日記

一九四四年(昭和十九年)

宮本百合子




一月一日

(土曜)曇 寒
 ことしから又日記をつける。自分の生活をはっきりさせるために。一日のうち、自分がどんなに生活を営んだかということをはっきりさせるために。去年は、ここの家での生活というものを知らず、生活の本質を知らず、非常に多く労し、多く苦しい思いもし、SKの間で旋回した。今年はそういうことはなくして、自分の勉強や生活態度というものを守って暮す技術を身につけたいと思う。
 今年は日記が本やに出ない。仕方がないから三年前の日記をもち出して、つける。曜日が三日前についているのは不便だが。太郎、咲、昨夜おそく赤倉からかえる。太郎の身ぶりが一寸かわっていて面白い。国、昨日午後自分が巣鴨へ行っている間に国府津へ立った。寿に私がいそがしそうにしているのや家のガタガタがいやだから行くと云っていた由。寿二十九日に長者町へ引越し。どうしてもここで年越しはしないとガンばっていたので、ひどい無理をした。が三十日にかえって元旦も食堂のアンカでごろごろしている。


 
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一月二日

(日曜)
〔発信〕第一信
 寿
 
 
 
 
 
 使使


   


一月三日

(月曜)寒
〔発信〕順子さん、チーちゃん、鈴お礼。
 寿
 48-19
 
 使



一月四日

(火曜)寒
 二日にかいた手紙がついた由。「しわん棒」についての話、はじめて何となく腑におちたような風で、自分のねばりかたがすこし見当ちがっていたことも分るらしい、おもしろく愛嬌ある風だった。うれしかった。そして、そういうとき、ああいう一種の好意を呼びおこす様子の出来る、可愛げのある心が、美しく思えた。
 咲国、古沢行。
 かえったら寿、来ていた。今夜音楽会、帰れないから、どこかのホテルに泊るという。ホテルなんかに泊らなくたっていいだろう? 二階へおねよ。「面倒くさくない方がいいから。」やがて咲から電話、出て話し、泊る。K帰って来る。「こんにちは」「ああ」と、K笑い顔もしない。
 池田小菊の『奈良』をよむ。「甥の帰還」、「鳩」、「縁」は落ち「奈良」更におちる。敬語の出る小説は小説にならない、随筆止りなり。小母さんの小説だ。風格におさまる危険多い人。

〔欄外に〕
 ことしはじめてひる間でも三十八度。かいろをしょって出かける。初出。


一月五日

(水曜)初雪 寒
 寿
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一月六日

(木曜)曇
 きょうは起きようとしても体がクタクタで起きられず、午後六時までリンゴ半分たべたきりでボーッとして床に入っていた。何一つまとまったことも考えられないから可笑しい。
 夕飯におきる。
 太郎が十時に上野につくという電報来。国咲そのケフジウジツク タラウという電報をくりかえし見ながら御飯をたべていて、うらをすかしたら汽車にのっている姿が見えるようだろうと、国すかして見たりしている。「おい、家じゅうの電気つけて近藤さんの皆よんでやろう」国、はりきってテーブルを片づけカルピスの瓶を立て座蒲団をもって来る。Sが、こんちは、というときの国のあの「あ」という顔を思い合わせ、S一しお可哀そう。Sも欠点あるにはあるにしろ。この世に可愛がってくれる人なしに生きるのは全く可哀そうだ。太郎、活々としてかえって来る。大安心、大よろこび。
 シュアンをよみつづける。フーシェは益※(二の字点、1-2-22)バルザックの方がよく扱っていると思う、本質を。ツワイクよりも。

一月七日

(金曜)
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一月八日

(土曜)
 
 
 
 
 


   
 
 


一月九日

(日曜)曇
〔発信〕第二信。
 
 
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一月十日

(月曜)ひる暖 夜ひどい風
 
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一月十一日

(火曜)穏暖
 
 
 
  3.24 
 
 

一月十二日

(水曜)
〔発信〕池田小菊へ、書評

 
 姿


 
 
 


一月十三日

(木曜)
 古田中夫人の思い出を書きはじめる。かきにくい。親類や知人だけが読むものだから。母といとこであったということからおのずと、西村のことにも亙り、やはり面白いものとなりそう、十枚かいたらへばった。

 佐藤先生来。すこし肥って厚みが出来、これなら安心。宮の胸痛のこときく、ロクマクの癒着でおこる神経痛の由。おみやさんの診断書かいて貰う。
 寿来る。電報とゆきちがい。土曜、行かないでよくて助かる。

〔欄外に〕仕事 十枚


一月十四日

(金曜)四六度
  
 
 
 
 
 
 

一月十五日

(土曜)
 

 寿
 


 

 


一月十六日

(日曜)寒い 風つよし
 おしまいのところを加え、落付いてしゃんとした二十一枚。「白藤」とする。
 カザリンとマリー・アントアネットと境遇が実によく似ている。妻としての苦境、皇后としての板ばさみ等。カザリンの術策政治のよって来たところをバルザックは明らかにして、新教作家によって与えられた誹謗を訂正しようとしている、カザリンの政治的手わんというものを評価して。

〔欄外に〕
 仕事三枚
 メリメの「シャルル九世年代記」というが(ママ)よみたい。第一巻だと見えて全集になし。


一月十七日

(月曜)
 国から電話かかるかと思って咲用意して待っているがかからず。夕方いきなり国府津から帰って来る。Sがいると大むくれ。S夕飯に出て行って十一時ごろ帰って来る。咲、風呂をもしている。S食堂へ現れず風呂場へ来て自分のわきにくっついている、湯気の中を。可哀そうに。やがてS入浴、二時半。まるで大晦日さわぎだ。それから二階へ来、片岡さんのカルピス御馳走してやる、三時になるのに、そわそわ歩いてタバコふかして、その匂いがきつい。つい腹立ち声が出る。
 Sも、どうしてもっと敏感にすらりとしたやりかたしないで神経を試みるようなことするのだろう。
 神を試みる勿れ、と云った昔のキリスト者は、なかなか人間通だ。それは別に云い直すと、人間の弱小さを試みる勿れということになる。ゴー慢である勿れというようなことは裏から云うと、弱小な人間の限界に注意せよ、ということにもなる。客体的にも。

〔欄外に〕「白藤」送る。第三信。


一月十八日

(火曜)寒
 Sがまだいる、と云って、十二時頃出かける迄、国寝ている。実におはなしにならない。S、近ちゃんに川越辺案内して貰う由。
 巣鴨
 外套の襟を立て、うろうろしている。
「ここへかけたら」と云って椅子を押す、一寸かける。又立って落付かず。

一月十九日

(水曜)
 K、一日中こたつにつかって、皺だらけの顔して首をつき出している。「健康もスランプなんだよ」
 見るの、つくづく辛い。二階暮し。
 たった四十四だのに! 生活条件というものは何とおそろしいだろう。自分のお気まかせで、自分の価値ある能力までころしてしまうとは。
 昔母のもっていた机の脚ガタガタなのを、国に直して貰う、一寸布をかませて叩いて、大いにしっかりした。日向の本よみ用也。自分に貰う。紫檀かと思っていたら桜の由、猶更可愛い、桜の文机というのは。花嫁よし江にふさわしい。十八ごろこの机で「十八史略」習ったし、客間で夏よく本をよむにつかったし、はなれで祖母の夜伽しつつこれをつかった。再び自分の所用となるのはうれしい。
 近藤さんの話、川越の奥の物置洋館の二階というの、自分かりようと思う。寿かりなければ。K、全く我関せず、という顔している。よく出来たもの也。

一月二十日

(木曜)晴
 きょうは思いがけず所沢へ出かけた、目白の先生一家、そしてあるところにあるものとびっくりした、一面佗しい。顔、情実。それが佗しい。
 街道に若い松の丸木が薪としてどっさりつんである。東京の町の貧弱な割木とは全くちがう。そして、いかにも昔の宿の商人宿のまま、うま、荷馬車おき場のついた旅人宿なんかがのこっている。

 二人、明日開成山に行くといっていたら市次郎の娘が死んだ電報、どうしよう、こうしよう、やっている。二階へ上って来る。

〔欄外に〕
 こんな珍しい外出していた間に新京からB子さん電話があった由。「まあ! さぞがっかりしただろう」「はあ、がっかりしたようなお声でした」


一月二十一日

(金曜)
 
 
 
 
 
 宿()()



 


一月二十二日

(土曜)
 
 
 
 
 
  


 寿


一月二十三日

(日曜)晴天 暖北風
 
  56.
 


 姿
 
 
 


 


一月二十四日

(月曜)
〔発信〕宮へ
 
 

一月二十五日

(火曜)

〔欄外に〕巣鴨


一月二十六日

(水曜)
 S、夜泊りにだけ来るというのに、午後来る。そしてKとかち合う。大むくれなり。

一月二十七日

(木曜)
 

 

一月二十八日

(金曜)

〔欄外に〕巣鴨


一月三十日

(日曜)
 疲れが出たし顔を見るのもいやで床にいる。しかし自分を制することが出来るのは自分一人なのだと思う。大人なのも自分一人なのだと思う。
 どっちもわるいので、自分はそこにひっからまれた。ひっからまれて、やはり事前に善処する丈の力量はなかった。
 国へ手紙かく。あやまってやる、云い分とすれば、私が先ず分ってくれなくてはというわけだろうから。
 あとで馬鹿馬鹿しくて、むかついた。マアマアと思う。父の日のために自分は姉としてそれ丈の忍耐をしようと思う。

〔欄外に〕父上八年祭


一月三十一日

(月曜)
 祖師ヶ谷へゆく。工場へ入るという話、いろいろ話して、ひとの生活については相談も出来判断もしてやっていて、自分の暮しのしまつつきかねることを面白く思う。
 おそくかえる。
 そしたら俊夫来ている。見合い成功、十五日頃結婚するとのこと。
 国笑って話していて、何となし自分に目を瞑る。ゆっくりと。その感じ、何とも云えず。

〔欄外に〕祖師ヶ谷の予定


二月一日

(火曜)
 すこし状態よくなって来る。

二月五日

(土曜)
 
 
 

 

二月六日

(日曜)

〔発信〕宮へ。


二月七日

(月曜)
 国帰って来る。

二月八日

(火曜)
 出かける。手紙よんだよ、とのこと。そして島田へ借カン申し込むとのこと。それがよい。ただし方法がよろしくないといけないから、という。(自分)経済的可能と心理的可能はいつも一致しているといえないからね、そうでしょう? うむ、そりゃそうだね。

二月九日

(水曜)
 寿
 姿

二月十日

(木曜)
 
 
 




 


二月十一日

(金曜)
〔発信〕宮へ
 寿
 
 


 

二月十二日

(土曜)
 寿の大岡山へやる荷物見るにつれて、目白の荷物出して見て、鼠にあらされているので情けなくなった。どれも煮なくてはつかえない。どうしたかといつも心にかかっていた秘蔵のかんとくりと猪口が出たのは大よろこびだ。鍋類どうしたろう一つも出なかった。

「曠野の記録」、下らんです、と云ったのはすこし速断だと思う。若々しい作品です、と云ったのは世俗的にもわかりよい言葉と思う。ここには、弱くて善良である精神の天路歴程があるのだ。今丁度三十四五の人々の。こういう人々が過去のもちものを一旦すて、それから再び何をとらえてゆくか、そこが見どこである。これから後の年代の人々はこわれて自分からすてるものはない、しかし、何かつかむ、ということは必然である、その二者の把握物が、どう一致するかというところに極めて意味ふかいものがある、文学としても。

二月十三日

(日曜)暖
〔発信〕宮へ。
 
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二月十四日

(月曜)
 
 
 

 
 
 綿


 


二月十五日

(火曜)
 巣鴨、こんど行ったとき借金話を出さないのは賛成だ、と笑っている、インシュアランスのこと、ああそういうわけか。しかし、そこまで考えなくてもいいだろう、そうじゃないわ、考えなくていいと思うのは子供らしいことだわ。

 運送やの世話やかしたと思い、エーデル二つさち子さんのところへ届ける。
 ○△二十円かりに来る。自分もっているのは五十銭。咲ピー。うめに十五円だけかりてやる。質屋というものを知らぬ由。そういう人々。

 八頁

 夜、急に雪がふり出し、すぐやむ。寒い。

二月十六日

(水曜)
 

 寿
 

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二月十七日

(木曜)
 
 

 


 
 


二月十八日

(金曜)
 本六頁。

 巣鴨、あんまりきれいな花の工合で、優しい病気にかかってかえる。

 さむい。かえり小雨になった。

 夜あつい脂のういたみそ汁をよそいながら、寿どうしているか、こんな暖い汁はのめない、と思う。そして、皆が全く存在しないもののように念頭から消しているのを、おどろきをもって感じた。

 亢奮から生欠伸あくびが出たような顔つきになり、しかも出ず、欠伸の中途でものをいうような声になる。そして顔色が妙にムラムラとなって、一見ひどく寒いように見える。

二月二十日

(日曜)
 
 
 
 西
 

二月二十二日

(火曜)
 
  
 
 
 ※(疑問符感嘆符、1-8-77)

 

二月二十三日

(水曜)
 調輿

 
 

二月二十四日

(木曜)
 
 

 
 西

二月二十五日

(金曜)
 巣鴨、
 島田へ行くのがいやな話したが、宮、それはそちらが軍事知識欠乏のためだ、と云う。
 自分は、あんなところで犬死にしていられるものかと思う。親孝行のためには仕方がないね、しかしそれは宮自身の満足の話ではないだろうか。

「細菌物語」を待つ間よむ。水の細菌のこと。ヒポクラテスというひとは、すくなくとも近代科学がそれを発明した方向に、暗示を与えたし直感してポイントを示していたという点で大したものだと思う。

二月二十六日

(土曜)
 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)
 
 
 
 
 


 


二月二十七日

(日曜)
 三人国府津
 疲れひどく、起きているの殆ど無理。
 S来。夕方までいる。M子の話した話してきかせる。さすがに、それはわるかったと云う。

 森長氏より電話。

二月二十八日

(月曜)
 
 

 寿

 

 
 


  
 


二月二十九日

(火曜)
 
 
 綿

 
 








三月一日

(水曜)
 使
  9.62 
 

 


 


三月二日

(木曜)烈風
〔発信〕巣鴨へ
 
  
 
 
 

三月三日

(金曜)
 


 


三月四日

(土曜)
 
 
 
 

三月五日

(日曜)
 
   
 
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三月六日

(月曜)
 
 沿
 
  
 寿※(二の字点、1-2-22)
 


 
 
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三月七日

(火曜)寒い
 

 
 

 寿


 
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三月八日

(水曜)
 寿寿
 寿
 


 
 
 寿
 


三月九日

(木曜)
 ○太郎、きょうから休学。開成山の小学にうつることになる。亢奮している、「うれしいけどやっぱり東京にいたくもある」本心の言葉だ。咲挨拶に行って来る。太郎午後二時までやって、先生が太郎の疎開を告げ「さようならね」と先生云った由。中條太郎君のお母様という手紙もって来る。あけたら就学通告書が入っている。「将来太郎君がよき紳士となられたとき、よい記念となるでしょうと存じ云々」すこしはり合のある子を次々と送り出す先生の心が感じられ、やはり子供を扱う先生の心はちがうと思った。先生にもいじらしいところあり。わが子のへその緒を大事にしまっておく母のような。茂木先生という人に暖さを感じた。夜九時五十五分で咲国太郎国府津行。うちは山崎と私だけ。夕方国早くかえって来て土蔵の戸前をしめた。泥扉のしまった土蔵は堂々として物々しい。但、サイコロジカル土蔵で、北と東の窓はしまっていない、合わないのだ。それでも自分安心した。夜山崎にチョウチンわたす。自分のところにもおく。


 
 
 


三月十日

(金曜)
 

 


 
 


三月十一日

(土曜)
 寿の風呂たきしてやる。四時にすむつもりではじめたのに二時間以上たくにかかって結局六時すぎ、自分が出て夕飯たべたら八時ごろになってしまった。大つかれ。

 △来る。大畑の手紙みせてくれる。美智子、淋しいが元気でいる、というかき出し。そしてアイマイな字はあて字をかかず、とばしてある、鯖江のサバが分らないと、とばして江という風に。「迫撃兵とある。迫撃兵とはどうだ」とある。いい手紙である、ああいうよわい体にどうしてこの位の精神があるかと思う。△迫撃兵ってどういうの、ときく。自分困る。「手榴弾や何かもってやる兵のことじゃないかしら」砲兵なら分るが。

三月十二日

(日曜)
 防空演習
 △とまり上富士の教会にミサを立てに行く。(こういう表現をするものと見える。)聖体拝受のため何もたべず。
 寿、四時すぎかえる。何や彼や紙に包んだものをカゴに入れて。ドボーリノ〔十分だ〕という感じになった。△がいる間何故ああ不自然に冷淡にかまえているのだろう、私に対しても。

三月二十三日

(木曜)
 国、夜、河合老母逝去通夜の為国府津より帰京。待っていろ、という由、かえり十一時すぎ。山崎の亭主のおまわり、私がいるためここへ一緒に住めないから、私に別になるようにという。「じゃつまり私が出るというわけかい」「そうほか方法がない。もし姉さんが気が向かなけりゃ咲枝たち開成山にゆくのをやめさせる。死んだら其が運命だ。ひぐまと姉さんとでは決してやれないと断言している、咲枝が」云々。思わず泣けた。「よくも云えるね」「そういう風にとられたんじゃ、いやな心持だ」「だって、どうとることなのさ」ふつふついやになった。出てやると思った。が、考えてみて、これは譲歩すべき性質のことではないと思う。自分の便不便を別にして。

三月二十四日

(金曜)
 
 
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三月二十五日

(土曜)
 
 
 ()
 

三月二十六日

(日曜)
 山崎、うちを出すことにきめる、「そうしなさい。世帯をもって、山崎さんと呼ばれているより奥さんと呼ばれてみなさい」わたしはわたしで何とかするよ。

三月二十七日

(月曜)
 Y、がつがつだから、出るについて瀬戸もののいらないのなどを分けて、一世帯分まとめてやる。「フライパン貸して頂けるでしょうか、こちら小人数ですから」「そういうものは私はあげられないよ、今鍋は大事がるから。奥さんにきかなくちゃ」

三月二十八日

(火曜)
 巣鴨。

三月三十一日

(金曜)
 
 
 
 

四月一日

(土曜)
 国事務所から夕方帰って来る。
 変にかたくなってうかがうような調子でいる。開成山へ立つとき口もきかず、図々しくむくれて出て行ったからすらりとなれず、そんなにしているのだろう。ムクれるのはこちらのわけ故、どうも万事この調子ではヘキエキと思う。
 襦袢なおして、夜具の裏つけて干しておいてやる。

四月二日

(日曜)
 夕方より雨の中を熱海の友達のところへゆくと、いろいろもって出かけてゆく。国。
 家じゅう只一人也。

四月三日

(月曜)
 鷺の宮へゆく。はじめ栄のところへ。熊谷からみんな来ている。大家が家を売って疎開だと云ってトラックのうしろから乗用に一家がのって来て、チーちゃんの隣組は其をとりかこみ、こういう事は熊谷ではさせないとがんばり、やっと家は確保した由。疎開にもこういうのがある。仕立おろしのめいせんの標準服を着た女房で、炭を二十俵つみこんで来ている由。柱になるような木をぞっくり切ったたきものをつんで来た由。
 古在氏のところ、下の夫妻子供二人もっているところへ、留守の子供が赤坊まで三人、小さい細君上気上った頬してやっている。気の毒だ。今の家庭のことをやって五人の子の世話は大変だ。先生は気がつまるだろうが。

四月四日

(火曜)
 山崎来る。ごあいさつに来た由。咲の防空着を着ている。自分は、おしゃれして来たから、「旦那さんが帰ると、奥さんの着ていて気もちわるくするといけないから、ぬいでおきなさいね」

〔欄外に〕
 巣鴨、診断書をよんできいた。「あきれたね」「うらでは気違い扱いにしているんだから」


四月五日

(水曜)
 △から寿がかりたフトンの風呂敷を入用、えびす影丘という所をさがしてゆく。ひどいところで、爺のうらぶれがすみそうなところ。明月やごらんの通り破れふすま と入り口のひらき戸にかいてある。麟太郎の荒廃だ、Sがこういうところにいられるということ、いるということ、いろいろの感じで気がしずんだ。
 四谷へまわり住友で△たずねたがいないというので小使室でことづけたのむ。△のここでの見られかたが感じられた。運転手にいったら「ああ」とあの子かという風。小使も軽んじていていやな気がした。かえり巣鴨へまわる。森長の返事をする。かえり山崎の草履かって来る。近藤夫人、うちが見つかったとか云って見にゆきましたよ、やがて帰って来る。「移動申告したんですけれど」やはり亭主のさし金はその職業のものらしいやりかただ。やりかた万事この式。出るようにしてよかった。塩、みそ、しょうゆ、石ケン、みんなわけてゆく。

〔欄外に〕
 ひる頃事務所から電話
「どうして?」
「どうっていうこともないが」
 成程。自分は勤めのある人が休日の次の日も一日ふやければ、どうして? とつい出るのだが。


四月六日

(木曜)
 きょうから、来週火曜日まで巣鴨へゆくこと休止。「大分疲れるらしいから来なくていいよ」

四月七日

(金曜)雨
 

 


 


四月八日

(土曜)雨
 つかれるし、やれ切れないところがある。しかしもう去年の暮から人事の紛糾で困パイしきっているから、この上女中のことであくせくしたくない、もうしんから沢山だ。
 そういう点は呑気だが、身勝手鈍感居士とのつき合はつまらない。全くつまらない。頭わるーくなる。


 調
 
 


四月九日

(日曜)寒
 
 寿
 


 


四月十一日

(火曜)
 咲、午後一時すぎに帰る。国、床の中にいるとき電報来る。もって行ったらそのうれしがりようといったらなし。むっくり起きて、オバーオールきてはちまきして薪ごしらえにかかった。風呂をたいてやる由。

 帰ると二人でやっている。

 寿、やっと室の錠があいた由、道灌山の下で待っていた。何とよかったろう! どんなに気が楽になったことだろう。

四月十二日

(水曜)
 




 


 


四月十三日

(木曜)
 巣鴨へ行く。火曜日のとき、木曜ごろ来られるかいということだったので。森長の返事ももって。
 十日に宮のかいた手紙着。大変にやさしさのこもった手紙。文句には只少人数の暮しとなり、何から何までの仕事で随分のことだろうとある丈だけれども。
 春らしく百合花採集の旅をつづけよう、と万葉からやさしい歌三首かいてある。そういう展開のしかたのかげに感じられる暖かさ。ふくらみ、底まで達した思いやりをうけとり自分非常になぐさめられた。人物の大さのわかる妻へのなぐさめかたで、うれしさ。そのうれしさで又なぐさまるというようだった。自分のなぐさめかたはもっと低いと思った。愚痴のつれびきをしてしまうところがあるから。

〔欄外に〕
 ヴェラスケスを見つけて来る。解説は通り一遍だが、絵はやはり面白い。イノーセント十世がその名と正反対に冷酷な人間をむき出し、しかも美しい魅力ある画となっているのが面白い。しかしゴヤはやはり大したもの也。――ゴヤは時代的特色としてもっと激情的である、暗く激しい。


四月十四日

(金曜)
 和島さんの引越しに子供つれて行ってやる。四つと六つ。可愛い子たちだが王子から江古田まで二時間かかり、おまけに自分地図を間違えて行って大あわて。しかし公衆電話と床やとでわかりトーフやのおっさんにきいて分った。門などひどく雨戸はずれる。
 ぐるりと裏へまわり一側むこうに出たら例の練馬の大滑走路が坦々としてある。びっくりし気の毒。何ということだったろう。知らなかったのかしらと思う。朝七時半のトラックが午後四時すぎ行った由、自分四時に出て岩本へまわる、御馳走になった。壺井夫妻。繁さん栄養障害で脚が大はれの由。月一杯やすむ由、栄さんは四国へ行く由。

四月十五日

(土曜)
 
 
 
 


 
 

 


四月十六日

(日曜)
 咲が火曜日にかえってからきょう迄公休だったので疲れ大分なおり、きょうは二人遊びの一日とする、しずかで、外出しなくてよくてたのしい。手紙ゆっくりかく。日記も整理する。
 自分が台所をしている以上、配給日記をつけよう。それは今日の文学でもある。
 いい天気だったのにさむくなって風邪気味だ、こんや早く床に入る、たのしみ。
 何かしては手紙かき、手紙かいては何かして、二人あそび、久々ぶり。

〔欄外に〕
 魚配給、タラ三人前、三切 .30、米、一袋五月十五日までとのこと、「よっぽど気をつけて上るんですナ、雑炊食堂へでもいらっしゃるんですな」南瓜の種五粒


四月十七日

(月曜)
 6.50
 
 
 


 .8.6


四月十八日

(火曜)


 
 


四月十九日

(水曜)
 辿
 姿
 

四月二十日

(木曜)
 


 


四月二十一日

(金曜)
 野上さんにかりた『或る原始人』自分は面白くなかった。社会形成以前の、本能の開化の過程を、火をとる迄かいている。
 フランス人の現代生活と対比して、一種の啓蒙になるだろうし最も初源的な形において人間を見ることに珍しさがあるかもしれないが、これが面白いなら、家族や私有財産の発生から国家形成に到る過程をかいた古典の面白さは匹敵するどころではない。文学において人類は、本能の自覚以前において登場するものではなくて(それは科学)文学は考えることを知った人間の時代からはじまる。つまり皮質的人間になってから、そして第二命令システムをもつに到ってから――人類の文学とともに文学には登場すべきものである、そういうことを痛感した。

四月二十二日

(土曜)
 ()姿
 

四月二十三日

(日曜)
 
 
  

四月二十四日

(月曜)

〔欄外に〕
 ○鈴木歯科へ通いはじめる。待合室に古くさい各国の人形がうんと集めてある。足の片方こわれた古ピアノ一台、カイロ織の布がかけてある。主人公、おくさん、助手の三人。おくさんも女歯科。歩いて米や酒や本やとまわってパンやまでまわれる。この頃向きの歯いしゃ通い也。


四月二十六日

(水曜)
 宮、あんまりすすめるのでレントゲンとることにして急に思い立ち、駒込病院の宮川さんのところへゆく。フィルムがない由。いい折で、きょう入りましたという話。

四月二十七日

(木曜)
 レントゲンの結果、肺門リンパ、ろくまく、肺炎みんな古戦場の由。
 十三年にひどく赤沈が多かったのや寝汗かいたのや、宮のベシベシでそれそれの病気というところ迄ゆかずくいとめたと、しみじみありがたく思った。あのベシベシは生涯感謝すべき命令となった。
 同時に、あの頃の食物のよかったこと、抵抗力のあったこと、普通の細君暮しでは出来ないのびやかさもあったことなど、思い合わせる。
 寿、お姉さまがそれじゃ、私なんかどんな有様だか。

四月二十八日

(金曜)雨
 佐々木検事より呼出。午前中。

四月二十九日

(土曜)
 国、こうづ。

四月三十日

(日曜)
 この頃おちついて手紙をかく時間がすくない。国のいない日には、二人きりで暮す心持で、愉しく二人遊びということをはじめる。何かしいしいかきつづけて、マア一寸まってね、ということもある手紙。
 気に入るらしく、春らしい趣向だと云って来た。

〔欄外に〕
 巣鴨へ手紙、二人遊びの日。


五月五日

(金曜)
 

 ()

五月六日

(土曜)
 国、こうづ。

〔欄外に〕巣鴨へ手紙


五月七日

(日曜)
 常会。国がいないから欠席、
 千駄木学校のわきの強制疎開を割当てるという話、国債六百何円かの割当て。

〔欄外に〕巣鴨へ手紙、二人遊びの日


五月八日

(月曜)
 こんちゃんpa来、国債の割当てが筋が通っていないと、しきりに力説する。maが押している。

五月九日

(火曜)
 高尾善ちゃん来る、自分が茶をもって行ったのに、この男一人膝立ての脚ぐみをしていて、坐り直しもしない。えらい友達づき合い也。

 疎開者を入れるにしろダイヤモンドにかすにしろ自分達は暮しかたを変える、それについて国チクリチクリ妙に底意地のわるいことをいう。いろんな話から国、三月末の山崎のゴタゴタのときのこと云い出して、姉さんが分らなくなって来ている、という。「横っ面をはりつけておいて、よろついたからって、とがめるのは余りだろう」
 自分やっぱり泣けた。
「そうきいてよく分った。すまなかったと思う。よく姉さん耐えたね」「僕は、そういう目に会わないからわからない」「あーあ、これから安心して姉さんに親切出来る」「僕は姉さんを尊重しているからさ。形式的には絶対に云う通りにしたいと思うから」「形式なんかどうでもいいよ。ちゃんとわかるように話して、都合のいいようにやるのが一番いいのさ。わたしは、平凡なけんかきらいさ」

五月十日

(水曜)
 検事局へゆく、昭和十二年頃の書いたものについて。

五月十一日

(木曜)
 
 

 

五月十二日

(金曜)
 検事局。今回の戦争の性質について、私有財産制について、革命の可能不可能について等。何故十二年頃のを本に入れたか、ということ。

 かえり提灯やへまわって、四つとって来た。

五月十三日

(土曜)
 紀来る。これまでの自分の仕事がいやになって、やめたということ。総務をやって闇屋めいていたのが。「往来であってあいさつする奴は、みーんな闇屋さ。つくづくいやんなった」ここが紀さんなり、「そのくせ、やっている間は夢中さ」それも本当。この一月頃のあのハッタリのきいた調子はそれであった。「ああいうことをやってると人間が妙になる。なーんだってあるんだもの。ないというものがあるんだから、ひとがバカに見える」「人間ぎらいになっちゃったんだから、何でもやめさせてくれってがんばったんだ」

〔欄外に〕
 黒砂糖になるという話、「純白なのはブタノールでもつくらなけりゃいらないのさ」自分、ブタノカワときこえる、「ブタのカワ?」自分の無学さ。


五月十四日

(日曜)
 国オバーオールを着てウメをつれて、荷物出しに行く、自転車にのって。これで一安心した。咲が、重いやら、自分の分が先やらで、いつ迄たってももって行ってくれようとしなかったからよかった。

五月十五日

(月曜)
 


 


 
 


五月十六日

(火曜)
〔発信〕巣鴨
 
 
  3.08 
 ma宿

五月十七日

(水曜)
 ああちゃん帰京、夕方。
 歯医者。

五月十八日

(木曜)
 
 調
 調
 


 


五月十九日

(金曜)小雨
 
 
 
 
 


  ()     120.     


五月二十日

(土曜)
 
 30
 
 
 


 


五月二十一日

(日曜)雨
 咲、子供とはなれていてやり切れないと、けさは帰るつもりにしていた。しかし警報中咲が五時間も出てゆくのは余りで、疎開した意味ないから、行くなら男がゆくべきで、俺が行く、と国いう。尤もなり、咲も其には一言もない。其でも証明を貰う丈はしておくと、国行って南鳥島の東方に、かなり大規模の機動部隊の来たことをきいて来る。五六時間の距離だ。重要産業地帯が主で第一種警報の由、大安心。咲「安心したら、なおかえりたいようなところもあるわ」自分、カンの中に瀬戸もの鍋類つめた二ヶ。埋められない由、すぐふしょくしてしまう由。あわれなことだ。すこし疲れた。(眠不足で)

五月二十二日

(月曜)
 歯いしゃへ午後一時すぎ行こうとしていたら、台所で「マアあよかったこと、どうもありがとう」と咲のいかにもうれしそうな声がする。おやと思っていると「アッコオバチャン、解除ですって!」とんで来る。よかった。それにつけても、又何人かの命が、この平和にかかっているのだと思って、しんとした気持がつよい。
 この頃の東京の平和、生きている我々の一日の安穏のために、いくつかの命が失われつつ、謂わば人柱の上に、日々の平安が立てられている。無駄にしては相すまない平和である。
 生きてゆくものの強慾さをも思う。

〔欄外に〕
 警報解除
 逓信省より国府津の家かしてくれとの交渉、村役所からの手紙、国ことわることにして文案作っている。


五月二十三日

(火曜)
 テイ信省の役人来、早いこと。いろいろの話から国貸すことにした由。それが自然だろう。箇人より却ってよい。明日そちらの人とこちらの二人で行くとのこと。
 貸す、かさぬ、評定している間もなく、もう人が来てしまう、かすにきまる、このテンポの早さ。

 国の行くところがなくなった、それもよかろう。

〔欄外に〕
 巣鴨、受付の様子が変って、門の入口になり、五十人ずつ区切ってわたす、やはり三時前がよい。


五月二十四日

(水曜)
 

 寿寿寿


 
 


五月二十五日

(木曜)
 
 


  


五月二十六日

(金曜)
 
 

 





五月二十七日

(土曜)
 咲、開成山へかえる。国夕方から国府津。

五月二十九日

(月曜)

〔欄外に〕
 ガンサーの『アジアの内幕』、今日では、古い鏡から今日を又てらし直して見るという面白さがある。インフォーメイションの価値だけと云えよう。


五月三十一日

(水曜)
 巣鴨、歯とまわって六時すぎかえる、大いそぎ也、丁度国と前後して。急いでいたせいか何か、折角買ったばかりの回数券、定期ぐるみ落してしまった。残念で大いにさがすが見当らない。

六月三日

(土曜)
 咲、太郎をつれて来る。
 太郎いかにも少年ぽくなって、自然で、のびやかになっている。
 ああいう少年は、やはり生活作業と結びついた生活がいいのだ。往来で遊んでいるまとまりと責任のない生活より。小堅くなって、もののやりかたが身について来ているところ。とくに、この家での生活は、解毒剤として、開成山暮しを必要とする。太郎のためによろこぶべし。

六月四日

(日曜)大雨
 
 ()()

六月五日

(月曜)
 朝歯へゆく、それから目白。さち子さんすっかりやせて、ぜん息風のせきをしている。子供たち大はりきり、イナカヘイッチャウンダ、モウコナイヨと。全くこの間うちはひどくて、一家総倒れ的だった、俊次さんもしんから大変だったろう、秋ぐらいまで行っているのよし。
 みやげ、ああちゃん テーブルセンター
自分 ナルビ香水、ハンカチーフ、扇母娘へ
 巣鴨へゆき、かえりよる。片岡さん留守番に来ている。一人でさむしいからと夕飯たべてかえるつもりのところへ寿追っかけて来る、つかれてしまって泊る。寿も。大きい瀬戸ひきの角箱に御飯ぎっしりつめこんで三日分だなどと云ってもっている。夜あけたらもう匂う。可哀そうだし、いやになってしまう、みじめっぽくて。

〔欄外に〕は。巣鴨。


六月六日

(火曜)
 寿寿寿

 

六月七日

(水曜)
 


 
 
 


六月十日

(土曜)
 咲と洋服の布地やへまわるというので森長さんのため一緒にゆく。
 かえると、国ボヤいている。
 夜咲、自分のふとんだけ別室にしき、奥へ、国と太郎のをのべながら、この間お父ちゃま自分でフトンたたんだの? それともあっこおばちゃんが上げて下すったの? 自分わからない。知らないよ、いつのこと? 咲枝が畳んで行ったじゃないの、あれっきりよ、「どうもそうだと思った」六日に国府津へ二人さきにやって、自分だけは行かなかった由。

〔欄外に〕
 これは六日の夜のこと。あとになってつけると、こんなに日どり間ちがえる、そんなに生活は遑しいということになる、おどろく。


六月十一日

(日曜)
 
 

 

六月十二日

(月曜)
 寿寿

 ()
 
 
 

六月十三日

(火曜)
 午前のうちに墓詣りをしようと二人で、おそ朝で出かけた。二人でこうやって朝の墓詣りしたりするのは初めてのことだ。青山の通りの小さい支那飯やで、二品一円のひるめしを売っているので、めずらしくたべてみる。キャベジの外側の葉っぱをきざんでモヤシとにたものと、同じ材料を、汁だぶだぶにして春雨を入れたものと。これでもいい部の由。花買って、そこで手桶かりて行く。水を汲んですこしゆっくりしている。寿一人で来て、ベンチで本読んでかえることがある、と。一言がいろいろの心もちを語っていて、自分は涙が出そうになった。寿のこころのうちは、分られていない。それでいいという勝気が、寿の場合は内へこもる結果となる。帰りはじめて根岸による。浅井忠の茶室のようなアトリエがのこっていて、手すりの工合などいかにも下に水のある風情。うちは全く明治の古典的温室があったりして、根岸のハイカラーというところ。面白さ、うるささ半々なり。ゆっくり休んで夕刻かえる。寿のおみやげのとりを料理して、美味さにおどろきつつたべる。いい一日だった、と云っているところへ森長さんより電話、きょう公判があった由、無理につれて来られた、と云った由、おどろいた。

六月十四日

(水曜)
 巣鴨へ行く。本をよんでいたら「宮本さん、もう病舎じゃないよ、普通の舎房へ来たよ」びっくりした。どうしてだろう。万事不便だろうのに。去年の春以来、ボックスで会う。電燈の光の下で顔色すこし上気して見え、表情も所謂活々しているが、いく分亢奮の気味でこころから気の毒に思う。云うなりにならざるを得ない点を。
「お疲れになったでしょう」「うむ八度ばかり出た」「きのう、十時半に分ったのなら、そのときかけてくれたらねエ」「あれも僕が云ったから、かけたんだよ、さもないとかけなかったろう」「マア、いろいろあってね、コンモンセンスで判断出来ないような風になって来るから、一時は不便をして、マアいろいろタクチカがあるから」
 しかし気の毒だ。
 ○帰り森長さんによる、二百円とシャツ地(45. ――)おいて来る。公判を今までひっぱっておくのは不面目というわけなのだろうとのこと。八日に出廷しなかったので、それからあと、裁判長が巣鴨へ行って所長に会ったりした由。
 病人を公判にひっぱり出したということになってはいけないというので、舎房をかえたのだろう、小細工。
 ○夕方六時すこし前サイレンが鳴り、警報発令。サイレンで急を感じた。

六月十五日

(木曜)
 寿
 ()

六月十六日

(金曜)
 国金曜日にはかえるというので、田口の大野に三共の売わたし契約していたところ帰らず。大野から朝十時ごろ電話がかかって困った。結局居どころを知らせ、もののありどころを知らせ、納得したらしい。

 歯へ行く。もんぺで。北九州、父島へ来て、北九州から山口の海岸よりのところ相当の被害らしい。今夜からあけがたピンチと話し椅子にこしかけたら、医者の手がつめたく顔にさわった。大分亢奮している。不安で。つめたい手がちょっと口のよこにさわったのが、大変切迫した状況をよく表していて、殆ど小説的である。歴史の人間的コムプレスはこういうようなところにある。

〔欄外に〕独ソ戦三週年


六月十七日

(土曜)
 小笠原からひっかえして行ったものか。
 ガンサーの「アジアの内幕」。インドのところ。ガンジーという人物、ネールという人物、いろいろ感銘ふかく身近くよむ。ああいう立場におかれた国の智識人が、民族主義と近代の社会科学とを統一したものとして自身の感情のうちにもちはじめるということは、深甚な意味がある。どこでも其は同じであろう。北九州若松市に落ちたボーイングB26の残骸という写真を見ながら、これらのことを切実に感じた。新聞は八幡損害なし、と語っている。麦やきしていた山間の村に大爆撃を蒙ったらしい。
 今夜はやや安定して、疲れが出て眠たく十時頃からぐっすり眠った。ノミも気がつかず。

〔欄外に〕
 巣鴨、宮おなかすいている顔している。今まで飲んでいらしたものどうして? 今のところストップだ。今のところストップということが、つづいてしまうのではないか。


六月十八日

(日曜)
 
 ()()

 

 


 
 


六月十九日

(月曜)
 今日、太平洋連合かん隊一部マリアナ周辺に出動しはじめた。三つの機動部隊をとらえる。決定的打撃を与うるに到らず
二十三日発表

〔欄外に〕
 巣鴨、
 午後四時すぎ、警報解除
 かえり歯、


六月二十一日

(水曜)
 国帰る。
 自分、巣鴨、ハ、とまわって六時すぎ帰って来たら食堂の椅子にひかえている。

六月二十二日

(木曜)
 寿に来てもらって、国が、荷物かげ丘へ送りつけると云っている話をする、そして、どっちみち千葉へひきとることにした方がよかろうという相談する。

六月二十三日

(金曜)
 
 
  
 
 寿


 


六月二十四日

(土曜)
 


 


六月二十五日

(日曜)
 北フランス膠着のよし
 しかしコタンタン半島の遮断に成功したのだそうだし、シェルブールが西南で包囲されたと云えば、動いている。

六月二十九日

(木曜)
 
 ()
 



六月三十日

(金曜)
 
 
 
 
 

七月一日

(土曜)
 

 

七月二日

(日曜)
 
 
 使

 


 
 寿


七月四日

(火曜)
  
 
 
 

七月五日

(水曜)
 警報解除

七月七日

(金曜)
 朝、へっついを燃いていたら沢田来、
 咲が手紙出してくれたので。一週間もいるつもりだったら挺身隊になってしまって日曜の午後かえる由。それでも大助り。
 台所をすっかり片づけてくれる。

 巣鴨、

 沢田、はじめ妙にしていたが段々気が楽になって、早く上ればよかったと云っている。男がろくでもなくて、式をあげなかった由、あとで、なくて大助りのわけだとなぐさめてやる。

七月八日

(土曜)
 公判第三回、プロボカートルに対する方針。世界的に方針はあるということ。除名が最後的方法であること、理由は、国家権力に対して、政党である以上、除名をもってその組織よりボイコットすれば足りるのであって、箇人的復讐を云々するのはアナーキステックな考えであって間違っている。仮借なきということの意味、仮借なき自己批判という場合にも明らかなように、政治的に妥協せぬ意味、プロボカートルが組織を腐敗させ、方針を歪め、損傷を与えるのみならず検挙後も偽りの陳述、中傷等によって罪悪を重ねるのが特長である。

 帰りに日比谷をぬけたら、土丘のふところを凹に切って錨のついた自動車が一台おいてあった。その上に楓の葉が夕方の日光に透明に美しかった。

〔欄外に〕
 八日にサイレンの試験すると云ってせず、必ずわけがあろうと思っていたら北九州へ又来て(午前二時)追っぱらわれた由、もう警報も出ないこういう段階的漸進。


七月九日

(日曜)
 沢田きょう午後までいる予定でカンテンでもこしらえようと云っていたら、急に電話であたふたかえった。仲人だった人たちが来ると云ってハラハラしている。こんな人を縁談でまごつかせるのは本当にツミなことだ。

 沢田、すっかり大掃除して、寿の部屋も開けておかれるようにしてくれた。洗濯もの、つけたままになってしまってかえった。

七月十一日

(火曜)
 巣鴨、おなか工合どうもよくないらしい。一ヵ月ばかり下痢と秘結チャンポンの由。やっぱり結核性のものらしい。よく養生するから心配しないでいいよ。
 宮、例の調子で云っているだけよけい可哀想でならない。今度は病人でないことにしようとされている丈万事不便不快で、数年前の時よりこちらの心も切ない。

七月十二日

(水曜)
 
 
 

七月十三日

(木曜)
 佐藤さん夕飯に来る約束のところ忘れたらしい。

七月十四日

(金曜)
 巣鴨、
 宮大分大儀らしくて、両手を枠につっぱって話している。こんどは、来週の木曜頃にしておこう、疲れるし。そちらもどっかへ行ってイキを入れてくるといい。
 この次はどうなるか(八月二十四日のこと)こんな風じゃあ、出るも出ないもありゃしないんだし、と。

「風に散りぬ」作者のアメリカの女らしく闊達なところがよく活きていて面白い。骨太なところ、筋骨的な文学の体質が。南北戦争のとき、ヤンキーが世界中の人間を金でやとって戦わす、南部は一度出たらそれっきりだという事実の意味深さ。この移民の問題はシンクレアの「石炭王」にも出る。英語の話せない坑夫たちとその人種偏見について。

七月十七日

(月曜)
 
 
 
 


 


七月十八日

(火曜)
 台所で夕飯仕度していたら、サイパン玉砕のニュースあり。七月七日にサイパン守備軍は、総指揮官を先頭に玉砕した。

〔欄外に〕
 夜、国の友人山ちゃん来。


七月十九日

(水曜)
 
 
 
 



 
 西


七月二十日

(木曜)
 

 

 

七月二十一日

(金曜)
 

  


 
 


七月二十二日

(土曜)嵐
 ()

 

 ()()



七月二十三日

(日曜)嵐の後さむい位。
 ※(二の字点、1-2-22)
 
 竿調※(感嘆符疑問符、1-8-78)


  4. 
 
 
 
 
 


七月二十四日

(月曜)

〔欄外に〕
 七月二十三日モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)にポーランド新政権樹立「ポーランド国民解放委員会」
 占領地内ホルム市に移る。
 英国亡命政権の始末にこまる、見殺しならんと。


七月二十五日

(火曜)
 寿が引越しをするのに(二十八日)国はいられないとのことで、十一時五十五分かで、咲をつれ大さわぎで開成山にゆく。

 夜分になってから寿来る。

〔欄外に〕
 チンをつれてかえる。大分顔つきがちがって来た、虫をとった由。予防注射も入れて、十四円五十銭也。


七月二十八日

(金曜)
 午前十時にトラックが来るというので、クタクタなのをやっと起きて、炭だの何だの揃えてやる、二階から茶ダンスおろしたり。
 寿大きい木のトランクももってゆくことにする。大した荷物なり、やけてももって行った方がいい由、両方でそう云っている、やけてもあずけたくない、と。
 すっかり玄関へ出して待っている。十二時になる、来ない。二時になる来ない。四時すぎ千葉へ電話をかけ、やっと通じたら、出たが故障で行かれなかったと。どこまで来て故障になったのでしょう、それは分りません、どうして故障と分ったのでしょう、それは分りましたが。どうもうさんくさし、夕雨降って荷物皆タタキへ入れる。
 近藤さん組長となる、よろし。

〔欄外に〕
 天気きわめて不安定だ。
 真夏というより疲れて光彩のない夏の末の葉の色になってしまった、あの雹以来。


七月二十九日

(土曜)珍しく晴
 
 輿
 
 


 
 
 
          
  
 
 


七月三十日

(日曜)

〔欄外に〕
 赤軍ワルソーに迫る。
 決戦迫る欧州戦局、


七月三十一日

(月曜)
 寿

 西
 

八月二日

(水曜)
 大掃除。手伝いの男に来させ、台所の煤をとり、国の寝室の畳を干す。
 半間な仕事ぶりで、夕方畳入れてみたら、キチンと入らず凸凹してお話にならず。
 女中室をやっているときKトランクを下げ開成山より帰って来る、働いている男に一言も口をきかない。男ソワソワし出す、自分も落付かなくなる、何という男かと腹が立った。何かわるいことでも仕ているような気もちにさせるとは、と思って。

八月九日

(水曜)
 開成山へゆく、国と二人。出立の前三十分か一時間のとき、瀧川さんが友達の山田さんとその子をつれて来てくれ、瀧川さん上野までわたしのトランクもって送ってくれる。一時四十分発

八月二十一日

(月曜)
 パリより邦人ベルリンに脱出す。

八月二十五日

(金曜)
 パリ、英米軍の包囲下にあって、全市で激戦中、エトワール、モンパルナス、サンラザール等。マーキの活躍。

八月二十六日

(土曜)
 ヴィシー政府首相ラヴァル以下東部フランスへ逃亡、二十日朝、ペタン、ヴィシーを脱出す、夫人と共に。ヴィシーから独軍にとりまかれて。「政府部内一部のものは、ペタンが独軍の強請によって出立をさせられるという印象を与えるため、法王庁大使、スウィス大使を」オブザーバーとして、ホテルドパルクの外に来させた、と。

八月二十七日

(日曜)
 シュバリエ、マーキに殺された由、理由のあったことだろうと想像される。

 司法長官会議 法相、検事総長「大口買出しに断、地位濫用を糺弾」強調

八月二十八日

(月曜)
 満四年間独軍の下にあったパリ、二十八日反枢軸軍によって陥落する。ド・ゴール進駐

八月二十九日

(火曜)
 

 


  


九月一日

(金曜)
 食料の(野菜、魚その他)※[#丸公、134-15]の変化、=価格操作の円滑化、野菜小売四、五割上る

〔欄外に〕
 旅行の証明制廃止、


九月二日

(土曜)
 西
 
 


 
  ()()
 


九月六日

(水曜)

〔欄外に〕
 議会での臨時軍事費追加 二百五十億円
 アントワープ到着


九月七日

(木曜)

〔欄外に〕
 ソ連ブルガリアに宣戦、忽ち降伏


九月八日

(金曜)

〔欄外に〕
 昨日、第八十五臨時議会開院式
 小磯首相六大施策
 電話訓練始る


九月十日

(日曜)
 衣料品総合配給となる。

〔欄外に〕
 ブルガリア対独宣戦。
 九日の衆議院予算総会で重光外相「ソ連は隣国友好不変」


九月十一日

(月曜)

〔欄外に〕
 首相言明「国民生活の向上を期す。現在の状態が最低」
 貯蓄目標四百十億。
 全国二万の在郷軍人の防衛隊初動員(暁天)


九月十二日

(火曜)

〔欄外に〕
 ブルガリア新内閣成立


九月十三日

(水曜)
 調


 
  
 
 


九月十四日

(木曜)曇、夜雨
 
 調()調


 寿
 
 


九月十五日

(金曜)雨
 きのうのかえりに寿へまわったりして、休めもしたが疲れもした。八時すこし前起床。ぼってりした顔している、しかし気がついてみると、わたしの相貌は最近に微妙な変化をした。こころのうちの様々のよろこび、おどろき、一層新しくされた傾倒等の焔のかげが顔のニュアンスにさし加って来ていて、人間の味、女の味のこまやかな光彩が添えられている。こうして顔つきまで変る生活というもののいじらしさ。もと、一緒に過した一夜が明けると、鏡に映る自分の顔が別のもののようにあでやかに匂わしくなっているのに、どんなにおどろき、心をうたれ、そのように変る自分を、彼よりほかのひとに見られることを、はにかみふかく感じただろう、それを思い出す。今、人々の生活は遑しく、自分のことにとらわれているから、おそらく誰もわたしという女の顔が、こうしてかすかに変り、そのかすかな変りというものが、どんな深い意味をもっているかということを感じもしないだろう。
 かかる現代において人生の本流に立っているということの、云うに云えない心持、落付き、信頼。川底のあらゆる起伏、岸辺の逆波みんなそのものとしてまざまざと見、且つ持ちつつ、しかし川は川下へ向って流れゆく。何年かかろうとも。揚子江では筏の上で生れた子が、歩くようになって河口に出る。

九月十六日

(土曜)雨
 村田親子をつれて国、国府津へゆく。雨の中を、つんぼの老父が白い風呂しき包みを背負い、ゲートルをまき、息子はカバンを下げ包をもち。何か女親のいない、女房のいない老年と少年の生活を哀れふかく見た。
 瀧川さんのモンペ地を見るために、家庭購買組合へゆく、かえるのを国待っていた由。
 夜十一時ごろ、大グロッキーになって帰って来る。すっかりしまったものを村田に出してやったとのこと、そうしてやるしかないのは分っていた筈のようだが。
 開成山までの切符を買って来た、これは大満足らしい。

〔欄外に〕『風に散りぬ』第二巻。
 スカーレット・オハラという人物に同情を感じ、作者は熱をもって描いている、戦禍というものの形が実感に訴えて来る、身につまされる。作者ミッチェルの精力的な性格が益※(二の字点、1-2-22)発揮されて来ている。


九月十七日

(日曜)風のち雨
 
 
 
 

九月十八日

(月曜)
 
 使
 
 () 
 
  
  
 


 


九月十九日

(火曜)
 

 

 
 

 


 
 
 


九月二十日

(水曜)
〔発信〕巣鴨 栄へのぽぴん、巣鴨へ『飢と闘う人々』


 


九月二十一日

(木曜)
 
 
 便()()
 


   


十月五日

(木曜)
 第七回公判、各被告の予審終結決定並に公判における陳述の検討(第一部)逸見、木島、大泉。逸見の陳述が裁判所の基本として使用されていると思えるが、逸見の誇張、卑屈な陳述は事実をあやまるものであり、其自身多くの矛盾を含んでいる。逸見が党内分裂して急進派、非急進派に分れていた、それが査問の動機となったというようなことは、組織部会で自身が大泉が変だと秋笹に云い、宮本には黙っていようと云った事実に反する、彼自身白テロ調査委員会の責任者であったことも事態を糊塗するために責任回避されている。逸見は客観的には木島もそうであるように、大泉と等しい役割を演じた。木島が中央委員でなく、ピケにすぎなかったのに様々に見ないことをべていることの不合理を指摘。大泉がスパイ関係を自白したこと。卑屈に助命を求めたが、査問当事者たちは一人として身体的危害を加える意志はもっていなかったこと、それらについて、三時間半に亙る。

〔欄外に〕速記一人


十月八日

(日曜)
 143-8
 
 
 I'm through 



十月九日

(月曜)
 けさは、のんびりおきる。じっとして暮すつもりだったのに、家中あんまりガタガタで辛棒し切れなくなったので、急に思い立ち馬崎(手伝の男)のいるうちに、こっちの部屋(二階)テーブルとベッドちゃんとして、夜眠る前にはせめて日記でも落付いて書くようにしようと思い立ち、働きはじめる。赤い低い台もうつして、一番古い杉の本棚一つ壁の前におき、久々で十六年十二月八日の夜以来テーブルについて、巣鴨へ手紙かきはじめる。国二人は下で、区役所の古物やに、三流品を売っている、もう夜の十二時だが、まだやっている。
 咲が、もうあさって帰れる、もういつ帰れる、と帰る日をたのしみにして家中大濤をうたせ、はたを働かせて働いているのは妙に寂しい。咲帰るのをうれしがっている、その気持は何も子供のところへ帰るうれしさばかりではないのだから。こんなに働かされると、ワタシモ、ドコカヘ、カエッテシマイタイ。

〔欄外に〕きょうも晴、やや暖。


十月十四日

(土曜)
 西西
 

 
 
 
 



十月十六日

(月曜)
 十二日より三日間、台湾に来襲せる敵機のべ千九百五十。そのうちおとしたのは百八十。

十月十七日

(火曜)
 
 
 
 
 


 
 


十月十八日

(水曜)
 巣鴨、

十月十九日

(木曜)
 
 
 
 

十月二十一日

(土曜)
 稿 1.40 
 
 

十月二十三日

(月曜)
 
 

 1015

十月二十四日

(火曜)
 調西
 



十月二十五日

(水曜)
 六月十三日からはじまった公判が終りに近づいた。
 この公判が、法廷で行われ、自分が聴くことの出来たということには、計り知れぬ意味がある。自分は、この数ヵ月で、本当にこれまで停頓していたところから実質的に一つの進歩成長をとげることが出来た、その位うけた感銘は深く、学ぶところ多い。人間としての情操、理解においても一深化した、そして妻としては、一層一層宮本の本質にとけ合わされてゆく歓喜を感じた。私たちは、というより、自分はこうして一段と彼の妻となった。こういう深化の過程を考えると、その価値の高さにおどろくばかりである。宮本が妻として、一きわ自分を近く一致させたその根底の大さ、ふかさ。自分のこころには全く非個人的な歎賞があり、そのために比類なく結ばれ、それ故こそその感情が一層非個人的高揚を経験するところは、微妙至極である。相当な人物が、わが身を惜しむ心をはなれてしまう動機というものは、こういうところにあるものと思う。この恋着の晴れやかさ。この恋着の大義に立つ大やかさ。


 
 寿


十月二十六日

(木曜)
 きのう帰りに冬着入用とのことで大いに閉口する。日の出の通りをのろのろ歩き乍ら、ふと妙案を思い浮べ、ままよ、寒きにはまさると、昨夜のうちに、宮の袷の裏をはがし、銘仙のひとえの裾をとき合わせて綿入れとする仕度をする。
 けさは、国が出てから十二時までに裾合わせ迄して、一時半頃から綿入れ。大フーフーで落語ではないが「えー人間、一心というほどおそろしいものはございません」
 四時半頃ともかくひっくりかえして、自分もひっくりかえりそうにへばった。実に実に大笑い也、モンペはいて、フーフー云って、きもののぐるりを這いまわって仕上げた腕は大したもの也、それでもいつとはなしに手順も覚えているとはおそろしい。度胸も我ながらおそろしい。近来の傑作。

十月二十七日

(金曜)大雨、
 綿

 



十月二十八日

(土曜)
  
 

 


 
 
 


十月三十一日

(火曜)
 
 使使
 
 西調
 調
 

十一月一日

(水曜)
 きのうの疲れひどい。それでも午後から出かけようとしていると、一時すぎ警報、おやと身ごしらえをしたら五分後に空襲警報となり、いそいで皆壕へ入る。四時にケイ報は解除となる。高射砲の音もしなかった。
 夜九時半に再び警戒警報。一時すぎ迄みんな仕度をして食堂にいたが、つまり床へ入る。国が亢奮して水のたまったような声出すのを久しぶりできいた。

 十一月から事務所は協電社に本屋をかし、中條事務所は国一人となった。


 
 
 使


十一月二日

(木曜)
 巣鴨へ行く。「こっちの警報って、どんなかしら」「うん、みんな鍵しめて歩くぐらいのことさ。何しろ人間が出ないようにがっしりこしらえてあるんだから、外からもなかなか入らないよ」思わず笑う、「だってエ、上からふって来るのよ」「この間都の防衛課の人が来て、東京中こんな完璧なのはないと折紙をつけて帰ったそうだ、何しろちゃんと防火扉がしまるようになっているんだもの」
 自分気が軽くなる。動けない人が、そう思っていてくれる方がいい。宮とすれば、わたしを安心させようと猶そう楽観風に話すのにちがいないけれど。
「マアあれが、今の最大限だからね」「それはそうだわね」「どんな本が出版されようと……」「そうよ、そうよ、わたしもそれはよく分っているわ、題や表紙だけでは決して判断しませんから」

十一月三日

(金曜)
 明治節が大雨というのは珍しい。天長節という頃から、いつも菊の花が匂っていたような、夕方急に冷える晴天の記憶しかなかったが。
 俊雄(豊寿の息子)来る、佐藤さんにBCGをしてもらいに。ところが、トベルクリン反応が春では駄目とのこと。夕飯前にかえる。佐藤さんといろいろ話す、愉快だった。

十一月四日

(土曜)
 
 

十一月五日

(日曜)
 ゆっくりするつもりで九時頃おきたら、十時に警報がなり十分位したら空襲ケイ報。ヤレと壕に入る。十一時すぎ空警は解除で、一時すぎケイカイも解除となった。
 パンやより電話、パンとりに行く。

〔欄外に〕ルーマニア断交


十一月六日

(月曜)
 朝九時半警報、一時解除、放送「伊豆方面より東京に向って進行中と認められた飛行機は友軍機でありました。しかし猶南方海上警戒を要しますから警報は継続します。上空に見えました飛行機雲は友軍キによるものでありますから、念のため」

 けさの新聞に曰ク「敵機は東海道を一時間に亙って十分に偵察してトン走しました」

 鈴木先生のところへベルモットもって行く。

十一月七日

(火曜)
 用心してけさは早くおき午前中平オンだったので、気になっていたアキカン、アキビン、酒ビンをあげ板の下にしまって片づけ、早ひるで巣鴨へ行こうとしていたら警報即空襲のサイレンで、びっくりして、食堂の日向にふとんや毛の下着を干したまま壕に入る、もう高射砲の音が起る、しばらく壕に入っていて射つ音がしなくなって出る。見た人がどっさりある、ダイヤモンドでも。西から東の方へ偵察した由、飛行キ雲を濛々とひいて翔び去った由、一時間ほどいたらしい。三時十八分前解除。
 一服して、宮へ手紙かいていたら緊張のリアクションかひどく寒気がして来てたまらず、ブドウ酒をお湯でのんで湯タンプをして床に入る。九時に目がさめ空腹、イタメ飯をこしらえて、小杯のブドー酒をのみつつたべる。

〔欄外に〕
 老幼姙婦不具者の疎開はじまる、保助金二百円一人ますごとに百円。縁故疎開をショーレイしている。現実性はどこ迄だろうか。


十一月八日

(水曜)
 変につかれたわけ也。
 巣鴨へ行こうとしているとき寿から電話「どうしている?」「うん。ひとりだもんだからね」「一人? 一人っきり? どうしたっていうんだろう! じゃ行くわ」「うれしい、来てよ」
 来てくれる。大いにうれしい。
 巣、宮、シャツがへまだったこと、すこし御立腹なり。二日に行ったっきり警報なんかで行かれなかったので、それもつまらなかったのだろう。警報をこわがっていると思って。こわがる十分の理由が分らないのかもしれない。
「用のあるときは早く来ればいいんだ、」「警報になると追い出されちゃうのよ、待避所なんか一つもないのよ」「そうかい」意外そうに「薄情だなア」立合が「ここんなかで殺したって仕様がなかろう」「ともかく、僕の用事ったって何ももう一年や二年あるわけじゃなし、少しぐらい疲れたって来りゃいいんだ」「そんなことおっしゃらなくたって来るわ、憎まれ口ねえ」

十一月九日

(木曜)
 栗林の誠意のなさには怒る気もなし。やっと速記原稿をとどける、それを前でうけとって受付へ出す、ビオカルクと一緒に。珍しくすいている。きょうは宮、きのうのにくまれ口自分で気がついているらしく笑っている。「シャツのこと本当に御免なさいね、好ちゃんからたよりがあって近く帰るって云って来たりしたもんだから、わたし上気ちゃって。あなただって好ちゃんが帰れば着せてやりたいとお思いになるでしょう? アンポンになるって、初っからあやまっておいたでしょう?」「そのときになりゃ、いろいろ薬もあるし大丈夫さ、保温薬だってあるんだし、マアいいよ、どうにでもするから、心配しないでいい、善意でやったんだから、本当にいいよ」
 寿とゆっくり美味しい夕飯をたべる。寿もたのしげだ。

〔欄外に〕
 ルーズヴェルト四選。
 きのうあたり気がついたが、黒枠の新聞広告がなくなった。横に黒線をつけた丈の死亡公告だ。


十一月十日

(金曜)
 寿上野へ行って、尾崎、島田の小荷物とって来てくれる。相当重いのを両手に下げて。よくもって歩く。千葉へ一晩かえり、明日野菜もって来てくれる由。
 ○開成山へ電報をうつ「ヤブンデンワネカフ」
 ○河原崎へ手紙だし瀧川の仕事のこときいてやる。
 ○天野へ嫁さんが来て、三枚重ねのふり袖でしゃなしゃなねっているところを八百やのかえりに見る。近ちゃんのm「御挨拶にまわっているんですよ、来ますよ、来ますよ」
 にしんのお金もって行ったら洗面所で髪を結うか何かしていた。嫁さん来ず。何となしほほ笑まれる。天野の姑の心理も。近mの心理も。近所の女、というものの心理。
 夕方八百やへ立っていると高村光太郎氏も組で来る。めっきり年をとった。いつか座談会で会ったときよりも。いつか隣組待避で公園で見かけたときよりも。この頃詩をかくのをやめたのは慶賀の至りだ。芸術家は晩年を完うしなければならないものだ。


 
 
 
 西
 ※(4分の1、1-9-19)
 


十一月十四日

(火曜)
 
 調
 使使
 
 調

十一月十七日

(金曜)
 瀧川帰京。

十一月十八日

(土曜)
 寿風邪がこじれて、中耳炎風になり、おどろいて耳を湿布する。

十一月二十日

(月曜)
 寿帰ると云って出たのに、夜電話かけて来る。切符買えなかった、と。雨は降っているし、かげ丘へ泊らせられず、又来て泊る。

 S長くいると、自分やっぱり苦しい。Sの心もちがあっさりしていないから。いつも怨がこもっている、居心地よいならよいで。帰らなければならないとなれバそのことで。
 自分の家を私がもっていないためにSのケチな面がつよく感じられて、何か絡んでいて苦痛だ。
 これから永逗留はさせない方が双方のためだ。

十一月二十一日

(火曜)
 調


十一月二十三日

(木曜)
 久しぶりに壺のところ、燃木切り、良人は防空壕掘。

十一月二十四日

(金曜)
 
 
 

 299
 

十一月二十五日

(土曜)
 使辿辿


 
 


十一月二十六日

(日曜)
 風のない秋の日、昨夜の雨で門内の石が美しくしめって、瀧川さんが落葉をすっかり掃いたので、いかにもすがすがしい。ひるをたべて出かける、というとき(瀧が)又ウーとなりはじめた。殆ど一時。警戒警報(京浜上空に敵一キアリ)、第二回のブザで「伊豆半島上空ニ認められたる飛行機は友軍キなること判明」おどろいた。どこの国でもこの程度なものかしら。或はそうかもしれず。三時解除。瀧家へ行く。家ではすっかり引越の仕度している由。国からは「家のことは八方奔走中、可及的速度でまとめたく云々」とハガキが来ている。
 チビ退院させる、すっかりやせて元気なくなって、へたばって繃※[#「糸+帶」、U+26102、162-2]している。可哀そうに。大分手入れをしてやらなくてはならない。ヴィタミンBをよくくわせるか。七十三円五十銭。国さぞボヤクだろう。犬のこの手術はやはりたやすいことではないのだ。チビも女に生れた気の毒さ。男の児のようにさっぱりしていい気象だのに。

十一月二十七日

(月曜)
 巣鴨。風呂に入っているそうで六〇人もあとにまわってしまったら十一時になってしまう。ヤレヤレ一時半迄待つのかと思っているところへ十一時半警報、直ちに追い出される。

十一月二十九日

(水曜)
 国、夕方六時すぎ帰る。夕飯。こんやはねかしてほしいね、と云っている。そろそろねようとして自分二階へ上ったら十一時半ボーがはじまる。国一日の経験しかないので大いに緊張する。壕へ入る。猛烈にはじまった。はじめての猛烈さで、高射砲の音爆発音交互で、南から西へかけての空が焔で赤くなった。どこだろう、丸の内辺じゃないか、神田らしい。十一時半から四時半までで一旦解除となり、又一時間したら警報で七時半解除。その時まだ高村さんの側の木の間にせまく赤い空が見えた。細雨がしきりに降るなかに、赤く燃える空、物凄かった。





底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年7月30日初版
   1986(昭和61)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「カトリーヌ・メデシス」と「カトリーヌ・ド・メディシス」、「カ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ァー」と「カ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ー」、「オバーオール」と「オバオール」、「イタリー」と「イタリ」、「ブドウ酒」と「ブドー酒」の混在は、底本通りです。
入力:柴田卓治
校正:富田晶子
2019年5月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

小書き片仮名ガ    48-19
丸公    134-15
丸通    143-8
「糸+帶」、U+26102    162-2


●図書カード