農村

宮本百合子




   (一)

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   (二)

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「ねえ、お婆さん、
 どこの子供でも、あんなにはだしで上ったり、下りたりして居るの? 誰も叱り手がないんだろうか。
「なあにねえ、お前様、桑の価は下り一方だかんない。駒屋の親父とっさまあはた土は、一度も手がつかねえほどなんだし
 
 
 
 
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あんにい、おれにもよ。
と云った。
 一番の兄は、自分の失敗に険しい目をして弟共をにらみながら次から次と出す椀の中になげたけれ共額の大きな子はまだきかない。
「おめえの方が、ふとってらあ。
と云って兄の膝の前の椀からその太ったまあるい一片を箸の先に刺そうとした。
 いきなり、子供の頬に、かたい平手が飛んで、見て居る者の耳がキーンと云うほどいやな音をたてた。
 斯うして小さい人間共の争いは起って仕舞った。年上のものは力にまかせて小さいものを打ったり、突き飛ばしたり、小突いたりして、一言も声はたてず、いかにも自信の有るらしい様子をして小さいものに向って居る。
 兄弟の中半分が叫びつかれ、泣きつかれた時、いつとはなしに「喧嘩」はやんで仕舞った。一人が先ず始めてみんながそれにつれられて働き出した「喧嘩」は一人がいやになると皆もいつとはなしにする気がなくなって仕舞うものである。
 各々めいめいが思い思いの処に立って、夢からさめたばかりの様に気抜けのした、手持ちぶさたな顔をして、今まで自分等のさわいで居た処を見て始めて、折角せっかく盛り分けた薯の椀の或るものはひっくりかえり、いつの間にか上った鶏が熱つそうに、あっちころがし、こっちへころがしてこぼれた薯を突ついて居る。斯う云う、何とはなし重苦るしい手持ぶ沙汰さた、間の悪い沈黙を破ったのは、一番きかなかった額の大きな子であった。
おれうべえ。
 一人何か仕だすと子供等は皆木の椀を取りあげて勝手にてんでんばらばらの方を向いて、或る者はしゃくりあげながら、或るものは爪でひっかかれたみみずばれをながめながら、味もそっけもない様に、ボソボソと食べ始めた。
 私のわきで婆さんも見て居たものと見えて、
「あないにして食うても、美味うまかんべえかなあ。何も彼も餓鬼等のうちがいっちええわ、なあ、お前様。
 お前様みたいな方は、若いうちも年取りなっても同じなんべえけど、己等みたいなものは、ばばになったらはあ、もうこれだ、これだ。
と変な笑い方をして手を左右に振った。
 けれ共、この婆には、実の子が二人もあって皆男で今は村で百姓をして居るのだから、こんな草刈をたのまれたり、人の水仕事を手伝ったりしないで、かかり息子の家で孫の守りでも仕て居たらすみそうに思えた。
「お婆さん。何故、息子むすこの処へ居ないんだい。
 私は、かなり曲った腰と、鎌を石でこすって居る、今にもポキーンと骨のはなれそうにかさかさの手をながめながら云った。
「はい、お前様、うちの息子は皆正直ものでなし、けれど、此村のふうで、自分の持ち畑とか田がなけりゃあ、働けるうち、働くのがあたり前になっとるでない。
 此の婆が、生れは越後のかなり良い処で片附かたづいてからの不幸つづきで、こんな淋しい村に、頼りない生活をして居るのだと云う事をきいて居るので、その荒びた声にも日にやけた頸筋のあたりにも、どことなし、昔の面影が残って居る様で、若し幸運ばかり続いて昔の旧家きゅうかがそのまま越後でしっかりして居たら、今頃私なんかに「お婆さんお婆さん」と呼ばれたり、僅かばかりの恵に、私を良い娘だなんかとは云わなかっただろうなんかと思えた。
 松の木の根元にころがして置いた「負籠おいかご」に刈りためた草を押し込むと、鎌をそのわきに差し込んで、
「甚助がさあ行って見ますべい。
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ちゃんは?
 かかは?
と云ってききながら上り框に腰をかけて炉のほだで煙草を吸ったりした。
 一人の子の前がはだけて膝っ子僧が出て居るのを祖母がしてやる様に、しずかに可愛がって居るらしくなおしてやりながら、
「おめえさま、今まで、こんなむさい家は見なすった事がなかっぺい。
と云って大きな声で笑った。
 私の見なれない着物の着振り、歩きつきに子供等は余程変な気持になったと見えて、誰一人口をくものがなくて、只じろじろと私ばかりを見て居る。
 それをわきで見ながら婆さんは、
「ひよろしがって居ますんだ(恥かしがって居るのだ)。
と云う。
 私は、田舎の子の眼に見つめられる事にはなれっ子になって居たので格別間がわるいとも思わなかった。
「父さんや、母さんは?
 淋しいだろう?
とやさしい軽い笑をただよわせながら、一番大きい男の子に云った。
 土間に下りて、私を後の方から見て居た子はいきなり大きな声で、
「ワーッ
と笑った。
 私は少しいやな気持になった。けれ共、再び、
「ねえ、淋しいだろう。
と云った時、
「お前の世話にはなんねえからなっし。
怒叱どなられた時ほどいやな気持にはならなかった。先ず、あんまりの返事に私は男の子の顔を見た。上り框の婆さんの傍に立って私を見下して恐ろしい顔をして怒叱どなったのであった。
 私より婆さんの方がなお驚いたらしかった。その児の方を振向くと一緒に手を引っ張りながら、
「何云うだ。そないな事云うものでねえぞ。
と云った。
 私の心の中には、一種の「あわれみ」と恥かしい様な気持が湧き上ったのであった。
 私は、ほんとうに只、親切の心から云った言葉をこんな荒々しい言葉で返され様とは夢にも思って居なかった。見なれない年若な女が自分達の家へいきなり入ってきて、
 淋しいだろうの
 何のと云うので年上の子は何か誤解したのであったろう。他人の親切を、親切として受入れる事の出来ない子達だと思うといかにも「みじめ」な気持にもなるけれ共、私の掛けた親切な言葉は、今まで、今の様な言葉で受けられた事がないので、いかにも気の小さい、気はずかしい様な気持にもなった。
 私は微笑する事も出来ない様に婆さんの顔を見た。
「礼儀も何も、んねえからなっし
と取りなし顔に云いながら、立ちあがった。家の中の事に気を配りながら出るあとについて私も一緒に往還の方へ出ると、そこから杉並木の様な処をとおして真直まっすぐに見えて居る祖母の家へ足を向けながら、婆さんに、
「晩にでも遊びにお出。
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「甚助のうちの児達は、ほんとうに、いやな児だ!
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「良いお日和でござりやす。


   (三)

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 鹿鹿
 
 
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「御隠居様、
 今年も亦思う通り実りがありませんない。
 
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「けど、おらの田はいい方なんだっし、
 御年貢だけはありやすかんない。

 
 
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「御隠居様、
 御年貢の分だけは、はあどうにか斯うにか取りましただハイ。
 それは確なことでやす。
 けんど貧(ママ)者は、いつでも貧(ママ)でなし、
 御年貢は取れてもはあ、去年の鬼奴おにめがまだついてやすでな。
 祖母はだまって居る。
 鶏も鳴かない静かな中にパチンパチンと乾いた「くるみ」のからの破れる音が澄んで響いて居る。
 菊太は私を見た眼をすぐ祖母にうつして又云い続ける。
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「お前のまけて呉れまけて呉れには、ほんとうにいやになる。いつになったらそんな事を云うのを止めるんだろう。毎年毎年御前がいやな事をきかせない年はないじゃないか。あんまり不作で御前の手に負えない様なら、もう田を作るのをやめてもらおう。
 いやな顔をして祖母が斯う云い出すと菊太は少し力づいた調子で又繰返すのである。
 祖母は若い時処々を歩いたのでいろいろな言葉を使う。けれ共小作人を叱る時、商人の悪いのを怒る時はきっと東京弁を使った。
 ここいらでは東京弁を使う人には一種異った感じを持つ様な調子の村なので句切り句切りのはっきりした少し荒い様な東京弁は、小作人などの耳には、妙にあらたまる気持を起させるのであった。
「来年きっとなすなすと云って今までに十五俵も貸してあるじゃないかねえ。
 あの上積っては、とうてい返せるものではないにきまって居る。そんな馬鹿な事は出来ない。いくら私が年寄りでも斯うして居るからには踏みつけられては居られ無い。
 
 
 
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「今度で十六俵だよ。

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「良い眼でよく見て御呉れ。

 
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と腰をあげる。腰を塵を取る様にパタパタと叩き三つ四つ頭をさげて土間の女中にまで何か云って庭の入口の竹垣に引っかけて置いた、裾の切れた、ボタンもない黒ラシャの茶色になった外套のお化けの様なものをバアッとはおって素頭でテクテクと歩いて行く。
 中高な門内の道を出ると菊太はチョイと振り返って草の両側に生えて居る道を、ポコポコと小さいほこりの煙をたてて帰って行く。
 甚助の家の方へ曲る頃、祖母はありったけのくさくさを私に打ちあける。
 やさしく仕て居ればつけ上り、きびしくすればろくな事を仕ず、小作人なんかはしみじみ使いたくないものだと云う。菊太の女房はこの上なしのだらしなしやで、針もろくに持てず、甲斐性のない女だと女中まで、くさいものが前に有る様な顔を仕て話してきかせる。
「菊太爺さんもずるい爺様ですない。
 いつもいつも、どうにかして無理を通して行く。御隠居様も今度は、どうしても許してやんなけりゃあ、いいですっぺ。
 女中がこんな事を云っても、
「ああほんとうにそうだよ。
と云ったぎりその日一日祖母は、菊太の声と顔付とを眼先に浮べていやな思をするのである。
 夜、湯に入りに来たかまえ内の家を貸りて居る小学の校長をつかまえてまで今日の菊太の事を話した。
「どうもなかなかうまくは行かんもんですてね。
と云いは云ったが、菊太をけなすでも祖母に味方するでもなく気のない顔をして、飯坂の力餅をもじゃもじゃの髯の中へ投げ込んで、やがて「お寝み」と云って帰って仕舞った。
「ほんとうに小作男なんか使うのが間違いだ。ああ、ああ、けっぱいけっぱい。
 
 
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   (四)

 
 
「こんな煙っぽくっては眼に悪いねえ。
と女中を見ると、崩れた薪をなおすために煙のまっただ中に首を突込んで何かして居る。こもった様な声で、
赤坊ややの時から、煙の中で乳すうて居ますだもの。眼が馬鹿になって居ますのだ。寒い朝ですない。風邪かぜ引きなさいますよ。
 若い女中は、私の横顔を何か、さがし物でもする様に隅から隅まで見て居る。
「大丈夫だよ。今年は、冬が早く来る様だねえ。
と云って居ると土間の処で、
「お寒うござりやす。」
と中年の女の声がする。女中が座ったまま、
だれだい?
と云うと、
「己だが。
と云う。
「ああ、甚助さんのおっかあか、おあがんなね。
「畑さいぐのよ、東京のお嬢様いらっしゃるけえ、ちょっくら呼んで来ておくんなね。
 女中はチラッと私の顔を見て、
「お起きんなったばっかりだによ、着物でも着換えてからいらっしゃるだべ。
と云って茶を入れ始めた。
「何にしに来たんだろう。
と思いながら大いそぎで着換えて土間の処へ行くと、鍬をわきにころがして、もじゃもじゃの頭をして胸をダブダブにはだけた四十近い様な女が立って居る。私の顔を見ると急に腰をまげて、
「お早うござりやす。昨日は、はあうちの餓鬼奴等が飛んでもないこといたしやったそうでなし、御わびに来ましただ。
と云う。漸くわけが分った。
「わざわざ来なくったっていいのに、どこの子供だって悪戯はするもの怒ってなんか居るものかね、お前子供を叱ったろう、ほんとうにかまいやしない、大丈夫だよ。
と云ってやると、女は気安そうに笑いをうかべながら、
「お前様、今朝ね、お繁婆さんが来やしてない町さ行くがけえ物はねえかってききながら昨日の事云いやしたのえ。一寸も知りましねえでない。御無礼致しやした。の餓鬼奴等も亦何っちゅうだっぺ、折角、ねんごろにきいてくれるにさあ石なげるたあ。此間こねえだも――
と村校友達となぐり合を始めて相手に鼻血を出させたが、元はと云えばブランコの順番からで夜まで家へ帰されなかったと話して聞かせた。
「御免なして下さりませ、ほんに物の分らん児だちゅうたら。
「かまいやしないよ、子供の事だもの。
 女中もいつの間にか後に立って、
「ほんに彼の児は気がつええ児だかんない。
と云って居る。じきに女は帰って仕舞った。女中は湯を「かなだらい」にあけながら、
「頂戴物が減るのを気づかって来やしたのし。

 
 
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 退
 
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「まあいらっしゃいまし。よっぽどお寒うございますねえ、お上りなさいまし。

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「こんなものまで町でなければありませんのですからねえ。
と云って居る。
 足袋が目立って不恰好だ。
 砂糖が二銭上ったと云いながら黄色い大黒のついた財布を出して少し震える手で小銭をかぞえて縁側にならべる。しゃぼんを一銭まけさせたと手柄顔に話す。
 帰る時にミノルカが生んだのだと云う七面鳥の卵ほど大きい卵を二つくれた。東京ではとうてい見たくとも見られるものではない。大いそぎで勘定をすませたお繁婆は私のあとから追掛けて来て、
「御邪魔になりやすっぺ。

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「何そんな事がありますぺ、人がねんごろに問うてやるに石投げるなんちゃ此上ねえ悪い事なんだっし。
 腹を立てた様に太い声を出して云うのである。後生願いの良い婆さんだから私に、本願寺にお参りさせて呉れろと云う。案内して呉れと云うのか私の金で連れて行ってくれと云うのか分らない。
 一つ二つ短かい距離みちのりを行く間に「あみださま」に関した話をして聞かせた。
 あんまり御(ママ)話めいて居るので笑いたい様な顔をすると、
「学問の御ありなさるお前様方にゃあ可笑しかんべえけど私達わしたちは有難がって居りますのさ。
といやな顔をする。見かけによらない話を沢山知って居る婆さんだ。
 祖母は年柄ではさぞ信心っぽい人の様だけれ共案外で別に之と云う宗教も持って居ないので、私達のところへ来ると熱心に「あみださま」の講釈をする。
 口振りでは、彼の世に、地獄と極楽の有る事を信じて居るらしい。一体、村の風で非常に信心深い村もあるが此村はさほどでもなく、他人ひとの家へ来て仏様の話をするのは此の婆さん位なものである。後生願いのせいか行儀は良い。働き者でもあるから祖母は好いて居る。
 婆さんは家へ来ると井戸端ですっかり足を洗い、白髪を梳しつけてから敷居際にぴったりと座って、
「ハイ、御隠居様、御寒うござりやす。御邪魔様でござりやす。
と云う。
 歩いて居ると体はまっすぐになって居るが、座るとおなかを引っこめて妙に膝が長い形恰になって仕舞う。
 婆さんはこの前の日まで中学の教師の家へ手伝に行って居たとか云って、
「めんごい赤坊さまでござりますぞい。眼が大きゅうて、色が抜けるほど白くてない。先生様、そっくりでいなさりやす。奥様も順でいなさりやすから昨夜よんべお暇いただいて来やしたのえ、父様ととさま母様かかさまも、眼の中さあ入れたいほど様子で居なさる。赤坊ややのうちは乞食の子さえめんげえもんだっちゅがわしでも赤坊ややの時があったと思やあ不思議な気になりやすない御隠居様。
 他愛もない声を出して笑う。
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 一寸背をちぢめる様にして愛素笑いの様な事をする。祖母は婆さんにやろうと思ってカステラを丁寧に切って居る。何にも慰みのない祖母は東京から送ってよこすお菓子を来る者毎に少しずつ分けてやって珍らしい御菓子だと云って喜ぶのを見るのを楽しみにして居る。田舎は時間と云う考が少ないのでいつと云う限りなしに来ても来ないでも同じ様な者が沢山来るのでその度毎に出すとかなり沢山あったものでもじきになくなって仕舞う。カステラがあと一切分ほか残りがなくなったりすると急に減り目を目立って心に感じて、
「もうこれっぽっちになったのかねえ。

 
 
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「まあ、貴方、郡山こおりやま(町の名)さ芝居が掛りましたぞえ、東京の名優、尾上菊五郎ちゅうふれ込みでない。外題は、塩原多助、尾上岩藤に、小栗判官、照手の姫、どんなによかろう。見たいない。
 祖母の顔を見るやいなや、婆さんは、飛び立った様にその小さい眼をかがやかしながら云う。
「行ってお見ねえか?
「私は、あすこまで歩くのが事でなし、郵便局のお政さんとでも行けばいいに。
「お政さんとかい?
「ほんとに菊五郎が来るんでしょうか。
 私がきく。


 婆さんは懸命に去年見た、お染久松の芝居を思い出して話してきかせた。お染の「かつら」が合わないで地頭が見えて居たとか、メリンスの着物を着ていたとか、脚絆をはかないので見っともなかったとか云って居る。祖母も私も笑ってきいて居る。こんな時には大抵祖母の歌舞伎座だの、帝劇だのの話が出る。
「小屋だけ見ても結構なもので。
と天井に絵の張ってある事、電気がまぼしくついて居る事、ほんとうに、縮緬や緞子どんすの衣裳をつけて居る事などを、単純な言葉で話すのだけれ共、しまいには行かれも仕ないのに、只行きたがらせばかりするのはつみだと思っていい加減にお茶をにごして仕舞う。町へ芝居を見に行く前に、村の者はこの婆さんのところへ行って概説あらすじだけをきいて来るのであるけれ共、時には伽羅千代萩と尾上岩藤がいっしょになり、お岩様とお柳とが混線したりする。けれ共この村でのまあ芝居通である。
 婆さんはいろいろ祖母と話をした末とうとう行くときめたらしく五十銭気張きばるのだと云って居た。
「そいから御隠居さん、私の家の前の高橋の息子を知って居なするべ。あれが暮に除隊になって来るってなし、かかあどんは今から騒ぎ廻って居るのえ。花嫁様、さがすべえし、もうけ口さがすべえしない。百姓には、したくないちゅうてなし。中学出したからですぺ。
 婆さんは思い出し笑いをして肩をすぼめる。其の息子がまだ中学に居た頃、この婆さんの家に居て通って居たが、お針に来る娘が夢中になって可笑しいほどだったが、いつの間にか噂が立って娘はお針に来なくなった事を「さもさも若い者が」と云った口調で変に笑いながら話す。
 村の子がその息子に娘からの手紙を持って来たが留守だったので、婆さんが受け取って帰って来た時渡したら、火の出る様な顔をしてすぐ外に出て行ったなどとも云った。
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 お婆さんは、いつもの通り顔をまげて笑う。
「三年、日に照らされづめで来たのだでは、あの白いのも狐色位になったろう。
 村の聞新しい事柄がいつもこの婆さんの耳へどうしたものか先ず第一に入るものと見える。
 身寄りない割りに我儘で、すき勝手に彼の人はきらいだとか、彼の女は、変だのと云う。そうしてそう云う人の噂はきっと悪くつたわるのである。
 その噂の元はと云えば、誰も知る者はなく、婆さんの耳元だけ、聞えたと感じた事もなかなか少なくないのである。中傷するほどの腕はないけれ共、自分の交際つきあいばかりを次第次第にせばめて居るのである。
「先生とこの奥様もこの上なしのぐうたらですぺ。朝から晩まで流しの上には、よごれものがたまって新らしい茶碗の縁が三日と無疵むきずで居たためしがないとなあ、三十九にもなって何てこったし、あまり昼、夫婦づれで、仮寝うたたねばかりしているからだなっし、貴方。
 それが、裏庭にある小学校長の家で妻君が庭を掃いて居る時にきこえてからと云うもの、もらいものが腐りそうになっても、食べきれないほど野菜があってもやる事はぴったりやめ用事があってもこの婆さんの居る時は(ママ)して声さえかけないほどになった。
 実際この細君は、田舎の小学の先生の細君の一番好い典型である。その、のろい事、わかりの悪い事、眠りたがる事は私でも始めて位である。台所でごとごとしてでも居なければ午後からほんとうに夫婦づれで明けっぱなした座敷の中央にころがって居る。絶えず、人の好い微笑を口にうかべて、何と云っても必ず、
「そうだけんども。
とつける人である。瀬戸物かきの名人だと云う評判もある。それは事実らしい。日に一度、焼物と焼物のぶつかり合う、あの特別な響のきこえない時はない。
「気をつけろっちゃ。
 
 
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   (五)

 
 
 
 西姿
 
 
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「そうであります。
と云うのがいやに耳ざわりに聞えた。辛かった事、面白かった事を細々かぞえたてて話したのが祖母には耳珍らしくてよかったらしい。
 冬の最中に、銃の手入をするのが一番つらかったと云った、赤切あかぎれから血がながれて一生懸命に掃除をする銃身を片はじから汚して行く時のなさけなさと云うものはない。銃を持って居る手がしびれ、靴の中の足がこごえて、地面のでこぼこにぶつかってころんだり銃を落したりする。
 祖母は涙ぐんできいて居た。来る人も少ないので祖母は長い事引きとめ、いろいろ食べさせたり、飲ませたりして、反物をお祝だと云ってやった。涙を襦袢の袖で拭きながら、
「お前もまあこれで一人前の男になったと云うものだ。これからは嫁さんさがしにせわしい事だねえ。
と云うと男は、
「何そんな…………
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「寒くはないか。
ときく祖母の声さえ震えて居たので私は女中に湯タンポを入れさせた。
「お前が居なければ、私が云うまで気をつけて呉れるものはない。
 祖母が涙声で云った時、私は、急に母の居る処へ飛んで帰りたいほどの、どうしていいか分らない、悲しい様な淋しい様な気持になった。私は「何故こんな処へ来たのか」と悔む様な気持になりながら涙をこぼして眠ってしまった。目を覚した時は二時頃だったろう。
 あんまり風がはげしい。雨や風のひどい時は、恐ろしい様な気持がして眠られない私はきっと、この風の音に眼をさまされたのだろう。障子のガラスについた小障子をあけて雨戸のガラスをすかして見ると、灰を吹きつける様に白い粉が吹きつけると一緒に、ガタンガタンと戸がゆすれる。こんなにもひどい吹雪を見た事はなかった。始めの間は珍らしい気がして見て居たけれ共、段々時が立つにしたがって私は恐ろしくなって来た。私は此上なくいやなのだけれ共、祖母がきかないので、部屋の中は真暗である。二つの床をぴったりとよせて枕屏風が暗い中でも何か違った暗さに私達を取りかこんで居る。
 一尺一寸位の四角な面に絶えず白い粉が乱れかかって、戸は今にもたおれそうにガタガタきしんで、はめ込んだガラスの一種異ったビリビリ云う音が寝しずまった家中に響きわたる。下らないものでも見つめて居ると恐ろしくなるか又は嬉しくなるものだと私はいつでも感じて居る。明るい中でみつめるものの総ては土でも木でも色々な日用品でも皆、自然ひとりでに微笑が湧きのぼる様な柔い気持になる。けれ共夜の暗い中で物を見つめて居る時の恐ろしい事と云ったら、もう躰がすくんでしまう様な、顔を掩わずには居られない様になる。私はじいっと眼を据えて白い粉雪の飛びかかる四角い処を見て居るうちに段々その四角がひろがって行き、飛び散る白いものも多くなり、それにつれて戸のる音さえ、ガンガーン、ガンガーンと次第に調子をたかめて行って、はてしもなく高く騒々しくなって行く音は、家中のありとあらゆる戸――袋戸棚の戸でも、戸棚でも、ましては枕元の屏風からさえ響いて来る様に想えた。
 祖母の寝息さえ私の耳には届かない様になった。こんな事は勿論、私の妄想にすぎないと知りつつも、此上ない恐れに心を奪われて、いきなり枕へ頭をおろすやいなや、夜着を深くかぶって、世界中たった一人の身になりでもした様な、たよりない気持になって、静かな眠りに入ろうとした。東京に居たら、こんな時、私は母の床の中へかくまってもらう。どんなに恐ろしくても、安心な気持になって母の手だの袂だのを握って気のしずまるまで置かしてもらう。私は火を吹く時の様に、頬をかすかに、ふくらませたり、すぼませたりして寝入って居る祖母を起す気にもならなかった。
 安眠が出来ないまんま朝早く起きると変な工合に雪が積って居るのを見つけた。北からのひどい吹雪だったのですべて北に面した方ばかりに吹きよせられた雪が積って居る。前の庭の彼方むこうを区切って居る低い堤には外側の方がひどく白くなり立木の皆がそうである。雨戸はことにそれがはげしく北の雨戸は随分あつくかたまって、戸袋に入れるのに女中は雪を箒ではらい落したほどだけれ共、南側のはほんの少しほかついて居ない。
 長く此処に居る祖母は、「こんな事に驚いて居るなら三尺も雪が積る時はどうする」と笑った。実際私はまだ七寸より厚く積った雪を見た事はない。
 小学校の先生は、自分の家の縁側に出て、
「ひどく吹きやしたなあどうも昨晩ゆうべは妙にしみると思いやしたよ。

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 調()
 
 
「やや子(赤坊)の様な事してなさるて事よ。
と云う声に驚いて見ると、甚五郎爺が大きな雪かきを肩にかついで、長靴を履いた上にわらぐつを履いて「もんぺ」をだぶだぶにつけて立って居る。見ると、家の持地の入口の道から門まで一直線の路をつけて、踏み先へ先へと、雪かきを押して来たものと見え、今自分が立って居る処までほか地面は現われて居ない。父がまだ若い時から居た爺なので、私の事をまるで、孫でも見る様な気で居る。顔中、「たて」の大波をよせて歯ぐきを出して、私の様子を見て居る。
「東京さ、告げであげますだ。さ、来なされ、そらころぶころぶ。
 爺は、その大きな、私の頭なんかは一つかみらしい変に太くて曲った指のある手で私の手をひっぱり、三つ子を歩かせる様に私を家へつれ込んだ。
 この様子を見ると先ず笑ったのは女中で、怒りもならない顔をして祖母は、
「まあ何て事だえ、甚五郎が来なかったらどうする。

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「とうとう降りやしたない。寒い事寒い事。
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「悪いものが降りやしただない。
と炉端に上って下らない事をしゃべって餅だけはあまる程食べて何もしずにそのまんまスタスタ帰って仕舞うものがあった。
「あの男様とっさまあ、餅ばかり振舞われに来たのだし、塵っぱ一本、拾うでなしに帰りやしたぞえ。
 そんな餅食に来た男があると女中は云って居た。斯うして暫のうちに餅は二つ三つほか千切ったのが残らなくなり、やる物を入れた箱の中から三四本の手拭が出て行ったのである。
 夕方近くまで吹雪が晴れ渡らなかったので、その日は一日、日の目を見ない、じめじめしたわびしい日を送って仕舞った。祖母は夜までも、炬燵の中で「はぎ物」をして居る。私は東京へ、今年の初雪を知らせてやる。手紙の中へ、
「私は今何故、こんな時に、こんな処へ来たかと、自分の物ずきな心がうらめしい。寒には堪えられても、口に云えないこの淋しさには、到底打ち勝てそうにもない気がします。
 まあ考えても御覧なさいよ。今頃から雪は降って小一日吹雪は止まない。その中で私は東京に居る時の様に更けるまで息をはずませて話合う様な人はたった一人もない山中に、いつもいつも待遠がって居る夜が来るやいなや、寝床へもぐり込む。寒いのでそちらの様に長起きが出来ないんです。つくづく東京が恋しい。平常私は『自分は、手足は山の中に暮しても頭だけ――私の仕事なり考えなりは大都会の中央で活動して居なければ満足出来ないだろう』と云ってましたが、尚更、私は、そう云う人間である事が明かになって来ました。帰りたい、ほんとうに帰りたい。けれ共、東京で桜が末になるまで、冬の寒さにつかまえられて、雪の積った中に祖母を見す見す残して行く事を考えれば、そうも出来ない。皆気が利かないから私でも居なければ、暖まらない時に湯タンポを入れたり、夜着の肩をたたいてあげるのは一人も居ないんですものねえ。


   (六)

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「貴方――芝居は青の別れに限りやすぞい、別れたくないって、多助の頬に、自分の頬をすりつけてない。


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 ()調鹿()
 宿使
 姿
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 ()()綿()()()
「東京に居なさるから、毎日毎日芝居見てなさるべえと思って……。お嬢さんなざあ、御しゃらく(御めかし)して毎日毎日遊んで居なされる身分さ。
 婆さんは、私の家に、金のなる木があって、私は不死の生をさずかって居るとでも思って居る様な口調で、スラスラと「何のこれしきの事」と云う調子で云う。
「ほんにそうだのし。
 綿
 鹿鹿
 
 ※(ます記号、1-2-23)()()
()()綿
 
 
「御隠居様、『おともさん』は……
と一層はげしく笑いこけながら、呉服屋からうけ取った金を小口から買物にはらったのだけれ共、一度だいをはらうと、黄色い財布からチャラチャラと一つあまさず出して、すっかり勘定をしてからでなければ仕舞わない。幾度でも幾度でも繰返して、私共をやたらに待たせたとその銭を勘定する手つきまでして見せた。祖母は、
「あのお婆さんは、今夜きっとその財布をおへそにあてて寝るんだろうよ。あした目が覚めて見るとお札がむれて、かびだらけ。

 
 
 
 
 
「もう私の様になってからはもうだめだ。


   (七)

 
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「もうはあ、いただかれませんからハイ。
と云いながら、出したものは食べる。
 日露戦争に参加して、斥候に出て捕虜になった在郷軍人は、東京の家の書生の兄弟で、いい機嫌で、その時勇戦奮闘した様子を手まねまでして話した。
 沙河附近の戦の時だったそうで、
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 肩をゆすっていかにも頼もしい様子をする。この男は、夏にある点呼の時にいつでも、厚い冬着を着て行って、湯をあびて帰って来るのが常だ。何故そんなひどい思をするのかときく人があると、
「戦のきあ、夏と冬の入りまじった時があるかんない、夏になったとて、衣裳換え出来ねえ時はあるし。
と云って居る。顔の造作の小さい茶色の頬骨のとび出た男である。
 肥料を自分の畑ばかりへ、沢山やると云って、祖母はあんまりよくは思って居ない。一杯の酒を一時間もかかって飲む。おできのあとか何か、頭の殆ど中央に一銭銅貨位のおはげがあるのが皆をやたらに笑わせる。ロシア人はパンをくれと云う事を、
 メリゴスゴス
と云うと私に教えた。そんな事はないだろうと云ってもきかない。私のきいたのに間違の有ろうはずがないと云って居る。
 この男が帰ると甚五郎爺とおともさんがつれだって来る。二人とも、あんまりさっぱりした装をして居ない。おともさんはその男の後姿を見送って、その丸々した肩をすぼめて一寸舌を出した。祖母の前に来ると、二人ともがやっこらと先ず膝をついて、それからゆるゆるとお辞儀にかかるので、
「いいおひな様だのし。
と祖母が笑う。
「ほんによ。この婆さまにゃあ、己が似合わしいと。ハイ、まず明けましてよいお年でござりやす。
 二人して、いろいろの事をしゃべり合って居る。祖母は、だまって笑いながら聞いて居る。炉の前にチンと座った祖母の紋八二重の黒い被布姿がふだんより上品に見える。どうしても年よりは被布に限ると思って私はわきから見て居る。
 おともさんは又、もうこの四日に掛ると云う春興行を見たがって居る。
「貧(ママ)してても芝居は見たいものと見える。あんまり芝居ばっかり見たがって居るからあんな苦しい暮しをするのだて。
綿
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「お目出度う、ござりやすと云うものだぞえ、これ。
と、はにかんで居る男の子の頭を平手で押しつける。
 ポクリと否応なしに頭をさげると男の子はすぐ母親のそばをはなれて門のわきに行って仕舞った。祖母は、二三枚の着古しの着物と足袋と、子供に何か買ってやれと少し許りの金をやった。女は、私が気恥かしい思をするほど丁寧に礼をのべて、門柱の処からこっちを見て居る男の子をさしまねいて、
「何か買えとお金を下すったかんない。お礼云うだ。
 
 
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 ()綿綿
「きいちゃんの帯いいんだない。どこさから買ったのけえ。
「これけえ、
 伊勢屋げからよ。
 お蚕様の時、えれえ働いたちゅうてうて呉れたのし。
 調
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 鹿鹿()
 
「いやはあ、東京ちゅう処は、はあ偉えこんだよ。
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 ()西
 





底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
   1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「多喜二と百合子 七号〜十三号」多喜二・百合子研究会
   1954(昭和29)年12月〜1955(昭和30)年12月発行
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年8月8日作成
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