芥川龍之介軽井沢で

　黒馬に風景が映うつつてゐる。　　　　　× 　朝のパンを石せき竹ちくの花と一しよに食はう。　　　　　× 　この一ひと群むれの天使たちは蓄ちく音おん機きのレコオドを翼にしてゐる。　　　　　× 　町はづれに栗の木が一本。その下にインクがこぼれてゐる。　　　　　× 　青い山をひつ掻かいて見給へ。石せつ鹸けんが幾つもころげ出すだらう。　　　　　× 　英字新聞には黄かぼ瓜ちやを包め。　　　　　× 　誰かあのホテルに蜂蜜を塗つてゐる。　　　　　× 　Ｍ夫人――舌の上に蝶てふが眠つてゐる。　　　　　× 　Ｆさん――額ひたひの毛が乞こじ食きをしてゐる。　　　　　× 　Ｏさん――あの口くち髭ひげは駝だて鳥うの羽根だらう。　　　　　× 　詩人Ｓ・Ｍの言葉――芒すすきの穂は毛皮だね。　　　　　× 　或牧師の顔――臍へそ！　　　　　× 　レエスやナプキンの中へずり落ちる道。　　　　　× 　碓うす氷ひ山上の月、――月にもかすかに苔こけが生えてゐる。　　　　　× 　Ｈ老夫人の死、――霧は仏フラ蘭ン西スの幽霊に似てゐる。　　　　　× 　馬うま蝿ばへは水星にも群むらがつて行つた。　　　　　× 　ハムモツクを額に感じるうるささ。　　　　　× 　雷かみなりは胡こせ椒うよりも辛からい。　　　　　× ﹁巨きよ人じんの椅い子す﹂と云う岩のある山、――瞬またたかない顔が一つ見える。　　　　　× 　あの家は桃色の歯はぐ齦きをしてゐる。　　　　　× 　羊の肉には羊し歯だの葉を添へ給へ。　　　　　× 　さやうなら。手てふ風うき琴んの町、さようなら、僕の抒ぢよ情じや詩うし時代。︵大正十四年稿︶

底本：「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
　　　1971（昭和46）年6月5日初版第1刷発行
　　　1971（昭和46）年10月5日初版第5刷発行
入力校正：j.utiyama
1999年2月15日公開
2003年10月7日修正
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