いつの頃ころでしたか、九州の果の或ある海岸に、仙せん蔵ざうと次じろ郎さ作くといふ二人の漁師がをりました。
或日二人はいつものとほり小さな舟にのつて沖へ漁に出ますと大風が吹いて、とほくへ流されました。けれども運よく舟も沈まず、怪け我がもしないで、とある島へ流れつきました。二人はお腹なかがすいてゐるものですから、早く人家のあるところへ出て、御飯をたべさして貰もらはうと、奥の方へあるいて参りますと、そこに畑があつて、大きな西すゐ瓜くわが生なつてゐるのを見付けました。ところがその西瓜が仙蔵も次郎作もまだ見たこともない程のものでした。それは酒を拵こしらへるときの、大おほ樽だるほどもありました。二人は大へん喫びつ驚くりしました。けれども何しろ、もう一足も歩けぬ程お腹がすいてゐるときですから、直ぐにもつて来た小刀で、それに穴をあけて、中の赤い肉を切りとつて喰たべ始めました。すると余りにおいしいので、段々喰べていくうちに、とう〳〵体とも西瓜の中に入つてしまひました。そしてお腹が充分にみちたので、いゝ気持になつて、二人とも歌を唄うたつてをりました。
こちらはその大きな西瓜をうゑた人ひと達たちです。その人達は奈な良らの大仏を二つも合した程の巨おほ人びとでありました。今はそんな大きな人間は世界にゐないことになつてゐますけれども、昔の人にはそんな巨人のゐたことが本当に思はれてをりました。
その巨人が、孫をつれて、畑を見に来ますと、自分の西瓜に穴があいて、そのなかゝら美しい声で歌が聞えました。
﹁おや変だぞ。﹂と、巨人は二人の入つてゐる西瓜に目をつけて申しました、﹁これは西瓜に虫がついた。困つたことをした。﹂
﹁ほんとに虫がついたね、おぢいさん、でもいゝ声の虫だから、取つて帰つて、飼ひませう。﹂
孫の巨人はさう言ひながら、指を穴に入れて、仙蔵と次郎作とを摘つまみ出し、掌てのひらにのせました。驚いたのは二人です。たゞもう恐ろしさに小さく縮み上つてゐると、孫の巨人は、丁度私共が、バツタか蜻とん蛉ぼをおもちやにするやうに、二人の頭をつまんでみたり背中を指でなでてみたりするのでした。
﹁こら〳〵虫よ、﹂と、孫は二人が歌を止やめたので、申しました。﹁唄へ〳〵。﹂
二人は恐ろしいので、声も碌ろくに出ません。けれども唄はないと孫が太い指で頭をつまんでふりまはしますから仕方がありません。一生懸命に唄ひました。
﹁本当に悧りか巧うな虫だな。﹂と、おぢいさんの巨人は申しました。﹁ちやんとこつちのいふことが分るんだ。大事にして飼つて置かうね。手荒いことをして、つまみつぶしちやいけないよ。﹂
仙蔵と次郎作は、巨人達から、とう〳〵虫と見られて、その家うちにつれていかれました。孫の巨人は、これは本当に悧巧で、美いい声の虫だから、今晩は抱いてねるのだと、二人を寝床の中に入れました。
困つたのは二人の漁師でした。
﹁仙蔵。﹂と、弱虫で少々馬鹿な次郎作は泣き声を出して申しました。﹁どうしたらいゝだらうかね。しまひにや喰くはれてしまやしないかしら?﹂
﹁さうだね。﹂と、仙蔵も心配さうに答へました。﹁まさかそんなこともあるまい。俺おれ達たちが美いい声で唄つてやりさへすれば悦よろこんでゐるのだから……﹂
﹁でもいつまでもこゝにつかまつてゐた日にやもう日本へ帰ることも出来ないが、どうかして逃げ出す工夫もないだらうか?﹂
﹁さうだな、俺おれもそのことを考へてゐるんだ。お前だつて俺だつて、家うちにや親兄弟もあれば、女房や子供もあるんだから、生きてゐるからにや一度は帰りたいものだ。﹂
﹁ぢや今夜逃げよう。﹂
﹁さうだ、巨人達が寝てから、こつそりと海岸へ逃げて行かう。まだ乗つて来た舟もあるから、あれで沖へ出てしまへば、それからさきは又どうにか考へをつけよう。﹂
二人はすつかり相談をきめました。
程なく孫の巨人がグウー、ゴーと、まるで大きな岩穴へ、嵐あらしが吹き入るやうな鼾いびきをかいて眠つてしまひましたので、二人はこつそりと手を引き合つて、逃げ出しました。
﹁次郎作、しつかりしろよ!﹂
﹁よし、合点だ! でも暗くて方角が知れない。﹂
﹁蒲ふと団んの中だから暗いんだ。どつちにでも走つて、早く端に出ることだ。﹂
二人は一生懸命に走り出しました。けれどもまちがつて裾すその方へ走つたとみえて、なか〳〵明るいところへ出ません。そのうちにとう〳〵夜があけてしまひました。
一番がけに眼めをさましたのは、孫の巨人です。直すぐに虫はどこにゐるかと、入れて置いた蒲団の中をみますけれども、二匹とも影も形もありません。
﹁あゝおぢいさん、大変だよ〳〵、大事の〳〵西瓜の虫がゐなくなつちやつた。﹂
孫は眼から拳げん骨こつのやうな大きな涙をパラ〳〵と流して、泣き出しました。
するとおぢいさんの巨人は、
﹁よし〳〵泣くんぢやない〳〵。どこかそこいらに匐はひ出してゐるだらうから、俺わしが捜してやる。﹂と、言つて、蒲団をすつかり取り除のけますと、一里も先に逃げのびた筈はずの二人は、まだ裾すその辺あたりにうろ〳〵してをりました。大変広い蒲団であつたと見えます。
﹁それ見なさい。﹂と、おぢいさんの巨人は直ぐに、二人をつかまへて、掌にのせて、孫の巨人の顔の前へ差し出しました。﹁この通りゐたぢやないか? もう泣きなさんなよ。﹂
﹁あゝゐた〳〵。有難い〳〵。もうお前達たち、無むや暗みとあるきまはるのではないよ。もし俺わしが寝返りでもした時、圧おし潰つぶされるといけないからね。﹂と、いゝ気きげ嫌んになつた孫の巨人は、今度は肉を削つた西瓜の中に二人を入れて、飼つて置くことにしました。
二人はもう逃げようとて逃げるわけにはまゐりません。仕方なく〳〵御飯の代りに西瓜を喰たべて、孫から言ひつけられるとほりに歌を唄ひ、あぢきない日を送つてをりました。
或日のことでした。おぢいさんの巨人は、孫に申しました。――
﹁これ〳〵孫や、俺わしにお前の虫を貸してくれまいか。﹂
﹁おぢいさん、貸してあげてもいゝですが、何をなさるんですか?﹂
﹁あのね、あの虫は大変賢いだらう。だから俺わしの鼻の孔あなに沢山毛が生えて、垢あかもついてゐるから、毛をかつたり垢を掃除したりさせるのだよ。﹂
﹁ぢや貸しませう。﹂
そこで仙蔵と、次郎作は、鎌かまと鍬くはとをもたされて、おぢいさんの巨人の鼻の中へ入ることにされました。そのとき、仙蔵は次郎作にむかつて申しました。――
﹁さあ愈いよ々いよ危いときが来た。今までは二人一緒だつたが今度は鼻の孔あなに別々に入るのだ。だから若もしかすると、それつきりで、もう会へなくなるかも知れないぜ。﹂
次郎作はびつくりして聞きかへしました。――
﹁どうして?﹂
﹁それはね、巨人が若もしか強く内の方へ息を吸ひ込んだら、そのはづみに俺達は、鼻の孔から腸の中へ落ちていかないとも限らないからだ。﹂
﹁それは困つたな。どうかしてそんなことにならない工夫はないかしら。﹂
﹁ないよ……だがね、せめてはお互にまだ無事でゐるつてことを生きてゐる間は知らせ合はふぢやないかえ。だからかうするんだ。時々巨人の鼻の障子を鎌か鍬で叩たたいて合図をするんだ。﹂
﹁うん、それがよからう。ぢやさうしよう。﹂
二人はかう約束して、恐る〳〵鼻の入口から入つて、先づ鎌で藪やぶのやうに生えた鼻毛を苅かり、鍬で鼻の垢あかを掘りしては、鼻の障子を叩いて、無事でゐることを互に知らせ合ひました。けれどもその仕事は危いものでした。
なぜかつていへば、巨人がたえず息を呼吸してゐるのが、鼻の毛をまるで強い風が林を吹くやうに音を立てゝ動かして通り、うつかりすると、仙蔵が気遣つたとほりに吸ひ込まれたり、又吹き倒されさうになつたりするからでした。
しかしそれでも鼻の孔の半分までは無事に掃除をすましてきました。たゞこの辺から暗いことも段々暗くなり、その上に暑くなつて来ました。弱虫で、そゝつかしやの次郎作は、独りで働いてゐるのが愈いよ々いよ心細くなつて、一本の鼻毛を刈つては、合図に鼻の障子をたゝき、一つ垢をほぢつては、又合図をしました。けれども巨人の方では奥に二人が入るにつれて、こそばゆくなつて、嚏くさみをしさうになりますのを怺こらへ〳〵致しますので、中の二人は時々その強い息に吹き仆たふされました。それに気のついた仙蔵は、次郎作が合図をする度に、危いから、さう度々するんぢやないと、大声に叫んで注意しますけれども、聞えないと見え、矢張り合図をしてよこしますから、ハラ〳〵してゐます。そのうちどうしたはづみでしたか、次郎作が合図に鼻の障子を一つ叩きますと、その叩きやうが少しひどかつたとみえ、巨人はとう〳〵たまらず、ハツクシヨンと、上を向いて、大きな山でもとばされるやうな嚏くさみをしました。
空に高く、風が木の葉を吹きあげたやうに、持つていかれた二人は、しばらくしてからどしんと地面におとされて、気絶しました。正気にかへつてみると、二人とも日本まで吹きとばされて、帰りついたのでした。