現代小説展望

豊島与志雄




      

 
 
 
 
 


 
 
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(ボードレール、鈴木信太郎訳)
 これは象徴派詩人の自然観であるが、それは自然に対する単なる視察ではなく、自然に対する生活的味到である。そういうところから芸術が生れる。
 然しこれは詩であって小説ではない。
 トルストイに「三つの死」という短篇小説がある。その終りの方に、一本の木が切り倒されることが描いてある。朝早く、東がやっと白みかけたころ、森の中で、一本の木が斧で切られている。その斧の不思議な音が、森の中で繰返される。鶺鴒が別な木の枝に逃げる。

 
(中村白葉訳)
 
 
 
 使
 
 
 
 

 鹿
(昇曙夢訳)
 
 
 
 
 
 辿
 

      

 便
 
 使
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 退
 
(徳田秋声――黴)
 
 
「起き上り、歩き、窓にもたれてみる。向うの人々は午飯を食べている。そっくり昨日の通りだ。明日も同様だろう。父と母と四人の子供達。三年前にはまだ祖母がいた。それはもういない。吾々が隣り同士になった時から父親はひどく変った。が彼自身はそれに気付いていない。満足そうにしている。幸福そうにしている。ばかな奴だ。――彼等は結婚のことを話し、次には死者のこと、次にはやさしい子供のこと、次には不正直な女中のことなどを話している。役にも立たない下らない無数の事柄に気を揉んでいる。ばかな奴等だ。――十年も前から彼等が住んでる部屋を見ると、私は胸糞がわるくなり腹が立つ。然しそれが人生だ。四方の壁、二つの扉、一つの窓、一つの寝台、数脚の椅子、一つの卓子、それだけだ。牢獄。人が長く住んでいる住居は、みな牢獄となってしまう。もう逃げることだ。遠くへ出かけることだ。ありふれた場所から、人間から、時を定めた同じ様な動作から、そして殊にいつも同じ様な考えから、逃げていってしまうことだ。」
(モーパッサン)
 
 
 
 
 
 
 
 
使
(嘉村磯多――七月二十二日の夜)
 

      

 辿便
 
 便
 
 
 
 

 

 
 
 
 便便


 
 

 

  
(「風」――竜胆寺雄)
退
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

 

 
(「無礼な街」――横光利一)
 姿
(「馬車」――横光利一)
 姿姿
 
 
 
 
 
 
 西
 
 
 

      

 
 辿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 使
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 姿
 姿
 
 
 
 
(淀野・佐藤共訳)
 
 
 姿
 彼はドーセット通りを歩いて帰った、むつかしい顔をして(包紙を)読みながら。アジェンダス・ネタイム……拓殖会社……。彼は鉄色の炎熱に霞んだ家畜を視た。銀色の粉末を振りかけた橄欖樹。静かな長い日……刈り込まれて成熟していく。オリーヴは瓶詰にするのだろうな? 家には、アンドルーズの店から買ったのが二つ三つ残っている。モリはあれを吐き出すんだ。今ではオリーヴの味が分るらしい。オレンジは薄紙に包んで枝編み籠に入れて荷造りされる。シトロンも同様だ。あのシトロン君はまだ聖ケヴィンズ・パレードに達者で勤めているかしら? またあの古めかしい琵琶を持ってるマスティアンスキ。あのころの俺達は楽しい夕を過したものだ。シトロン君の籐椅子に腰掛けたモリ。手に持つのはいい気持だ、冷たい蝋のような果物、手に持って、それを鼻孔の方へ持っていって芳香を嗅ぐ。あれみたいだ、あの豊かな甘美な野生的な匂い。何時も変らない、来る年も来る年も。それに高価に売れるんだとモイゼルが俺に話した。アービュタス・ブレース……ブレザンツ街……愉しい昔。瑕一つあってもいけないと彼は言った。遙々とやってくる……スペインはジブラルタル、地中海、レヴァント。ジャファの波止場には枝編み籠が整列している、一人の若い男がそれを勘定しながら帳合せをしている、汚いダンガリ製のズボンをはいた仲仕どもがそれを積み込んでいる。おや、何とかいった野郎が出て来たぜ。お早う! 気がつかない。ほんの挨拶をする位の知合というものは少々うるさいもんだ。奴の後姿はあのノルウェーの船長に似ている。今日奴に会うのかな。撒水車。わざと雨を呼び出そうとするようなもんだ。天になる如く地にもならせ給え、か。
(森田草平ほか五氏共訳)
 
 
 
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 輿
 
 
 総体的生活には一の意識が発生する。都市や村落はその自己を知ろうと欲する……。吾々は吾々の書物の著者ではない。吾々は単に、総括的存在が自己を表現せんがために取上げたところの、多少とも不完全な器官にすぎない。
(ジュール・ロマン)
 
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 プロレタリアートの文学は階級闘争の武器以外のなにものでもない。これに従って、プロレタリア芸術家の全く独特なタイプに関する問題もまた提出されなければならぬ。プロレタリア芸術家は決して現実の単なる受動的観察者であることはできない。彼は彼の創作的活動を階級の解放闘争に結びつけるところの革命的実践家である。このことは、プロレタリア芸術家が彼の創作の中に自分自身を閉じこめ階級闘争の過程から離れることを許されない、ということを意味する。彼は階級闘争における闘士であり参加者である。彼の芸術は徹頭徹尾能動的であり活動的である。
 調
 使
 
 
 調
 宿
 
 
 使
 
(「海岸埋立工事」―藤沢桓夫)
 比較的優れた作品を探して、私は右の一節を得た。がこの一節においてさえも、作者の眼が別なところに向けられていて、情景の――ひいては漁夫の生活の――にじみ出し方が甚だ稀薄なのを、嘆ぜざるを得ない。全景が可なりよく捉えられてはいるが、情景の――生活の――個性的濃度が乏しい。そしてそれはひいて芸術に遠いことを意味する。
 
 
(「蟹工船」――小林多喜二)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(「紙幣乾燥室の女工」――岩藤雪夫)
 彿
 
 
 辿
 姿
 
 真夜中すぎに、沖で、音が聴えた。トン・トン・トン・トンと――たしかに、発動機の音だ。それが、聴えた。近づく気配だった。部落全体の者が、ワーッと叫び声を上げて、吹雪のなかを、浜辺へ、駆け出した。そして、何も見えない真暗な沖を見ようとして、焦り、耳を凝らした。そして、待った。が、たしかに聴えた機械らしい音は、いつの間にか、聴えなくなっていた。が、みんなは、吹雪に顔を打たれながら身体を固くして、ゾクゾクと奈落へ沈んでゆく気持とたたかいながら、立ちつくした。――そして、みんなは、先刻のあれは、遠い沖を走っている太平洋航路の汽船の汽笛が風の加減で、流れてきた音なのだ、と理解した。彼らの足もとには波が暗く呟いていた。次の瞬間、部落全体が、ワッと、大きな声を上げて、波打際で、泣いた。その時は、ほんとうに、部落全体が、ワッと、大きな声を上げて、泣いた。
(「海岸埋立工事」――藤沢桓夫)
 
 
 

      

 
 調辿
 
 
 
 
 
 
 このハムレットとドン・キホーテとの相反した二つの性質を、多くの作家はみな多少とも持っている。文学を娯楽的逃避所から生活の陣営へ引戻すことは、或る程度まで、ハムレットからドン・キホーテへ作家を立直らせることである。それによって文学は進展する。そしてこの場合、ドン・キホーテの懐抱する理想がたとい理想としての価値しか持たないものであろうとも、一向に差支ない。その実現はやがて人類の滅亡を来たすかも知れないような理想から、トルストイの最も深刻な作「クロイツェル・ソナタ」は生れた。ただ、余りに目的意識にのみ囚われない限りにおいて、そして本質的に文学を害毒する強権主義に煩わされない限りにおいて、文学は作者の生活意欲を盛られるほど益々生命を帯びる。この意味において私は――如何なる生活意欲を盛るかは作家各自の問題に任せて――将来の文学に希望をかける。





 
   19674211101
5-86
tatsuki

2006427

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