No.1097

作品名:椎の若葉
作品名読み:しいのわかば
著者名: 葛西 善蔵 


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分類:NDC 913
初出:「改造 第五巻第七号」1924(大正13)年7
作品について:1924(大正13)年7月雑誌「改造」に発表された。葛西文学後期の心境小説の一つで、鎌倉のおせいの実家で暴れて警察の厄介になったという新聞記事が出る出ないの話、また数年前に、自分の息子が警察に厄介になった逸話、交際しているおせいの父親とのいきさつ、娘の頬を撲ったことや芝居の話、下宿している本郷の西城館などの話が縷々と語られる。下宿の窓の傍にある椎の若葉の輝きに、自分の衰えや生活苦からの一時の慰めを見出そうとする。(林田清明)
文字遣い種別:新字旧仮名
備考:

分類:著者
作家名:葛西 善蔵
作家名読み:かさい ぜんぞう
ローマ字表記:Kasai, Zenzo
生年:1887-01-16
没年:1928-07-23
人物について:1887(明治20)年116日、青森県弘前市松森町に生まれる。幼少の時、一家での北海道、青森・五所川原や南津軽郡碇ヶ関村などに転居した。碇ヶ関尋常小学校補修科を卒業後、単身上京するも帰郷し、北海道で鉄道車掌、営林署勤務などをした。1905(明治38)年に再び上京、哲学館(現東洋大学)で聴講生となるが、1908(明治41)年、徳田秋声に師事した。郷里で結婚したが単身上京して、作家を目指した。大正元年、広津和郎や谷崎精二らと同人雑誌「奇蹟」を創刊し、葛西歌棄の名で処女作『哀しき父』を発表した。生活苦などのためその後も別居・同居(東京・郷里の往復)を繰り返した。葛西は「自己小説」と呼ぶ私小説の文学像を追求し、『雪をんな』・『贋物』(いずれも大正6)などを発表した。大正7年の『子をつれて』が評判を呼び、大正11年頃までが全盛期となった。とくに『椎の若葉』や『湖畔手記』(いずれも大正13)などは詩情があり、哀愁ある心境に達した作品となっている。借金、酒浸り、病苦のあげく、家庭を捨て芸術至上へと向かう破滅型の自己小説は、作者への共感や一種の信仰を生んだ面がある。題材は貧困と鬱憤の中で狭いものの、感傷やユーモアも捨てがたい魅力となっている。結核のため体調は悪化し、1928(昭和3)年723日、世田谷三宿で41歳で死去した。嘉村磯多らとも親交があった。葛西善蔵全集全5巻(改造社)ほかがある。
wikipediaアイコン葛西善蔵

底本:現代日本文學大系 49 葛西善藏 嘉村礒多 相馬泰三 川崎長太郎 宮路嘉六 木山捷平 集
出版社:筑摩書房
初版発行日:1973(昭和48)年25
入力に使用:1973(昭和48)年25日初版第1

入力:林田清明
校正:松永正敏

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