日本の活動写真界の益々進歩隆盛に赴おもむいて来るのは、私のような大の活動写真好きにとっては誠に喜ばしい事である。私は日本製のものは嫌いで見ないから一いっ向こう知らないが、帝国館や電気館あるいはキネマ倶楽部などの外国物専門の館へは、大たい概がい欠かさず見に行く。しかして回を追って、筋の上にも撮影法の上にも、あらゆる点において進歩しつつあるのを見るにつけて、活動写真も茲ここ十年ほどの間に急速の進歩をしたものだと感心せずにはおられない。
一番初め錦輝館で、そもそも活動写真というものを興行した事がある。その時は、海岸へ波が打上げる所だとか、犬が走る所だとかいったような、誠に単純なもののみのフィルムで、随したがって尺も短いから、同じものを繰り返し繰り返しして映写したのであった。しかしながら、それでさえその時代には物もの珍めずらしさに興を催したのであった。今日の連続物などと比較して考えて見たならば、実に隔世の感があるであろう。
ところで、かつて外人の評として、伊イタ太リ利ー製のものはナポリだとかフローレンだとかローマとかを背景にするから、クラシカルなものには適当で、古代を味うには頗すこぶる興味があるが、新らしい即ち現代を舞台とする筋のものでは、やはり米国製のものであろうといっているけれども、米国製品にしばしば見るカウボーイなどを題材にしたものは、とかくに筋や見た眼が同一に陥おちいりやすくて面白味がない。けれども探偵物となるとさすがに大おお仕じか掛けで特色を持っている。しかしこれらの探偵物は、ただほんのその場限りの興味のもので、後で筋を考えては誠につまらないものである。
三、四年前位に、マックス、リンダーの映画が電気館あたりで映写されて当りをとった事がある。ちょっとパリジァンの意い気きな所があって、今日のチャプリンとはまた異った味いがあった。チャプリンはさすがに米国一流の思い切った演出法であるから、それが現代人の趣味に適かなってあれだけの名声を博したのであろう。
それで近頃では数十巻連続ものなどが頗る流行しているが、これは新聞小説の続きもののように、後をひかせるやり方で面白いかも知れないが、やはり一回で最後まで見てしまう方がかえって興味があるように思われる。数十巻連続物などになると、自おのずと筋の上にも場面の上にも同じようなものが出来て、その結局はどれもこれも芽め出でたし〳〵の大団円に終るようで、かえって興味がないようである。そこへ行くと、伊太利周遊だとか、東印イン度ドのスマトラを実写したものだとかいう写真は、一般にはどうか知らないが、真の活動通はいつも喜ぶものである。
よく端はや役くという事をいうが、活動写真には端役というべきものはないように思われる。どれもこれも総すべてが何らかの意味で働いているように思われる。それから室の装飾の如き物は総てその場に出ているものに調和したものが、即ち趣味を以もって置かれている。決してお義理一遍になげやりにただ舞台を飾るというだけに置かれてあるような事はない。総てにおいてその時代やその人物やその他に調和するよう誠実に舞台が造られているのである。この点においては正直にいえば西洋物だとても、どれもこれもいいとはいえないが、しかし日本物に較べたら、さすがに一進歩を示している。日本物もこういう舞台装置の点についても一考をわずらわしたいものである。しかしこういう事は、趣味性の発達如いか何んに依よることであるから、茲ここ暫しばらくは西洋物のようになる事はむずかしいであろう。
近頃フィルムに現われる諸俳優について、一いち々いちの批評をして見た所で、その俳優に対する好き好きがあろうから無駄な事だが、私は過日帝国館で上場された改題﹁空うつ蝉せみ﹂の女主人公に扮したクララ・キンベル・ヤング嬢などは、その技芸において頗る秀ひいでたものであると信じている。もっとも私は同嬢の技芸以外この﹁空蝉﹂全篇のプロットにも非常に感興を持って見たし、共鳴もしたのであった。そもそもこの﹁空蝉﹂というのは、原名をウイザウト・エ・ソールといい、精神的に滅んで物質的に生きたというのが主眼で、この点に私が感興を持ち共鳴を持って見たのであった。筋はクララ・ヤング嬢の扮するローラという娘の父なる博士は﹁死﹂を﹁生﹂に返すことを発明したのであった。その博士の娘は、誠に心掛けのやさしいもので、常に慈善事業などのために尽力していたが、或る日自動車に轢ひかれて死んでしまった。博士は自分の発明した術を以って、娘を生き返えらせたのであった。ところが人間という物質としては再びこの世に戻って来たが、かつての優しい心根は天に昇ってまた帰すすべもなかった。物質的に生き返って来た娘の精神もまた、物質的となって再生後の彼女は前と打って変った性格の女となって世にあらゆる害毒を流すのであった。その中うちある医者から、あなたは激怒した場合に、必らず死ぬということをいわれた。彼女はこの事が気にかかって、或る時父なる博士に向って、もし私がまた死んだ場合には、前のように生き返らせてくれと頼んだけれども、父は前に懲こりて拒絶したので、彼女は再さい三さん押問答の末終ついに激怒したのであった。その瞬間彼女の命は絶えた。博士はさすがに我が子のことであるから、再び生き返らせようとして、彼女の屍しかばねに手を掛けたが、またも世に出る彼女の前途を考えて、終に思い止とどまり、かつその発明をも捨ててしまったのであった。
要するに物質的の進歩が、精神的に何んの効果も齎もたらさないという宗教的の画面に写し出されたものであったが、私の見たのはそれ以外に何か暗示を与えられたように感じたのであった。後から後からといろいろな写真を見ていると、大方は印象を残さずに忘れてしまうのであるが、こういうトラヂエデーは、いつまでも覚えていて忘れないのである。しかしこういうものよりも、もっと必要と感ずるのは、帝国館などで紹介している﹁ユニバーサル週報﹂の如く、外国の最近の出来事を撮影紹介するものである。これらこそ最も活動写真を実益の方面に用いたものであって、世界的となった今日の我々のレッスンとして、必らず見ておかなければならないものであると思う。
先頃キネマ倶楽部で上場されたチェーラル・シンワーラーの﹁ジャンダーク﹂は大評判の大写真で、別わけてもその火ひあ刑ぶりの場は凄せい惨さんを極めて、近来の傑作たる場面であった。こういう大仕掛な金を掛けたものは、米国でなければ出来ぬフィルムである。時折露ロ西シ亜アの写真も来るが、これは風俗として非常に趣味あるものであるが、とかくに不鮮明なのが遺憾である。それからかつて﹁キネマトスコープ﹂即ち蓄ちく音おん機き応用の活動写真が、米国のエヂソン会社に依って我が国へ輸入された事があった。これは蓄音機の関係から、総て短尺物で、﹁ドラマ﹂を主としていて、今日流行しているような長いものはなかったが、これが追おい々おい進歩発達したならば、頗る面白いと思っていた所、ついそのままで姿を隠してしまったのは残念である。しかし米国エヂソン社では、更さらに研究して、更らに進歩させんとしているに相違ないと思うのである。
︵大正六年十二月﹃趣味之友﹄第二十四号︶