はじめて見た機関砲
今でこそ日本は、最新兵器をもつ世界一流の陸海軍国であるが、明治維新となり、はじめて陸海軍が出来た頃ころは、兵器でも軍隊の組織でもまだ尋常一年生で、すべて西洋諸国に学んでゐた。しかし日本人の優れてゐたことは、その頃でも変りなかつた。
その頃フランスへ行つて、フランス軍人をあつといはせた﹁鉄砲上かみ村むらどん﹂の痛快な話がある。
﹁鉄砲上村どん﹂の本当の名は上村五ごら郎う、薩さつ摩まは藩んの人で、小さい時から射撃の天才であつた。大きくなつて藩の銃隊に入り、幕末に起つた幾いく度たびかの戦に従軍して、すばらしい手柄を立て、﹁鉄砲上村どん﹂と鉄砲の神様のやうに尊敬されたのだつた。
やがて明治維新になると、新政府の軍隊の大隊長となつた。大隊長といふから今の少佐格である。そして鉄砲の名人であるところから、明治三年に、射撃術、銃砲製造法研究のため欧洲へ出張を命ぜられた。これは政府で新しく日本陸軍の制度を定めることになり、その下ごしらへをするためであつた。
上村少佐は、まづフランスへ出かけて行つた、といふのは、その頃日本の陸軍は、フランス式であつたからだ。
上村少佐がフランスのマルセーユ港へ着いたときには、フランスとプロシヤ︵今のドイツ︶との間に、まさに戦争が起らうとしてゐた。フランス国民は、プロシヤに対して、盛んに敵てき愾がい心しんをもやし、しきりに﹁ベルリンへ! ベルリンへ!﹂と叫んでゐるのであつた。プロシヤをやつつけて、首府ベルリンまで陥落させよといふのだ。
上村少佐はまづ、当時精鋭をもつて聞えたスナイドル銃をこしらへる会社を見た。この会社は今でも世界一流の大兵器製造所である。少佐はその大仕掛で、精巧な兵器がどし〳〵と出来るのに感心した。そして日本にもこれに劣らぬ製造所をたてなければいけないと思つた。だが、賢い少佐の目には、そこで出来る銃砲にはまだ〳〵改良を加へなければいけないことを見てとつた。
そんなこととは知らぬフランス人は大得意で、いろ〳〵なものを見せて、えらく自慢をするのだつた。
﹁日本なんか鉄砲があつても、まだ火ひな繩はじ銃うくらゐのものでせう。早くこんな立派な鉄砲や大砲を使ふやうになさい。使ひ方が分からなけりや、こちらから先生をあげますから。﹂
少佐は何をこいつら、失礼なことをいふかと思つたが、静かに日本のことを考へると、またさういはれるのも止やむを得ないと悟つた。それほど日本は何事にもまだ幼稚であつたのだ。けれども、少佐自身には深い考へがあつた。
﹁なあに、長いことぢやない。今にもつと〳〵すぐれた兵器をこしらへて、アツといはしてやるから。﹂
ところが、調子に乗るくせのあるフランス人は、少佐がうはべに感心してゐるのを見ると、ます〳〵得意になつて、とうとう秘蔵の最新式大砲まで見せたのだ。
﹁これはミトライユといふ最新式の大砲です。プロシヤの豚なんか、これでめちやくちやにやつつけますよ。﹂
ミトライユは今日でいへば機関砲のことで、日清戦争の頃には軍艦に据すゑつけてあつたし、又陸軍でも台湾征伐に使つたものである。直径三十五ミリばかりの大きな筒が五つ並べてあつて、ガラ〳〵と車を廻まはすと、五発づつ一緒に弾がとび出すやうにしかけてあるが、二十五発毎ごと、つまり車を五度たびまはすたびに弾ごめしなけりやならない厄介なもので、発射の速さからも、そのとゞく距離からいつても、今の機関砲には遠く及ばないけれど、その頃ではすばらしい有力な武器であつた。
さすがに上村少佐もこれには感心した。が、同時にすぐ気がついた。
﹁まてよ、敵方プロシヤにはどんな武器があるだらうか。しきりにこちらに向かつて、戦争を吹きかけてゐるやうだから、武器の上にも、何か頼むところがあるにちがひない。これは一つ、戦争が始る前にプロシヤへ行つて、調べてみなけりやならんぞ。或あるひはミトライユにもまさる有力な武器があるかもしれないからな。﹂
そこで上村少佐はすぐプロシヤに行つて、その軍隊の小銃や大砲を見たり、又兵器製造所を見せてもらつたりした。
果して、少佐の考へは当つてゐた。ミトライユのやうな特別なものはなかつた。けれども普通に使つてゐるプロシヤの兵器は、大砲小銃ともに、なか〳〵すぐれたもので、特に大砲はフランスのものに比べると、砲架がたくみに出来てゐて、照準がたやすくて、上向きにする角度が大きいので、弾が遠くまでとどくのだつた。又小銃もいろ〳〵の点が改良されて、取とり扱あつかひが便利にできてゐた。
﹁あゝ、気の毒だが、武器の上からだけ見れば、フランスはとてもプロシヤの敵ぢやない!﹂
かう見ぬいた上村少佐は、ナポレオン三世皇帝がプロシヤに対して宣戦した当日、パリーへ帰りついたのだ。
仏独武器くらべ
いよ〳〵戦争が始つた。
﹁ベルリンへ! ベルリンへ!﹂といふ叫さけびはます〳〵盛んになつて、パリーの町々はわきかへる騒さわぎであつた。仏軍はぞく〳〵国境さして出発する。ナポレオン三世は自らセダンに赴いて、軍を指揮した。
或ある日ひのこと、上村少佐は射撃場へ行つて、小銃射撃を見てゐると、ふと後うしろから少佐の肩をたゝく者があつた。ふりかへつて見ると、それは以前、少佐にミトライユを得意さうにみせたエミル・ダンリ中尉といふ若い士官であつた。
﹁少マジ佐ユー上ル・村カミミユラ! しばらくでしたね!﹂
中尉は青年らしい元気のいゝ顔に笑を浮かべてゐた。
﹁おゝ、ダンリ中尉か。久しぶりだね。私はしばらくプロシヤへ行つてゐたのでね。﹂
﹁プロシヤへ?﹂
中尉は青い目を丸くして、肩をすぼめ、両手をパツと開いた。これはフランス人が軽けい蔑べつの意味をあらはすときにいつもする身振である。
﹁ほう! 豚どもの仲間へ入つて行かれたのですか。豚小屋は臭くて仕方がありますまい。なあに、おつつけ我々があんな不潔な獣をやつつけて、きれいに掃除しますから、もう一度行かれるときには、もう臭くはありませんよ!﹂
といつて、﹁ベルリンへ! ベルリンへ!﹂と、歌の文句のやうにつけ足した。
上村少佐はこの青年将校の盛な意気には感心したが、あまりに敵を知らなさすぎるのに、あはれみの微笑がひとりでに浮かんでくるのだつた。
﹁ほう、えらい勢ひぢやな。そして君は戦争には行かないのか。﹂
﹁勿もち論ろん、行きます。今、新編制の機ミト関ライ砲ユー隊ルを訓練してゐるところで、もうぢき出かけます。あゝ愉快々々! 我々はまるで大鎌で野の草を苅かるやうに、プロシヤの豚どもを打殺してやれるわけだ!﹂
上村少佐はこの言葉を聞くと、あまりにも口から出まかせに、少し腹が立つて来た。
﹁なるほどミトライユは有力な武器にはちがひない。けれどもプロシヤの武器もなか〳〵精鋭だから、油断はならないよ。﹂
ダンリ中尉は又もや肩をすぼめた。
﹁豚どもの大砲や小銃がなんになるものですか。奴やつ等らと一緒に地獄へでもうせろだ!﹂
﹁いや、さう一がいにはいへないぞ。わしはよく調べて来たのだからね。敵を知り己を知ることは戦ひに勝つ秘ひけ訣つである――と東洋の兵法は教へてゐる。大ナポレオンの後をつぐ君等の名誉の勝利を維持して行くには、よく敵を知らなければいけない。﹂
﹁なに大丈夫だ! 我々にスナイドル銃がある。ナポレオン砲がある。おまけに精妙きはまりなきミトライユがある。﹂
﹁いや、プロシヤのモーゼル銃はスナイドル以上かも知れんぞ。もしそれクルツプ砲となると、その発射の速さといひ、弾のとゞく遠さといひ、又命中の正確さといひ、ナポレオン砲以上だ。ミトライユは結構だが、もつと照準をやさしくして、遠くまでとゞくやうにしなければ、完全とはいへない。﹂
﹁なに!﹂と、ダンリ中尉はたちまち眉をつり上げた。﹁君は仏軍を侮辱するか。﹂
﹁いや、わしは仏軍を常勝軍たらしめようと思ふからいふのだ。﹂
﹁仏軍は今度もきつと勝つにきまつてゐる!﹂
﹁いや、他ほかの点はどうかしらんが、大切な武器の方から見ては、それは覚おぼ束つかないぞ。﹂
﹁いつたな、黄きざ猿る! おれはフランス大陸軍の名誉にかけて、貴様をゆるさんぞ。さあ、この作法が分かるか?﹂
ダンリ中尉は火のやうに怒つて手袋を地面にたゝきつけた。これは西洋では、決闘を挑いどむしるしである。
待つて下さい、諸君!
それから三日後である。上かみ村むら少佐とダンリ中尉とは、約束の決闘場たる練兵場へ現れた。双方型どほり二人づつの介かい添ぞへ人にんがついてゐる。武器はピストルで、互に百歩はなれて介添人が上げてゐる手を下すのを合図に、双方一度に発射するのだ。発射が早いと卑ひけ怯ふといはれるし、遅いと、敵の弾にやられてしまふ危険がある。なか〳〵むづかしいものだ。
やがて少佐も中尉も定さだめの位置について、中尉方の一人の介添人が、今日の決闘の趣旨を宣言しようとしたとき、どうしたことか、上村少佐は突然右の手を高く上げて叫んだ。
﹁待つて下さい、諸君!﹂
相手の中尉は元より、双方の介添人たちも少佐の言葉にすつかり呆あきれてしまつた。が、少佐はそんなことには一切おかまひなく言葉をつゞけた。
﹁私わたしはこの決闘の仕方を、もつと安全なものにかへたいと思ふのです。﹂
ます〳〵意外だ。みんなの驚きは一方ならぬものがあつた。
﹁つまり双方とも死にもせず、怪我もしないで、しかも名誉を十分に保つことの出来る方法にかへたいのです。﹂
誰だれも口をきかなかつた。けれども、みんな、少佐は決闘が恐こはくなつたので、今更こんなことをいひ出したものと思ひ、卑怯な人間だと内心軽けい蔑べつしてゐるのを、顔の色にあり〳〵とあらはしてゐた。それももつともである。だが、少佐は少しもひるまない。平気で言葉をつゞけた。
﹁私わたしはこれまで幾十度となく銃砲弾の中をくゞつて来たから、ちつぽけなピストルの弾など少しも恐れるものではない。しかし、今、私の一身は、天皇陛下と、日本のために捧ささげたもので、これから生ひ立つて行く日本の新陸軍のために、非常に重大な任務を帯びてゐるものであるから、つまらぬ名誉心のために、勝手にそれを殺したり、傷つけたりすることはできないのだ。﹂
少佐の言葉は次第に熱と威厳とを増して来たので、今まで軽蔑してゐた人々も、思はず襟えりを正しうして、耳を傾けた。
﹁またダンリ中尉もフランス軍にとつては、新式砲ミトライユの指揮者として、この場合、なくてならぬ人である。その重要な人が決闘で傷つき、倒れ、肝かん腎じんの戦場に出て、働かれぬやうなことがあつては、甚はなはだ遺憾である。熱烈な愛国者であるダンリ中尉の弾は、私に対してよりも、真のフランスの敵に向けらるべきものである。﹂
すぢの通つた、正しい少佐の言葉を聞く人達は、まつたくそのとほりにちがひないと、うなづくのであつた。
少佐はやはり厳然としてつゞけた。
﹁それだから、私わたしはまことに安全で、しかも我々両人にとつて最もふさはしい決闘法を提議する。それは、中尉は射撃の名手であり、私も又その方にかけては相当の自信をもつてゐる。それで二人して射撃の術くらべをしようといふのである。﹂
﹁うん、それは面白いな! 賛成だ!﹂と、ダンリ中尉はもうすつかり打ちとけて叫んだ。﹁だが、勝負はどうしてつけるのか。﹂
﹁何でも君がうつ的を、私わたしもうつことにする。もし私がうてなかつたなら、私が負だ。又もし君の的を私が残らずうつて、君が新たにうつべき的を見つけられない場合には、今度は私が的をえらぶから、それを君がうてばよい。それを君がうつたら、私が降参しようし、うてなかつたら、私の勝だ。﹂
弾で書く文字
話はきまつた。みんなはすぐつれ立つて射撃場へ行つた。そこには丁度フランス兵の一隊も射撃演習に来てゐたので、この珍しい決闘射撃のことを知ると、みんな見物することになつた。
最初は普通の標的の点取射撃で、どちらも名人のことだから、無造作に満点で、勝負なしに終つた。
次にダンリ中尉は速射をした。扱ひにくいその頃ころの小銃で、一分間七発もうつて、それがいづれも黒点をうちぬくのだから、神技ともいふべき素晴しい腕前であつた。しかし、上村少佐はそれに輪をかけた速さで、一分間十発もうつて、やつぱり黒点のまん中をうちぬいて、フランスの軍人たちをあつといはせた。
ダンリ中尉もいさゝか驚いたやうだが、今度は他ほかの人に銅貨を空にほふり上げさせて、それが地面に落ちきらないうちに、ポン〳〵打つのだつた。百発百中で、見てゐる多くの仏人たちはその見事さに手を拍つて悦んだ。けれども上村少佐にだつてそんなことはお茶の子さい〳〵だつた。
ダンリ中尉は少しあせつて来た。﹁この爺ぢぢいめ、なか〳〵の奴やつだ。しかし今度は真ま似ねができまい。﹂
そこで中尉はいよ〳〵取つておきの手を出した。
﹁では、向かふに白紙を張つた衝つい立たてをおいて、僕ぼくがそれに一つ文字を射ぬいて現すから、あなたもそれをやつてごらんなさい。出来たら、僕が負けたことにしよう。僕はフランスの敵たるプロシヤの頭を打ちぬくといふ意味で、その頭かし字らじPペーを射ぬいてみせよう!﹂
中尉はさういつて、用意された白はく紙しば張りの衝立に向かひ、ポン〳〵と、一発又一発、丹念にうつて行くと、やがてその弾痕は点々とつらなつて、大きなPの字をゑがき出した。なか〳〵あざやかな手際であつた。見てゐる仏軍の将士は今度こそと一斉に手をたゝいて悦んだ。
上村少佐もニコ〳〵して手をうつた。そしてつか〳〵とダンリ中尉に近寄つて、手をさしのべた。
﹁立派だ! もう私わたしが試みる必要はない。君は今見事に敵の頭を打ちぬいて、大勝利を得た、私は心からお悦よろこびを申し上げる!﹂
ダンリ中尉は勝つたと思つて、やつぱりニコ〳〵しながらその手を握りしめると、又あたりから盛んに拍手が起つた。
が、しかし、この拍手が一しきりやむと、上村少佐は再び銃を取上げ、容かたちをあらためて、一同に向かつていつた。
﹁諸君、私わたしは今、ダンリ中尉の妙技に絶大の敬意を表し、又フランスを祝賀するために、改めてダンリ中尉の真似をさせて頂きます。しかし、いさゝかちがつた風に、即すなはち一字だけではなく、二三の言葉を射ぬくことにいたしませう。﹂
少佐は銃を肩に当てるが早いか、まづポンと一つ、無造作に打ぶつ放し、それからこめては打ち、こめては打ちして釣つる瓶べう打ちだ。その速いこと! だが、白紙の衝立に残つた弾の痕あとは唯ただ、めちやくちやに点がちらばつてゐるだけで、字なんか一つもかけてゐなかつた。見てゐる人々は唯ただ驚き呆あきれてゐる。けれども少佐は一向平気だ。そしてすました顔でいつた。
﹁これが私わたしの心をこめたフランスへお祝ひの言葉です!﹂
ダンリ中尉は例の肩をすぼめる身振をしていつた。
﹁ですが、少佐、あれは一体何と読むのですか。少くともフランス語ではありませんね。多分、日本語なんでせう。﹂
﹁いや、フランス語をかいたのです。﹂と、いひながら、上村少佐は衝立に近寄り、ポケツトから鉛筆を取出して、一番左端の上の弾だん痕こんから、その下の、六十糎センチほどへだてて、少し右へ寄つた弾痕へ、斜にスツと一本の線をひき、更に今度はその点から、逆に上の方へ、最初の弾痕の右の方に三十糎ほどはなれて、同じ高さにならんでゐる第三の弾痕へ、スウツと一線をひいたのでVヴエの字が出来た。かうして散らばつた弾痕を次から次へと鉛筆でつないで行くと、
といふ言葉になつた。
忽たちまち、見ブラ事ヴオ! 見ブラ事ヴオ! といふ声が湧き起つて、上村少佐は仏軍将士のために胴上されて、しばらくは足が地につかなかつた。
少佐は改めてプロシヤ軍の兵器について仏軍当局に注意したが、そのときにはもう遅かつた。仏軍の大敗は勿もち論ろん士気、編制にもよるが、少佐が見破つた兵器の劣等であつたことも大なる原因であつた。
上村少佐は帰朝後、これからその腕をふるはうとしたとき急病にかゝつて亡くなつたので、その立派な知識も、すぐれた考案も、実際の役に立てることができないでしまつたのは甚だ残念である。