此溝渕広︵広之丞︶ハ一日も早く長崎にかへし申度、されバ船の事ハ伊藤先生及洪堂兄等の御周旋可レ被レ遣候。築︵マ前マ︶くろ崎まで船か、長崎まで船か、夫レハ広が心次第也。然るに用向がすめバ一日も止り候ハ、甚よろしからぬ事故、早出船御セ話可レ被レ遣候。
助大夫 先生に御頼事、
○洪堂がよく知りておるけれども又記す。
一、長崎よりの船代、○洪堂がよく知りておるけれども又記す。
三十四両。
一、広が出セし金、龍が出セし金、
右算用高、金お四分ニ割り、一分ハ大村の村瀬︵三英︶が出したり。洪堂ハ金がなけれバ出すものなし。のこりハ溝渕と龍馬が二ツ割ニして出すはずなり。然るに龍馬も今日ハ金がなけれバ其尻りハ伊藤先生おわづらハせんとす。
それで大兄が算用しておやりのうへ、龍馬の一分ハどふぞや御手本︵許︶ハ御面遠︵倒︶ながら御出シ置可レ被レ遣候。呼︵マ嗚マ︶、空袋の諸生かしこみ〳〵て申。頓首。
龍
廿日伊藤先生
足下