私たち婦人が﹁女らしい﹂とか﹁女らしくない﹂とかいう言葉で居心地わるい思いをしなくなるのはいつのことだろう。
日本の社会も、袂で顔をかくして笑うのを女らしさといったり、大事な返事をしなければならないときに口もきけなくて畳をむしるのが娘らしいという考えかたからは、ぬけて来た。しかし、何かにつけて思い出したように﹁女らしさ﹂が登場して来る。そして、それはいつも、何かのかたちで婦人の生活が社会的に一歩前進する事情に面したときである。例えば、婦人に参政権が与えられたとき、あちこちに改めて﹁女らしさ﹂がとりあげられた。立候補した婦人たちは保守的な男女の一票をとり逃すまいとしてどんなに﹁女はどこまでも女らしく﹂と強調しただろう。はた目に気の毒なほど強調して﹁女こそ女の苦しみがわかるのだから﹂と演説した。そして、当選して、開院式の折、またその他の場合とかく﹁女らしく﹂衣服のことまで話題にされた。女らしさを標語にした婦人代議士たちにしても、それはさぞうるさく迷惑なことであったろう。女は﹁女らしく﹂婦人代議士クラブというのをこしらえた。女らしく、お茶を立てて飲んだりしたが、政党間の利害は女らしさにも現実に作用して、こわれてしまった。そのとき新聞の批評は、どうであったろうか。﹁やっぱり女は﹂という表現が加えられた。共産党以外の諸政党における婦人代議士たちの立場は、あくまで女は女らしく、添えものとして扱われている。
こういう日本の古い、不親切な婦人への考えかた、感じかたは、一般女性の日常生活にもっと深刻に影響している。
参政権を得たり、組合が出来てから、若い娘が女らしくなくなった、或は女らしくなくなりはしないか、ということはどこでもいわれていることである。相当の見識をもっている人でも、これらの問題に何となく女らしさの気分をからめて取り上げる傾向があると思う。
自分の一票を誰に与えようと考えたとき、たしかに真面目な婦人は、演説をききに出かけずにはいられない。うちで、そういう話も出る。意見もいうようになる。それが、女らしくないというどんな根拠があるのだろう。熱中してほてらしている頬は、まがうかたない女の軟かい頬であり、声高に議論するその声は、どうしたってテノールやバスではあり得ない。女のアルトであり、若々しいソプラノであるだろう。握る拳さえ、女は女のこぶしを握るのである。本質の女らしくなさ、がどこにあるだろう。そうして、活溌に論じ、行動する女の女らしさをいじらしく、雄々しく見ることの出来ない人々が、また、逆に﹁女らしさ﹂を武器として使う。相手にいいくるめられそうになり口惜しさに涙でもこぼせば、それ、女らしい。何だヒステリーをおこして、という。ジャンヌ・ダルクがフランスのために乙女の長い髪を切り、甲冑をつけ馬にのって戦ったあと、イギリス軍に捕えられて火あぶりとなった。そのときの罪は、神の定めた女という性を、男のまねをしてけがしたという、宗教裁判であった。
今日、あらゆる面で、﹁女が女らしくない﹂といわれる動きかたをしているとすれば、それの本来の目的は何であろうか。一つ一つ、どれとして、社会人として婦人として、人間性と女性なる性の完成のためでないものはない。組合が求めている職場の婦人の要求ほど女らしい公然たる要求がどこにあるだろうか。すべての主婦、学生のために勤労婦人こそトップに立ってそれを求めている。女らしさのゆえにこそ、婦人たる性を愛し尊ぶからこそ、今日婦人は立っている。そのことを、ひとも我も、しんから自覚し、たたかいにおいてさえも婦人の天真な美しさとつよさとを発揮してゆきたいと思う。
︹一九四六年十一月︺