一筆啓上仕候。 然ニ先日の御書中大芝居の一件、兼︵か而ねて︶存居候所とや、実におもしろく能︵よく︶相わかり申候間、弥︵いよいよ︶憤発可レ仕奉レ存候。 其後於二長崎一も、上国の事種々心にかゝり候内、少存付候旨も在レ之候より、私し一身の存付ニ而手銃一千廷︵ママ︶買求、芸州蒸気船をかり入、本︵土国佐︶ニつみ廻さんと今日下の関まで参候所、不レ計も伊︵俊藤輔、兄後の上博文︶国より御かへり被レ成、御目かゝり候て、薩土及云云、且大久保が使者ニ来りし事迄承り申候より、急々本国をすくわん事を欲し、此所ニ止り拝顔を希ふにひまなく、残念出帆仕候小弟思ふに是よりかへり乾退助ニ引合置キ、夫より上国に出候て、後藤庄次郎を国︵土佐︶にかへすか、又は長崎へ出すかに可レ仕と存申候﹂先生の方ニハ御やくし申上候時勢云云の認︵したため︶もの御出来に相成居申候ハんと奉レ存候。其上此頃の上国の論は先生に御直︵じき︶ニうかゞい候得バ、はたして小弟の愚論と同一かとも奉レ存候得ども、何︵な共んとも︶筆には尽かね申候。彼是の所を以、心中御察可レ被レ遣候。猶後日の時を期し候。誠恐謹言。
九月廿日
龍馬
木圭先生
左右