一
彼カの人の眠りは、徐シヅかに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。 した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫マツゲと睫とが離れて来る。 膝ヒザが、肱ヒヂが、徐オモムろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、彼カの人ヒトの頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌タナソコ・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。 さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ圧アツしかゝる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になつた岩イハ牀ドコ。両脇に垂れさがる荒石の壁。した〳〵と、岩イハ伝ヅタふ雫シヅクの音。 時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであつた。けれども亦マタ、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつら〳〵思つてゐた考へが、現実に繋ツナガつて、あり〳〵と、目に沁みついてゐるやうである。
あゝ耳面刀自 。
耳ミミ面モノ刀ト自ジ。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに来たのではない。それも、をとゝひや、其ソノさきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと〳〵長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ続けて居たぞ。耳ミミ面モノ刀ト自ジ。こゝに来る前から……こゝに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考へつめて居るのだ。
古い――祖先以来さうしたやうに、此コノ世ヨに在る間さう暮して居た――習ナラハしからである。彼の人は、のくつと起き直らうとした。だが、筋々が断キれるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼ウヅきを覚えた。……そうして尚ナホ、ぢつと、――ぢつとして居る。射ヌバ干タ玉マの闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様ヤウに、厳オゴソかに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其ソレだけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓ヒロガつて、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想の紐ヒモに貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死シニ枯ガれたからだに、再フタタビ立ち直つて来た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯タダ一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて来い。耳面刀自。
おれは、このおれは、何ド処コに居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其ソレよりも第一、此コノおれは誰ダレなのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声ネを聞いたのだつけ。さうだ。訳ヲ語サ田ダの家を引き出されて、磐イハ余レの池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮ボ叢サから、首がつき出て居た。皆が、大きな喚オラび声を、挙げて居たつけな。あの声は残らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚ワメき声だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨カモ鳥ドリの声コヱだつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭ナき声だつた気がする。――をゝ、あれが耳面刀自。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹セツ那ナを、通つた気がした。俄ニハかに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣ワカらぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其ソノ時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
足の踝クルブシが、膝の膕ヒツカガミが、腰のつがひが、頸クビのつけ根が、顳コメが、ぼんの窪が――と、段々上つて来るひよめきの為に蠢ウゴメいた。自然に、ほんの偶然強コハばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常トコ闇ヤミ。
をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫ミ女コ――おれの姉御ゴ。あのお人が、おれを呼び活イけに来ている。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御オン神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、触サハつてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈フみ止トマつて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開アけては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、来ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天テン日ピに暴サラされて、見る〳〵、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今インマの事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ来て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣ワカらぬものになつたことも。かうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚ワメいて、歌をうたひあげられたつけ。﹁巌イ岩ソの上ウヘに生ふる馬ア酔シ木ビを﹂と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌タけ初めた頃だと知つた。おれの骸ムクロが、もう半ト分融け出した時分だつた。そのあと、﹁たをらめど……見すべき君がありと言はなくに﹂。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著キこんだ著物の下で、のように、ぺしやんこになつて居た――。
臂カヒナが動き出した。片手は、まつくらな空クウをさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩牀ドコの上を掻き捜つて居る。
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上 山を愛兄弟 と思はむ
誄ナキ歌ウタが聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併シカし、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒サマされた感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後アト見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎮めて――。鎮めて。でないと、この考へが、復マタ散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり〳〵と訣ワカつて来た。だが待てよ。……其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫ツマなのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。
大変だ。おれの著キモ物ノは、もうすつかり朽クサつて居る。おれの褌ハカマは、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此コノおれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳カけ廻るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が闇の中に起き上つた。
をゝ寒い。おれを、どうしろと仰オツシヤるのだ。尊いおつかさま。おれが悪かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
彼の人には、声であつた。だが、声でないものとして、消えてしまつた。声でない語コトバが、何イ時ツまでも続いてゐる。
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這ハひずり廻つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた〴〵やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸ウメき声のとほり、彼カの人の骸ムクロは、まるでだゞをこねる赤子のように、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透スけてきて、物のたゝずまひを、幾分朧オボろに、見わけることが出来るやうになつて来た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて来たのである。
月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剰アマる光りは、又空に跳ね返つて、残る隈クマ々グマまでも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、沢山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝ウネつてゐる。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て来た霞の所セ為ヰだ。其が又、此冴サえざえとした月夜を、ほつとりと、暖かく感じさせて居る。
広い端ハヤ山マの群ムラガつた先サキは、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大オホ佩オ帯ビは、石川である。その南北に渉ワタつてゐる長い光りの筋が、北の端で急に広がつて見えるのは、凡オホ河シカ内フチの邑ムラのあたりであらう。其へ、山ヤマ間アヒを出たばかりの堅カタ塩シホ川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾イヌヰの方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列ツラナつて見えるのは、日クサ下カ江エ・永ナガ瀬セ江エ・難ナニ波ハ江エなどの水面であらう。
寂シヅかな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたやうに、しつとりとして静まつて居る。谷にちら〳〵する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。
一本の路が、真直に通つてゐる。二上山の男ヲノ嶽カミ・女メノ嶽カミの間から、急に降サガつて来るのである。難ナニ波ハから飛アス鳥カの都への古い間道なので、日によつては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓ハつて居るのすら見える。当タギ麻マ路ヂである。一降りして又、大降クダりにかゝらうとする処が、中だるみに、やゝ坦ヒラタくなつてゐた。梢の尖トガつた栢カヘの木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃ソロつて見える。月の光りも薄い木コカ陰ゲ全体が、勾配を背負つて造られた円塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深くを閉ぢてゐる。
こう こう こう。
こう こう こう――こう こう こう。
確かに人声である。鳥の夜声とは、はつきりかはつた韻ヒビキを曳いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重カサナつた、葛カツ城ラギの峰々である。伏フシ越ゴエ・櫛クシ羅ラ・小コ巨ゴ勢セと段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、真黒に立ちつゞいてゐる。
当麻路をこちらへ降つて来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳けおりて来る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘カヅラ、手は、足は、すべて旅の装イデ束タチである。頭より上に出た杖をついて――。この坦タヒラに来て、森の前に立つた。
こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽タチマチ一時の騒擾から、元の緘シジ黙マに戻つてしまつた。
こう。こう。お出でなされ。藤原南ナン家ケ郎イラ女ツメの御ミタ魂マ。
こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂タマを、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘カヅラを解いた。鬘カヅラは此時、唯真白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌サバいて、一様に塚に向けて振つた。
こう こう こう。
かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。
をい。無シジ言マの勤ツトめも此までぢや。
をゝ。
八つの声が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽タチマチ一度に、草の上に寛クツロぎ、再フタタビ杖を横ヨコタへた。
これで大ヤマ和トも、河カハ内チとの境ぢやで、もう魂ごひの行ギヤウもすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬イホリの中で魂をとり返して、ぴち〳〵して居られようぞ。
こゝは、何ド処コだいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の国、河内にとつては河内の国の大オホ関ゼキ。二上の当タギ麻マ路ヂの関セキ――。
四五十年あとまでは、唯タダ関と言ふばかりで、何の標シルシもなかつた。其ソレがあの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯シ城キの訳ヲ語サ田ダの御ミタ館チに居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸ムクロを、罪人に殯モガリするは、災の元と、天アメ若ワカ日ヒ子コの昔語りに任せて、其まゝ此コ処コにお搬ハコびなされて、お埋イけになつたのが、此塚よ。
其時の仰せには、罪人よ。吾ワ子コよ。吾子の為シ了ヲフせなんだ荒アラび心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞サへ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮ワカ盛ザカりぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
さいや。あの時も、墓作りに雇はれた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢カヘが、此コレほどの森になつたものな。畏コハかつたぞよ。此墓のみ魂タマが、河内安アス宿カ部ベから石担モちに来て居た男に、憑ツいた時はなう。
九人は、完全に現ウツし世ヨの庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更フけ過ぎた事が、彼等の心には、現実にひし〳〵と、感じられ出したのだらう。
もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。
だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由ユヰ緒シヨ深フカい、気のおける処ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。
こう こう こう。
をゝ……。
をゝ……。
異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも変に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
こう こう こう。
其時、塚穴の深い奥から、冰コホりきつた、而シカも今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。
をゝう……。
九人の心は、ばら〴〵の九人の心々であつた。からだも亦マタちり〴〵に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯畳まつた山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。
をゝう……。
三
万マン法ホフ蔵ザウ院ヰンの北の山陰に、昔から小チヒサな庵アン室ジツがあつた。昔からと言ふのは、村人がすべて、さう信じて居たのである。荒廃すれば繕ひ〳〵して、人は住まぬ廬イホリに、孔クジ雀ヤク明ミヤ王ウワ像ウザウが据ゑてあつた。当タギ麻マの村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の伝へでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛アス鳥カの宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御ゴホ発ツ起キからだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大ダイ伽ガラ藍ンを建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽グサりになつて居た堂を移し、規模を小チヒサくして造られたもの、と伝へ言ふのであつた。 さう言へば、山田寺は、役エノ君キミ小ヲヅ角ヌが、山林仏教を創ハジめる最初の足アシ代シロになつた処だと言ふ伝へが、吉野や、葛城の山ヤマ伏ブシ行ギヤ人ウニンの間に行はれてゐた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残つて居たと言ふのも、不思議なことである。 夜は、もう更フけて居た。谷川の激タギちの音が、段々高まつて来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。 廬の中は、暗かつた。炉を焚くことの少い此辺ヘンでは、地ヂ下ゲ百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。 夜を守つて、仏の前で起き明す為には、御ミア灯カシを照した。 孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。 姫は寝ることを忘れたやうに、坐つて居た。 万法蔵院の上座の僧ソウ綱ガウたちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横ヨコ佩ハキ家ケの人々の心を、思うたのである。次には、女人結ケツ界カイを犯して、境内深く這ハ入ヒつた罪は、郎女自身に贖アガナはさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの浄域だけに、一時は、塔タツ頭チユウ々々の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日昼の程、奈良へ向つて、早ハヤ使ヅカひを出して、郎イラ女ツメの姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細に告げてやつたのである。 其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが来ても、結界を越えた贖ひを果す日数だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。 牀ユカは低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無ムシ上ヤウに高くて、而シカも萱カヤのそゝけた屋根は、破ハ風フの脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸ウナつて過ぎたと思ふと、其高い隙スキから、どつと吹き込んで来た。ばら〴〵落ちかゝるのは、煤ススがこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一イツ時トキかつと明るくなつた。 その光りで照し出されたのは、あさましく荒スサんだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦コモ筵ムシロ二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直ヂカに坐つて居る老婆の姿があつた。 壁と言ふよりは、壁カベ代シロであつた。天井から吊ツりさげた竪タツ薦ゴモが、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から嗽シハブキ一つせぬ静けさである。 貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。昼ヒの内此コ処コへ送りこまれた時、一人の姥ウバのついて来たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御ミア灯カシの色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかつた。ようべ家を出てから、女ニヨ性シヤウには、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥ウバが、何だか、昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋シヤベり出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした訣ワケを、悟りはじめて居た。藤原南ナン家ケにも、常々、此年よりとおなじやうな媼オムナが、出入りして居た。郎女たちの居る女ヲン部ナベ屋ヤまでも、何イ時ツもづか〴〵這ハ入ヒつて来て、憚ハバカりなく古物語りを語つた、あの中ナカ臣トミ志ノシ斐ヒノ媼オムナ――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤モツトモであつた。志斐ノ老女が、藤トウ氏シの語カタ部リベの一人であるやうに、此も亦、この当タギ麻マの村の旧族、当麻ノ真マヒ人トの﹁氏ウヂの語カタ部リベ﹂、亡び残りの一人であつたのである。
藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。ぢやが、大タイ織シヨ冠ククワンさまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡タン海カイ公コウの時も、まだ一流れのお家でおざりました。併シカし其ソノ頃コロやはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐ワカれました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公クゲ家セフ摂ロの家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差ケヂ別メ々々明らかに、御ミ代ヨ々々の宮守マモり。ぢやが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖オヤ、中臣の氏の神、天アメ押ノオ雲シク根モネと申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛アス鳥カの宮の日のみ子さま。大和の国クニ中ナカに、宮遷ウツし、宮奠サダめ遊アソバした代ヨ々ヨの日のみ子さま。長く久しい御ミ代ヨ々々に仕へた、中臣の家の神カミ業ワザ。郎イラ女ツメさま。お聞き及びかえ。
遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖オヤあめの押オシ雲ク根モ命ネ。遠い昔の日のみ子さまのお喰メしの、飯イヒと、み酒キを作る御料の水を、大和国クニ中ナカ残る隈なく捜し覓モトめました。その頃、国原の水は、水ソ渋ブ臭く、土ツチ濁りして、日のみ子さまのお喰メしの料シロに叶カナひません。天テンの神高タカ天マの大オホ御ミオ祖ヤ教へ給へと祈らうにも、国中ナカは国低し。山々もまんだ天テン遠し。大和の国とり囲む青アヲ垣ガキ山ヤマでは、この二上山。空行く雲の通カヨひ路ヂと、昇り立つて祈りました。その時、高タカ天マの大オホ御ミオ祖ヤのお示しで、中臣の祖オヤ押オシ雲ク根モ命ネ、天の水の湧ワき口グチを、此コノ二上山に八ヤところまで見とゞけて、其ソノ後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。
当タギ麻マノ真マヒ人トの、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋カカハりのある点を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、天アメ二ノフ上タカミに求めた天アメ八ノヤ井ヰの水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲ミナギり激タギつ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌タナソコを合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄ホノ暗グラくさし寄つて来てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏オソロしさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志シヒ斐ノウ姥バの、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れてゐた。今、当タギ麻マの語カタ部リベの姥ウバは、神カミ憑ガカりに入るらしく、わな〳〵震ひはじめて居るのである。
四
ひさかたの 天アメ二フタ上カミに、 我アが登り 見れば、 とぶとりの 明ア日ス香カ ふる里の 神カム南ナ備ビ山ゴ隠モり、 家どころ 多サハに見え、 豊ユタにし 屋ヤニ庭ハは見ゆ。 弥イヤ彼ヲ方チに 見ゆる家イヘ群ムラ 藤原の 朝ア臣ソが宿。 遠々に 我アが見るものを、 たか〴〵に 我アが待つものを、 処ヲト女メ子ゴは 出イで通コぬものか。 よき耳ミミを 聞かさぬものか。 青馬の 耳ミミ面モノ刀ト自ジ。 刀自もがも。女オ弟トもがも。 その子の はらからの子の 処ヲト女メ子ゴの 一人 一人だに、 わが配ツ偶マに来コよ。 ひさかたの 天アメ二フタ上カミ 二上の陽カゲ面トモに、 生ひをゝり 繁シみ咲く 馬ア酔シ木ビの にほへる子を 我アが 捉トり兼ねて、 馬ア酔シ木ビの あしずりしつゝ 吾アはもよ偲シヌぶ。藤原処女
歌い了ヲへた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまひを直して、厳オゴソかな声コワ音ネで、誦カタり出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐モロ土コシの学ザ芸エに詣イタり深く、詩カラウタも、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝へられる御オン方カタ。
近アフ江ミの都は離れ、飛鳥の都の再フタタビ栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂ウハサが、立ちました。
高タカ天マノ原ハラ広ヒロ野ヌヒ姫メノ尊ミコト、おん怒りをお発しになりまして、とう〳〵池上の堤に引き出して、お討たせになりました。
其お方がお死にの際キハに、深く〳〵思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳ミミ面モノ刀ト自ジと申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈イヨ々イヨ、磐イハ余レの池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくて、こらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御様子を窺うて帰らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となつたのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余 の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ
この思ひがけない心残りを、お詠みになつた歌よ、と私ども当タギ麻マの語カタ部リベの物語りには、伝へて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖オホ父ヂ君南ナン家ケダ太イジ政ヤウ大臣には、叔母君にお当りになつてゞおざりまする。
人間の執シフ心シンと言ふものは、怖コハいものとはお思ひなされぬかえ。
其ナ亡き骸ガラは、大和の国を守らせよ、と言ふ御ゴヂ諚ヤウで、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋イけになりました。其が何ナンと、此世の悪心も何もかも、忘れ果てゝ清スガ々スガしい心になりながら、唯そればかりの一念が、残つて居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽カク界リヨの目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿ムコどりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当タギ麻マまでお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
当麻路に墓を造りました当ソノ時カミ、石を搬ハコぶ若い衆にのり移つた霊タマが、あの長歌を謳ウタうた、と申すのが伝へ。
当タギ麻マノ語カタ部リノ媼オムナは、南家の郎女の脅オビえる様を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如イ何カに止めどなくなるのが、﹁ひとり語ガタり﹂の癖とは言へ、語部の古フル婆ババの心は、自身も思はぬ意地くね悪さを蔵してゐるものである。此コレが、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充ミタすことにも、なるのであつた。
大貴族の郎女は、人の語コトバを疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿シユ執クシフが、かうして自分を導いて来たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、つひしか見ぬお姿――尊い御仏と申すやうな相サウ好ガウが、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ〴〵と見たお姿。此日ヤマ本トの国の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男ヲノ子コゴたちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金コン色ジキの鬢、金色の髪の豊かに垂れかゝる片肌は、白々と袒ヌいで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆タカく、眉秀ヒイで夢見るやうにまみを伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……あゝ雲の上に朱の唇、匂ニホひやかにほゝ笑まれると見た……その俤オモカゲ。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだらうか。我が家ヤの父や、兄セウ人トたちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女ニヨ性シヤウは、下ゲセ賤ンな人と、口をきかぬのが当時の世の掟オキテである。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。
そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣ワケで、姫の前に立ち現れては、神カウ々ガウしく見えるであらうぞ。
此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡オヨソは、気ケどつたであらう。暗いみ灯アカシの光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧オボろげに顕アラハしはじめて居た。
我が説コト明ワケを、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天アメ若ワカ日ヒ子コ。天若日子こそは、天テンの神々に弓引いた罪ある神。其ソレすら、其ソノ後ゴ、人の世になつても、氏貴い家々の娘御ゴの閨ネヤの戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ﹁天アメ若ワカみこ﹂と言ふのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世ヨガ語タりにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
﹁もゝつたふ﹂の歌、残された飛鳥の宮の執シフ心シンびと、世々の藤原の一イチの媛ヒメに祟タタる天若みこも、顔清く、声心惹ヒく天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝アサ影カゲを感じる頃になると、幾らか温ヌクみがさして来る。
万法蔵院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢コズヱを離れるらしい塒ネグ鳥ラドリが、近い端ハヤ山マの木コム群ラで、羽ハ振ブきの音を立て初めてゐる。
五
おれは活 きた。
闇クラい空間は、明りのやうなものを漂タダヨハしてゐた。併シカし其は、蒼アヲ黒グロい靄モヤの如く、たなびくものであつた。
巌ばかりであつた。壁も、牀トコも、梁ハリも、巌であつた。自身のからだすらが、既に、巌になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巌ばかり――。触サハつても触つても、巌ばかりである。手を伸ノバすと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もつと広い磐バン石ジヤクの面オモテが、感じられた。
纔ワヅかにさす薄光りも、黒い巌ガン石セキが皆吸ひとつたやうに、岩イハ窟ムロの中に見えるものはなかつた。唯けはひ――彼カの人の探り歩くらしい空気の微動があつた。
思ひ出したぞ。おれが誰だつたか、――訣ワカつたぞ。
おれだ。此コノおれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋シガ賀ツ津ヒ彦コ。其ソレが、おれだつたのだ。
歓びの激情を迎へるやうに、岩イハ窟ムロの中のすべての突角が哮タケびの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、纏マトマつた現ウツし身ミをも、持たぬ彼カの人であつた。
唯、岩屋の中に矗シユ立クリツした、立ち枯れの木に過ぎなかつた。
おれの名は、誰も伝へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可イ愛トしいおれの名は、さうだ。語り伝へる子があつた筈だ。語り伝へさせる筈の語カタ部リベも、出来て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく〳〵と胸を刺すやうだ。
――子コシ代ロも、名ナシ代ロもない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現ウツし身の人間どもには、忘れ了ヲフされて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉トモ死ジにするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟アハ津ツ子コは、罪びとの子として、何ド処コかへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌ヱジ食キに、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀アハレなむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫ゴフ初シヨから末代まで、此世に出ては消える、天アメの下シタの青アヲ人ヒト草グサと一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
恵みのないおつかさま。お前さまにお縋スガりするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外ソトの世界が知りたい。世の中の様子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑ツブつて居たおれの目よ。も一度くわつといて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土モグ龍ラの目なと、おれに貸しをれ。
声は再フタタビ、寂シヅかになつて行つた。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。
丑ウ刻シに、静セイ謐ヒツの頂上に達した現ウツし世ヨは、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿タニのながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和国クニ中ナカの、何ド処コからか起る一イチ番バン鶏ドリのつくるとき。
暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨ネヤ戸ドから、ひそ〳〵と帰つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚ヨりかゝつて、新しい眠りを継ぐのである。
山風は頻シキりに、吹きおろす。枝・木の葉の相アヒ軋ヒシめく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそとしたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて来た。
岩イハ窟ムロは、沈々と黝クラくなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。
耳ミミ面モノ刀ト自ジ。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その栄えてゐる世の中には、跡を貽ノコして来なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝へる子どもを――。
岩イハ牀ドコの上に、再フタタビ白々と横ヨコタハつて見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活きてゐるのであつた。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄の心シンまでも、唯彫ヱりつけられたやうになつて、残つてゐるのである。
万法蔵院の晨ジン朝テウの鐘だ。夜の曙アケ色イロに、一度騒サワ立ダつた物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音ネだ。一イツぱし白みかゝつて来た東は、更にほの暗い明アけ昏グれの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁アカ凪ツキナぎを、自身擾ミダすことをすまいと言ふ風に、見じろきすらもせずに居る。
夜ヨルの間マよりも暗くなつた廬イホリの中では、明王像の立ち処ドさへ見定められぬばかりになつて居る。
何ド処コからか吹きこんだ朝山颪オロシに、御ミア灯カシが消えたのである。当タギ麻マカ語タ部リの姥も、薄闇に蹲ウヅクマつて居るのであらう。姫は再フタタビ、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這ハ入ヒりの戸を揺つた物音があつた。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなつて行つた。枢トボソがまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて来た時、ちようど、鶏が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。
新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来てゐた。けれども、頑カタクナな当タギ麻マウ氏ヂの語部の古フル姥ウバの為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨キゾの日からはじまるのである。
六
門をはひると、俄ニハかに松風が、吹きあてるやうに響いた。 一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。 白い地面に、広い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴ホホの木だ。 まともに、寺を圧してつき立つてゐるのは、二フタ上カミ山ヤマである。其ソノ真下に涅ネハ槃ンブ仏ツのやうな姿に横ヨコタハつてゐるのが麻マロ呂コ子ヤ山マだ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乗りかゝつてゐるやうにしか見えない。こんな事を、女ニヨ人ニンの身で知つて居る訣ワケはなかつた。だが、俊敏な此コノ旅びとの胸に、其ソレに似たほのかな綜合の、出来あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。 此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日前アトであつた。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響トヨみが、どこかにする様に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。 山ヤマ颪オロシに吹き暴サラされて、荒草深い山ヤマ裾スソの斜面に、万マン法ホフ蔵ザウ院ヰンの細々とした御ミア灯カシの、煽アフられて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転テン変ペンに、目をつて居るだらう。此郷に田ナリ荘ドコロを残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰つて来て居たつけ。此は、天テン竺ヂクの狐の為シわざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残つてゐる幻マボ術ロ師シのする迷はしではないか。あまり荘シヤ厳ウゴンを極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆ソソられて、廊を踏み鳴し、柱を叩タタいて見たりしたものも、その供トモ人ビトのうちにはあつた。 数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼつて来て、唯一宇あつた萱カヤ堂ダウが、忽タチマチ痕もなくなつた。そんな小な事件が起つて、注意を促してすら、そこに、曽カツて美ウルハしい福田と、寺の創ハジめられた代ヨを、思ひ出す者もなかつた程、それは〳〵、微かな遠い昔であつた。 以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当タギ麻マの村にありながら、山田寺デラと言つたからである。山の背ウシロの河内の国安アス宿カベ部ゴホ郡リの山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶クシ舎ヤの寺として、栄えたこともあつたのだつた。 飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣ツカハされ、堂舎をひろげ、住ヂユ侶ウリヨの数をお殖フヤしになつた。おひ〳〵境内になる土地の地ヂギ形ヤウの進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風フウ水スヰの相サウが、﹁まろこ﹂の身を招き寄せたのだらう。よし〳〵墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其ソノ後亦マタ、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。 だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語カタ部リベの姥ウバの口に、さう伝へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古フル物語りであつた。纔ワヅかに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。 旅の若い女ニヨ性シヤウは、型カタ摺ズりの大様な美しい模様をおいた著キる物を襲ヨソうて居る。笠は、浅い縁ヘリに、深い縹ハナ色ダイロの布が、うなじを隠すほどに、さがつてゐた。 日は仲春、空は雨あがりの、爽サワやかな朝である。高カウ原ゲンの寺は、人の住む所から、自オノヅカら遠く建つて居た。唯タダ凡オヨソ、百人の僧俗が、寺ジチ中ユウに起き伏して居る。其すら、引き続く供養饗キヤ宴ウエンの疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにゐる。 その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。寺の南境ザカヒは、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の尽きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。 雨の後の水気の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若ワカ昼ヒルのきらきらしい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍カタ岡ヲカで、ほの〴〵と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳ミミ無ナシの山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴ハニ安ヤスの池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香カグ具ヤ山マなのだらう。旅の女ヲミ子ナゴの目は、山々の姿を、一つ〳〵に辿タドつてゐる。天アメ香ノカ具グヤ山マをあれだと考へた時、あの下が、若い父チチ母ハハの育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。 もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る気持ちになつて来るのが抑へきれなかつた。 香具山の南の裾に輝く瓦カハ舎ラヤは、大ダイ官クワ大ンダ寺イジに違ひない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この国の女ヲミ子ナゴに生れて、一足も女ヲン部ナベ屋ヤを出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽カゲ炎ロフの立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。 かう、その女ニヨ性シヤウは思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此郎イラ女ツメ――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて来てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。 家を出る時、ほんの暫し、心を掠カスめた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう気にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて来ても、却カヘツてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。 山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝ウネつて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴アテな娘御ゴは、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。 二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸トキメき。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入つてゐる。さうして、静かな思ひの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過クワ去コシ生ヤウに向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未ミラ来イ世セを思ふ心躍りだ、とも謂へよう。 塔はまだ、厳重にやらひを組んだまゝ、人の立ち入りを禁イマシめてあつた。でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何イ時ツの間にか、塔の初シヨ重ヂユウの欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、気がついた。さうして、しみ〴〵と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋ツナガる深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。 郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖オホ父ヂ武ム智チ麻マ呂ロのこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男ヲト壮コザカリには、横ヨコ佩ハキの大ダイ将シヤウと謂はれる程、一ふりの大タ刀チのさげ方にも、工夫を凝コらさずには居られぬだて者モノであつた。なみの人の竪タテにさげて佩ハく大刀を、横ヨコタへて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華キヤ奢シヤな服装を趣コ向ノむまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世装に思ひを凝して居た。その家に覲タヅねて来る古い留学生や、新イマ来キの帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。 さうした闊クワ達ツタツな、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才ザエ優スグれた族ウカ人ラビトが、彼を乗り越して行くのに気がつかなかつた。姫には叔父、彼――豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。尠スクナくとも、姫などはさう信じて居た。家族の半ナカバ以上は、太ダザ宰イノ帥ソツのはな〴〵しい生活の装ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資トネ人リ・仗タチも、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。 寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎ウトい北の屋にあつた。その西側に、小チヒサな蔀シト戸ミドがあつて、其をつきあげると、方三尺位なになるやうに出来てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦フセいだ。 それから外ソト廻マハりは、家の広い外郭になつて居て、大オホ炊ヒ屋ヤもあれば、湯殿火ヒ焼タき屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑ソノと言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。 武智麻呂存ソン生ジヤウの頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして来てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る称へが、行はれ出した様だつた。三条七坊をすつかり占めた大屋敷を、一ヒト垣カキ内ツ――一ヒト字アザナと見倣して、横ヨコ佩ハキ墻カキ内ツと言う者が、著しく殖えて来たのである。 その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難ナニ波ハに、いつか還り住んで、遥かに筑紫の政を聴いてゐた帥ソツの殿であつた。其父君から遣ツカハされた家の子が、一ヒト車クルマに積み余るほどな家づとを、家に残つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで来た。 山国の狭い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか〳〵整ふまでには、行つて居なかつた。 官庁や、大寺が、によつきり〳〵、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに続いてゐる。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩イハ群ムラが、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱シユ雀ジヤ大クオ路ホヂの植ゑ木の梢を、夜になると、鼠ムササビが飛び歩くと言ふので、一騒ぎした位である。 横佩家の郎イラ女ツメが、称シヨ讃ウサ浄ンジ土ヤウ仏ドブ摂ツセ受フジ経ユギヤウを写しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒ニギやかにしたのは、此新訳の阿イ弥チ陀ク経ワ一ン巻であつた。 国の版図の上では、東に偏カタヨり過ぎた山国の首都よりも、太ダザ宰イ府フは、遥かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠トホの宮ミ廷カ領ドを通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なか〳〵多かつた。 学問や、芸術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。 南ナン家ケの郎イラ女ツメの手に入つた称讃浄土経も、大和一国の大オホ寺テラと言ふ大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであつた。 姫は、蔀シト戸ミド近くに、時としては机を立てゝ、写経をしてゐることもあつた。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油アブ火ラビの下で、一心不乱に書き写して居た。 百部は、夙ハヤくに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄モミ葉ヂして、其がもう散りはじめた。蟋コホ蟀ロギは、昼も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰セき入れた庭の池には、遣ヤり水伝ひに、川千鳥の啼ナく日すら、続くやうになつた。 今朝も、深い霜朝を、何処からか、鴛ヲ鴦シの夫ツマ婦ド鳥リが来て浮んで居ります、と童ワラ女ハメが告げた。 五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて来た。ほんの纔ワヅかの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるやうになつた。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて来たやうに見えた。やゝ蒼アヲみを帯びた皮膚に、心もち細つて見える髪が、愈イヨ々イヨ黒く映ハえ出した。 八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭イトふやうになつた。さうして、昼すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀シト戸ミドごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。 実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさを悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思ふからである。 南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛ラク外グワイに広がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上ウヘ近く事ツカへる人たちから、垣カキ内ツの隅に住む奴ヤツ隷コ・婢メヤ奴ツコの末にまで、顔を輝かして、此コノとり沙ザ汰タを迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、外ヨソ目メに見えてゐたのである。 千部手写の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。 南家の姫の美しい膚は、益マス々マス透きとほり、潤ウルんだ目は、愈イヨ々イヨ大きく黒々と見えた。さうして、時々声に出して誦ジユする経の文モンが、物の音ネに譬タトへやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。 去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍ヤヤ坤ヒツジサルによつた遠い山の端ハに沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落ラク日ジツは俄かに転クルメき出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄ワウ金ゴンの丸マルガセになつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭く廻つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽ハれた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり〳〵と荘シヤ厳ウゴンな人の俤が、瞬間顕アラハれて消えた。後アトは、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝コラして、何時までも端坐して居た。 郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝マサつて行くばかりである。 ゆくりない日が、半年の後に再フタタビ来て、姫の心を無ムシ上ヤウの歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中チユ日ウニチの夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故ユヱもなくひよめいた長い日の、後ノチである。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛ラン熟ジユクした光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八ハツ尺シヤクの鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲マく嵐――。 雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡ナビかして居た。其時、男ヲノ嶽カミ・女メノ嶽カミの峰の間に、あり〳〵と浮き出た 髪 頭 肩 胸――。 姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。 南家の郎イラ女ツメの幸福な噂が、春風に乗つて来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を数トり初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春シユ分ンブンの空が、朝から晴れて、雲ヒバ雀リは天に翔カケり過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終へて、千部目にとりついて居た。 日一日、のどかな温い春であつた。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀シト窓ミドの外には、しと〳〵と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。 苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて来た。 姫は、立つても坐ヰても居られぬ、焦躁に悶モダえた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。 茫然として、姫はすわつて居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加クハハつて来た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。七
南ナン家ケの郎イラ女ツメの神カミ隠カクしに遭アつたのは、其ソノ夜であつた。家人は、翌朝空が霽ハれ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。
横ヨコ佩ハキ墻カキ内ツに住む限りの者は、男も、女も、上ウハの空になつて、洛中洛外を馳ハせ求めた。さうした奔ハシり人ビトの多く見出される場処と言ふ場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高タカ円マド山ヤマの墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山ヤマ村ムラ、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻つて、戻る者も戻る者も、皆空カラ足アシを踏んで来た。
姫は、何ド処コをどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ〳〵と辿つて来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡ヌラした。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛ハギまであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻モトドリをとり束ねて、襟から着物の中に、含ククみ入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪タつやうな畏オソロしい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく断続したのは、山の獣の叫び声であつた。大和の内も、都に遠い広瀬・葛カツ城ラギあたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠アラ野ノ。それに――、本ホン村ムラを遠く離れた、時はづれの、人棲スまぬ田タ居ヰばかりである。
片破れ月が、上アガつて来た。其ソレが却カヘツて、あるいてゐる道の辺ホトリの凄スゴさを照し出した。其でも、星明りで辿タドつて居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ〳〵と出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白シラんで来た。
夜のほの〴〵明けに、姫は、目を疑ふばかりの現実に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何イ時ツも、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に気は牽ヒかれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、﹁今ケ朝サの朝アサ目メがよかつたから﹂﹁何と言ふ情ない朝目でせう﹂などゝ、そは〳〵と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。
郎女は、生れてはじめて、﹁朝目よく﹂と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹ニ塗ヌりに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奥深く、朱アケに、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂セキ寞バクたる光りの海から、高く抽ヌキでゝ見える二上の山。
淡タン海カイ公コウの孫、大タイ織シヨ冠ククワンには曽孫。藤トウ氏シ族ゾク長チヤウ太宰帥、南ナン家ケの豊成、其第ダイ一イチ嬢ヂヤ子ウシなる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝ヰ行ザり出ることすら、たまさかにもせぬ、郎イラ女ツメのことである。順ジユ道ンタウならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚ヒラ岡ヲカの御オン神カミか、春カス日ガの御ミヤ社シロに、巫ミ女コの君キミとして仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥フしゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて来た。
寺の浄域が、奈良の内ウチ外トにも、幾つとあつて、横佩墻カキ内ツと讃タタへられてゐる屋敷よりも、もつと広大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、経文の上に伝へた浄土の荘シヤ厳ウゴンをうつすその建て物の様は想像せぬではなかつた。だが目マのあたり見る尊さは唯タダ息を呑むばかりであつた。之コレに似た驚きの経験は曽て一度したことがあつた。姫は今其ソレを思ひ起して居る。簡素と豪ガウ奢シヤとの違ひこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残つてゐる。
今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八ハツ歳サイの南家の郎イラ女ツメは、童ワラ女ハメとして、初ハツの殿テン上ジヤウをした。穆ボク々ボクたる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら真マ夜ヨに等しい、御ミチ帳ヤウ台ダイのあたりにも、尊いみ声は、昭セウ々セウと珠を揺る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。
﹁南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ﹂と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二ハタ十チになつてゐた。幼いからの聡サトさにかはりはなくて、玉・水スヰ精シヤウの美しさが益々加クハハつて来たとの噂が、年一年と高まつて来る。
姫は、大門の閾シキミを越えながら、童ワラ女ハメ殿テン上ジヤウの昔の畏カシコさを、追想して居たのである。長い甃イシ道キミチを踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔ツツマしく併しのどかに、御堂々々を拝んで、岡の東塔に来たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隠しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下モトから近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現ウツし世ヨの目からは見えぬ姿を惟オモひ観ミようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨ジン朝テウの勤めの間も、うと〳〵して居た僧たちは、爽サワやかな朝の眼をいて、食ジキ堂ダウへ降りて行つた。奴ヌ婢ヒは、其ソレ々ソレもち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙スナ地ヂに出て来た。
そこにござるのは、どなたぞな。
岡の陰から、恐る〳〵頭をさし出して問うた一人の寺ヤツ奴コは、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎トガめるやうな声をかけた。女人の身として、這ハ入ヒることの出来ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居らぬ人であつた。
若モし又、適当な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊ミダされては、ならぬ時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を観じ入つてゐるのである。寺ヤツ奴コは、二言コトとは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫アシ音オトが、びた〴〵と岡へ上つて来た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら〴〵と走つて、塔のやらひの外まで来た。
こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女ニヨ人ニンは、とつとゝ出てお行きなされ。
姫は、やつと気がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。
見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな処にいらつしやる。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。
口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい〳〵、貴い女性をいたはる気持ちになつて居た。
山ををがみに……。
まことに唯一ヒト詞コト。当タウの姫すら思ひ設けなんだ詞コトバが、匂ふが如く出た。貴族の家庭の語と、凡ボン下ゲの家々の語とは、すつかり変つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其ソノうえ、語コトバ其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所シヨ化ケハ輩イには、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気のふれた女、と思はれてしまつたであらう。
それで、御ミタ館チはどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問ふのだよ――。
をゝ。家はとや。右京藤原南家……。
俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて来た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。
ようべの嵐に、まだ残りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小コビ昼ルに、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾ヲ根ネ々々にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此コナ方タにも小桜の花が、咲き出したのである。
此時分になつて、奈良の家では、誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよくする、春の野遊びに出られたのだ。――何イ時ツからとも知らぬ、習ナラハしである。春秋の、日と夜と平ヘイ分ブンする其頂上に当る日は、一日、日の影を逐オうて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚ナギサまで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた〳〵になつて、家路を戻る。此コノ為シキ来タりを何時となく、女たちの咄ハナすのを聞いて、姫が、女の行ギヤウとして、この野遊びをする気になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣ワカつて居ても、皆の心が一時、ほうと軽くなつた。
ところが、其日も昼さがりになり、段々夕ユフ光カゲの、催して来る時刻が来た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中チユ日ウニチにも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再フタタビ重くなつて居た。
八
奈良の都には、まだ時をり、石シ城キと謂はれた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太ダイ政ジヤ官ウグ符ワンプで、其を家の周マハりに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石シ城キを完全にとり廻した豪族の家などは、よく〳〵の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。 其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千数百年の歴史の後に、飛アス鳥カの都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあつた。其で凡オヨソ、都遷しのなかつた形になつたので、後アトから〳〵地割りが出来て、相応な都トジ城ヤウの姿は備へて行つた。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構へが整うて来た。 葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇ソガ我ノオ臣ミなども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行つて、石シ城キなども高く、幾重にもとり廻して、凡オヨソ永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石シ城キづくりの屋敷を構へるやうになつて行つた。 蘇我臣一ヒト流ナガれで最モツトモ栄えた島の大オト臣ド家ケの亡びた時分から、石シ城キの構へは禁トめられ出した。 この国のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に伝はる神の御ミコ詞トバに背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。 其飛鳥の都も、高タカ天マノ原ハラ広ヒロ野ヌヒ姫メノ尊ミコ様トサマの思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐モロ様コシヤウの端キラ正キラしさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になつた。近い飛鳥から、新イ渡マ来キの高コ麗マ馬に跨つて、馬上で通ふ風タハ流レ士ヲもあるにはあつたが、多くはやはり、鷺サギ栖スの阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京ケイ城ジヤウの坊マチ々マチに屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益マし、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永トコ宮ミヤと遊ばす思召しが、伺はれた。その安堵の心から、家々の外ソトには、石城を廻すものが、又ぼつ〴〵出て来た。さうして、そのはやり風俗が、見る〳〵うちに、また氏々の族長の家囲ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天アメ真マム宗ネト豊ヨオ祖ホヂ父ノミ尊コト様サマがおかくれになり、御ミオ母ヤ 日ヤマ本トネ根コア子マツ天ミヨ津トヨ御ク代ニ豊ナ国ス成ヒ姫メの大オホ尊ミコ様トサマがお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空ソラの有モノとなつてしまつた。もう此頃になると、太ダイ政ジヤ官ウグ符ワンプに、更に厳キビしい添コト書ワキがついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転テン変ペンに、目を瞠ミハるばかりであつたので、久しい石シ城キの問題も、其で、解決がついて行つた。 古い氏ウヂ種スジ姓ヤウを言ひ立てゝ、神代以来の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて来てゐる事に、気がついて居なかつた。 最モツトモ早くそこに心づいた、姫の祖タン父カ淡イ海コ公ウなどは、古き神秘を誇つて来た家職を、末代まで伝へる為に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官ツカ人サビトの生活に入り立つて行つた。 ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大オホ伴トモ家ノヤ持カモチは、父旅タビ人トの其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり変つて居た。見るもの障サハるもの、彼の心を苛イラつかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に実行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍オゾましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ〴〵省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥ナヅんで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰ノ員ヰン外グワ帥イノソツに貶オトされて、都を離れた。さうして今は、難波で謹慎してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。 世間の氏ウヂ上ノカ家ミケの主アル人ジは、大方もう、石シ城キなど築キヅき廻マハして、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、装飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出来るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に囲はれた家の中で、家の子どもを集め、氏ウヂ人ビトたちを召ヨびつどへて、弓ユ場バに精励させ、棒ホコ術ユケ・大刀かきに出シユ精ツセイさせよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年トシ々ドシ頻繁に、氏神其ソノ外ホカの神々を祭つてゐる。其ソノ度タビ毎ゴトに、家の語カタ部リベ大伴ノ語カタリノ造ミヤツコの嫗オムナたちを呼んで、之コレに捉ツカマへ処ドコロもない昔ムカ代シヨの物語りをさせて、氏ウヂ人ビトに傾聴を強シひて居る。何だか、空クウな事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。 だが、其氏神祭りや、祭りの後ゴエ宴ンに、大オホ勢ゼイの氏ウヂ人ビトの集ることは、とりわけやかましく言はれて来た、三四年以来の法ハツ度トである。 こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の旧フルい習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だつたのである。 越ヱツ中チユ守ウノカミとして踏み歩いた越コシ路ヂの泥のかたが、まだ行ムカ縢バキから落ちきらぬ内に、もう復マタ、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな気がして居た。其ソノ中ウチ、此針の筵ムシロの上で、兵ヒヤ部ウブ少セ輔フから、大タイ輔フに昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。 今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開カイ眼ゲンが行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて来て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本ホン朝テウ出来の像としてはまづ、此程物凄い天テン部ブの姿を拝んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒アラ神ガミたちも、こんな形ギヤ相ウサウでおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。 まだ公オホヤケの供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒マいてゐた。あの多聞天と、広目天との顔つきに、思ひ当るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄ハナシだよ、と言つて話したのが、次第に広まつて、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤フン怒ヌの相サウもすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今大ヤマ倭ト一だと言はれる男たちの顔、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて供をして見て来た道ミチ々ミチの博ハカ士セたちと謂つた、心蔑サモしいものゝ、言ひさうな事である。 多聞天は、大タイ師シ藤原ノ恵ヱミ美チユ中ウケ卿イだ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕ツカへ人ビトを叱るやうになつた。あの円ウ満マし人ビトが、どうしてこんな顔つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其面オモもちそつくりだ、と尤モツトモらしい言ひ分なのである。 さう言へば、あの方が壮ワカ盛ザカりに、棒ホコ術ユケを嗜コノんで、今にも事あれかしと謂つた顔で、立派な甲ヨロヒをつけて、のつし〳〵と長い物を杖ツいて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相アヒ槌ヅチをうつ者も出て来た。 其では、広目天の方はと言ふと、
さあ、其がの――。
と誰に言はせても、ちよつと言い渋るやうに、困つた顔をして見せる。
実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、他ヒ人トに言はせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐ウたれなされた前ゼン太ダザ宰イノ少セウ弐ニ―藤原広嗣―の殿トノに生シヤ写ウウツしぢや、とも言ふがいよ。
わしには、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげなが……。
何しろ、此二つの天テン部ブが、互に敵視するやうな目つきで、睨ニラみあつて居る。噂を気にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦マナジリを裂いて見つめて居る。とう〳〵あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより為方がない、と思ふやうになつたと言ふ。
前ゼン少弐殿でなくて、弓ユゲ削シ新ン発ボ意チの方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房バウ主ズでもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで――。
言ひたい傍ハウ題ダイな事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師恵ヱミ美ノア朝ソ臣ンの姪メヒの横佩家の郎イラ女ツメが、神隠しに遭うたと言ふ、人の口の端に、旋ツジ風カゼを起すやうな事件が、湧き上つたのである。
九
兵ヒヤ部ウブ大タイ輔フ大伴ノ家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春シユ分ンブンから二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資トネ人リが徒カ歩チで、驚くほどに足早について行く。此コレは、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享ウけ入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなつた癖である。かうして、何ド処コまで行くのだらう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽カゲ炎ロふばかりである。 資トネ人リの一人が、とつとゝ追ひついて来たと思ふと、主人の鞍クラに顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
それで、何か――。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。
はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間抜け。話はもつと上手に聴くものだ。
柔らかく叱つた。そこへ今モ一人の伴トモが、追ひついて来た。息をきらしてゐる。
ふん。汝ワケは聞き出したね。南ナン家ケの嬢ヲト子メは、どうなつた――。
出デハ端ナに油かけられた資トネ人リは、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄ハナし方で、まともに鼻を蠢ウゴメカして語つた。
当麻の邑ムラまで、をとゝひ夜ヨの中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後横佩墻カキ内ツへ知らせが届いたこと其ソノ外ホカには、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。
南家で持つて居た藤原の氏ウヂ上ノカミ職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。来年か、再サラ来イネ年ンの枚ヒラ岡ヲカ祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。恵エ美ミ家ケからは、嫡子久ク須ス麻マ呂ロの為、自分の家の第一嬢子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が届き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今ケ朝サも今朝、又折り返して、男からの懸ケサ想ウブ文ミが、来てゐた。
その壻ムコ候ガ補ネの父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如イ何カに何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初シヨ中ツチ終ユウ来る古フル刀ト自ジの、人のわるい内証話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡モタげて来て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此匂ニホヒやかな貌カホ花バナを、垣カキ内ツの坪ツ苑ボに移せぬ限りはない。こんな当時の男が、皆持つた心をどりに、はなやいだ、明るい気がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系ス統ヂで一番、神カムさびたたちを持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚ヒラ岡ヲカの御オン神カミに仕へて居る斎イツき姫ヒメの罷ヤめる時が来ると、あの嬢ヲト子メが替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を浄めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十トヲを出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾ヤんで居る太宰府へ降つて、夙ハヤくから、海の彼アナ方タの作り物語りや、唐モロ詩コシウタのをかしさを知り初ソめたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或アルヒは、おれよりも嗜スきだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執シフ著ヂヤクが深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を悩まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて来る。其で、氏人を集めて喩サトしたり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の気持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた様に、心が、すつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが〴〵しい心になつてしまふ。
あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑スグれた、と伝へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだろう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々気にかゝるものが、薄らぎ出して来てゐる。
ほう これは、京極 まで来た。
朱雀大オホ路ヂも、こゝまで来ると、縦横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの区画にも区画にも、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍ヤヤ茎を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰ハみ出し、道の上までも延びて居る。
こんな家が――。
驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遅い朝を、もう余程、今日の為事に這入つたらしい木の道の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの地ヂギ形ヤウが出来て、見た目にもさつぱりと、垣をとり廻して居る。
土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築ツキ土ヒヂ垣ガキといふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る〳〵、さうした新しい好コノ尚ミのおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。
築ツキ土ヒヂ垣ガキの処々に、きりあけた口があつて、其に、門が出来て居た。さうして、其処から、頻りに人が繋ツナガつては出て来て、石を曳く。木を搬モつ。土を搬び入れる。重苦しい石シ城キ。懐しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷廻りの石垣が、思うてもたまらぬ重圧となつて、彼の胸に、もたれかゝつて来るのを感じた。
おれには、だが、この築土垣を択 ることが出来ぬ。
家持の乗ジヨ馬ウメは再フタタビ、憂鬱に閉された主人を背に、引き返して、五条まで上つて来た。此辺から、右京の方へ折れこんで、坊マチ角カドを廻りくねりして行く様子は、此主人に馴れた資トネ人リたちにも、胸の測られぬ気を起させた。二人は、時々顔を見合せ、目くばせをしながら尚ナホ、了解が出来ぬ、と言ふやうな表情を交カハしかはし、馬の後を走つて行く。
こんなにも、変つて居たのかねえ。
ある
……旧草 に 新草 まじり、生 ひば 生ふるかに――だな。
近頃見つけた歌カブ所シヨの古記録﹁東アヅ歌マウタ﹂の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい気持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。
さうだ。﹁おもしろき野ヌをば 勿ナ焼きそ﹂だ。此でよいのだ。
さうは思はぬか。立ち朽グサりになつた家の間に、どし〴〵新しい屋敷が出来て行く。都は何イ時ツまでも、家は建て詰まぬが、其ソレでもどちらかと謂へば、減るよりも殖フ えて行つてゐる。此辺は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、続いてたもんだ。
仰オツシヤるとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗イナゴまろ。此辺はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。
建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築ツキ土ヒヂ垣ガキを築キヅきまはしまして。何やら、以前とはすつかり変つた処に、参つた気が致します。
馬上の主人も、今まで其ソレばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年三ミカ形タノ王オホキミの御殿での宴ウタゲに誦クチズサんだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで来た。
うつり行く時見る毎に、心疼 く 昔の人し 思ほゆるかも
目をあげると、東の方カ春ス日ガの杜モリは、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御ミカ蓋サ山・高タカ円マド山一帯、頂が晴れて、すばらしい春ハル日ビヨ和リになつて居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ気がついた。でも、彼の心のふさぎのむしは迹アトを潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大オホ日ヤマ本トヘ平イセ城イケ京イの土ではなく、大ダイ唐タウ長安の大道の様な錯覚の起つて来るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛並みのよい純白の馬で、跨マタガつて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の気がして来る。神々から引きついで来た、重苦しい家の歴史だの、夥しい数の氏人などから、すつかり截キり離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豊かな心持ちが、暫らくは払つても〳〵、消えて行かなかつた。
おれは若くもなし。第一、海東の大オホ日ヤマ本トビ人トである。おれには、憂鬱な家職が、ひし〳〵と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない気もするが、すぐに其は、自身と関係のないことのやうに、心は饒ニギはしく和らいで来て、為シカ方タがなかつた。
をい、汝ワケたち。大伴氏ウヂ上ノカ家ミケも、築土垣を引き廻さうかな。
とんでもないことを仰せられます。
年の増した方の
私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、御ミカ門ド御ミカ垣キと、関係深い称へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今様にする事になつて御ゴラ覧ウじませ。御一族の末々まで、あなた様をお呪ノロひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を蔑ナイガシロに致すことになりませう。
うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雑ジヤ談ウダンだ。雑談を真に受ける奴が、あるものか。
馬はやつぱり、しつと〳〵と、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何イ時ツの間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、晩オソかれ早かれ、ありさうな気のする次の都――どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の新シン京ケイ城ジヤウにでも、来てゐるのでないかと言ふ気が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする気持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。
何イ時ツの間にか、平ヘグ群リの丘や、色々な塔を持つた京キヤ西ウニシの寺々の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。
これは/\。まだこゝに、残つてゐたぞ。
珍しい発見をしたやうに、彼は馬から身を翻カヘしておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし囲らし、目隠しに枳カラ殻タチバナの叢ヤ生フを作つた家の外構への一個処に、まだ石シ城キが可なり広く、人ヒト丈タケにあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。
荒れては居るが、こゝは横佩墻内 だ。
さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。
さうに御座ります。此石シ城キからしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強シひてとり毀コボたないとか申します。何分、帥ソツの殿のお都入りまでは、何としても、此コノ儘ママで置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。
何イ時ツの間にか、三条七坊まで来てしまつてゐたのである。
おれは、こんな処へ来ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ〴〵、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、反省らしいものが出て来た。
其にしても、静か過ぎるではないか。
さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。
いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎにつけこんで、悪い魂タマや、霊モノが、うよ〳〵とつめかけて来るもので御座ります。この御ミタ館チも、古いおところだけに、心得のある長オト老ナの一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。
もうよい〳〵。では戻らう。
十
をとめの閨ネヤ戸ドをおとなふ風フウは、何も、珍しげのない国中の為シキ来タりであつた。だが其にも、曽カツてはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何イ時ツのほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて来た風習と、その古い為来りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雑ザフ作サもない石シ城キだけれど、あれを大昔からとり廻して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿ト老ネたちが、どうかすると居た。多分やはり、語カタ部リベなどの昔語りから、来た話なのであらう。踏み越えても這ハ入ヒれ相サウに見える石垣だが、大昔交カハされた誓ひで、目に見えぬ鬼モ神ノから、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼モノとの間にあつて後、村々の人は、石シ城キの中に、ゆつたりと棲むことが出来る様になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて来る。其は、別の何かの為シカ方タで、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて処女の蔀シト戸ミをほと〳〵と叩く。石シ城キを囲うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美クワし女メの家に、奴ヤツ隷コになつて住みこんだ古イニシヘの貴アテびともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか処女に会はれよう、と忍び過した、身にしむ恋物語りもあるくらゐだ。石シ城キを掘り崩すのは、何処からでも鬼モ神ノに入りこんで来い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舎の村々では、之コレを言ひ立てに、ちつとでも、石城を残して置かうと争うた人々が、多かつたのである。
さう言ふ家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、――天平八年厳命が降つて、何事も命令のはか〴〵しく行はれぬのは、朝テウ臣シンが先サキダつて行はぬからである。汝ミマ等シタチ進んで、石シ城キを毀コボつて、新京の時世装に叶カナうた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に旧態を易カへざるは、最モツトモ其ソノ位に在るを顧みざるものぞ、とお咎トガめが降つた。此時一度、凡スベテ、石シ城キはとり毀コボたれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱モガ瘡サがはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まづ此時ジエ疫キに亡くなつて、八月にはとう〳〵、式家の宇ウマ合カヒ卿キヤウまで仆タフれた。家に、防ぐ筈の石シ城キが失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつ〴〵旧モトに戻したりしたことであつた。
こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ〴〵と人の心に焼きついて離れぬ、現ウツツの恐しさであつた。
其は其として、昔から家の娘を守つた邑ムラ々ムラも、段々えたいの知れぬ村の風に感カ染マけて、忍び夫ヅマの手に任せ傍ハウ題ダイにしようとしてゐる。さうした求ツマ婚ドヒの風を伝へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・乳オ母モたちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。
手近いところで言うても、大伴宿スク禰ネにせよ。藤原朝アソ臣ンにせよ。さう謂ふ妻どひの式はなくて、数十代宮廷をめぐつて、仕へて来た邑々のあるじの家筋であつた。
でも何イ時ツか、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、
八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志 の国に、美 し女 をありと聞かして、賢 し女 をありと聞 して……
から謡ひ起す神カミ語ガタ歌リウタを、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて来るのを、防ぎとめることが出来なくなつて居た。
南家の郎イラ女ツメにも、さう言ふ妻ツマ覓マぎ人が――いや人ヒト群ムレが、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り残された石シ城キの為に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み――たぶう――を犯すやうな危ヒア殆ヒな心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで来ては、かいまみしてひき還すより上の勇気が、出ぬのであつた。
通カヨはせ文ブミをおこすだけが、せめてものてだてゞ、其さへ無事に、姫の手に届いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事実、大抵、女部屋の老ト女ジたちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若ワカ人ウド―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度タビ々タビ見かけられた。
其オモ方トは、この姫様こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな常トコ処ヲト女メと申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、ふつにおいらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率イザ川の一の瀬で浄めて来くさらう。罰バチ知らずが……。
こんな風に、わなりつけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人残らず一度は、経験したことだと謂つても、うそではなかつた。
だが、郎女は、つひに一度そんな事のあつた様子も、知らされずに来た。
上つ方の郎イラ女ツメが、才ザエをお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近チカ代ツヨ、ずつと下シモざまのをなごの致すことゝ承ります。父君がどう仰オツシヤらうとも、父テテ御ゴ様のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御オ意ム趣ネ、とお思ひつかはされませ。
氏の掟の前には、氏ウヂ上ノカミたる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。
其老女たちすら、郎女の天テン稟ピンには、舌を捲きはじめて居た。
もう、自身たちの教へることもなうなつた。
かう思ひ出したのは、数年も前からである。内に居る、身ムサ狭ノチ乳オ母モ・桃ツ花キ鳥ヌ野ノ乳マ母マ・波ハタ田ノサ坂カノ上ヘノ刀ト自ジ、皆故ユヱ知シらぬ喜びの不安から、歎息し続けてゐた。時々伺ひに出る中ナカ臣トミ志ノシ斐ヒノ嫗オムナ・三ミカ上ミノ水ミヅ凝ゴリ刀ノト自ジ女メなども、来る毎、目を見合せて、ほうつとした顔をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで来た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。
何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。目メシ下タの者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神様がお聞き届けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此コレが、神の代からの掟でおざりまする。
唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覚えたゞけの事は、郎女様のみ魂タマを揺イブる様にして、歌ひもし、語りもして参りました。教へたなど仰オツシヤつては私めらが、罰バチを蒙らねばなりません。
こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃タノむ知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むまゝに、才ザエを習ナラハした方が、よいのではないか、と言ふ気が、段々して来たのである。
まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重カサナつて起つた。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだつたと見えて、二巻の女ヲン手ナデの写経らしい物が出て来た。姫にとつては、肉縁はないが、曽ヒオ祖ホ母バにも当る橘夫人の法ホケ華キヤ経ウ、又其御オハ胎ラにいらせられる――筋から申せば、大叔母御ゴにもお当り遊ばす、今の皇太后様の楽ガク毅キロ論ン。此二つの巻物が、美しい装ひで、棚を架カいた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資トネ人リの荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我ガヅ強ヨい刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲ウたれたやうに、顔を見合せて居た。さうして後ノチ、後アトで恥しからうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併シカし予期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一イチ途ヅに素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女ヲン手ナデの﹁本ホン﹂を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘ヒくものであつた。一月も立たぬ中ウチの事である。早く、此都に移つて居た飛アス鳥カデ寺ラ―元グワ興ンコ寺ウジ―から巻クワ数ンズが届けられた。其には、難ナニ波ハにある帥の殿の立リフ願グワンによつて、仏前に読誦した経文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。
父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志を発オコして、書き綴つた﹁仏本伝来記﹂を、其後二年立つて、元グワ興ンコ寺ウジへ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一巻が、どう言ふ訣ワケか、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて来たのである。
郎女の手に、此巻が渡つた時、姫は端近く膝ヰ行ザり出て、元興寺の方を礼拝した。其後で、
難波とやらは、どちらに当るかえ。
と尋ねて、示す方角へ、活き〳〵した顔を向けた。其目からは、珠数の珠の水スヰ精シヤウのやうな涙が、こぼれ出てゐた。
其からと言ふものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。内典・外典其上に又、大オホ日ヤマ本トびとなる父の書いた文モン。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁み〴〵と深く、魂を育てる智チ慧ヱの這入つて行くのを、覚えたのである。
大オホ日ヤマ本トヒ日タ高カ見ミの国。国々に伝はるありとある歌ウタ諺コトワザ、又其ソノ旧モト辞ツゴト。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞ゴトを、絶えては考へ継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪ノロ々ノロしく、くね〳〵しく、独ヒトり語ガタりする語部や、乳オ母モや、嚼マ母マたちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて来る。
をゝ、あれだけの習しを覚える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬみづからであつた。
父に感謝し、次には、尊い大オホ叔ヲ母バ君、其から見ぬ世の曽オホ祖オ母バの尊に、何とお礼申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて来る。だがまづ、父よりも誰よりも、御礼申すべきは、み仏である。この珍ウ貴ヅの感サト覚リを授け給ふ、限り知られぬ愛メグみに充ミちたよき人が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗ヅカ香ウをとり寄せて、まづ髪に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。
十一
ほゝき ほゝきい ほゝほきい――。
きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか〳〵した日よりなのに、其ソレを見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳カゲりもなく、晴れきつた空だ。高原を拓ヒラいて、間マ引ビいた疎マバらな木コハ原ラの上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼつたり降サガつたりして居る。たつた一羽の鶯ウグヒスが、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けてゐるのだ。
家の刀ト自ジたちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出イヅ雲モノ宿スク禰ネの分れの家の嬢ヲト子メが、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけ〳〵して、何イ時ツか、山の林の中に分け入つた。さうして其ソ処コで、まどろんで居る中に、悠ウラ々ウラと長い春の日も、暮れてしまつた。嬢子は、家路と思ふ径ミチを、あちこち歩いて見た。脚は茨イバラの棘トゲにさゝれ、袖は、木の楚ズハエにひき裂かれた。さうしてとう〳〵、里らしい家イヘ群ムラの見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来てゐる。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。
ほゝき ほゝきい。
何イ時ツも、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかつた。﹁をゝ此身は﹂と思つた時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであつた。枯カれ原の冬草の、山肌色をした小チヒサな翼であつた。思ひがけない声を、尚ナホも出し続けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙クチバシが来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身ミモ悶ダえをした。するとふはりと、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔カケり昇つて行く。五日月の照る空まで……。その後ゴ、今の世までも、
ほゝき ほゝきい ほゝほきい。
と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に染シみつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまゝ、自分であるやうな気がして来る。
郎女は、徐シヅかに両モロ袖ソデを、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻ナれ、皺シワ立ダつてゐるが、小鳥の羽ハネには、なつて居なかつた。手をあげて唇に触れて見ると、喙クチバシでもなかつた。やつぱり、ほつとりとした感触を、指の腹に覚えた。
ほゝき鳥ドリ―鶯―になつて居た方がよかつた。昔ムカ語シガタりの嬢子は、男を避けて、山の楚シモ原トハラへ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶テフ飛ト虫リにでもなれば、ひら〳〵と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。
ほゝき ほゝきい。
自身の咽ノ喉ドから出た声だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。
郎女の心に動き初めた叡サトい光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書巻の何ド処コかに、どうやら、法喜と言ふ字のあつた気がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、感カマけて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、
ほゝき ほゝきい。
嬉しさうな高タカ音ネを、段々張つて来る。
物語りする刀自たちの話でなく、若ワカ人ウドらの言ふことは、時たま、世の中の瑞ミヅ々ミヅしい消セウ息ソコを伝へて来た。奈良の家の女ヲン部ナベ屋ヤは、裏方五つ間マを通した、広いものであつた。郎女の帳台の立ち処ドを一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、凡オヨソ三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御ミタ館チですることだと言つて、苑ソノの池の蓮ハスの茎を切つて来ては、藕ハス糸イトを引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀シトミを越して、女部屋まで来るばかりになつた。茎を折つては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に縒ヨる。
郎女は、女たちの凝つてゐる手芸を、ぢつと見て居る日もあつた。ほう〳〵と切れてしまふ藕ハス糸イトを、八合コ・十二合コ・二ハ十タ合コに縒ヨつて、根気よく、細い綱の様にする。其を績ウみ麻ヲの麻ヲごけに繋ぎためて行く。奈良の御ミタ館チでも、蚕カフコは飼つて居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不フキ機ゲ嫌ンになつて居る日が多かつた。
刀自たちは、初めは、そんな韓カラの技テビ人トのするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる様子が見えて来た。
こりや、おもしろい。絹の糸と、績ウみ麻ヲとの間を行く様な妙な糸の――。此で、切れさへしなければなう。
かうして績ツムぎ蓄タめた藕糸は、皆一纏めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、其ソレ々ソレの技ギヂ女ヨが居て、其糸で、唐モロ土コシ様ヤウと言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯功クド徳クの為に糸を績ツムいでゐる。其でも、其が幾かせ、幾たまと言ふ風に貯つて来ると、言ひ知れぬ愛著を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其ソ処コまでは想像も出来なかつた。
若人たちは茎を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く〳〵と抽ヒき出す。又其ソノ、粘り気の少いさくいものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく糸にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿モチ論ロン、貴族の家庭では、出来ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物モノ珍メでする盛りの若人たちには、口を塞いで緘シ黙ジ行マを守ることは、死ぬよりもつらい行ギヤウであつた。刀自らの油断を見ては、ぼつ〴〵話をしてゐる。其きれ〴〵が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ〴〵這は入いつて来キ勝ちなのであつた。
鶯の鳴く声は、あれで、法ホケ華キヤ経ウ々々々と言ふのぢやて――。
ほゝ、どうして、え――。
天竺のみ仏は、をなごは、助からぬものぢやと、説かれ〳〵して来たがえ、其果てに、女ヲナゴでも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華経ぢやと言ふげな。
――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。
ぢやで、法華経々々々と経の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化ナり変つて、み経の名を呼ばゝるのかえ。
郎女には、いつか小耳にんだ其話が、その後、何イ時ツまでも消えて行かなかつた。その頃ちようど、称シヨ讃ウサ浄ンジ土ヤウ仏ドブ摂ツセ受フジ経ユギヤウを、千部写さうとの願を発オコして居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫バウとした耳に、此世ヨバ話ナシが再フタタビまた、紛れ入つて来たのであつた。
ふつと、こんな気がした。
ほゝき鳥は、先の世で、御オン経キヤウ手写の願を立てながら、え果ハタさいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若モしや今、千部に満たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂タマは何になることやら。やつぱり、鳥か、虫にでも生れて、切セツなく鳴き続けることであらう。
つひに一度、ものを考へた事もないのが、此国のあて人の娘であつた。磨ミガかれぬ智チ慧ヱを抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾万の貴い女ニヨ性シヤウの間に、蓮ハチスの花がぽつちりと、莟ツボミを擡モタげたやうに、物を考へることを知り初ソめた郎女であつた。
をれよ。鶯ウグヒスよ。あな姦カマや。人に、物思ひをつけくさる。
荒々しい声と一しよに、立つて、表戸と直カ角ネになつた草壁の蔀シト戸ミドをつきあげたのは、当タギ麻マノ語カタ部リの媼オムナである。北側に当るらしい其外側は、を圧するばかり、篠竹が繁つて居た。沢山の葉ハス筋ヂが、日をすかして一時にきら〳〵と、光つて見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃ヒラメき過ぎた色を、の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。
また一イツ時トキ、廬イホ堂リダウを廻つて、音するものもなかつた。日は段々闌タけて、小コビ昼ルの温ヌクみが、ほの暗い郎女の居処にも、ほつとりと感じられて来た。
寺の奴ヤツコが、三四人先に立つて、僧ソウ綱ガウが五六人、其に、大勢の所シヨ化ケたちのとり捲いた一群れが、廬へ来た。
これが、古 山田寺だ、と申します。
そんな事は、どうでも――。まづ、郎女 さまを――。
噛みつくやうにあせつて居る家イヘ長オト老ナ額ヌカ田タベ部ノコ子フ古ルのがなり声がした。
同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの竪タツ薦ゴモをひきちぎる音がした。
づうと這ハひ寄つて来た身ムサ狭ノチ乳オ母モは、郎女の前に居たけを聳ソビヤかして、掩オホひになつた。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴アテ人ビトの姿を暴サラすまい、とするのであらう。
伴トモに立つて来た家ケニ人ンの一人が、大きな木の叉マタ枝ブリをへし折つて来た。さうして、旅用意の巻マキ帛ギヌを、幾垂れか、其場で之コレに結び下げた。其を牀ユカにつきさして、即座の竪タツ帷バリ―几帳―は調つた。乳オ母モは、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。
十二
怒りの滝のやうになつた額田部ノ子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和ノ国にも断つて、寺の奴ばらを追ひ払つて貰モラふとまで、いきまいた。大タイ師シを頭カシラに、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其ソノ方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顔をして、住侶たちを脅かした。 郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢ケガし、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計ハカラはれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖アガナひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。 理分にも非分にも、これまで、南家の権勢でつき通して来た家オ長ト老ナ等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣ワカつて居た。乳オ母モに相談かけても、一代さう言ふ世事に与アヅカつた事のない此人は、そんな問題には、詮カヒない唯タダの女ニヨ性シヤウに過ぎなかつた。 先サツ刻キからまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。
其を聞くと、身狭ノ乳母は、激しく、田ヰナ舎カカ語タリ部ベの老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、畳にしがみつき、柱にかき縋スガる古フル婆ババを掴ツカみ出させた。さうした威高さは、さすがに自オノヅカら備つてゐた。
何事も、この身などの考へではきめられぬ。帥ソツの殿トノに承らうにも、国遠し。まづ姑シバし、郎女様のお心による外はないもの、と思ひまする。
其より外には、方ハウもつかなかつた。奈良の御ミタ館チの人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直スグ様サマ、使ひを立てることにして、とにもかくにも、当座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。
郎女様。如イカ何ガお考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤モツトモ、寺方でも、候サブ人ラヒビトや、奴ヤツ隷コの人数を揃へて、妨げませう。併シカし、御ミタ館チのお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。
謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出来よう筈のない返答である。乳オ母モも、子コフ古ルも、凡オヨソは無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、木コダ魂マガ返ヘしの様に、躊タメ躇ラふことなしにあつた。其上、此コレほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凜リンとしてゐた。其が、すべての者の不満を圧倒した。
姫の咎トガは、姫が贖アガナふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償ツグナひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思オモやるな。
郎女の声・詞を聞かぬ日はない身ムサ狭ノチ乳オ母モではあつた。だがつひしか此ほどに、頭の髄まで沁み入るやうな、さえ〴〵とした語を聞いたことのない、乳チオ母モだつた。
寺方の言ひ分に譲るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽サワやかな育ての君の判断力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢サカしい魂を窺ウカガひ得て、頬に伝ふものを拭ふことも出来なかつた。子古にも、郎女の詞を伝達した。さうして、自分のまだ曽て覚えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。
ともあれ此上は、難波津 へ。
難波へと言つた自分の語に、気づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新シラ羅ギ問罪の為、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再フタタビ太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻つて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶カナふ処は馬で走らう、と決心した。
万法蔵院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪タツ帷バリに向けて、庭から匍ホフ伏クした。
子古の発つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠ウラ々ウラと照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち・山陰から盗み見する者のないやうに、家ケニ人ンらを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。
暴ア風ラ雨シの夜、添ソフ下ノシモ・広瀬・葛城の野山を、かちあるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽カゲ炎ロフも立たず、唯タダをどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の様にとりまく山々も、愈イヨ々イヨ遠く裾を曳いて見えた。
早い菫スミレ―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一続きに見えて、夕焼け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢クサムラについて、ぢつと眺め入つた。
これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、すみれ、と申すとのことで御座ります。
ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、広い萼ウテナの上に乗つた仏の前の大きな花になつて来る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。
夕風が冷 ついて参ります。内へと遊ばされ。
乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて来た。
近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖ナギの幾重も重つた上に、二フタ上カミの男ヲノ嶽カミの頂が、赤い日に染つて立つてゐる。
今日は、又あまりに静かな夕ユフベである。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。
まうし〳〵。もう外に居る時では御座りません。
十三
﹁朝目よく﹂うるはしい兆シルシを見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ経験を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人ビトの考へから言へば、苦しい現実のひき続きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ〳〵変つた事に逢ふ度に、﹁何も知らぬ身であつた﹂と姫の心の底の声が揚つた。さうして、その事毎に、挨アイ拶サツをしてはやり過したい気が、一ぱいであつた。今日も其続きを、くはしく見た。 なごり惜しく過ぎ行く現ウツし世のさま〴〵。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ〳〵収めこまうとして居る。ほのかに通り行き、将ハタ著しくはためき過ぎたもの――。宵ヨヒ闇ヤミの深くならぬ先に、廬イホリのまはりは、すつかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、煌クワ々ウクワウと、油アブ火ラビが燃えて居る。明王像も、女人のお出での場処には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬ハコんで行かれた。其よりも、郎女の為には、帳台の設シツ備ラはれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷トバ帳リを周メグらした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼モ神ノ、野の魍モ魎ノを避ける為の灯の渦が、ぼうと梁ハリに張り渡した頂ツシ板イタに揺ユラめいて居るのが、たのもしい気を深めた。帳台のまはりには、乳母や、若人が寝たらしい。其ももう、一ヒト時トキも前の事で、皆すや〳〵と寝息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は軽かつた。 たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に来て、かう安らかに身を横ヨコタへて居る。 灯台の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光りの輪を作つて居た。月のやうに円マルくて、幾つも上へ〳〵と、月グワ輪チリンの重つてゐる如くも見えた。其が、隙スキ間マカ風ゼの為であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の畳まつた、大きな円マドかな光明になる。 幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遅い月が出たことであらう。 物の音。――つた つたと来て、ふうと佇タち止るけはひ。耳をすますと、元の寂シヅかな夜に、――激タギち降クダる谷のとよみ。
つた つた つた。
又、ひたと止ヤむ。
この狭い廬の中を、何イ時ツまで歩く、跫アシ音オトだらう。
つた。
郎女は
――青馬の 耳ミミ面モノ刀ト自ジ。
刀自もがも。女オ弟トもがも。
その子の はらからの子の
処ヲト女メ子ゴの 一人
一人だに わが配ツ偶マに来コよ
まことに畏オソロしいと言ふことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざ〴〵と、圧オサへられるやうな畏コハさを知つた。あゝあの歌が、胸に生き蘇カヘつて来る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸ホトバシり出ようとするときめき。
帷トバ帳リがふはと、風を含んだ様に皺シワだむ。
ついと、凍る様な冷気――。
郎女は目を瞑ツブつた。だが――瞬間睫マツゲの間から映ウツつた細い白い指、まるで骨のやうな――帷トバ帳リを掴んだ片手の白く光る指。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛クツロぎを感じた。さつと――汗。全身に流れる冷さを覚えた。畏コハい感情を持つたことのないあて人の姫は、直スグに動顛した心を、とり直すことが出来た。
なう/\。あみだほとけ……。
今一度口に出して見た。をとゝひまで、手写しとほした、称シヨ讃ウサ浄ンジ土ヤウ経ドキヤウの文モンが胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗ノゾいたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが、簾越しにも聴チヤ聞ウモンは許されなかつた。御オン経キヤウの文モンは手写しても、固モトより意趣は、よく訣ワカらなかつた。だが、処々には、かつ〴〵気持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突トツ嗟サに口に上らう、とは思うて居なかつた。
白い骨、譬タトへば白玉の並んだ骨の指、其が何イ時ツまでも目に残つて居た。帷トバ帳リは、元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡カラんでゐるやうな気がする。
悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白シロ々ジロとした掌をあげて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚ナギサの白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。
長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ乱れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中ナカ道ミチである。浪は、両方から打つて来る。どこまでも〳〵、海の道は続く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を屈コゴめて、白玉を拾ふ。拾うても〳〵、玉は皆、掌タナソコに置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ続ける。玉は水ミガ隠クれて、見えぬ様になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬スクはうとする。掬ムスんでも〳〵、水のやうに、手タナ股マタから流れ去る白玉――。玉が再フタタビ、砂の上につぶ〴〵並んで見える。忙アワタダしく拾はうとする姫の俯ウツムいた背を越して、流れる浪が、泡立つてとほる。
姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆タフされる。浪に漂ふ身……衣もなく、裳モもない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現ウツし身。
ずん〴〵と、さがつて行く。水ミナ底ゾコに水ミ漬ヅく白玉なる郎女の身は、やがて又、一ヒト幹モトの白い珊サン瑚ゴの樹キである。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。
まるで、潜カヅきする海ア女マが二ハタ十ヒ尋ロ・三ミソ十ヒ尋ロの水ミナ底ゾコから浮び上つて嘯ウソブく様に、深い息の音で、自身明らかに目が覚めた。
あゝ夢だつた。当麻まで来た夜道の記憶は、まざ〴〵と残つて居るが、こんな苦しさは覚えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の続きを辿タドつて居るらしい気がする。
水の面からさし入る月の光り、さう思うた時は、ずん〴〵海面に浮き出て来た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寝る頂ツシ板イタに、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈カサの畳まつた月輪の形が、揺ユラめいて居る。
なう/\ 阿弥陀ほとけ……。
再、口に出た。光りの暈カサは、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈クマ々グマしい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はつきりと形を現ゲンじた。白々と袒ヌいだ美しい肌。浄キヨく伏せたまみが、郎女の寝姿を見おろして居る。かの日ヒの夕ユフベ、山の端ハに見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指オヨビ、白玉の指オヨビ。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄ホノかに、事もなく揺れて居た。
十四
何イ時ツ見ても、大タイ師シは、微ミヂ塵ン曇りのない、円マドかな相サウ好ガウである。其ソレに、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏ウヂ上ノカミで、数十家ケの一族や、日本国中数万の氏ウヂ人ビトから立てられて来た家ヤカ持モチも、ぢつと対ムカうてゐると、その静かな威に、圧せられるやうな気がして来る。
言はしておくがよい。奴ヤツ隷コたちは、とやかくと口さがないのが、其ソノ為シゴ事トよ。此身とお身とは、おなじ貴ウマ人ビトぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上ノボると、うま人までがおのづとやつこ心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。
家持は、此が多タモ聞ンテ天ンか、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じ、かたどつて作るなら、とつい聯想が逸ソれて行く。八年前、越中ノ国から帰つた当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大仏開カイ眼ゲン供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八ハチ十ジフ種シユ好ガウ具足した、と謂はれる其相サウ好ガウが、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて来たのである。
かうして対ひあつて居る主人の顔なり、姿なりが、其まゝあの盧ル遮サ那ナほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
お身も、少し咄ハナしたら、えゝではないか。官カウ位ブリはかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫シビ徴チユ中ウダ台イの、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。家ウチに居る時だけは、やはり神カミ代ヨイ以ラ来イの氏ウヂ上ノカミづきあひが、えゝ。
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢モロ土コシの才ザエが、やまと心に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思ひまうけぬ処に見つけ出した嬉しさだつたのである。
お身は、宋ソウ玉ギヨクや、王ワウ褒ハウの書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせだつたのだなう。お身は――。お身の氏では、古コ麻マ呂ロ。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢カン魏ギはおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。
お身さまのお話ぢやが、わしは、賦フの類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になつて居る――さうつく〴〵思ひますぢやて。ところで近頃は、方カタを換へて、張文成を拾ひ読みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二ハタ十チ代の若い心や、瑞々しい顔を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか〳〵隠れては歩き居ヲる、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁ジンに会うて来た者の話では、豬ヰノ肥コゴえのした、唯の漢モロ土コシびとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾ウベナうてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい気さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな経オボ験エは、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女ヲミ子ナゴだけには、まづ当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ〳〵男の為ぢやて。
さやう〳〵。智慧を持ち初めては、あの鬱イブセい女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横ヨコ佩ハキ墻カキ内ツの――
此はいけぬ、と思つた。同時に、此臆オクれた気の出るのが、自分を卑ヒクくし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶ケオ落トす心なのだ、と感じる。
好エエ、好エエ。遠慮はやめやめ。氏ノ上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏ノ上に任ぜられた訣ワケぢやあ、なかつたつけの。
身の女メ姪ヒが神隠しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつを、さう解トるかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。実はこれまで、内々消息を遣ツカハして、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。
お身さまが経タメ験シずみぢやで、其で、郎女の才ザエ高ダカさと、男択エラびすることが訣りますな――。
此は――。額ヒタヒざまに切りつけるぞ――。免ユルせ〳〵と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚ヒラ岡ヲカの斎イツき姫ヒメにあがる宿スク世セを持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、弾ハジく、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。
ぢやがどうも――。聴き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言ふし、楽毅論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習ひしたらしいし、まだ〳〵孝経などは、これぽつちの頃に習うた、と言ふし、なか〳〵の女ヲナ博ゴハ士カセでの。楚ソ辞ジや、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の垣カイ毀コボ雪チヲ女ナゴぢやもの。――どうして、其だけの女ヲミ子ナゴが、神隠しなどに逢はうかい。
第一、場処が、あの当麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天ノ二上は、中ナカ臣トミ寿ノヨ詞ゴトにもあるし……。斎イツき姫ヒメもいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる気を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて――。
何しろ、嫋タワ女ヤメは国の宝ぢやでなう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高タカ望ノゾみは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ〴〵尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが…。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。宝は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい兄アニ公キド殿ノが、少し仏凝ゴりが過ぎるでなう――。自然内ウチうらまで、そんな気風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎イラ女ツメも、そんな育てはしてあるまいな。其では、家ウチの久須麻呂が泣きを見るからの。
兄アニ公キド殿ノは氏ノ上に、身は氏ウヂ助ノスケと言ふ訣なのぢやが、肝腎斎き姫で、枚岡に居させられる叔ヲ母バ御ゴは、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神カンさびたものよ、と思うたぞ。今モ一代此方から進ぜなかつたら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取つて替つて、氏ノ上に据スワるは。
兵部大輔にとつても、此はもう、他ヒト事ゴトではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏ノ上職を持ち堪コタへたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かつたからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた為でもある。大伴の家のは、表向き壻ムコどりさへして居ねば、子があつても、斎き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪ノ上ノ郎女は、二人の女ヲミ子ナゴを持つて、やはり斎き姫である。此は、うつかり出来ない。此コチ方ラも藤原同様、叔母御が斎イツキ姫で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐サヘ伯キの数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて来た家持の心の動揺などには、思ひよりもせぬ風で、
こんな話は、よそほかの氏ノ上に言ふべきことでないが、兄アニ公キド殿ノがあゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表オモ面テだから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度づゝ、其外、週マハり年には、時々鹿島・香取の東アヅ路マヂのはてにある旧モト社ヤシロの祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏ノ上よりも、此コチ方ラの氏ノ助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏ノ上の気持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏ノ上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂マげさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御ゴ沙サ汰タを下しおかれぬ限りは――。
京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜タシナんだ家はないと言ふ。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を広く空アけて、深々とした山ヤ斎マが作つてある。其に入りこみの多い池を周メグらし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中ナカみ門カド、西の中ナカみ門カドまで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛クワ々ンクワンとした空き地の広くおありになる宮よりは、もつと手入れが届いて居さうな気がする。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、憂鬱な気持ちがかぶさつて来て、前にゐる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思はれる。
案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それあの山ヤマ部ベの何とか言つた、地ヂ下ゲの召メし人ビトの歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、﹁昔見し旧フルき堤は、年深み……年深み、池の渚に、水ミク草サ生ひにけり﹂とよんだ位だが、其後が、これ此コノ様ヤウに、四流にも岐れて栄えてゐる。もつとあるぞ――。なに、庭などによるものぢやないは。
恃タノむ所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個処々々を指摘しながら、其ソノ拠ヨる所を、日ヤマ本ト・漢モロ土コシに渉ワタつて説明した。
長い廊を、数人の童ワラハが続いて来る。
日ずかしです。お召しあがり下されませう。
改つて、簡単な饗応の挨拶をした。まらうどに、早く酒を献じなさい、と言つてゐる間に、美しい
をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。
家持は、何を考へても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかつた。
うねめは、大伴の氏ノ上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。
時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、初シヨ中ツチ終ユウ、気扱ひをせねばならなかつた。
氏ノ上もな、身が執心 で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの――。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に女姪 の姫だが――。
さすがの聡明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた緒イト口グチに、とりついた気で、
横ヨコ佩ハキ墻カキ内ツの郎イラ女ツメは、どうなるでせう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。
気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
末は、独り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝コラした。池へ落した水音は、未ヒツジがさがると、寒々と聞えて来る。
早く、躑ツツ躅ジの照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。
十五
つた つた つた。
郎女は、一ヒタ向スラ、あの音の歩み寄つて来る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其ソノ跫アシ音オトが間遠になつて行き、此頃はふつに音せぬやうになつた。その氷の山に対ムカうて居るやうな、骨の疼ウヅく戦慄の快感、其が失せて行くのを虞オソれるやうに、姫は夜毎、鶏のうたひ出すまでは、殆ホトンド、祈る心で待ち続けて居る。
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも寤サめて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂ツ板シの面オモテの光り輪にすら、明アキ盲ジひのやうに、注意は惹かれなくなつた。こゝに来て、疾トくに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野ノイ茨バラの花のやうだつた小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いてゐるのも見える。麦ムギ原フは、驚くばかり伸び、里人の野ノシ為ゴ事トに出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から来た人たちの中、何イ時ツまでこの山陰に、春を起き臥フすことか、と佗ワびる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくとは思はなかつたし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思ふ心が、切々として来るのである。女たちは、かうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習ナラハしに馴れて、何かと為事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身ムサ狭ノチ乳オ母モの思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人数な奈良の御ミタ館チの番に行け、と言つて還され、長オト老ナ一人の外は、唯雑ザフ用ヨウをする童と、奴ヤツ隷コ位しか残らなかつた。
乳オ母モや、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の様子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎの女たちである。
やはり、郎女の魂タマがあくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と単純に考へて居る。ある女は、魂ごひの為に、山尋ねの咒オコ術ナヒをして見たらどうだらう、と言つた。
乳母は一口に言ひ消した。姫様、当麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした当タギ麻マノ真マヒ人トの家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂イつた蠱マジ物モノ使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠タワの塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴ウマ人ビト一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違ひない。もう〳〵、軽はずみな咒オコ術ナヒは思ひとまることにしよう。かうして、魂タマの游アク離ガれ出た処の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊アソバされることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭サトし〳〵した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかつた山に、躑ツツ躅ジが燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一ヒト群ムラ々々咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ〳〵と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡オヨソ数十人の若い女が、何ド処コで宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑ツツ躅ジバ林ヤシが練つて降るやうだ、と声をあげた。
ぞよ〴〵と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。
こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。
若人たちは、又例の蠱マジ物モノ姥ウバの古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早サウ処ト女メが当ります。其しるしが此コレぢや、と大事さうに、頭の躑躅に触れて見せた。
もつと変つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田ヰナ舎カバ咄ナシをして行つた。其を後ノチに乳オ母モたちが聴いて、気にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう〴〵と踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、真下へ〳〵、降つて行つた。がら〴〵と、岩の崩クえる響き。――ちようど其が、此盧堂の真上の高タ処カに当つて居た。こんな処に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定ヂヤウ、赤岩の大オホ崩ナ崖ギ。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は残つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく〳〵、子ネから丑ウシの間に、里から見えるこのあたりの峰ヲの上ヘに、光り物がしたり、時ならぬ一イツ時トキ颪オロシの凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を残して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい〳〵のかざしの躑躅花をして帰つた。其は昼のこと、田舎は田舎らしい閨ネヤの中に、今は寝ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。
昼の恐れのなごりに、寝苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寝入つてしまつた。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。続いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。
郎女の額ヌカの上の天井の光の暈カサが、ほの〴〵と白んで来る。明りの隈はあちこちに偏カタ倚ヨつて、光りを竪タテにくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青シヤ蓮ウレ華ンゲと言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋シベの処に、むら〳〵と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋シベをふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂ひ出た荘厳な顔。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顕アラはな肌。――冷え〴〵とした白い肌。をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚ナホ夢のやうに、語を逐オうて居た。
おいとほしい。お寒からうに――。
十六
山の躑ツツ躅ジの色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎シボむ。さうして、凡オヨソ一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿ハげた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬ア酔シ木ビが雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。 もう此頃になると、山は厭イトはしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまふ。郭クワ公ツコウは早く鳴き嗄カらし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。 草の花が、どつと怒ドタ濤ウの寄せるやうに咲き出して、山全体が花原見たやうになつて行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭ソ苑ノにも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何ド処コまで盛り続けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が来る。池には葦が伸び、蒲が秀ホき、藺ヰが抽ヌキんでゝ来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄かに伸ノし上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。 前年から今年にかけて、海の彼方の新シラ羅ギの暴状が、目立つて棄スて置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰員外帥として、難波に居た横ヨコ佩ハキ家ケの豊成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。 都の姫の事は、子古の口から聴いて知つたし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう処置してよいか、途方に昏クれた。ちよつと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであつた。 寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやつた。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長ト老ネ・刀ト自ジたちへは、ひたすら、汝等の主の郎女を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて来たりした。 次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢メヤ女ツコが、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮ハス根ネを取る為に作つてあつた蓮ハチ田スダへ、案内しよう、と言ひ出した。 あて人の家自身が、それ〳〵、農村の大オホ家ヤケであつた。其が次第に、官ツカ人サビトらしい姿に更カハつて来ても、家庭の生活には、何イ時ツまでたつても、何ド処コか農家らしい様子が、残つて居た。家構へにも、屋敷の広ニ場ハにも、家の中の雑ザフ用ヨウ具グにも。第一、女たちの生活は、起タチ居ヰふるまひなり、服装なりは、優雅に優雅にと変つては行つたが、やはり昔の農家の家ヤウ内チの匂ひがつき纏マトうて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田ナリ荘ドコロへ行つて、数日を過して来るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。 だから、刀自たちは固モトより若人らも、つくねんと女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕へる君の為に為シイ出ダさう、と出精してはたらいた。 裳モの襞ヒダを作るのに珍ナい術テを持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖の先につける鰭ハタ袖ソデを美しく為シ立タてゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顔見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺スり染めや、擣ウち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸ヒで染めの為の染料が、韓カラの技テ工ビ人トの影響から、途方もなく変化した。紫と謂つても、茜アカネと謂つても皆、昔の様な、染め漿シホの処トリ置アツカヒはせなくなつた。さうして、染め上りも、艶ツヤ々ツヤしく、はでなものになつて来た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて来たけれど、家の女部屋までは、官カミの目も届くはずはなかつた。 家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精励してするやうな為事は、あて人の家では、刀ト自ジ等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での為事は、まだ見マヰ参リマミエをせずにゐた田舎暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄ウス帛ギヌを垂らして出かけた。 一イツ時トキたゝぬ中に、婢メヤ女ツコばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十数人は戻つて来た。皆手に手に、張り切つて発育した、蓮の茎を抱へて、廬の前に並んだのには、常々くすりとも笑わぬ乳オ母モたちさへ、腹の皮をよつて、切セツながつた。
ほう――。
何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上ジヤには、唯常と変つた皆の姿が、羨ウラヤマしく思はれた。
この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めつさうなこと、仰せられます。
めつさうなこと、仰せられます。
めつさうな。きまつて、誇張した顔と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社会で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身ムサ狭ノチ乳オ母モに対する反感も、此ものまねで幾分、いり合せがつく様な気がするのであらう。
其日からもう、若人たちの糸イト縒ヨりは初まつた。夜は、閨ネヤの闇ヤミの中で寝る女たちには、稀に男の声を聞くこともある、奈良の垣カキ内ツ住ひが、恋しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績ウみ貯める。
さうした糸の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其数日後であつた。
郎女は、久しぶりでにつこりした。労を犒ネギラふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。
刀自は、驚いて姫の詞を堰セき止めた。
なる程、此は脆 過ぎまする。
女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。
全く些スコしの悪意もまじへずに、言ひたいまゝの気持ちから、
田居とやらへおりたちたい――、
を反覆した。刀自は、若人を呼び集めて、
もつと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。
と言つた。女たちの中の一人が、
それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
さればの――。
昔を守ることばかりはいかついが、新しいことの考へは唯、尋ヨノ常ツネの婆の如く、愚かしかつた。
ゆくりない声が、郎女の口から洩れた。
この身の考へることが、出来ることか試して見や。
うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽カルしめに似た気持ちが、皆の心に動いた。
夏引きの麻生 の麻 を績 むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに――。
郎女は、目に見えぬものゝさとしを、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の茎が乾ホし並べられた。さうして其が乾カワくと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒サラし、晒しては水に漬ヒでた幾日の後、筵ムシロの上で槌の音高く、こも〴〵、交コモ々ゴモと叩き柔らげた。
その勤イソしみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して、見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなつた。
日晒しの茎を、八ヤツ針ハリに裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。果ては、刀自も言ひ出した。
私も、績 みませう。
績ウみに績み、又績みに績んだ。藕ハス糸イトのまるがせが、日に〳〵殖えて、廬イホ堂リダウの中に、次第に高く積まれて行つた。
もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。
暦コヨミの事を言はれて、刀自はぎよつとした。ほんに、今日こそ、氷ヒム室ロの朔ツイ日タチぢや。さう思ふ下から歯の根のあはぬやうな悪感を覚えた。大昔から、暦は聖ヒジリの与る道と考へて来た。其で、男女は唯、長ト老ネの言ふがまゝに、時の来又去つた事を教ヲソはつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聡サトい人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻マモりながら、はら〳〵して居る乳母であつた。唯、郎女は復マタ、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく〳〵と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長タけて、莟ツボミの大きくふくらんだのも、見え出した。婢メヤ女ツコは、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。
十七
彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深フカ碧ミドリに凪ナいだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻シキりにちぎれ〳〵に飛んだ。其が門トワ渡タる船と見えてゐる内に、暴アラ風シである。空は愈々青澄み、昏クラくなる頃には、藍の様に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜アカ色ネイロに輝いて居る。 大山颪。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽アフりきしんだ。若人たちは、悉コトゴトく郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。たゞ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から真マ正ト面モに吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空ソラ様ザマに枝を掻き上げられた様になつて、悲鳴を続けた。谷から峰ヲの上ヘに生え上ノボつて居る萱原は、一様に上へ〳〵と糶セり昇るやうに、葉裏を返して扱コき上げられた。 家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきりと、物の一つ〳〵を、鮮やかに見せて居た。
郎女様が――。
誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづゝた女たちは、誰一人声を出す者も居なかつた。
身狭ノ乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覚め難い夢から覚めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の両モロ腕ウデ両モロ膝ヒザの間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凜リンとして、反り返る様な力が、湧き上つた。
それ皆の衆――。反アシ閇ブミぞ。もつと声コワ高ダカに――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの声で、警ケイ※ヒツ﹇#﹁馬+畢﹂、U+9A46、142-7﹈を発し、反ヘン閇バイした。
あっし あっし。
あっし あっし あっし。
狭い廬の中をあっし あっし あっし。
郎女様は、こちらに御座りますか。
万法蔵院の婢メヤ女ツコが、息をきらして走つて来て、何イ時ツもなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌ミギリに立つて叫んだ。
なに――。
皆の口が、一つであつた。
郎女様か、と思はれるあて人が――、み寺の門 に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。
今度は、
なに、み寺の門に。
婢女を先に、行道の群れは、小石を
あっし あっし あっし……。
声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な鋭トゴ声ヱが、野ノヅ面ラに伝はる。
万法蔵院は、実に寂セキとして居た。山風は物忘れした様に、鎮まつて居た。夕闇はそろ〳〵、かぶさつて来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二フタ上カミの頂は、広く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、山田の道場のから仰ぐ空の狭さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで来て居たのである。浄域を穢ケガした物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾シキミから、伸び上るやうにして、山の際ハの空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻つたらしい。だが、寺は物音もない黄タソ昏ガレだ。
男ヲノ嶽カミと女メノ嶽カミとの間になだれをなした大きな曲タ線ワが、又次第に両方へ聳ソソつて行つてゐる、此二つの峰の間アヒダの広い空ソラ際ギハ。薄れかゝつた茜アカネの雲が、急に輝き出して、白ハク銀ギンの炎をあげて来る。山の間マに充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。
さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾ヲノ上ヘの松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顔ばかりは、ほの暗かつた。
今すこし著 く み姿顕 したまへ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉タナビき、次第々々に降サガる様に見えた。
明るいのは、山ヤマ際ギハばかりではなかつた。地上は、砂イサゴの数もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・庫ク裡リ、悉コトゴトく金に、朱に、青に、昼より著イチジルく見え、自ミヅカら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれ〳〵に、雲は揺エウ曳エイして、そこにあり〳〵と半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清スズしく見ひらいた。軽くつぐんだ唇は、この女ニヨ性シヤウに向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低タれて来る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御ミス姿ガタから、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸ホトバシり出た。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほの〴〵と暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽タチマチ、二上山の山の端ハに溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。
あっし あっし。
足を蹈み、前サキを駆オふ声が、耳もとまで近づいて来てゐた。
十八
当麻の邑ムラは、此頃、一本の草、一ヒト塊クレの石すら、光りを持つほど、賑ニギハひ充ちて居る。 当タギ麻マノ真マヒ人ト家ケの氏神当タギ麻マヒ彦コの社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏ノ上の拝礼があつた。故上総守老オユノ真人以来、暫らく絶えて居たことである。 其上、まう二三日に迫つた八ハツ月キの朔ツイ日タチには、奈良の宮から、勅使が来向はれる筈になつて居た。当麻氏から出られた大ダイ夫フジ人ンのお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。 廬堂の中は、前よりは更に狭くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高タカ機ハタを、設タてたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬ヲサや梭ヒの扱ひ方を、姫はすぐに会ヱト得クした。機に上つて日ねもす、時には終ヨモ夜スガラ織つて見るけれど、蓮の糸は、すぐに円ツブになつたり、断キれたりした。其でも、倦ウまずにさへ織つて居れば、何イ時ツか織りあがるもの、と信じてゐる様に、脇目からは見えた。 乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顔を、此頃よくしてゐる。
何しろ、唐モロ土コシでも、天テン竺ヂクから渡つた物より手に入らぬ、といふ藕ハス糸イト織オりを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。
かう糸が無駄になつては。
今の間にどし/″\績 んで置かいでは――。
今の間にどし/″\
乳チオ母モの語に、若人たちは又、広々として野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の邑ムラの騒ぎの噂ウハサである。
郎女様のお従イト兄コ恵美の若ワク子ゴさまのお母ハラ様も、当麻ノ真人のお出デぢやげな――。
恵美の御ミタ館チの叔父君の世界、見るやうな世になつた。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大タイ師シの、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。
やめい やめい。お耳ざはりぞ。
しまひには、乳母が叱りに出た。だが、身ムサ狭ノ刀ト自ジ自身のうちにも、もだ〴〵と咽ノ喉ドにつまつた物のある感じが、残らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に糸を績ウみ、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。
昼の中多く出た虻アブは、潜ヒソんでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して来る。日中の興奮で、皆は正体もなく寝た。身狭までが、姫の起き明す灯の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、断キれては織り、織つては断れ、手がだるくなつても、まだ梭ヒを放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、満ち足らうて居た。あれほど、夜ヨル々ヨル見て居た俤オモ人カゲビトの姿も見ずに、安らかな気持ちが続いてゐるのである。
﹁此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩オホうてあげたい。﹂
其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。
ちよう ちよう はた はた。
はた はた ちよう……。
はた はた ちよう……。
筬ヲサを流れるやうに、手もとにくり寄せられる糸が、動かなくなつた。引いても扱コいても通らぬ。筬の歯が幾枚も毀コボれて、糸筋の上にかゝつて居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
どうしたら、よいのだらう。
姫ははじめて、顔へ偏カタヨつてかゝつて来る髪のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗ノゾいて見た。梭もはたいて見た。
あゝ、何時になつたら、したてた衣 を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出来よう。
もう外の叢で鳴き出した、
どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。
どうやら聞いた気のする声が、機の外にした。
あて人の姫は、何処から来た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、予想して居た時なので、
見てたもれ。
機をおりた。
女は尼であつた。髪を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃テイ髪ハツした尼には会うたことのない姫であつた。
はた はた ちよう ちよう。
元の通りの音が、整つて出て来た。
蓮の糸は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覧じ――。これかう――おわかりかえ。
当麻語部ノ姥の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。
おわかりなさるかえ。これかう――。
姫の心は、こだまの如く
織つてごらうじませ。
姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を
はた はた ゆら ゆら。
音までが、変つて澄み上つた。
女メト鳥リの わがおほきみの織オロす機。誰タが為タねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、機ハタ殿ドノのからのぞきこうで、問はれたお方様がおざりましたつけ。――その時、その貴い女ニヨ性シヤウがの、
たか行くや 隼ハヤ別ブサワケの御ミオ被スヒ服ガ料ネ――さうお答へなされたとなう。
この中ヂユウ申し上げた滋シガ賀ツ津ヒ彦コは、やはり隼別でもおざりました。天アメ若ワカ日ヒ子コでもおざりました。天テンの日ヒに矢を射かける――。併し、極キハみなく美しいお人でおざりましたがよ。
截キりはたり、ちようちよう。それ――、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。
郎女は、ふつと覚めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ〳〵とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、
はた はた ゆら ゆら。ゆら はたゝ。
美しい織物が、筬の目から迸る。
はた はた ゆら ゆら。
思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。
十九
望モチの夜の月が冴サえて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一ヒト反ムラの上ハ帛タを、夜の更けるのも忘れて、見ミハ讃ヤして居た。
この月の光りを受けた美しさ。
のやうで、韓カラ織オリのやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな上ハ帛タぢや。
乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬タトへやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに楽しんでは、撫でまはして居た。
二度目の機は、初めの日数の半ナカラであがつた。三ミム反ラの上ハ帛タを織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて来た。五イツ反ムラ目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。
裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他ヒ人トの手に触れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現ウツし世ヨの幾人にも当る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上ハ帛タを、裁タつたり截キつたり、段々布は狭くなつて行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ当らぬ囁ササヤきに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて来る。人々は一日も早く、奈良の御館に帰ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい昼、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語カタ部リの尼が歩み寄つて来るのを、又まざ〴〵と見たのである。
何を思案遊ばす。壁カベ代シロの様に縦横に裁ちついで、其まゝ身に纏マトふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐ヒモをつけて、肩の上でくゝりあはせれば、昼は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し被カブれば、やがて夜の衾フスマにもなりまする。天竺の行ギヤ人ウニンたちの著る僧ソウ伽ギヤ梨リと言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。
だが、気がつくと、やはり昼の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの上ハ帛タが出来あがつた。
郎女様は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。
あつたら 惜しやの。
はりが抜けたやうに、あつたら 惜しやの。
もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信シンをうちこんで聴く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ〳〵と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄バナシのやうに言はれるやうな世の中になつて居た。当タギ麻マノ語カタ部リベの嫗なども、都の上ジヤの、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽タチマチ違つた氏の語部なるが故に、追ひ退ノけられたのであつた。
さう言ふ聴きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬イホ堂リダウに近い木立ちの陰でも、或は其ソ処コを見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは続けられて居た。
今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再フタタビ己オノが世が来た、とほくそ笑みをした――が、氏の神祭りにも、語部を請シヤウじて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た予アラ期マシも、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖オヤたちが、長く覚え伝へ、語りついで来た間、かうした事に行き逢はうとは、考へもつかなかつた時トキ代ヨが来たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追ヤ放ラはれてゐる気がして、唯驚くばかりであつた。娯タノしみを失ひきつた語カタ部リベの古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飲んでも、口をついて、独り語りが囈ウハ語ゴトのやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて来た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い処をところをと覓モトめて、さまよひ歩くやうになつた。
郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩ヱノ色グの数々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩ヱノ色グを持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人残つて居た長オト老ナである。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復マタ、何か事の起るのではないか、とおど〳〵して居た。だが、身ムサ狭ノチ乳オ母モの計ひで、長オト老ナは渋々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。
あくる日、絵ヱノ具グの届けられた時、姫の声ははなやいで、興ハ奮ヤりかに響いた。
女たちの噂した所の、袈ケ裟サで謂へば、五十条の大ダイ衣エとも言ふべき、藕グウ糸シの上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉タノしげにとり上げられた。線スミ描ガきなしに、うちつけに絵ヱノ具グを塗り進めた。美しい彩タミ画ヱは、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重カサナる楼閣伽ガラ藍ンの屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目メカ赫ガヤくばかり、朱で彩タみあげられた。むら〳〵と靉タナビくものは、紺コン青ジヤウの雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画カきおろされた。雲の上には金コン泥デイの光り輝く靄モヤが、漂ひはじめた。姫の命を搾シボるまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金コン色ジキの雲ウン気キは、次第に凝コり成ナして、照り充ちた色シキ身シン――現ウツし世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた。
郎女は唯、先サキの日見た、万法蔵院の夕ユフベの幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩タミ画ヱの上に湧き上つた宮クウ殿デン楼閣は、兜トソ率ツテ天ング宮ウのたゝずまひさながらであつた。しかも、其四シジ十フク九ヂユ重ウの宝宮の内ナイ院ヰンに現れた尊者の相サウ好ガウは、あの夕、近々と目に見た俤オモカゲびとの姿を、心に覓トめて描き顕したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆ホホけて居るばかりであつた。
郎イラ女ツメが、筆をおいて、にこやかな笑ヱマひを、円マロく跪ツイ坐ヰる此人々の背におとしながら、のどかに併シカし、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際キハに、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く伝ふものゝあつたのを知る者の、ある訣ワケはなかつた。
姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵ヱヤ様ウは、そのまゝ曼マン陀ダ羅ラの相スガタを具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色シキ身シンの幻を描いたに過ぎなかつた。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻マモる画面には、見る〳〵、数スセ千ン地ヂ涌ユの菩ボサ薩ツの姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白ハク日ジツ夢ムのたぐひかも知れぬ。