︵一︶
貢みつぐさんは門もん徒とで寺らの四よな男んだ。 門もん徒とで寺らと云いつても檀だん家かが一軒けんあるで無ない、西にし本ほん願ぐわ寺んじ派はの別べつ院ゐん並なみで、京都の岡崎にあるから普通には岡崎御坊で通つて居る。格式は一いつ等とう本ほん座ざと云ふので法はふ類るゐ仲なか間まで幅はヾの利きく方だが、交つき際あひや何かに入いり費めの掛る割に寺の収しう入にふと云ふのは錏びた一いち文もん無かつた。本堂も庫く裡りも何い時つの建築だか、随分古く成つて、長なげ押しが歪ゆがんだり壁が落ちたり為して居る。其れを取とり囲かこんだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、出でい入りの百姓が折をり々〳〵植うゑ附つけや草くさ取とりに来るが、寺てらの入口の、昔は大だい門もんがあつたと云ふ、礎いしずゑの残つて居る辺あたりから、真まつ直すぐに本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで誰だれも掃除の仕手が無い。 檀家の一軒も無い此この寺てらの貧乏は当あた前りまへだ。併し代だい々〴〵学者で法はふ談だんの上じや手うずな和わじ上やうが来て住職に成り、年としに何なん度どか諸国を巡回して、法談で蓄ためた布ふ施せを持帰つては、其れで生くら活しを立て、御みだ堂うや庫く裡りの普請をも為する。其れから御ごば坊うは昔願泉寺と云ふ真しん言ごん宗しうの御おて寺らの廃地であつたのを、此の岡崎は祖師親しん鸞らん上しや人うにんが越後へ流るざ罪いと定きまつた時、少しば時らく此こ地ヽに草さう庵あんを構へ、此の岡崎から発はつ足そくせられた旧蹟だと云ふ縁ゆか故りから、西本願寺が買取つて一宇を建こん立りふしたのだ。其時在ざい所しよの者が真しん言ごんの道だう場じやうであつた旧地へ肉にく食じき妻さい帯たいの門もん徒とぼ坊んさんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが何どうか妻帯を為なさらぬ清せい僧そうを住じう持ぢにして戴いたゞきたいと掛かけ合あつた。本願寺も在所の者の望み通どほりに承諾した。で代だい々〴〵清せい僧そうが住職に成つて、丁度禅ぜん寺でらか何なにかの様やうに瀟さつ洒ぱりした大たい寺じで、加おま之けに檀家の無いのが諷ふぎ経んや葬式の煩わづらひが無くて気楽らくであつた。 所が先住の道どう珍ちん和わじ上やうは能のと登のく国にの人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層巧うまく、此の和わじ上やうの説教の日には聴きヽ衆てが群ぐん集じふして六条の総そう会ぐわ所いしよの縁えんが落ちるやら怪我人が出来るやら、其れ程に評判であつた。又また太層美びそ僧うであつた所から、後家や若い娘で迷ひ込んだ者も大分にあつた。在所の年寄仲間は、御坊さんの裏うらの竹たけ林ばやしの中なかにある沼ぬまの主ぬし、なんでも昔むかし願泉寺の開基が真言の力ちからで封ふうじて置かれたと云ふ大だい蛇じやが祟たヽらねば善いが。あヽ云ふ若い美くしい和わじ上やうさんの来こられたのは危あぶないもんだ。斯う噂をして居たが、和上に帰き依えして居る信しん者じやの中なかに、京きやうの室むろ町まち錦にし小きの路こうぢの老しに舗せの呉服屋夫婦が大たいした法はふ義ぎし者やで、十七に成る容きり色やうの好い姉あね娘むすめを是ぜ非ひ道どう珍ちん和わじ上やうの奥おく方がたに差さし上あげ度たいと言いひ出だした。物もの堅がたい和上も若わかいので未まだ法はふ力りきの薄うすかつた故せゐか、入にふ寺じの時の覚悟を忘れて其の娘を貰もらふ事に定きめた。 其頃御ごば坊うさんの竹たけ薮やぶへ筍たけのこを取りに入はいつた在ざい所しよの者が白い蛇くちなはを見附けた。其そ処こへ和上の縁談が伝はつたので年とし寄より仲間は皆眉を顰ひそめたが、何どう云ふ運まは命りあはせであつたか、愈いよ〳〵呉服屋の娘の輿こし入いれがあると云ふ三みつ日かま前へ、京から呉服屋の出でい入りの表具師や畳屋の職人が大おほ勢ぜい来て居る中なかで頓死した。 御坊さんは少しば時らく無むじ住うであつたが、翌よく年としの八月道珍和わじ上やうの一週忌﹇#﹁一週忌﹂はママ﹈の法はふ事じが呉服屋の施せし主ゆで催された後あとで新しい住職が出来た。是が貢みつぐさんの父である。此の住じう持ぢは丹波の郷がう士しで大おほ庄じや屋うやをつとめた家の二男だが、京に上つて学問が為したい計りに両ふた親おやを散さん々〴〵泣かせた上うへで十三の時に出しゆ家つけし、六条の本ほん山ざんの学林を卒業してから江戸へ出て国書を学び、又諸国の志士に交つて勤王論を鼓吹した。其頃岡崎から程ほど近ちかい黒くろ谷たにの寺ぢち中うの一ひと室まを借りて自じす炊ゐし、此こ処ヽから六条の本ほん山ざんに通かよつて役やく僧そうの首しゆ席せきを勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも知しり合あひであつたし、然さう云ふ碩せき学がくで本ほん山ざんでも幅はばの利きいた和わじ上やうを、岡崎御坊へ招せうずる事が出来たら結構だと云ふので、呉服屋夫婦が熱心に懇こん望まうした所から、朗らう然ねんと云ふ貢みつぐさんの阿おと父うさんが、入にふ寺じして来る様やうに成つた。 其それ丈だけなら申まう分しぶんは無かつたのだが、呉服屋夫婦は道珍和上に娶めあはせようと為た娘を、今度の朗然和上に差さし上あげて是ぜ非ひ岡崎御坊に住ませたい、最愛の娘を高かう僧そうに捧げると云ふ事が、何より如来様の御ごお恩んは報うし謝やに成るし、又亡く成つた道珍和上への手たむ向けであると信じて居た。娘に此事を語り聞かせた時、娘は、わたしは道珍様が御亡く成りに成つた日から、もう尼あまの心に成つて居ますと云つて泣き伏したが、もう朗然和上と夫婦との間に縁談が決きまつて居つた後あとだから、親の心に従つて終つひに其年の十一月、娘は十五荷の荷にで岡崎御坊へ嫁よめ入いつて来た。娘の齢としは十八、朗然和上は三十四歳、十六も違ちがつて居た。 此の婚礼に就いて在所の者が、先住の例ためしを引いて不ふき吉つな噂を立てるので、豪がう気きな新しん住じうは境けい内だいの暗い竹たけ籔やぶを切きり払はらつて桑畑に為して了しまつた。 其それから十年許ばかり経たつて、奥方の一かず枝ゑさんが三番目の男の児を生んだ。従これ来までに無い難なん産ざんで、産の気けが附いてから三みつ日か目めの正まひ午る、陰暦六月の暑い日ひざ盛かりに甚ひどい逆さか児ごで生れたのが晃あきらと云ふ怖おそろしい重ぢゆ瞳うどうの児であつた。ぎやつと初声を揚げた時に、玄げん関くわんの式しき台だいへ戸板に載せて舁かつぎ込まれたのは、薩州の陣所へ入いり浸びたつて半年も帰つて来ぬ朗然和上が、法衣を着た儘三条の大おほ橋はしで会あひ津づが方たの浪士に一刀眉間を遣られた負てお傷ひの姿であつた。 傷きずは薩州邸やしきの口くち入いれで近衛家の御ごて殿ん医ゐが来て縫ぬつた。在所の者は朗然和上の災難を小こ気き味みよい事に言つて、奥方の難産と併せて沼ぬまの主ぬしや先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て居ゐる和わじ上やうは岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して横わう柄へいな態たい度ども有つたに違ひ無い。其その上うへ近年は世の中の物ぶつ騒さうなのに伴つれて和上の事を色いろ々〳〵に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に交つき際あつて居ゐる。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との戦いく場さばにする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。檀だん那なで寺らの和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す訳わけにも行か無かつた。 和上と奥方との仲は婚礼の当時から何どうもしつくり行つて居無かつた。第一に年と齢しの違ちがふ故せゐもあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ豪がう邁まいな性た質ち、奥方は町家の秘ひざ蔵うむ娘すめで暇ひまが有つたら三味線を出して快はれ活やかに大おほ津つ絵ゑでも弾かう、小こど児もを着きか飾ざらせて一ひと人り々/々\乳母を附けて芝居を見せようと云ふ豪がう奢しやな性た質ち、和上が何かに附けて奥方の町人気かた質ぎを賎むのを親おや思おもひの奥方は、じつと辛抱して実さ家とへ帰らうともせず、気きさ作くな心から軽かる口くちなどを云つて紛まぎらして居る内に、三人目の男の児を生んだ。 此この度たびの難産の後あと、奥方は身から体だがげつそり弱よわつて、耳も少し遠く成り、気性までが一変して陰気に成つた。和上の傷きづは二ふた月つきで癒えたが、其の傷きづ痕あとを一目見て鎌かま首くびを上げた蛇へびの様だと身を慄ふるはせたのは、青あを褪ざめた顔かほ色いろの奥方ばかりでは無かつた。其頃在ざい所しよの子こも守りう唄たに斯う云ふのが流は行やつた。
『坊主 の額 に蛇 が居 る。
蛇 から飛 び出 た赤児 の眼 。』
﹃赤あか児ごの眼め﹄は重ぢゆ瞳うどうの三男を指さしたのである。奥方は何と云ふ罪つ障みの深い自分だらうと考へ出した。本堂の阿弥陀様計ばかりでは此の不思議な怖おそろしい宿しゆ業くごふが除かれぬやうな気がするので、門徒宗でやかましい雑ざふ行ぎや雑うざ修つしゆの禁きん制せいを破つて、暇ひまがあれば洛中洛外の神社仏寺へ三男を抱だいて参詣した。以前は気きし質つの相違であつたが、今は信しん仰かうまでが斯う違ちがつたので、和上は益々奥方が面白く無い。伏見の戦争が初まる三みつ月き程前から再び薩州邸やしきに行つた切きり明治五年まで足あし掛かけ六年の間一度も帰つて来なかつた。伏見戦争の後あとで直ぐ、朝てう命めいを蒙つて征討将軍の宮みやに随ずゐ従しうし北陸道の鎮撫に出掛けたと云ふ手紙や、一時還げん俗ぞくして岩手県の参さん事じを拝命したと云ふ報しら知せは、其の時とき々〴〵に来たが、少すこしの仕しお送くりも無いので、奥方は嫁よめ入いりの時に持つて来た衣きも服のや髪かみ飾かざりを売うり食ぐひして日を送つた。実さ家との方は其頃両ふた親おやは亡くなり、番頭を妹に娶めあはせた養子が、浄瑠璃に凝こつた揚あげ句く店みせを売払つて大坂へ遂転したので、断だん絶ぜつ同どう様やうに成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、便たよる方かたも無いので、少しでも口を減へす為に然さる尼あまの勧すヽめに従つて、長男と二男を大おほ原はらの真しん言ごん寺でらへ小こぞ僧うに遣やつた。奥方の心では二人の子を持ぢか戒いけ堅ん固ごの清せい僧そうに仕上げたならば、大おほ昔むかしの願泉寺時代の祟たヽりが除かれやう、沼ぬまの主ぬしも鎮しづまるであらうと思つたので、開かい基きと同じ宗しう旨しの真しん言ごん寺でらと聞いて、可かあ愛いい二人の子を犠いけ牲にへにする気で泣き乍ら手てば放なした。
明治五年の夏、和上は官界を辞してぶらりと帰つて来た。フロツクコオトを着て山高帽ぼうを被かぶつた姿は固ころ陋うな在所の人を驚かした。再び法衣を着たことは着たが、永ながの留守中荒あれ放はう題だいに荒れた我わが寺てらの状さまは気にも掛けず格別修繕しようともせぬ。毎日洋服を着て書類を入れた風呂敷包づつみを小こわ脇きに挾はさんで、洋すて杖つきを突ついて、京都府下の富豪や寺院をてくてくと歴れき訪はうする。其れは隣とな村りむらの鹿しゝヶ谷たにに盲まう唖あゐ院んと云ふものを建てる趣意書を配つて応分の寄附金を勧くわ誘んいうする為ためであつた。
其の翌年に貢みつぐさんが生れた。
︵二︶
今け日ふは日曜なので阿おつ母かさんが貢さんを起おこさずに静そつと寝かして置いた。で、貢さんの目め覚ざめたのは朝の九時頃であつた。十歳に成る貢さんは独ひとりで衣きも服のを着替へて台所へ出て来た。 ﹃阿おつ母かさんお早う。﹄ 阿母さんはもう座敷の拭ふき掃そう除ぢも台所の整しま理ひご事とも済すませて、三みつ歳ヽになる娘の子を脊せなに負おひ乍ら、広い土間へ盥を入れて洗せん濯たく物ものをして居ゐる。 ﹃お早うでも無いぢや無いか。よく寝られて。昨ゆう夜べは。﹄ ﹃ふん、寝坊をしちやつた。阿おと父うさんは。﹄ ﹃涼しい間あひだにと云つてお出でか掛けに成つたの。﹄ ﹃阿母さん、昨きの日ふ校長さんが君ん家とこの阿おと父うさんは京の街まちで西洋の薬くすりや酒を売る店を出すんだつて、本当かて聞きましたよ。本当に其そん様な店を出すの。﹄ ﹃阿父さんの事だから何を為さるか知れ無い。昔むかしから二ふた言こと目めには人民の為だもの。﹄ ﹃今日は何ど処こへ入らしたの。﹄ ﹃神戸の夷ゐじ人んさん処とこ。委しい事は阿母さんなんかに被おつ仰しやらないけれど、日本で初めて博覧会と云ふものを為なさるんだつて。﹄ ﹃ふうん。﹄ ﹃お前御ごは飯んは何どうする。﹄ ﹃お昼と一処でいゝ。﹄ ﹃ぢや然さうお為し。其それから阿母さんは今一枚洗つて、今け日ふは大おほ原はらまで兄にいさん達の白はく衣えを届けて来るからね、よく留守番を為してお呉れ。御ごは飯んには鮭さけが戸棚にあるから火をおこして焼いてお食たべ。お土み産やには山やま鼻はなのお饅まんを買つて来ませう。﹄ ﹃お日ひさ様んの暮れぬ内うちに帰つて頂戴よ。﹄ 貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから畳たヽみの破れを新聞で張つた、柱はしらの歪ゆがんだ居ゐ間まを二つ通とほつて、横手の光琳の梅を書いた古ふるぼけた大きい襖ふす子まを開けると十畳敷許の内ない陣ぢんの、年頃拭ふき込こんだ板いた敷じきが向側の窓の明あか障りし子やうじの光線で水を流した様に光る。幾十年と無く毎まい朝あさ焚たき籠こめた五種しゆ香かうの匂にほひがむつと顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も此こ処ヽに閉ぢ籠こもつて出て来ぬ事がある丈に、家うち中ヾうで此この内陣計りは温あたヽかい様やうななつかしい様な処だ。貢さんは黒くろ塗ぬりの経机の前の円ゑん座ざの上に坐つて三度程額ぬかづいた。 ﹃南無、南無、南無阿弥陀仏。﹄ 本尊の阿弥陀様の御おか顔ほは暗くて拝め無い、唯たヾ招せう喚くわんの形かたちを為した給まふ右の御お手てのみが金こん色じきの薄うすい光ひかりを示しめし給うて居る。貢さんは内陣を出て四畳半の自分の部屋に入はいつた。机の上に昨きの日ふ持つて帰つた学校の包つヽみが黒い布呂敷の儘で解きもせずに載のつて居ゐる。其れを見ると、力りき石いし様さんのお濱さん処へ遊びに行く約束だつた事を思出した。 ﹃遅おそく成つた、遅く成つた。行いかう。﹄ 独ひと言りごとを言つて吃びつ驚くりした様に立上ると、書院の方の庭にある柿かきの樹で大きな油あぶ蝉らぜみが暑あつ苦くるしく啼き出した。捕つかまへてお濱さんへの土みや産げにする気で、縁えん側がはづたひに書院へ足音を忍ばせて行つたが、戸とぶ袋くろに手を掛けて柿かきの樹を見上げた途はず端みに蝉は逃げた。 ﹃阿あは房うぜ蝉み。﹄ 斯う大きな声で云つて振返ると、書院の十畳の方の室まの障子が五寸程明あいて居ゐる。兄の晃あきらの居間だ。其の間あひだから長なげ押しに掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。覗のぞいて見たが、晃あきら兄にいさんは居無い。台所の方はうへ走はしつて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を穿はいて裏うら口ぐちから納屋の後うしろへ廻つた。阿母さんは物もの干ほし竿ざをに洗濯物を通して居る。 ﹃阿母さん、晃あきら兄にいさんが帰つたの。﹄ 阿母さんは一ちよ寸つと振返つて貢さんを見たが、黙だまつて上を向いて襁おし褓めの濡れたのを伸のばして居ゐる。 ﹃晃あきら兄にいさんの帽が掛かつてましたよ。﹄ と鄭てい寧ねいに云つて再び答こたへを促した。阿母さんは未だ黙だまつて居ゐる。見ると、晃あきら兄にいさんの白しろ地ぢの薩摩絣がすりの単ひと衣への裾すそを両手で握つかんだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、徐そつと背せなを向けて四五歩あし引返した。 ﹃貢みつぐさん。﹄と阿母さんの声は湿うるんで居る。 ﹃はい。﹄ ﹃お前はね、よく阿母さんの言ふ事をお聞き。なんぼ貧乏な生くら活しをしても心は正しや直うぢきに持つんですよ。﹄ ﹃はい。﹄﹃晃あきら兄にいさんの様に成つては仕様が無いわね、阿母さんの衣きも服のや頭あたまの物を何なん遍べんも持出して売飛ばしては、唯もう立派な身みな装りをする。こんな阿父さんも御着に成らん様な衣きる類ゐや、靴や時計を買つてさ。学問でもする事か、フルベツキさんに英吉利西の語ことばを習つても三月足らずで止やめて了しまふし、何かなし若わかい娘さん達の中なかで野呂々々と遊んで居たい、肩上を取つたばかしの十八の子の所しよ作さぢや無い。祟たヽつてる御おか方たがあつて為なさるのかも知らんけれど、あれでは今に他ひと人さ様まの物に手を掛けて牢ろう屋やへ行く様な、よい親の耻はぢ晒さらしに成るかも知れん。今度は阿父さんの財かみ嚢いれから沢たく山さんなお金かね、盲唖院の先せん生せい方がたの月給に差上げるお銭を持出して二月つきも帰つて来ないんだもの。阿父さんは見みつ附けし次だ第い警察へ出すと被仰るけれど、其れでは明るみの耻に成る。阿母さんは大おほ原はらの律りつ師しさ様まにお頼みして兄にいさん達と同じ様やうに何ど処こかの御おて寺らへ遣つて、頭あたまを剃らせて結構な御おき経やうを習はせ度いと思ふの。ね、貢さん、阿母さんや此の脊せな中かの桃もヽ枝えが頼たよりにするのはお前一ひと人りだよ。阿おと父うさんはあんな方かただから家うちの事なんか構かまつて下さら無い。此の下しも間つまの家うちを興すも潰つぶすもお前の量見一ひとつに在る。其れに阿母さんも此の身から体だの具合では長く生きられ相さうにも無いからね、しつかり為て頂戴よ、貢さん。﹄
﹃はい、解わかつて居ゐます。阿母さん。﹄
貢さんの頬にははらはらと熱い涙が流れた。阿母さんは萌もえ黄ぎの前まへ掛かけで涙を拭ふき乍ら庫裡の中へ入はいつた。貢さんは何い時つも聞く阿母さんの話だけれど、今日は冷つめたい沼の水の底そこの底で聞かされた様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ悲かな哀しみが充いつ満ぱいに成つた。で、蚯みヽ蚓ずが土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る中なかを歩あるいてづぶ濡れに冷え切つた身から体だなり心なりを燬やけ附つかせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の旱ひでりに亀きつ甲かふ形がたに亀ひ裂ヾの入いつた焼やけ土つちを踏んで、空から池いけの、日が目めを潰つぶす計りに反はん射しやする、白い大きな白しら河かは石いしの橋の上に腰を下おろした。
﹃阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。﹄
ふつと斯こんな事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの身から体だが鉄色の銚てう子しち縮ヾみの単ひと衣への下に、ほつそりと、白い骨ほね計りに見えた様な気がする。﹃なあに。﹄と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて身から体だが慄ふるへた。次いで色々の感想が湧いて来る。
﹃家うちでは阿母さんが一番気の毒だ。………併し阿父さんも、あんな羊よう羹かん色いろのフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体きま裁りが悪るからう。…………阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳けん貪どんに物を被仰るんだらう。…………晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何な故ぜ真ま面じ目めに成つて夷ゐじ人んさんの語ことばが習へないのかなあ。…………家うちの物ものを泥坊するのは良よく無いが、阿父さんが吝けち々〴〵してお銭あしをお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。…………兄さんも阿母さんから、初しよ中ちう内ない密しよで小こづ遣かひを戴き乍ら…………阿母さんが被仰る通り女の様に衣きも服のなんか買ふのは馬鹿々々しい。﹄
果はてしなく斯こんな事を思ひ続けて居ると、何ど処こかで自分を喚ぶ声がした。庫く裡りの方はうへ向いて、
﹃阿母さんなの。﹄
と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗をびつしより掻いて居た。裏うら口ぐちへ行かうとする時、又何なにか声が聞えた。桑畑の中からだ。途端にお濱さんを思ひ出した。約束の時間に自分が行か無いので、待まち兼ねてお濱さんが迎へに来たのだと考へた。
貢さんは兎うさぎの跳とぶ様に駆け出して桑畑に入つて行つた。畑はたけの中なかにお濱さんは居ない。沼ぬまの畔ほとりに出た。旱の為に水の減へつた摺すり鉢ばち形なりの四方はうの崖がけの土は石いし灰ばい色いろをして、静かに湛たヽへた水の色はどんよりと重く緑青の様に毒々しい。お濱さんは居なかつたがおなじ様に鼠ねず色みいろの無む地ぢの単ひと衣へを着た盲唖院の唖を者しの男の子が二人、沼ぬまの岸の熊くま笹さヽが茂つた中に蹲しやがんで、手真似で何か話し乍ら頷うなづき合つて居た。其れが貢さんには、蛇の穴あなを発め見つけたので掘ほらうぢや無いかと相談して居る様やうに思はれた。
﹃悪わるい事なんか為ては行いかんよ。﹄
と、五六間けん手てま前へから叱しかり付けた。唖を者しの子こ等らは人の気けは勢ひに駭おどろいて、手に手に紅あかい死しび人とば花なを持つた儘まヽ畑はたけを横よこ切ぎつて、半町も無い鹿しヽヶ谷たにの盲唖院へ駆けて帰つた
貢さんは見送つて厭いやな気がした。
︵三︶
元気の無さ相さうな顔かほ色いろをして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、裏うら口ぐちを入はいつて、虫むしの蝕くつた、踏むとみしみしと云ふ板の間まで、雑ざふ巾きんを絞しぼ﹇#ルビの﹁しぼ﹂は底本では﹁じぼ﹂﹈つて土つち埃ぼこりの着いた足を拭いた。 ﹃阿母さん、阿母さん。﹄ 二三度喚よんで見たが、阿母さんは桃もヽ枝えを負おぶつて大原へ出掛けて居無かつた。貢さんは火鉢の火ひだ種ねを昆しち炉りんに移し消けし炭ずみを熾おこして番ばん茶ちやの土どび瓶んを沸わかし、鮭しやけを焼いて冷ひや飯めしを食つた。膳を戸棚に締つて自分の居間に来くると、又お濱さんに逢ひ度く成つた。一ひと走はしり行つて来ようかと考へたが、頭あたまが重おもく痛む様やうなので、次の阿母さんの部屋の八畳の室まへ来て障子を明あけ放はなして、箪笥の前で横に成つた。暑い日だ、そよと吹く風も無い。軒に縄を渡して阿母さんが干ほした瓜うりの雷かみ干なりぼしを見て居ると暈めま眩ひがする。じつと目を閉ぢようと為たが、目を閉ぢると、此の広い荒れ果てた寺てらに唯つた独り自分の居ゐると云ふ事が、野の中なかで捨すて児ごにでも成つた様に、犇々と身に迫せまつて寂さびしい。其れを紛まぎらす為ために目を開いて何か唱歌でも歌はうと試みたが、喉のどが硬こは張ゞつて声が出無かつた。と、突然低い静かな声で、 ﹃貢みつぐ、貢。﹄ ﹃あ、晃あきら兄にいさん。お帰り。﹄ 起おき上あがつて玄げん関くわんの方はうへ走はしつて出ようとすると、 ﹃此こ処ヽだよ。貢みつぐ。﹄ ﹃晃あきら兄にいさん、何ど処こなの。﹄ 貢さんは玄関と中の間の敷しき居ゐの上うへに立つて考へた。 ﹃此こ処ヽだよ。﹄ 低い静かな声は本堂から聞える。其そ処こは雨が甚ひどく洩るので、四方の戸を阿おと父うさんが釘くぎ附づけにして自分の生れ無い前から開けぬ事に成つて居る。御おま参ゐ詣りの人も無い寺なので、内の者は内ない陣ぢんで本尊様を拝む。本堂の五十畳敷だと云ふ広ひろ間まは全く不用な塲処だ。内の者は皆此の広間の有る事を忘れて居ゐる。殊に貢さんは生れて一度も覗のぞいて見ないのだから、遠い遠い不思議な世界から声を掛けられた気が為する ﹃晃あきら兄にいさん、何どうして其そんな処へ入はいつたの。何処から入はいるんです。﹄ 少しば時らく返事が無い。 ﹃晃あきら兄にいさん。﹄ と、貢さんは大きな声を為して喚んだ。低い静かな声は、 ﹃内陣へ廻まはりな。左から三枚目の戸だ。﹄ 貢さんは座敷を通とほつて一段高い内陣へどんどんと足音をさせて上あがつた。 ﹃左から三枚目。﹄ と、又声が為る。昔から釘くぎ附つけに為てあると計り思つて居た内陣と本堂との区しき劃りの戸を開けると云ふ事は、少すくなからず小供の好かう奇きの心を躍らせたが、愈いよ々〳〵左から三枚目の戸に手を掛ける瞬しゆ間んかん、何なんだか見無いでも可いいものを見る様な気が為て、怖こはく成つたが、思おも切ひきつて引くと、荒い音も為せずにすつと軽く開あいた。 ﹃あツ。﹄ 貢さんが覗のぞいたのは薄うす暗ぐらい陰いん鬱うつな世界で、冷ひやりとつめたい手で撫でる様に頬ほに当あたる空気が酸すえて黴かび臭くさい。一間けん程ほど前まへに竹と萱くわ草んざうの葉とが疎まばらに生はえて、其その奥おくは能く見え無かつた。 ﹃何ど処こに居るの。晃あきら兄にいさん。﹄ ﹃仏ほとけさんの前の蝋ろふ燭そくに火を点つけてお出で。﹄ 貢さんは兄の命いひ令つけ通どほり仏ぶつ前ぜんの蝋燭を取つて、台所へ行つて附つけ木ぎで火を点つけて来た。 ﹃晃あきら兄にいさん、中なかは汚きたなか無くつて。﹄ ﹃其処の直ぐ下に阿母さんの穿はきなさる草履があるだらう。﹄ 蝋燭をかざして根ねだ太い板たの落ちた土ど間まを見下すと、竹の皮の草履が一いつ足そくあるので、其れを穿はいて、竹の葉を避よけて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。根ね太だも畳たヽみも大おほ方かた朽くち落ちて、其その上うへに鼠ねずみの毛をり散ちらした様やうな埃ほこりと、麹かうじの様な黴かびとが積つて居る。落ち残つた根ね太だの横よこ木ぎを一つ跨またいだ時、無ぶ気き味みな菌きのこの様やうなものを踏んだ。 ﹃此こ処ヽだよ。﹄ 中ちう央あうの欅けやきの柱はしらの下から、髪の毛の濃こいゝ、くつきりと色の白い、面おも長ながな兄の、大きな瞳ひとみに金きんの輪わが二つ入はいつた眼が光つた。晃あきら兄にいさんは裸はだ体かで縮ちり緬めんの腰こし巻まき一つの儘後うし手ろでに縛しばられて坐つて居る。貢さんは一目見て駭おどろいたが、従これ来まで庭の柿の樹や納な屋やの中に兄の縛しばられて切せつ諌かんを受けるのを度々見て居るので、こんな処へ伴つれて入はいつて縛つて置いたのは阿父さんの所しわ作ざだと思つた。阿おつ母かさんが裸はだ体かの上から掛けて遣やつたらしい赤い毛布はずれ落ちて居た。 ﹃貢みつぐ、お前、兄にいさんの言ふ事を諾きいて呉れ無いか。﹄ ﹃晃あきら兄にいさん、御ごは飯んでせう。御ごは飯んなら持つて来こよう。阿母さんが留守だから御おさ菜いは何も無いことよ。﹄ ﹃今いま握にぎ飯りめしを食くつたばかりだ。御ごは飯んぢや無い。﹄ ﹃ぢや、お茶。﹄ ﹃お茶も飲まして貰もらつた。﹄ ﹃衣きも服のを持つて来て上あげようか。﹄ ﹃衣きも服のは自分で着きるがね。﹄ ﹃何なになの。晃あきら兄にいさん。﹄ ﹃お前まへ本ほん当たうに諾きいて呉れるか。﹄ 兄が此この様やうに念ねんを押おし辞ことばを鄭寧にして物ものを頼んだ事は無いので、貢さんは気の毒に思つた。 ﹃ふん、何んでも諾ききます。﹄ ﹃難あり有がたいな。ではね、包はう丁ちやうを取つて来てね、此の縄なはを切きつて御お呉くれ。﹄ ﹃宜いいとも。﹄ 元気よく受合つて台所から庖丁を取つて来た。左の手に蝋ろふ燭そくを持つて兄の背うし後ろに廻まはつたが、三みす筋ぢの麻あさ縄なはで後手に縛しばつて柱はしらに括くヽり附けた手てく首びは血が滲にじんで居る。と、阿おと父うさんが晃兄さんを切せつ諌かんなさる時の恐こはい顔が目に浮うかんだので、此の縄を切きつては成らぬと気が附いた。 ﹃之これを切きつて、僕、阿おと父うさんに問はれたら何なんと云ふの。﹄ ﹃お前にも阿おつ母かさんにも迷めい惑わくは掛け無い。わしの友とも人だちが来て知らぬ間まに連つれ出したとお言ひ。﹄ ﹃晃あきら兄にいさんは又また逃にげて行く積つもりなの。﹄ ﹃此処はわしの家うちぢや無い、仇かたきの家うちぢや。兄さんの家は斯こ﹇#ルビの﹁こ﹂は底本では﹁こん﹂﹈んな暗い処ぢや無くて明あかるい処に有るんだ。﹄ ﹃明あかるい処つて、何ど処こ。大坂か、東京。﹄ ﹃そんな遠ゑん方ぱうぢや無い。何なんでもいゝ、早く縄を切きつて自由に為してお呉れ。痛くて堪たまら無いから。﹄ 阿母さんも居ない留る守すに兄を逃にがして遣つては、何どんなに阿父さんから叱しかられるかも知れぬ。貢さんは躊ため躇らつて鼻はな洟みづを啜すヽつた。 ﹃切れ無いかい。貢さん。意い久く地ぢが無いね。約束したぢや無いか。﹄ ﹃だけれど、みんな留る守すだから。﹄ ﹃お前、解わからないなあ。﹄ 兄は歎とい息きをついた。『あゝ、阿父さんの所為 でも無い、阿母さんの所為 でも無い、わしの所為 でも無い。みんな彼奴 のわざだ。貢 、意久地 があるなら彼奴 を先 に切 るがいゝ。』
兄が頤おとがひで示した前の方の根ねだ太い板たの上に、正月の鏡おか餅ざりの様に白い或物が載のつて居る。
﹃何なに。﹄
と、蝋ろふ燭そくの火を下さげて身を屈かゞめた途とた端んに、根ねだ太い板たの上の或物は一いつ匹ぴきの白い蛇へびに成つて、するすると朽くち重かさなつた畳たヽみを越こえて消きえ去つた。刹せつ那な、貢さんは、
﹃沼ぬまの主ぬしさんだ。﹄
斯かう感かんじて身をぶるぶると慄ふるはした。
﹃貢さん、貢さん。﹄
と、お濱さんが書しよ院ゐんの庭あたりで喚よんで居る。貢さんは耳みヽ鳴なりがして、其の懐なつかしい女の御おと友もだ達ちの声が聞え無かつた。兄はにつと笑つて、
﹃驚いたか。﹄
貢さんは黙だまつて蛇へびの過ぎ去つた暗くらい奥おくの方かたを眺めて居る。
﹃暗くらい家うちには彼あい奴つの様な厭いやなものが居ゐる。此の家うちの者は皆彼あい奴つの餌ゑじ食きなんだ。﹄
よくは解わからぬけれど、兄の言つて居る事が一いち一いち道もつ理ともな様に胸に応こたへる。斯んな家に皆が一日も居ては成らぬ様な気が為た。
﹃晃兄さん、早くお逃にげなさい。縄を切きりますから。﹄
﹃難あり有がたう。お前もね、わしの年と齢しに成つたら、兄さんが明あかるい面白い処へ伴つれてつて遣やらう。﹄
﹃本ほん当たうに面白いの。﹄
﹃面白いとも。﹄
﹃単ひと独りでは行かれ無いの。﹄
﹃行かれる。兄さんは単ひと独りで行くんだ。﹄
﹃屹きつ度と伴つれてつて下さい。﹄
﹃わしの年と齢しに成つたら。其れ迄は辛しん抱ぼうして吉田の学校を卒業するんだよ。﹄
﹃女をんなでも行かれるの。﹄
﹃行かれるとも。其そ処こは女の方が多おほいんだ。﹄
﹃阿母さんも伴つれてつて上あげなさい。﹄
﹃諄くどいね。早く縄を切きつてお呉くれ。﹄
貢さんは勇いそ々〳〵として躊ため躇らふ所なく麻あさ縄なはを切り放つた。お濱さんは玄関の方へ廻まはつて来た。
﹃貢みつぐさん、貢さん。﹄
﹃お濱さんが先さつ刻きからお前を探さがして居る。早く行つてお出で。﹄
兄は柱はしらに倚よつて立上り、縄の食ひ込んだ、血の滲にじんだ手てく首びを擦さすり乍ら言つた。貢さんは、
﹃今行きます、お濱さん。﹄と甲かん高だかな声で言つて、﹃晃あきら兄にいさん、お濱さんも僕と一緒に伴れてつて上げて頂ちや戴うだい。﹄
﹃馬鹿。よその人に其そんな事を言ふんぢや無いよ。﹄
兄の睨にらむのも見みか返へらずに、貢さんは蝋燭と庖丁とを持つて内ない陣ぢんへ跳とぶ様に上あがつて行つた。
お濱さんは裏うら口ぐちから廻つて、貢さんの居ゐ間まの縁えんに腰を掛けて居た。眉の上うへで前髪を一文字に揃そろへて切下げた、雀すゞ鬢めびんの桃もヽ割われに結つて、糸いと房ぶさの附いた大きい簪かんざしを挿して居る。腫はれぼつたい一ひと重へま瞼ぶたの、丸顔の愛くるしい娘だ。紫の租あらい縞しまの縒より上じや布うふの袖の長い単ひと衣へを着て、緋の紋もん縮ちり緬めんの絎くけ帯おびを吉きち弥やに結んだのを、内ない陣ぢんから下おりて来た貢さんは美うつくしいと思つた。洗あら晒ひざらしの伊いよ予がす絣りの単ひと衣へを着て、白い木綿の兵子帯を締めた貢さんは肩を並べて腰を掛けた。お濱さんは三つ年とし上うへで十三に成るが、小学校は病気の為に遅おくれて同じ級きふだ。お濱さんの父は、もと越前の藩士で今は京都府の勧業課長を勤めて居る。
﹃お濱さん、僕、朝から行かうと思つてたけれど。﹄
﹃あたし待つててよ。しどいわ。﹄
﹃悪わるかつた。僕、留守番を云ひ附かつたの。﹄
﹃あたし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに叱しかられたのよ。﹄
﹃泣くなんて、可笑しいなあ。﹄
﹃でも、貢さんが嘘うそをつくんですもの。﹄
﹃嘘うそをつくものか。僕は行きたかつたけれど。﹄
﹃あたし、先さつ刻きから喚よんでたのに、あなた何ど処こに入らしつたの。﹄
﹃さう、先さつ刻きから喚んでたつて。僕、聞えなかつた。﹄
﹃お昼ひる寝ねでせう。﹄
﹃昼寝なんか為しない。﹄
﹃お雲はゞ隠かり。﹄
﹃晃あきら兄にいさんと話してたんだ。﹄
﹃晃あきら兄にいさんが入らつしやるの。﹄
﹃ふん。﹄
お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、
﹃貢さんは矢やつ張ぱり嘘うそを御お吐つき為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。﹄
と云つた。貢さんは困こまつたらしく黙つて俯うつ向むいた。此時前まへの桑畑の中に、白い絣かすりを着て走はしつて行く人ひと影かげがちらと見えた。
﹃あら、あたし、ちよいと用があつてよ。﹄
とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで草履を穿はいて、お濱さんの跡を追つて行つた。二人が桑畑を抜けて街道へ出た時には、二町も先さきの路を、晃あきら兄にいさんが洋すて杖つきを手に夏帽を被つて、悠ゆう々〳〵と京の方へ出て行ゆくのであつた。
――︵完︶――