ここに花(かざ)山(ん)といへる盲目の俳士あり。望(もう)一(いち)の流れを汲(く)むとにはあらでただ発(ほ)句(く)をなん詠(よ)み出(い)でける。やうやうにこのわざを試みてより半年に足らぬほどに、その声鏗(こう)鏘(そう)として聞く者耳を欹(そばだ)つ。一夜我が仮(かり)住(ずま)居(い)をおとづれて共に虫の音(ね)を愛(め)づるついでに、我も発句といふものを詠まんとはすれどたよるべきすぢもなし、君(きみ)わがために心得となるべきくだりくだりを書きてんやとせつに請(こ)ふ。答へて、君が言(げん)好(よ)し、昔は目なしどち目なしどち後について来ませとか聞きぬ、われさるひじりを学ぶとはなけれど覚えたる限りはひが言(ごと)まじりに伝へん、なかなかに耳にもつぱらなるこそ正(しょ)覚(うがく)のたよりなるべけれ、いざいざと筆をはしらし僅(わず)かにその綱目ばかりを挙(あ)げてこれを松(しょ)風(うふ)会(うか)諸(いし)子(ょし)にいたす。諸子幸ひにこれを花山子に伝へてよ。
一、俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即(すなわ)ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以(もっ)て論評し得べし。
一、美は比較的なり、絶対的に非(あら)ず。故(ゆえ)に一首の詩、一(いっ)幅(ぷく)の画を取(とっ)て美不美を言ふべからず。もしこれを言ふ時は胸(きょ)裡(うり)に記憶したる幾多の詩画を取て暗(あん)々(あん)に比較して言ふのみ。
一、美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして時に従つて感情相(あい)異(こと)なるあり。故に同一の人また時に従つて美の標準を異にす。
一、美の標準を以て各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるものあるなし。もし先天的に存在する美の標準︵あるいは正(せい)鵠(こく)を得たる美の標準︶ありとするも、その標準の如(いか)何(ん)は知るべからず。従つて各個の標準と如何の同異あるか知るべからず。即ち先天的標準なるものは吾(ごじ)人(ん)の美術と何らの関係を有せざるなり。
一、各個の美の標準を比較すれば大同の中に小異なるあり、大異の中に小同なるありといへども、種々の事実より帰納すれば全体の上において永久の上においてほぼ同一方向に進むを見る。譬(たと)へば船舶の南半球より北半球に向ふ者、一は北東に向ひ一は北西に向ひ、時ありて正東正西に向ひ時ありて南に向ふもあれど、その結果を概括して見れば皆南より北に向ふが如(ごと)し。この方向を指して先天的美の標準と名づけ得(う)べくば則(すなわ)ち名づくべし。今仮(か)りに概括的美の標準と名づく。
一、同一の人にして時に従ひ美の標準を異にすれば、一般に後時の標準は概括的標準に近似する者なり。同時代の人にして各個美の標準を異にすれば、一般に学問知識ある者の標準は概括的標準に近似する者なり。但し特別の場合には必ずしも此の如くならず。
一、俳句と他の文学との区別はその音調の異なる処にあり。他の文学には一定せる音調あるもあり、なきもあり。しかして俳句には一定せる音調あり。その音調は普通に五音七音五音の三句を以て一首と為(な)すといへども、あるいは六音七音五音なるあり、あるいは五音八音五音なるあり、あるいは六音八音五音なるあり、その他無数の小異あり。故に俳句と他の文学とは厳密に区別すべからず。
一、俳句と他の文学との音調を比較して優劣あるなし。ただ風詠する事物に因(よ)りて音調の適否あるのみ。例へば複雑せる事物は小説または長篇の韻文に適し、単純なる事物は俳句和歌または短篇の韻文に適す。簡(かん)樸(ぼく)なるは漢土の詩の長所なり、精(せい)緻(ち)なるは欧米の詩の長所なり、優柔なるは和歌の長所なり、軽妙なるは俳句の長所なり。しかれども俳句全く簡樸、精緻、優柔を欠くに非ず、他の文学また然(しか)り。
一、美の標準は美の感情にあり。故に美の感情以外の事物は美の標準に影響せず。多数の人が賞美する者必ずしも美ならず、上等社会に行はるる者必ずしも美ならず、上(じょ)世(うせい)に作為せし者必ずしも美ならず。故に俳句は一般に弄(もてあそ)ばるるが故に美ならず、下等社会に行はるるが故に不美ならず。自己の作なるが故に美ならず、今(こん)人(じん)の作が故に不美ならず。
一、一般に俳句と他の文学とを比して優劣あるなし。漢詩を作る者は漢詩を以て最上の文学と為し、和歌を作る者は和歌を以て最上の文学と為し、戯曲小説を好む者は戯曲小説を以て最上の文学と為す。しかれどもこれ一(いっ)家(かげ)言(ん)のみ。俳句を以て最上の文学と為す者は同じく一家言なりといへども、俳句もまた文学の一部を占めて敢(あえ)て他の文学に劣るなし。これ概括的標準に照(てら)して自(おのずか)ら然るを覚ゆ。
一、俳句の種類は文学の種類とほぼ相同じ。
一、俳句の種類は種々なる点より類別し得べし。
一、俳句を分ちて意匠及び言語︵古人のいはゆる心及び姿︶とす。意(いし)匠(ょう)に巧拙あり、言語に巧拙あり。一に巧にして他に拙なる者あり、両者共に巧なる者あり、両者共に拙なる者あり。
一、意匠と言語とを比較して優劣先後あるなし。ただ意匠の美を以て勝る者あり、言語の美を以て勝る者あり。
一、意匠に勁(けい)健(けん)なるあり、優柔なるあり、壮大なるあり、細(さい)繊(せん)なるあり、雅(がぼ)樸(く)なるあり、婉(えん)麗(れい)なるあり、幽(ゆう)遠(えん)なるあり、平易なるあり、荘(そう)重(ちょう)なるあり、軽快なるあり、奇(きけ)警(い)なるあり、淡(たん)泊(ぱく)なるあり、複雑なるあり、単純なるあり、真(ま)面(じ)目(め)なるあり、滑(こっ)稽(けい)突(とっ)梯(てい)なるあり、その他区別し来(きた)れば千種万(ばん)様(よう)あるべし。
一、言語に区別あるは意匠に区別あるが如し。勁健なる意匠には勁健なる言語を用ゐざるべからず。優柔なる意匠には優柔なる言語を用ゐざるべからず。雅樸なる言語は雅樸なる意匠に適し、平易なる言語は平易なる意匠に適す。その他皆然り。
一、意匠に主観的なるあり、客観的なるあり。主観的とは心中の状況を詠じ、客観的とは心象に写(うつ)り来りし客観的の事物をそのままに詠ずるなり。
一、意匠に天然的なるあり、人事的なるあり。人事的とは人間万般の事物を詠じ、天然的とは天文、地理、生物、礦物等、総(すべ)て人事以外の事物を詠ずるなり。
一、以上各種の区別皆優劣あるなし。
一、以上各種の区別皆比較的の区別のみ。故に厳密にその区域を限るべからず。
一、一人にして各種の変化を為す者あり、一人にして一種に長ずる者あり。
一、俳句には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきものを雑と言ふ。
一、俳句における四季の題目は和歌より出でて更(さら)にその区域を広くしたり。和歌にありては題目の数僅(きん)々(きん)一百に上(のぼ)らず。俳句にありては数百の多きに及べり。
一、俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。例へば﹁涼し﹂と言へる語は和歌には夏にも用ゐまた秋(しゅ)涼(うりょう)にも多く用ゐたるを、俳句には全く夏に限りたる語とし、秋涼の意には初涼、新涼等の語を用ゐしが、今は漸(ようや)くにその語も廃(すた)れ涼の字はただ夏季専用の者と為れり。即ち一題の区域は縮小したると共にその意味は深長と為りたるなり。
一、単に月と称すれば和歌にては雑となるべし。俳句にては秋季となるなり。時雨は和歌にては晩秋初冬共にこれを用う。殊に時雨を以て木葉を染むるの意に用う。俳句にては時雨は初冬に限れり。従ひて木葉を染むるの意に用うる者殆んどこれなし。霜は和歌にては晩秋よりこれを用ゐ、また紅葉を促すの一原因とす。俳句にては霜は三冬に通じて用うれど晩秋にはこれを用ゐず。従ひて紅葉を促すの一原因となさず。俳句季寄の書には秋霜の題を設くといへども、その作例は殆んど見るなし。
一、梧(ごど)桐(う)一(いち)葉(よう)落(おつ)の意を詠じなば和歌にても秋季と為るべし。俳句にては桐(きり)一(ひと)葉(は)を秋季に用うるのみならず、ただ桐と言ふ一語にて秋季に用うる事あり。鷹(たか)狩(がり)は和歌にても冬季なり。俳句にては鷹狩を冬季に用うるのみならず、ただ鷹と言ふ一語も冬季に用うるなり。
一、四季の題目にて花(かぼ)木(く)、花(かそ)草(う)、木(この)実(み)、草(くさ)実(のみ)等はその花(かじ)実(つ)の最(もっとも)多き時をもつて季と為すべし。藤花、牡(ぼた)丹(ん)は春晩夏初を以て開く故に春晩夏初を以て季と為すべし。必ずしも藤を春とし牡丹を夏とするの要なし。梨(なし)、西(すい)瓜(か)等また必ずしも秋季に属せずして可(か)なり。
一、古来季寄になき者もほぼ季(きこ)候(う)の一定せる者は季に用ゐ得べし。例へば紀元節、神(じん)武(むて)天(んの)皇(うさ)祭(い)等時日一定せる者は論を俟(ま)たず、氷(こお)店(りみせ)を夏とし焼芋を冬とするも可なり。また虹(にじ)の如き雷の如き定めて夏季と為す、あるいは可ならんか。
一、四季の題目中虚(抽象的)なる者は人為的にその区域を制限するを要す。これを大にしては四季の区別の如きこれなり。春は立春立夏の間を限り、夏は立夏立秋の間を限り、秋は立秋立冬の間を限り、冬は立冬立春の間を限る。即ち立冬一日後敢て秋風と詠ずべからず、立夏一日後敢て春月と詠ずべからず。
一、長(のど)閑(か)、暖(あたたか)、麗(うららか)、日(ひな)永(が)、朧(おぼろ)は春季と定め、短(みじ)夜(かよ)、涼(すずし)、熱(あつし)は夏季と定め、冷(ひややか)、凄(すさまじ)、朝(あさ)寒(さむ)、夜(よさ)寒(む)、坐(そぞ)寒(ろさむ)、漸(やや)寒(さむ)、肌(はだ)寒(さむ)、身(み)に入(しむ)、夜(よな)長(が)は秋季と定め、寒(さむし)、つめたしは冬季と定む。日の最長きは夏(げ)至(し)前後なり、しかれども俳句にては日永を春とす。夜の最長きは冬至前後なり、しかれども俳句にては長(ちょ)夜(うや)を秋とす。これは理屈より出(い)でずして感情に本(もと)づきたるの致す所なり。かく一定せし上は日永夜長は必ず春秋に用うべし。他季に混ずべからず。
一、その外霞(かすみ)、陽(かげ)炎(ろう)、東(こ)風(ち)の春における、薫(くん)風(ぷう)、雲(くも)峰(のみね)の夏における、露、霧、天(あま)河(のがわ)、月、野(のわ)分(き)、星(ほし)月(づく)夜(よ)の秋における、雪、霰(あられ)、氷の冬におけるが如きもまた皆一定する所なれば一定し置くを可とす。しかれども夏季に配合して夏の霞を詠じ、秋季に配合して秋の雲峰を詠ずるの類は固(もと)より妨(さまた)ぐる所あらず。
一、四季の題目を見れば則ちその時候の聯想を起すべし。例へば蝶といへば翩々たる小羽虫の飛び去り飛び来る一個の小景を現はすのみならず、春暖漸く催し草木僅かに萌芽を放ち菜黄麦緑の間に三々五々士女の嬉遊するが如き光景をも聯想せしむるなり。この聯想ありて始めて十七字の天地に無限の趣味を生ず。故に四季の聯想を解せざる者は終に俳句を解せざる者なり。この聯想なき者俳句を見て浅薄なりと言ふまた宜なり。(俳句に用うる四季の題目は俳句に限りたる一種の意味を有すといふも可なり)
一、雑(ぞう)の句は四季の聯想なきを以て、その意味浅薄にして吟(ぎん)誦(しょう)に堪(た)へざる者多し。ただ勇壮高大なる者に至りては必ずしも四季の変化を待たず。故に間(ま)々(ま)この種の雑の句を見る。古来作る所の雑の句極めて少(すくな)きが中に、過半は富(ふ)士(じ)を詠じたる者なり。しかしてその吟誦すべき者、また富士の句なり。
一、或(ある)人問ふて曰(いわ)く、時間を人為的に限りてこれに命名し以て題目となす事は既に説を聞けり。空間は何(なに)故(ゆえ)に制限してこれに命名せざるか。答へて曰く、時間は年々同一の変化を同一の順序に従ひて反(はん)覆(ぷく)するが故にこれを制限して以て命名すべし。しかれども空間の変化は毫(ごう)も順序なる者あらずして不規則なる者なり。例へば山(さん)嶽(がく)、河(かか)海(い)、郊(こう)原(げん)、田(でん)野(や)、一も順序ある者なし。故にこれに命名せんと欲せば人間の見聞し得る所の処一々に命名せざるべからず。地名これなり。地名は時間の区別に比して更に明(めい)瞭(りょう)なる区別なれば、俳句に地名を用うるは最簡単なる語を以て最錯(さく)雑(ざつ)なる形象を現はすの一良法なりといへども、奈(いか)何(ん)せん一人にして地球上の地名とその光景とを尽(ことごと)く知るを得ず。かつその区別明瞭なるが故にこれを用うるの区域甚(はなは)だ狭(きょ)隘(うあい)を感ずるなり。他語以てこれをいへば四季の名称に対する者は地名なりといへども、地名は区域明瞭に過ぎて狭隘に失し、かつその地を知らざる者には何らの感情をも起さしむる事かたし。即ち四季の変化は何(なん)人(ぴと)も能(よ)くこれを知るといへども、東京の名所は西(さい)京(きょう)の人これを知らざる者多く、西京の名所は東京の人これを知らざる者多きが如きなり。
一、俳句をものせんと思はば思ふままをものすべし。巧を求むる莫れ、拙を蔽ふ莫れ、他人に恥かしがる莫れ。
一、俳句をものせんと思ひ立ちしその瞬間に半句にても一句にても、ものし置くべし。初心の者はとかくに思ひつきたる趣向を十七字に綴(つづ)り得ぬとて思ひ棄(す)つるぞ多き、太(はなは)だ損なり。十七字にならねば十五字、十六字、十八字、十九字乃(ない)至(し)二十二、三字一向に差(さし)支(つかえ)なし。またみやびたるしやれたる言葉を知らずとて趣向を棄つるも誤れり。雅語、俗語、漢語、仏語、何にても構はず無理に一首の韻文となし置くべし。
一、初めより切(きれ)字(じ)、四季の題目、仮(かな)名(づか)遣(い)等を質問する人あり。万事を知るは善(よ)けれど知りたりとて俳句を能(よ)くし得べきにあらず。文法知らぬ人が上(じょ)手(うず)な歌を作りて人を驚かす事は世に例多し。俳句は殊(こと)に言語、文法、切字、仮名遣など一(いっ)切(さい)なき者と心得て可なり。しかし知りたき人は漸次に知り置くべし。
一、俳句をものしたる時はその道の先輩に示して教(おしえ)を乞(こ)ふも善し。初心の者の恥かしがるはかへつてわろし。なかなかに初心の時の句は俗気をはなれてよろしく、少し巧になりし後はなまなかに俗に陥(おちい)る事多し。
一、初心の恥かしがりてものし得べき句をものせぬはわろけれど、恥かしがる心底はどうがなして善き句を得たしとの望なればいと殊勝なり。この心は後々までも持ち続きたし。
一、自ら多く俳句をものして人に見せぬ者あり。教を乞ふべき人なしと思はば見せずとも可なり。多くものする内には自然と発明する事あり。先輩に聞けば一口にして知り得べき者を数月数年の苦(くし)辛(ん)を経て漸く発明するが如きは、やや迂(う)に似たれどもなかなかに迂ならず。此(かく)の如く苦辛して得たる者は脳中に染(し)み込む事深ければ再び忘るる事なく︵一︶、句をものする上に応用しやすく︵二︶、かつ他日また発明するの端(たん)緒(しょ)となるべし︵三︶。
一、自らものしたる句は紙片に書き記し置くべし。時々繰り返して己(おのれ)の句を吟じ見るも善し、その間に前に言ひ得ざりし事を言ひ得るもあらん。また己の進歩を知るたよりともなりて、一はひとり面白く一は更に一段の進歩を促す事あるべし。
一、四季の題目は一句中に一つづつある者と心得て詠みこむを可とす。但しあながちになくてはならぬとには非ず。
一、なるべくその時候の景物を詠ずる事、聯想が早く感情が深くしてものしやすし。尤(もっと)も春にゐて秋を思ひ夏にゐて冬を思ふ事も全く欠くべからず。ただ興(きょう)の到るに任せて勝手たるべし。
一、自ら俳句をものする側に古(ここ)今(ん)の俳句を読む事は最(もっとも)必要なり。かつものしかつ読む間には著き進歩を為すべし。己の句に並べて他人の名句を見る時は他人の意匠惨(さん)澹(たん)たる処を発見せん。他人の名句を読みて後自ら句をものする時は、趣向流出し句調自在になりて名人の己に乗り遷(うつ)りたらんが如き感あるべし。
一、自ら著く進歩しつつあるが如く感じたる時、あるいは何とはなけれどただ無(むや)闇(み)に趣向の溢(あふ)れ出るが如く感じたる時は、その機を透(す)かさず幾何にても出来るだけものし見るべし。かかる時はたしかに一段落をなして進歩すべき時機にして、仏教の大(たい)悟(ごて)徹(って)底(い)、基(キリ)督(スト)教の降(こう)神(しん)とその趣(おもむき)を同じくし、心中に一種微妙の愉快を感ぜん。但しかかる事は俳句修学の上に幾度もある事なり。一度ありたりとて自ら已(すで)に大悟徹底したるが如く思はば、野(やこ)狐(ぜ)禅(ん)に堕(お)ちて五(ごひ)百(ゃく)生(しょう)の間輪(りん)廻(ね)を免れざるべし。志(こころざし)は大(だい)にすべき事なり。
一、古人の俳句を読まんとならば総じて元(げん)禄(ろく)、明(めい)和(わ)、安(あん)永(えい)、天(てん)明(めい)の俳書を可とす。就(なか)中(んずく)﹃俳諧七部集﹄﹃続七部集﹄﹃蕪(ぶそ)村(ん)七部集﹄﹃三傑集﹄など善し。家集にては﹃芭(ばし)蕉(ょう)句集﹄︵何(なに)本(ほん)にても善けれど玉(ぎょ)石(くせ)混(きこ)淆(んこう)しをる故注意すべし︶、﹃去(きょ)来(らい)発(ほっ)句(くし)集(ゅう)﹄﹃丈(じょ)草(うそう)発句集﹄﹃蕪村句集﹄などを読むべし。但しいづれも多少は悪句あるを免れず。中にも最も悪句少きは﹃猿(さる)蓑(みの)﹄︵俳諧七部集の内︶、﹃蕪村七部集﹄﹃蕪村句集﹄位(ぐらい)なるべし。︵﹃故人五百題﹄は普通に坊(ぼう)間(かん)に行はれて初学には便利なり︶
一、古俳書など読むも善し、あるいはこれを写すも善し、あるいは自ら好む所を抜萃するも善し、あるいは一の題目の下に類別するも善し。
一、古句を半分位窃み用うるとも半分だけ新しくば苦しからず。時には古句中の好材料を取り来りて自家の用に供すべし。あるいは古句の調に擬して調子の変化をも悟るべし。
一、月(つき)並(なみ)風(ふう)に学ぶ人は多く初めより巧者を求め婉(えん)曲(きょく)を主とす。宗匠また此方より導く故に終(つい)に小細工に落ちて活眼を開く時なし。初心の句は独(う)活(ど)の大(たい)木(ぼく)の如きを貴(とうと)ぶ。独活は庭木にもならずとて宗匠たちは無理にひねくりたる松などを好むめり。尤(もっと)も箱庭の中にて俳句をものせんとならばそれにても好(よ)し。しかり、宗匠の俳句は箱庭的なり。しかし俳句界はかかる窮屈なる者に非ず。
一、初心の人古句に己の言はんと欲する者あるを見て、古人已に俳句を言ひ尽せりやと疑ふ。これ平等を見て差別を見ざるのみ。試みに今一歩を進めよ。古人は何故にこの好題目を遺して乃公に附与したるかと怪むに至るべし。
一、初心の人天の川の題を得て句をものせんとす。心頭先づ浮び来る者は
あら海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉
真夜中やふりかはりたる天の川 嵐雪
更け行くや水田の上の天の川 惟然
などなるべし。この時千(せん)思(しば)万(んこ)考(う)佳句を探るに、天の川の趣は終(つい)に右三句に言ひ尽されて寸分の余地だもなき心(ここ)地(ち)す。乃(すなわ)ち筆を抛(なげうっ)て大(たい)息(そく)して曰く、已(や)みなん已みなんと。已にして古俳書を繙(ひもと)く、天の川の句頻(しき)りに目に触るるを覚ゆ。たとひ上(じょ)乗(うじょう)にあらざるも皆一種の句調と趣向とを備へて必ずしも陳(ちん)腐(ぷ)ならず。例へば
一僕を雨に流すな天の川 浪化
打ち叩く駒のかしらや天の川 去来
引はるや空に一つの天の川 乙州
西風の南に勝つや天の川 史邦
よひ/\に馴れしか此夜天の川 白雄
天の川星より上に見ゆるかな 同
江に沿ふて流るゝ影や天の川 暁台
天の川飛びこす程に見ゆるかな 士朗
天の川糺の涼み過ぎにけり 同
天の川田守とはなす真上かな 乙二
てゝれ干す竿のはづれや天の川 嵐外
巨鼇山
山風や樫も檜も天の川 同
などものしたる、あるいは滑稽にあるいは壮大にあるいは真(しん)率(そつ)にあるいは奇抜にあるいは人事的に十人十色なるを思へば、初めの我思案こそ拙(つたな)かりけれ、天の川をただ大きく天にひろがりたるものとばかり見し故に趣向は浮ばざりしなり。なるほど七(たな)夕(ばた)星を人間と見てそれが恋のために裾(すそ)引つからげて天の川を渡る処など思ひなば可(お)笑(か)しき事もありなん。日暮れて馬上に銀河を見上げたる処、山上樹木欝(うっ)葱(そう)たる上に銀河の白くかかりたる処、途上に人と咄(はな)しながらふと仰向けば銀河の我首筋に落ちかかる処、天の川を大きく見ず、かへつて二、三尺ほどの溝(みぞ)川(がわ)の如く見立てたる処、あるいは七夕に手(た)向(む)けたる犢(とく)鼻(びこ)褌(ん)の銀漢をかざしてひらひらと翻(ひるがえ)る処、見(みよ)様(う)によればただ一筋の天の川は幾様にも変り得べき者なりしを合(がて)点(ん)するなるべし。
一、なまじひに他人の句を二、三句ばかり見聞きたる時は外に趣向なき心地す。十句二十句百句と多く見聞く時はかへつて無数の趣向を得べし。古人が既に己の意匠を言ひをらん事を恐れて古句を見るを嫌ふが如きは、耳を掩(おお)ふて鈴を盗むよりもなほ可(お)笑(か)しきわざなり。
一、一題一句づつ多くの題につきて句を試むるも善し、あるいは一題十句、一題百句などの如く一題にて出来るだけの変化を試むるも善し。
一、一題百句などをものせんとする時は、始めの四、五句を得るに非常の苦吟を感ずべし。その後はやや容易にものし得て、二、三十句に達したる後は百句たちどころに弁ずべく、なほ百句位は出来べき心地すべし。
一、運(うん)座(ざ)点(てん)取(とり)など人と競争するも善し。秀逸の賞品を得るが如きは卑野にして君子の為すべき所に非ず。俳句の下巻または巻を取るは苦しからず。時(じ)宜(ぎ)に由(よ)りて俳書を賞品と為すも善かるべし。
一、三笠附、懸賞発句募集、その外博奕に類し私利に関する事にはたづさはるべからず。
一、一時間に幾十百句をものするも善し、数日を費(ついや)して一句を推(すい)敲(こう)するも善し。早くものすれば放(ほう)胆(たん)の方(かた)に養ふ所あり、苦しみてものすれば小心の方に得る所あり。
一、俳句の中に言語または材料の解する能はざる者あらば、索(さく)引(いん)書(しょ)または学者につきてこれを問ひ糺(ただ)すべし。言語材料尽(ことごと)く分明に解し得ながら一句の意味に解する能はざる所あらば自ら熟(じゅ)思(くし)すべし。熟思して得ざれば則ち学者に問へ。
一、初学の人俳句を解するに作者の理想を探らんとする者多し。しかれども俳句は理想的の者極めて稀(まれ)に、事物をありのままに詠みたる者最も多し。しかして趣味はかへつて後者に多く存す。例へば
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
といふ句を見て、作者の理想は閑寂を現はすにあらんか、禅学上悟道の句ならんか、あるいはその他何処にかあらんなどと穿鑿する人あれども、それはただそのままの理想も何もなき句と見るべし。古池に蛙が飛びこんでキヤブンと音のしたのを聞きて芭蕉がしかく詠みしものなり。
稲妻やきのふは東けふは西 其角
といふは諸行無常的の理想を含めたるものにて、俗人はこれを佳句の如く思ひもてはやせども文学としては一文の価値なきものなり。
一、初学の人にして譬(ひ)喩(ゆ)、難題、冠(かむ)附(りづけ)、冠履、回(かい)文(ぶん)、盲(めく)附(らづけ)俳句、時事雑詠等の俳句をものせんとする人間(ま)々(ま)あり。しかれどもこれらの条件は皆文学以外の分子にして、言はば文学以外の事に文学の皮を被(き)せたる者なり。故に普通に言ひおほせたりとて俳句にはならぬなり。もし此(かく)の如き題をものしてしかも多少の文学的風韻あらしめんとするは老熟の上の戯(たわむ)れなり。初学の企て及ぶ所にあらず。
一、学識なき者は雅俗の趣味を区別すること難く、学識ある者は理想に偏して文学の範囲外にさまよふこと多し。しかれども終局において学識ある者は学識なき者にまさること万々なり。
一、文章を作る者、詩を作る者、小説を作る者、俄(にわ)かに俳句をものせんとしてその語句の簡単に過ぐるを覚ゆ。曰く、俳句は終(つい)に何らの思想をも現はす能(あた)はずと。しかれどもこれ聯想の習慣の異なるよりして来る者にして、複雑なる者を取(とっ)て尽(ことごと)くこれを十七字中に収めんとする故に成し得ぬなり。俳句に適したる簡単なる思想を取り来らば何の苦もなく十七字に収め得べし。縦(よ)しまた複雑なる者なりとも、その中より最(もっとも)文学的俳句的なる一要素を抜き来りてこれを十七字中に収めなば俳句となるべし。初学の人は議論するより作る方こそ肝(かん)心(じん)なめれ。
一、俳句の古調を擬する者あれば﹁古し﹂﹁焼直しなり﹂などとて宗匠輩(はい)は擯(ひん)斥(せき)すめり。何ぞ知らん自己が新奇として喜ぶ所の者尽く天(てん)保(ぽう)以後の焼直しに過ぎず。同じくこれ焼直しなりとも金(きん)と鉛(なまり)とは自(おのずか)ら価値に大差あり。初学者惑(まど)ふ莫れ。
一、古俳書なりとも俳諧の理屈を説きたる者は初学者の見るべき者に非ず。蕉(しょ)門(うもん)の著書といへども十中八、九は誤(ごび)謬(ゅう)なり。その精神は必ずしも誤謬ならざるも、その字句はその精神を写す能はずして後(こう)生(せい)の惑(まどい)を来す者比(ひ)々(ひ)皆これなり。もし仮名遣、手(てに)爾(は)波(な)抔(ど)を学ばんと思はば俳書に就(つ)かずして普通の和書に就け。﹃古(こげ)言(んて)梯(い)﹄﹃詞(ことば)の八(やち)千(ま)衢(た)﹄﹃詞(ことば)の玉(たま)の緒(お)﹄など幾何もあるべし。
一、俳諧は滑稽なりとて滑稽ならざるは俳句にあらずといふ人あり。局量の小なる一笑するに堪へたり。これ己れたまたま滑稽よりして俳諧に入りしかばしか言ふのみ。濁酒を好む馬士の清酒を飲んで酒に非ずといひたらんが如し。
一、初学の人にして自己の標準立たずとて苦にする者あり、尤もの事なれども苦にするに及ばず。多くものし多く読むうちにはおのづと標準の確立するに至らん。
一、俳句はただ己れに面白からんやうにものすべし。己れに面白からずとも人に面白かれと思ふは宗匠門下の景(けい)物(ぶつ)連(れん)の心がけなり。縮(ちり)緬(めん)一匹、金時計一個を目あてにして作りたる者は、縮緬と時計とを取り外(はず)したるあとにて見るべし。我ながら拙(つたな)し卑(いや)しと驚くほどの句なるべし。
一、間ある時に是非とも俳句をものせんとあがくも宜(よろ)しからず。忙しき時に無理に俳句をものせんとなやむも宜しからず。出づる時は出づるに任せ出ぬ時は出ぬに任すべし。間なる時一句をも得ずして忙しき時に数句をたちどころに得る事あり。最もおもしろし。
一、俳句のために邪念を忘れたるは善し、ゆめ本職を忘るべからず。しかれども熱心ならざれば道に進まず、熱心なれば本職を忘るるに至る。その程度を知るはその人にあり。
一、俳句の題は普通に四季の景物を用う。しかれども題は季の景物に限るべからず。季以外の雑題を取り季を結んでものすべし。両者並び試みざれば終に狭隘を免れざらん。
一、俳句の題は必ずしもその題を主としてものするを要せず。ただその題を詠みこまばそれにて十分なり。例へば頭巾といふ題を得たる時に頭巾を主としてものすれば俗に陥りやすく陳腐に傾きやすし。故に時々この題を軽く詠みこみて他へそらすことも忘るべからず。
頭巾取り襟つくろふや富士の晴れ 湖春
といふが如き富士を主としたるものをものするも差支なし。此の如くならざれば尽く陳腐に流れてしかも変化すべき区域狭くなるべし。故に俳句の題は和歌の如く題に叶ふ叶はぬをやかましく穿鑿するに及ばず。
一、俳句の題を得たる時はそれを主とせずして可なるのみならず、その題を全く空想中の物となして実在せしめざるもまた可なり。例へば蔦といふ秋季の題を得たる時
野の宮の鳥居に蔦もなかりけり 涼菟
の如く蔦といふ実物を句中に現在せしめざるも差支なし。これにてやはり秋季と為るなり。
一、月並者流の題に文字結と言ふ事あり。例へば雪の題にて結字「後」と定められたる時は、雪の句の中に「後」の字をも詠みこむなり。これは単に雪の題ならば俗俳家が古人の雪の句を剽窃し来り、または自己の古き持句を幾度も出さんとする者多き故にこれを予防するの策なり。いやしくも徳義を解し廉恥を知る人に対して為すべきに非ず。いはんや文字結なる者は到底佳句を得るに能はざるをや。
一、他人が悪しと言ふ句も己が善しと思はば人に構はずその種類をものすべし。もしその種の句にして果して悪き者ならば長くものし多くものする間には自然と厭嫌を生ずべし。
一、初学の人古(こじ)人(ん)の俳句を見て毫も解する能はざる者多しとなす。これ畢(ひっ)竟(きょう)古句を見る事の少(すくな)きがためなり。古句解すべからずとて俳句は学びがたしと為すに及ばず。能く解し得る者よりして道に進むべし。
一、あるいは解しがたきの句をものするを以て高尚なりと思惟するが如きは俗人の僻見のみ。佶屈なる句は貴からず、平凡なる句はなかなかに貴し。
一、俳句の妙味は終に解釈すべからざるを以て各人の自悟を待つより外なしといへども、字句の解釈に至りては固より容易に説明し得べし。故に初学者のために古句の解説を与へ併せて多少の批評を為すべし。
(修学第一期中に列ねたる条項は思ひつくままに記したるを以て、前後錯綜重複あるを免れず、読者請ふこれを諒せよ)
一、 朝顔に釣(つる)瓶(べ)取られてもらひ水 千(ち)代(よ)
朝顔の蔓(つる)が釣瓶に巻きつきてその蔓を切りちぎるに非(あらざ)れば釣瓶を取る能はず、それを朝顔に釣瓶を取られたといひたるなり。釣瓶を取られたる故に余(よ)所(そ)へ行きて水をもらひたるといふ意なり。このもらひ水といふ趣向俗極まりて蛇(だそ)足(く)なり。朝顔に釣瓶を取られたとばかりにてかへつて善し。それも取られてとは最(もっとも)俗なり。ただ朝顔が釣瓶にまとひ付きたるさまをおとなしくものするを可とす。この句は人(じん)口(こう)に膾(かい)炙(しゃ)する句なれども俗気多くして俳句とはいふべからず。
一、 井(いど)戸(ば)端(た)の桜あぶなし酒の酔(えい) 秋(しゅ)色(うしき)
これは秋色といふ女が十三歳の時ものして上野の桜に結びつけたりとて、その桜を秋色桜と名づけ今も清水堂の裏手に囲(かこ)ひたる老樹なり。井戸もその側に残りあり。︵されども考証家の説に拠(よ)れば真の秋色桜の位置は此(こ)処(こ)にあらずして摺(すり)鉢(ばち)山(やま)に近き方なりと︶この意は井戸端に桜の咲きたるを見んとて酔どれし人の何の気もなくその木の下に近よるにぞ、もし過(あやま)つて井の中に落ちもやせんと気(きづ)遣(か)ひたるなり。﹁あぶなし﹂といふ語の主格は酔(すい)人(じん)にして桜にあらず。しかもその酔人といふ語はなくただ﹁酒の酔﹂と虚にいひたるのみなれば、普通の文章のやうに解しては解しがたきわけなり。さてこの句も千代の朝顔の句と同じく俗にして見るに堪(た)へず。ただ千代のに比すれば俗気少からんか。
一、 蚊にこまる蚊もまたこまる団(うち)扇(わ)かな 失名
誰の句とは知らねど俗間に伝称する句なり。意義は解釈するまでもなし。この句の如きは俗のまた俗なるものにして、前二句に比するもまた数等の下にあり。ただ俗間此(かく)の如きものを発句と称(とな)へをる者多き故にその妄(もう)を弁ずるのみ。
一、 何事ぞ花見る人の長(なが)刀(がたな) 去来
意は長刀さしたる人の花見に出掛けたるを咎(とが)めたるなり。花見とならばいかめしき長刀をさして群衆の中へ出るでもあるまじきに、その無風流は何事ぞと嘲(あざけ)りたるなり。これらは多少の理想を含みをる故に俗間に伝はり称せらるれども、名句と言ふは必ずしもこの種の句に限らざるなり。否、この種の句は最も卑俗なりやすきものと知るべし。この句は此の如く理想を含みたる句の上にては上(じょ)乗(うじょう)とすべき名句なれども、初学者のこの種の句を学ぶは最も危(あやう)し。
一、 蒲(ふと)団(ん)着(き)て寝たる姿や東山 嵐雪
これは実景を知らぬ人はその味(あじわい)を解しがたし。試(こころ)みに京都に行きてつくづくと東山を見るべし。低き山の近くにありてしかも頂(いただき)の少しづつ高低ある処、あたかも人が蒲団をかぶりて寝たるに似たり。さればこそこの譬(ひゆ)喩(て)的(き)の吟ありたるなれ。この句は品の善き句にあらねども滑稽と軽妙とを以て勝(まさ)りたるものにして容易に模倣し得べきに非ず。しかしてこの句につきて俗人は勿(もち)論(ろん)普通の文学者にも解しがたき俳句上の特色あり。そは冬の季といふことなり。蒲団は冬季にしてこの句は蒲団を譬喩に用ゐたれども、他に季とすべき者なければやはり冬季と為るなり。俗人の解するが如くこの句を単に東山の譬喩とするのみならばちよつとをかしきばかりにて何の趣もなき訳なれども、冬季になる故に趣を生ずるなり。さすがの都(みやこ)も冬枯れて見るもの淋(さび)しく寒きが中に彼(か)の東山を見れば、これも春の頃のなまめきたる様子を捨ててただひつそりと寒さうに横(よこた)はる処、如(い)何(か)にも蒲団うちかぶりて寝たると見れば淋(さび)しさの中に多少のをかしみもありて何となく面白う感ぜらるるなり。人もしこれを疑はば夏の東山を見てこの句を味ひ、更に冬の東山を見てこの句を味ひ、以てその趣の多少を比較すべし。必ず発明する所あらん。
一、 我(わが)雪(ゆき)とおもへば軽(かろ)し笠(かさ)の上 其角
普通には﹁我ものと思へば軽し笠の雪﹂として伝はれり。されど﹁我もの﹂としては甚だ俗なり、﹁我雪﹂の方に従ふべし。意味は解釈するまでもなし。こは端(はう)唄(た)などに入りたるため多少艶(えん)体(たい)に近き感を生じ、俗人は有(あり)難(がた)がれどこれ即ちこの句の俗なる所(ゆえ)以(ん)なり。其角の句としては斬新を以て賞すべし。もしこれを模(もほ)倣(う)する者あらば直ちに邪路に陥(おちい)ること必(ひつ)定(じょう)なり。
一、 しばらくは花の上なる月夜かな 芭蕉
芭蕉吉野にての吟なり。これは吉野の花の多きことを言へるものにして、そこら一面の花なれば月もしばらくは花の上を立ち去らずとの意なり。此(こ)処(こ)にて﹁しばらく﹂といふはやや久しきことを言へり。これは素(しろ)人(うと)好(ずき)のする句なれども深き味のなき句なり。けだし実景を写さずして理想に趨(はし)りたるがためならん。
一、 わが事と泥(どじ)鰌(ょう)の逃げし根(ねぜ)芹(り)かな 丈草
芹は春のはじめなり。芹摘(つ)みにと手を出したれば芹のあたりにゐたる泥鰌の捕へられんとや恐れけん、あちらに逃げ隠れたりといふ意にして、泥鰌を擬人法にして軽くおどけたる処、丈草の独(どく)擅(せん)なり。上品に非(あらざ)るもなほ名句たるを失はず。
一、 門前の小(こい)家(え)もあそぶ冬至かな 凡(ぼん)兆(ちょう)
冬至とは日の短き極端にして一陽来復の日なり。しかれどもここにては右の如き意味に用ゐたるに非ず。けだし冬至は禅宗において供養の定(じょ)日(うじつ)なるを以て、寺の門前に住みたる小家もお寺の縁によりこの日は遊び暮らすとなり。門前とは普通の家の門前ならずして寺の門前なることは一句の上にて明(あきら)かなり。また門前の小家といふこと何のための家とは分らねど、前後の趣より察すればいづれ直接か間接かこの寺のために生活しをる小家とは知れるなり。こは元禄の句なるが、当時にありて門前といふが如き言ひなれぬ漢語を用うることは少きに、これはかへつて後世蕪(ぶそ)村(ん)の調にも似たるは如何といふに、山門前の意味なれば漢音にて門前と読ませたるなり。山門に限らず仏(ぶつ)語(ご)には漢音の用語多し。さてこの句の値(あたい)を論ぜんに、固(もと)より余韻ある句にあらねど一句のしまりてたるみなき処名(めい)人(じん)の作たるに相違なく、将(は)た冬至の句としては上乗の部に入るべし。澹(たん)泊(ぱく)に何(なに)気(げ)なく言ひ出したる処、かへつて冬至の趣ありて味ひあり。
一、 里人の渡り候(そうろう)か橋の霜 宗(そう)因(いん)
句意は橋(きょ)上(うじょう)の霜に足跡あるを見て、大(おお)方(かた)里人のはや渡りたらんかと想像したるまでなり。されどこの句は檀(だん)林(りん)の開祖宗因の作にして、一句の目(めあ)当(て)は趣にあらず、かへつて言葉の上の口あひにあること檀林の特色なり。この句も候などの字をつかひたるは謡曲の文句を用ゐたるなれども、そればかりにてはいまだ口あひにならず、けだし謡曲の中には﹁里人の渡り候か﹂といふ言葉あるべし。︵今何の中にありと記憶せねども︶その謡曲の意はこの辺に里人はおぢやるかと尋ねたるものなるを、この俳句にては﹁渡(わたり)﹂の字の意義を転用しておぢやるといふ事には用ゐず、橋を渡るの渡る意に用ゐ、以て口あひとなしたるなり。檀林風の句多くはこの種なり。さてこの種の句は俳諧史の上には著き功績ありたれども、今日より評せんには一文の価値もなかるべし。いはゆる趣味余韻の如きは毫(ごう)もこれを有せざるがためのみ。
一、 世の中は三日見ぬ間に桜かな 蓼(りょ)太(うた)
名高き句にて世の人大方は知れり。句意は世の中の有(うい)為(てん)転(ぺ)変(ん)なるは桜花の少しの間に咲き満ちたると同じとなり。誰にも能(よ)く分る句にてしかも理想を含みたれば世人には賞(しょ)翫(うがん)せらるるものと覚えたり。されども理想を含みたる者必ずしも善からざるは前にも言ひたる如し。いはんやこの句の如き格調の下品なる者は俳句とも言ひがたき位なり。されどもはじめての作としては保存するも可なり。ゆめ模倣すべからざるものなり。俗には﹁三日見ぬ間の﹂と伝へたれどもやはり﹁見ぬ間に﹂と﹁に﹂の字の方よろし。﹁の﹂とすれば全く譬(ひ)喩(ゆ)となりて味少く、﹁に﹂とすれば﹁桜﹂が主となり実景となる故に多少の趣を生ずべし。
一、 朝顔や紺(こん)に染めても強からず 也(やゆ)有(う)
糸抔(など)を紺に染むれば糸が強く丈夫になるとは俗に言ふ所なり。されど朝顔の花は紺色のものもやはりその朝限りの命にて強くもあらずとおどけ興じたるなり。也有の句概(おおむ)ねこの類(たぐい)なり。これらもちよつとをかしみあれど初学の模倣すべきものにはあらず。
一、 御(おて)手(う)討(ち)の夫婦なりしを衣(ころも)がへ 蕪村
善く昔の小説にある筋を詠みたるなり。某の男おのが主人の娘または腰元などに馴(な)れ染めしが、いつしかその事主人の耳に入り不義は御(おい)家(え)の御(ごは)法(っ)度(と)なりとて御手討になるべき処を、側の者が申しなだめて二人の命を乞(こ)ひたるならん。その後二人は夫婦となりて安楽に暮らしをるさまをかくはつづりしなめり。衣がへは更衣とも書きて夏の初めに綿(わた)入(いれ)を脱ぎ袷(あわせ)に着(き)かふることをいふ。特にこの句に更衣を用ゐたるは今は二人の者が世帯を持ちて平穏に暮らしをる事を現はさんがためにして、これらの言廻し取り合せなど総(すべ)て老練の極なり。人(じん)世(せい)の複雑なる事実を取り来りてかくまでに詠みこなすこと、蕪村が一大俳家として芭蕉以外に一旗(き)幟(し)を立てたる所(ゆえ)以(ん)なり。因(ちな)みにいふ、この趣向は小説の上にはありふれたりといへども、蕪村時代にはまだ箇(かよ)様(う)な小説はなかりしものなり。蕪村は慥(たし)かに小説的思想を有したり。
一、 おちぶれて関(せき)寺(でら)うたふ頭(ずき)巾(ん)かな 几(きと)董(う)
頭巾は冬季なり。関寺とは﹁関寺小町﹂といふ謡曲の名にして、小町がおちぶれし後の事を綴(つづ)りたるなり。昔はさるべき人の今はおちぶれて関寺小町などを謡ひをるさまを詠めり。零(れい)落(らく)せし人故に特に関寺小町を取り合せたるなり。頭巾とはおちぶれし人の頭巾着てをるをいふなり。﹁うたふ頭巾かな﹂といふ続きにて頭巾着た人が謡ふとなること俳句において通例の句法なり。また頭巾といふ季を結びたるは冬なれば人の零落したる趣に善く副(そ)ひ、また頭巾を冠(かぶ)りて侘(わ)びたる様子も見ゆる故なり。
一、 うちそむき木を割る桃の主(あるじ)かな 白雄
桃とは桃花のことにて春季なり。桃の主とは前後の模様にて考ふれば樵(きこ)夫(り)か百姓などの類(たぐい)なるべし。木を割るとは薪(まき)を割るなり。うちそむきとは桃の花を背にして木を割るといふ意なり。即景そのままにして多少の野趣あり。
一、 時(ほと)鳥(とぎす)鳴くや蓴(ぬな)菜(わ)の薄(うす)加(かげ)減(ん) 暁台
蓴菜は俗にいふじゆんさいにして此(こ)処(こ)にてはぬなはと読む。薄加減はじゆん菜(さい)の料理のことにして塩の利(き)かぬやうにする事ならん。さて時鳥と蓴菜との関係は如何といふに、関係といふほどのものなくただ時候の取り合せと見て可なり。必ずしも蓴菜を喰ひをる時に時鳥の啼(な)き過ぎたる者とするにも及ばず。ただ蓴菜の薄加減に出来し時と時鳥のなく時とほぼ同じ時候なるを以て、この二物によりこの時候を現はしたるなり。しかも二物とも夏にして時鳥の音の清(きよ)らなる蓴菜の味の澹泊なる処、能く夏の始(はじめ)の清涼なる候を想像せしむるに足る。これらの句は取り合せの巧拙によりてほぼその句の品格を定む。
一、 初雪やくばり足らいで比(ひえ)枝(ば)許(か)り 蝶(ちょ)夢(うむ)
初雪が降ることは降つたが余り少量故何(ど)処(こ)も彼(か)も降るといふわけには行かず、ただ比(ひえ)叡(いざ)山(ん)の上ばかりに降つたといふことなり。配り足らぬとは初雪を擬人法にしてさういふなり。巧者な句といふべし。
一、 砂川や枕のほしき夕涼み 闌(らん)更(こう)
砂川に出で涼みてをれば涼しくもあり、かつは余り砂川の清らさに枕(まくら)をかりてこの河(かわ)原(らお)表(もて)の砂の上に寐(ねこ)転(ろ)びたしとの意にて軽妙なる句なり。
一、 追々に塔の雫(しずく)や春の雪 二(じり)柳(ゅう)
春の雪は早く解(と)けるものなり。されど五重の塔の屋根には日(ひな)向(た)と日(ひか)陰(げ)といろいろにある故に、先(ま)づ一(ひと)処(ところ)より解け初(そ)むると思へば次第々々に此(ここ)処(か)彼(し)処(こ)と解けて、果てはどこもかも雫が落つるやうになりたりといふ意なり。これは巧者な句なり。
一、 菊の香(か)や奈良には古き仏たち 芭蕉
この句において菊と仏とは場所の関係なし。必ずしも仏の前に菊を供へたるにもあらず、必ずしも仏堂の側に菊の咲きたるにもあらず、強(し)ひて場所の関係を言はば菊も古仏も共に奈良にあるまでの事なり。作者の奈良に遊びし時あたかも菊の咲く頃なりしなるべく、従つてこの句を以て奈良を現はしたるなるべしといへども、しかも菊花と古仏との取り合せは共にさび尽したる処、少しも動かぬやうに観(み)ゆ。ここ作者の活(かつ)眼(がん)と知るべし。
一、 秋風や白(しら)木(き)の弓に弦(つる)張らん 去来
夏(か)時(じ)白木の弓に弦を張れば膠(にかわ)が剥(は)げるとて秋冷の候を待ちてするなり。故に秋風やと置けり。されどもそればかりにては理屈の句にて些の趣味なし。けだし弓は昔(せき)時(じ)にあつては神聖なる武器にして、戦場に用ゐらるるは言ふまでもなく、蟇(ひき)目(め)などとて妖(よう)魔(ま)を攘(はら)ふの儀式もある位なれば、金(きん)気(き)の粛(しゅ)殺(くさつ)たるに取り合せて自(おのずか)ら無限の趣味を生ずるを見る。いはんやその弓は白木の弓なるをや。白色には神聖の感あり、粛殺の感あり、故に秋の色は白とす。この句無造作に詠み出でて男らしき処を失はず。有り難き佳句なり。
一、 時鳥なくや雲(ひば)雀(り)の十文字 去来
時鳥は夏にして雲雀は春なり。されども時鳥は春に鳴かずして雲雀は夏もをる故この句は夏季となるなり。この意は時鳥は横一文字に飛ぶものにして雲雀は下より上へ真(まっ)直(すぐ)に上る者なり。故に丁(ちょ)度(うど)雲雀の上る処を時鳥が横ぎりてあたかも十文字の如くなりたるをいふなり。最も巧妙なる句なり。
一、 卯(う)の花の絶(たえ)間(ま)敲(たた)かん闇(やみ)の門(かど) 去来
闇夜に人の門を叩かんとするに、一寸先は闇(くろ)うしていづくを門とも定めがたし。ただそこらの垣(かき)一面に咲ける卯の花は闇にも白く見ゆるにぞ、その中に少しばかり卯の花の絶えたる処こそ門ならめと推量したるなり。夜景綺(きれ)麗(い)なれば素人の劇賞する句なり。この句わろしとにはあらねど素人の好(す)くほどに善き句にあらず。︵但し千代の朝顔の句、秋色の桜の句抔(など)に比すればこの句の高きこと数等なり︶もし絶間といふ語を改めなば今一段の佳句ともなるべし。
一、 生(きむ)娘(すめ)の袖(そで)誰が引いて雉の声 也有
雉(きじ)はやさしき姿ながらおそろしき声を出すもの故、あたかもたはれ男(お)に袖引かれたる生娘が覚えず高声を発したるにも似たりとなり。この句は生娘の声を雉に譬(たと)へたりとするも、または雉の声を生娘に譬へたりとするも妨げなし。
一、 むつとして戻れば庭に柳かな 蓼太
﹁むつとして帰れば門(かど)に青(あお)柳(やぎ)の﹂と端(はう)唄(た)にも謡(うた)はれたれば世の人は善く知りたらん。句意は余(よ)所(そ)で腹の立つ事ありてむつとしながら内に帰れば、庭に柳のおとなしく垂(た)れたるを見て、この柳の如く風にもさからはず、ただ柔(にゅ)和(うわ)にしてこそ世の中も渡るべけれと悟(さと)りたるなり。箇様な理想を含む故に端唄にもはひりたれど、俗気十分にして月並調の本(ほん)色(しょく)を現はせり。千代の朝顔の句よりもなほ厭(いや)な心地す。
一、 妻にもと幾(いく)人(たり)思ふ花見かな 破(はり)笠(つ)
花見の中に交(まじ)りて行けば美人が綺(き)羅(ら)を着飾りて沢山出で来る故に、あのやうな女を我(わが)妻(つま)にしたい、このやうな娘も我妻にしたいと思ふといふことなり。綺羅雑(ざっ)沓(とう)して都会の花見の盛(さかん)なるさまは裏面に現はれたり。
一、 見ぐるしき馬にのりけり雲の峰 斗(とに)入(ゅう)
雲の峰は夏季にして夏雲多奇峰の意なり。この雲が出て来ると熱くなる故、雲の峰には夏の空の晴れて熱き心を言へるが例なり。この句は旅人のから尻などに乗りて行く様を言ひしものなれば、綺麗な馬に非るは勿論なれど、特に見ぐるしきと言ふ上は通常のよりもよほど見ぐるしとの意なり。けだし炎天に人を載せて歩むこと故、馬もいたく疲れて道はかどらず、毛は汗によごれて如何にも見苦しきさまを言へるなり。一句吟じ畢れば炎天に人馬の疲労せしさま見るが如し。
一、初学の人道に進むはいづれの方向よりするも勝手なれども、普通の学生などの俳句をものするは多く漢語を用ゐ漢詩を応用する者を実際上多しとす。例へば水村山郭酒旗風といふ杜牧の成句を取りてこれに秋季の景物を添へ
沙魚釣や水村山郭酒旗風 嵐雪
といふが如きこれにても俳句なり。この辺より悟入するも可なり。また成句を用ゐざるもただ目前の景物を取りて一列に並べたるばかりにても俳句にならぬ事はあらじ。
奈良七重七堂伽藍八重桜 芭蕉
藪寺や筍月夜時鳥 成美
浦山や有明霞遅桜 羽人
などの作例もあるなり。この三句の中にて成美の句最佳なりとす。
一、和歌を学びたる人の俳句に入るは詩人の俳句に入るよりも難(かた)し。これ和歌の性質の然(しか)るにあらずして今日普通の和歌と称する者の文学的ならざればなり。﹃万葉集﹄の歌は文学的に作為せしものに非れども、穉(ち)気(き)ありて俗気なき処かへつて文学的なる者多し。﹃新古今集﹄には間々佳篇あり。﹃金(きん)槐(かい)和歌集﹄には千古の絶唱十首ばかりあるべし。徳川氏の末に至りては繊(せん)巧(こう)なる方(かた)のみやや文学的とはなれり。これらの歌より進む者は固(もと)より俳句に入り得べく、しかも詩人の俳句に入るよりも入りやすきこと論を俟(ま)たず。されども﹃古今集﹄の如き言語ありて意匠なき歌より進み来らば俳道に入ること甚(はなは)だ困難なるべし。けだし俳句の上にては優長なる調子を容(い)れず。むしろ切迫なる方に傾くが故なり。試(こころ)みに俳句的の和歌を挙げなば
ものゝふの矢なみつくろふこての上に霰たばしる那須の篠原 源 実朝
の如きを然りとす。この外『新古今』の「入日をあらふ沖つ白浪」「葉広かしはに霰ふるなり」など、または真淵の鷲の嵐、粟津の夕立の歌などの如きは和歌の尤物にして俳句にもなり得べき意匠なり。
一、前には初学者のために多少古句の解釈など試みたれど、そは標準とすべき者を挙げたるにはあらず。故に今ここに標準とすべき者十数句を挙げて第一期の結尾となすべし。但し俳句に入る人繊巧より佶屈より疎大より滑稽よりおのおの道を選びて進むこと勿論なれども、平易より進む方最も普通にしてしかも正路なりと思ふが故に、ここに平易なる句を抜萃せり。分け登る道はいづれなりとも、その極に至れば同じ雲井に一輪の大月を見るの外はあらじ。
五六本よりてしだるゝ柳かな 去来
永き日や大仏殿の普請声 李由
凩や刈田のあとの鉄気水 惟然
清水の上から出たり春の月 許六
声かけて鵜縄をさばく早瀬かな 涼菟
鎌倉の街道をのす燕かな 尚白
春の日の念仏ゆるき野寺かな 同
静かさは栗の葉沈む清水かな 同*
よろ/\と撫子残る枯野かな 同
藁積んで広く淋しき枯野かな 同
道ばたに多賀の鳥居の寒さかな 同
夕立や川追ひあぐる裸馬 正秀
山松のあはひ/\や花の雲 その
市中はものゝ匂ひや夏の月 凡兆
百舌鳥鳴くや入日さしこむ女松原 同
なが/\と川一筋や雪の原 同
旅人の見て行く門の柳かな 樗良
春雨や松に鶴鳴く和歌の浦 同
我庵は榎許りの落葉かな 同
以上の句は皆句調の巧を求めず、ただありのままの事物をありのままにつらねたるまでなれば、誠に平易にして誰にも分るなるべし。しかしてその句の価値を問へば即ち多くはこれ第一流の句にして俳句界中有数の佳作なり。
* この句の作者は、子規自身「随問随答」でただしているように「尚白」でなく「柳陰」であるが底本のままとしておいた。
一、利根のある学生俳句をものすること五千首に及ばば直ちに第二期に入るべし。普通の人にても多少の学問ある者俳句をものすること一万首以上に至らば必ず第二期に入り来らん。
一、句数五千一万の多きに至らずとも、才能ある人は数年の星霜を経(ふ)る間には自然と発達して、何(い)時(つ)の間にか第二期に入(い)りをる事多し。けだし自ら多くものせずとも多年の間には他人の句を見、説を聞くこと多きがためなり。
一、第一期第二期の限界は判然たるものに非ず。しかれども俳句をものする人は初めは五(ごり)里(むち)霧(ゅ)中(う)に迷ふが如く、他人任せに句を作るが如き感あり。ただ句数と歳月とを積むこと多ければほぼ一句のこなしつき、古人の句を見ても自分の句を見てもあらましの評論も出来、何となく自己心中に頼む所あるが如く感ずるに至らん。この辺より上を先づ第二期と定めん。
一、第二期に入り来る人といへども、その人の稟(ひん)性(せい)において進歩の方法順序において相異あるがために、発達する部分に程度の相異あるを免れず。例へば甲は意匠の点において発達したるも言語これに副(そ)はず、乙は言語の点において発達したるも意匠これに副はず、丙は雅趣を解して繊巧を解せず、丁は繊巧を解して壮大を解せざるが如きこれなり。
一、古雅に長じて他に拙なる者、繊細に長じて他に拙なる者、疎豪に長じて他に拙なる者等の如きは如何の方針を取(とっ)てか進むべき。応(こた)へて曰く、一定の方針あるべき理なし。一は自己の長ずる所をしてますます長ぜしめよ。他は自己の及ばざる所に向つて研(けん)覈(かく)せよ。両者もし並び行ひ得べくんば並び行へ。
一、自己の長ずる一方に向つて専攻するの方針を取るもなほ多少の変化を知るを要す。変化を知るは勉めて自己の句の変化を試むるにあり。勉めて古今の句を多く読むにあり。古人または一時代の格調を模倣するも可なり。
一、人あり、古俳人某の俳句の格調他に異なるを見て厭(いと)ふべきものありとす。一度自らその句を模してやや真を得るに及んで忽(たちま)ちその格調の新奇を愛するに至ることあり。故に博(ひろ)く学び多く作るを要す。
一、諸種の変化を要する中にも最も壮大雄(ゆう)渾(こん)の句あるを善しとす。壮大雄渾の趣は説きがたしといへども、これを形体の上について言はんに、空間の広き者は壮大なり。湖海の渺(びょ)茫(うぼう)たる、山嶽の巍(ぎ)峨(が)たる、大空の無限なる、あるいは千軍万馬の曠(こう)野(や)に羅列せる、あるいは河(かか)漢(んせ)星(いし)辰(ん)の地平に垂接せるが如き、皆壮大ならざるはなし。勢力の多き者は雄渾なり。大(たい)風(ふう)の颯(さっ)々(さつ)たる、怒(どと)濤(う)の澎(ほう)湃(はい)たる、飛(ひば)瀑(く)の※(かく)々(かく)﹇#﹁さんずい+號﹂の﹁号﹂に代えて﹁将のつくり﹂、46-15﹈たる、あるいは洪水天に滔(とう)して邑(ゆう)里(り)を蕩(とう)流(りゅう)し、あるいは両軍相接して弾丸雨(うち)注(ゅう)し、艨(もう)艟(どう)相交りて水雷海を湧(わ)かすが如き、皆雄渾ならざるはなし。
一、一些事一微物につきてもなほ比較的に壮大雄渾なる者あり。例へば牡丹を見る者、牡丹数輪の花を把り来ると、ただ一輪の牡丹を把り来るとを比較すれば、一輪牡丹の方花の大きなるやう感ずべし。これ花の特別に大なるに非ず、一輪なれば比較すべき者なきがためなり。あるいは庭園中の牡丹を詠ずると、場所を指定せずしてただ一株の牡丹をのみ詠ずるとを比較すれば、後者の方牡丹の大なるを感ず。これまた牡丹の大なるに非ず、比較すべき者なきがためなり。(近く見れば大に遠く見れば小なるの理もあり)例へば
押し出して花一輪の牡丹かな 春来
四五輪に陰日南ある牡丹かな 梅室
の二句を比較せば前者の花大にして後者の花小なるを感ずべし。
蝋燭に静まりかへる牡丹かな 許六
どや/\と牡丹つりこむ塀の内 士朗
の二句を比較せば前者の牡丹大にして後者の牡丹小なるを感ずべし。これを壮大といふは文字穏当ならずといへども、小に対して大といふは即ち可ならん。
一、壮大雄渾なるものも繊細精緻なるものも普通の美術上の価値において差異なきは初に述べたる如し。しかして今ここに特に壮大雄渾を挙ぐる者は、この種の句最も少きを以て一層渇望に堪へざるがためなり。何故にこの種の句少きかと問へば、第一に世間この種の句の趣味を解する者少きこと、第二に世間この種の天然的人事的大観少きこと、第三俳句の字数少くしてこの種の大観を見はすに苦しきことこれなり。
一、美術の標準は吾人の主観中に一定して動くものにあらずといへども、客観的にこれを見れば同一の美術品にして時と場合により価値に差異を生ずることあり。即ち吾人の標準中には斬新を美とし陳腐を不美とするの一箇条あるがために、客観的に変動するを免れざるなり。例へば昔は面白き絵画なりと評せられしその意匠も、今日にありてこれを模倣せば人皆陳腐としてこれを斥けん。あるいは今日にありて斬新なりとてもてはやさるる詩文小説も、後世に至り同様の意匠を為す者多からば終には陳腐として厭嫌せられんが如き類なり。(元禄時代にいはゆる不易流行なる語はややこの意に近しといへども、彼時代には推理的の頭脳を欠きし故曖昧を免れず)
一、壮大雄渾なる句は少きを以て、この種の句を作(な)す者はこれを渇望しをる人より歓迎賞美せらるべし。しかれども壮大雄渾なる事物はその種類甚だ少く目撃する事も稀(まれ)なるが故にとかく陳腐に陥りやすし。また十七、八字の間に壮大雄渾の事物を包含せしむることは甚だ至難なるを以て、試みに或(あ)る大観を取て詠ずるも、何らの景色なるか何らの人事なるか茫(ぼう)漠(ばく)として読者に知れがたき者多し。多少俳句に心得ある人、徒(いたず)らに大観の趣味を解したるまねしてこの種の句を為す者、往々陳腐に陥りまたは茫(ぼう)漠(ばく)解すべからざるに至る。鑑(かんが)みる所あるべし。
一、古来壮大雄渾の句を為す者極めて稀なり。試みに我心頭に記憶し来る者を記さば
あら海や佐渡に横ふ天の河 芭蕉
猪も共に吹かるゝ野分かな 同
湖の水まさりけり五月雨 去来
稲妻や海のおもてをひらめかす 史邦
初汐や鳴門の波の飛脚船 凡兆
嵐吹く草の中より今日の月 樗良
五月雨や大河を前に家二軒 蕪村
湖の水傾けて田植かな 几董
蟻の道雲の峯より続きけり 一茶
蝉なくや天にひつゝく筑摩川 同
とう/\と滝の落ちこむ茂りかな 士朗
等の類なり。(芭蕉の句にはなほ数首の壮大雄渾なる者あれども、そは芭蕉雑談に論じたるを以てここに言はず。この外にも比較的に壮大雄渾なるものは枚挙に暇あらず)
一、繊細精緻なる句また学ばざるべからず。生来美術心に乏しき人、または漢学風の疎大に失する人は往々にしてこの種の趣味を解せざる者あり。しかれども世上いはゆる美術家、文学家なる者の八、九分は皆この一方に偏する者なり。ただ繊細精緻の極に達する人は八、九分の内更(さら)に一分を止めざるべし。天然を講究する人一草一木の微(び)を知り、人事を観察する人一些事一微物の真(しん)面(めん)目(ぼく)を識(し)り、人間心中間(かん)一(いっ)髪(ぱつ)の動機を観る者は絶無にして僅(きん)有(ゆう)なり。俳句にては人事を講究すること小説家の如く精細なるを要せずといへども、天然を講究する事はなるべく精微なるを要す。けだし精細なる人事はこれを十七字中に包含せしむる能はずといへども、繊細なる天然は包含せしめ得べき者多ければなり。
一、繊細精緻なる句は一々に引例に及ばざるべしといへども、見当りたる者数首を取りて左に列記せん。
蒲公英や葉を下草に咲て居る 秋瓜
草刈りて菫選り出す童かな 鴎歩
白魚をふるひよせたる四つ手かな 其角
鶯の身をさかさまに初音かな 同
杜若しぼむ下から開きけり 自友
愛らしう撫子の花つぼみけり 平十
萩の花追々こけてさかりかな 孤舟
草の葉や足の折れたるきり/″\す 荷兮
臼起す小春の草のほのかなり 吟江
埋火に年よる膝の小さゝよ 咫尺
はこべ草枯野の土にしがみつく 蓮之
一、壮大なる事物は少く繊細なる事物は多し。数個の繊細なる事物を合すれば一個の壮大なる事物となるべく、一個の壮大なる事物を分てば数個の繊細なる事物となるべし。
一、壮大を見る者繊細を見得ざるが如く、繊細を見る者また壮大を見得ざるが多し。注意せざるべからず。
一、壮大にも雅俗あり、繊細にも雅俗あり。壮大を好む者単に壮大を見て雅俗を判ずるを知らず、繊細を好む者単に繊細を見て雅俗を判ずるを知らず。今の宗匠者流は繊細に偏してしかも雅致を解せず、俗趣を主とす。故にその句俗(ぞく)陋(ろう)なり。今の書生者流は壮大に偏してしかも熟練を欠く、故に陳腐に陥らざれば必ず疎豪にして趣味の解すべからざる句を為す。他人の句を評するもまたこれを標準とす。繊細なる者は胆(たん)を大にすべし、壮大なる者は心を小にすべし。
一、題目已に壮大なるあり、題目已に繊細なるあり。四季の題目を以てこれを例せんに
夏山 夏野 夏木立 青嵐 五月雨 雲の峰 秋風 野分 霧 稲妻 天の河 星月夜 刈田 凩 冬枯 冬木立 枯野 雪 時雨 鯨
等はその壮大なる者なり。また
東風 菫 蝶 虻 蜂
孑孑 蝸牛 水馬
虫 蜘子 蚤 蚊 撫子 扇
燈籠 草花 火鉢
炬燵 足袋 冬の
蠅 埋火
等はその繊細なる者なり。壮大を壮大とし繊細を繊細とするは普通なれども、時としては壮大なる題目を把て比較的繊細に作するの技倆もなかるべからず。例へば五月雨を詠ずるに
雲濡れて温泉を吐く川や皐月雨 春来
山陰に湖暗し五月雨 吟江
と大きく深くのみものせず、かへつて
五月雨に蛙のおよぐ戸口かな 杉風
三味線や寐衣にくるむ五月雨 其角
などとやや繊細にものするが如し。またこれと同じく繊細なる題目も時としては比較的壮大に作するの技倆なかるべからず。例へば胡蝶の題にて
寐る胡蝶羽に墨つけん縁の先 坡仄
飛びかふて初手の蝶々紛れけり 嘯山
とやさしく美しく趣向をつけるも固より善けれど、そはありうちの事なり。これを少し考へかへて
ある程の蝶の数見るつむじかな 一排
真直に矢走を渡る胡蝶かな 木導
など、一は強く一は大きくものしたるも珍らかに面白かるべし。
一、雅樸を好む者婉(えん)麗(れい)を嫌ひ、婉麗を好む者雅樸を嫌ふの癖(へき)あり。これを今日の実際に見るに、昔めきたる老人は雅樸の一方に偏し、婉麗なる者を俗(ぞく)猥(わい)の極としてこれを斥く。また今(いま)様(よう)の美術文学家は往々婉麗の一方に偏し、雅樸なる者を取て卑野として不美術的としてこれを斥く。共に偏(へん)頗(ぱ)の論なり。
一、雅樸の中にも雅俗あり、婉麗の中にも雅俗あり。雅樸に偏する者は百姓と言ひ鍬(くわ)と言へば則ち以て直ちに是(ぜ)とし、復(また)他を顧みず。これ他の卑野と目する所以なり。婉麗に偏する者は少(おと)女(め)と言ひ金(きん)屏(びょう)と言へば則ち以て直ちに是(ぜ)とし、復(また)他を顧みず。これ他の俗猥と目する所以なり。
一、日に焦(こ)げたる老(ろう)翁(おう)鍬を肩にし一(いっ)枝(し)の桃花を折りて田(でん)畝(ぽ)より帰り、老婆浣(かん)衣(い)し終りて柴(さい)門(もん)の辺(あたり)に佇(たたず)み暗(あん)にこれを迎ふれば、飢(きじ)雀(ゃく)その間を窺(うかが)ひ井戸端の乾(ほし)飯(いい)を啄(ついば)む、これ雅樸にして美術的なる趣向ならん。十数畳の大広間片側に金屏風を繞(めぐ)らし、十四、五の少女一枝の牡丹を伐(き)り来りてこれを花(かび)瓶(ん)に挿(はさ)まんとすれば頻(しき)りにその名を呼ぶ者あり、少女驚いて耳を欹(そばだ)つればをかしや檐(えん)頭(とう)の鸚(おう)鵡(む)永日に倦(う)んでこの戯(たわむれ)を為すなり。これ婉麗にして美術的なる趣向ならん。雅樸と婉麗と共にこれを美術的にせんと欲せば、物の雅樸と物の婉麗とを選択するの必要あるのみならず、これを美術的に配合するの必要あるなり。しかれども配合の美術的なると否とは理論の上にて説明するは難(かた)し。実際の上に評論するを善しとす。
一、幽邃深静を好んで繁華熱鬧を厭ふは普通詩人たるものの感情なり。前者の雅にして後者の俗なるは言ふまでもなけれど、さりとて繁華熱鬧必ずしも文学的の分子を含まざるに非ず。いはんや如何なる俗事物もこれを冷眼に視る時は、そのこれを冷眼に視る処において多少の雅趣を生ずるをや。「白眼看他世上人」と言へば「世上人」は極めて俗なる者なれども「白眼看」の三字を添へて無上の雅致を生ずるが如し。(前項雅樸婉麗の条をも参照すべし)
一、理屈は理屈にして文学に非ず。されども理屈の上に文学の皮を被(き)せて十七字の理屈をものするもまた文学の応用なれば時にこれを試むるも善し。ただ理屈のために文学を没却せらるること莫(なか)れ。理屈に合せんとすれば文学に遠く、文学に適せんとすれば理屈を離るること、素(も)と両者全くその性を異にするより来る者故是(ぜ)非(ひ)もなき事なり。両者を合してやや調和したる者をものするは、非常の辛苦を要しながら存外に喝(かっ)采(さい)を博すること能はざればその覚悟なかるべからず。けだし普通文学者は辛苦の処を察せず、単にその理屈的なるの点においてこれを擯斥す。また俗人はそれよりもなほ卑俗に暴露的にものせざれば承知せざるべし。
一、理屈といふには非るも送別、留別、題画、慶弔、翻訳などもややこれに類せり。例へば
生きて世に人の年忌や初茄子 几董
と言へる句の如き、陳腐に似て陳腐ならず、卑俗にして卑俗ならず、奇を求めず巧を弄(ろう)せざる間に無限の妙味を持たせながら常人は何とも感ぜざるべし。否、何とも感ぜぬのみならず、これにては承知せざるべし。年忌の法(ほう)会(え)などならばその人を思ひ出すとか、今に幻(まぼろし)に見ゆるとか、年月の立つのは早いものとか、彼人が死(しん)でから外に友がないとか、涙ながら霊を祭るとかいふ陳腐なる考(かんがえ)を有り難がるも常人ならば詮(せん)方(かた)なきも、文学者たらん者は今少し考へあるべし。この几(きと)董(う)の句にても﹁生きて世に﹂と屈折したる詞(ことば)の働きより﹁人の年忌や﹂とよそよそしくものしたる最後に﹁初茄子﹂と何心なく置きたるが如くにて、その実心中無限の感情を隠し、言語の上に意匠惨(さん)憺(たん)たる処は慥(たし)かに見ゆるなり。要するにこの種の句は作るにも熟練を要し、見るにも熟練を要するなり。
一、初心の人は固より何事をも知らざれども、少し俳句に入りたる人は理屈的の句、または前書附の句はむつかしきを悟るべし。しかして後やや熟練を経、辛うじてこの種の句をものするに至れば独り心に嬉しく、ただその言ひおほせたるを喜んでかへつてその句の雅俗優劣を判ずる能はざることあり。常に自ら省るを要す。
一、天保以後の句は概ね卑俗陳腐にして見るに堪へず。称して月並調といふ。しかれどもこの種の句も多少はこれを見るを要す。例へば俳諧の堂に入りたる人往々にして月並調の句を賞し、あるいは自らものすることあり。けだしこの人月並調を見る事多からざるを以て、その中の一体やや正調に近き者を取てかく評するなり。焉んぞ知らんこの種の句は月並家者流において陳腐を極めたるものなるを。恥を掻かざらんと欲する者は月並調も少しは見るべし。
一、学生時にあるいは月並調を模し自ら新奇と称す。これ彼れ自身には新奇なるものならん。しかれどもその文学社会に陳腐なること久し。無学笑ふに堪へたり。
一、俳句に貞(てい)徳(とく)風あり、檀(だん)林(りん)風あり、芭(ばし)蕉(ょう)風あり、其(きか)角(く)風あり、美(み)濃(の)風あり、伊(いた)丹(み)風あり、蕪(ぶそ)村(ん)風あり、暁(きょ)台(うたい)風あり、一(いっ)茶(さ)風あり、乙(おつ)二(に)風あり、蒼(そう)
風あり、しかれどもこれ歴史上の結果なり。甲派を信ずる者乙派を排し、丙流を学ぶ者丁流を誹(そし)らざるべからざるの理なし。その何風と何派たるとにかかはらず、美なる者はこれを取れ、美ならざる者はこれを捨てよ。
一、世上蕉風を信ずる者多し、我れことさらに奇を好んで檀林を奉ぜんと。これいはゆる負(まけ)惜(おし)みの痩(やせ)我慢なり。しかして痩我慢より割り出したる俳句は毫(ごう)も文学に非るなり。我(わ)れ其角派の系統を継げり、故に其角派の俳句をものせんと。此(かく)の如く系統より割り出したる俳句は文学に非るなり。
一、梅に鶯(うぐいす)、柳に風、時(ほと)鳥(とぎす)に月、名月に雲、名所には富士、嵐(あら)山(しやま)、吉野山、これらの趣向の陳腐なるは何(なん)人(ぴと)もこれを知る。しかれども春(はる)雨(さめ)に傘(かさ)、暮春に女、卯(うの)花(はな)に尼、五(さみ)月(だ)雨(れ)に馬、紅(もみ)葉(じ)に滝、暮秋に牛、雪に燈(とも)火(しび)、凩(こがらし)に鴉(からす)、名所には京、嵯(さ)峨(が)、御(おむ)室(ろ)、大原、比(ひえ)叡(い)、三(みい)井(で)寺(ら)、瀬田、須磨、奈良、宇津、これらの趣向の陳腐なるは深く俳句に入る者に非れば知る能はず。
一、趣向はなるべく斬新なるを要すれども、時にはこれらの陳套を翻案して腐を新となし死を活となすの技倆あるを要す。
一、日本画ばかり見たらん人の俄(にわ)かに西洋画の一、二枚を見たらんには、余りその懸(けん)隔(かく)せるに驚きて暫(しばら)くは巧拙を判定する能はざるべし。西洋画ばかり見たらん人の日本画を見たるもまた同じ。それと同じく俳句にても全く斬新なる趣向に至りては、見る者その巧拙を定むる能はず。あるいはこれを以て美の極とし、あるいはこれを以て拙の極と為すに至る。しかして幾多の日月を経て反覆この句を吟誦し、かつこれを模倣する者も多くなりて後静(しずか)に初(はじめ)の句を味へば、先に美の極と公言したる人もその褒(ほ)め過ぎたるを悔(く)い、先に拙の極と公言したる人もその考(かんがえ)の浅(せん)薄(ぱく)なりしを恥づるなるべし。故に斬新なる句を見る人は熟吟熟考して後に褒(ほう)貶(へん)すべし。これ大(たい)家(か)の上にも免れざる一弊なりとす。
一、趣向の上に動く動かぬといふ事あり、即ち配合する事物の調和適応すると否とを言ふなり。例へば上十二文字または下十二文字を得ていまだ外の五文字を得ざる時、色々に置きかへ見るべし。その置きかへるは即ち動くがためなり。
○○○○○雪積む上の夜の雨 凡兆
といふ下十二字を得て後、上の句をさまざまに置きかへんには「町中や」「凍てつくや」「薄月や」「淋しさや」「音淋し」「藁屋根や」「静かさや」「苫舟や」「帰るさや」「枯蘆や」など如何やうにもあるべきを、芭蕉は終に「下京や」の五文字動かすべからずといひしとぞ。一字一句の推敲もゆるがせにすべからざることなり。
一、何といふ語句を置くべきかといふ場合に推敲するは普通の事なり。しかれども何かは知らず已に十七字を成したる後、その句につきて一々動く動かぬを検するは学生諸子の多く為さざる所なり。自ら名句を得たりとて得意人に示す時、その人この語は如何と質問すれば、なるほどそれは不穏なりき、何々の語の方善かりしものを抔気のつく事多かるべし。生前にこれを発見すれば一時の恥ばかりにて済む事なれども、死んで後は人の非難を如何ともする能はざるべし。
一、四季の題目につきて動きやすき者を挙ぐれば
春風ト秋風 暮春ト晩秋 五月雨ト時雨 桜ト紅葉 夕立ト時雨 夏野ト枯野 夏木立ト冬木立
等数ふるに堪へざるべし。ちよつとこの題目ばかり見れば余り懸隔しをる故、そを置き違へるとは受取れぬ様なれど、実際俳句をものする上に上(じょ)手(うず)下(へ)手(た)を問はず絶えずある事なり。ただ熟練しをる者は常にこれを省み、初学血気の士は全く不注意に経過するの差のみ。
一、俳句を学んで堂に入る者は意匠と言語と並び達せんことこそ最も願はしけれ。誰でも先づ両者相伴ふて進歩する者なれど、それはある一部分の事にて全体の上にあらず。例へば雅樸なる句をものするには甚だ句調の和合に長じながら、婉麗なる句をものするには句調全く和合せざる事あり。能く能く注意研究を要す。
一、言語の上にたるむたるまぬといふ事あり。たるまぬとは語々緊密にして一字も動かすべからざるをいふ。たるむとは一句の聞え自(おのずか)ら緩(ゆる)みてしまらぬ心地するをいふ。譬(たと)へば琴の糸のしまりをるとしまりをらぬとは素(しろ)人(うと)が聞きても自ら差違あるが如し。一句たるみあるやうに感ずる時は一々これを吟味すべし。必ずこの語は不用なりとか、この語は最(もす)少(こ)し短くしても事足りぬべきにとか、此語と彼語と位置を顛(てん)倒(とう)すればてにはの接続に無理を生ぜぬとか、何とかいふやうな事あるべし。趣向は老練の上にも拙なるあり、素人の上にも上手なるあり、ただ句調のたるまぬ処は必ず老練の上の沙(さ)汰(た)なり。古人の名句抔(など)に気をとめて見るべし。
一、句調のたるむこと一概には言ひ尽されねど、普通に分りたる例を挙ぐれば虚字の多きものはたるみやすく、名詞の多き者はしまりやすし。虚字とは第一に「てには」なり。第二に「副詞」なり。第三に「動詞」なり。故にたるみを少くせんと思はばなるべく「てには」を減ずるを要す。試みに天保以後の俳句を検せよ。不必要なる処に「てには」を用ゐて一句を為す故に句調たるみて聞くべからず。またこれに次ぎて副詞はたるみを生じ、動詞もまたたるみやすし。但し副詞、動詞などはその使ひやうによるべし。今たるみたる句の例を挙げんに
ものたらぬ月や枯野を照るばかり 蒼
といふ句の中に必要なるものは月と枯野との二語あるのみ。「月や枯野を照るばかり」といへば「ものたらぬ」の意は自らその中に含まれ、「ものたらぬ月の枯野」といへば「照るばかり」の意は自らその中に含まれたり。否、両方ともに実は無用の語のみ。この句の意は単に「月の枯野」とかまたは「枯野の月」とかいふばかりにて十分なりとす。同じ事を幾やうにもくり返さねばその意の現はれぬ如き心地するは、初学者及び局外者の浅薄なる考より来るなり。今この句の外に枯野の月を詠ずる者を挙げんに
月も今土より出づる枯野かな 雨什
松明は月の所に枯野かな 大甲
昼中に月吹き出して枯野かな 金塢
三句おのおの巧拙ありといへども、蒼
の句に比すれば皆数等の上にあり。けだしこれらは「ものたらぬ」とも「照るばかり」ともいはでその意を言外に含むのみならず、かへつてそれより外の趣向を取り交ぜて一句を面白くしたるなり。ただ枯野の月とばかりにては単純に過ぎて俳句になりがたきがためなり。しかし単純に枯野の月を詠じたる句もなきにはあらず。
三日月の本情見する枯野かな 甘棠
といへるが如きこれなり。この句固(もと)より幼(よう)穉(ち)なりといへども、しかも三日月を捻(ねん)出(しゅつ)しかつ一気呵(かせ)成(い)にものしたる処、遥(はる)かに蒼
の上にあり。しかして記憶せよ、雨(うじ)什(ゅう)以下三人は皆天明以前の人にして、甘棠は元禄の人なることを。ここに至り彼蒼
が天保流の元祖にして当時の名家なるを思はば、誰かその面に唾するを欲せざらんや。しかも蒼
の句中たまたまこの悪句あるに非ず、彼が全集は尽(ことごと)くこの種の塵(じん)芥(かい)を以て埋めらるる者なり。しかしてこの派を称して芭蕉の正(しょ)風(うふう)なりといふに至りては真に芭蕉の罪人なり。
一、たるみにも程度あり。もし前の如き議論を極論すれば名詞ばかり並べたる句が一番の名句となるわけなり。しかしたるみも或(ある)程度まではたるみたるも善し。ただその程度は一々実際に就いていふより外はあらじ。またたるみ様にも全体たるみたると一部分たるみたるとあり。全体たるみたるは最(さい)美(び)かもしくは最不美なり。大方はしまりたるが如くにて一部分たるみたるは必ず悪し。
一、句調の最もしまりたるは安永、天明の頃なりとす。故に同時代の句は概(おおむ)ね善し。元禄の句はこれに比すればややたるみたり。しかれどもたるみ様全体にたるみてしかもその程らひ善ければ、元禄の佳句に至りては天明の及ぶ所にあらず。つまり元禄の佳句には蘊(うん)蓄(ちく)多く、天明には少し。天保以後は総たるみにて一句の採るべきなし。和歌は﹃万葉﹄はたるみてもたるみ方(かた)善し。﹃古今集﹄はたるみて悪し。﹃新古今﹄はややしまりたり。足(あし)利(かが)時代は総たるみにて俳句の天保時代と相似たり。漢詩にては漢(かん)魏(ぎ)六(りく)朝(ちょう)は万葉時代と同じくたるみても善し。唐時代はたるみも少くまたたるみても悪しからず。俳句の元禄時代に似たり、宋時代は総たるみといふて可ならんか。明(みん)清(しん)に至り大(おおい)にしまりたる傾きあり。俳句の安永、天明に似たり。︵しかれども人によりてたるみたるも少からず︶
一、試みに句のたるみし有様を比較せんがために、元禄と天明と天保との三句を列挙すべし。
立ち並ぶ木も古びたり梅の花
舎羅
二もとの梅に遅速を愛すかな 蕪村
すくなきは
庵の常なり梅の花 蒼
句の巧拙は姑(しばら)く論ぜず、その句調の上についていはんに、元禄︵舎羅︶の句はありのままのけしきを飾らずたくまず裸にて押し出したる気味あり。天明︵蕪村︶の句はとかくにゆるみがちなるものを少しもゆるめじとて締めつけ締めつけて一分も動かさじと締めつけたらんが如し。天保︵蒼
︶の句はゆるみがちなるものをなほゆるめたらん心持あり。要するに元禄は自然なる処において取るべく、天明は工夫を費す処において取るべし。独り天保に至りては元禄を
したるつもりにて元禄にも何にもならぬ者、即ち工夫を凝(こ)らさぬふりしてその実工夫を凝らしたる者、何の取(とり)所(どころ)もなきことなり。少くともこの三体における句法の変化を精細に知らざれば俳句の堂に上りたりといふを得ず。世上往々天保流の句を評して蕪村調などと評する者あり。笑ふに堪へたり。
一、元禄と天明とは各長所あり、いづれに従ふも善し。また元禄にして天明に似、天明にして元禄に似たる者も多し。これ天工人工その極処に至りて相一致する所以なり。
一、佐(さと)藤(うい)一(っさ)斎(い)にかありけん、聖人は赤(あか)合(がっ)羽(ぱ)の如し、胸に一つのしまりだにあれば全体はただふわふわとしながら終(つい)に体を離れずと申せしとか。元禄調のしまり具合は先づこんなものなるべし。天明調はどこまでも引しめて五分(ぶ)もすかぬやうに折目正しく着(きも)物(の)着たらんが如く、天保調はのろまが袴(はかま)を横に穿(うが)ちて祭礼の銭(ぜに)集めに廻るが如し。また建築に譬(い)はば元禄は丸木の柱萱(かや)の屋根に庭木は有り合せの松にても杉にてもそのままにしたらんが如く、天明は柱を四角に鑽(き)り床(とこ)違(ちが)へ棚(だな)を附け、欄間の飾りより天井板まで美を尽してしかも俗ならぬやうに、家は楔(くさび)を打ちて動かぬやうに建てたらんが如く、天保は床(とこ)脇(わき)の柱だけ丸木を用ゐ、無理に丸窓一つを穿(うが)ち手(ちょ)水(うず)鉢(ばち)の腕(うで)木(ぎ)も自然木を用ゐ、門(もん)
の扁(へん)額(がく)は必ず腐木を用ゐ、しかして家の内は小細工したる机硯(すずり)土(どび)瓶(ん)茶(ちゃ)碗(わん)抔(など)の俗野なる者を用ゐたらんが如し。またこれを談話にたとはば元禄の人は面白くてもつまらなくても真実をありのままに話し、天明の人は上手に面白く嘘をつき、天保の人はありうちのつまらぬ話を真実らしく話してその実はそれも嘘なりけんが如し。
一、四季の感情は少しく天然に目を注ぐ人のほぼ同様に感じをる所なり。しかれども俳句詩歌等に深き人は四季の風(ふぜ)情(い)も自然に精密に発達しをるは論を俟(ま)たず。面白くも感ぜざる山(さん)川(せん)草(そう)木(もく)を材料として幾千俳句をものしたりとて俳句になり得べくもあらず。山川草木の美を感じてしかして後始めて山川草木を詠ずべし。美を感ずること深ければ句もまた随(したが)つて美なるべし。山川草木を識ること深ければ時間における山川草木の変化、即ち四時の感を起すこと深かるべし。初学の人山川草木を目のさきにちよつと浮べたるのみにて已に句を為す、故にその句は平凡に非ざれば疎(そご)豪(う)なり。さるからに天然を研究して深き者が深思熟慮したる句を示すとも、初学の人は一向にその句の美を感ぜざるべし。けだし彼は天然の上にかかる美の分子あることを知らざればなり。
一、世人曰く、俳人京に行かんには春を可とす、奈良に行かんには秋を可とす、しかして後始めて名句を得べしと。その言真(しん)に然(しか)り。しかれども秋時京に行きたりとも、春時奈良に行きたりとも、全くその趣味欠くに非ず。否、京も秋ならざるべからざる所あり、奈良も春ならざるべからざる所あり。その他夏または冬ならざるべからざる所あり。しかして夏冬二時の感は世人全くこれを知らざるなり。例へば奈良一箇(かし)処(ょ)につきていはんに、春(かす)日(が)社、廻廊の燈籠、若草山、南大門、興福寺、衣(きぬ)掛(かけ)柳(やなぎ)、二月堂等は最も春に適し、三笠山のつづき、または春日社内より手(たむ)向(けや)山(ま)近辺の木(こだ)立(ち)、または木立の間に神社の見ゆる処等、総て奥深く茂りたる処は最も夏に適し、古都の感、古仏の感、七大寺の零落したる処、町の淋(さび)しき処、鹿の声等最も秋に適し、秋に適する処は皆冬にも適し、しかも冬は秋に比してなほ油のぬけたる処あり。古人の奈良四季の句を挙ぐれば
奈良阪や畑打つ山の八重桜 旦藁
蚊帳を出て奈良を立ち行く若葉かな 蕪村
菊の香や奈良には古き仏たち 芭蕉
奈良七夜ふるや時雨の七大寺 樗堂
の如し。これを概言すれば春は美しく面白く、夏は大きく清らかに、秋は古びてもの淋しく、冬はさびてからびたる感あり。
一、俳句四季の題目の中に人事に属し、しかも普く世人に知られざるものには季の感甚だ薄きを常とす。例へば筑摩の鍋祭の如き、夏季に属すといへどもこれを詠ずる人、またその句を読む人多くは夏の感を有せず。いはんやその四月なるか五月なるかの差違に至りては殆んどこれを知らず、故にこの題を詠ずる者は甚だ苦吟し、はた古来これを詠じたる句も無味淡泊を免れず。これ時候の聯想なきがためなり。
君が代や筑摩祭も鍋一つ 越人
は筑摩祭の唯一の句として伝へられたる者、一誦するの価値ありといへども、その趣味は毫も時候の感と関係せず。むしろ雑の句を読むの感あり。しかれどもこれ吾人が筑摩祭を知らざるの罪のみ。吾人をしてもしこの祭を見聞するに慣れしめば何ぞ季の感を起さざらん。季の感已に起らば何ぞ名句を得るに苦まんや。その他大師講の如き、吾人はその冬季たるの感最薄しといへども、身天台の寺にありて親しくこれを見し者は必ずや冬季における幾多の聯想を起すべきなり。これを要するに我見聞すること少き人事を詠ずるは、雑の句を詠ずると同様の感ありて無味を免れざるなり。
一、蛙といへる題目は和歌以来春季に属すといへども、吾人はとかくに春季の感を起さず。かへつて夏季の感を起す傾きあり。春季と定むることこれ恐らくは吾人普通の感情に逆らひしものにあらざるを得んや。殊に
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
の句に至りては殆んど春季の感なし。さりとて夏季の感をも起さず。この句はただこれ雑の句と同一の感あるのみ。
一、第一期は何(なん)人(ぴと)にても修し得べく、第二期はやや専門に属す。是(ここ)を以て天才ある者は殆んど第一期を通過せずして初めより第二期に入ることあり。しかれども第二期は幾多の修業学問を要するを以て、最(もは)早(や)天才ある者もなき者も遅々として順序を追ひ階級を踏(ふ)まざるべからず。この点に至りては天才ある者かへつてなき者に劣ることあり。けだし天才は常に誇揚自負のため漸次抹(まっ)殺(さつ)せらるる者なればなり。
一、古俳書を読むには歴史的、個人的の研究を要す。甲派亡びて乙派興り、丙流衰へて丁流隆(さかん)なるの順序と、その各派の相違と変遷の原因とは歴史的研究の主なる者なり。各俳人の特色とその創開せし流派と模古せし程度と師弟の関係とは個人的研究の主なる者なり。同時代に数派の流行せし事を知らずして、無理に各派一系の伝統を立てんとする者は歴史研究家の弊なり。同時に同様の流行ありしこと、即ち時代一般の特色ありしことを知らずして、その特色を一俳人の専有に帰せんとする者は個人研究家の弊なり。あるいは俳諧を研究する者和歌、漢詩、西詩を知らず、たまたま某歌詩人の家集を読んで曰く、この人某俳人に似たりと。しかして彼は和歌、漢詩、西詩の特色を以てこの一人に帰せしが如きことなきにあらず。文学者は学問なかるべからざるなり。
一、俳句をものするには空想に倚(よ)ると写実に倚るとの二種あり。初学の人概(おおむ)ね空想に倚るを常とす。空想尽(つ)くる時は写実に倚らざるべからず。写実には人事と天然とあり、偶然と故(こ)為(い)とあり。人事の写実は難(かた)く天然の写実は易(やす)し。偶然の写実は材料少く、故為の写実は材料多し。故に写実の目的を以て天然の風光を探ること最も俳句に適せり。数十日の行(あん)脚(ぎゃ)を為し得べくんば太(はなは)だ可なり。公務あるものは土曜日曜をかけて田舎廻りを為すも可なり。半日の間(かん)を偸(ぬす)みて郊外に散歩するも可なり。已(や)むなくんば晩(ばん)餐(さん)後の運動に上野、墨(ぼく)堤(てい)を逍(しょ)遥(うよう)するも豈(あに)二、三の佳句を得るに難からんや。花(かし)晨(ん)可なり、月(げっ)夕(せき)可なり、午(ごえ)烟(ん)可なり、夜(や)雨(う)可なり、いづれの時か俳句ならざらん。山(さん)寺(じ)可なり、漁村可なり、広野可なり、谿(けい)流(りゅう)可なり、いづれの処か俳句ならざらん。
一、写実の目的を以て旅行するとも汽車ならば何の役にも立つまじ。ただ心を静め気の散らぬやうに歩む方最も宜し。靴(くつ)下(げ)駄(た)よりも草(わら)鞋(じ)の方可なり。洋服蝙(こう)蝠(もり)傘(がさ)よりも菅(すげ)笠(がさ)脚(きゃ)袢(はん)の方宜し。連(つれ)なき一人旅殊(こと)に善し。されど行(ゆく)手(て)を急ぎ路程を貪(むさぼ)り体力の尽くるまで歩むはかへつて俳句を得(えが)難(た)し。たまたま知らぬ地に踏(ふ)み迷ひ足を引きずりてやうやうに夜山を越え山下に宿を乞ひたるなどはこの限(かぎり)にあらず。
一、普通に旅行する時は名(めい)勝(しょう)旧跡を探るを常とす。名勝旧跡必ずしも美術的の風光ならずといへども、しかも歴史的の聯想あるがために俳句をものするには最も宜し。しかし名勝旧跡の外(ほか)にして普通尋常の景色に無数の美を含みをる事を忘るべからず。名勝旧跡はその数少く、人多くこれを識るが故に陳腐なりやすし。普通尋常の場処は無数にして変化も多くかつ陳腐ならず、故に名勝旧跡を目的地として途(みち)々(みち)天然の美を探るべし。鳥声草花我を迎ふるが如く、雲影月色我を慰むるが如く感ずべし。
一、芭蕉は自白して我に富士、吉野の句なしといふ、真なり。しかして彼また松島においても一句を得ざりしなり。世の文(ぶん)人(じん)墨(ぼっ)客(かく)多くこれらの地に到り佳句を得ざるを嘆ずる者比(ひ)々(ひ)これなり。これけだし美術文学を解せざるの致す所か。富士山の形は一般の場合において美術的ならず。ただその日本第一の高山たると、種々の詩(しい)歌(か)伝説とはこれをして能(よ)く神聖ならしめたるも、その神聖なる点は種々に言ひ尽して今は已に陳腐に属したり。吉野、松島の如きはその占有する所の空間広くして一見なほ幾多の時間を費(ついや)す者、これ天然の美ありとするも美術的ならざるなり。︵即ち美術に為し得べからざるなり︶たとひ美術的なるも俳句には適せざるなり。ただこの光景を破(はさ)砕(い)して幾多の俳句と為さば為し得べきも、一部の光景はその地全体の特色を帯びざるが故に、世人は承知せざるなり。しかして芭蕉の如きもなほ不可能的の景色を取(とっ)て俳句と為さんと務(つと)むるに似たり。豈(あに)無理なる注文ならずや。いはんや松島の如きは甚(はなは)だ天然の美において欠くる所多きをや。世人は奇を以て美となす、故に松島の奇景を以て日本第一の美となす。誤れるの甚しきなり。古来松島の名詩歌なくまたその名画なき固(もと)よりその処なり。もし松島の詩歌俳句等にして秀俊なる者あらば、そは必ず松島の真景に非ざるなり。︵吉野は我これを知らず、故に茲(ここ)に論ぜず︶
一、今試みに山林郊野を散歩してその材料を得んか。先づ木立深き処に枯木常(とき)磐(わ)木を吹き鳴す木(こが)枯(らし)の風、とろとろ阪の曲り曲りに吹き溜(た)められし落葉のまたはらはらと動きたる、岡の辺(べ)の田(たん)圃(ぼ)に続く処、斜(なな)めに冬木立の連(つら)なりてその上に鳥居ばかりの少しく見えたる、冬田の水はかれがれに錆(さ)びて刈(かり)株(かぶ)に
穂(ひつじぼ)を見せたる、田の中の小道を行けば冬の溝川水少く草は大方に枯れ尽したる中に蓼(たで)ばかりの赤(あこ)う残りたる、とある処に古池の蓮(はちす)枯れて雁(がん)鴨(かも)の蘆(あし)間(ま)がくれに噪(さわ)ぎたる、空は小春日(びよ)和(り)の晴れて高く鳶(とび)の舞ひ静まりし彼(かな)方(た)には五重の塔聳(そび)えてその傍(かたわら)に富士の白く小さく見えたる、やがて日暮るるほどにはらはらと時雨のふり来る音に怪(あやし)みて木(こ)の間(ま)を見ればただ物(もの)凄(すご)く出でたる十日ごろの片われ月、覚えず身振ひして誰も美はここなりと合(がて)点(ん)すべし。寒さもまさり来るに急ぎ家に帰れば崩(くず)れかかりたる火桶もなつかしく、風(ふろ)呂(ふ)吹(き)に納(なっ)豆(とう)汁(じる)の御(ごち)馳(そ)走(う)は時に取りての醍(だい)醐(ご)味(み)、風流はいづくにもあるべし。
一、空想より得たる句は最(さい)美(び)ならざれば最(さい)拙(せつ)なり。しかして最美なるは極めて稀(まれ)なり。作りし時こそ自ら最美と思へ、半年一年も過ぎて見たらんには嘔(おう)吐(と)を催すべきほどいやみなる句ぞ多き。実景を写しても最美なるはなほ得難けれど、第二流位の句は最も得やすし。かつ写実的のものは何年経て後も多少の味を存する者多し。
一、はじめのほどは空想ならでは作り得ぬを常とす。やがて実景を写さんとするにつかまへ処なき心地して何事も句にならず。度(たび)々(たび)経験の上写実も少し出来得るに至れば、写実ほど面白く作りやすきはなかるべし。空想の陳腐を悟り写実の斬新を悟るまたこの時にあり。油画師牛伴と語る事あり。牛伴曰く、画においても空想を以て競争せんには老熟の者必ず勝ち少年の者必ず負く。しかれども写生を以てせんか、少年の者の画く所の者、また老熟者を驚かすに足ると。真なるかな。
一、空想によりて俳句を得んとするには、兀(ごつ)坐(ざ)瞑(めい)目(もく)して天上の理想界を画(えが)き出すも可なり。机(きと)頭(う)手(しゅ)炉(ろ)を擁(よう)して過去の実験を想ひ起すも可なり。古俳書を繙(ひもと)きて他人の句中より新思想を得(えき)来(た)るまた可なり。数人相会して運座、競吟、探題などするも可なり。
一、課題を得て空想上より俳句を得んとする時に、その課題もし難題なれば作者は苦吟の余見るに堪へざる拙句を為すこと、老練の人といへども往々免れざる所なり。『俳諧問答』なる書に許六の自得発明弁といふ文あり。その初に題詠の心得を記したり。曰く
一、師の云、発句案ずる事諸門弟題号の中より案じいだす是なきものなり、余所より尋来ればさてさて沢山成事なりと云り、予が云、我『あら野』『猿蓑』にてこの事を見出したり、予が案じ様たとへば題を箱に入てその箱の上にあがりて箱をふまへ立ちあがつて乾坤を尋るといへり、云々
と、けだしこれ題詠の秘訣なり。
一、作者もし空想に偏すれば陳腐に堕(お)ちやすく自然を得難し。もし写実に偏すれば平凡に陥りやすく奇(きへ)闢(き)なりがたし。空想に偏する者は目前の山河郊野に無数の好題目あるを忘れて徒(いたず)らに暗中を模索するの傾向あり。写実に偏する者は古代の事物、隔地の景色に無二の新意匠あるを忘れて目前の小天地に跼(きょ)蹐(くせき)するの弊害あり。
一、空想にあらず、写実にあらず、なかば空想に属し、なかば写実に属する一種の作法あり。即ち小説、演劇、謡曲等より俳句の題目を探り来り、あるいは絵画の意匠を取り、あるいは他国の文学を翻(ほん)訳(やく)する等これなり。この手段甚だ狡(こう)獪(かい)なるを以て往々力を費さずして佳句を得ることありといへども、老熟せざる者は拙劣の句をものして失敗を取ること多し。けだし絵画、小説の長所は時に俳句の短所に属し、支那文学、欧米文学の長所は必ずしも俳句の長所ならざればなり。
一、壮大を好む者総ての物に大の字を附して無理に壮大ならしめんとするは往々徒(と)為(い)に属す。その物已に小ならば大の字を附して大ならしむべし。大牡丹、大(おお)幟(のぼり)、大船、大家等の如し。しかれどもその物已に大ならば、これに大の字を附するは能くこれをして大ならしめざるのみならず、かへつてその物に区域あるが如き感を起さしめ、かへつて小ならしむることあり。大空、大海、大山、大川、広(ひろ)野(の)等の如し。
一、滑(こっ)稽(けい)もまた文学に属す。しかれども俳句の滑稽と川(せん)柳(りゅう)の滑稽とは自(おのずか)らその程度を異にす。川柳の滑稽は人をして抱(ほう)腹(ふく)絶倒せしむるにあり。俳句の滑稽はその間に雅(が)味(み)あるを要す。故に俳句にして川柳に近きは俳句の拙なる者、もしこれを川柳とし見れば更に拙なり。川柳にして俳句に近きは川柳の拙なる者、もしこれを俳句として見れば更に拙なり。
一、狂体を好む者あり、狂体また文学に属す。しかれども意匠の狂と言語の狂と相(あい)伴(ともな)ふを要す。意匠狂して言語狂せざる者あり、狂人の時として真(ま)面(じ)目(め)なるが如し。意匠狂せずして言語狂する者あり、常人の時として狂せるまねするが如し。共に文学的ならず。
一、熟練の人にして俳句の二句目の終りにある「や」の字を嫌ふ人多し。例へば
![※(「渓のつくり+隹」、第4水準2-91-81)](../../../gaiji/2-91/2-91-81.png)
の片足づゝや
冬籠 丈草
呼び出しに来てはうかすや猫の恋 去来
紙燭して廊下過ぐるや五月雨 蕪村
家見えて春の朝寐や塩の山
嵐外
等の如し。そは一理なきにはあらず。初学の人この種の﹁や﹂を用うる時は全句にたるみを生ずる者多きが故なり。さりとてあながちにこれを嫌ふはいはれなき事なり。上に挙ぐる所の句の如き各首趣味もあり、音調も具(そな)はりて﹁や﹂の字のためにたるみを生ぜざるなり。ひたすらにたるみを嫌ふより出づるの一弊なり。鳴(めい)雪(せつ)翁曰く、二句めの﹁や﹂はとかくたるむものなれど、下(しも)の五文字名詞のみならずして動詞、形容詞などを交へたらんには多少の調和を得べし。例へば
鶯のあちこちとするや小家がち 蕪村
といふ句の如きも「がち」の語あるがために「や」の字さほどにたるまずと。この言真なり。
一、俳句に熟達する人すらなほ解しがたき古句あり。その句もし古事古語等にたよりたるものならんには、思ひよりの書籍を探るべし。しかれどもその語句は普通のものにして全首の意通じがたきは熟(つら)
思案すべし。ただこの一句を解する能はざるの恥なるのみならず、己れいまだ俳句のある部分において至らざる所あるを証する者なり。ありもせぬ意味をこしらへて句に勿(もっ)体(たい)をつけるは古(いにしえ)の註釈家の弊なり。含有する意味をもよくは探らで難解の句を放(ほう)擲(てき)するは今の学生の弊なり。
一、第二期に入る人固(もと)より普通の俳句を解するに苦まずといへども、用意の周到なる、針(しん)線(せん)の緻(ちみ)密(つ)なるものに至りてはこれを解する能はず。大家苦心の句を把(とっ)て平凡と目するに至ることあり。今古句数首を引(ひい)て俳家の用意周到なる処を指摘し、併(あわ)せて多少の評論を費すべし。
一、 禅寺の松の落葉や神(かん)無(なづ)月(き) 凡(ぼん)兆(ちょう)
この句を解する者曰(いわ)く、ただ神無月の寂(せき)寞(ばく)たる有様を現はしたるのみ。しかも禅寺の松葉と見つけたる処神(しん)韻(いん)あり、云々と。果して解(かい)者(しゃ)の言ふが如く禅寺の松葉を以て十月頃の淋しさを現はさんとならば、神無月と言はずして霜(しも)月(つき)といはんに如(し)かず。けだし霜月は神無月に比して更に静かなればなり。解者また曰く、霜月も神無月も大体同じ事なり、ただ句調の都合にて神無月と為りたるのみと。これ凡兆を知らざる者なり。元禄の大家にして神無月は霜月に動くと知りながらなほ字数の都合にて神無月と置くが如き一時の間に合せを為すべしとも覚えず。いはんや用意周到を以て勝(まさ)りたる凡兆においてをや。凡兆の俳句緊密にして一字も動かすべからざる﹃猿蓑﹄を見て知るべく、この点においてあくまで強情なることは﹃去来抄﹄にも見えたり。さればこの句に神無月と置きたる者、豈(あに)一時の間に合せならんや。凡兆深くここに考ふる所ありしや必せり。けだし十月は多くの木の葉の落つる時なれば、俳諧において落葉を十月の季とし、松の落葉の如き常(とき)磐(わ)木(ぎ)の落葉は総て夏季に属す。しかれども松の落葉の如きは四時絶えざること論を俟(ま)たず。さればこの句意は神無月の頃は到る処に木の葉落ち重なりて下(げ)駄(た)草(ぞう)履(り)にも音あるほどなるに、独(ひと)りこの禅寺は松の古葉の少しこぼれたるばかりなるぞ清らかに淋しく禅寺の本(ほ)意(い)なるべきと口ずさみたる者ならん。更に言ひ換(か)へなば、いづくも落葉だらけになりていとむさくろしきに、この禅寺は松ばかり植ゑ列(つら)ねて他の木をも交ぜねば、この落葉の頃さへ普通の落葉はなくただ松葉ばかりこぼれて禅寺めきたりとなるべし。︵この句恐らくは南(なん)禅(ぜん)寺(じ)より思ひつきたらんか︶是(ここ)においてか神無月の語は一歩も動かざるを見るべし。もし霜月としなば已に落葉の時候も過ぎたるからに、たとひ落葉せし処も吹き散らし掃(は)き除けたるかも測(はか)るべからず。さありては松の木ばかりの禅寺といふ意を現はすに足らざるなり。
一、 鐘(しょ)楼(うろう)へは懲(こ)りてはひらぬ燕(つばめ)かな 也有
也(やゆ)有(う)は狂文を以て名高し。故にその作句数千、十中の八、九は狂体もしくはしやれ滑稽に属するものなり。しかれどもこの句の如く諧(かい)謔(ぎゃく)のはなはだしきものは他に多く類を見ず。この句の精神は﹁懲(ちょう)﹂の一字にあり。しかして人の解する能はざる所またこの語にあり。故にこの句の意を探らんとならば、燕が何故に鐘楼に這(は)入(い)ることに懲(こ)りたるかを知るにあり。けだし燕は真一文字に飛ぶ者なれば、ある時何の気もなく鐘(かね)撞(つき)堂(どう)の中を目がけて飛びこみたれば思はずも釣鐘に頭を打ちつけて痛き目を見つるならん。さらば鐘楼に這入らばまたもや痛き目を見んかとて懲りて這入らぬなり。此(かく)の如き事は実際にあり得べしとも思はねど、燕の向ふ見ずに飛ぶ処より聯想し来りて也有はこの諧謔の句をものしたりとおぼし。世人あるいはこの解釈を以て牽(けん)強(きょう)に過ぎたりとし、この外に幾(いく)様(よう)の解釈を為すものあるべし。しかれどもその解釈とここに挙げたる解釈とを比較して、いづれか最も善く懲の意に適するか、いづれか最も善く燕の特性を現はすかを見よ。しかして後この解釈の牽強ならぬを知るべし。但しこの句は諧謔に過ぎて品位最(もっとも)低し。決して佳句と称すべからず。世人またこの種の諧謔のやや川柳調に近きを疑ひ、俳人にして川柳調を為すの信ずべからざるを説く者あらん。しかれども也有の全集を見る者、誰か也有の諧謔に過ぎたるを知らざらん。例へば
折られぬを合点で垂れる柳かな
鍬と足三本洗ふ田打かな
足柄の山に手を出す蕨かな
もの申の声に物着る暑さかな
片耳に片側町の虫の声
邪魔が来て門叩きけり薬喰
の如き巧拙は異なれどもその意匠の総て諧謔に傾き頓智による処尽く相似たり。以て全豹を推すべし。
一、 飛び入りの力者怪しき角力かな 蕪村
俳句に入る事深く自ら俳句を作りて幾多の秀句を為す人、なほかつこの句を捨てて平凡取るに足らずと為し、毫(ごう)も顧みず。しかしてその解釈を問へば則ち浅薄にして殆(ほと)んど月並者流の句を解するが如く然り。蕪村をしてこれを聞かしめば果して如何とか言はん。この句固(もと)より﹃蕪村集﹄中の傑作に非ず、むしろ下位にある者なり。しかれども大家の技倆は往々悪句によりて評定せらるる事あり。この句恐らくは蕪村の技倆を知るに足らんか。けだしこの一句の精神は﹁怪﹂の一字にあり。人の誤解する所またこの一字にあるなり。国語に﹁あやし﹂といふ語幾様の意味に用うるや能く究(きわ)めずといへども、昔は見苦しき賤(しず)が家(や)をあやしげなる家など言ひたるは少からず。されどそは此(こ)処(こ)に用うべきにあらず。普通にはあやしといふ語を漢字の怪の意に用う。怪とは奇怪、妖怪、怪力、神怪、鬼怪などとて総て人間わざならぬ事に用う。この一句の意味を探るに左の如し。ある処にて秋のはじめつかた毎夜村の若衆抔(など)打ち寄りて辻(つじ)角(ずも)力(う)を催すに、力自慢の誰(たれ)彼(かれ)自ら集まりてかりそめながら大関関脇を気取りて威(い)張(ば)りに威張りつつ面白き夜を篝(かが)火(りび)の側に更(ふか)しける。さるほどにある夜の事、今までは見なれぬ一人の男のつとこの角力場に来りて我も力競(くら)べんといふ。男盛りの若者ども血気にはやりて、これ位の男何ほどの事かあらんといきなりに取てかかれば無造作にぞ投げられける。次なる若者敵(かたき)討(う)たんと組みつけばこれも物の見事にぞ投げられける。その外幾人となく取てかかる者この有様なれば、終(つい)には大関某(なにがし)自ら大勢の恥(ちじ)辱(ょく)を雪(そそ)がんとのさりのさりと歩み出づ。皆々この勝負こそはと片(かた)唾(ず)を呑んで眺(なが)めをれば、二人は立ち上りエイと組みオオと引き左をさし右をはづし眸(ひとみ)を凝(こ)らして睨(にら)み合ひたるその途端に如(いか)何(が)したりけん、彼(かの)男のつと寄るよと見えしままにさすがの大関も難なく土俵の真中へ叩(たた)きつけられぬ。見物はあつけに取られたり。やがてさまざまの評判こそ口から口へささやかれけれ。さるにても彼の飛入の男は誰ならん、この村には見(み)馴(な)れぬ顔の男なり。北村の人に聞けども北村の人も知らず、南村の人に聞けども南村の人も知らず。さりとて本場を踏(ふ)める関角力といふ風(ふう)采(さい)にもあらねば、通り掛りの武者修行といふ打(いで)扮(たち)にもあらざりけり。疑惑は疑惑に重(かさな)りぬ。私語はいよいよかしましくなりぬ。中に一人の年よりたる行(ぎょ)司(うじ)のしはぶきして小声にていふやう、皆の衆静かにせよ、彼こそはかしこの山の頂(いただき)に住めるといふ天狗様にこそはあるらめ、今(こよ)宵(い)の振舞を見るにただ人(びと)とは覚えず、思ふに我らの力わざに耽(ふけ)りていと誇りがほなるを片腹痛しとてかくは懲らしめ給ひたるものにぞあるらめといへば、皆々顔見合して襟(えり)元(もと)寒しと身振ひなどすめり。蕪村は実にこの一場の事実を取り来りて十七字の中には包含せしめたり。しかしてその骨子は怪の一字に外ならず。角力は難題なり、人事なり。この錯雑せる俗人事を表面より直言せば固より俗に堕(お)ちん。裏面より如何なる文学的人事を探り得たりとも、千両幟(のぼり)は終(つい)に俳句の材料とは為らざるなり。しかれども蕪村がこの俗境の中より多少の趣味を具するこの詩境を探り出だし、しかもそれを怪の一字に籠(こ)めたる彼の筆力に至りては、俳句三百年間誰一人その塁を摩(ま)する者かあるべき。世人またこの解釈を不当として種々に解釈を試むる者あるべし。しかれども恐らくはその解釈は怪の一字を解し得ざるべく、しからざれば一字一句金(きん)鉄(てつ)の如く緻密に泰(たい)山(ざん)の如く動かざる蕪村の筆力を知らざる者の囈(げい)語(ご)のみ。
一、言ひがたきを言ふは老練の上の事なれど、そは多く俗事物を詠じてなるべく雅ならしむる者のみ。その事物如何に雅致ある者なりとも、十七字に余りぬべきほどの多量の意匠を十七字の中につづめんことは殆んど為し得べからざる者なれば、古来の俳人も皆これを試みざりしに似たり。しかれども一、二この種の句なくして可ならんや。池西言水は実にその作者なり。
一、ここに一の意匠あり、その意匠は極めて古き代の事を当時自身がその事に当りしことの如くに詠ずるなり。昔は老年になりてものの役に立たぬ人を無残にも山(さん)谷(こく)に捨てし地方もありきとぞ。信州の姨(おば)捨(すて)山(やま)はその遺跡となん聞えし。その頃の事にして時は冬の夜の寒く晴れわたり満天糠(ぬか)星(ぼし)のこぼれんばかりに輝(かがや)ける中を、今より姨捨てに行かなんとて湯(たん)婆(ぽ)を暖めよと命ずるなり。これだけの趣向がいかで十七字にはつづまるべきと誰しも思はんを、さても詠みたりや。
姨捨てん湯婆に※[#「酉+間」、U+288C9、84-1]せ星月夜 言水
情景写し出だして少しも窮する所を見ず。真にこれ破(はて)天(んこ)荒(う)と謂(いい)つべし。︵但しこの句につきては我いまだ全く解せざる処あり。湯婆に※﹇#﹁酉+間﹂、U+288C9、84-3﹈せとは果して何のためにするにや。ただ寒き故に自ら手足を暖めんとにや、または他に意味あるにや。大方の教(おしえ)を俟(ま)つ︶
一、これらの句は言水においても他に多くの例を見ず。
黒塚や局女のわく火鉢 言水
の一句、僅(わず)かに前の湯婆の句と種類を同じうするのみ。この句の意は黒塚の鬼女が局女を捕へてその肉か子ごもりを截(き)り取り、これを火鉢の上にて炙(あぶ)りなどしをる処なるべし。前の句も冬季としたるために凄(すご)みを添へこの句もまた冬季なるを以て一(ひと)きは恐ろしき心地す。
一、 身の内の道を覚ゆる清水かな 麦(ばく)翅(し)
もとより品高き句にはあらぬを、能くもかかる事まで俳句にはしたるよと思はしむる処、作者のはたらきなり。句意は三(さん)伏(ぷく)の暑き天気にかわきたる咽(のど)元(もと)を濡(うるお)さんと冷たき水を飲めば、その水が食道を通過する際も胸中ひややかに感ずる所を詠みたるなり。
人之性善
一、 折つて後もらふ声あり垣の梅 沾徳
といふ句は意匠卑俗にして取るに足らずといへども、中七字のはたらきは俳句修学者の注意せざるべからざる所なり。余所の垣根の梅を折つて今や帰らんとする時、貰ひますよと一言の捨言葉を残したるを「もらふ声あり」と手短かに言ひたる、さすがに老熟と見えたり。但しこの句の価値をいはば一文にもあたらず。
一、 絶頂の城たのもしき若葉かな 蕪村
句意は聞えたるまでなり。あるいは絶頂といふ漢語あるを見て窮策に出でたりといひ、あるいはことさらに奇を好みたりといふ者あらん。しかれども蕪村は奇を好まず、また窮策をも取らざるなり。特にここにいただきとはいはずして絶頂といひし所以の者は、﹁ぜつちやう﹂といふ語調の強きがために山いよいよ嶮(けん)なるを覚え、随つてたのもしきといふ意ますます力を得て全句活動すべし。また若葉の候と定めたるも、初夏草木の青々茂りて半ば城(じょ)楼(うろう)を埋めたる処は最も城の堅固なるを感ずべし。もし冬季を以て城楼に結ばば空城古城の感を増すを以て、﹁たのもしき﹂といふ語は不適当となるべし。
一、学生俳句に多くの漢語を用ゐて自ら得たりと為すも、佶屈に過ぎて趣味を損ずる者多し。漢語を用うるは左の場合に限るべし。
漢語ならでは言ひ得ざる場合
漢土の成語を用うる場合
漢語を用うれば調子よくなる場合
一、現時の新事物は俳句に用ゐて可なり。但し新事物には俗野なる者多ければ選択に注意せざるべからず。
一、修学は第三期を以て終る。
一、第二期にある者已に俳家の列に入るべし。名を一世に挙ぐるが如きまた難きにあらず。第三期は俳諧の大家たらんと欲する者のみこれに入ることを得べし。一世の名誉に区々たる者の如きは終にこの期に入るを許さざるなり。
一、第三期は卒業の期なし。入る事浅ければ百年の大家たるべく、入る事深ければ万世の大家たるべし。
一、第二期は天稟の文才ある者能く業余を以てこれを為すべし。第三期は文学専門の人に非ざれば入ること能はず。
一、第二期は浅学なる者、懶(らん)惰(だ)なる者、なほ能くこれを修むべし。第三期は励(れい)精(せい)なる者、篤学なる者に非れば入る能はず。
一、第二期は知らず知らずの間に入りをることあり。第三期は自ら入らんと決心する者に非れば入るべからず。
一、文学専門の人といへども自ら誇り他を侮り研究琢磨の意なき者は第二期を出づる能はず。
一、一読を値する俳書は得るに随つて一読すべし。読み去るに際してその書の長所と短所とを見るを要す。
一、俳句につきて陳腐と新奇とを知るは最も必要なり。陳腐と新奇とを判ずるは修学の程度によりてその範囲を異にす。俳句を見る事いよいよ多ければその陳腐を感ずること随つて多かるべし。第二期にある者初学の俳句を見ればただその陳腐なるを見る。第三期にありて第二期を見る、また此(かく)の如きのみ。しかして能く新陳両者の区別を知るには多く俳書を読むに如(し)かず。
一、業余を以て俳句を修する者、自己の句と古句と暗合するあるも妨げず。ただ第三期にある者は暗合を以てその陳腐を抹殺し得べきに非ず。たまたま以て自己の浅学を証するのみ。
一、空想よりする者、写実よりする者、共に熟練せざるべからず。非文学的なる者をしてなるべく文学的ならしむるの技倆も具備せざるべからず。
一、空想と写実を合同して一種非空非実の大文学を製出せざるべからず。空想に偏僻し写実に拘泥する者は固よりその至る者に非るなり。
一、俳句の諸体に通ぜざるべからず、自己の特色なかるべからず。
一、俳書を読むを以て満足せば古人の糟粕を嘗むるに過ぎざるべし。古句以外に新材料を探討せざるべからず。新材料を得べき歴史地理書等これを読むべし。もし能ふべくんば満天下を周遊して新材料を造化より直接に取り来れ。
一、俳句以外の文学にも大体通(つう)暁(ぎょう)せざるべからず。第一和歌、第二和文、第三小説、謡曲、演劇類、第四支那文学、第五欧米文学等なるべし。
一、文学を作為するは専門家に非れば能はず。和歌を能くして俳句を能くせず、国文を能くして漢文を能くせざるが如き、強ち咎むべきに非ず。しかれども文学の標準は各体において各地において相異あるべからず。故に和歌の標準を知りて俳句の標準を知らずといふ者は和歌の標準をも知らざる者なり。俳句の標準を知りて小説の標準を知らずといふ者は俳句の標準をも知らざる者なり。標準は文学全般に通じて同一なるを要するは論を俟たず。
一、文学に通暁せざるべからざるのみならず、美術一般に通暁せざるべからず。文学の標準は絵画にも適用すべく、彫刻にも適用すべく、建築にも適用すべく、音楽にも適用すべし。
一、俳句の標準を得る者、和歌を解釈し得ざればその美不美を断ずべからず。漢詩欧詩を解釈し得ざればその美不美を断ずべからず。絵画、彫刻、建築、音楽を解釈し得ざればその美不美を断ずべからず。故に俳人は深く入ると共に博く通ぜざるべからず。
一、文学に通暁し美術に通暁す、いまだ以て足れりとすべからず。天下万般の学に通じ事に暁(さと)らざるべからず。しかれども一生の間に自ら実験し得べき事物は極めて少数なり。故に多く学び博く識(し)らんと欲せば書籍によるを最(もっとも)良(よ)しとす。歴史は材料を与ふべし、地理書は材料を与ふべし。その他雑書皆多少の好材料を与へざるはなし。
一、極美の文学を作りていまだ足れりとすべからず、極美の文学を作るますます多からんことを欲す。
一、一俳句のみ力を用うること此の如くならば則ち俳句あり、俳句あり則ち日本文学あり。
一、易(えき)、源(げん)氏(じ)、七十二候などその外種々の名称あれども多くは空名に過ぎず。実際に行はるる者は歌(かせ)仙(ん)を最も多しとし、百(ひゃ)韻(くいん)これに次ぐ。
一、歌仙は三十六句を以て成り、百韻は百句を以て成る。長句、短句にかかはらずこれを一句といふ。発(ほっ)句(く)と最後の一句を除きて外は各句両用なるを以て、歌仙には三十五首の歌︵則ち長句短句合したる者︶あり、百韻には九十九首の歌あるわけなり。
一、歌仙は長に過ぎず、短に過ぎず、変化度に適せり。故に芭蕉以後は歌仙最も多く行はれたり。初学の人連句を学ぶ、また歌仙よりすべし。
一、連句は変化を貴ぶ故にその打(うち)越(こし)︵一句置いて前の句︶に似るを嫌ふ。即ち第三の句は第二句に附くこと言ふまでもなく、しかして第一句とはなるべく懸隔せるを要す。けだし第一句、第三句共に第二句に附く故に両句動(やや)もすれば同一の趣向となり、あるいは正反対の趣向︵黒と白、男と女、戦争と平和等の如し︶となるを免れず。同一の趣向の変化せざるは勿論にして、正反対の趣向もまた変化せざるものなり。
一、二句去り、三句去りなどといふことあり。何句去りとは何句の間その物を詠みこむを禁ずといふことなり。例へば竹は木に二句去りなりといへば、木を詠み込し句より後二句の中には竹を詠まれぬが如し。これらの法則は余りうるさきやうなれども、つまり法則的に変化せしめんとの意より出でたる者にして、愚人に連歌、連句を教へんがためなり。いやしくも変化の本意を知る者はかかる人為の法則に拘泥するに及ばず。ただ我が思ふままに馳(ち)駆(く)して可なり。試みに芭蕉一派の連句を披(ひら)き見よ。その古格を破りて縦横に思想を吐き散らせし処常にその妙を見(あら)はすを。
一、古来定め来りし去り嫌ひはやや寛に過ぐるを憂ふ。二句去り、三句去りといふもの多くは五句も六句も去らざれば変化少かるべし。
一、歌仙は分ちて表六句、裏十二句、名(なご)残(り)の表十二句、名残の裏六句となす。
一、月(つき)花(はな)の定座なる者あり。そは月と花とを詠みこまざるべからざる句をいふ。即ち月の定座は表の第五句、裏の第七句、名残の表の第十一句とし、花の定座は裏の第十一句、名残の裏の第五句とす。但しこの句と固定せるにはあらず、時に応じて種々に動くべし。
一、表六句︵百韻は八句︶には神(しん)祇(ぎ)、釈教、恋、無常、述懐、人名、地名、疾(しっ)病(ぺい)等を禁ず。窮屈なるやうなれども一理なきにあらず、従ふべし。元来歌仙全体を一つの物と見る時は、表は詩の起句の如し、故に此(こ)処(こ)はなるべくすらりとして苦のなきやうに致し、以て後段に変化の地を残し置くなり。二の表は更に変化を要する所なりとぞ。
一、脇︵第二句︶には字(じど)止(め)といふ定めあり、字止は名詞止なり。第三には﹁て止﹂といふ定めあり。これらあながち固守すべきにもあらねど、また一理なきにもあらず。初学は古法に従ふべし。
一、春秋二季は三句乃至五句続き、夏冬二季は一句乃至三句続くを定めとす。時の宜しきに従ふべし。
一、月といふ者必ずしも秋月なるを要せず。殊に裏の月は秋月ならぬ方かへつて宜しからん。
一、花といふ者必ず桜花なるを要せず、梅、桃、李(すもも)、杏(あんず)固より可なり。他季の花を用うるまた可なり。花と言はずして桜といふ固より可なり。各人の適宜に任すべし。
一、恋を一句にて棄てずといふ定めあり、従ふに及ばず。
一、百韻は初(しょ)折(おり)表(おもて)八句裏十四句、二の折表十四句裏十四句、三の折表十四句裏十四句、四の折表十四句裏八句なり。
一、百韻の月の定座は表の終(おわり)より二句目、裏︵名残の裏を除く︶の九句目なり。花は裏の終より二句目なり。百韻にては殊に月花の定座に拘泥すべからず。
一、百韻は長き故にともすれば同一の趣向に陥りやすし。全体の変化に注意すること最も肝(かん)心(じん)なり。一句々々の附(つけ)具(ぐあ)合(い)も歌仙に比すれば親(しん)句(く)︵ぴつたりと附きたる句︶多かるべし。しからざれば窮屈なる百韻となりをはらん。
一、規則、附様等一々に説明しがたし。古書について見るべし。
一、俳諧連歌における各句の接続は多く不(ふそ)即(く)不(ふ)離(り)の間にあり、密(みっ)着(ちゃく)せる句多くは佳(か)ならず、一見無関係なるが如き句必ずしも悪(あ)しからず。切なる関係なしとは見えながらまた前句と連続せざるにもあらざる処に多くの妙味を存するなり。初学のために一例を挙げて解釈すべし。
一、左に録する俳諧連歌は十八句より成り、召(しょ)波(うは)十三回の追悼会に催せし者と知らる。脇(わき)起(おこし)とはその座にをらぬ人の俳句を竪(たて)句(く)︵第一句︶として作る者にて、追善の場合に亡き人の句を竪句とすること普通の例なり。これまたしかなり。
一、 冬ごもり五(ごし)車(ゃ)の反(ほう)古(ご)のあるじかな 召波
五車の書といふ支那の故事を転じて反古となし、反古の多きことを言へる者にして、冬ごもりの書斎狼(ろう)藉(ぜき)たる様なるべし。
一、 ひとり寒(かん)夜(や)に
うつ月 維(これ)駒(こま)
維駒は召波の子なれば脇を着けたるなり。発句冬季なればこの句も冬季にて受けたり。
は缶の意にて﹁ほとぎ﹂と読ましむる者か。缶(ほとぎ)は瓦器にして酒を盛る者なるを、秦(しん)人はこれを撃て楽器となすとかや。五車の書といふこと支那の故事を引きたれば、脇もまた缶(ほとぎ)といふ支那の楽器を引用したるなり。但しここは支那の楽器を持出して撃つといふにはあらず、有り合せの瓶などを叩きたることをいへるなり。前句との附様は冬籠りの中にある月あかき夜、酒うち飲みて酔ひたるままに瓶など打ち叩きたるといふ趣向なり。
郊外何焚やらん煙して 鉄僧
初(しょ)五文字何と読むやらん、﹁かうぐわい﹂と四音に読むにや、または﹁郊外に﹂とあるべきを字の脱(ぬ)けたるにや、あるいは外(ほか)に読みやうあるべきか知らず。前句との附様は前の缶(ほとぎ)打つ月といへるを町はづれなどの侘(わび)住(ずま)居(い)と見たる故に郊外の景色を見るがままに述べたるならん。この句雑の句なり。冬季は二句続くが普通の例なり。
流れの末の水は二筋 臥央
これはただ前句を受けて郊外の景色を更に述べ添へたるまでなり。
枝伐て一のまぶしを定むらし 蕪村
まぶしとは猟師が木の枝などを地に刺し、その陰に隠れて鉄砲を放つものなりとぞ。一のまぶしとはまぶしいくつもあるうちに第一に射撃すべき処をいふにやあらん。この附様は前句の「流れの末の水は二筋」といふを山中の谷川の景色と見て、さて箇様に獣猟の様をばいひて郊外の景色を転じたるなり。この句普通には月の定座なれども、脇に月を置きたる故にここには置かれぬ定めなり。
甥の太郎が先づ口をきく 百池
附様は前の山猟に鹿など来るやと身を隠し息を殺して待ちをる処に、甥の太郎が先づ物を言ひたるとなり。この口をきくとは何事を言ひたるや、そは定かならねども大方は鹿の来るを見つけて「来た来た」などと口走りたるならんか。
新宅の夏を住みよき柱組 也好
この句は全く趣向を転じたり。附様は新築成りてその祝ひに(祝ひならずともよし)幾人か集まりゐたる処に、甥の太郎が一番に口をききたりといふことにしたるなり。
水打ちそゝぐ進物の鯛 春坡
この句は前の新築の祝ひに鯛を遣はしたるなり。水打ちそそぐとは鯛の腐りかけたるを防ぐなるべし。この句夏季にはあらねど水打ちそそぐといふは夏季に最も適切なり。
裂けやすき糸の乱れの古袴 正巴
これは前句祝宴なる故に、祝宴の時に古袴ひきつくろひたるさまを叙したるなり。前の腐れ鯛に対してここには古袴の破れて糸のほつれたるを附けたる作者用意の処なり。
妻を奪ひ行く夜半の暗きに 之兮
妻は「め」と読むなり。この附様は全く転じたり。さるべき恋の執心より人の妻を奪ひ行くその身なりもしどろに袴など裂けたるさまなり。前句の「糸の乱れの」といへるさま恋歌の言葉にて、如何にも主の心までも乱れたらんやうに見ゆるからに、この句は恋となしたるなり。但し袴といふによりてこの恋は門地ある人の恋と知るべし。(ここにては前句の袴を女の袴と見たるにや)
ちら/\と雪降る竹の伏見道 道立
これは前句の妻を奪ひ行く夜道のさまを述べたるものにて恋の句にはあらず。前の恋は都の位ある人のしわざと見つけて、さては伏見と置きたるなり。伏見より竹を思ひ、竹より雪を思ふ。この清麗なる雪中の竹逕を以て前の上等社会の恋に副ふ、また用意周到の処なり。
小荷駄返して馬嘶ふらん 我則
この句はただ伏見郊外の景色なり。小荷駄返してといふ意何の事にや。荷主に荷を返すことをいふか。
泣く/\も棺を出だす暮の月 自笑
前句をただ夕暮の淋しき景気と見てこの附ありたるならんか。但し田舎にては夕暮に棺を出す処多し。この句月を入れて秋季なり。
よからぬ酒に胸を病む秋 佳棠
句の表は悪き酒を飲みて胸わるくなりたりといふまでなり。されどその裏面にはさらでも人を失ひたる悲みに胸つかえたる頃を、焼け酒飲み過ぎてなほ胸苦しさよとかこちたるさまをも見せたり。前秋季なればこの句も秋季にて受けたり。
小商ひ露のいく野の旅なれや 湖柳
この句は小商人の旅にて、わろき酒など飲みて欝を晴さんとするに、なかなか胸につかえたりといふなり。いづれも秋の淋しき処より案じ出だせるなり。この句露とある故秋季なり。
燕来る日の
長閑なりけり
湖
この句はただ旅路のさまをいひたるなり。前句は秋季にてこの句は春季なり。これを「季移り」といふ。この場合には前句を春季の句と見なしてこの句を附くるなり。露は秋季なれども春にも露あること勿論なれば、春と見なしても差支なきわけなり。
反古ならぬ五車の主よ花の時 几董
反古ならぬ五車の書の主といふ事なるべきを、発句に照応して反古ならぬとは言ひたり。箇様に発句に照応せしむること定則にはあらず、便宜の沙汰なり。この句花の定座にして花あり。
春や昔の山吹の庵 田鶴
これはただ五車の主の住居を山吹など咲きたらんと見立てたるなり。「春や昔」と懐旧の意にものしたるは、これも追善の意を含ませたるなり。
一、この連句にて各句の附具合はそれぞれに味ひありて面白し。ただ一句として面白き句は
水うちそゝぐ進物の鯛
裂けやすき糸の乱れの古袴
妻を奪ひ行く夜半の暗きに
ちら/\と雪降る竹の伏見道
なく/\も棺を出だす暮の月
などなるべし。
(明治二十八年十月二十二日―十二月三十一日)