僕が講演旅行へ出かけたのは今度里さと見みと君と北海道へ行つたのが始めてだ。入場料をとらない聴衆は自然雑ざつ駁ぱくになりがちだから、それだけでも可かな也りしやべり悪にくい。そこへ何箇所もしやべつてまはるのだから、少からず疲れてしまつた。然し講演後の御ごち馳そ走うだけは里見君が勇敢に断ことわつてくれたから、おかげ様で大助かりだつた。
改造社の山やま本もと実さね彦ひこ君は僕等の小をた樽るにゐた時に電報を打つてよこした。こちらはその返電に﹁クルシイクルシイヘトヘトダ﹂と打つた。すると市庁の逓てい信しん課くわから僕等に電話がかかつてきた。僕は里見君のラジオ・ドラマのことかと思つたから、早さつ速そく電話器を里見君に渡した。里見君は﹁ああ、さうです。ええ、さうです﹂とか何なんとか云ひながら、くすくすひとり笑つてゐた。それから僕に﹁莫ば迦か莫ば迦かしいよ、クルシイクルシイですか、ヘトヘトだですかときいて来たんだ。﹂と云つた。こんな電報を打つたものは小樽市始まつて以来なかつたのかも知れない。
講演にはもう食しよ傷くしやうした。当分はもうやる気はない。北海道の風景は不思議にも感傷的に美しかつた。食ひものはどこへたどり着いてもホツキ貝ばかり出されるのに往わう生じやうした。里見君は旭あさ川ひかはでオムレツを食ひ、﹁オムレツと云ふものはうまいもんだなあ﹂としみじみ感心してゐただけでも大たい抵てい想像できるだらう。
雪どけの中にしだるる柳かな
(昭和二年六月)