唯今田生に聞候得バ、小松者︵は︶おふかた蒸気船より帰るろふとの事なり。思ふニ中島作太郎も急ニ、長崎へつかハし度。紀州の事をまつろふ。陸からなれバ、拾五金もやらねばならず。小弟者︵は︶御国ニて五十金、官よりもらいしなり。夫お廿金人につかハし自ら拾金計︵ばかり︶つ︵か︶い申、自分廿︵マ拾マ︶金計持居申候。中島作につかハさんと思ふニよしなし。
(東京 静嘉堂文庫)
夫ニ三条侯の身内小沢庄次と申もの、是ハ相談して京ニ止まらせ申度、先刻申上置候ものなり。
右のものも何か買ものも致し、又西行するに廿金かりてほしいと申候。
但シ先生に。
是ハ先生のおぼしめし次第也。
実御気のどく申上かね候。よろしく。
其上ヱ小松へ御聞合被︵つレかは遣され︶一人同蒸気船船の儀、御頼可レ被レ遣︵マ度マ︶奉レ願候。
但、中島長崎へつかハす為。
後藤先生才谷
左右