木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)

芥川龍之介




     一 平氏政府

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。驕れる者久しからず、唯春の夜の夢の如し。
殿
西退※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)
※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)
姿


西※(二の字点、1-2-22)※(「竹かんむり/(「碌」の「石」に代えて「金」)」、第3水準1-89-79)

西※(二の字点、1-2-22)殿西西寿


※(「糸+乞」、第3水準1-89-89)駿
使沿輿※(二の字点、1-2-22)
西殿

西調輿西※(二の字点、1-2-22)※(「飆」の偏と旁が逆、第4水準2-92-41)殿
鹿
西
駿西西西西西西


西
殿



※(「糸+丸」、第3水準1-89-90)槿


寿


      


西貿竿
輿輿
輿※(「奇+支」、第4水準2-13-65)西※(二の字点、1-2-22)退退

 ○治承四年十月二十三日 入道相国福原の新都を去り、同二十六日京都に入る。
 ○十二月二日 平知盛等を東国追討使として関東に向はしむ。
 ○同十日 淡路守清房をして、園城寺をうたしむ。山門の僧兵園城寺を扶けて、平軍と山科に戦ふ。
  同日 清房園城寺を火き、緇徒を屠る。
 ○同二十五日 蔵人頭重衡をして、南都に向はしむ。
 ○同廿八日 重衡、兵数千を率ゐて興福寺東大寺を火き、一宇の僧房を止めず、梟首三十余級。
 ○同廿九日 重衡都へ帰る。

寿寿

寿


鹿
殿
※(「石+薄」、第3水準1-89-18)
※(二の字点、1-2-22)殿
※(二の字点、1-2-22)
鹿

西殿沿
西※(二の字点、1-2-22)
西
※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)使
西

※(「こざとへん+輕のつくり」、第3水準1-93-59)退西
平家朝威を背き奉り、仏法を亡すによりて、源家同姓のともがらに仰せて、速に追討すべき由、院宣を下され了ンぬ。尤も夜を以て日についで、逆臣を討ちて、宸襟をやすめ奉るべきのところ、十郎蔵人私のむほんを起し、頼朝追討の企ありと聞ゆ。然るをかの人に同心して扶持し置かるゝの条、且は一門不合、且は平家のあざけりなり。但、御所存をわきまへず、もし異なること仔細なくば、速に蔵人を出さるゝか、それさもなくば、清水殿(義仲の子清水冠者義高)をこれへ渡し玉へ、父子の義をなし奉るべし。両条の内一も、承認なくンば、兵をさしつかはして、誅し奉るべし。
※(「瞽」の「目」に代えて「卑」、第4水準2-94-67)
西鹿

寿
婿西
西西寿





      

西寿寿鹿西西


西輿西
西西寿
※(「金+(鹿/れっか)」、第3水準1-93-42)

※(「霄」の「雨」に代えて「竹かんむり」、第3水準1-89-66)殿殿

西殿
輿退※(「瞽」の「目」に代えて「卑」、第4水準2-94-67)
寿
西※(二の字点、1-2-22)
※(二の字点、1-2-22)西退※(「金+(鹿/れっか)」、第3水準1-93-42)寿姿西殿
※(「瞽」の「目」に代えて「卑」、第4水準2-94-67)※(二の字点、1-2-22)



使寿
使殿殿使
殿
西殿
使
※(二の字点、1-2-22)
※(「沙」の「少」に代えて「玄」、第3水準1-86-62)鹿寿

殿
※(「口+它」、第3水準1-14-88)寿








底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月30日公開
2004年2月26日修正
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