準2-84-67)         ()()


 ※(「缶+瓦」、第4水準2-84-67)()()()

郊外何たくやらん煙して         鉄僧てっそう


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流れの末の水は二筋          臥央がおう

  これはただ前句を受けて郊外の景色を更に述べ添へたるまでなり。


きって一のまぶしを定むらし      蕪村

  まぶしとは猟師りょうしが木の枝などを地に刺し、そのかげに隠れて鉄砲を放つものなりとぞ。一のまぶしとはまぶしいくつもあるうちに第一に射撃すべき処をいふにやあらん。この附様は前句の「流れの末の水は二筋」といふを山中の谷川の景色と見て、さて箇様かように獣猟の様をばいひて郊外の景色を転じたるなり。この句普通には月の定座なれども、脇に月を置きたる故にここには置かれぬ定めなり。


おいの太郎が先づ口をきく        百池ひゃくち

  附様は前の山猟に鹿など来るやと身を隠し息を殺して待ちをる処に、甥の太郎が先づ物を言ひたるとなり。この口をきくとは何事を言ひたるや、そは定かならねども大方は鹿の来るを見つけて「来た来た」などと口走りたるならんか。


新宅の夏を住みよき柱組        也好やこう

  この句は全く趣向を転じたり。附様は新築成りてその祝ひに(祝ひならずともよし)幾人か集まりゐたる処に、甥の太郎が一番に口をききたりといふことにしたるなり。


水打ちそゝぐ進物の鯛         春坡しゅんぱ

  この句は前の新築の祝ひに鯛をつかはしたるなり。水打ちそそぐとは鯛の腐りかけたるを防ぐなるべし。この句夏季にはあらねど水打ちそそぐといふは夏季に最も適切なり。


けやすき糸の乱れの古袴ふるばかま       正巴せいは

  これは前句祝宴なる故に、祝宴の時に古袴ひきつくろひたるさまを叙したるなり。前の腐れ鯛に対してここには古袴の破れて糸のほつれたるを附けたる作者用意の処なり。


を奪ひ行く夜半よわの暗きに       之兮しけい

  妻は「め」と読むなり。この附様は全く転じたり。さるべき恋の執心より人の妻を奪ひ行くその身なりもしどろに袴など裂けたるさまなり。前句の「糸の乱れの」といへるさま恋歌の言葉にて、如何にもあるじの心までも乱れたらんやうに見ゆるからに、この句は恋となしたるなり。但し袴といふによりてこの恋は門地ある人の恋と知るべし。(ここにては前句の袴を女の袴と見たるにや)


ちら/\と雪降る竹の伏見道ふしみみち      道立どうりゅう

  これは前句の妻を奪ひ行く夜道のさまを述べたるものにて恋の句にはあらず。前の恋は都の位ある人のしわざと見つけて、さては伏見と置きたるなり。伏見より竹を思ひ、竹より雪を思ふ。この清麗なる雪中の竹逕ちくけいを以て前の上等社会の恋にふ、また用意周到の処なり。


小荷駄返して馬いばふらん        我則がそく

  この句はただ伏見郊外の景色なり。小荷駄返してといふ意何の事にや。荷主に荷を返すことをいふか。


泣く/\もひつぎを出だす暮の月      自笑じしょう

  前句をただ夕暮の淋しき景気と見てこのつけありたるならんか。但し田舎にては夕暮に棺を出す処多し。この句月を入れて秋季なり。


よからぬ酒に胸を病む秋        佳棠かとう

  句の表はわろき酒を飲みて胸わるくなりたりといふまでなり。されどその裏面にはさらでも人を失ひたる悲みに胸つかえたる頃を、焼け酒飲み過ぎてなほ胸苦しさよとかこちたるさまをも見せたり。前秋季なればこの句も秋季にて受けたり。


小商こあきなひ露のいく野の旅なれや      湖柳こりゅう

  この句は小商人こあきんどの旅にて、わろき酒など飲みてうつを晴さんとするに、なかなか胸につかえたりといふなり。いづれも秋の淋しき処より案じ出だせるなり。この句露とある故秋季なり。


燕来る日の長閑のどかなりけり        ※(「山/品」、第3水準1-47-85)こがん

  この句はただ旅路のさまをいひたるなり。前句は秋季にてこの句は春季なり。これを「季移り」といふ。この場合には前句を春季の句と見なしてこの句を附くるなり。露は秋季なれども春にも露あること勿論なれば、春と見なしても差支さしつかえなきわけなり。


反古ほごならぬ五車ごしゃあるじよ花の時      几董きとう

  反古ならぬ五車の書の主といふ事なるべきを、発句に照応して反古ならぬとは言ひたり。箇様に発句に照応せしむること定則ていそくにはあらず、便宜の沙汰さたなり。この句花の定座にして花あり。


春や昔の山吹のいお           田鶴でんかく

  これはただ五車の主の住居を山吹など咲きたらんと見立てたるなり。「春や昔」と懐旧かいきゅうの意にものしたるは、これも追善の意を含ませたるなり。

一、この連句にて各句の附具合はそれぞれに味ひありて面白し。ただ一句として面白き句は


水うちそゝぐ進物の鯛
裂けやすき糸の乱れの古袴
妻を奪ひ行く夜半の暗きに
ちら/\と雪降る竹の伏見道
なく/\も棺を出だす暮の月

 などなるべし。

(明治二十八年十月二十二日―十二月三十一日)







   195530551
   1983589162
   19891158

   18952810221231




2016925

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●表記について

「さんずい+號」の「号」に代えて「将のつくり」    46-15
「酉+間」、U+288C9    84-1、84-3


●図書カード