西洋音楽発達の経路を明らかにするにはそれを幾つかの時代に区分しなければならないが、それには主として音楽そのものの進歩の順序を考え、併せて一般史や他の芸術史︵殊に文学史︶との関係も参酌するのがよい。我々はそれらの点を考慮した上で音楽史を次の諸時代にわける。 ︵一︶古代――キリスト教発生以前の諸国の音楽の栄えた時代で、音楽の様式からいえば単音の連続よりなる旋律のみが行われた時である。この単音時代になされた重要な事は種々の音階や旋律の作られたことである。 ︵二︶中世――キリスト教の単音聖歌の起った時からローマ教会の重音聖歌の完成された時︵即ちパレストリーナが世を去った頃︶までを含む。この時代は更に次の二期にわけられる。 ︵イ︶単音期――一世紀から九世紀を含む。古代の音楽︵ユダヤ及びギリシャのもの︶に基いて新しい聖歌の旋律が作り出された時期である。 ︵ロ︶重音期――十世紀から十六世紀までを含む。単音期に作られた聖歌の旋律に、他の異る旋律を合せて歌うことが始まり、それが遂に複雑な重音楽に発達した時期である。その頃の重音は﹁対位﹂式又は﹁多声﹂式といって、二つ以上の独立の旋律を同時に結合する種類のものである。 ︵三︶近代――十七世紀から現在までを含む。﹁対位﹂式の代りに﹁和声﹂式、又は﹁単声﹂式と呼ぶ重音の盛んになった時代である。和声式というのは重音の声がそれぞれ独立の旋律として進むのでなく、その中の一つ︵殊に高音︶が旋律として扱われ、その他の声はこの旋律に随伴してそれを助ける役をするもので、重音とはいえ幾分古代の単音式の単純さをも備えたものである。和声式は対位式と対立する様式であるが、それと無関係に突発したものではない。対位式が発展して行く間にそれが次第に単純化されて、その結果自然に生み出されたものであって、十七世紀以後はそれが盛んになったのである。但し和声式が盛んになったからと云って以前の対位式が絶滅したのではない。対位式はその後も古きをとうとぶ作家によって継続され、殊に十八世紀の前半︵バッハ、ヘンデルの時代︶には再び優勢を占め、また最近の音楽に於ても流行の傾向を示している。然し大体に就いて云うと、近代は和声式重音の行われた時代といってよい。なお近代の三百三十年間は更に次の四期にわけられる。 ︵イ︶通奏低音期――十七世紀の初めから十八世紀の中頃︵即ちバッハ、ヘンデルが仕事を終えた頃まで︶約一五〇年間を含む。すべての近代音楽の基礎が築かれた時期である。これを通奏低音期と呼んだのは通奏低音︵一名数字附低音︶と云う略譜を見て即席に和音的伴奏をつける事が行われた時代だからで、この命名はリーマンに従ったものである。 ︵ロ︶古典期――後世の模範と仰がれる音楽の作られた時期である。十八世紀の中頃から十九世紀の最初の四半期︵即ちベートーヴェンが仕事を終った頃︶まで約七五年間を含む。但しこう言ったからとて、それより以後に古典的な作家や作品が全く出なかったというのではない。ベートーヴェンの死後にも、例えばブラームスのような古典的傾向の大家が現われて、古典音楽の美点を発揮したことは人のよく知る所である。それ故一八二五年までを古典期と呼んだのは、大体その頃までを古典派の盛んな時として認めるというだけの意味である。この事は他の時期に就いても同様である。 ︵ハ︶ロマンティック期――一八一〇年頃から一八八〇年頃まで約七〇年間を含む。古典派の後を承けて音楽の内容が一層深められた時期で、詩的想像や詩的情緒の表現を主眼とする音楽が創作され、音楽と文学との一致が十分に実現された時である。以前よりも一層詩的な歌曲、詩的な歌劇、一層詩的な器楽︵その中には標題または次第書に掲げた特殊の事件や概念的に確定された複雑な情緒を描出する標題音楽も多く含まれている︶が作られたのである。ロマンティック音楽は十九世紀の初め頃から起ったものであるが、初期の重要作︵即ちシューベルトの﹁魔王﹂その他のリード、シポールの歌劇﹁ファウスト﹂、ウェーバーの歌劇﹁魔弾の射手﹂等は何れも一八一〇年以後のものであるから、我々は大体この年をロマンティック期初めと見て置く。こうすればベートーヴェンの晩年期︵即ち彼の音楽が著しくロマンティックの傾向を帯び初めた時期︶の年代とも一致するのである。次にロマンティックの終りを一八八〇年としたのはアードラーの説に従ったもので、新ロマンティック派︵即ちロマンティック派中の新派︶の大立物であるワーグナーやリストが、八三年及び八六年にそれぞれ生活を了え、またロマンティック音楽劇の最後の大作﹁パルジファル﹂が八二年に演ぜられた等の事から推して、幾分象徴的の意味で定めたのである。 ︵ニ︶最近期――一八八〇年頃から現在まで約五〇年間を含む。ロマンティック派の重んじた詩的空想や詩的情緒の表現を棄てて、新しい理想と様式とを追求した時期である。この期に現われた﹁印象派﹂は同じく﹃標題﹄ある器楽を書くにしても、精細に概念的に確定された特殊の事件や複雑な情緒の描写などを好まず、外界の刺激によって生じた刹那の印象や、瞬間的に移って行く夢幻的な気分を表わそうと努めたのである。その後に起った﹁表現派﹂に至っては、事件を描くとか印象を表わすとかいうような外界との一切の交渉を断ち、また過去のあらゆる形式上の規則とも絶縁して、そこに未曽有のあるものを﹁表現﹂しようと努めたのである。 さて我々は音楽史を理解し易くする手段として上記の時代別を設けて見たが、実際の歴史は連綿として絶え間のないものであるから、精確に区分のしにくい場合が多い。我々は個々の音楽家の生死の年月、個々の楽曲の創作発表の年代等については、記録のある限り細密に記述することが出来るが、もっと一般的な現象、例えば一つの様式、一つの流派の起滅興亡等の年月になると精密には云えない場合が多いのである。それ故以上に記した数字の如きも極めて大体を示すに過ぎないことを注意して置く。なお上記各時代の出来事、様式、流派等に就いてなした説明は、余りに簡単で理解し難い事が多かったと思うが、それらの点は次章以下に於て逐次解説するつもりである。