―左闢第三闢裂性中艾儒略荅許大受語 ―
一
破は提で宇う子すと云う天主教を弁難した書物のある事は、知っている人も少くあるまい。これは、元げん和な六年、加賀の禅僧巴はび
なるものの著した書物である。巴は当初南なん蛮ばん寺じに住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DでうSすに ょ如ら来いを捨てて仏門に帰き依えする事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造ぞう詣けいのある、一かどの才子だったらしい。
破は提で宇う子すの流るふ布ぼ本んは、華かち頂ょう山さん文ぶん庫この蔵本を、明治戊ぼし辰んの頃、杞きゆ憂うど道うじ人ん鵜うが飼いて徹つじ定ょうの序文と共に、出版したものである。が、そのほかにも異本がない訳ではない。現に予が所蔵の古写本の如きは、流布本と内容を異にする個所が多少ある。
中でも同書の第三段は、悪魔の起源を論じた一章であるが、流布本のそれに比して、予の蔵本では内容が遥に多い。巴自身の目撃した悪魔の記事が、あの辛しん辣らつな弁難攻撃の間に態わざ々わざ引証されてあるからである。この記事が流布本に載せられていない理由は、恐らくその余りに荒唐無稽に類する所から、こう云う破はじ邪ゃけ顕んし正ょうを標ひょ榜うぼうする書物の性質上、故意の脱だつ漏ろうを利としたからでもあろうか。
予は以下にこの異本第三段を紹介して、聊いささか巴の前に姿を現した、日本の Diabolus を一いち瞥べつしようと思う。なお巴はびに関して、詳細を知りたい人は、新しん村むら博はか士せの巴に関する論文を一読するが好よい。
二
提で宇う子すのいわく、DでうSす は﹁すひりつあるすすたんしや﹂とて、無色無形の実体にて、間かんに髪はつを入れず、天地いつくにも充満して在ましませども、別して威光を顕あらわし善人に楽らくを与え玉わんために﹁はらいそ﹂とて極楽世界を諸天の上に作り玉う。その始はじめ人間よりも前に、安あん助じょ︵天使︶とて無量無数の天てん人にんを造り、いまだ尊体を顕し玉わず。上かみ一いち人にんの位を望むべからずとの天戒を定め玉い、この天戒を守らばその功くど徳くに依って、DSの尊体を拝し、不退の楽らくを極むべし。もしまた破戒せば﹁いんへるの﹂とて、衆苦充満の地獄に堕し、毒寒毒熱の苦難を与うべしとの義なりしに、造られ奉って未だ一刻をも経ざるに、即ち無量の安あん助じょの中なかに﹁るしへる﹂と云える安助、己おのが善に誇って我は是DSなり、我を拝せよと勧めしに、かの無量の安助の中うち、三分の一は﹁るしへる﹂に同意し、多分は与くみせず、ここにおいてDS﹁るしへる﹂を初とし、彼に与せし三分の一の安助をば下界へ追い下し、﹁いんへるの﹂に堕せしめ給う。即すなわち安助高慢の科とがに依って、﹁じゃぼ﹂とて天てん狗ぐと成りたるものなり。 破していわく、汝なんじ提で宇う子す、この段を説く事、ひとえに自じじ縄ょう自じば縛くなり、まず DでうSすはいつくにも充ち満ちて在ましますと云うは、真しん如にょ法ほっ性しょう本分の天地に充塞し、六りく合ごうに遍満したる理ことわりを、聞きはつり云うかと覚えたり。似たる事は似たれども、是ぜなる事は未だ是ぜならずとは、如かく此のごときの事をや云う可き。さて汝云わずや。DSは﹁さひえんちいしも﹂とて、三さん世ぜり了ょう達だつの智なりとは。然らば彼かれ安あん助じょを造らば、即時に科とがに落つ可きと云う事を知らずんばあるべからず。知らずんば、三さん世ぜり了ょう達だつの智と云えば虚談なり。また知りながら造りたらば、慳けん貪どんの第一なり。万事に叶かなうDSならば、安助の科とがに堕だせざるようには、何とて造らざるぞ。科に落つるをままに任せ置たるは、頗る天魔を造りたるものなり。無用の天狗を造り、邪魔を為さするは、何と云う事ぞ。されど﹁じゃぼ﹂と云う天狗、もとよりこの世になしと云うべからず。ただ、DS安助を造り、安助悪魔と成りし理ことわり、聞えずと弁ずるのみ。 よしまた、﹁じゃぼ﹂の成り立は、さる事なりとするも、汝がこれを以て極悪兇猛の鬼きぶ物つとなす条、甚はなはだ以て不ふし審んなり。その故は、われ、昔、南なん蛮ばん寺じに住せし時、悪魔﹁るしへる﹂を目まのあたりに見し事ありしが、彼自らその然らざる理ことわりを述べ、人間の﹁じゃぼ﹂を知らざる事、夥おびただしきを歎きしを如いか何ん。云うこと勿れ、巴はび、天魔の愚弄する所となり、妄みだりに胡うろ乱んの言をなすと。天主と云う名に嚇おどされて、正しょ法うぼうの明あきらかなるを悟さとらざる汝なんじ提で宇う子すこそ、愚痴のただ中よ。わが眼まなこより見れば、尊げに﹁さんた・まりあ﹂などと念じ玉う、伴ばて天れ連んの数は多けれど、悪魔﹁るしへる﹂ほどの議論者は、一いち人にんもあるまじく存ずるなり。今、事の序ついでなれば、わが﹁じゃぼ﹂に会いし次第、南蛮の語ことばにては﹁あぼくりは﹂とも云うべきを、あらあら下しもに記し置かん。
年ねん月げつのほどは、さる可き用もなければ云わず。とある年の秋の夕暮、われ独り南蛮寺の境けい内だいなる花はな木きの茂みを歩みつつ、同じく切きり支した丹ん宗門の門徒にして、さるやんごとなきあたりの夫人が、涙ながらの懺こひ悔さんを思いめぐらし居たる事あり。先つごろ、その夫人のわれに申されけるは、﹁このほど、怪しき事あり。日夜何ものとも知れず、わが耳に囁ささやきて、如いか何んぞさばかりむくつけき夫のみ守れる。世には情なさけある男も少からぬものをと云う。しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情自おのずから止とどめ難し。さればとてまた、誰と契ちぎらんと願うにもあらず、ただ、わが身の年若く、美しき事のみなげかれ、徒いたずらなる思に身を焦こがすなり﹂と。われ、その時、宗門の戒法を説き、かつ厳おごそかに警いましめけるは、﹁その声こそ、一いち定じょう悪魔の所しょ為いとは覚えたれ。総じてこの﹁じゃぼ﹂には、七つの恐しき罪に人間を誘さそう力あり、一に驕きょ慢うまん、二に憤ふん怒ぬ、三に嫉しっ妬と、四に貪とん望もう、五に色欲、六に餮てっ饕とう、七に懈けた怠い、一つとして堕獄の悪趣たらざるものなし。されば DでうSすが大慈大悲の泉源たるとうらうえにて、﹁じゃぼ﹂は一切諸悪の根本なれば、いやしくも天主の御みお教しえを奉ずるものは、かりそめにもその爪そう牙がに近づくべからず。ただ、専念に祈おら祷しょを唱となえ、DSの御徳にすがり奉って、万一﹁いんへるの﹂の業ごう火かに焼かるる事を免るべし﹂と。われ、さらにまた南蛮の画えにて見たる、悪魔の凄じき形ぎょ相うそうなど、こまごまと談りければ、夫人も今更に﹁じゃぼ﹂の恐しさを思い知られ、﹁さてはその蝙かわ蝠ほりの翼、山羊の蹄、蛇くちなわの鱗うろこを備えしものが、目にこそ見えね、わが耳のほとりに蹲うずくまりて、淫みだらなる恋を囁くにや﹂と、身ぶるいして申されたり。われ、その一部始終を心の中うちに繰返しつつ、異国より移し植えたる、名も知らぬ草くさ木きの薫かぐわしき花を分けて、ほの暗き小路を歩み居しが、ふと眼まなこを挙げて、行手を見れば、われを去る事十歩ならざるに、伴ばて天れ連んめきたる人ひと影かげあり。その人、わが眼を挙ぐるより早く、風の如く来りて、問いけるは、﹁汝、われを知るや﹂と。われ、眼まなこを定めてその人を見れば、面おもてはさながら崑こん崙ろん奴ぬの如く黒けれど、眉み目めさまで卑しからず、身には法あび服との裾長きを着て、首のめぐりには黄こが金ねの飾りを垂れたり。われ、遂にその面を見知らざりしかば、否と答えけるに、その人、忽ち嘲あざ笑わらうが如き声にて、﹁われは悪魔﹁るしへる﹂なり﹂と云う。われ、大おおいに驚きて云いけるは、﹁如何ぞ、﹁るしへる﹂なる事あらん。見れば、容よう体だいも人に異らず。蝙かわ蝠ほりの翼、山羊の蹄ひずめ、蛇くちなわの鱗うろこは如何にしたる﹂と。その人答うらく、﹁悪魔はもとより、人間と異るものにあらず。われを描えがいて、醜悪絶類ならしむるものは画工のさかしらなり。わがともがらは、皆われの如く、翼なく、鱗なく、蹄なし。況いわんや何ぞかの古怪なる面貌あらん。﹂われ、さらに云いけるは、﹁悪魔にしてたとい、人間と異るものにあらずとするも、そはただ、皮相の見けんに止るのみ。汝が心には、恐しき七つの罪、蝎さそりの如くに蟠わだかまらん、﹂と。﹁るしへる﹂再び、嘲笑う如き声にて云うよう、﹁七つの罪は人間の心にも、蝎の如くに蟠れり。そは汝自ら知る所か﹂と。われ罵ののしるらく、﹁悪魔よ、退のけ、わが心は DでうSすが諸善万徳を映すの鏡なり。汝の影を止むべき所にあらず、﹂と。悪魔呵々大笑していわく、﹁愚おろかなり、巴はび。汝がわれを唾だ罵ばする心は、これ即すなわち驕きょ慢うまんにして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。もし悪魔にして、汝ら沙しゃ門もんの思うが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、われら天が下を二つに分って、汝がDSと共に治めんのみ。それ光あれば、必ず暗あり。DSの昼と悪魔の夜と交こも々ごもこの世を統すべん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔の族やからはその性さが悪なれど、善を忘れず。右の眼まなこは﹁いんへるの﹂の無むげ間んの暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、﹁はらいそ﹂の光を麗うるわしと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。屡しばしばDSが天てん人にんのために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺こひ悔さんを聞きたる夫人も、﹁るしへる﹂自らその耳に、邪じゃ淫いんの言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人を誘さそう事能わず。ただ、黄こう昏こんと共に身辺を去来して、そが珊さん瑚ごの念こん珠たつと、象牙に似たる手てく頸びとを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺こひ悔さんの涙をそそがんより、速に不義の快けら楽くに耽って、堕獄の業ごう因いんを成就せん﹂と。われ、﹁るしへる﹂の弁舌、爽さわやかなるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒こく檀たんの如く、つややかなる面おもてを目みま戍もり居しに、彼、たちまちわが肩を抱いだいて、悲しげに囁きけるは、﹁わが常に﹁いんへるの﹂に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に﹁いんへるの﹂に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪じゃ淫いんの穽あなに捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるを愛めずれば、愈いよいよ夫人を汚けがさまく思い、反かえってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らが屡しばしば七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔を誘さそうて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らがDSか。あるいはDS以上の霊か﹂と。悪魔﹁るしへる﹂は、かくわが耳に囁きて、薄はく暮ぼの空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡たん薄ぱくたる秋あき花はなの木この間まに、消ゆるともなく消え去り了おわんぬ。われ、即ち
惶そうこうとして伴ばて天れ連んの許に走り、﹁るしへる﹂が言を以てこれに語りたれど、無智の伴天連、反かえってわれを信ぜず。宗門の内証に背そむくものとして、呵かせ責きを加うる事数日なり。されどわれ、わが眼めにて見、わが耳にて聞きたるこの悪魔﹁るしへる﹂を如い何かにかして疑う可き。悪魔また性さが善なり。断じて一切諸悪の根本にあらず。
ああ、汝、提で宇う子す、すでに悪魔の何たるを知らず、況いわんやまた、天地作者の方寸をや。蔓まん頭とうの葛かっ藤とう、截せつ断だんし去る。咄とつ。
︵大正七年八月︶