此度の使者村︵村新田新八︶同行ニて参上可レ仕なれども、実ニ心ニ不︵まレかせ任ざる︶義在レ之、故ハ去月廿三日夜伏水︵見︶ニ一宿仕候所、不︵はレから斗ず︶も幕府より人数さし立、龍を打取るとて夜八ツ時頃二十人計寝所ニ押込ミ、皆手ごとニ鎗とり持、口々ニ上意〳〵と申候ニ付、少論弁も致し候得ども、早も殺候勢相見へ候故、無二是非一彼高杉より被レ送候ビストールを以て打払、一人を打たをし候。何レ近間ニ候得バ、さらにあだ射不レ仕候得ども、玉目少く候得バ、手をを︵負︶いながら引取候者四人御座候。 此時初三発致し候時、ビストールを持し手を切られ候得ども浅手ニて候。其ひを︵まカ︶ニ隣家の家をたゝき破り、うしろの町ニ出候て、薩の伏水︵見︶屋鋪ニ引取申候。唯今ハ其手きず養生中ニて、参上とゝのハず何卒、御仁免奉レ願候。何レ近拝顔万奉レ謝候。謹言々。
二月六夕
龍
木圭先生 机下