日記

一九三〇年(昭和五年)

宮本百合子




一月一日

 水
 モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)の正月のしじまいだ。遊びじまいをした。

一月四日

 土
 オリガ・ヤコブレナが散歩に誘う。コロス〔映画館名〕へ行ったら一寸でおくれ、ずっと四角く歩いて家へゆき、狼と羊などして遊んだ。

一月五日

 日
 酒匂さんのところへ最後に集る。極めて少数。犬伏君大いに力を入れてアホダラと謡曲をやった。主人公皆に浮き立って欲しかったらしいがそううまく行かず。

一月六日

 月
 

一月九日

 木
 
 
 

一月十日

 金
 きんさん夫妻が来た。あすこ、それから御雑煮をたべた。

一月十一日

 土
 きんさんのところへゆく。

一月十二日

 日
 
   

一月十三日

 月
 ソブレメンヌイ・ポエジー[#現代詩への夕べ]へ行った。なかなか面白い。かえりに馬車へのった。

一月十四日

 火
 芸術座でツァーリ・フィヨードル〔「フョードル皇帝」〕を見た。これはモスクビンだが、ボリスをやる男が柔いのでフィヨードル引き立たず、惜しかった。このボリスより第二のイワン・グローズヌイ〔「イワン雷帝」〕のボリスの方が効果的だった。
 Yのところへ先生が来るというので出かけて Moscow まわりをしたが待ちぼけだった。

一月十六日

 木
 オリガ・ヤーコブレブナが来て夜すっかり話した。六時すぎ先生が来るというので仕方なくべこ出かけて活動を見た。(アンチミリタリズムの)
 かえって仕事しようとして居たらオリガさんが居て実は悄気しょげた。

一月十七日

 金
 マールイ・テアトルへ、貧は罪ナラズを見にゆく。下らぬ。皆それでも泣いて居た。メデタシメデタシ。

 Y、先生。自分パッサージへ行って、クロプイ〔南京虫〕の薬かって、上靴を買った。

一月十八日

 土
 天羽さんのところへ夜よばれた。
 洗濯をとって渡して来た。こんどの支那人は、若い夫婦で心持よかった。それから一人でもやフレスチャーノヴィッチへ行って留守。手紙だけおいて来た。

一月十九日

 日
 もや一人氷すべりに行った。オリガさんと。靴がわるくてすべれず閉口した由。夜又出かけ彼女のところでおそくまで居た。自分一人不動さんの見舞に花をもって出かけた。
 自分あの病院の門をくぐるときのいやさ!

一月二十日

 月
 オリガさん妹、我々、ワフタンゴフでシルレルの翻訳を見る。ワフタンゴフはいつも気どって玩具的な舞台装置に煩わされて居る。

一月二十一日

 火
 
 
 

一月二十二日

 水
 
 

一月二十三日

 木
 
 

一月二十四日

 金
 オリガ・ヤコブレブナが来た。

一月二十五日

 土
 
 

一月二十六日

 日
 
 
 

一月二十八日

 火
 今日は一日家に居た。
 自分少し風邪ぎみだ。夜オリガさんのところへ出かけて、二時頃歩いてかえった。

一月二十九日

 水
 Y、稽古、自分歩いてポストで予約して買物して歩いて家までかえった。

一月三十日

 木
 
 

一月三十一日

 金
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 

二月一日

 土
 仕事。

二月二日

 日
 藤塚さんの送別のためにサヴォイで午食をした。たかくて、塩からくていやだった。
 オリガさんが来るというので、いそいで Taxi で馬場さんに送られてかえったら、来て居ず。

二月三日

 月
 
 使
  News 
   
 

二月四日

 火
 
 
 

二月五日

 水
 教師来た。
 今日は自分気分がわるいので、食堂に坐って居て外出せず。
 夜、馬場さんのところまでYと二人で歩いて行った。かえりは馬車。

二月六日

 木
 きのう、Yったら私に食べるなよべこちゃんと盛に云って居て、自分はうっかり食ったので工合わるがって黄色い顔して半日以上床に居た。Y、一日出ず。自分夕方散歩した。一文ももたず――故に今日は一文もつかわずか。
 下宿に払う。

二月七日

 金
 今日は教師夜来る日なり。一日仕事をしてチャーリ〔映画館の名〕へ行って、ハロルド・ロイドの大古ものを見て来た。然しやっぱり五十銭分の笑いはあった。

二月八日

 土
 
  обед 
 
 

二月九日

 日
 昨夜――ねたのは朝五時だった。故に一時頃おき、食後出かけバンク、近藤さんの奥さんの様子を見、本やドーム・ゲルツェナ〔ゲルツェンの家〕へ行ったら、作家クラブはY、〔数字分空白〕51だというのでそこへ行き、アンケートを書いて来た。寒い。牛乳なし。この頃、食糧がなかなかひっぱくして来た。

二月十日

 月
 今日はひどい寒さ。
 ○旅行記パスせず。オヤオヤ九十三枚手習いか!
 自分プレハーノフを引く仕事をさずかる。ありがたし。
 もや、おできにて閉口す。

二月十一日

 火
 もやはおできにてまるで悄気かえって居る。顔の、口のよこと左ほっぺたと二ところ。

二月十三日

 木
 今日は自分の誕生日。家じゅうの人ともやがかかっていろいろ出来るだけのことをしてくれた。夜十人ばかり集り、それでも賑やかだった。去年は病院、一昨年はホテル。今年が一番いい部だった。

二月十四日

 金
 
 
 

二月十五日

 土
 ガウズネルさんとキム夫妻がお茶に来る。
 もやのできもの大分よろしい。

二月十六日

 日
 野崎さんがレーニングラードより来たので起こされる。彼一日座ってる。
 夜、三人で出かけて〔以下空白〕

二月二十二日

 土
 南京虫にくわれたあとがかゆかったのをかいたら、はれていたくなった。(Y)

二月二十三日

 日
 朝起きがいたくてこまるよし、横になって雪でひやした。
 ――――
 もうずっとコムナール〔国営の食堂兼食料品店〕の果物のところに煙草がおいてある。そのタバコもナーシャマルカ〔わが国の商品〕、デリ、その他、モッセルプロムは時々だけ。

二月二十四日

 月
 もや一日臥床。いたがって心配してひす起して、べこは閉口した。

二月二十五日

 火
 もや今日は起床。
 ЦКВУ の診療所へ行ったがどうも大したことないらしい(つまりはっきり診断されず)
 夜、メイエルホリド見物。野崎さんに会って一緒にかえった。

二月二十六日

 水
 今日 マルタ・アンドレーヴナ
 川谷さんの細君

二月二十七日

 木
 川谷さんによばれて、出かけて鯛をたべた。

二月二十八日

 金
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) station 
 
 
 

三月一日

 土
 今日夜おせんこが来た。
 べこは油橋さんにスピルトーフカ〔アルコールランプ〕をかえしてソヴキノでニューヨークのドック、日本では何とか云った題のを見た。
 アメリカにある甘さを一寸うまくこなして機械なども出し相当よかった。技巧だな。筋より。

三月三日

 月
 おせんこ。べこは歩いて洗濯屋へ洗濯ものおいて、郵便局へよって書留を出した。
 暖かくまるで春だ。まぶしくてつかれた。

三月四日

 火
 今日野崎さんがかえると云ってやって来た。обед〔昼食〕を一緒にたべた。
 夜オリガさんのところへ行く。オリガさんドム・ウプラブレーニェ〔アパート管理部〕のセクレタリ〔書記〕(無料)で電燈計算をやって居た。一まとめに書き出す。それを各自燈数にわけて金を集めるのだ。水道では人員。

三月五日

 水
 メイエルホリドへウイストレル[#射撃]の切符を買いに出かけた。かえりにニキーツキーまで歩き、少し横っぱらの工合わるく閉口した。
 モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)の早い雪どけ。どんなに紳士的に歩いても、靴の周囲十センチメートルは危険区域をつくる。自動車は夕立のような音をたてて水をしばいて走った。

三月六日

 木
 八日の女の日[#国際婦人デー]にテクースチーリヌイ〔紡織工場〕工場とクラブを見たい。ВОКС へ行った。アルバート〔骨董品、古本屋の多い街路〕まで、Y一緒。今日ソヴキノにモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)第一回目発声映画が封切だ。もううり切れで買えず。
 やはり暖いが少し寒くなったブル※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ール〔並木道〕で女芸人がコバルトの綿入胴着で腕や肩をまる出しにし、休むとき洟をきたないハンケチでふき乍らとんぼがえり、銀貨を逆さに、体をひっくりかえして口でとる芸当その他やってる。とり肌でやってる。バイオリンとガルモシュカ〔アコーディオン〕。誰も手をたたかぬ。ピカーントヌイ〔同情をそそる〕なのだ。金を皆がやる。後の女が「アニー、ジャレーユト」〔彼等は同情している〕と云った。

三月七日

 金
 今日は朝っぱらから椅子のこわれに右の薬指をはさんでひどく血をふき出させて、その時より夜痛み、本ものの仕事出来ず。
 きのう、この室を出なければならないことになったと親爺が云って来た。第一本のしまつだ。Yタイプライターで送る分のリストをつくった。
 又寒くなった。窓から赤いプロッカート〔ポスター〕がパタパタして居るのが見える。その裏は白い。白い裏なんか変だが白くてパタパタした。

三月八日

 土
 夜天羽さんのところ。だが今日は女の日故きのう ВОКС から電話がかかったクラブ・クフミンストルヴァへ出かけた。
 ドクラード(五年計画を中心としたもの)それから ТРАМ〔労働青年劇場〕の芝居。一時頃ひどくすべる路を天羽さんのところへ出かけ、三時まで居た。ここはちっとも面白からず。今年の Женский День〔婦人デー〕は五年計画と関係して、独特の意味があった。例年のような陽気なお祝ではなく、もっと緊張して。

三月九日

 日
 起きて自分顔を洗って居たらオリガさん来。家のことを話したら、つまりここのおやじがよけいなプロシチャージ〔面積〕をとって居る為こわがって居るのだろうということ。それに外国人でよけい金をとってるから。何とかして見ようとの話。
 サボイで近藤さんに御飯。二時頃かえりねる。
 自分金曜日に椅子でつめた指痛くはないが押すと血が出る。

三月十日

 月
 
 
 
 

三月十一日

 火
 窓から公園を見たら小さい湖のようだった。寺のまわりを歩く。何遍も歩いてへばってしまった。Y本屋へゆき、やっと五時にかえって来て食事。
 ○この頃魚のカンヅメがいつも夜出る。いろんな魚だがトマト煮だ。どれもこれもトマトにたたき込んである。

三月十二日

 水
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 

三月十三日

 木
 この頃バターが食える。

三月十四日

 金
 ワフタンゴフへ ナ・クロビ[#流血]を見た。
 これは面白かった。一寸ワフタンゴフごのみのところもないではないがおもしろかった。
 ○イズヴェスチャにエフィモフが Фокусы польской дефензивы〔ポーランド保安隊のペテン〕という題で、「СССР より農民群の逃亡」という題で書いたポーランド新聞を諷して居る。
 うちの細君、サリョーヌイ・ミヤーソ〔塩漬の肉〕を買わされて来て、どんなに食えるかまだ分らぬと閉口して居る。

三月十五日

 土
 朝お堂のまわりをぐるぐるまわった。一周り一町余あるな。
 かえってから仕事。Y、新聞からいろいろコルホーズ[#集団農場]のエピソードその他話してそれを自分が書き、一寸面白かった。
 ○アホートヌイ〔アホートヌイ・リャード、現在のカール・マルクス大通り〕に又百姓がそろそろものうりに出かけて来た。政府が許すようになったのだ。細君が見て居たら、一フントのバター 5р.、テリャーチナ〔子牛肉〕の足一本十五ルーブルして居た由。

三月十六日

 日
 今日は郊外へ家を見に行こうとしたら、もう二時だのに電車は来ず、天気は思わしくないしするのでお堂のまわりを半まわりして家へ帰って来てしまった。ひどい風だ。
 Y、もう少しで仕事がすむというので元気のよいことお話しにならず。自分ももう少しだ。夜Y、オリガさんのところへ一人で出かけた。

三月十七日

 月
 今日はあっちこっちの芝居の切符買いで、昼じゅうつぶしてしまった。
 おせん来。
 夜アイーダ。二人はオペラよりキノ〔映画〕がすきということに結論した。

三月十八日

 火
 ○いつかトゥウェルフスカヤ〔街路名、現在のゴーリキー通り〕で買って食べてすっかりすきになった魚のくんせいしたのはオーブラという。元はひどい貧民の食物とされてた。

三月二十日

 木
 
 
 
  номер30

三月二十一日

 金
 今日は休みというわけ。
 自分大使館へ行ってザボールナヤ・クニーシュカ〔配給通帳〕のための証明を書いて貰う。夜油橋さんのところ。
 パッサージへ行ったが、カントーラ〔事務所〕の人別な男で、二十日までに室あるかどうか分らぬ。27日に来いと云う。

三月二十二日

 土
 本の始末。大いそがしだ。Y、タイプライターを打って、べこは小包を作って。
 夜猶太劇場。

三月二十三日

 日
 この頃、又アホートヌイに百姓がもの売りに出ることを許されて、ひどい人と云ったらお話にならず。
 コオペラティブではレモンも何もないのに、道ばたで百姓女がレモンをもってる。彼等がどこから手に入れて来るのか、それがないと供給しきれぬところ、やっぱり百姓め、なかなかどうして急所をにぎって居る。
 今日小包を五つ送り出した。秀雄さん宛。

三月二十四日

 月
 おくれかけていそいでメイエルホリドへ出かけたら、今日はどっかのザブコム〔工場委員会〕の総見だというので切符代をかえされた。二十八日に買いかえた。
 Y、桜木さんのところへゆき、サヴォイへ行って、かえって来る。自分原稿の手入れ。
 川谷さんから貰った餅を夜煮てたべる。
 Yのところへ送金したという電報秀さんより。
 ○自分雑誌の切りぬきをやってる。

三月二十五日

 火
 
           
 稿
 
 

三月二十六日

 水
 今日は目ざましがならなかったところへ教師にやって来られて、Y、まごついた揚句怒った。それで自分も怒って居るところへ、タイプライターを打ったら、どうだこうだですっかりけんかした。Y、帰れ! どこへでも行って暮せ! そんな奴と住んでる必要なんかないんだ。
 自分だってそれは同じだ、そう腹を立てた。
 夜独りでロシアの所謂ズブコボイ・フィルム〔トーキー〕を見た。ロシアではまだ下手だが、例の写真カメラのうまいところへ音を入れ、五年計画のことなんか、実に感じで打って来るものをつくって居る。これで上手になればしめたものだ。
 パッサージが駄目だと閉口故、セレクト〔ホテルの名〕へ行って三谷氏にきいたら、一日前でどの室でもよければあるとのこと。

三月二十八日

 金
 ひどい天気、泥海だ。
 おせんこ。べこはナルコムプロス〔教育人民委員部〕へ行って、家へかえってから АОМС〔モスクワ・ソビエトの行政部〕へ出かけ огонёк〔雑誌『灯』社〕へ出かけ、チェホフのあまりをとってパッサージへ室をききに出かけ、かえりに大使館へよって箱をきいた。そして家。路がきたない。つかれた。
 Yはナルコムプロスから運送やをさがしてうろつき、かえった。しかしすべて順に行ってよかった。
 メイエルホリドで新作「バーニャ[#風呂]」を見た。

四月四日

 金
 柏木さんのところへ出かけ御飯をたべた。

四月五日

 土
 МОТОТ へもや出かけた。
 それからナルコムプロスへ行って又ステーションへ行った。
 自分机の上をすっかり、いるものを出してそれから食事、理髪へ行った。

四月六日

 日
 もやステーションへ行って送り出した本の箱へ宛名をかいて来た。
 アホートヌイまで一緒に行って、べこは買もの。夜メリーさんのところへ行って喋った。

四月八日

 火
 もう暖く、往来は9.9/10までかわいた。
 ガローシ〔オーバー・シューズ〕なしだ。女は早速春外套やスーツであるいてる。

四月九日

 火
 ホテル暮しの間は朝八時に起きようという約束が出来て、然し今日はねむくて九時少し過ぎ。
 テアトラリヌイ〔街路名〕を明かにモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)人ではない若い男が素頭に白靴でぶらぶらして居た。手に新聞と何かたべものの紙包をもって。まるでクロールト〔保養地〕のような感じだった。彼のまわりにクロールトがあるようだった。

四月十日

 木
 
 70 обедГОТОБ

四月十一日

 金
 電車を間違えてぐるぐるまわりをしつつクフミンストル※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)・クラブへ行って切符かって、アルバートへ行って油橋さんに会って、それから歩いて家までかえった。

四月十三日

 日
 この頃朝起きると買いものに出る。九時すぎ。それから、茶をのみ、何か始める。
 今日は朝アホートヌイですっかり市場が出て居るのを見物し、胡瓜その他を買って二時間後Yと行ったらもう何一つ影をかくし、巡査が多勢いて一寸人がかたまると、プロドイガーエチェシ〔行った、行った〕とやってる。この変化に自分は愕いた。興味を起してアルバートへゆく。ここは沢山の人だ。
 夜フートボーリスト。馬場君知った女が出るというので、批評も何となくいい心持になっている。
 今日は我々の記念日だった。忘れて五月三日に思い出しよみなおした。

四月十四日

 月
 先生。自分卓子で ВОКС へ持ってゆくリストの調べをした。
 それから自分ニアリングの教育に関する本をよみ、面白かった。いろいろ知識を得る。
 夜十時からオリガさんのところ。かえりの бус〔バス〕の中でけんかが起って、証人になって呉れと云われたと云ってY亢奮してかえる。自分がルガーチ〔ののしる〕ないでひとの証人ならまだよいと笑った。

四月十五日

 火
 ○ ВОКС からかえりに十六日の切符を買った。
 ○自分、Yになおして貰ってリストを又タイプライターで打ちなおした。
 そして持って ВОКС へ出かけた。
 夜革命劇場。そこでパルトビレート[#党員証]を見て居たときイズヴェスティア〔ニュース〕でマヤコフスキーの死を知った。これは意外で、となりに居た太った男も愕いて居た。

四月十六日

 水
 Y、ケイコ。自分女中室へ行ったり、廊下へ逃げたりしてコルホーズをよんだ。
 ВОКС へ行って紹介を貰って油橋さんをさそってファブリカ・クーフニヤ〔調理工場〕に行って見せて貰った。この辺には一つもこういうものがないのだから労働者にとってどの位よいか分らず。これ一つで理想的とはゆかぬが、これが各区に一つか二つずつ出来て来ると大したものだ。かえりに三人で仕立屋へよる。そして腹を立てた。夜レーニングラード作家の夕べにゆく。かえりに клуб писателей〔作家クラブ〕でマヤコフスキーの告別に連る。夜十二時。

四月十七日

 木
 今朝は下らないことから二人とも怒って、自分がいやに本気なことを云い出し、二時間ばかりつぶしてしまった。そんなこと――Yがヨケイものだ、と云ったことの底にはYが自分が持って居るような生活への焦慮を感じて居ないことに対する憤りがあったのだ。
 それから仲なおりし、Yは、マヤコフスキーの死についての報告をかき始め、自分芝居の印象などまとめて居るころに仕事したくなった。
 夜、Y一人でおく為、自分桜木さんのところへ行ったが留守。シャノアール〔映画館名〕で「お前誰だ」を見た。

四月十八日

 金
  ВОКС 
 
 

四月十九日

 土
 
 
  I-е Мая
 ()обед 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)

四月二十日

 日
 朝ねぼうをした。
 それから自分 ВОКС へ行って、紹介状二つ貰い、明朝監獄見物を約束してかえる。
 обед それからパン、茶、砂糖を買いに出る。今日ピロージュノエ〔ケーキ〕なんかはグーロチナヤ〔パン屋〕の店に一つもなし。パンは沢山ある。そして人がすくない。やっぱり祭日だ。

四月二十一日

 月
 アメリカ人と一緒に ВОКС から北リフォールマーチーを見に行く。ジェムリャノイブール〔地名〕の先で、建物は古いが、内部での生活はまるで他の国に於ける監獄と全然違う。カリドール〔廊下〕の端はしまって居るが、売店も自由にゆけるし、理髪も出来るし、勉強はするし、本当に教化を目的として懲罰の意味は少い。
 夜、革命劇場にインガを見る。これはパルトビレートよりクラシックだ、быт〔風俗〕の点で。

四月二十二日

 火
 天気がよい。思い立って銀の森へ出かけた。サドー※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ヤ〔環状通り〕から十三番へのると行ける。松林。畑、いい心持だ。草の上にねころんだ。毛布をもって行って。
 かえりにメイエルホリドでクロープ[#南京虫]の切符二枚買った。

四月二十三日

 水
 
 
 
  ТМГУ чех※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 

四月二十四日

 木
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 湿

四月二十五日

 金
 
 
 
 

四月二十六日

 土
 島田さんが夜よんでくれたがYはゆかれず。自分一人。
 朝油橋さんの妻君よる。一緒に出かけてYの洗濯ものをとって、川谷さんのところへよって「(一字不明)」を見にゆかれぬことを話し〔以下空白〕

四月二十七日

 日
 
 
 

四月二十九日

 火
 天長節。
 夜メイエルホリドの伯林劇場見物。これは、ドイツの ТРАМ〔#労働青年劇場〕だそうだが、やっぱりここで見ると歴史的な意味しかない(ドイツの左翼劇として)反抗の現しかたがまだ К 的[#共産党的]でない、そこまでに行く手前を現して居る。(ブント、ウ、ボスピターチェリヌイ・ドーム〔「養育院での反乱」〕
 やっと金がついた。1951.50

五月一日

 木
 便 летка в  года※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)()()
 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 
 
 

五月二日

 金
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 


五月三日

 土
 
 
 
 
 

五月四日

 日
 プレハーノフ。
 ベチェルナヤ・モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)〔『夕刊モスクワ』〕へ家さがしの広告を出して、赤い広場を通って、あのマルクシズムのクラスをさがしたが、もう今年はそこにない。オーブシチェジーチェ〔寄宿舎〕になって居る。
 古い『改造』を見たら、日本のプロ文芸分裂当時の論争がのって居て、興味を感じた。労農芸術の方では社会的註文の原理みたいな変な間違いをして居るし、日本プロ芸術連盟の方では、一寸プロレタリアの中からではなく、プロレタリアに向ってというような間カクをもった理論らしく、やっぱり双方インテリ的論争だ。プロレタリア芸術のよいものはプロレタリアの中からもそれを出させるようにするのが、過渡期的な芸術家の任務だ。

五月五日

 月
 дом советов〔ソビエトの家〕のメーデーの飾りをとりはずす仕事をやってる。寒い。摂氏十度の春。リーパ〔菩提樹〕の新芽。馬のまつ毛が長い。芸術座のわきの地下室で裸の支那人が洗濯して居た。空に雲が出た。プーシュキン像のウラル大理石の土台が光った。
 みぞれが一寸降った。牛乳を入れて歩いている女の鍋の上に。コムソモール〔共産主義青年同盟〕の半ズボンの上に。
 夜、もう八時でも明るく、街は白夜の表情をもち始めた。日本女の机の上でボタンのような形の桃色のバラの花が一輪咲いて居た。そして水色エナメルのヤカンがわきにおいてある。

五月六日

 火
 朝、プレハーノフのわからぬところ、それからマルクシズムの文芸批評ということに話がなって、長く話した。
 油橋さんの細君来。
 どんな女性でもその人のパッションというものはある。それをここではマジャーンに放散する由。
 ○マルクシズムは世界観の根本をなすところのプリンシプルだ。=マルクシズムの芸術論そのものからは芸術は生れぬ。判りきったこと、然しわかりきらぬこと。
 ○夜、Yのマヤコフスキーについて話した。クロープとバーニャのことについて。

五月七日

 水
 
 обед () МХАТ
 
 

五月八日

 木
 
  СССР 
 
  КА 
 
  обед ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)

五月九日

 金
 Y昨夜よく眠れないと云って朝ぶらぶら。したがって自分の方もプレは出来ず。『改造』をよみ、日本の文壇の変遷に或興味を覚えた。
 オリガさんと室を見にゆく。いわゆるパザールヌイ〔下品な〕、コミッショネール〔ブローカー〕で、迚もものにならず。然しその住居、人間がどんなごたごたの中で暮せるかと云う見本を見て来た。家具らしいものなし。布のかたまりや台や、そんなもので室じゅう一杯だ。西洋の家は壁がしっかりしてる。だから猶きれの包のぶくぶくしたのなど目立つ。
 ○夜馬鹿らしいことで怒って、Y、自分の目鏡をすっかりこわした。

五月十日

 土
 朝、Yのおできの手入れ。それから机の上掃除。即ち、おできが大分楽になった証拠なり。
 ルケアーノフへゆく。ダーチャー〔別荘〕のことは見込みなし。雨が降って来る。フラムフリスタの公園はもうすっかり青い。かえり、レモンを買い。自分、目がねなしにまだなれずに工合変だ。しかしめがねのないのもよいと思う。顔の前に常にいたわるものかけて居るのは、けんかのとき弱くて仕方がない。
『改造』をよむ。日本勉強なり。村山知義よくなった。そしてイデオロギー的に或清算した後見ゆ。中西伊之助の現代ストライキ講演。

五月十一日

 日
 二人で本やへ行った。
 Yは先へかえり、自分アルコールをさがしてアルバート、プレチースチェンカ〔街路名〕をうろついたがなし。
 オリガさん、五時半に来て九時まで居た。
 自分眼鏡なしでやって見ようとしたが迚もつかれてつかれてやり切れず。気持まるで消極的になってしまう。あしたなおしにゆこうとして、Y自分のカバンをさがして代りのガラス見つけた。こわして見つけて、やっと+−だというわけ。夜プレ。自分『改造』で日本勉強をした。

五月十二日

 月
 Yのおでき殆ど全快。
 二人でクズネツキー〔古本屋の多い街路名〕へゆき、眼鏡をあずけ時計のふたのガラスを入れ、大きな夕立に芸術座の中で会った。
 めがねあした出来るのはありがたい。めがねが出来たらもうのそのそはして居ないぞ。いろいろしたいことがあるんだ。
 夜、机を2つの机を』の形に置いて境目に「スタンド」こういう形において、非常に都合よく勉強出来るようになった。うれしい。プレハーノフ。

五月十四日

 水
 眼鏡が出来てすっかり気がしゃんとなった。
 赤い広場へ出かけてトラム〔労働青年劇場〕をさがしたが見つからず。それから К・А へ行って調べものをたのんで来た。よい晩で、皆極めて春の散歩をやって居た。夜空九時すぎでも光った藍色で、そこに更に紺ぽい雲が沢山動いてる。
 電燈が非常につやをもって輝く。

五月十五日

 木
 ○朝プレハーノフ。それから自分は К・К について一寸勉強。
 ○この二三日ホテルの食堂のメニュー値上げなり。スープはやっぱり50кカペイカ55к。ピロージヌイ[#ケーキ]30。茶15к。だがスダーク〔とげ魚〕が55к 位だったのだが、75к になった。60к 位の皿はない。80к 90к で、アントリコット〔ステーキ用の牛肉〕は90к だ。
 マースロ〔バター〕が5 к ずつ値上げになった。本もYの話によると 2.80 位のがものによると 4.00 するよし。

五月十六日

 金
 
   летка
 調調※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)25к4050к 35к 508.90
  обед 

五月十七日

 土
 ◎朝今日は八時半に起きた。それから眼鏡研究に出かけ、これで間に合わすことにして、Bank へ出かけ、髪を切り、К・А へ出かけて結局□□(二字不明)ということになる。
 まるで春。

五月十九日

 月
 夜、八時からクラブオソアビアヒムのリトクルジョーク〔文学サークル〕へ出かけた。カラ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ーエ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)とトゥミラーエ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)(この人は心持よい人だ)が指導して詩をよみ雑誌の小品の批評をやってなかなか面白かった。十一時半まで。
 今日はゲルツェンの家へ出かけた。

五月二十日

 火
 プレハーノフ。

 セルプ・イ・モロト〔「鎌と槌」工場のこと〕へ出かけたら丁度ゆき違ってクルジョーク〔サークル〕だめだった。
 モスクワもこの辺は初めてだ。あつい日。
 МХАТ のそばの C※(アキュートアクセント付きA小文字)fe で Coffee のんだら日本人に会った。

五月二十一日

 水
 ВОКС
 
 
 

五月二十二日

 木
   
 ()()
 

五月二十三日

 金
  ВОКС 西
 
 
 

五月二十三日夜八時半に作家クラブでリビディンスキーの「英雄の誕生」についての討論会があるので出かけたら中止。これはラップ[#ロシアプロレタリア作家同盟]が主催で、主としてリビディンスキーのテクニックのことを云うと云って居た。それがやかましく云われて居たので今日は開かなかったのだろう。
 ブルバールではかりやを見つけ 10к ずつではかった。日本にすると、自分十六貫五百、Y十三貫五百という位だ。

五月二十四日

 土
 
 
 
 обед

五月二十五日

 日
 クローシンという役者が切符をまいてマールイ劇場スタジオで「罪なき罪人」の最終舞台稽古を見た。このカントク若いくせに変な早がわりやドロドロをつかって腹が立ったが、女主人をした女優、古風だが重みあり真実もあり。なかなかいい女優だ。これのおかげでなかなかよかった。クローシンは仕方がない。心持を体の外の方にとばしちまってやってる。一生大した役者にはなれず。

五月二十六日

 月
 ВОКС 
 КА 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)

※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
  
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) быт быт 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)21 
 姿

五月二十七日

 火
 今日は ВОКС。手紙とり。ゲルツェン。夜心持よく勉強。夜がよし、夜がよし、夜だけよい。
 この頃エリセーフの店までがらがらだ。シガレットもなくなり葉巻、菓子など一つもない。からのガラス皿が暑い日を反射させてる。スープ肉なし。
 ○キオスク〔売店〕でベーコンを買ったら、爺、高い価なのでいやにこそこそして小声で云って、いそいで金をかきとって五哥少くても、まだもうけるから平気だ。
 ○『女芸』の五月 N・Tの小説、彼女が観念でプロレタリアを把握して居るところ、観念で光景をつくるところ、これがやまぬと小説はかけぬ。しんからの小説は書けぬ。

五月二十八日

 水
 ВОКС へ行ってから、散々ひどい埃の中を歩いて第一実験研究所附属小学校を見に行く。今日はもう一年のおしまいの日だという。七歳で入学した子供が一年すまして、来年は一年生になる。主としてその組を見た。短かく時間を区切っていろいろの作業を十分、十五分とやる。決して三十分もつづかず。いろいろに働かし、主としてこの小さい組では訓練と頭脳の多方面な活動性をつけて居る。子供たち、日本字で一人一人名を書いてやったら、よろこんで大さわぎした。二十三四人のうち教師、勤め人の子供は一人ずつ。あとは労働者の子だ。二年、三年、四年と見る。四年では「自然と人間」とのプログラムで、天文をやって居た。教師が説明し、本を皆でよみ、あとからその知識を綜合して画を描き字をかき、一つまとめた手帖をつくる。=つまり知識をはっきり彼等のものとして再現させるのだ。これは非常にオリジナリティリの養成によい。

五月二十九日

 木
 0() 
()()()()()()()()()    
 0()23
 

五月三十日

 金
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)

五月三十一日

 土
 
 дружная горка()
 

六月一日

 日
 Bank  300р 
 
 
 
 

六月二日

 月
 17533р 
 






 

 
 ()()()()※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 КМ  все

六月三日

 火
 オリガさんがソチへ行く、朝十時四十五分。Y、バカバカしいソチまで行くのに(一ヵ月)送って貰ったりしてさわぐ奴があるかといって行かず。自分だけ行ったら、汽車の故障で五時間おくれる由。大笑い。自分家へかえる。
 今日こそ作家クラブでリビディンスキーの討論があるというので出かけたら、何もありゃしない。ライリトクル〔地区文学サークルの略〕の連中が来て居るのに会った。女の人、今はどこにも勤めても働いても居ないで文芸的仕事だけして居る由、もう一人脚のわるいのは小学教師で、変名で書いてる由、ここはだからひよっこが多いのだ、とにかく。そして労働者ではない。その点オソアビアヒムともセルプ・イ・モロトとも違う。
 アルバートの活動で土を見た。これに異論のあるのは尤もだ。ディアレクティブに批評すると土の勝利ということになってしまう。
 ここでは相当大きいオーケストラがあって四流五流ながらヴェートウヴェンの第九をやって居た。

六月四日

 水
  МХАТ 

 МХАТ 
 МХАТ 

六月五日

 木
 今朝歌の序文というの書き出した。そして一口に書いたが、書いてると自分が生活して居る間に書いてるときだけ頭をこまかく働かして居ないことがわかって、閉口頓首した。とてもオッチョコだ。オッチョコで何かして、あとで明快に批評するため、よろしくない。或人に対して始め斯うだったのに斯うなったという形をとって現れる。これは最も重大な自分のサモクリチカ〔自己批判〕の点だ。もう序文はやらぬ。
 夜、革命劇場の ТРАМ をYと見にゆく。湯上りで自分さむく、Yの肩かけをかりてやっとしのいだ。器用の点から云うとブリガード〔「作業班」〕のカターエフ、ずっと器用にやってるし、玄人だが、この ТРАМ のは同じコルホーズをあつかっても、もっと集団的で内へ入って、セルコル〔農村通信員〕とクラーク〔富農〕との関係、百姓の中にある二つの種類、村の百姓とトラクトセントル〔トラクター・センター〕との対立、その争闘的雰囲気に「ニエ・スプラヴェドリーヴイ〔なんて不公平なんだ〕」と泣くコムソモルカ等、勿論工場と農村との結合はあって、多くのものを自分に教えた。「工場中にある anti コルホーズの分子が、ウダールニクをころす、村ではスレドニャク〔中農〕のコムソモールがベドニャーク〔貧農〕でエンスディアスティック[#熱狂的]な若者を殺す。」
 このツェリーナばかりでない、ブリガードでも犠牲者を出して居る。どれでも出してる。「土」でさえ出してる! これは本当の闘争だ。恐しい農村の十月だ。

六月七日

 土
 洗濯やへものをもって行く。
 夜赤衛軍中央会館で「何が彼女をそうさせたか」の試写があるというので、袋さんと三人で出かけた。
 フィルム、大してよいと思わぬ。いろいろはっきりせぬ。第一、反抗するまでの心情は筋をたどってあるとしても、それがきわめて組織されず、個人の意趣晴らしに止るところ、現代の日本のプロレタリアの反抗精神とは違う。テクニックもよくない。同じ場面のくりかえし多し。
 ソヴェートでは曲芸の極めて非衛生的なものをやめさせる必要がある。例えば歯で人間一人つり上げたりする芸当。美しくもないし、健康でもない、ただ人間のブルータルなところを写してるだけだ。
 キノの後、ブッフェで御馳走になり、あとパークを散歩して、野外劇場で曲芸みたいなものをみた。フィジクリトーラと称す。

六月八日

 日
 ○今日どこをさがしてもアルコールはなし。
 ○ラフカ[#小売店]の爺、この頃アホートヌイがなくなったので買い手が殖え、よろこんで笑顔しつつ売ってる。
 ハム二百瓦二・四〇の中、六十哥が税、九十哥が原価であとのあまりでそうして食いのめるか? だってさ。
 夜五年計画のことを書こうといろいろして居るうち、ふと気がのってふらふらどうなるか分らぬものを書き出した。

六月九日

 月
 ○仕事。
 夜、オペラを近藤さんによばれる。ロッジにいろんな連中が来て居る。
 ローヘングリン。
 オペラというものは退屈なものなり。

六月十日

 火
 仕事して居ると、ガウズネルが寺島さんをつれて来た。
 夜、Наша Молодость[#われらが青春]を М・Х・А・Т の小舞台でみる。四幕。革命時代の若き党員がハバロフスクへ潜行運動に出かける。日本円で一万円わたされて。途中でパルチザンが入って来る。のり合わせた娘をひどいことしようとしたことから二人の若きものの対抗になり、雪の野に放ぽり出される。馬橇でハバロフスクへ行こうとする、御者きかない。そりに金とドクメント〔書類〕がかくしてある。白兵が出て来る。御者が白にこびる、白から銃をうばい、追っぱらい、御者をころす。白が来る。追射され、若者が足を負傷し、娘の親父のところドクトルで片脚切られ、もう党の働きは出来ぬ。それで終にビラはりをして居るところを白に見つかり、立ち廻り、射殺される。――
 心理的ないろんな細部、若いその時代の人間のユーモア、真実、なかなかよい見ごたえある上演だった。

六月十二日

 木
 ○ ВОКС へ寺島さんをつれてゆき、美術のことに関してきいた。
 ○暑い。夏になった。
 ○仕事。
 ○今日からタバコが Lux Delu 等、ホテルの下の卓子、ВОКС の玄関にも出て居る。
 ○バター

六月十三日

 金
 ○仕事。
 ○夜六時すぎから24にのっかって、モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)河の鉄橋までゆきそれから―― М・Г・У〔モスクワ大学〕の寄宿舎の前を通ってサード・クリトールィ・И・オードイハ〔文化と休養の園〕へ行った。こっちは森が多く、河への見晴し美しい。段々ゆくと広場で芝居がある。多勢の若いものが群れて目かくしをし、片手の掌を肱の下へ出したのを誰が叩いたか当てっこをする遊びをやったり、帽子はたき落しっこをしたり、金はつかわず愉快に遊んで居る。いろんな ГОРОДОК〔棒投げ遊び〕があって、体育のところでは音楽をやり、指揮者が台に立って大きな集団遊戯をやってる。ガルモシュカで踊ってるのもある。ここは若いものが多く、実に遊び上手に遊んで、さっぱり楽しんで居る。いい心持だった。自分、その大きな輪踊りの中へ入って踊らず、Y、早くかえりたがってヤイヤイ云うの随分残念だった。

六月十四日

 土
 ○暑くなった。仕事、あついが仕事は調子がついた。これをとぎらさずにやるとなかなか書けるぞ。
 ○夜不意にキムと笑子がやって来た。エミ子、みどり色のキモノで活々きれいに見えた。
 ○それにもました一大事は、日本の俗謡をどこかでグラマフォン[#蓄音機]にかけて居たことだ。何だか日本みたいな夏の夕方だと思って居たら本当にそんなものをやって居る。びっくりして、Y、窓によじのぼり見当をつけに外をのぞいた。どこか、このホテルの中でやって居るらしい。

六月十五日

 日
 
 
 

六月十六日

 月
 ○朝一寸書き出したが気に入らずおやめ。
 ○シャノアールで一人キノを見た。トルクメンの綿の生産についてのフィルム面白かった。
 ○涼しい、風の吹く日だ。が自分何だか落付かず。

六月十七日

 火
 グルジアの国立ドラマ劇場を見た。やっぱり民族的特長がある。――
 筋のカンタンなところ、それから、もって居るリズムが横にのびる線でやっぱりグルジアの自然に似て居るところ、感情表現が顔面表情というより声と手足の動きで主としてやるところ。
 第三幕、結婚の祝いの初め、男だけすっかり揃って、花嫁への祝いことば、ほめことばをのべ(アイヌのように)、盃を放って互に交換し、それから唄い、(この合唱なかなかよかった。)一人第一歌手、合唱、半音階、力づよいなかなかユニックな合唱。
 大体主には男がなってゆくところ、これをヨーロッパ人の女、はだかの女だけ出して見せてゆく芝居と比較すると面白い。

六月十八日

 水
 あさオスメルキンの家へ一緒に行く。
 かえりずっと歩いてバンクによって、かえって来たらリトクルジョークの「グラ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ー」〔指導者〕ПОЧТА〔郵便局〕のところから出て来て室へあがり喋った。手に親がモリヤーク〔船乗り〕だったといういかりの入墨がある。万年ペン、時計、その他珍しがっていじくりながめる。バクトルスキーカランダーシ〔カランダーシは鉛筆〕というのをもって居て(黒)よく皮膚につく。

六月十九日

 木
「ロンドン一九二九年」をよんでいろいろ感ず。自分の作を研究して見るのは面白い。ここで又一つぬぐべき皮を発見した。横光の文芸時評、まるでひどい。彼の歩んだ道=あの上海もの、鳥、そしてこの論文。あんまり公式通りにゆくので恐ろしくて、きまりわるくて、汗が出るぐらいだ。

六月二十日

 金
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) bed 30р 
  ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 

六月二十一日

 土
 
 23к 22к 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 50()()
 
 
 

六月二十二日

 日
 
 
 綿綿綿綿

六月二十三日

 月
 ひるふいに思いがけず入って来た。
 午後急に思い立ってダーチャーへ行った。
 ダーチャーというもの初めて知って、のん気で休むに適当なのでびっくりした。

六月二十四日

 火
 
 

六月二十五日

 水
 どうも工合がわるい。すっかり食欲を失って何もたべられず。
 横っぱらなり。
 Yと一日はなす。

六月二十六日

 木
 
 
 

六月二十七日

 金
 今日は9/10までよい。
 勉強。

六月二十八日

 土
 
 
 
  обед 

六月二十九日

 日
 
 
 

六月三十日

 月
 ドーム・ゲルツェンへ出かけたら今日はウイホドヌイ・デーニ〔休日〕だ。
 かえりに歩いて来て、玉子買って、パン買って、かえった。
 ドイツ労働者がここへ来て居ると、そう大して感心しないというところ面白い。つまりロシアより文明が進んで居ると云う先入感をもってるのだ。

七月一日

 火
 ()()
 
 

七月二日

 水
 
 
 
 
  150 р 
  1000 р

 

七月三日

 木
 雨。ふったりやんだりしている。
 宮嶋資夫と江口の小説をよみ、初期のプロレタリアート文学について面白い多くのものを感じた。
 作家としては江口より宮嶋の方沈潜力をもっている。が、丁度単細胞の動物みたいで骨格がない。これは致命的欠カン、僧になったユエンなり。江口の方は感情の激昂性で、それでプロレタリアート運動に入ってる。

七月四日

 金
 ピオニェール[#少年団]研究のため、あっちこっち歩いて本をあつめた。
 この頃第十六回全ソユーズ〔ソ連邦〕の党大会があって、Y一日殆ど新聞をはなさぬ。
 スターリンのドクラードは、資本主義国家の経済クリシスとソヴェート社会主義の建設とを、はっきりハあくして示し、(ママ)又プラーヴィ・ウクローン〔右翼的偏向〕に対して皮肉にやってる、「プラーヴィ・ウクローンはあついのに綿入外套をきて寒くなるのを心配してる者みたいだ」等。

七月五日

 土
 ВОКС 
 
 
 
 

七月六日

 日
 
 退
 
 
 



七月七日

 月
  ВОКС  ЦКФОТО
 
 
 
 
 
 
 

七月八日

 火
 
 
 
 

七月九日

 水
「ラーゲリ・バウマニェツ」へ出かけて、十二時頃から夜七時頃までぶらついた。なかなか景色のよいところに、ダーチャーが散在して居る。池がある。シュタブ〔本部〕の前に高い旗柱が立ってる。バラックの大食堂がある。五百五十人からの子供が、そこで指導者と一緒にものをたべる。みんなはだしだ。そして、殆ど裸で実に愉快そうにやっている。集団生活と規律ある生活の経験のためで、大体遊びが主だ。
 広大な土地に五百人の子供、きわめてパラリとして居る。コムソモールとコムソモールカの指導者は、大体ふだん何か別に本職をもってる=コオペラチーブで働いたりプロイズヴォードストヴォ〔工場〕で働いたり。

七月十日

 木
 
 

七月十一日

 金
 ソブキノへ行って(袋さんと)ロームのバルビュスのものをとったのを見た。なかなか始めの方などよい。大体うまい。アメリカのタンテイ味を大分にとり入れているが、それでもアメリカものとはまるで違う本格的な品格あり、カメラのつかいかた、タイトルの入れかた、上手いものだ。その上手さでは、「第三メシチャンスカヤ〔小市民階級〕」をはるかにしのいで居る。ムダのない点も。
 ○ロームはここでタイトルを一寸くりかえして居る。ホーゼはかえらない。絵、彼はかえらなかった。
 タイトルの入れかた。あのソブキノのズブコボイ〔音声〕のように Но Живёт〔しかし、生きている〕とパッ、パッ、一コマずつぶつける出しかた或は非常によい。

七月十二日

 土
 朝、使が来た。
 それからハタさんが思いがけず入って来、一緒にグランドホテルへ行ってカンづめを貰った。
 ひどい雨にニキーツキーであって、из〔辻馬車〕にのったがずぶぬれ。
 袋が立つので送って行ったら松本さんも立つというので、大使館の人一杯。キム夫妻にも会う。袋いつまでも汽車の窓から手を出してふって居た。Y、昨夜寝らず。原稿をいそいで書いたので、つかれ、夜は、ゆっくりして、書く本のことなど相談した。

七月十三日

 日
 
 
  МХАТ  Coffee 

七月十四日

 月
 朝イントーリストへ出かけて、ロストフまでの切符二枚たのむ。出来そうだ。それからパンを買い、家にかえり、обед 出かけ、四時から八時すぎまで外に居てかえったらY、居ず。居たたまれなくなって外へ出て歩きまわって、サード・クリートルィ・イ・オッドイハで帝国の破片を見て来たのだ。十二時頃かえった。オリガさん、来て居て待って居て Мне ムチーチェリノ〔私つらい〕と云って居たが到頭会わずにかえってしまった。
 Yはらをすかせたが、買っといたスダークたべられず、おそくめしをたいた。

七月十五日

 火
 二人で ВОКС へ出かけ、ギガント〔ロストフの国営農場〕へ紹介状を書いて貰った。ВОКС の男、この事はすぐ出来ると云ってたのに何とか彼とか云って責任をのがれようとする。大体 ВОКС は不快なところなり。
 ○それから川谷さんによって時間表をかりた。
 ○クスターリヌイによって樺の木の箱を買った。
 ○かえってふらふらになってたべたいのにもう何もなし。グランドホテルに行ったら、ВОКС で会ったアメリカ人、サヴェート風土記の筆者又来て居て会った。
 べこフロ、せんたく。
 ○夜、ラクさん来る。

七月十六日

 水
 ()()
 
  

七月十七日

 木
 あつくなった。
 小心なるボルシェビキはチストカ〔粛清〕でつかれて眠る。自分も眠る、Yも。順番に眠った。何か話していたら急にひどい動物の鼾(いびき)みたいなイビキが聴えるので、びっくりしたらいつの間にか上の棚へもぐって、トルクメンのタワーリシチが眠ってるのだ。
 ○ペルシアの青年をつらまえてタワーリシチいろんなことを喋る。アジる、笑う。

七月十八日

 金
 ロストフは思ったよりずっとよい市だ。新興の工業地らしい、ちょっと荒っぽいが快活なところがある。街は大通フリードリッヒ・エンゲルス、ずっとアスファルトで、歩道ひろく、アカーシア並木が続いてところどころのキオスクに香水の売店がある。ホテルの食堂は歩道の上にはり出したバルコンで、みんな白い服で、ひどく夏、南らしい。ホテルの中もブフェートのところなどからりとして、陽気でカンタンで、よろしい。ディナモ〔フットボール・チームの名〕のデレゲート〔代表〕が(モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)から)来て居る。そして小さい大きな市らしく、何だか街の端々まで見とおしがきいて、モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)のくねくね道とは違った興あり。
 小銭がない。イズボーシチクの若者コーリャ赤衛兵がのって、小銭にかえてくれるというのをしきりにまってるが来ない。靴みがき小銭がないのでショーバイがならない。

七月二十一日

 月
 朝九時頃ギガント着。

七月二十二日

 火
 ギガントよりウェルブリュードへ。

七月二十三日

 水
 ウェルブリュード ソフホーズ滞在。
 この日は殆ど一文もつかわなかった。

七月二十四日

 木
 ウェルブリュード、朝五時過出発、自動車。
 八時二十五分ロストフ発、チホレツカヤ十二時着。

 夜九時十五分マデ待つ。

七月二十五日

 金
 
 

 宿

七月二十七日

 日
 
 
 
 70р 

七月二十九日

 火
  сад
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) обед沿

七月三十日

 水
 目っかちで совхоз〔国営農場〕とサナトリー〔サナトリウム〕を見物に出かけた。これにニキーツキーと反対の……。

 べこ右目にものもらいが出来て痛い。しっぷをした。
 郵便局で 300р

八月一日

 金
 殿殿
 ※(4分の3、1-9-21)沿※(4分の1、1-9-19)
 
 
 
 
 

八月二日

 土
 一日ウクライナの野の間をゆられてゆく。が、自分眼っかちだし、きのうの疲れがひどく出て居て、殆ど眠ってばかりいた。
 汽車四時間の延着。ハリコフへは六時過ぎについた。クラースカヤというホテルにゆく。外見堂々たり。ひどい便所だ。ウクライナ人とはきれいずきと思ったが。
 食堂に坐ってると、何だかロシアの内ではない、近所の小さい独立国の首府に来て居るような感じがした。ウクライナ人と云うのは郷土心がつよい。これはよし、わるし。ここには背広をきた人間が多い。女がしゃれている。

八月三日

 日
 
 ВОКС 
 

八月四日

 月
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)便

八月五日

 火
 朝茶をのみかけて居たら、衣笠君大使館へ来ている由電話、かけつけ、ズブコヴイ[#トーキー]を見せ、たのんだものを貰い、ステーションで75к の飯を御馳走してドイツのカンづめを貰って立たせた。
 ズブコヴォイもう三月から殆ど五ヵ月つづけさまにやって居て音響の効果はひどくわるくなった。がやっぱり感心して居た。

八月六日

 水
 
 使
 
 478р26 

八月七日

 木
 р66к 60к 
 р 
 р 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82) к 
 
 
 

八月八日

 金
 
 
 
 

八月九日

 土
 ○仕事、夜又仕事。

八月十日

 日
 仕事。夜又仕事。
 玉子十で3р

八月十一日

 月
 
 обед 
 

八月十二日

 火
 
 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 

八月十三日

 水
 
 
 р 
 
 
 

八月十四日

 木
 九時に起き、通るようにした。
 それを届け、一休みし、スピリットの有無をしらべに行ったら、ないという。
 ・ケアキノペチャーチ〔刊行物〕。芝居エハガキは一つもなし。もう出版しないという。
 ×相変らず小銭払底、電車で1р のアボニメント〔回数券〕多くつかってる。パンやでもアボニメント!
 ×大使日本へかえった。

八月十五日

 金
 Y、体の工合わるし。

八月十六日

 土
 今日もY、いいつもりで起きようとするがつらくて臥床。

八月十七日

 日
 Y、寝たりおきたり、本さかんによんでる。

八月十八日

 月
 Y、はっきりせず。卵巣がわるいんだろうなんかと、うそか本当かわからぬことを云ってる。ゆたんぷで大分たすかってる。

八月二十日

 水
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 

八月二十一日

 木
 べこ仕事。

八月二十二日

 金
 仕事一つかたづいた。
 出かけた、Y。
 Y、仕事にかかる。

八月二十三日

 土
 べこ仕事。
 この頃このホテルにドイツの職工が来て泊ってる、淫売が盛に出入りする。

八月二十四日

 日
 オリガさん来、ベコ仕事。
 もや又腰がいたいと云う。鼻カゼダ。
 にんにくばかりたべて、室の内くさい、くさい!
 残暑なかなかきびしい。
 夜更け雨。

八月二十五日

 月
 もやはじめて出かけ、つかれて閉口した。

八月二十六日

 火
 
 
  a la 

八月二十七日

 水
 
 
 

八月二十八日

 木
 
 
 
 

八月二十九日

 金
 ○胡瓜
 ○レムブラントの複製、子供の絵、日本の画、菊の芽生。二十留のタタールの鞁クッション。菓子、ジャム。
 古い新聞。原稿。

八月三十日

 土
 
 
  600 р 
 
 
 

八月三十一日

 日
 今日はYもつかれて郊外へ出かけたいなどと云ったが、結局坐って仕事。
 夕方二人で散歩して、思いがけずピロージュヌイがあった。

 こめの飯、魚、自分玉子かけた。

九月一日

 月
 夕方六時から八時まで、МГУ の庭で休んだ。仕事。いい心持だった。
 夜、人参、バタイリ不味。

九月二日

 火
 
 
 
 
 
 

九月三日

 水
 
 
 8/10 
 

九月四日

 木
 
 
 
 
 

九月五日

 金
 仕事すんだ。
 雨、オリガさんのところへ夜二人でゆく。Y、Наша Молодость〔「われらの青春」〕をすました。

九月七日

 日
 ВОКС へ行ったら、保健省のドクトル居ないで駄目。それからサボイによって理髪した。角にカバンを売ってる。小さいのが11р、大きいのが35р。同じ日Y、石鹸をきいた。顔洗用 1.50、洗濯 2.50

九月八日

 月
 今日は夕方、ひどい雨がふってはれて、アホートヌイに大きい虹が出た。その虹の下にきのうの МЮО〔国際青年デー〕の赤いプラカートが見える。美しかった。オリガさんと家へ行って、デヴィーチェ・ポーレ〔モスクワ川河岸の地名〕の公園に出たら、霧があり、空は水色で、木の間が濃く、電燈は春のように美しかった。ブリバールではぬれた青草、池の中にあるレンガのかげが赤く、水たまりに空の色が映って美しかった。
 保健省のエティンゲルに会った。

九月九日

 火
 
 
  обед 
 

九月十日

 水
 この日つけ忘れたまま直き病気をして九月二十一日に又見たが、もうつけられるものに非ず。――

九月十一日

 木
 宮島さん朝十時半につくと思って行ったら、十二時で又まいもどり。
 それから出かけ、出迎。大使館へ送りとどけ、おみやげを貰い、本のトランクを届けて、出発を見送ってから、夜カサさんで御ちそうになった。

九月十二日

 金
 
  обед 
 

九月十三日

 土
 обед 
 
 

九月十八日

 木
 グーロフ来。

九月十九日

 金
 АОМС
 
 

九月二十日

 土
 自分大分よろしい。殆どおきたい。少しふらふら歩く。
 Y、われーにえの皿をかって来た。自分その間に、キャベジでヤサイスープをにた。
 油橋のさいくん見舞に来て、YWCAのインダストリアリヌイ・セクレタリー〔工業関係担当秘書〕なるものの仕事を話してた。
 *夜マカロニをべこがバタであっためて二人でたべた。

九月二十一日

 日
 昨夜のんだ下剤のため、今日は朝から歩いてつかれ、迚もおきてる元気なし。
 Y、フドージュンキ〔美術品店〕で、面白い箱買って来た。

九月二十二日

 月
 
 
 
 

九月二十三日

 火
 
 
 
 ()()

九月二十四日

 水
  bed 
 
 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)

九月二十六日

 金
 今日はじめて外へ出て、かなり歩き写真までとったのでつかれた。

九月二十七日

 土
 
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 

九月二十八日

 日
 
 
 
 

九月二十九日

 月
 ○アオムスへ出かけた。
 ○ブルバールがすっかり秋だ。
 ○黄色い葉が青い卓の上にちってる。空がエナメルのように碧い。飛行機がとんでる。
 ○ニグロが歩いてる。
 ○黄色い葉の間から更に黄色いアオムスの前面何とも云えず美しい。美しいモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)の秋。

十月一日

 水
 
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 15к
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 99к
 
 
 
 

十月二日

 木
 
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十月四日

 土
 伯林ベルリンへ雑誌、四つ。

十月六日

 月
 いろいろしてかえって来たら下にメリーが男の子をつれて来ていた。
 タバコ、かんづめなどもって来てくれた。

十月七日

 火
 夜、天羽さんのところへよばれた。

十月八日

 水
 オリガさん来。
 自分等レーニン博物館を見た。二時間ばかり。非常に面白かった。
 レーニンが七月の後逃げて島へ行ってウファー〔魚のスープ〕を煮てたべる鍋などある。

十月九日

 木
 
 
  6.7  7°1
 
 

十月十日

 金
 Y、まだ病。

十月十一日

 土
 アオムスへ行ったが、一時までだというので結局駄目。
 リトフォンド[#文学者の相互扶助組織]まで歩き дом писателей〔作家の家〕へ電報を打とうとしたが、どうせだめだというのでやめ、ニキーツキーにスピリトのために一町以上の列がある。Колос〔映画館名〕へ行った。一人。「焔の航海」を見る。
 グーロフが来た。いやな男なり。
「ヤー、オーチェン、ジャーリ、チトー、ウィ、ウェジャイチェ」〔あなたが帰られるのは私はまったく残念です〕ハハハ、だと。

十月十二日

 日
  АОМС
  ВОКС
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
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十月十三日

 月
 
 
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十月十四日

 火
 晴、よごれきったガローシをはいて(室に居たら曇り故)堂々と出かけたら路はカラカラ。(7) бус にのっかって、アフラノ・マテリンストヴォ。
 ウィスタフカ〔展覧会〕だけ見た。ここではレーニングラードのように只学問的なものだけではなく、実際の仕事をいろいろやってる。ウィスタフカ、或ものはスタティーチェスキー〔統計〕の材料が古く或画は一寸 1905 年時代のハイカラー(つまりワフタンゴフ)があるが、アボルトについてのダイアグラム随分面白かった。ただ、一昨日、色々、女の生物的ポーズを見すぎて、いよいよ子供をうむのは閉口になった。
 ○夜、やっとのことでフロにありついた。

十月十五日

 水
  ВОКС   детдом
 
 

十月十六日

 木
 ○自分さきに起きる。この頃はいつもそうだ。
 ○それから二人で出かけ、コンミッシュナリヌイ〔古道具屋〕で大枚七百七十七留なりをうけとり、キタイゴーロド〔革命前のモスクワの商業中心地〕の古本やを見た。

 秋の枯木のはれやかさ。
 ○デートドーム〔子供の家〕の広間から見えたひろい空
 ○きのうは一日空を雲が迅くはしっていた。
 ○今日は室にスティームがある。暖気で曇ったガラス窓から月が見えた。

十月十七日

 金
 
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 ×
 

十月十八日

 土
 
 
 ×
 ×
 ×

十月十九日

 日
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  МОСПС
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 ×
 

十月二十日

 月
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  Магазинррр50
 

十月二十一日

 火
 *一昨夜 МОСПС から из でかえって来たら МХАТ のよこのアスファルト釜の中に入って数人のベスプリゾールヌイ〔放浪者〕が居た。まわりに若いものがたかってる、静かにあったまってる。
 *この頃、昼間働いてるアスファルト釜のまわりに、ベスプリゾールヌイきっと三四人たかってる。今年は彼等のキモノも特にひどい。寒中□□□□□(五字不明)

十月二十三日

 木
 本※[#感嘆符三つ、574-4]
 送り出したと思ったら又買って来た、助けろ!

十月二十五日

 土
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
  
    
  Post 

十月二十六日

 日
 Вяткоビャートカ = Ветлужская〔ベトルーガ〕経済区の中心。
 ウャトカを通って、タバコ入を買った。

十月二十七日

 月
 エカテリンブルグ=スエドロフスキーを通過。(ウラル経済地方区中心)
 ○朝窓をあけたら淡雪が黄色い草の上にまばらにあった。
 ○小さい松林の中のスタンチア〔駅〕の横の丘の上に青と赤の農具が幾台おいてあった。
 ○松林を伐サイして高圧線架工の下ごしらえがしてある。
 ○スエドロフスキー附近、新しい工場が続々立ちかけている。一帯に沿線来た時とは違って活動がよく感じられる。
 ○食堂のカントク古い軍人上りだ。髭の形、卓に向って坐ってる坐りぶり。我々が Ужин[#夕食]を少しおごって、出て来るとき、あいさつした。可怪しな奴!
 こういう古い奴は、ゼイタクをする人間がすきなのか?

十月二十八日

 火
 
 
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 西
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 西
 

十月二十九日

 水
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
Провер свою готовность Выполнению. й года 5 лет
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 

十月三十日

 木
 午後一時ニージェニウージンスクへ止る一寸前ひどい音がして自分のわきの窓硝子が破れた。「マーリチク〔子供〕だ!」三人子供が居て、一人が石をひろって投げるところをY見たそうだ。外の一重がひどくわれた。
 モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)を出た時、車掌が入って来て、いそいでシェードをおろし、「こうしとかなくっちゃいけない」「何故?」「石を投げる」「どうして?」「ビージェチェ、フリガーン」〔そう、不良なんですよ〕と云った。二九、二八年にはなかったことだ。これは単純な子供のイタズラと一寸性質が違う。停車したとき歩いて見たら、もう一つの車の窓が一つやられてる。
 ○今日は何度もステーションでもないところで止って、あと戻りしたりする。
 ○窓硝子がわれてさむいので、窓の側へ帽子をかぶり外套を片そでかけて座ってる。
 ○どっか松林の下に列車が止っちまった。兎が見えたらしい。「ここいらの人は兎は食わないんです」男の声。女の声「でも沢山とるんでしょう。カンづめ工場を建てりゃいいのに」しずかだ。雪の上によわい日がさしてる。
 *夜ジマー「冬」という駅で散歩する。雪が凍る靴の下でキシキシなった。半月がぼやけて出て居る。
 イルクーツクから出て居る極東シベリア・プラウダ、南シベリア地方紙ソヴェートスカヤ・シベリアを買う。

十月三十一日

 金
 西
 
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)調
 

十一月一日

 土
 0
 

 

 
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 × 
 
 

十一月二日

 日
 
 退
 

十一月三日

 月
 
 


 
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十一月四日

 火
 
 
 




 



十一月九日

 日
「えーコーモリガサのなおし 骨の折れたの五銭でなおします!」

十一月十日

 月
「えー大安売 草ボーキの上等三本で十銭」

十一月二十六日

 水
 二十一枚
「ドン国営煙草工場見学」

十一月二十九日

 土
「日本三週間」十枚

十二月一日

 月
「プロ美術展を見る」、十五枚位。

十二月三日

 水
 カゼ工合わるし
 急に思い立ってコーズへ来る。

十二月四日

 木
「新しきシベリアを横切る」を書きはじめる。
 夜 坂道の方を少し

十二月五日

 金
「新しきシベリアを横切る」十八枚、終り
 夜、又もう一つの方やろうとしたらうまくゆかない。二またかけるべからずと思って、さっさとやってしまった。

十二月十一日

 木
 築地小劇場と雨は何というつきものだ! 今日も雨。西来、『戦旗』のためにもう一遍十枚位のものを書くべしとのことなり。
 一緒にゆく。
 自分六時頃までつき合って、(ソヴェートの芝居の話をした後)鎌倉へゆく。昇さんのところ。まるで電車をおりてからくらくて、雨はふるし閉口した。でも行ってよかった。
 細君、レントゲンの副作用ですっかり体をこわしたという。
 書斎、いろんないろんな絵がかかってる、氏の本と同じ、かきあつめ。

十二月十二日

 金
 
 
 
 
 

十二月十四日

 日
 レインボーで、一時から東女子大学の人十数人で茶話会。結局ひとりで喋ることになってしまう。つかれた。

十二月十五日

 月
 二時三十分月曜会というすさまじいところへゆく。『朝日』の婦人室というところで。
 金子、市川、みんなひどい塵のかぶりよう。
 石本やっぱりバロネスみたいに笑ってる。
 アアアア二度とゆかず。
 かえりに一円の支那料理を御馳走になった。

十二月十七日

 水
 西
 宿
 
  170 
 

十二月十八日

 木
 
 
 稿
 

十二月十九日

 金
 
 
 
 退退
 

十二月二十日

 土
 Y、今日は休養と、午後も寝床の中にごろついてた。自分仕事。(ナップ[#全日本無産者芸術団体協議会]の)
 午後おそくなってからY起き出して夜自分又仕事している間ひとりでリテラツールナヤ・ガゼートよんでたと思ったら、炭酸瓦斯にあたったといってひょろひょろしてる。はいた。うめぼしたべた。Yバカ!
 どてらなんぞ着て、火鉢の上へ顔出してるからそういうことになるのだ。

十二月二十一日

 日
 ぱっとしない天気だ。が二人で海岸に出かけぐるぐる歩きYの元いたという田舎やのところまで行った。どじょうやあり。婆さんと知り合い。その婆さん「河崎さんいかが」といったのでびっくりした。河崎さんもここを知ってるのだそうだ。
 かえりにいろいろ貸家を見、到頭クゲヌマ饅頭の持家で四間、からりと心持よい家をきめることにした。八、六、四半、四半、水道つきという。さっぱりした家だ。にんにくかってかえって、夜鴨なんばんたべるとき入れてたべたらからくてびっくりした。

十二月二十二日

 月
 曇、さむい日。Yひとり「茅」へゆきたがらない。自分家に坐っていたって、急に書けるというわけでもないから一緒に行こう。で、出かける。行き、マン頭やへよって家 218 円にして貰うことにきめる。
 電車五分おきというわけにはゆかぬ。ちょいちょいいろんなものにのりかえて、病院へ行った。空気わるくない。が、いかにもバーレンで、変にやかましくて、親爺「勝海舟先生のお孫さんを貰いうけ」と女房の話をするとか、新巻を買いに行ったとか、たらの子を買いに行ったとか、寄宿舎にいる女生徒のような話、働いてるもの大して感じよくない。Yいよいよしけてさむがって、やっぱりくげぬまへかえって来てしまった。

十二月二十三日

 火
 
 
 
 

 

十二月二十四日

 水
 仕事。
 読うりの殆どしまう。二三枚のこった

十二月二十五日

 木
 33
 
 

十二月二十六日

 金
 オーキで外套かり縫い。Yと二人。
 それから朝日へまわって羽田さんに会う。赤井君その他にも会う。
 松屋その他をまわる。Yのつき合い。それから、女人芸術へ行って、十時23分の汽車でひとりかえった。

十二月二十七日

 土
 仕事。
 くげ沼で六時頃出すかきとめは、翌日の午後藤沢へゆくのだそうだ!
『読売』6回二十二三枚
 夜、「スモーリヌイに翻る赤旗」を書き出す=正確には書きなおしなり。

十二月二十八日

 日
 
 
 

十二月二十九日

 月
 2:23 
 
 
 3
 

十二月三十日

 火
 一つの家! ハーン。
 仕事やすみということになる。
  机がないのだ。一つきりしか。
 それに坐ってることが多く、いやはや。
 午後フジサワへもう一つ火ばちだの机だの買いにゆく。
 おかがみの小さいの買って来た。

十二月三十一日

 水
 
 





底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年7月20日初版
   1986(昭和61)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ヤコブレナ」と「ヤーコブレブナ」と「ヤコブレブナ」、「プロッカート」と「プロカート」と「プラカート」、「アヴェード」と「アベード」の混在は、底本通りです。
入力:柴田卓治
校正:青空文庫(校正支援)
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213



JIS X 0213-


感嘆符三つ    574-4


●図書カード