林の中に行つてみると、紅のいろをした美しい蛇へびいちごが生なつてをります。
﹁蛇いちごを食べてはいけないよ。あれは毒ですからね。あれを食べると、体は溶けて水になつてしまひますよ。﹂
お母さん達たちはかう子供に教へます。恐しい毒な蛇いちご、みかけは大変美しくて、人の体をとかしてしまふ蛇いちご。本当にさうなんでせうか? 私わたしは知りません。けれどもこんな話がつたはつてをるのです。
日本のずうつと西の端はての或ある国くにでは、氏神といつて、どこの家うちでも、先祖代々自分だけの神様を祀まつつてをります。その祭礼は十一月で、一年に一度神かん職ぬしをよんで、神かみ棚だなに七し五め三繩を張り、御お燈明をつけて、祝のり詞とをあげて貰もらひます。そして親類の者や、近所の人達を呼んで御ごち馳そ走うを致します。子供達は甘酒や御赤飯がふるまはれるので、氏神祭りといへば、楽しいものゝ一つです。
ある時、一人の神主さんがありました。矢張りこのお祀りによばれて方々を祝詞を上げて歩いてをりました。ところが、よばれて行つた先で出す御礼は玄米一升に、一厘銭十三ときまつてをりました。至つて僅わづかなものです。けれども御馳走だけはうんと出ますが、一人で一日四五軒も行くのですから、とても出された御馳走をみんな食べるわけにはいきません、といつて持つて帰ることも出来ないので、大変残念に思つてをりました。
﹁どうにかして、皆みんなでなくても、出されたものを大てい喰たべつちまうことはできないかしら?﹂
ぼんやりと考へながら、或日神主は、谷の傍わきの山道をうろ〳〵としてゐますと、一疋ぴきの大だい蛇ぢやが向うへ出てきましたので、びつくりして、そこの岩陰にかくれてをりますと、大蛇は神主のゐることを知らないものゝやうに、大きなお腹なかをかゝへて、だるさうにして、谷のふちの辺あたりを何やら捜してをりました。神主さんは恐こはいけれど、何をするのだらうと、不思議がつて見てをりますと、大蛇はそこにあつたものを何やら二口三口たべて谷へ下りて行きました。神主さんがそつと覗のぞいてみると、大蛇は谷川に下りて行つて、水を飲んでゐるのでした。水を飲み終ると、大蛇は向うの岸に上り、大きな松まつ樹のきに身を巻きつけ、一つじつと締めると、見る見るうちにお腹なかはげつそりと小さくなつて、勢よくどこかへ行つてしまひました。
神主さんは岩の陰を出て、蛇へびが何やら喰べたところへ行つてみますと、そこには美しい蛇いちごが、もう霜にしなびて残つてゐました。神主さんは﹁しめた。﹂と、手を拍うつて悦よろこびました。それはかういふ話を思ひ出したからでした――
﹁蛇が腹一ぱいに物を食べると、蛇いちごを食べ、水を飲んで、立木に巻きつく。さうするとお腹なかの物はすつかりと消こ化なれてしまふ。けれども亀かめを呑のんだときだけにはそれがきかないさうだ。どういふわけかといふと、亀は堅い甲かふ羅らを着てゐるから、蛇いちごもきかない。亀は呑まれる直すぐ、首も手足もちゞこめてゐるが、蛇が水を呑むと、元気が出て、お腹なかの中で、首や手足を出して荒れまはる。蛇は苦しいから、立木にまきついて締めると、亀はその手足の爪つめで、蛇のお腹なかをガサ〳〵引ひつ掻かいて、とう〳〵その腹を裂いて、出てしまふ。﹂といふ話でした。
﹁しめた〳〵。﹂と、も一度神主さんは叫びました――
﹁この蛇いちごをもつて行かう。そして祝詞を上げてゐるうちにそれをたべては、水を飲んでをらう。さうしたら直ぐお腹があの蛇のやうにすいて、どこへいつてもありつたけの御馳走がたべられる。﹂
神主さんはそこらぢうを捜して、沢山蛇いちごを集めて袂たもとに入れて、いそ〳〵と氏子の家へ行きました。
さて神主さんは神前に出て、祝詞をあげながら、
﹁かけまくも畏かしこき……ムニヤ〳〵、大おほ神がみの大おほ前まへにムニヤ〳〵……。﹂と、ちつとづゝ蛇いちごをたべては、お水をいたゞいてゐますと成程どうも不思議にお腹なかがすいて来ます。そして祝詞が終る頃ころにはもう飢ひもじくて〳〵気が遠くなる程になるので、出された御馳走を、まるで餓鬼のやうにがつ〳〵がぶ〳〵と喰べたり、飲んだりして、
﹁マアこれでよろしい。﹂と、ほく〳〵悦よろこびながら、二軒三軒と廻まはつてあるいてゐるうち、段々と眠たくなつて来ました。
﹁どうしたものだらう。あんまり喰べ過ぎたせいかしら。﹂
神主さんはお腹なかのへんをさすつてみますけれど、お腹なかはげつそりとしてをります。寧むしろ狼おほかみのやうに腹が背骨にくつゝいてをります。そしてその飢ひもじいことゝいつたら、何ぼたべても追ひ付きません。
﹁神主さんは、御病気ぢやございませんか、大層お顔がお痩やせになりましたが。﹂
或ある家いへではかう言はれました。
﹁いゝえ、どう致しまして。……たゞ余り遠いところを急いでまゐりましたので、お腹なかがすいたのです。﹂
神主さんは情ない声を出しました。心のうちでは――
﹁どうやら、これは蛇いちごが利きすぎた。﹂と、思つてゐますがそんなことは言はれません。
﹁おや、それぢや何か召上るものをさし上げませう。﹂
そこの家うちでは先づ御馳走から出しましたので、神主さんはがつがつと四人分もたべて、大きなお腹なかをかゝへながら、やつこらせと、神前に坐すわつて、ムニヤ〳〵と祝詞をあげ始めました。
家うちの者どもは神主さんが余りに意地汚く喰べたのに驚いてをりました。
そのうちに奥の方で祝詞をあげる神主さんの声が段々と低くなつて、とう〳〵しまひには聞えなくなりましたので、不思議に思つて、そこの奥さんが行つてみました。すると神棚の前には神主の坐つてゐたところに、その衣きも物のやら、袴はかまやらがあります。それもちやんと人が着てゐたまゝで、丁度その中から身から体だだけを引つこ抜いて取つたやうになつてゐました。変なこともあるものだと、家うちの人ひと達たちを呼んで、捜してみても神主さんの姿はどこへ行つたか見えません。衣物や袴をといてみますと、そのあとには水が沢山溜たまつてをりました。そして衣物の袂から、蛇いちごが四つ五つ出てきました。そのときそこへ来合せてゐた百姓の十と袈け裟さといふ男がそれを見付けて、かう申しました。
﹁分りました。神主さんは溶けて水になつてしまつたのです。﹂
﹁それはどういふわけです。﹂と、皆が聞きかへしました。
﹁御覧なさい。﹂と、十袈裟は蛇いちごをさして申しました。
﹁この蛇いちごを神主さんはたべたにちがひありません。私わたしが山の畑に行きますと、時々大きなお腹なかをした蛇が出て来ます。そして蛇いちごを喰べては水を飲みますと、すぐそのお腹がげつそりと減るのです。神主さんはきつと蛇がさうするところを見て、自分もお腹をすかしては、御馳走を沢山たべてやらうと、きたない心を起したにちがひありません。相あひ憎にくと蛇がたべればお腹がへるけれど、人間がたべれば、その身から体だまでが溶けてしまふのです。なぜかといへば、蛇は人間を呑んだときにも、矢張り蛇いちごを喰べて、それを溶かしてしまふのですからね。﹂
そこの人達は成程と思つて、衣きも物のと袴とを使にもたせて、そのことを神主さんの家うちへ言つてやりました。