そのジャン・ゴオテという男は、見たところ、ちっとも危険な犯罪者らしくなかった。 年と齢しはちょっと見当がつかないが、弱そうな小柄の青年で、何だか子供の時分から病身で悩んで来たという風であった。ときどきそそっかしく鼻へあてる近眼鏡の蔭にさまよう眼付なんか、ほんとうに静かで柔和だった。叱られて怖おじ々おじしている子供といった方が適当なくらいで、これが人殺しをした青年とはどうしても思えなかった。 ところが彼は実際、人殺しをやったのである。そして犯行後数時間目に逮あげられたのだが、警官から肩を押えられると同時に、何等悪びれた風もなく、自分が犯人であることをまっすぐに自白してしまって、しかしそれ以来、頑固に口を噤つぐんでいたのであった。 ﹁おい﹂予審判事が或る日彼を詰問した。﹁お前は被害者と全然無関係で、また、その家から何も盗まぬと云ったな。そんなら何のために彼を殺害したのか﹂ ﹁別段に理わ由けはありません﹂ ﹁いや何か理わ由けがあっただろう。やたらに他人の家へ入りこんで人を殺すということは出来るものでない。いったい、何のためにあんなことをやったのか﹂ ﹁目あ的てもなくやっつけたのです﹂ ﹁いや、あの男は、お前に対して何か不都合なことでもしたんだろう﹂ 青年はもじもじして眼を伏せて、曖昧な身振りをしながら、 ﹁左そ様うじゃないんです﹂ 口の中で呟いていたが、何を思ったのか急に調子をかえて、 ﹁ええ実は、出鱈目にやったことではなくて、理わ由けがあったのですが、最初に否定したものですから、つい云いそびれてしまいました。そればかりでなく、有あり態ていに申しあげにくい事情がありましたので―― 実は、私は私生児でございます。母は貧苦のために非常な苦労をして私を育ててくれました。あの時分のことを思いますとほんとうに惨めなもので、私たち母おや子こは、涙の乾く隙ひまとてもありませんでした。学校へ行くと皆が私を﹃父ててなし児﹄だといって弄なぶりものにします。私はわけが解りませんでしたが家へ帰って母に訊きますと、母は両手を顔にあてて泣くものですから、子供心にもそれはきっと悲しいことにちがいないと思って、それっきり父ててなし児という言葉は口にしませんでした。 母は身の上話や愚痴っぽいことは、ついぞ一度も云ったことがなく、黙って死んで行きました。母が亡くなったとき、私は十四でございました。 たった十四で、私は独りぽっちになったのです。親戚は無論のこと、友達というものもありません。そんなわけで、私は自分で生くら活しを立てる前から、もう世の中というものが厭になっていました。 しかし実をいうと、初めはそれほど辛くもありませんでした。私は或る家に奉公に出まして、食べものも寝床も与えられ、ときどきは着ぶるしの着物なども貰っていました。 それから六年経って、二は十た歳ちの時から一本立ちで生活することになりますと、初めて貧乏の辛さが解って来ました。私は或る問屋の記帳係に雇われましたが、一ヶ月百フランという薄給で二年間も辛抱しました。 勤め人となれば、服みな装りも相当に小綺麗な、しゃれたものを着なければならぬのです。それで、服代を浮ばせるためには、食べものを節約して、一日一食で我慢しなければなりませんでした。而しかもほんの少しばかり食べるのです。ときどき、往来をあるきながら眩めま暈いがして、頭がぼうとして、今にも倒れそうになるものですから、人家の壁などに倚よりかかって漸やっと体を支えました。空腹の故せいだったのです。 ところが或る朝店へ出勤しますと、主人が申しますには、 ﹃どうもお前の仕事っぷりが気に喰わん。お前はこの頃ときどき間違った帳ちょ記うづけをやる。つまり仕事に身を入れていないからだ。それに、いったい服みな装りがだらしない。わしはそれも気に入らぬ。うちの店に勤める者は第一に服みな装りからしてきちんとしていてくれなくては困る﹄ と、主人は生地の綻ほころびた私の上衣の裏に触ってみて、 ﹃こんなものを着て店へ出て来る奴があるもんか﹄ 云いわけをしても、主人は聴きません。 ﹃何をいうんだい。着物なんかは、少し気をつけると幾らも小綺麗にしていられるものだ﹄ とがみがみ云います。店員達が私の小言をいわれている傍そばを行ったり来たりしています。その小言を彼等に聞かれはしないか――そう思うと私は血が逆上するのを覚えました。 その日は、まるっきり物を食べませんでした。胃の腑が空っぽになると頭の方が鋭敏に働きます。帳ちょ記うづけをしながらもほろほろと涙を流しました。饑うえと恥で止め度なく泣きましたが、そのとき不ふ図と、たとえ母が死んでも父親というものがある。私は全然独りぽっちになったのではないということに気附きました。 そう思うと何となく力強くなりました。それで、結局、父親を訪ねよう、会って事情を愬うったえたなら父親は金持ちだから助けてくれるにちがいない――そんな風に決心しました。 翌くる日、私は父親の許ところへ訪ねて行きました。そのときは、彼に対してほんとうに優しい心持が私の胸に湧きおこっていたのでした。 父親は小柄で脊が曲って、蒼白い顔をした、足元も覚束ない老人です。長患いでひどく衰弱していました。彼は私が入って行くと、いきなり、 ﹃お前は何だ者れだ。何の用でやって来たのか﹄ その無愛想な声をきいて私はぞっと寒気がしました。それでも吃どもり吃り訪問の趣意を話しはじめると、彼は身ぶるいしながら慌てて、 ﹃しっ、声が高い。もっと低こご声えでいえ。人に聴かれると困るじゃないか﹄ 彼は出来るだけ早く話を切りあげたい風でした。そして私を戸口から押し出して、 ﹃住とこ所ろ書きをおいて行け。お前のために何どうしたらいいかを考えよう。よしよし、考えておく。わしは病気で会えないが、手紙をやるぞ﹄ 何だか曖昧な挨拶です。それで、私は千々に乱れた胸を一生懸命に落ちつけようと努めながら、宿へ帰って来ました。 その後まる一週間待ったけれど、返事がありません。といって、私は再び訪ねもしませんでした。老人の気を顛倒させることを恐れたのと、何ぼ何でも私を見殺しにすることはあるまいと信じたからです。 しかし私は、訪問する代りに、父親の家のあたりをぶらつきました。そして、秘密を気づかれないように要よう慎じんしながら、近所の人にそれとなく様子を訊ねると、 ﹃ふむ、あの人ですか。どういう御用か知らんが、何かお頼みの筋ならまア止よした方がいいでしょうよ。鋪石よりも冷い人ですからね。だがあの人もああして金を蓄ためこんだが、もう長いことはありますまい。この頃はめっきり弱って、自分で自分の体をもて余しているっていいますからね﹄ ﹃でも、あの人には親戚とか、親しい友人がありましょう﹄ ﹃友人なんか一人だってありはしない。若もしかしたら仏フラ蘭ン西スの何処かの隅に、甥の子供とでもいうような遠縁の者がないとも限らないが、彼はそんな者にビタ一文だって遺産など遣るものですか。財産はみんな、十五年も彼あす家この家政婦をやっているとかいう、あの女に捲きあげられるでしょうよ。あの女は先せんからそんなことを吹聴していますからね。彼は﹁おれは銅貨一つだって親戚などにやりはしない。死んだあとで親戚のふところを肥こやすなんて馬鹿なことは厭だから、そっくりお前に与くれてやる﹂と常々あの女にいっているそうです。だから、あの女はそりゃ熱心に家の利た益めを計っていますよ﹄ この話を聞くと、私は急に父親が憎らしくて堪たまらなくなりました。私が貧苦と闘って、不幸な目に遭っているのも、元はといえば、みんな父親のせいなんですから。 私はそこを立ち去ると、当てもなく街をぶらつきました。疲つか労れもわすれて、頭の中が癇癪で煮えくりかえるようです。どれだけ長く歩いたかわかりませんが、兎に角歩いているうちに、空腹でぶっ倒れそうになりました。それで城壁の近所――たしかあの辺であったと思います――の安飲食店に入りました。 貧しい食事を済まして勘定を払ったあとは、財布が空っぽで一銭も残っていません。月末の給料日までの六日間を何どうして暮らしたらいいだろう――そんな考えに耽りながら衣かく嚢しへ手をやると、ふと指先に触れたのは麺パ麭ンを切るときに使うナイフです。刃わたりの長い薄刃で鋭利なナイフです。私は機械的にそのナイフの柄を堅く握りました。 判事殿、私は決して弁解のため、又は自分の罪を軽くするために、こんなことを申しあげるのではありませんが、実際、そのナイフを所持しているということに気付くと、急に気が変ってしまったのです。私はその柄を握り、刃先を指で試してみました。それから何処をどう歩いたのか、夢中で自分も知らないうちに、父親の住まっている建物の前に立っていました。 私はその際に、自分の行動を考えてもみなかったし、また、如何に恐ろしい考えだって思い止まろうという気はありませんでした。いや、取とり止とめて何も考えてなんかいなかったようです。唯、悠々と躊ため躇らわずに、玄関の呼ベ鈴ルを鳴らすと、やがて門が開きました。瓦ガ斯スは消えていました。私は門番に出鱈目な姓なま名えをいって、二階へ上って行きました。 階段を登りきって立ちどまったとき、初めて漠然と、自分の歩調の狂気じみていることに気づきました。戸口の呼ベ鈴ルを鳴らしたって、夜分あんな時刻に戸を開けて貰えないことは分りきっています。 といって、声でも立てようものなら、忽ち近所合がっ壁ぺきの弥次馬が飛びだして来て、私を階段から突き落すでしょう。 私は衣かく嚢しへ手をやると、恰度自分の室へやの鍵が入っていたので、それを取りだしてそっと鍵穴にあててみました。と、鍵は音もなく入って行きました。泥坊がするように忍びやかに鍵を廻わすと、たしかに手ごたえがありました。偶然にも鍵が役立ったので、我れながらびっくりしました。数秒間暗がりに突立っていたが、そのとき初めて、自分が何のためにそこへやって来たかを考えてみました。 ふと、戸の隙間から廊下の敷ものの上に一条すじの燈あか火りが射しているのを見て、私はごく静かに戸を開けました。 父親は、私が忍びこんだのも知らずに、卓テー子ブルに向って一心に何かやっている風でした。 卓テー子ブルの上には、緑色の蓋かさのかかった電燈が一つ点いていて、その部分だけが明るいけれど、部屋中が一体にぼんやりと暗か影げっていました。 父親は何か書きものをやっているようだが、私の方からは、彼の禿げ頭と、痩せた肩が見えるだけです。私は息を殺して爪立ちをしてそうっと忍んで行くと、彼は一枚の大きな紙に向って、熱心に何か認したためているのです。肩ごしに覗いてみると、﹃遺言状﹄と標みだ題しをおいて、その下に三行、細かい文字で何か書きつけてあります。 その瞬間に、先さっ刻き近所の人に聞いた噂が、さっと私の頭に閃めきました。そして、私の母の地位を横取りした貪慾な雇やと婆いばばあと父親の関係が、はっきりと解ったように思いました。 ﹃さては、財産を全部雇い婆にくれるんだな﹄ と思うと、私は頭てっ尖ぺんから水を浴びたようにぞっとしました。実子たる私が死ぬほど饑うえに迫って、寒さに震えてここに立っている。しかるに、その父である彼は今、無造作に忌わしい遺言状を完成しようとしている。それが出来上ってしまえば、もう取りかえしのつかぬことになる。そうすると、哀れ一銭一厘たりとも私の手には入らない。そして、父の財産はすべてあの強ごう慾つくばりの雇い婆に与えられるのだ。彼あい女つは、父親の死ぬる日を待ちかねているんだ。実に怪けしからん――そう思って更にその紙を覗いてみると、
余ノ財産即チ動産並ニ不動産ノ全部ヲ……
そこまで読んで、私は思わず歯ぎしりをしました。と、彼はびっくり跳び上って、私の顔を見るとアッと叫びながら、その遺言状を私に見せまいとして、本能的に両手でかくしてしまいました。
ナイフは私の手に握られていた。私はそれを振り上げるが早いか、彼の襟くび目がけても透とおれと突き立てました。
私はやがて自分のしたことに気がつくと、急に恐ろしくなって、駆けだしました……その後のことは判事殿御存じのとおりでございます﹂
青年は陳のべ終ると、近眼鏡をはずして涙を拭いた。汗の雫が顔を伝わり、歯の根ががたがたふるえた。
判事はじっとその様子に眼をつけていたが、やがて、どす黯ぐろい血痕の附着した一枚の紙をひろげて、
﹁お前は、この遺言状の後の方を読まなかったのだな﹂
青年は黙って首をふった。
﹁そんなら、読み上げるから、聴くがいい。︵遺言状――余ノ財産即チ動産並ニ不動産ノ全部ヲ我ガ子ジャン・ゴオテニ与ウ。尚オ、余ハ無情ナル父親タリシコトニツイテ、彼ノ寛恕ヲ乞ウ。余ハ全ク………︶ここで杜と絶ぎれている。お前はこの遺言状を完成する時を彼に与えなかったのだ﹂
すると殺人者はバネ仕掛の人形のように跳びあがって、あんぐりと口を開き、狂きち気がいじみた目附をして、
﹁何ですって。わが子に……こ、この私に財産を……﹂
吃どもり吃りそういったが、暫くじっと押黙ってから、今度はゲラゲラ笑いだした。そしてむやみと自分の頭を叩いて体を左右にゆすぶりながら、
﹁〆しめたっ、金持ちになったぞ。おれは金持ちになったぞ﹂
と途方もなく大きな声で怒鳴った。哀れ気が狂ふれたのである。