去月二十九日上関に薩の小︵胡︶蝶丸にて参りたり。然るに此度の用事は云々、先づ京師のヨ︵様フ子ス︶は去月十五日将軍上洛、二十一日、一︵一橋︶、会︵会津︶、桑︵桑名︶、暴︵にはか︶に朝廷にせまり、追討の命をコフ。挙朝是にオソレユルス。諸藩さゝゆる者なし。唯薩独り論を立たり。其よしは将軍廿一日参内、其朝大︵利久通保︶尹︵い君んのみや 中川宮︶に論じ、同日二︵関条白二殿条斉敬︶に論じ、非義の勅下り候時は、薩は不レ奉と迄論じ上げたり。されども幕のコフ所にゆるせり。薩云々等朝に大典の破し事憤りて、兵を国より召上せ、既に京摂間に事あらんと。龍也︵や︶此度山口に行、帰りに必ず面会、事により上に御同じ可レ仕候かとも存候。何れ近日、先は早々頓首。
三日
内蔵太 様
龍馬