≪明治三十六年≫
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鷸しぎにありては百もゝ羽はが掻きな也り、僕にありては百もゝ端はが書きな也り月つきや残のこんの寝ね覚ざめの空そら老おゆれば人の洒しや落れもさびしきものと存ぞん候じさふらふ、僕ぼく昨さく今こんの境きや遇うぐうにては、御ごか加せ勢いと申す程の事もなりかね候さふらへども、この命めい題だいの下もとに見るにまかせ聞くにまかせ、且かつは思ふにまかせて過くわ現げん来らいを問はず、われぞ数かずかくの歌の如ごとく其その時とき々〴〵の筆ふで次しだ第いに郵いう便びんはがきを以もつて申まう上しあ候げさ間ふらふあひだ願ねがはくは其その儘まゝを紙しめ面んの一隅ぐうに御おん列ならべ置おき被くだ下され度たく候さふらふ、田たに棲すむもの、野に棲すむもの、鷸しぎは四十八品ひんと称し候そろとかや、僕のも豈あに夫それ調てうあり、御ご坐ざいます調てうあり、愚ぐ痴ちありのろけあり花ならば色いろ々〳〵芥あくたならば様さま々〴〵、種しゆ類るゐを何なにと初めより一いつ定てい不いた致さず候さふらう十日に一通の事もあるべく一日に十通の事もあるべし、かき鳴らすてふ羽はお音と繁しげきか、端はが書き繁しげきか之これを以もつて僕が健康の計けい量りや器うきとも為なし被くだ下され度たく候そろ勿さう々〳〵︵十三日︶
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今こん日にち不ふ図と鉄てつ道だう馬ばし車やの窓より浅あさ草くさなる松まつ田だの絵看かん板ばんを瞥べつ見けん致いた候しそろ。ドーダ五十銭せんでこんなに腹が張つた云うん々〳〵野やせ性いは遺ゐか憾んなく暴ばう露ろせられたる事に候そろ。其その建たて物ものをいへば松まつ田だは寿じゆ仙せんの跡あと也なり常とき磐はは萬まん梅ばいの跡あと也なり今この両りや家うけは御ご一人にん前まへ四十五銭と呼び、五十銭と呼びて、ペンキ塗ぬり競きや争うそう硝がら子すは張り競きや争うそう軒のきランプ競きや争うそうに火ひば花なを散ちらし居をり候そろ由よしに候そろ。見けん識しきと迂うく闊わつは同どう根こん也なり、源げん平ぺいの桃もゝ也なり馬ば鹿かのする事なり。文ぶん明めいは銭ぜにのかゝらぬもの、腹のふくるゝものを求めて止やまざる事と相あひ見みえ申まう候しそろ。︵十四日︶
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平へい民みん新しん聞ぶんの創そう刊かんに賀がすべきは其その門もん前ぜんよりも其その紙しゞ上やうに酸ほう漿づき提てう灯ちんなき事なり各かく国こく々〳〵旗きなき事なり市しち中うお音んが楽くた隊いなき事なり、即すなはち一いつの請︾文負字︽うけおひもんじ、損そん料れう文もん字じをとゞめざる事なり。ト僕ガ言つてはヤツパリ広ひろ目めや屋く臭さい、追おいて悪あく言げんを呈ていするこれは前ぜん駆くさ、齷あく齪せくするばかりが平へい民みんの能でもないから、今一段の風ふう流りう気きを加か味みしたまへ但たゞし風ふう流りうとは墨やた斗て、短たん冊ざく瓢へう箪たんの謂いひにあらず︵十五日︶
何どれも是これも俊しゆ秀んしうなら、俊しゆ秀んしうは一ひと山やま百文もんだとも言いひ得えられる。さて其その俊しゆ秀んしうなる当たう代だいの小せう説せつ家かが普通日にち用ようの語をさへ知らぬ事は、ヒイキたる僕ぼくの笑せう止しとするよりも、残念とする所だが今ではこれが新聞記者にも及んだらしい。けふの萬よろ朝づて報うはうに悪あく銭せんに詰まるとあるのは、悪の性質を収しう得とくと見ず、消費と見たので記者は悪あく銭せん身に附つかずといふのと、悪あく所しよの金には詰まるが習ひといふのと、此この二箇この俗ぞく諺げんを混同したものだらう。かゝる誤りは萬よろ朝づて報うはうに最も少すくなかつたのだが、先さき頃ごろも外ほかならぬ言論欄に辻つぢ待まちの車しや夫ふ一いつ切せつを朧もう朧ろうと称せうするなど、大だい分ぶ耳じも目くに遠いのが現あらはれて来た。これでは国こく語ごて調うさ査くわ会いが小説家や新聞記者を度どぐ外わし視しするのも無理はないと思ふ。萬よろ朝づて報うはうに限らず当たう分ぶん此この類るゐのが眼めに触れたら退たい屈くつよけに拾ひろひ上げて御ごら覧んに供きようさう。︵十五日︶
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日ひな向たこ恋ひしく河か岸しへ出ますと丁ちや度うど其そ処こへ鰻うな捕ぎとる舟が来て居いました。誰たれもよくいふ口ですが気の長い訳わけさね 或ある一ひと人りが嘲あざ笑わらひますと又また、或ある一ひと人りがさうでねえ、あれで一いち日にち何なん両りやうといふものになる事がある俺わつちが家うちの傍そばの鰻うな捺ぎかぎは妾めかけを置いて居ゐますぜと、ジロリと此こな方たの頭の先から足の先迄まで見みお下ろしましたこのやうな問もん答だうは行ゆく水みづの流れ絶たえず昔むかしから此この河か岸しに繰くり返かへされるのですがたゞ其その時とき私わたくしの面白いと思ひましたのは、見みお下ろした人も見みお下ろされた人も、殆ほとんど同じ態度に近寄りまして更あらためて感かんに入いつた一いつ呼こき吸うの裡うちにどちらもが妾めかけのありさうにも有あり得えさうにもないのゝ明あきらかな事でした即すなはち妾めかけを置きますのを、こよなき驕けう奢しやこよなき快楽としますやうな色が、其そのどちらもの顔一杯ぱいに西にし日びと共に照てり渡つた事でした。︵十六日︶
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二の酉とり也なり、上じや天うて気んき也なり、大おほ当あたり也なりと人の語り行ゆくが聞きこえ申まう候しそろ。看み上あぐるばかりの大おほ熊くま手でを担かつぎて、例れいの革かは羽ばお織りの両りや国うご橋くばしの中央に差さし懸かゝり候そろ処ところ一いち葬さう儀ぎの行ぎや列うれつ前ぜん方ほうより来きたり候そろを避さくるに由よしなく忽たちまちち之これを河かち中うに投なげ棄すて、買かい直なほしだ〳〵と引ひき返かへし候そろを小せう生せいの目もく撃げき致いた候しそろは、早はや十四五年ねんも前の昼の事に候そろ。けふ此この頃ごろの酉とりの市まちに参まゐりて、エンギを申まう候じそろものにこの意い義ぎありや、この愛あい敬きやうありや。年ねん季きし職よく人にんの隊たいを組みて夜よを喧けう鬨がうの為ために蟻ぎし集うするに過ぎずとか申せば、多たぶ分ん斯かくの如ごとき壮さう快くわいなる滑こつ稽けいは復またと見る能あたはざるべしと小せう生せいは存ぞん候じそろ︵一七日︶
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往わう還くわんよりすこし引ひき入いりたる路みちの奥おくに似につかぬ幟のぼりの樹たてられたるを何かと問へば、酉とりの市まちなりといふ。行ゆきて見るに稲いな荷りの祠ほこらなり。此こ地ゝには妓ぎろ楼うがありますでな、酉とりの無いのも異いなものぢやといふ事でと、神み酒きの番ばんするらしきが何なにゆゑかあまたゝび顔かほ撫なでながら、今こん日にち限かぎり此この祠ほこらを借かりましたぢや。これも六七年前。下しも総ふさは市いち川かは、中なか山やま、船ふな橋ばし辺へんの郊かう行〳〵の興きよ深うふかからず、秋あき風かぜの嚏くさめとなるを覚おぼえたる時の事に候そろ。︵十七日︶
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人ひと目めに附つき易やすき天てん井じや裏うゝらに掲かゝげたる熊くま手でによりて、一年ねん若そく干ばくの福ふく利りを掻かき招まねき得うべしとせば斃たふせ〳〵の数かずある呪のろひの今こん日にちに於おいて、そは余あまりに公こう明めいに失しつしたるものにあらずや
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銀座の大おほ通どうりに空あき家やを見るは、帝てい都との体たい面めんに関すと被とか説れそ候ろひ人とこ有れあ之りそ候ろへども、これは今いま更さらの事に候そろはず、東とう京けふ闢ひらけて銀座の大おほ通どほりの如ごとく、転てん変ぺんの激はげしきは莫なしと某ぼう老らう人じんの申まう候しそろ其その訳わけは外ぐわ充いじ内うな空いくうの商せふ略りやくにたのみて、成せい敗はいの一いつ挙きよに決けつせんと欲ほつし候そろ人の、其その家いへ構かまへに於おいて、町まち構かまへに於おいて、同どう処しよを利りと致いた候しそろよりの事ことにて、今も店てん頭とうに堆うつたかきは資しさ産んに非あらず、負ふさ債いなるが多きを占しむるよしの結果に候そろ、
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通とほ抜りぬけ無用の札を路ろじ次ぐ口ちへ貼はつて置くのは、通とほ抜りぬけらるゝ事を表へう示しするやうなものだと言つた人があるが僕も先せん刻こく余よ儀ぎなき用事で或ある抜ぬけ裏うらへ一ひと足あし這は入いるとすぐに妙めうなる二つの声を聞いた亭てい主し曰いわく、いつまで饒しや舌べつて居いやがるのだ、井ゐど戸ば端たは米を磨とぐ所で、油を売る所ぢやねえぞと。女によ房うぼ曰いわく、御ごた大いそ層うな事をお言ひでないうちのお米が井ゐど戸ば端たへ持つて出られるかえ其その儘まゝ鳴なりの鎮しづまつたのは、辛しん辣らつな後者の勝かちに帰したのだらう︵十八日︶
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鉄てつ馬ばそ創うげ業ふの際さい、大おほ通どほりの営えい業げふ別べつを調しらべたるに、新しん橋ばし浅あさ草くさ間かんに湯ゆ屋やは一いつ軒けんなりしと、旧ふるけれどこれも其その老らう人じんの話はな也しなり。勢いきほひの自しぜ然んと言つては堅かた過すぎるが、成なる程ほど江えど戸じ時だ代いから考かんがへて見ても、湯ゆ屋やと与よた太ら郎うとは横よこ町ちやうの方ほうが語ご呂ろがいゝ。︵十八日︶
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駆かけ落おちたりと申す語ご、今こん日にちの国こく民みん新しん聞ぶんに見え申まう候しそろ茶チヤ漬ヅる的てき筆ひつ法ぱふの脱だく化わとも申すべく候そろ。︵十九日︶
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無論一部の事には候そろへども江え戸どつ子この略りや語くごに難あり有がたメの字じと申すが有これ之あり、難あり有がた迷めい惑わくの意いに候そろ軽かるくメの字じと略りやくし切りたる洒しや落れぐ工あ合ひが一ちよ寸つと面白いと存ぞん候じそろ。︵十九日︶
親おや子こ若もしくは夫ふう婦ふが僅わづ少かの手てな内いし職よくに咽むせぶもつらき細ほそ々〳〵の煙けむりを立てゝ世が世であらばの嘆たんを発はつし候そろは旧きう時じの作者が一いつ場ぢやうのヤマとする所に候そろひしも今こん時じは小説演劇を取とり分わけて申まう候しさ迄ふらうまでもなし実際に於おいてかゝる腑ふ甲が斐ひなき生活状態の到たう底てい有あり得うべからざる儀ぎとなり申まう候しそろ、即すなはち今こん時じの内ない職しよくの目もく的てきは粥かゆに非あらず塩に非あらず味み噌そに非あらず安コートを引ひつ被かけんが為ために候そろ安やす縮ちり緬めんを巻まき附つけんが為ために候そろ今一歩をすゝめて遠ゑん慮りよなく言はしめたまへ安やす俳はい優いうに贈り物をなさんが為ために候そろ。行ぎよ跡うせきの稍やゝ正たゞしと称しようせらるゝ者も猶なほ親おやに秘ひし夫に秘ひして貯ちよ金きん帳てうを所しよ持じせん為ために候そろ。要えうするに娘が内ない職しよくするは親に関することなく妻が内ない職しよくは夫に関くわんすることなし、一家かの経けい営えい上じやう全くこれは別べつ口くちのお話とも申すべきものに候そろ。お前さんのは其そ処こにお葉はづ漬けかありますよ、これは儂わたしが儂わたしのお銭あしで買つたのですと天てん丼どんを抱かゝへ込こみ候そろ如ごときは敢あへて社会下かり流うの事のみとも限かぎられぬ形けい勢せいに候そろ内ない職しよくと人じん心しん、是これ亦また忽こつ諸しよに附ふす可べからざる一問題と存ぞん候じそろ。︵二十日︶
拭ふき掃さう除じも面めん倒どう也なり、お茶ちや拵ごしらへも面めん倒どう也なり内ない職しよ婦くふ人じんの時を惜おしむこと、金を惜おしむよりも甚はなはだしく候そろ。煮にし染めの行ぎや商うせふはこれが為ために起おこりて、中なか々〳〵の繁はん昌じやうと聞き及および申まう候しそろ文ぶん明めい的てきに候そろ︵二十日︶
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自じぶ分んが内ない職しよくの金かねで嫁よめ入いり衣いし裳ようを調とゝのへた娘むすめが間まもなく実さ家とへ還かへつて来きたのを何な故ぜかと聞きくと先さ方きの姑しうとが内ない職しよくをさせないからとの事ことださうだ︵二十日︶
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底あり蓋ふたありで親も咎とがめず、夫をつとも咎めぬものをアカの他たに人んが咎とがめても、ハイ、止よしませうと出る筈はずのない事だが僕ぼくとても内ない職しよく其そのものを直ぢき々〴〵に不わ可るいといふのではない、つまらなく手を明あけない為ために始めた内ない職しよくが内ない職しよくの為ためにつまらなく手を塞ふさげない事になつて何なにも彼かにも免まぬかれぬ弊へい風ふうといふのが時とき世よなりけりで今では極きよ点くてんに達たつしたのだ髪かみだけは曰いはく有あつて奇きれ麗いにする年とし紀ごろの娘がせつせと内ない職しよくに夜よの目も合はさぬ時は算さん筆ぴつなり裁さい縫ほうなり第一は起たち居ゐなりに習しう熟じよくすべき時は五十仕し上あげた、一百そく仕し方あげたに教育せられ薫くん陶とうせられた中から良れう妻さい賢けん母ぼも大おほ袈げ裟さだが並なみ一人前の日にほ本ん婦人が出て来る訳わけなら芥ごみ箱ばこの玉子の殻からもオヤ〳〵鶏とりに化くわさねばならない、さうなれば僕も山の芋いもを二にさ三んに日ち埋いけて置おいて竹ちく葉えう神かん田だが川はへ却おろ売しうりをする。内ない職しよくではない本ほん業げふだ。︵二十日︶
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縁えん附づきてより巳すでに半はん年としとなるに、何なに一つわが方かたに貢みつがぬは不ふつ都が合ふなりと初しよ手て云うん々〳〵の約束にもあらぬものを仲なか人うどの宥なだむれどきかず達たつて娘を引ひき戻もどしたる母親有これ之あり候そろ。聞けば此この母親娘が或あるお屋やし敷きの奥おく向むきに奉ほう公こう中ちう臨りん時じの頂てう戴だい物ものもある事なればと不ふよ用うぶ分んの給料を送りくれたる味の忘られず父親のお人よしなるに附つけ込こみて飽あく迄まで不ふは法ふを陳ちんじたるものゝ由よしに候そろ。さては此この母親の言ふに言はれぬ、世せた帯いの魂こん胆たんもと知らぬ人の一いつ旦たんは惑まどへど現在の内うち輪わは娘が方かたよりも立たち優まさりて、蔵くらをも建つべき銀行貯金の有るやに候そろ。間かん然ぜんする所なしとのみ只たゞ今となりては他たに申すやうも無これ之なく候そろ
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娘売らぬ親を馬ば鹿かだとは申し難がたく候そろへども馬ば鹿か見たやうなものだとは申まう得しえられ候そろ。婿むこを買ふ者あり娘を売る者あり上じや下うげ面白き成なり行ゆきに候そろ
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裾すそ曳ひき摺ずりて奥おく様さまといへど、女は竟ついに女也なり当たう世せいの臍へそ繰くり要えう訣けつに曰いわく出るに酒さけ入いつても酒さけ、つく〳〵良や人どが酒さけ浸びたして愛あい想そうの尽つきる事もございますれど、其その代かはりの一徳とくには月つき々〳〵の遣つか払ひはらひに、少せう々〳〵のおまじないが御ご座ざいましても、酔よつて居ゐれば気の附つく事ではございませぬ。
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縦たと令へ旦だん那なさ様まが馴なじ染みの女の帯おびに、百金きんを抛なげうたるゝとも儂わたしが帯おびに百五十金きんをはずみ給たまはゞ、差さし引ひき何の厭いとふ所もなき訳わけ也なり。この権つり衡あひの失うしなはれたる時に於おいて胸むなづくしを取るも遅おそからずとは、これも当たう世せうの奥おく様さま気かた質ぎな也り、虎とらの巻まきの一節せつ也なり。
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夫をつとをして三みつ井ゐ、白しろ木き、下しも村むらの売うり出だし広くわ告うこくの前に立たしむればこれある哉かな必ひつ要えうの一器きか械いなり。あれが欲ほしいの愬うつたへをなすにあらざるよりは、毫がうもアナタの存在を認みとむることなし
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栄さかええよかしで祝いははれて嫁よめに来たのだ、改かい良りや竈うかまどと同じく燻くすぶるへきではない、苦くら労うするなら一度還かへつて出でな直ほさう。いかさまこれは至しげ言んと考へる。
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黒くろ縮ちりつくりで裏うらから出て来たのは、豈あに斗はからんや車くる夫まやの女房、一町てう許ばかり行ゆくと亭てい主しが待つて居ゐて、そらよと梶かぢ棒ぼうを引ひき寄よすれば、衣えも紋んもつんと他たに人んぎ行よう儀ぎに澄すまし返りて急いでおくれ。女房も女房也なり亭主も亭主也、男どだ女んじ同よう権けん也なり、五ごこ穀くほ豊うじ穣よう也なり、三銭せん均きん一いつ也なり。これで女房が車から下おりて、アイと駄だち賃んを亭主に渡せば完くわ璧んぺ々き/々\〳〵
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状使のこれは極きはめて急なれば、車に乗りて行ゆけと命めいぜられたる抱かゝ車へし夫やふの、御ごよ用うとなれば精せい限かぎり駈かけて駈かけて必かならずお間まは欠かかざるべし、されど車に乗ると云いふは、わが日ひご頃ろの誓ちかひに反そむくものなれば仰おほせなれども御ごめ免んく下だされたし、好このみてするものはなき賤いやしき業わざの、わが身も共とも々〴〵に牛ぎう馬ばに比ひせらるゝを耻はぢともせず、おなじ思おもひの人の車に乗りて命をも絞しぼらん汗あせの苦しきを見るに忍しのびねばと、足た袋び股もゝ引ひきの支した度くながらに答へたるに人ひと々〳〵其そのしをらしきを感じ合ひしがしをらしとは本もと此この世よのものに非あらずしをらしきが故ゆゑに此この男をとこの此この世よの車しや夫ふとは落ちしなるべし。定ぢやうかや足は得えあ洗らはで病やまひの為ために程ほどなく没ぼつしたりとぞ
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エモンを字の如ごとくイモンと読んで衣きぬに附つけた紋もんと心こゝ得ろえて居ゐた小せう説せつ家かがあつたさうだが、或ある若わかい御ごし新んぞ造うが羽はを織りを幾いく枚まいこしらへても、実じつ家かの紋もんを附けるのを隣の老ばあ婢やが怪あやしんでたづねると、良や人どと儂わたしは歳としの十幾いくつも違ふのですもの、永く役に立つやうにして置かねばと何でも無しの挨あい拶さつに、流さす石がおせつかいの老ばあ婢やもそれはそれはで引ひき下さがつたさうだ此こゝ処ま迄で来れば憾うらみは無い。
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いつの年としでしたか私わたくしの乗りました車くる夫まやが足あし元もとへ搦からみ着つへた紙た鳶この糸いと目めを丁てい寧ねいに直して遣やりましたから、お前まいは子こも持ちだねと申しましたら総そう領りようが七なゝつで男の子が二ふた人りあると申しました
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悠いう然ぜんと車しや上じように搆かまへ込こんで四しは方うを睥へい睨げいしつゝ駆かけさせる時は往わう来らいの奴やつが邪じや魔までならない右へ避よけ左へ避さけ、ひよろひよろもので往わう来らいを叱しつされつゝ歩く時は車しや上じようの奴がやつが癇かん癪しやくでならない。どちらへ廻まはつても気に喰くはない。
︵以上十月二十日︶
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さうだ、こんな天気のいゝ時だと憶おもひ起おこし候そろは、小せう生せいのいさゝか意いに満みたぬ事ことあれば、いつも綾あや瀬せの土ど手てに参まゐりて、折をり敷しける草の上に果はては寝ねこ転ろびながら、青きは動かず白きは止とゞまらぬ雲を眺ながめて、故ゆゑもなき涙の頻しきりにさしぐまれたる事に候そろ。兄あにさん何して居ゐるのだと舟ふな大だい工くの子の声を懸かけ候そろによれば其その時の小せう生せいは兄あにさんに候そろ如かく斯のごときもの幾いく年ねん厭あきしともなく綾あや瀬せに遠とほざかり候そろ後のちは浅あさ草くさ公こう園えんの共きよ同うどう腰こし掛かけに凭もたれて眼めの前を行ゆき交かふ男なん女によの年ねん配ぱい、風ふう体ていによりて夫それ々〴〵の身の上を推おし測はかるに、例れいの織おるが如ごとくなれば心こゝろ甚はなはだ忙いそがはしけれど南な無むや大たい慈じ大たい悲ひのこれ程ほどなる消なぐ遣さみのありとは覚おぼえず無むえ縁んも有うえ縁んの物語を作り得えて独ひとり窃ひそかにほゝゑまれたる事に候そろ。御ごら覧んよ、まだあの小お父ぢさんが居ゐるよと小こも守りむ娘すめの指を差し候そろによれば其その時の小せう生せいは小お父ぢさんに候そろ。猶なほこゝに附ふ記きすべき要えう件けん有これ之あり兄あにさんの帰りは必ずよその家いへに飲めもせぬ一抔の熱あつ燗かんを呼び候そろへども。小お父ぢさんの帰りはとつかはと馬車に乗りて喰くはねばならぬ我わが宿やどの三膳ぜんの冷ひや飯めしに急ぎ申まう候しそろ。今いまや則すなはち如いか何ん前ぜん便びん申まう上しあげ候そろ通り、椽えん端ばたの日ひな向たぼつこに候そろ。
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白はく氏しが晴せい天てんの雨の洒しや落れほどにはなく候そろへども昨さく日じつ差さし上あげ候そろ端はが書き十五枚まいもより風の枯こぼ木くの吹けば飛びさうなるもののみ、何なん等ら風ふぜ情いをなすべくも候そろはず、取とり捨すては御ごず随い意いに候そろ骨ほねの折をれる事には随ずい分ぶん骨を折り候そろ男と我われながらあとにて感かん服ぷく仕つか候まつりそろ。日ひか影げ弱よはき初はつ冬ふゆには稀まれなる暖あたゝかさに候そろまゝ寒かん斉さいと申すにさへもお耻はづかしき椽えん端ばたに出いでゝ今こん日にちは背を曝さらし居をり候そろ、所いは謂ゆる日ひな向たぼつこに候そろ日ひな向たぼつこは今の小せう生せいが唯ゆい一いつの楽しみに候そろ、人ひと知しらぬ楽しみに候そろ、病やむまじき事也なり衰おとろふまじき事也なり病やみ衰おとろへたる小せう生せい等らが骨は、人ひと知しらぬ苦くを以もつて、人ひと知しらぬ楽たのしみと致いた候しそ迄ろまでに次しだ第いに円まるく曲り行ゆくものに候そろ。御ごび憫んせ笑ふく可ださ被れた下く度そ候ろ
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読むのもいや書くのもいや、仕しか方たがないと申す時あるを小せう生せいは感じ申まう候しそろ。なまけ者の証しよ拠うこと存ぞん候じそろこの仕しか方たがない時江えが川はの玉乗りを見るに定さだめたる事有これ之あり候そろ、飛とび離はなれて面白いでもなく候そろへどもほかの事の仕しか方たがないにくらべ候そろへばいくらか面白かりしものと存ぞん候じそろたゞ其その頃ころ小せう生せいの一奇きと致いた候しそろは萬ばん場じやうの観かん客かくの面白げなるべきに拘かゝわらず、面おも白しろげなる顔がん色しよくの千せん番ばんに一番捜さがすにも兼かね合あひと申もうすやらの始しま末つなりしに候そろ度たび々〴〵の実じつ験けんなれば理りく窟つは申まうさず、今も然しかなるべくと存ぞん候じそろ愈いよ々〳〵益ます々〳〵然しかなるべくと存ぞん候じそろ。認したゝめ了をはりて此この一通の段落を見るに﹁と存ぞん候じそろ﹂の行ぎや列うれ也つなり、更さらに一つを加へて悪あく文ぶんと存ぞん候じそろ
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容よう易いに胸きよ隔うかくを開ひらかぬ日にほ本んじ人んは容よう易いに胸きよ隔うかくを閉とつる日にほ本んじ人んに候そろ、失しつ望ぼうの相さうならざるなしと、甞かつて内うち村むら先生申され候そろ。然しかり小せう生せいも日にほ本んじ人んに候そろ拒こばまざるが故ゆゑに此この言げんを為なし候そろ
︵以上十一月廿一日︶