中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註

宮本百合子




 
 
 調
 
 
 西西
 



    




    




    




    




    


6※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)宿66

    




    


辿

    




    




    書簡(九)

便

 漱石がカーライルの旧屋を訪ねた時だけは帳面に自分の名を書いた。あの変り者のカーライルでも沙翁の家へ行ったときは自分の名など書く気になったのであろうかと面白い。ダンテの名もあるとハガキに父は書いているが、神曲の作者は沙翁がエリザベス女皇の劇場で活躍するより数世紀以前に白骨となっている。どこの、どの、神曲を書かさるるこれはダンテであったのだろうか。


    書簡(一〇)

註。緑濃き野面に一本の桜桃の樹が丸く紅の実をたわわにつけている。その枝の下に一人の若い女が柔かい顎をあげて梢を仰いでいる。その顎のまわりに父はペンをとって細い一連の鎖とロケットとを描き、ロケットの心臓型の表には、はっきり小さくYと刻まれている。母の名は葭江である。


    書簡(一一)

註。若い娘が三つのリンゴを掌の上に舞わして遊んでいる。イギリスの子供の生活にお手玉はあるのだろうか。お手玉はしなくなった娘は、ケンジントン、パアクの芝生で、これも老年に至った父とプッティング、グリーンをして戯れた。


    書簡(一二)

調

 父の性格はケムブリッジ学生の生活と対立するような傾きのものではなかったと思われるが、三十七歳の良人であり父親である貧乏な学生として、テニスをやって見ても大して面白くもなれぬ父の正直な、境遇の相異をおのずから語っている心持を、今日私共はまことに親しみぶかく感じる。
 一九二九年の初夏、父は百合子をつれて、ケムブリッジを訪ね、思い出のある大学の建築を一つ一つ説明してくれた。そして笑いながら、「何しろ馬、馬丁と猟犬を何匹も飼っているような学生がいたんだから、こっちは人並のつき合いも出来かねるようだったよ。教授から個人指導をうけるわけだが、そんな金もありゃしなかったしね」と語った。楡の木のかげの公園で、町の若者たちが、学生は休暇で一人も居ない晴々しさで、ホッケーをして遊んでいるのを見物した。


    書簡(一五)

註。この便りにある写真は、今日も保存せられている。ケムブリッジのガウンを着、帽をいただき、当時の流行で、ひどく先の尖った髭をつけて居る。母はこういう髭を眺めるとき「マア、お父様ったら、こんな髭して!」と云ったものであった。父はその髭をもって帰朝し、九つばかりであった百合子は激しいよろこびと極りわるさと、心に描いていた父とちがっている現実の父の感じとに圧倒され、気分がわるくなったようであった。


    書簡(一九)

註。この画というのは、巨大な軍服に白手袋の魯国が仰向きに倒れんとして辛くも首と肱とで体を支えている腹の上に、身長五分ばかりの眉目の吊上った日本兵がのって銃剣をつきつけているイギリス漫画である。三十二年後の今日の漫画家は果してどのようなカトゥーンを描かんと欲するか。


    書簡(二〇)

()()※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)

 


    




    


  

    




    書簡(二五)

 

「EXCHANGE IS NO ROBBERY。」


    書簡(二六)

註。この塗絵帳のことは、かすかに、かすかに思い出せる。エハガキ四枚が一頁に入っていて、羊と遊んでいる少女の絵などが線であらわされていた。母は私に絵具を買ってくれたろうか? 色をつけて父に送っただろうか? 覚えていない。私はきっと又母に手をもち添えられて、夜の燈の下で遠いところの父へ、その礼の手紙をかいたことであったろう。この本のほか、父は子供たちに折々様々のものを送ってくれた。両手にもつ柄のところに鈴のついた繩飛びの繩だの、臥かすと眼をつぶる人形だの。そういう箱を開いたとき、芳しく鼻をうった一種独特の西洋の匂いだの、その時分は全く珍しかったティッシュ・ペイパアのさらさらした手触りだのを、今も鮮明に感覚に甦らすことが出来る。


    書簡(二七)

註。この時分の三人の子供達あてのエハガキの英文宛名は、大きい字で

  Three little Froggs
     in
        Japan
とかかれている。


    書簡(二八)

註。この写真が、あのコダックでとられたのであろうか。父が帰朝した日は雨ではあったし、子供の心に大きすぎる感動の数々で、私は白麻の洋服を着て、くたびれて、横浜から東京までの汽車の中では父の横へくっついて眠ってしまった。肩へ茶皮のケースに入った重いコダックをかけたまま。そして、誰かがそれをとろうとすると、半寝呆けながら「いや、お父様んだから百合ちゃんがもっていく」と拒みながら。


    書簡(二九)

註。軽い夕飯を食っているのはグリーン色の縞のスカートに膝出したハイランダアである。炉辺にかけて、右手でパン切をかじり、片手の壺は牛乳か麦酒か。炉の前にフイゴが放り出されていて、床は不規則なごろた石をうずめてある。一つ一つ色ちがいなその石の面を飛びわたって、父は隙間もなく日本字を埋めている。藻塩草 150 とかかれているところは窓のカーテンであり、無声と署名するのに、わざわざマントルピースの上に置額を描いている。父とロンドンの生活とにまだその頃は在った閑静さ。


    書簡(三〇)


 便


    




    




    書簡(三五)


 ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)尿廿 


    








底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年7月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「中條精一郎」国民美術協会
   1937(昭和12)年1月発行
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年8月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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