ソクラテス
新渡戸稲造
私は十五、六歳の学生時代から、世の中のことに就て思い悩んでいた。たとえば、自分では正しいと思ってすることも、相手の気に障って、予想外の怒りや恨(うら)みを受けることもあるために、これからは、一体如(い)何(か)なる心掛けで人生を送ったら好(い)いものかということに考え及ぶと、疑惑が百出して、何(い)時(つ)も何(い)時(つ)もその解決に苦(くるし)んだ。然(しか)るに、その後、ふとソクラテスの伝記を読むに至って、私の満腔の崇拝心と愛好心は悉(ことごと)くこの偉人の上に濺(そそ)がれるようになり、同時に、永年の懐疑も、頓(とみ)に氷解するを得たのである。
即ち友人間の交際にしても、あるいは一歩進んで、人生に処する上にも、手を下し、口を開く前には、一、二歩退(しりぞ)いて、我(わが)儘(まま)の利己のためではないか、という事を慎重に反省してみる。しかして、いささかでもそういう気味を帯びておるとすれば、断然これを中止するのであるが、一旦、自分が是(ぜ)なり善なりと信ずるに於ては、それを実行するに寸刻の猶予もしない――こういうことを思って、頓(やが)てはこれを主義ともするようになった。
私が理想的実行家としてリンコーンを愛好すると同じ程度に於て、ここに理想的思想家の真意義をソクラテスの人格に見出して、すべての他の偉人にも増して、これが尊崇の念を禁じ得ないのである。
ソクラテスの伝記書類は随分数多く読んだけれども、私の伝記研究は、学者のする学問のためではなく、常に応用的、いわば自分一個の精神修養を目的としたものであるから、勿論、システムなどは立っておらぬ。従って、ソクラテスを読んでも、着眼するところはその一点で、ソクラテスの哲学や何かに就ては、始めからあまり調べる気もしない。
ソクラテスを読んで、一番に面白く思うところは、かのダイモンというものを常に信じて、絶えず、自分の心の中(うち)に、善悪邪正を区別する、我にあらざる一種の力を蔵している。訳してこれを鬼神とも称すべきか。とにかく、この一種の力が、たとえ自分の欲することでも、これを行為に顕(あら)わさんとする場合には、予(あらかじ)めこの鬼神に伺いを立てて、允(いん)許(きょ)を受けることにしていた。そして、もしその允許が出ない時には、結局実行を見合わすということになっていた。――これが私の注意を深く惹(ひき)付(つ)けた点で、また私もかくあろうとして、平生から夙(つと)に戒心しているところである。
私も随分無遠慮な口を利く方で、それが故には、如(い)何(か)なる時に、如何なる誤解を発生せしめ、如何なる迷惑を受けなければならないかも知れぬ。しかしながら、腹に確乎たる覚悟と信念とさえあるならば、さほどびくつくにも及ばない。ただし、考えてみれば、私などの主張するところは、存外穏やかなものである。一つの主義に固持して終世世に容(い)れられなかった人もあり、あるいはソクラテスの如く刑罰に処せられたり、あるいは、大塩平八郎の如く、世に反抗して反叛を起したりするのに比べては、私は気の弱い所(ゆえ)以(ん)でもあろうか、甚だしく穏やかである。思った事を実行するといっても、故意に社会の原則を無視したり、折(せっ)角(かく)生(おい)立(た)って来た習慣を、無闇と破壊するというほどの意気込はない。また一面には、自分の所信にしてもし俗情に全然かなわない時に於ては、私は出来るだけ譲って、主張を枉(ま)げることもする。そして、最後に、これ以上は譲られないというところまでは、自分の力を保留しておく考えである。
それはとにかく、ソクラテスの偉大なるところは、徹頭徹尾、思い切って所信を披(ひれ)瀝(き)した、その無遠慮な点に存する事を否(いな)み難(がた)い。もしソクラテスにして、何(なに)彼(か)と斟(しん)酌(しゃく)ばかりして、思う事も遠慮していわなかったとするならば、世界はまあどれほどの大損失であったことだろう。プラトーの花も咲き損い、アリストートルの実もまた結び損(そこな)ったに違いない。
ソクラテス位の大人物になると、言と行との区別が全くなくなる。昔からいう言行一致をする言葉が丁度それである。世には、能(よ)く﹁口の人だ﹂﹁口ばかりの人だ﹂といって、言行不一致の輩(はい)を嘲(あざけ)ることがあるが、しかし、その﹁口ばかりの人﹂にして、もし言うところのものが、すべて赤誠と確信から迸(ほとばし)り出(い)ずるものであって、その一語が、直(ただち)にその人の名誉地位に連関し、一命を賭(と)して吐露する、というほどの概があるならば、その言は慥(たしか)に﹁行﹂である。否(い)な、寧ろ﹁行﹂よりも意味が強いと思う。何(な)故(ぜ)ならば、行は具体的にして、しかも場所と時とを制限するが、言に至っては、抽象的でその達し及ぶ所広く、時もまた無限であるではないか。
ソクラテスがアテンの市長になって、其(そ)所(こ)の衛生工事を改良したとか、事務を整理したとか、あるいは軍人になって、ペルシャ人に勝ったことがあったとしても、それは恐らく、彼が口その物で称(とな)えたことより以上の仕事とはならなかったことであろう。
私がソクラテスを好み、かつ崇敬する理由を数箇条にして述べてみるならば、先ず第一には、何事をなすにも、始め己を省み、本心に伺いをたててからするということで、これは、今日世間で頻(しき)りに唱道しつつある、修養なるものの根本となるものである。
第二は、無(むや)闇(み)に人を区別せず、また責めない点である。たとえば、議論をするにしてもその相手を選ばず、またその題目をも別に選ばない。そして、目的は、相手を負かそうとか、自分の主張をあくまでも徹(とう)そうとか、そういう浅薄な野心は毫(ごう)末(まつ)もない。ただ自分を忘れて、道のために議するという風(ふう)の態度がありあり見える。だから、およそ志のあるものは誰でも相手にして、少しも意としないのである。
第三には、高慢な人でなかったということを数えたい。当時、ソクラテスは具眼者から先生といわれるほどの尊敬を受けていながら、微(みじ)塵(ん)も高ぶる風がなかった。また当時、アテンの政治は民主主義であったが、しかし、その制度の下にも、不思議なことは、高慢な人が沢山いた。そして、ソクラテスばかりはその例に洩れていた。してみると、ソクラテスの人物の高慢臭くなかったのは、時代の然(しか)らしめたところというようなことが言えなくなる。私は、この徳をソクラテスの性(しょ)得(うとく)に帰するよりも、寧ろ修養の結果と看(み)做(な)すことの妥当なるを信ずるものである。
第四には、年が行っても、油断せずに、修養を持続した点である。とかく、吾(われ)人(われ)は、いくらか名前を知られ、人の尊敬を贏(か)ち得(う)るようになると、忽(たちま)ちもう偉(え)らくなったような気がして、心が弛(ゆる)み、折(せっ)角(かく)青年時代に守り本尊としていた理想を、敝(へい)履(り)の如く棄て去るのが多いものであるが、独りソクラテスに限っては、こういう不始末が毫(ごう)末(まつ)もなかった。孟子のいわゆる大人にして赤子の心を失わない態度が、実に歴然としてその生活中に見えるのである。
第五には、輿論というか、俗論というか、いわゆる世評なるものに頓(とん)着(ちゃく)しなかったことである。
ソクラテスの容貌は、性来とはいいながら、頗(すこぶ)る滑稽なもので、常に物笑いの種となっていた。特に、衆人稠(ちょ)座(うざ)の中に出ると、直(ただち)に面(つら)の批評をされる。けれども、ソクラテスは、その冷評や罵(ば)詈(り)の声を聞いても、少しも怒(いか)らない。のみならず、自分もまた一緒になって、声を立てて笑っていた。
また、ソクラテスはこういう風(ふう)の外観的のことばかりではなく、時代の文学者仲間などには、その主義なり思想なりが、往々にして非難の的となり、甚(はなはだ)しきは、この人を芝居の芸題などにして公々然と冷嘲を浴せかけたこともある。
けれども、ソクラテスは終始自(じじ)若(ゃく)としていて、こせこせした弁護をせず、やはり自分も一緒にその芝居見物をして、衆人と共に笑い興じていたほどである。
かかる美点を一々列挙するならば、それこそ僕を換うるもなお足らぬであろう。勿論、ソクラテスだとて、全智全能の神ではないから、欠点を探れば相応に求め得たであろう。けれども、私はこのソクラテスが全然好きなのだから、その美点ばかりを挙(あ)げて差(さし)支(つか)えないことと思う。グロードなどいう人は、ソクラテスの短所を覓(もと)めて、悪辣な筆を運ばし、一時読書界の注目を惹(ひ)いたこともあったが、しかし、これも今日では、殆んど観察点が外れていて、いずれも正しい筆でないことが明かになった次第である。
私は、ソクラテスの最も偉大なる点を以て、彼の悲劇なる死(しに)際(ぎわ)の公明正大なのに持って行きたいと思う。ソクラテスの死は、真に死を見ること帰するが如しであった。彼が罪なくて牢獄の人となった時には勿(もち)論(ろん)人を恨(うら)まなかった、弟子などが集(あつま)って来て、頻(しき)りに弁護せよ弁護せよと勧告するけれど断(だん)乎(こ)として肯(うけが)わない。弟子どもは声を励まして、﹁先生が何の罪もなくして死なれるのが残念です﹂というと、ソクラテスは嫣(えん)然(ぜん)笑って、﹁さらば罪あって死ぬのは残念でないのか。死ぬる死なぬは畢(ひっ)竟(きょう)第二義のことだ。心の鍛錬が第一義だ。﹂といって聞かした。そして誰も恨(うら)まず、天も地も怨みず、泰然自若として振りかかる運命を迎えたのである。
私は、平生自分に関した不愉快な世評を聞いたり、悪口などを耳にすると、この場合、ソクラテスであったら、どういう風に始末したろう、と考えてみる気になる。また、思う事がならず、失望落(らく)胆(たん)に沈んでいる時にも、もしこれがソクラテス翁(じい)さんであったら、この一(いっ)刹(せつ)那(な)を如(い)何(か)に処するであろう、と振返って、静(しずか)に焦(いら)立(だ)つ精神を鎮(しず)めてみると、ある雄々しい本(ほん)然(ぜん)の心が腹の底から声を出すのである。同時に、不愉快な気分も、衰えた神経も、忽(たちま)ちにして去ってしまう。
勿論、私はソクラテスの真(ま)似(ね)をするという訳(わけ)ではないが、書斎には常にこのソクラテスと、リンコルンのバストを飾っておく。これなども、立派に修養の功を積んだ人々には、かかる必要は全くないであろうが、私の如き未練なものには、これが一番に強い刺戟になるのである。
︹一九一一年一月一日﹃中学世界﹄一四巻一号︺
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