一
一席申し上げます、是は寛政十一年に、深ふか川がわ元もと町まち猿さる子こば橋し際ぎわで、巡礼が仇あたを討ちましたお話で、年十八になります繊かよ弱わい巡礼の娘が、立派な侍を打うち留とめまする。その助太刀は左官の才さい取とりでございますが、年配のお方にお話の筋を承わりましたのを、そのまゝ綴りました長なが物もの語がたりでございます。元榊さか原きばら様の御家来に水みず司しま又たい市ちと申す者がございまして、越えち後ごた高か田たのお国では鬼おに組ぐみと申しまして、お役は下等でありますが手てし者ゃの多いお組でございます。この水司又市は十三歳の折両親に別れ、お国くに詰づめになり、越後の高田で文武の道に心掛けまして、二十五の時江戸詰を仰付けられましたので、とんと江戸表の様子を心得ませんで、江戸珍らしいから諸方を見物致して居りましたが、ちょうど紅もみ葉じ時分で、王おう子じの滝たきの川がわへ往いって瓢ふく箪べの酒を飲干して、紅葉を見に行ゆく者は、紅葉の枝へ瓢箪を附けて是を担かつぎ、形なりは黒木綿の紋付に小倉の襠まち高だか袴ばかまを穿はいて、小こな長がい大小に下駄穿きでがら〳〵やって来まして、ちょうど根ねづ津ごん権げ現んへ参詣して、惣そう門もん内うちを抜けて参りましたが、只今でも全盛でございますが、昔から彼あの廓くるわは度たび々〳〵潰つぶれましては又再さい願がんをして又立ったと申しますが、其の頃贅沢な女じょ郎うろがございまして、吉原の真似をして惣門内で八はち文もん字じで道中したなどと、天明の頃は大だい分ぶ盛んだったと云うお話を聞きました。彼あち方らこ此ち方らを見ながら水司又市がぶらり〳〵と通掛りますると、茶屋から出ましたのは娼しょ妓うぎでございましょう、大おお島しま田だはがったり横に曲りまして、露の垂れるような薄色の笄こうがいの小長いのを挿さし、鬢びんのほつれ毛が顔へ懸りまして、少し微ほろ酔えいで白おし粉ろい気けのある処ところへぽッと桜色になりましたのは、別べっして美しいものでございます。緋の山やま繭まゆの胴どう抜ぬきの上に藤色の紋附の裾すそ模様の部屋著ぎ、紫むら繻さき子じゅすの半はん襟えりを重ねまして、燃えるような長なが襦じゅ袢ばんを現あらわに出して、若い衆しゅに手を引かれて向うへ行ゆきます姿を、又市は一ひと目見ますと、二十五で血気でございますから、余念もなく暫しばらく見送って居りましたが、
又﹁どうも実に嬋せん娟けん窈よう窕ちょうたる美人だな、どうも盛んなる所美人ありと云うが、実にないな、彼あのくらいな婦人は二人とは有るまい、どうもその蹌よろけながら赤い顔をして行ゆく有様はどうも耐たまらぬな、どうも実にはア美くしい﹂
と思って佇たゝずんで居りますと、後うしろから女じょ郎ろ屋やの若わか衆いしゅが、
若﹁えへ……﹂
又﹁何なんだい後うしろからげら〳〵笑って﹂
若﹁如いか何ゞさ様までございます、お馴なじ染みもございましょうが、えへ……外ほか様さまからお尻の出ないようにお話を致しましょう、えへ……お馴染もございましょうがお手軽様に一晩お浮うかれは如何で、へい〳〵〳〵﹂
又﹁何だい貴公は﹂
若﹁えへ……御冗談ばかり、遊女屋の若わか者いもので、どうも誠にはやへい〳〵﹂
又﹁遊女屋の若者、成程これは何だね大分左右に遊女屋が見えるが、全盛の所は承知して居いるが、貴公に聞けば分ろうが、今向うへ少し微酔で、顔へほつれ毛がかゝって、赤い顔をして男に手を引かれて行った美人があるが、彼あれは何かえ遊女かえ、但たゞしは堅気の娘のような者かえ﹂
若﹁へえ、只今へえ…御縁の深いことで、あれは手前方のお職しょくから二枚目をして居ります小こま増しと申します﹂
又﹁はア貴公の楼ろう名めいは何と云う﹂
若﹁へえ……楼名、えゝ増まし田だ屋やと申します﹂
又﹁成程根津で増田屋と申すは大分名高いと聞くが、左様かえ増田屋で今の婦人は﹂
若﹁小増と申します﹂
又﹁成程増田屋で増ましを付けるのは榊原の家来で榊原を名乗るようなもので﹂
若﹁いえ左様な大した訳でもござりませんが﹂
又﹁国から出たてゞ何も知らぬが、何かえ揚あげ代だい金きんは何どのくらい致す、今の美人を一晩買う揚代は﹂
若﹁へい〳〵大概五拾疋ぴきでございますが、あのお妓こさんは只今売出しで、拾匁もんめで、お高いようでございますが、彼あのくらいな子供衆しゅは沢たん山とはございませんな、へい﹂
又﹁拾匁、随分値は高いが、拾匁出して彼のくらいな美人を寝かそうと起そうと自由にするのだから、実に金銀は大切な物だのう﹂
若﹁えへ、まず兎も角もお上あがり遊ばしては如何﹂
又﹁だが登あがりもしようが、婦人を傍そばへ置いて唯たゞ寝る訳にも往いかんが、何か食しょ物くもつを取らんではならんが、酒と肴はどのくらいな値段であるか承わって置こう﹂
若﹁えへ……御存じ様でございましょう、おとぼけなすって、お小さい台は五拾疋でございます、大きい方は百疋で、中には六百文ぐらいのお廉やすいのもございます﹂
又﹁ふう百疋、成程よい遊女を揚げれば佳よいのを取らなければならんのう、成程それでは酒は別だろうな﹂
若﹁へい召上りませんでも先まず一本は付けます﹂
又﹁百疋で肴は何のくらいなのが付くな﹂
若﹁へ……おとぼけでは困りますな、大概遊女屋の台の物は極きまって居りますが、小さい鯛が片へらなどで、付つけ合あわせの方が沢山でございます﹂
又﹁それは高いじゃアないか、越後の今いま町ゝちでは眼の下三尺ぐらいの鯛が六十八文で買える﹂
若﹁御冗談ばかり仰しゃいます﹂
又﹁厄介になろう﹂
若﹁有難う存じます、お揚あがんなさるよ﹂
﹁あいー﹂
とん〳〵〳〵と二階へ上あがると引ひき付つけ座ざし敷きへ通しましたが、又市は黒木綿の紋付に袴を穿いた形なりで、張はり肘ひじをして坐って居ると、二階廻しが参りまして、
婆﹁おやお出いでなはい﹂
又﹁初めて、手てま前い水司又市と申す者、勝手を心得ぬから何分頼む﹂
婆﹁何でございますねお前さん、瓢ひょ箪うたんを紅葉の枝へ附けてお通んなはいましたねえ、滝の川へ入いらっしゃったの、御様子の好いいことゝ云ってお噂をして居たのですよ﹂
又﹁左様か、お前は当家の家内かな﹂
婆﹁おや厭ですよ、私は二階を廻す者です﹂
又﹁なに二階を廻す、この二階を﹂
婆﹁あれさ力持じゃアございません、本当に小増さんをお名なざ指しは苛ひどいじゃアございませんか﹂
又﹁何が苛い、買いたいと思ったから登あがったわ﹂
婆﹁本当に外で見染めて揚るのは一ばん縁が深いと申します、本当にお堅過ぎますよ、お袴をお取りなさいよ﹂
と云ううちに小増が出て参りまして、引ひき付つけも済んで台の物が這は入いりますから、一いっ猪ちょ口こ遣やって座敷も引け、床になりましたが、素もとより田舎侍でありますから、小増は宵に顔を見せたばかりで振られました。
二
翌よく朝あさ門もん切ぎれにならんうちにと支度を致しまして、
又﹁これ〳〵婆ア〳〵﹂
婆﹁厭だよ婆アなんてさ﹂
と云いながら屏風を開けて、
婆﹁お呼びなはいましたか﹂
又﹁いや昨ゆう夜べな些ちっとも小増は来こぬて﹂
婆﹁誠にねどうも、流はや行りっ妓こですから生あい憎にくお馴染が落合ってさ、斯こう折の悪い時は仕様がないもので、立込んでね﹂
又﹁左様かね、予かねて聞くが、初会は座敷切りと聞くが全く左様か﹂
婆﹁まアね然そう云った様なもので有りますから﹂
吉原の上等の娼妓ならお座敷切りという事も有りましたが、岡場所では左様なことは有りませんが、そこが国育ちで知りませんから、成程そうかと又四五日置いて来ましたが、また振られ、又二三日置いて来たが振って〳〵振抜かれるが、惚ほれるというものは妙なもので、小増が煙草を一ぷく吸付けてお呑みなはいと云ったり、また帰りがけに脊せな中かをぽんと叩いて、
小増﹁誠に済まねえのだよ、今度屹きっ度と来ておくんなはい﹂
と云われるのが嬉しく思いまして、しげ〳〵通いましたが、又市も馬鹿でない男でございますから、終しまいには癇癪を発おこして、藤とう助すけという若わか者いものを呼んで居ります。
婆﹁藤助どん行っておくれ、小増さんも時々顔でも見せて遣やれば好いいのに、酷ひどく厭がるから困るよ﹂
又﹁これ〳〵袴を出せ﹂
婆﹁おや誠にどうもお前まはんにお気の毒でね﹂
又﹁婆ア此こ処ゝへ来い、どうも貴公の家は余りと云えば不実ではないか、一度も小増は快く私わしが側に居おったことはないぞ﹂
婆﹁何い時つでも然そう云って居いるので、生あい憎にくと流はや行りっ妓こだからね、お前まはん腹を立っては困りますよ、まことに間が悪いじゃアねえか、お前はんの来る時にゃアお客が落合ってさ、済まねえとお帰し申した後あとでお噂して、一層気を揉んで居おりますのさ﹂
又﹁そんな事は度たび々〳〵聞いたが、最早二度と再び来ないが、田舎者には彼あアいう肌はだ合あいな気象だから、肌は許さぬとかいう見識が有るから、お前が来ても迚とても買かい通とおせぬから止せと親切に云ってくれても宜よさそうなものだ、つべこべ〳〵馬鹿世辞を云って、此の後のち二ふた度ゝび来ぬから宜いか、其の方達は余程不実な者だね、どうも﹂
婆﹁不実と云ったって私わっ達ちたちのどうこうと云う訳には往いきませんからさ、まことに自由にならないので﹂
藤助﹁へい、あのお妓こさんは流はや行りっ妓こでございますから、お金で身体を縛ってしまいますから﹂
又﹁小増の身体を誰たれか鎖で縛ると申すか﹂
婆﹁あれさ、小増さんに此こっ方ちで三十両出そうと云うと、彼あっ方ちで五十両出そうと云って張合ってするのだから、まことに仕様がございませんよ、流行妓てえなア辛いものでそれだから苦くが界いと云うので、察して気を長くお出でなさいよ﹂
又﹁成程是まで度々参っても振られる故、屋敷へ帰っても同役の者が…それ見やれ、迚とても無駄じゃ、詰らぬから止せと云って大きに笑われ、迚も貴公などには買遂げられぬ駄目だと云われたが、金ずくで自由になる事なら誠に残念だから、幾ら遣やれば必らず私わしに靡なびくか﹂
婆﹁ねえ藤助どん、金ずくで自由になればと云うが……まアねえ其そ処こは義理ずくだからね、お金をまアねえ二拾両も遣って長襦袢でも買えと云えば、気の毒なと云って嬉しいと思って、又お前まはんに前より情じょうの増す事が有るかも知れませんよ﹂
又﹁婆アの云う事は採とりあげられんが、藤助確しかと請合うか﹂
藤﹁それは義理人情で、慥たしかにそれは是非小増さんがねえ﹂
又﹁然しからば宜しい、今日は機嫌好よく帰って二十両持って来よう﹂
と笑って、其の日は屋敷へ帰ったが、勤番者で他ほかから金子を送る者もないから、大事の大小を質しち入いれして二十五金を拵こしらえ、正直に奉書の紙へ包み、長い水引をかけ、折おり熨の斗しを附けて金二十両小増殿水司又市と書いて持って参りまして、直すぐに小増に遣つかわし、これから酒さけ肴さかなを取って機嫌好く飲んで居たが、その晩も又小増が来ないから顔がん色しょくを変えて怒おこりました。毎いつもの通り手を叩くこと夥おびたゞしいが、怖がって誰たれも参りません。
婆﹁一ちょ寸っと藤助どん往っておくれよ﹂
藤﹁困りますね﹂
婆﹁今日は中なか根ねはんが来て居るので、いゝえさ、どうも中根はんと深くなって居て、中根はんが上役だから下役の足軽みたいな人の所へは行かないのだよ﹂
藤﹁困りますな、怒おこるとあの太い腕で撲ぶたれますが、今度は取とっ捕つかまると何どんな目に逢うか知れまいから驚きますねえ﹂
婆﹁私は怖いからお前一寸行ってお呉れよ﹂
藤﹁困りますね何うも……御免﹂
又﹁此こっ方ちへ這入れ﹂
藤﹁どうも誠に﹂
又﹁何も最早聴かんで宜しい、再度欺かれたぞ、小増が来られなければ来ぬで宜しい、飲のみ食くいは手前したのだから払うが、今晩の揚代金殊ことに小増に遣わした二十金は只今持って来て返せ、不埓至極な奴、斯かよ様うな席だから兎や角云わぬが、余りと申せば怪けしからん奴、金を持って来て返せ﹂
藤﹁何ともどうも私わた共くしどもには﹂
又﹁いや私わたくしどもと云っても手前何と云った…弁わきまえぬか﹂
婆﹁一寸水司はん、生憎今日も差さし合あいがあって﹂
又﹁黙れ、婆アの云う事は採とり上あげんが、これ藤助、其の方は何と申した、二十両遣わせば小増は相違なく参りますと申したではないか、男が請合って、それを反ほ故ごにする奴があるか、男子たるべき者が﹂
藤﹁中々男子だって然そういう訳には参りませんので、この廓では女の子に男が遣つかわれるので、私わたくしどもの云う事は聴きませんからね、どうも﹂
又﹁これ﹂
藤﹁あいた、痛うございます、何をなさる﹂
又﹁これ宜よくも己おれを欺いたな、此こや奴つめ﹂
藤﹁あいた……いけません、遊女屋で柔やわ術らの手を出してはいけません、私わたしどもの云う事を聴くのではございませんから﹂
と詫わびても聞き入れず、若わか者いものの胸ぐらを取って捻ねじ上あげました。
三
大騒ぎになりますと、此の事を小増が聞き、生意気盛ざかりの小増、止せば宜よいのに胴どう抜ぬきの形なりで自じだ惰ら落くな姿をして、二十両の目録包を持って廊下をばた〳〵遣やって来て、障子を開けて這入って来ました。又市は腹を立って居たが、顔を見ると人情で、間の悪い顔をしている。
小増﹁一ちょ寸っと又市さん何をするの、藤助どんの胸倉をとってさ、此の人を締殺す気かえ、遊女屋の二階へ来て力ずくじゃア仕様がないじゃアないか、今聞けばお金を返せとお云いだね﹂
又﹁これさ返せという訳ではないが、お前が一度も来てくれんからの事さ、来てさえ呉れゝば宜しい、今まで度たび々〳〵参っても、お前がついに一度も私わしに口を利いたこともないから、私はどうも田舎侍で気に入らぬは知っているが、同役の者にも外聞であるから、せめて側に居て、快く話でもしてくれゝば大おおきに宜しいが、大勢打寄って欺くから…斯かよ様うなことを腹立紛れにしたのは私が悪かった﹂
小﹁悪かったじゃアないよ、私わちきはお前まはんのような人は嫌いなの、お前大層な事を云っているね、金ずくで自由になるような私わちきやア身体じゃアないよ、二十両ばかりの端はし金たがねを千両金がねでも出したような顔をして、手を叩いたり何かしてさ、騒々しくって二階中寝られやアしないよ、お前はんに返すから持って帰んなまし、お前はんのような田舎侍は嫌いだよ﹂
と云いながら又市の膝へ投付けて、
小﹁いけ好かないよう、腎じん助すけだよう﹂
と部屋着の裾すそをぽんとあおって、廊下をばた〳〵駈出して行った時は、又市は後うし姿ろすがたを見送って、真まっ青さおに顔がん色しょくを変えて、ぶる〳〵慄ふるえて、うーんと藤助の腕を逆に捻ねじり上げました。
藤﹁あいた〳〵〳〵、あなた、あいた……そんな乱暴なことをしては困りますねえ、私わたくしなどの云う事を聞く妓こではありませんから﹂
又﹁田舎侍は厭いやだと云うは、素もとより其の方達も心得居おろうに﹂
藤﹁あいた……腕が折れます、一ちょ寸っとおかやどん、小増さんを呼んで来てというに、あゝいた〳〵〳〵〳〵﹂
大騒ぎになりましたが、丁度此の時遊びにまいって居たのが榊原藩の重な役か中ね根ぜ善ん右え衞も門んの嫡ちゃ子くし善ぜん之のし進んと云う者でございますが、御留守居役﹇#﹁御留守居役﹂は底本では﹁御留守居後﹂﹈︽おるすいやく︾の御子息で、まだ二十四歳でございますから、隠れ忍んで来るが、取とり巻まきは大勢居まして、
取巻﹁もし困るではございませんか、遊女屋の二階で柔やわ術らの手を出して、若わか者いものに拳げん骨こつをきめるという変り物でございますが、大たい夫ふが是にいらっしゃるのを知らないからの事さ、大夫のお馴染を知らないで通うぐらいの馬鹿さ加減はありません、あなた一ちょ寸っとお顔を見せると驚きますよ、ちょいと鶴の一と声で向うで驚きますよ、ね小増さん﹂
小増﹁左そ様うさ、一ちょ寸いと顔を見せてお遣やりなさいよう﹂
と大勢に云われますと、そこが年の往いかんから直すぐに立上りましたが、黒くろ出での黄八丈の小袖にお納なん戸どけ献んじ上ょうの帯の解け掛りましたのを前へ挟はさみながら、十三間平ひら骨ぼねの扇を持って善之進は水司のいる部屋へ通ります。又市は顔を一ちょ寸っと見ると重役の中根でございますから、其の頃は下役の者は、重役に対しては一いち言ごん半はん句くも答えのならぬ見識だから驚きました。後あとへ下さがって、
又﹁是は怪けしからん所で御面会、斯かゝる場所にて何なにとも面目次第もござらん﹂
善﹁これこれ水司、何どうしたものじゃ、遊女屋の二階でそんな事をしてはいかん、此こ処ゝは色里であるよ、左そ様うじゃアないか、猛たけき心を和やわらぐる廓へ来て、取るに足らん遊女屋の若い者を貴公が相手にして何うする積りじゃ、馬鹿な事じゃアないか、殊ことに新役では有るし、度々屋敷を明けては宜しくあるまい、私わしなどは役柄で余儀なく招かれたり、或あるいは見けん聞もんかた〴〵毎度足を運ぶことも有るが、貴公などは今の身の上で彼かよ様うな席へ来て遊女狂いをする事が武田へでも知れると直すぐにしくじる、内聞に致すから帰らっしゃい﹂
又﹁まことに面目次第もございません、つい一ひと夜よ参りましたが、とんと不ふあ待しら遇いでござって、残念に心得、朋友にも迚とても田舎侍が参っても歯は立たぬなどと云われますから、残念に心得再度参りました処が、如い何かに勝手を心得ません拙者でも、余りと云えば二階中の者が拙者を欺きまして、あまり心外に心得まして……それ其そ処こに立って居ります、貴あな方たのお側に立って居いるその小増と申す婦人に迷いまして、金を持って来れば必らず靡なびくと申しますから、昨夜二十金才覚致して持って参りますと、それを不ぶれ礼いにも遊女の身として拙者へ対して悪あっ口こうを申すのみか、金を膝の上へ叩付けましたから残念に心得、彼かよ様うな事に相成りまして、誠に何うもお目に留とまり恐れ入りますが、どうか御尊父様へも武田様にも内ない々〳〵に願います﹂
四
善﹁左様か、この小増は私わしが久しい馴染で、斯こういう廓くるわには意い気き地じと云って、一つ屋敷の者で私に出ている者が、下役の貴公には出ないものじゃ、そこが意気地で、少しは傾けい城せいにも義理人情があるから、私が買って居る馴染の遊女だから貴様に出ないのだから、小増の事は諦めてくれ、是は私が馴染の婦人だから﹂
又﹁へえー左様で、貴方のお馴染で、ふうー﹂
小﹁一ちょ寸っと水司はん、私わちきの大事のね、深い中になって居るお客というのは此の中根はんで、中根はんに出ている私がお前まはんの様な下役に出られますかねえ、宜よく考えて御覧なはいよ、出たくも出られませんからさ、又お前まえはんの様な人に誰が好いて出るものかねえ、お前顔を宜く御覧、あの己うぬ惚ぼれ鏡かがみで顔をお見よ、お前鏡を見た事がないのかえ、火ひふ吹きだ達る磨まみたいな顔をしてさア、お前まはんの顔を見ると馬鹿〳〵しくなるのだよう﹂
と云われるから胸に込上げて、又市逆のぼせ上あがって、此こん度どは猶なお強く藤助の胸ぐらを取ってうーんと締上げる。
藤﹁あなたいたい……私わたくしを、どう…﹂
又﹁黙れ、今中根様の仰せらるゝ事を手前存じて居おるか、一つ屋敷の者には出ない、上役がお愛しなさる遊女をなぜ己に出した﹂
藤﹁あいた……これはあなた気が遠くなります、お助け下さい、死にます﹂
善﹁これ〳〵水司、あれほど云うに分らぬか、若い者を打ちょ擲うちゃくして殺す気か、痴たわけた奴だ、左様なる事をすると武田へ云ってしくじらせるが何どうか、これ此の手を放さぬか〳〵﹂
と云いながら十三間の平骨の扇で続け打うちにしても又市は手を放しませんから、月さか代やき際ぎわの所を扇の要かなめの毀こわれる程強く突くと、額は破れて流れる血潮。又市は夢中で居ましたが、額からぽたり〳〵血が流れるを見て、
又﹁はアお打擲に遇あいまして、手前面部へ疵きずが出来ました﹂
善﹁左様なまねをするから打擲したが如いか何ゞ致した、汝はな此の後ご斯かよ様うな所へ立廻ると許さぬから左様心得ろ、痴たわ呆けめ、早く帰れ〳〵﹂
又﹁何も心得ません処の田舎侍でござって、一つ屋敷の侍が斯様なる所へ来て恥辱を受けますれば、その恥辱を上役のお方が雪そゝいで下さることと心得ましたを、却かえって御打擲に遇いまして残念でござりまする、只今帰るでござる、これ女ども袴と腰の物を是へ持て﹂
と急に支度をしてどん〳〵〳〵〳〵と毀れるばかりに階はし子ごを駈かけ下おりると、止せば宜よいに小増を始め芸者や太鼓持まで又市の跡を付けて来まして、
小﹁あれさ、お上役に逢っては一言もないからさ泣なき面つらしてさ、泣面は見よい物じゃアないねえ、あの火吹達磨や、泣達磨や、へご助や﹂
とわい〳〵言われるから猶更逆の上ぼせて履はき物ものも眼に入いらず、紺こん足た袋びのまゝ外へ出ましたが、丁度霜月三日の最早明あけ近くなりましたが、霜が降りました故か靄もや深く立ちまして、一尺先も見みわ分かりませんが、又市は顔に流るゝ血を撫でると、手のひらへ真まっ赤かに付きましたから、
又﹁残念な、武士の面部へ疵を付けられ、此の儘まゝには帰られん、たとえ上役にもせよ憎い奴は中根善之進、もう毒喰わば皿まで、彼あい奴つ帰れば武田に告げ、私わしをしくじらせるに違いない、殊ことには衆人満座の中にて﹂
と恋の遺恨と面部の疵、捨置きがたいは中根めと、七しち軒けん町ちょうの大たい正しょ寺うじという法ほっ華けで寺らの向むこう、石いし置おき場ばのある其の石の蔭かげに忍んで待っていることは知りません、中根は早帰りで、銀ぎん助すけという家来に手てま丸るの提ちょ灯うちんを提げさして、黄八丈の着物に黒羽二重の羽織、黒縮緬の宗そう十じゅ郎うろ頭うず巾きんを冠かぶって、要かなめの抜けた扇を顔へ当てゝ、小声で謡うたいを唄って帰ります所へ、物をも言わず突だし然ぬけに、水司又市一刀を抜いて、下男の持っている提灯を切落すと、腕が冴さえて居りますから下男は向うの溝みぞへ切倒され、善之進は驚き後あとへ下さがって、細身の一刀を引抜いて、
善﹁なゝ何者﹂
と振り冠かぶる。
又﹁おゝ最前の遺恨思い知ったか﹂
と云う若気の至り、色に迷いまして身を果すと云う。これが発はじ端めでございます。
五
水司又市が悪念の発しまする是れが始めでございます。若い中うちは色気から兎角了簡の狂いますもので、血気未いまだ定まらず、これを戒いましむる色に在ありと申しますが、頗すこぶる別べっ嬪ぴんが膝に凭もたれて
﹁一杯お飲あがんなさいよ﹂
なぞと云われると、下戸でも茶碗でぐうと我慢して飲みまして煩わずらうようなことが有りますが、惚ほれ抜ぬいている者には振られ、殊ことに面部を打破られ、其の頃武家が頭かしらに疵が出来ると、屋敷の門を跨またいでは帰られないものでございました。又市は無分別にも中根善之進を一刀両断に切って捨て、毒食わば皿まで舐ねぶれと懐中物をも盗み取り、小増に遣やりました処の二十両の金は有るし、これを持って又市は越えっ中ちゅ国うのくにへ逐電いたしました。此こち方らは翌よく朝ちょうになりましてもお帰りがないと云うので、下男が迎いに参りますと、七軒町で斯かよ様う〳〵と云う始末、まず死骸を引取り検視沙汰、殊に上役の事でございますから内聞の計はからいにしても、重役の耳へ此の事が聞え、部屋住ずみの身の上でも、中根善之進何者とも知れず殺せつ害がいされ、不ふつ束ゝかの至いたりと云うので、父善右衞門は百日の間蟄ちっ居きょ致して罷まかり在あれという御沙汰でございますから、翌年に相成り漸ようやく蟄居が免ゆりましたなれども、最もう五十の坂を越して居ります善右衞門、大きに気力も衰え、娘お照てると云うがございまして年十九に成りますから、これに養子を致さんではならんと心配致して居りましたが、丁度三月末の事、善右衞門が遅く帰りまして、
善右衞門﹁一ちょ寸っとお前﹂
妻﹁お帰り遊ばせ﹂
善﹁いや帰りにね武田へ寄って来た﹂
妻﹁おや、大だい分ぶお帰りがお遅うございますから、何ど処こかへお立寄と存じまして﹂
善﹁少し悦ばしい話があるが﹂
妻﹁はい﹂
善﹁斯こう云う訳だが、予かねてお前も知っての通り、昨年悴が彼あアいう訳になって私わしも最もう勤つとめは辛いし、大きに気力も衰えたから、照に何どんな者でも養子をして、隠居して楽がしたい訳でもないが、養子を致さんではと思って居た処が、幸いと武田の次男重じゅ二うじ郎ろうが養子になるように相談が極きまったよ﹂
妻﹁おやまアそれは何どうも此の上もない事でございます、お屋敷中うちでも親孝行で、武芸と云い学問と云い、あんな方はございません、評判の宜よい方でござりますねえ﹂
善﹁それに彼あれは武田流の軍学を能よくし、剣術は真影流の名人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が練ねれて居て、如い何かにも武芸と云い学問と云い老年の者も及ばぬ、実に彼あのくらいの養子は沢たん山とあるまい、此の上もない有難い事でのう、早く照をお呼びなさい﹂
妻﹁はい、お照や一寸此こ処ゝへお出いで、お父とっ様さまがお帰りになったよ、さア此処へお出で﹂
御重役でも榊原様では平へい生ぜいは余り好よい形なりはしない御家風で、下役の者は内職ばかりして居るが、なれども銘めい仙せんの粗あらい縞の小袖に華は美でやかな帯を〆しめまして、文金の高たか髷まげで、お白しろ粉いは屋敷だから常は薄うございますが、十つ九ゞや二はた十ちは色盛り、器量好よしの娘お照、親の前へ両手を突いて、
照﹁お帰り遊ばせ﹂
善﹁はい……此処へお出で、今お母っか様さまにお話をしたが、お兄あに様いさまは去年あの始末、お前にも早く養子をしたいと思ったが、親の慾目で、何うかまア心掛のよい聟むこをと心得て居ったが、武田の重二郎が当家へ養子に来てくれる様に疾とうから話はして置いたが、漸ようやく今日話が調とゝのったからお母様と相談して、善は急げで結納の取とり交かわせをしたいが、媒なこ妁う人どは高橋を以もってする積りで、嫁よめ入いりの衣裳や何かお前の好みもあろう、斯こういう物が欲しい、櫛くし簪かんざしは斯う云うのとか、立派なことは入らぬが、宜よくお母様と相談して、其の上で先方へも申込むから宜いかえ﹂
照﹁はいお父様私わたくしに養子を遊ばす事はもう少しお見合せなすって﹂
善﹁見合せる、其そ様んな事はありません、何なんで見合せるのだえ﹂
照﹁はい私わたくしはまだあなた養子は早うございます、それに他人が這入りますと、お父様お母様に孝行も出来ません様になりますから、私も心配でございますから、何どう卒ぞもう四五年お待ち遊ばして﹂
善﹁そんな分らぬ事を云ってはいけません、早く養子をして初うい孫まごの顔を見せなければ成りません﹂
妻﹁ほんとうに養子をしてお前の身が定まれば、お父様も私も安心する、双方に安心させるのが孝行だよ……まことにあなた何い時つまでも子供のようでございます……あんな好よい養子はございませんよ、家うちへいらっしゃってもあの凛り々りしいお方で、本当に此の上もないお前仕合せな事だよ﹂
善﹁さア、はいと返辞をすれば直すぐに結納を取交せるから﹂
照﹁はい、私わたくしはあの池いけの端はたの弁天様へ、養子を致す事を三年の間願がん掛がけをして禁たちました﹂
善﹁そんな分らぬ事を言っては困りますよ、弁天へ行って然そう云って来い、願掛けは致したが、親の勧めだからお願がんを破ると云って来い、それで罰ばちを当てれば至極分らぬ弁天と申すものだ、そんな分らぬ弁天なら罰の当てようも知るまいから心配はありませんよ、これ何時まで子供の様な事を云って何うなります、私が約束して今更変へん替がえは出来ません、直すぐ様さま返事をおしなさい、これ照、困りますなア﹂
六
妻﹁貴方、そう御立腹で仰しゃってもいけません……何時までもお前子供の様で、養子をすると云うものは怖いように思うものだけれど、私も当家へ縁付いた時は、こんな不器量な顔で恥かしい事だと否いや々〳〵ながら来ましたが、また亭主となれば夫婦の愛情は別で、お父様お母様にも云われない事も相談が出来て、結句頼もしいものだよ、あいとお云いよ〳〵、泣くのかえ﹂
善﹁なに泣くとは何事、泣くという事はありません、何だ﹂
妻﹁まア其そん様なにお怒おこり遊ばすな﹂
と無理に手を取って娘の居間へ連れて行ゆき、種いろ々〳〵言含めたが唯たゞ泣いて計ばかり居て返答を致しませんのは、屋敷内うちの下役に白しろ島しま山さん平ぺいという二十六歳になります美男と疾とうから夫婦約束をして居りました。遠くして近きは恋の道でございます。逢引する処が別にございませんから、旧来家うちに奉公を致して居りましたおきんと云う女中が、上うえ野のま町ちに団子屋をして居るので、此の家うちの二階で山平と出会いますので、是が心配でございますから、おきんの所へ手紙を出しますと、此こち方らはおきんが山平を呼出しまして、二階で三みつ鉄がな輪わで話をして居ります。
きん﹁どうも先せん達だっては有難うございます、貴方、あんな心配をなすっては困りますよ、お忙がしい処をお呼立て申しましたのは困った事が出来ましてね﹂
山﹁毎度厄介になりまして気の毒でのう、今日は急に人だから何事かと思って来たのだが、どう云うわけだえ﹂
きん﹁どう云うたって実に困りますよ、何うしたら宜よかろうと存じまして、お照さまに御両親様から急に御養子を遊ばせと仰しゃるので、嬢様は否いやだと云って弁天様へ禁たったと仰しゃったそうでござりますが、お父様が聴かぬので、一旦約束したから変へん替がえは出来ぬと云うので、仕方がないから私わたくしは養子をする気はない、どんな事が有っても自分が約束したからは何どこ処ま迄でも強情を張る積りだが、お父様が腹を切るの何なんのと云うから、寧いっそ身を投げて死んでしまおうと、小さいお子様の様な事を仰しゃるので困りますよ、何か云えば直すぐに自害をするのなどと詰らん事を云うので困ります、私わたくしは思案に余りますから貴方をお呼び申したので﹂
山﹁ふう成程、そうして何どち方らから御養子を﹂
きん﹁お嬢様の仰しゃるには、白島様には云わぬ方が宜よいと仰しゃいますが、あの武田重二郎様ね、それあの厭いやな気の詰るお方で、私も御奉公して居るうち見ましたが、偏屈な嫌いやに堅かた苦っくるしいね嫌な人で、実に困った訳でございますけれども、否いやと言切る訳にも往ゆきませんから誠に心配していらっしゃいます﹂
山﹁お照さん……この山平は江戸詰に成りまして間がない事で、これまでお引ひき立たてを蒙こうむりましたは、実は武田の重じゅ左うざ衞えも門ん様の御恩でござります、そのお家の御二男様が御養子の約束になって居るものを、貴方が否いやと仰しゃれば何なに故ゆえに背そむくと、夫それより事が顕あらわれますれば、拙者は屋敷を逐おい出だされる事になります、私わたくしの身は仕方がない事でございますが、あなた様の御尊父にも済まぬ事で、何どう卒ぞ是れまでお約束は致しましたが、何卒親御の意を背くは不孝なり、あなたも世間へ済まぬことになりますから、只今までの事は水にあそばして、何うかあなた武田から御養子をなすってください、実は只今まで私はお隠し申したが、国表を立たち出いでます時男子出産して今年二歳になります、国には妻子がございますので﹂
照﹁えゝ﹂
と娘は驚きまして、じッと白島山平の顔を見て居りましたが、胸に迫ってわっとばかりに泣倒れました。
きん﹁あなた奥様があるの、おやお子さん方がお二人、まだ若いのに、おや然そうでございますかねえ…お嬢さん白島様が御迷惑になりますから、お厭でもございましょうけれども、思い切って貴方、お厭でも御養子を遊ばせな、此の事が知れると物堅い旦那様だからきんもきんだ、長らく勤めて居ながら娘を二階で逢引をさせるとは不ふら埓ちな女だと仰しゃって私わたくしが斬られるかも知れませんよ、ねえ彼あア云う御気象ですから、ねえ御養子をして置いて時々お逢い遊ばせよう、然うすりゃア知れやアしませんよ、あの釜かま浦うら様の御ごし新ん造ぞ様みたいな、彼アいう事もありますから、宜よいじゃアありませんか、然う遊ばせよ﹂
山﹁誠に手前も夢の昔と諦めますから、申しお嬢様嘸さぞ不実な者と思おぼ召しめすでござりましょうが、この白島山平を可かわ愛いそ相うと思召すなら、あなた親御様の仰しゃる通り武田から御養子をなすって下さい、只今も金の申す通り、お聴きゝ済ずみがなければ止むを得ず、手前どうも切腹でもしなければならん訳で﹂
きん﹁貴方ア切腹なさると仰しゃるし、お嬢様は自害などと困りますねえ……お嬢様何う遊ばしますよ﹂
照﹁はい、それ程白島様が御心配遊ばす事なれば致いた方しかたがありませんから、それにお国に奥様もお子様もある事は私わたくしは少しも知りません、最もう身を切られるより辛うございますけれども、あなたのお言葉でございますから、背そむかず武田から養子致します﹂
と云いながら、わっと泣き倒れました。
七
おきんも山平も安心して、
きん﹁宜く仰しゃいました、それで何うでも成ります、またねえ時々お逢い遊ばす工夫もつきますから﹂
と漸ようやく身みの上うえの相談をして、お照は宅へ帰って、得心の上武田重二郎を養子にした処が、お照は振って〳〵振りぬいて同ひと衾つねをしません。家付の我儘娘、重二郎は学問に凝こって居りますから、襖ふすまを隔てゝ更ふけるまで書見をいたします。お照は夜よ着ぎを冠かぶって向うを向いて寝てしまいます。なれども武田重二郎は智ちえ慧し者ゃでございますから、私わしを嫌うなと思いながらも舅しゅ姑うとの前があるから、照や〳〵と誠に夫婦中の宜い様にして見せますから、両親は安心致して居ります中うち、段々月日が立ちますと、お照は重二郎の養子に来る前に最う身みお重もになって居りますから、九月の月へ入って五いつ月ゝき目めで、お腹なかが大きく成ります。若い中うちは有りがちでございますから、まア〳〵淫おい奔たは出来ませんものでございます。お照は懐妊と気が付きましたから何うしたら宜よかろう、何うかお目にかゝり相談を為したいと、山平へ細こま々〴〵と手紙を認したゝめ、今日あたりきんが来たらきんに持たせてやろうと帯の間へ挿はさんで居りましたが、何ど処こへ振落しましたか見えませんから、又細々と文ふみを認めおきんに渡し、それから直すぐにおきんより山平へ届けましたので、九月二十日に団子茶屋へ打寄ったが、此の時は山平は真まっ青さおになりました。
きん﹁もし白島様実に驚きましたよ、お嬢様さんは同ひと衾つねを遊ばさないので、それだからいけやアしません、同衾をなされば少し位月が間違って居ても瞞ごまかしますよ、何うしたって指の先ぐらいは似て居りますから、何うでも出来ますのを、振って〳〵振抜いて、同衾をしないので隠し様がありませんからさ、押して云えば仕方がないから、私は自害して死ぬばかり、私は二度と夫は持たない、親が悪い、無理に持たせたから当あた然りまえと仰しゃるだけで仕方がありませんよ﹂
山﹁露顕しては止むを得ない、何うしても割腹致すまでの事で﹂
きん﹁貴方は又そんな事を云って、仕様がございません、それじゃア相談の纏まとまり様がございません﹂
と彼あれの是れのと云って居りますと、折悪しく其の晩養子武田重二郎は傳でん助すけと云う下男を連れて、小こつ津が軽るの屋敷へ行って、両国を渡って帰り、御おか徒ちま町ちへ掛ると、
重﹁大だい分ぶ傳助道が濘ぬかるのう﹂
傳﹁先程降りましたが宜よい塩あん梅ばいに帰りがけに止みました﹂
重﹁長い間待まち遠どおで有ったろう﹂
傳﹁いえもう貴方お疲れでございましょう、御ごば番んび退けから御用多おおでいらしって、彼あち方らこ此ち方らとお歩きになって、お帰り遊ばしても直すぐに御おげ寝しなられますと宜しいが、矢張お帰りがあると、御ごし新ん造ぞ様と同じ様に御両親が話をしろなどと仰しゃると、お枕元で何か世間話を遊ばして御機嫌を取って、お帰り遊ばしても一口召上って、ゆる〳〵お気晴しは出来ませんで、誠に恐入りましたな﹂
重﹁何も恐入ることはない、私わしは仕合せだのう、幼年の時継母に育てられても継母が邪じゃ慳けんにもしないが、気詰りであったけれど、当家へ養子に来てからは舅しゅ御うとごが彼あの通り好よい方で、此の上もない仕合せで﹂
傳﹁へえ私わたくしは旧来奉公致しますが、旦那様も御新造様もいかつい事を云わないお方で、誠に私わたくしも仕合せで、実に彼あアいう方でございますから、斯かよ様うなことを申しては恐入りますが、若御新造様はすこしも御奉公遊ばさない、世間を御存じがない方でございますからな、あなたがお疲れの処へ、御両親様の御機嫌を取ってお長くいらっしゃる時には、御新造様が最もうお疲れだからと宜よい様に云ってお居間に連れ申して、おすきな物で一杯上げる様にお気が付くと宜よろしいが、余り遅くお帰りになるのが御意に入らぬのか知れませんが、つーと腹を立ったように、お帰りがあっても碌ろくにお言葉もかけない事がありますからな﹂
重﹁いゝや然そうでない、御新造は奉公せぬに似合わぬ中々能よく心付くよ﹂
傳﹁へえ……何うも私わたくしも旧来奉公致しますが、あなた様には誠に何どうも何なんとも済まぬことで、実に恐入ったことで、私は心配致しますが、だからと申して黙っていても何うせ知れますからな﹂
重﹁何を﹂
傳﹁へえー、誠に何うも恐入って申上げられませんが、実は貴方様に対して御新造様がな、何うも何う云うものか、誠に恐入りますな﹂
重﹁大分恐入るが、何なんだい﹂
傳﹁へえ……申し上げませんければ他ほかから知れますからな、却かえって御家名を汚けがすようになりますから、御両親様も……また貴方の名義を汚す一大事な事でございますから、外ほかのお方様なら申上げませんが、あなた様でございますから何うか内聞に願い、そこの処は世間に知れぬうち御工夫が付きますように参りましょうかと存じますが、何うか御内聞に、何うも何とも恐れ入りまして﹂
重﹁恐れ入ってばかりではとんと何だか分らんが、他の事と違って家名に障さわると、私わしが身は何うでもよろしいが、中根の苗字に障っては済まぬが、何なんじゃか言ってくれよ、よ、傳助﹂
八
傳﹁実は申上げようはございませんが、もう往来も途切れたから申上げますが、御新造様は誠に怪けしからん、密みそ夫かおを拵こしらえ遊ばして逢引を致しますので﹂
重﹁ふう嘘を云え、左様な嘘をつくな決して左様な事は有りません、世間の悪わる口くちだろうから取上げるなよ、私わしが来ましてから御新造は些ちっとも他ほかへ出た事はないぞ、弁天へ参詣に行ゆくにも小女が附き、決して何ど処こへも行った事はない﹂
傳﹁それが有るのでへえ……実に恐入りますがな、不埓至極なのはお金と申す旧来勤めて居りました団子茶屋おきん、へい彼あい奴つが悪いので、へい、奉公して一つ鍋の飯を喰いました女でございますから宜よく私わたくしは存じて居りますが、口はべら〳〵喋るが、彼奴が不人情で怪けしからん奴で、お嬢様を自分の家うちの二階で男と密会をさせて、幾らかしきを取る、何い如かにも心得違いの奴で﹂
重﹁そりゃア誰たれがよ、誰が左様なる事を云う、相手は何者か﹂
傳﹁相手はそれは何どうも、白島山平と云う彼あの下役の山平で、私わたくしも外ほかの方なら云いませんが貴方様だから、お舅しゅ御うと様ごさまのお耳にはいらぬ様にお計らいが附こうと思って申しますが、何うも恐入ります﹂
重﹁嘘を云え、白島山平は義気正しい男で、役は下だが重役に優まさる立派な男じゃ、他人の女房と不義致すような左様な不埓者でない﹂
傳﹁それが誠に有るので、実は昨日な証拠を拾って持って居りますが、開封致しては相済みませんが、捨すて置おかれませんから心配して開封いたしましたが、山平へ送る艶書を拾いました﹂
重﹁どう見せろ﹂
傳﹁何うか御立腹でございましょうが内聞のお計らいを﹂
重﹁見せろ、どれもっと提灯を上げろ﹂
と重二郎艶書を開ひらいて繰返し二度許ばかり読みまして、
重﹁傳助﹂
傳﹁へえー﹂
重﹁少しも存ぜぬで知らぬ事であったがよく知らしてくれた﹂
傳﹁何うも恐入ります、それだから貴方様がお帰りになっても、御新造様が快よく御酒の一と口も上げませんので、何うも驚きますな﹂
重﹁この文の様子では懐妊致して居おるな﹂
傳﹁へえー何うも怪けしからん事でげすな﹂
重﹁団子屋のきんの宅に今晩逢引を致して居るな﹂
傳﹁へえ丁度今晩逢引致して居ります﹂
重﹁きんの宅を存じて居るなれば案内しろ﹂
傳﹁いらっしゃいますか﹂
重﹁己おれが行ゆこう﹂
傳﹁貴方いらっしゃッても内聞のお計らいを﹂
重﹁痴たわけた事を云うな、武士たる者が女房を他ひ人とに取られて刀の手前此の儘まゝでは済まされぬから、両人の居いど処ころへ踏込み一刀に切って捨て、生首を引ひっ提さげて御両親様へ家事不取締の申訳をいたすから案内致せ﹂
傳﹁是は何うも飛んだ事を云いました、是は何うも恐入りましたな、外ほか様さまなれば云いませんが、貴方様でございますから内聞に出来る事と心得て飛んだ事を申しました﹂
重﹁飛んだ事と申して捨置かれるものか、行ゆけ〳〵﹂
と云われ真まっ青さおになってぶる〳〵顫ふるえて傳助地びたへ踵かゝとが着きませんで、ひょこ〳〵歩きながら案内をするうちに、団子屋のきんの宅の路地まで参りました。
重﹁これ〳〵其そ処こに待って居れ、町ちょ家うかを騒がしては済まぬから﹂
傳﹁何うかお手打ちは御勘弁なすって﹂
重﹁黙れ、提灯を消してそれに控え居れ﹂
傳﹁へえー﹂
重二郎は傳助を路地の表に待たして、自分一人で裏口の腰障子へぼんやり灯あかりがさすから小声で、
重﹁おきんさんの宅は此こち方らかえ﹂
と云うと二階に三人で相談をして居りましたが、
きん﹁はい魚うお政まさかえ…いゝえ此の頃出来た魚屋でございますから、器いれ物ものが少すけないのでお刺身を持って来ると、直すぐに後あとで甘うまを入れるからお皿を返して呉れろと申して取りに来ますので﹂
きんは魚屋と間違えて、
きん﹁少し待ってお出いでよ﹂
と階はし子ごだ段んを下りて、
きん﹁魚政かえ、今お待ちよ﹂
と障子を開けて見ると、魚屋とは思いの外ほか重二郎が刀を引ひっ提さげてずうと入り、
重﹁これ照が二階に参って居おるなら一ちょ寸っと逢わして呉れよ﹂
きん﹁いゝえ御新造様は此こち方らへは入いらっしゃいません﹂
重﹁入っしゃいませんたって参って居るに相違ない、是に駒下駄があるではないか﹂
きん﹁あのそれは先さっ刻きあの入いらっしゃいまして、それはあの、雨が降って駒下駄では往いけないから草ぞう履りを貸してと仰しゃいまして﹂
重﹁馬鹿な、痴たわけた事を云うな、逢わせんと云えば直じきに二階へ通るぞ﹂
きん﹁はーい何どう卒ぞ真まっ平ぴら御免遊ばして、何うぞ御勘弁遊ばして、御新造様がお悪いのではございません、皆きんが悪いのでございますから何うぞ﹂
重﹁何だ袖へ縋すがって何う致す、放さんか、えい﹂
と袖を払って長い刀を引ひっ提さげて二階へどん〳〵〳〵〳〵と重二郎駈上ります。これから何う相成りますか一寸一ひと息いき致して。
九
引ひき続つゞきましてお聴きゝに入れますが、世の中に腹を立ちます程誠に人の身の害になりますものはございません。殊ことに此の赫かッと怒いかりますと、毛けあ孔なが開いて風をひくとお医者が申しますが、何どう云う訳か又極ごく笑うのも毒だと申します。また泣なき入いって倒れてしまう様に愁しゅ傷うしょう致すのも養生に害があると申しますが、入にゅ湯うとう致しましても鳩みぞ尾おちまで這入って肩は濡ぬらしてならぬ、物を喰ってから入湯してはならぬ、年中水を浴びて居るが宜よいと申しますが、嫌な事を忍ぶのも、馴れるとさのみ辛いものではござりませぬ。何事も堪忍致すのは極く身の養くす生り、なれども堪忍の致しがたい事は女房が密まお夫とこを拵こしらえまして、亭主を欺だまし遂おおせて、他ほかで逢引する事が知れた時は、腹を立たぬ者は千人に一人もございません。武田重二郎は中根の家へ養子に来てからお照が同ひと衾つねを為しないのは、何か訳があろうと考えを起して居ります処へ、家来傳助がこれ〳〵と証拠の文を見せたから、常と違って不埓至極な奴、さア案内しろと云う。傳助も飛んだ事を云ったと思っても今更仕方がありません。重二郎は団子屋のお金の家へ裏口から這入った時はおきんは驚きまして、
きん﹁何うか私わたくしが悪いからお嬢様をお助けなすって下さい﹂
と袖に縋すがるを振切って、どん〳〵と引ひっ提さげ刀で二階へ上あがりました時に、白島山平もお照も唯ただ恟びっくり致して、よもや重二郎が来ようとは思わぬから、膝に凭もたれ掛って心配して、何う致そう、寧いっその事二人共に死んで仕舞おうかと云って居る処へ、夫が来たので左右へ離れて、ぴったり畳へ頭かしらを摺すり付つけて山平お照も顔を挙あげ得ません。おきんは是れは最もう屹きっ度と斬ると思い、怖こわ々〴〵ながら上あがって来て、
きん﹁何どう卒ぞ御勘弁なすって下さい、お願いでございます﹂
重﹁まア〳〵静かに致せ、そう騒いではいかん、世間で何事かと思われる、えゝ何も騒ぐ事はない……これさお照お前何な故ぜそんなに驚きなさる、私わしが来たので畳へ頭かしらを摺付け、頭を挙げ得ぬが、何なんと心得て左様に恐れて居いるのか、何うも何ともとんと私には分りません……山平殿それでは誠に御挨拶も出来ぬから頭を挙げて下さい…きん、静かに致して下の締りを宜よくして置くが宜いぞ、よう、賊でも這入るといかぬ﹂
きん﹁はい誠に何うも何ともお詫わびの致いた方しかたもございません、お嬢様が何も私わたくしが旧来奉公を致し、他に行ゆく処もないからきんや家うちを貸せと仰しゃった訳でもございません、世間見ずで入いらっしゃいますから人の目めつ褄まに掛ってはなりませんと私がお招よび申したのが初めで、何どう卒ぞ〳〵御勘弁なすって﹂
重﹁これさ静かにしろよう、何だか分りませんが、それじゃア何か差さし向むかいで居いる処へ私わしが上って来たから、山平殿と不義濫いた行ずらでもして居ると心得て、私が立腹して此これへ上って来た故、差向で居た上からは申もう訳しわけは迚とても立たぬ、さア済まぬ事をしたと云うので左様に驚きましたか、左様か、然そうだろう、然うでなければ然う驚く訳はない、誠にきん貴様は迷惑だ…のう山平殿、役こそ卑ひくいが威儀正しき其の許もとが、中々常の心掛けと申し、品行も宜しく、柔和温順な人で、他ひ人との女房と不義などをうん…なア…為する様な非義非道の事を致す人でないなア……が差向で居おったが過あやまりであった、男なん女にょ七歳にして席を同じゅうせずで、申訳が立たぬと心得て、山平殿も恐れ入って居おらるゝ様子、照も亦済まぬ、何う言訳しても身のあかりは立つまい、不義と云われても仕方がない、身に覚えはないけれども是れに二人で居たのが過り、残念な事と心得て其の様に泣入って居おることか、何とも誠に気の毒な、飛んだ処へ私が上って来たのう、そう云う訳は決してないのう、きん﹂
きん﹁はい〳〵決して夫それはそう云う、あの、其そ様んなどうも訳ではございませんから﹂
十
重﹁だからノウ、私わしが養子に来ぬ前から照の心掛は実に感心、云わず語らず自然と知れますな、と申すは昨年霜月三日にお兄あに様さまは何者とも知れず殺せつ害がいされ、如い何かにも残念と心得、御両親は老体なり、武士の家に生れ、女ながらも仇あたを討たぬと云う事はないと心掛けても、何どうも相手は立派な士さむらいであり、女の細腕では討つ事ならず、誰たれを助太刀に頼もう、親切な人はないかと思う処へ、親ちかしく出でい入りを致す山平殿、殊ことに心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の仇あだ討うちに出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私には然そうはいかん、御養子前の大切の娘御を私が若い身そらで女を連れて行ゆく訳には往いかん、両親の頼みがなければいかんなどと申されて、迚とてもお用いがないのを、止むを得ず助太刀をして下さいと照が再度貴公に頼んだは実に奇きど特くな事で、頼まれてもまさか女を連れて行ゆく訳にもいかず、此こち方らは只ひた管すら頼むと云う、是は何うも山平殿も実に困った訳だが、私が改めてお頼み申す訳ではないが、山平殿、中根善之進殿を討ったは水司又市と私は考える、彼あの日逐電して行方知れず、落らく書がきだらけの扇おう子ぎが善之進殿の死骸の側に落ちて有ったが、その扇子は部屋で又市が持っていた事を私は承知して居いるから、敵かたきは私の考えでは又市に相違なし、お国表へ立廻る彼あアいう悪い心な奴、殊に腕前が宜しいから何どんな事を仕し出でかすかも知れん、故に私が改めて貴公に頼むは、何うか隠おん密みつになってお国表へ参って、貴公が何うか又市を取押えて呉れんか……照お前は何どこ処ま迄でも又市を探たずねて討たんければならぬが、私から山平殿に一緒に行って下さいとは、何うも養子に来て間もなし、頼む訳には表おも向てむきいかんから、お前はお父とっ様さまやお母っか様さまへの申訳に、私わたくしも武士の家へ生れ女ながらも敵討を致したい故、池の端の弁天様へ、兄の仇あだを討たぬ中うちは決して良おっ人とを持ちませんと命に懸けての心願である処へ、強たって養子をしろと仰しゃるから養子をしたが、重二郎とは未いまだ同ひと衾つねを致しませんのは、是まで私が思い立った事を果はたさずば、何うも私が心に済みません、神に誓った事もあり、仇あだ討うちに出立致す不孝の段はどの様にもお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はお宥ゆるし下さいと、文面は私わしが教えるから私の云う通りに書きなさい、また山平殿は……貴公に倶ともに行って下さいとは云われないが、山平殿は国表へ参って彼かれを取調べ、助太刀をしてお照が仇討をして帰る時、貴公も共に其の所へ行ゆき合あわし、幸い助太刀をして本意を遂げさせしと云ってお帰りになれば、貴公の家は何うか潰つぶさぬ様に致そう、重二郎刀に掛けても致すから、二人へ改めて頼む訳にはいかんが、然うして仇あだを討たせて望のぞみを叶かなえてやって下さい…お前は奉公した事がないからお父様お母様に我儘を云うが、山平殿は親切なれども長旅の事、我儘な事を云って山平殿に見捨てられぬ様に中なか好よう、なにさ若もし捨てられては仇は討てず、亦これから先は長い旅、水も異かわり気候も違うから、詰らん物を食して腹を傷いためぬ様にしなさい、左そ様うじゃアないか、何でも身を大切にして帰って来てくれんければ困りますぞ、縦たとえあゝは仰しゃるが、二人で居たから密通と思おぼ召しめすに違いない、密通もせぬに然う思われては残念と刃物三昧でもすると、お父様お母様に猶なお更さら済みませんぞよ、必ずとも道中にて悪い物を食して、腹に中あたらぬ様にしなさるが宜よいのう、お照﹂
と五いつ月ゝきになるお照の身重の腹を、重二郎に持って居ります扇でそっと突かれた時は、はッとお照は有あり難がた涙なみだに思わず声が出て泣伏しました。
十一
山平も面目なく、
山﹁何なに共とも申訳はござらぬ、重々不埓至極な事拙者…﹂
重﹁いゝや少しも不埓な事はござらん、国表に於おいて又市が何どんな事を為するか知れん、万一重役を欺あざむき、大事は小事より起る譬たと喩えの通りで捨置かれん……お父様お母様へも書置を認したゝめるが宜よい……硯すゞ箱りばこを持って来な﹂
きん﹁はい﹂
重﹁硯箱を早く﹂
きん﹁はい﹂
重﹁何なんだ是は、松かつ魚おぶ節しば箱こだわ﹂
きん﹁はい﹂
と漸ようやく硯箱を取寄せて、紙かみ筆ふでを把とらせましても、お照は紙の上に涙をぽろ〳〵こぼしますから、墨がにじみ幾度も書かき損そこない、よう〳〵重二郎の云う儘に書終り、封を固く致しました。
重﹁これは私がお母様の何い時つも大切に遊ばす彼あの手箱の中へ入れて置く……きん、何どうも長い間度たび々〳〵照が来てお前の家うちでも迷惑だろう、主人の娘が貸してくれと云うものを出来ぬとは義理ずくで往いかんし、親切に世話をしてくれ忝かたじけない、多分に礼をしたいが、帰り掛がけであるからのう、是は誠に心ばかりだが世話になった恩を謝するから﹂
きん﹁何う致しまして私わたくしがそれを戴いては済みません、何うかそれだけは﹂
重﹁いゝや、其の替り頼みがあるが、今日私わしが来て照と山平殿に頼んで旅立をさせた事は、是程も口外して呉れては困る、少しも云ってはならぬよ、口外して他ほかから知れゝば、お前より外ほかに知る者はないから拠よんどころなくお前を手に掛けて殺さなければならんよ﹂
きん﹁はい〳〵〳〵どう致しまして申しません﹂
重﹁じゃア宜しい、さア山平殿、照早く表へ出なさい、宜しいから先に立って出なさい﹂
二人は何事も只ただ有難いと面目ないで前後不覚の様ようになって、重二郎の云う儘に表へ出に掛る。台所口の腰障子を開あけ、
重﹁大きに厄介になった…さア心配しなくも宜よい、出なさい﹂
照﹁はい…金や長々お世話になりました﹂
きん﹁それじゃア直ぐに遠い田舎へいらっしゃいますか、親切にあゝ仰しゃって下さるから、本当に敵かたきを討ってお出でなさいよ﹂
照﹁誠に面目次第もございません﹂
重﹁口をきいてはいかん、さア〳〵﹂
と二人を連れて出ると、傳助は提灯を持って路地に待って居りまして、
傳﹁誠に何うも宜く御勘弁なすって﹂
重﹁これ静かに致せ、両ふた人りを手討に致し他たを騒がしては宜しくないから﹂
傳﹁へい…﹂
重﹁人知れぬ処へ行って両りょ人うにんとも討果すから袂たもとを押えて遁にがさぬように﹂
傳﹁へえ……へ宜しゅう﹂
重﹁これ提灯を腰へさせ﹂
傳﹁へい﹂
と両人の袂を押えて重二郎に従って、池の端弁天通りから穴の稲荷の前へ参りますと、
重﹁これ〳〵、もう往来も途切れたな﹂
傳﹁へえー何うぞ御勘弁の出来ます事なれば願いとう、私わたくしは斯こう云う事とは心得ませんで﹂
重﹁静しずかに致せ、照、山平、不埓至極な奴、予かねて覚悟があろう、それへ直れ﹂
と云いながらすらりと長いのを抜きましたから、二人は彼あアは云って出たが、是で手討にされることかと覚悟をして、両手を合わせ頸くびを伸ばして居る。
重﹁女から先まず先へ斬らなければならん、傳助広小路の方から人が来やアしないか﹂
傳﹁いゝえ﹂
と覗うかゞう傳助の素すこ頭うべを、すぽんと抜ぬき打うちにしましたが、傳助は好いい面の皮。
重﹁あゝいや驚かんでも宜しい、主人の事を有る事無い事告つげ口ぐちを致す傳助、家に害をなす奴、此こ処ゝで切きり殺ころせば誰たれも知る者はない、試ため切しぎりか何かに遭あったのだろうで済んでしまう﹂
と小菊の紙を出して血を拭ぬぐい、鞘さやに納め、有合せの金子を出して、
重﹁多分に持参すれば宜かったが、今まで心得なかった故、ほんの持合せで二十金ある、路銀の足しにも成るまいが、是でお前が仇あだを討って帰ってくれんでは、私わしが一生不孝者で終らんければならん、お前の家も絶えてはならん、照も実に道に背いた女と云われるもお前の心一つであるぞよ……我儘者だが何どう卒ぞ面倒を見て下さるようにお頼み申すぞ﹂
山﹁あゝ忝かたじけのうござる﹂
と重二郎の心底何なにとも申し様もございませんから、貰いました路銀を戴きます。
重﹁達者で行って参れよ﹂
とちゃら〳〵雪せっ駄たば穿きで行ゆくのを、二人は両手を合せて泣きながら見送ります。重二郎は深い了簡がある事で、其の儘屋敷へ帰りましたが、二人は何うしても仇を討たんでは帰られません。これから仇討出立に相成りますが、一ちょ寸っと一息つきまして。
十二
偖さてお話は二ふたつに分れまして、水司又市は恋の遺恨で中根善之進を討って立たち退のきました。本もとはと云えば増田屋の小増と云う別嬪からで、婦人に逢っては何どんな堅い人でも騒動が出来ますもので、だがこの小増は余程勤めに掛っては能よく取った女と見えて、その事を後あとで聞いて、
小増﹁彼あの時私があゝ云う事をした故斯こう云う事になったのだろう、中根はんは可愛相な事をした、気の毒な﹂
とくよ〳〵欝ふさぎまして見世を引いて居りますから、朋輩は
﹁くよ〳〵しないでお線香でも上げて、お前まはんお題目の一遍もあげてお遣やんなはい﹂
と勧められ、くよ〳〵して客を取る気もなく情じょうのある様な振ふりをするも外み見えかは知れませんが、皆来ては悔くやみを云う。処が翌年になって風ふと来た客は湯ゆし島ま六丁目藤ふじ屋やし七ち兵べ衞えと云う商あき人ゅうど、糸いと紙かみを卸おろす好よい身代で、その頃此の人は女房が亡なくなって、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会の崩れ
﹁根津へ行って遊んで御覧なさらんか、ちょうど桜時で惣門内を花おい魁らんの姿で八はち文もん字じを踏むのはなか〳〵品が好く、吉原も跣はだ足しで、美くしいから行って御覧なさい﹂
と誘われて行ゆくと、悪縁と云うものは妙なもので、増田屋の小増は藤屋七兵衞の敵あい娼かたに出る、藤屋七兵衞の年は二十九だが、品が好い男で、中根善之進に似ている処から一ちょ寸っと初会に宜よく取ったから足を近く通う気になり、女房はなし、遠慮なしに二うら会な馴じ染みをつけ、是から近ちかしく来るうち互に深くなり、もう年季は後あと二年と云うから、そんなら身みう請けしようと云い、大金を出して其の翌年の二月藤屋の家うちへ入る。手に採とるな矢張野に置け蓮れん華げそ草う、家いえへ入ると矢張並の内おか儀みさんなれども、女郎に似合わぬ親切に七兵衞の用をするが、二つになるお繼つぎという女の子に九つになる正しょ太うた郎ろうという男の子で悪いた戯ずら盛ざかり、可愛がっては居りますけれども、何どうも悪態をつき、男の子はいかんもので、
正﹁己おらん処とこのお母かあはお女郎だ、本当の好よい花魁ではない、すべた女郎だ﹂
なんどと申しますから、
増﹁小憎らしい、此の子が供きは悪態をつく﹂
と頬ほゝ片ぺたを捻つねる、股たぶらを捻る、女郎は捻るのが得手で、禿かむろなどに、
﹁此の子が供きアようじれってえよ﹂
などゝ捻るものでございます。正太郎を其の如くに捻ったり打ちょ擲うちゃくを致しますから痣あざだらけになります。さア奉公人は贔ひい屓きをする者もあり、又先せんの内おか儀みさんが居おれば斯こんな事はないなどと云い、中には今度の内儀は惣菜の中に松かつ魚おぶ節しに味みり淋んを入れるから宜いいなどと小こづ遣かいを貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼あち方らこ此ち方らへ付きまして内がもめまする。先妻は葛かさ西いの小こい岩わい井む村らの百姓文ぶん左ざえ衞も門んの娘で、大だい根こん畠ばたけという処に淺あさ井い様と云うお旗はた下もとがございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それに極ごく堅い人で、家を治めて居りました処が、夭わか死じにを致しましたけれども、田舎は堅いから娘を嫁かし付づけますと盆暮には屹きっと参りますが、此こち方らでは女房が死んでからは少しも音おと信づれをしない、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿を脊し負ょって婆ばあ様さまが出掛けて来ます。
婆﹁はア御免なせえ﹂
男﹁へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね﹂
婆﹁誠に無沙汰アしました、皆みんなは変りねえか﹂
男﹁へい皆みな変る事もござりません…あの坊ちゃん田舎のお婆さんがお出でなすったよ﹂
と云うと嬉しいから、ちょこ〳〵と駈出して来て、
正﹁お婆さんおいで﹂
婆﹁何うした、毎度来てえ〳〵と思っても忙しくて来きられねえで、汝われが顔を見てえと思って来たが、なにかお繼は達者か、なにか店へも出ねえが疱ほう瘡そうしたか、然そうだってえ話い聞いた、それ汝われがに柿を持って来た、はア喰え﹂
正﹁柿、有難う、田舎のお婆さんが柿を持って来てくれると宜いいって然ういって居たが、お父とっさんが、あのまだ青いから最もう少したって、お月見時分には赤くなるからってそう云ったよ﹂
婆﹁何だか知らねえがお母っかアが異ちがって何うせ旨くは治おさまるめえ、汝われが憎まれ口でも叩いて、何うせな家うちもうなや﹇#欄外に校注‥おだやか○平穏○﹈にゃア往いくめえと文ぶん吉きちも心配して居るが、何うも仕方がねえ、早く女親に別れる汝だから、何うせ運は好よくねえと思って居るが、何でも逆らわずにはい〳〵と云って居ろよ﹂
十三
正﹁はい〳〵て云って居るの、あのねえお手習に往いくのも六つの六月から往くと宜いいて云ったけれども早いからてね、七つの七月から往く様になったから、先せんにはお弁当なんぞも届けて呉れるのだが、今度のお母っかさんが来てからは然そう往かないの、お父さんが何ど処こかへ行ってもお土産に絵だの玩おも具ちゃだの買って来たが、此の頃は買って来ないでお母さんの物計ばかり簪かんざしだの櫛くしだのを買って来て、坊には何にも買って来てくれないよ﹂
婆﹁汝われのような可愛い子があっても子に構わず後のち妻ぞいを持ちてえて、おすみの三回忌も経たねえうち、女房を持ったあから、汝よりは女じょ郎うろの方が可愛いわ……虐いじめるか﹂
正﹁怖ろしく虐めるの、縁側から突つき飛とばしたり…こんなに疵きずが有るよ、あのね裁しご縫とが出来ないに出来る振をして、お父さんが帰ると広げて出来る振をして居るの、お父さんが出て行ゆくと、突いき然なり片付けて豌えん豆どうまめが好きで、湯呑へ入れて店の若わか衆いしに隠して食べて居るから、お母さんお呉れって云ったら、遣やらないと云ってね、広がって居るから縫しご物とを踏んだら突飛して此こ処ゝを打って、顋あごへ疵が出来たの﹂
婆﹁呆れた、大でかい疵があるに気が注つかねえで居た、それで汝われ黙って居たか、父ちゃんに云わねえか﹂
正﹁云った、云ったけれどもお母さんが旨く云って、おのお前の着物を縫っていると踏んだから、いけないと云ったら、態わざと踏んだから縫しご物とを引ひっ張ぱったら滑って転んだって然そういって嘘をつくの、先せんのお母さんが生きていると宜いいんだけれども、お婆さんの処へ逃げて行いこうと思った、連れてって呉れねえか﹂
婆﹁おゝ連れて行かねえで、見殺しにする様なもんだから、可愛そうに、汝われに食わせべえと思って柿を持って来たゞ﹂
正﹁あのね麦むぎ焦こがしが来ても、自分で砂糖を入れて塩を入れて掻廻してね、隠して食べて、私には食べさせないの、柿もね、皆みんな心安い人に遣やって坊には一つしか呉れないの、渋くッていけないのを呉れたの﹂
婆﹁それは父ちゃんに汝われいうが宜よい﹂
正﹁云ったっていけない、いろんな嘘をついて云つけるからお父さんは本当と思って、あのお母さんは義理が有るのだから大事にしなければならない﹇#﹁ならない﹂は底本では﹁なならい﹂﹈、優しくすれば増長する、今からそれじゃアいけねえってねえ、一緒になってお父さんが拳骨で打ぶって痛いやア﹂
婆﹁あれえ一緒になって、呆れたなア本当にまア、好ええ、七兵衞どんに己おれ逢って、汝われだけはお婆さんが連れて行いく、田舎だアから食くい物ものアねえが不自由はさせねえ、十四五になれば立派な処とけへ奉公に遣って、藤屋の別家を出させるか、然そうでなければ己が方の別べっ家けえさせるから一緒に行くか﹂
正﹁行きたいやア、だから田舎で食物が無くってもお母さんに抓つねられるより宜いいから行くよ﹂
七﹁何どな方たかお出でなすった……おやお出でなさい、榮えい二じろ郎うお茶を持って来てお婆さんに上げな、田舎の人だから餅菓子の方が宜いいから……宜よくお出でなすったね、お噂ばかり致して居りまして、此こち方らから一ちょ寸っと上あがらなければ成らんですが、何分忙がしいので店を空けられないで、御無沙汰ばかり、まア此方へ﹂
婆﹁はい御免なせえ、御無沙汰アして何い時つも御繁昌と聞きましたが、文吉も上あがらんではならねえてえ云いますが、秋口は用が多いで参めえり損そくなって済まねえてえ噂ばかりで、お前めえさんも達者で﹂
七﹁まことに宜くお出でなすった、帝たい釈しゃ様くさまへお詣まいりに行こうと思って、帰りがけにお寄り申そうとお梅うめとも話をして居たが……お梅﹂
梅﹁おや宜く入いらっしゃいました、宜く田舎の人は重い物を脊し負ょってねえ﹂
婆﹁はい御無沙汰、はい己おらが屋敷内に実なりました柿で、重くもあるが何どうかまア渋が抜けたら孫に呉れべえと、孫に食わしてえばっかりで、重おめえも厭いとわず引ひっ提さげて来ましたよ……はア最う構わず、飯も食って来ましたから、途中で足い労つかれるから蕎麦ア食うべえと思って、両国まで来て蕎麦ア食ったから腹がくちい、構って下さるな…七兵衞さん、私わし参めえって相談致しますが、惣領の正太郎は私が方へ引ひき取とるから﹂
七﹁何なんで、何どういう訳で﹂
十四
婆﹁何ういう訳もねえ、おらが方へ来てえだ云うが、おらが方へ置きたくはねえが、お前めえ様さまア留守勝で家うちの事は御存じござんねえが、悪いた戯ずらは果はたすかは知らねえが、頑がん是ぜがねえ十とおにもなんねえ正太郎だから、少しぐれえの事は勘弁して下さえ﹂
七﹁あれさお婆さん極りを云って居るぜ、来ると愚痴を云うが、私わしの子だもの、奉公人も付いて居るわね……正太は又田舎のお婆さんに何か云ッつけたな﹂
正﹁何も云ッつけやアしない、お婆さんが彼あっ方ちへ連れて行くてえから行きてえや﹂
七﹁行きたいと﹂
婆﹁何ういう訳で大事の親おや父じをまず捨てゝ、己おらが方の田舎へ来てえ、不自由してもと児こゞ心ころにも思うは能よく〳〵だんべえと思うからお呉んなさえ、縁えん切きりでお呉んなさえ﹂
七﹁そんな馬鹿な事を云ってはいけません﹂
婆﹁何な故ぜそんならぞんぜえに育てるよ﹂
七﹁ぞんざいに育てはしませんよ﹂
梅﹁旦那……正太郎が云ッつけたのでお婆さんは然そうと思って居るのでしょう、私だっても頑是がないから、それは彼あれも我儘を致しますが、邪じゃ慳けんに育てることは出来ません、仏様の前も有りますから、私も来たての身の上で私が邪慳に育てるようなことは有りませんよ﹂
婆﹁邪慳にしないてえ、これが顋あごの疵きずは何うした、なぜ縁側から突つき落おとした、お女じょ郎うろだアから子を持ったことが無ねえから、子の可愛い事は知りますめえが、あんたに子が出来て御覧なさえ、一つでも打はたくことは出来ねえよ、辛いから児心にも己おらア方へ行きてえと云うのだ、おらは正太を此こ処ゝへは置かれましねえよ﹂
七﹁お婆さん何ど処こまでも正太は連れて行くと云うが、家督させようと云うので何う有っても遣やらぬてえば何うする﹂
婆﹁遣らぬと云えば命に掛けても連れて往いきやすべえ、打ぶったり擲たてえたりして疵を付けるような内へは置かれやしねえじゃアござんねえか、何処へ出てもお代官様へ出ても連れて行いくだア、はア﹂
七﹁そんな事を云って……正太手てめ前えお婆さんの方へ行きたいか﹂
正﹁行きたいや﹂
婆﹁それ見なさえよ、善よく云った、何うあっても縁切で﹂
七﹁そんなら上げましょう、其の代り何なんですぜ、お前まえさんの処とは絶交ですぜ﹂
婆﹁絶交でも何でも連帰りやすべえ﹂
七﹁行ゆき通かよいしませんよ﹂
婆﹁当りまえ、おらア方で誰が来こべえ、お前めえさんのような女房が死んで一周忌も経たねえ中うち、女じょ郎うろを買って子供に泣きを掛けるような人では、何どんな事が有ってもお前さんの側へは参めえりませんよ、碌ろくな物も喰わせねえではア﹂
梅﹁あゝ云うことを云って、正太が云ッつけるからですよ﹂
婆﹁何云ったって是が皆みんな知って居らア、何だ、さア正太来い﹂
と中々田舎のお婆さんで何と云っても聴きません。到頭強情で、正太郎を負おぶって連れて帰った。さア一つ災わざわいが出来ますと、それからとん〳〵拍子に悪くなります。
十五
翌年湯島六丁目の藤屋火事と申して、自宅から出火で、土蔵二ふた戸とま前え焼け落ち、自じ火かだから元の通り建てる事も出来ませんで、麻あざ布ぶへ越しましたが、それから九ヶ年過ぎますると寛政四壬みず子のえ年ねどし麻布大火でござります。市いち兵べえ衛ちょ町うの火事に全まる焼やけと成りまして、忽たちまちの間に土蔵を落す、災難がある、引続き商法上では損ばかり致して忽ち微禄して、只今の商あき人んど方がたと異ちがって其の頃は落るも早く、借財も嵩かさみ、仕方が無いから分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、行ゆく処ところもなく、越えっ中ちゅうの国射いみ水ずご郡おり高たか岡おかと云う処に、萬まん助すけという以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って行ゆき、大だい工くち町ょうという片かた側かわ町まちで、片側はお寺ばかりある処へ荒あら物もの店みせを出し、詰らぬ物を売って商い致す中うちに、お梅もだん〳〵慣れまして、外ほかに致いた方しかたも無いから人ひと仕しご事とを致しますし、碌には出来ませんが、前まえ町まちは寺が多いからお寺の仕事をします。和尚さんの着物を縫ったり、納なっ所しょ部べ屋やの洗濯をしたり、よう〳〵と細い煙りを立てまして居ります中うち、お話は早いもので、もう此の高岡へ来ましてから三年になりますが、大工町に宗そう慈じ寺じという真言宗の和尚さんは、永えい禪ぜんと申して年三十七でございます。此の人は誠に調子の宜いい和尚さんで、檀家の者の扱いが宜しいから信じまして、畳を替える本堂の障子を張はり替かえる、諸処を修繕するなど皆檀家の者が各かく番ばんに致す、田舎寺で大黒の一人ぐらいは置くが、この和尚は謹つゝ慎しみのよい人故仕事はお梅を頼み、七兵衞が来ると調子宜くして、
永﹁お前は以も前と大たい家けと云うが、災わざわいに遭あって微禄して困るだろう、資もと本では沢山は出来ぬが十両か廿両も貸そう﹂
と云って金を貸す。苦し紛れに借ると返せないから言訳に行くと、
永﹁もう十両も持って行いけ﹂
と三四十両も借財が出来ましたから、お梅は大事にしてはお寺へ手てづ伝たいに行ゆき宜く勤めます。ちょうど九月節句前、鼠木綿の着物を縫上げて持って行ゆくと、人が居ないから台所から上あがり、
梅﹁あの眞しん達たつさん、庄しょ吉うきちさん……居ないの、何どな方たも入いらっしゃいませんか﹂
永﹁誰たれじゃ﹂
梅﹁はい﹂
永﹁おゝお梅さんか、此こっ方ちへ来なさい﹂
梅﹁はい、まことに御無沙汰致しました﹂
永﹁いゝや最もう何どうも、もう出で来けたかえ、早いのう、今ねえ皆使つかいに遣やったゞ、眞達も庄吉も居ないで退屈じゃア有るし、それに雨が降って来た故﹂
梅﹁いゝえ大した雨でもございません、どうと来るようで又あがりそうでございますよ﹂
永﹁そうかえ、檀家の者も来ぬから一人で一杯遣って居たのよ、おゝ着物がもう出で来けたか、好よう出来た﹂
梅﹁お着きに悪くうございましょうが……お着悪ければ又縫直しますから召して御覧なさいまし﹂
永﹁好う出で来けた、一盃酌ついで呉れんかえ、何なんぼう坊主でも酒の酌しゃくは女おな子ごが宜ええ、妙なものだ、出家になっても女子は断念出来ぬが、何うも自然に有るもので、出家しても諦められぬと云うが、女子は何うも妙に感じが違う﹂
梅﹁旨いことを仰しゃること、あなた此の間の松かつ魚おぶ節し味み噌そね、あれは知れませんから又て来ましょう﹂
永﹁あれか、旨かった、あれ宜ええのう……一盃遣りなさい﹂
と一盃飲んでお梅に献さす、お梅が飲んで和尚に献す。その中うち酒の酔えいが廻って来まして、
永﹁眞達は帰りませんわ、大だい門もんまで遣ったが、お梅はんお前もまア一昨年から前町へ来て、彼あのようにまア夫婦暮しで宜よく稼ぎなさるが、七兵衞さんは以も前と大家の人ですが、運悪く田舎へ来てなア気の毒じゃ、なれど此の高岡は家やか数ずも八千軒もある処で、良い船ふな着つきの処とこじゃが、けれども江戸御府内にいた者は何ど処こへ行っても自由の足りぬものじゃ、さぞ不自由は察しますぞよ……お梅はん私わしをお前忘れたかえ、覚えて居まいのう﹂
十六
梅﹁はい覚えてと仰しゃるは﹂
永﹁私わしの顔を忘れたかえ、十三年も逢わぬからなア﹂
梅﹁そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃいましたことが有るの﹂
永﹁お前は以も前と根津の増田屋の小増という女じょ郎うろだね﹂
梅﹁あれ不思議な、旦那何どうして知れますの﹂
永﹁何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年前あと、九月の月つき末ずえからお前の処へ私わしも足を近く通った、私は水司又市だが忘れたかえ﹂
梅﹁おやまア何うも、旦那然そう仰しゃれば覚えて居ますよ、だけれどもお髪ぐしが変ったから些ちっとも分りませんよ……何うもねえ﹂
永﹁何うもたって私わしは忘れはせんぜ、お前此こ処ゝへ来ると直すぐ知れた、若いうち惚れたから知れるも道理、私は頭ア剃そりこかして此の宗慈寺へ直って、住職して最もう九年じゃアが、斯こうなってから今まで女おな子ごは勿論腥なまぐさい物も食わぬも皆お前故じゃア﹂
梅﹁私ゆえとは﹂
永﹁忘れやアしまい、お前が斯かよ様うじゃア、榊原藩の中根善之進は間ふか夫まじゃアからと云うて、金を私わしの膝へ叩き付けてな忘れやアしまい﹂
梅﹁あれ昔の事を云っては困りますね、年の往いかない中うちは下くだらないもので、女じょ郎ろう子供とは宜よく云ったもので、冥みょ利うりが悪いことで、その冥利で今は斯うやって斯う云う処へ来て、貧乏の世しょ帯たいにわく〳〵するも昔の罰ばちと思って居りますよ﹂
永﹁丁度あのそれ忘れやアせんで、あの時叩付けられたばかりでない、大勢で悪あっ口こう云われ、田舎武士と云って、手前などが女おな子ごを買っても惚れられようと思うは押おしが強いなどと云って、重役の権けんを振ふるって中根が打ちょ擲うちゃくして、扇子の要かなめでな面部を打割られたを残念と思って、私わしは七軒町の曲まが角りかどで待まち伏ぶせして、あの朝善之進を一刀に切ったのは私じゃアぜ﹂
梅﹁あれまアどうも﹂
永﹁宜よえか、斯こう打明けた話じゃが切ってしまって眼が醒さめて、あゝ飛んだ事をしたと思ったがもう為してしまい是非がない、とても屋敷には居いられない、外ほかに知しる己べがないから風ふっと思い付き、此こ処ゝに伯父が住職して居るから金まで盗んで高たか飛とびし、頭を剃そっこかして改心するから弟子にしてと云うて、成らぬと云うを強たって頼み、斯う遣やって今では住職になって、十三年も衣を着て居るもお前故じゃないか、人を殺したのもお前故じゃ﹂
梅﹁何うもねえ、然そうで、何うもねえまア、何うもねえ、元は私が悪いばかりで中根さんも然ういう事になり、罪作りを仕ましたねえ﹂
永﹁七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前故だ、是まで出家を遂とげても、お前を見て私わしは煩悩が発おこって出家は遂げられませんぜ﹂
梅﹁お前さん……あれ、何をなさる、いけませんよ、眞達さんが帰るといけません、あれ﹂
永﹁私わしももう隠居しても宜ええじゃア、どの様な事が有っても此こ処ゝは離れやアせんじゃ、後ごじ住ゅうを直して、裏うら路みちの寂しい処へ隠いん居きょ家やア建てゝ、大黒の一人ぐらいあっても宜えじゃア、七兵衞さんが得心なれば何うでもなる、此こっ方ちへ来て金も沢山貯めて居るが、嫌かえ、私はお前故斯う遣って人を殺して出家になり、お前が又来て迷わせる、罪じゃアないか﹂
とぐっと手を引き、お梅の脊中へ手を掛けて膝を突つき寄よせた時は、お梅はあゝ嫌と云うたら人を殺すくらいの悪僧、どんな事をするか知れぬ、何うかして此処を切抜け様と心配致すが、此の挨拶は何うなりますか、一ちょ寸っと一ひと息いきつきまして。
十七
藤屋の女房お梅は、十三年振で図はからずも永禪和尚に邂めぐ逅りあいまして、始めの程は憎らしい坊主と思いましたなれども、亭主が借財も有りますから一いッか遁のがれと思いましたも、固もとより汚よごれた身体ゆえ、何うかして欺だまし遂おおせて遁れようと言いくるめて居ります中うちに、度たび々〳〵参ると、彼むこ方うでも親切に致しますも惚れて居りますから、何事もお梅の云う通りに行ゆき届とゞき、亭主は窮して居りますから、固より不実意の女と見えて、永禪和尚の情にひかされて宗慈寺へ日ひど泊まりを致す様に成りましたが、お梅は年三十になりますから少ししがれて見えますが、色ある花は匂い失せずの譬たとえ、殊ことに以前勤めを致した身でございますから取廻しはよし、永禪和尚の法ころ衣もを縫い直すと申して、九月から十月の中頃まで泊り切りで、家うちはお繼という十二歳になる娘ばかりで、一日も帰って来ませんで、まことに不都合だから、藤屋七兵衞は腹立紛れに寺へ来て見ると、台所に誰たれも居りません。
七﹁庄しょ吉うきっさん……お留守でげすか……御免なせえ﹂
と納所部屋へ上って、
七﹁開けても宜ようがすか……おや眞達さんも誰も居ない、何ど処こへお出でなさった……旦那様お留守でげすか、お梅は居りませんか﹂
と納所部屋から段々庫く裏りから本堂の方へ来ると、本堂の後うしろに一ちょ寸っとした小座敷がございます、此こ処ゝにお梅と二人で差向い、畜生めという四つ足の置おき火ごた燵つで、ちん〳〵鴨だか鶩あひるだか小こな鍋べだ立ての楽しみ酒、そうっと立たち聴ぎゝをするとお梅だから、七兵衞はむっと致しますのも道理、身代を傾け、こんな遠国へ来て苦労するも此の女ゆえ、実に斯こう云うあまッちょとは知らなんだ、不実な奴と癇かん癖ぺきが込上げ、直ぐに飛込んで髻たぶさを把とってと云う訳にもいきません、坊主ですから鉄鍋の様に両方の耳でも把るか、鼻でもごうかと既に飛込みに掛りましたが、いや〳〵お梅もまさか永禪和尚に惚れた訳でも無かろう、この和尚に借金もあり、身代の為にした事かと己うぬ惚ぼれて、遠くから差配人が雪せっ隠ちんへ這入った様にえへん〳〵咳払いして、
七﹁御免なさい﹂
永﹁おゝ誰たれかと思うたら七兵衞さん、此こっ方ちゃへお這入りなさい﹂
七﹁へい御無沙汰を致しました、お梅が毎度御厄介に成りまして﹂
永﹁いゝやお前も不自由だろうが綿わた入いれ物ものが沢山有るので、着物を直すにもなア、あまり暮の節季になると困るから、今の中うちにと云うてな斯こうやって精出してくれる、私わしも今日は好よい塩あん梅ばいに寺に居て、今気がつきるから一杯と云うて居たが、好い処へ来たのう、相手欲しやの処へ幸いじゃアのう、さア一杯、さア此こっ方ちへ這入りなさい﹂
七﹁へい…有難うございます、お梅時々家うちへ帰って呉んな、のう子供ばかり残して店を明あけッ放ぱなしにして、頑がん是ぜねえお繼ばかりでは困るだろうじゃアねえか、此こち方らさまへ来ていても宜いいが、家を空からあきでは困るから云うのだ﹂
梅﹁あゝ、だからさ、もう沢たん山とお仕事もないから私は一ちょ寸っと帰ろうと思ったが、けれどもねえ、綿入物もして置こうと思って、二三日に仕舞になると思って、一いち時どきに慾張って縫って居るのさ、さぞ不自由だろうね﹂
七﹁不自由だって此こち方らさまでも仕事は夜でも宜いいやアな、昼の中うち店を明ッ放しにして、年も往いかねえ子供を置いて来て居ては困るからな、それに此方では夜の御用が多いのだろうから夜よな業べし仕ご事とにしねえな、昼は家で店番をして夜だけ此方さまへ来きねえな、おれも困るからよ﹂
永﹁あゝそれは然そうじゃア、内は夜で宜よい、まア詰らん物じゃアが一杯遣りなさい﹂
七﹁有難う……此のお座敷は今まで存じませんだったが、こんな小座敷はないと思って居りました、へえ此の頃お手入で、なるほど斯こう云う処がなければ不自由でしょうね、大層お庭の様子が違いましたな﹂
永﹁あゝ彼あそ処こに墓場が有るから参詣人が有るで、墓参りのお方に見えぬように垣根して囲かこったので﹂
七﹁なるほど左様で、墓場から覗のぞかれては困りましょうね、旦那は薬喰いと云うが、此の頃は大層腥なま物ぐさものを喰あがりますが、腥物を食ったって坊様が縛られる訳でもないからねえ、当あた然りまえで、旨い物は喰った方が宜ようがすね﹂
永﹁はい実はな時々養いに喰やるじゃ、魚喰うたとて何も咎とがめはないが、仏の云うた事じゃアから喰わぬ事に斯う絶って居おるが、喰うたからって何も其の道に違たごうてえ訳ではないのよ﹂
七﹁然そうでしょうね、これは然うでしょう、些ちっとは精分を付けなければなりませんね、旦那今日は御馳走に成ります積りで﹂
永﹁左様ともね﹂
七﹁実は旦那お願いが有りますが、お前さんにも拝借致しましたし、その上こんな事を云っては済みませんが、包つゝみを脊し負ょって僅わずか旅はた籠ごま町ちを歩いたぐらいでは何程の事も有りませんで、此の頃は萬助の世話で瞽ごぜ女ま町ちへ行ゆきますが、旅籠屋も有りますから些とは商いも、瞽女町だけにまア小間物は売れますが、荒物屋じゃア仕様がございません、それに今度金沢から大たい聖しょ寺うじ山やま中なかの温泉の方へ商いに行きたいと思いますのさ、就ついては小間物を仕込みたく存じますが、資もと本でが有りませんから、拝借のあるに願っては済みませんが沢たん山とは入りません、まア五十両有れば山中の温泉場へ行って、商いに少し利があれば金沢で物を買って来る、大きい方の商いは今までに覚えが有りますので、元私わたくしはお梅も知って居ますが、奉公人の十四五人も使った身の上で、此こい奴つは今は婆アですが若い中うちに了簡違いをして、此奴が来たからと云う訳でも有りませんが此こん様なに零れい落らくして、斯う云う処へ引ひっ込こみ、運の悪いので、する事なす事損ばかり、誠に旦那済まねえが御贔屓序ついでに五十両貸して呉くんなさいな﹂
十八
永﹁貸して遣やろうとも、お前が資もと本でにするなれば貸しましょう、宜よいわ、宜いが然そう云う事は緩ゆっくり相談しなければならん、何どの様ようにも相談しよう……おゝ酒が無くなったが折角七兵衞さんが来てのじゃ、酒がなければ話も出来ぬ、お梅さん御苦労ながら、門前では肴さかなが悪いから重箱を持って瞽女町へ往いって、うまい肴を買って七兵衞さんに御馳走して……お前遠くも瞽女町へ往って来て呉れんか、とてもうまいものは近辺にはないからのう﹂
梅﹁じゃア往って来ましょう﹂
七﹁往って来きねえ、御馳走に成るのだから……旦那え、お梅も追おい々〳〵婆アに成りましたが、あの通りの奴でね、また私も萬助より他に馴染がないので心細うございます、お梅も此こち方らへ上あがるのを楽しみにして居ります、旦那可愛がって遣って、あんな奴でも一ちょ寸っと泥水へ這入った奴で、おつう小利口なことをいうが、人間は余り怜りこ悧うではないがね、もし旦那、お相手によければ差上げますぜ、だが上げる訳にもいきませんかね、私わたくしも苦労を腹一杯した人間ですから、旦那が私わたしを贔屓にして下されば、話合いで貴あな方たは隠居でもなすってねえ、隠居料を取って楽に出来るお身の上に成ったら、その時にゃア御不自由ならお梅は仕事に上げッ切きりにしても構わねえという心さ﹂
永﹁そりゃまさか他ひ人との女房を借りて置く訳には往いかんが、仕事も出来る大黒の一人も置きたいが、他たけ見んが悪いから不自由は詮しょ事ことがないよ﹂
七﹁もしそれはお前さんの事だから屹きっ度と差上げますよ、それにお梅はお前さんに惚れて居りますぜ、ねえ宗慈寺の旦那様は何どうも御苦労なすったお方だから違う、あれでお頭つむりに毛が有ったら何うだろうなんぞと云いますぜ﹂
永﹁こりゃ、その様な詰らぬ事を云うて﹂
七﹁それは女じょ郎うろの癖が有りますから……浮気も無理は無いのです、もう酒は有りませんか﹂
永﹁今来るが、私わしはねえ酒を飲むと酒こなしを為しなければいかぬから、腹こなしを為する、お前見ておいで﹂
と藁わら草ぞう履りを穿はいてじんじん端ばし折ょりをして庭へ下りましたが、和尚様のじんじん端折は、丸まる帯ぐけの間へ裾すそを上から挟はさんで、後うし鉢ろは巻ちまきをして、本堂の裏の物置から薪まき割わりの柄えの長いのを持って来て、ぽかん〳〵と薪を割り始めましたが、丁度十月の十五日小こは春るな凪ぎで暖かい日でございます。
七﹁旦那妙なことをなさるね﹂
永﹁いや庄吉は怠けていかぬから私わしが折おり々〳〵割るのさ、酒を飲んだ時はこなれて宜いいよ﹂
七﹁なるほど是れは宜ようございましょう、跣はだ足しで土を踏むと養くす生りだと云いますが、旦那が薪を割るのですか﹂
永﹁七兵衞さん薪炭を使わんか、檀家から持って来るが、炭は大だい分ぶ良い炭じゃア、来て見なんせ……此こっ方ちゃに下駄が有るぞえ﹂
七﹁何ど処こに下駄が﹂
永﹁それ其そ処こに見なさい﹂
七﹁成程これは面白い妙な形なりで、旦那の姿が好いいねえ、何うもあなた虚み飾えなしに、方丈様とか旦那様とか云われる人の、薪を割るてえなア面白いや﹂
永﹁七兵衞さん、先さっ刻きお前、私わしにおつう云いい掛かけたが、お前はお梅はんと私と訝おかしな事でも有ると思って疑うたぐって居やアせぬか﹂
七﹁旦那もし、私が疑ぐるも何もねえ、貴方が隠居なさればお梅を上あげ切きりにしても宜いいので、疾とうに当人も其の心が有るのだから、その代りにねえ貴方﹂
永﹁おい〳〵私わしはお前まはんのな女房を貰い切りにしたいと何い時つ頼みました﹂
七﹁頼まねえと、頼んでも宜いいじゃアねえか、吸すい涸からしではお気に入りませんかえ﹂
永﹁これ私わしも一いっ箇か寺じの住職の身の上、納所坊主とは違うぞえ、それはお前まはんがお梅さんと私が訝おかしいと云うては、夫ある身で此の儘には捨置かれんが﹂
七﹁捨置かれんたってお前まえさんも分りませんね、お梅はお前さんと何うなって居ると云うのは眼が有りますから知っては居ますが、何も苦労人の藤屋七兵衞知らねえでいる気遣いはねえのさ﹂
永﹁こりゃ私わしは覚えないぞ、えゝや何う有っても、そんな事をした覚えないわ﹂
と大声を揚げて云うより早く、柄の長い大おお割わりという薪割で、七兵衞の頭上を力に任せ、ずうーんと打つと、
七﹁うーん﹂
と云いつゝ虚空を掴つかんで身を顫ふるわしたなりで、只たった一ひと打うちに致しましたが、これが悪い事を致すと己おのれの罪を隠そうと思うので、また悪事を重ねるのでございますから、少しの悪事も致すもので有りません。少しの悪事でも隠そうと思って又重ねる、又其の罪を隠そうと思っては悪事を次第々々に重ねて猶なおまた悪事に陥ります。毛筋ほどでも人は悪い事は出来ませんものでございます。永禪和尚は毒喰わば皿まで舐ねぶれと、死骸をごろ〳〵転がして、本堂の床下へ薪割で突つき込こみますのは、今に奉公人が帰って来てはならぬと急いで床下へ深く突つき入いれました。
十九
お繼という七兵衞の娘は今年十三になりますが、孝心な者でございます。母おふ親くろが居りませんに、また父おや親じが見えませんから、屹きっ度と宗慈寺様へ行って居いるので有ろうと、自分も何い時つも此の寺へ参りますと、和尚に物を貰って可愛がられるから度たび々〳〵参りますので、勝手を存じて居りますから、
繼﹁お父とっ様さんは居りませんか、お母っかさんは﹂
と納所部屋を捜しても居りません。すると本堂の次が開いて居りますから、其そ処こへ来ると草ぞう履りが有りますから庭へ下りまして、
繼﹁おや和尚様お母さんは居りませんか、お父様は﹂
と屈こゞんで云いましたが、女の子は能よく頭かしらを斯こう横にして下を覗のぞく様にして口を利くものでございますが、永禪は只と見ると飛んだ処へ来た、年は往いかぬが怜りこ悧うな娘、こりゃ見たなと思ったから、物をも云わず永禪和尚柄の長い薪割を振上げて追おっ掛かけたが、人を殺そうという剣幕、何なんともどうも怖いから、
繼﹁あれえ﹂
ばた〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵と庭を逃げる、跡を追掛けて行ゆき、門の処まで追掛け、既に出ようとする時お梅が帰って来て、
梅﹁まア旦那何うなすったよ、みっともないよ﹂
永﹁おゝ宜いい処へ来た﹂
梅﹁もし何ですよ、お繼はキエ〳〵と云って駈けて往ゆきましたが、貴方もみっともないよ跣はだ足しでさ﹂
永﹁一ちょ寸っとお前此こ処ゝへ来な……お梅はん、お繼が逃げたから最もう是までじゃア、詮しょ事ことがない、さア私わしも最早命はない、お前も同罪じゃでなア、七兵衞さんはお前と私わしの間なかを知って五十両金の無心、二つ三みつ云いい合おうたが、知られては一大事、薪割でお前の亭主を打殺したぜ﹂
梅﹁あれまアお前さん、何だってねえ﹂
永﹁さア〳〵殺す気もなかったが、是も仏説で云う因縁じゃア、お前まはんに迷ったからじゃア、お前まえは藤屋七兵衞さんを大事に思う余り私わしの云う事を聴いたろうが、お繼が駈けて来て床下を覗いてお父様はと云うたから、見たと思うて追おい掛かけたが、お繼を欺だまして共に打殺し、私と一緒に逃げ延びて遠い処へ身を隠すか、否いやじゃアと云えば弐ふた心ごゝろじゃア、お前も打殺さなければならん﹂
梅﹁何だってまア、そんな事を云ったって、お繼はお前さんが可愛がるから仮たと令え見たとって、よもや貴方が親父を殺したとは気が付くまいと思いますから、其そ処こがまだ子供だから分る気きづ遣かいは有りませんよ、私が篤とっくり彼あの子の胸を聞きますからさ﹂
永﹁じゃアお前が連れて来れば宜よい﹂
梅﹁まアお待ちなさい、当人を連れて来て全く見たなら詮しか方たもないが、見なければ殺さなくっても宜いいじゃアないか﹂
永﹁知らぬければ宜えいが、ありゃお前の実ほんの子じゃ有るまいが﹂
梅﹁だって三みッ歳つの時から育てゝ、異ちがった子でも可愛いと思って目を掛けましたから、彼あの子も本当の親の様にするから、私も何うか助けとうございますわ、あれまア何うでもするから待って下さいよ﹂
と話をして居る処へ寺男が帰って来て、
庄吉﹁はゝ只今帰りました﹂
永﹁おゝ帰ったか﹂
男﹁へえー彼あっ方ちゃ様さまへ参めえりますと何いずれ此こっ方ちゃから出向かれまして、えずれ御相談致しますと、そりゃはや何事も此方から出でむ向かれましてと斯かよ様うにしば〳〵と申されまして、宜しくと仰せ有りましたじゃと﹂
永﹁おゝ手前あのなに何へ行って大仏前へ行ってな、常ひた陸ち屋やの主ある人じに夜よになったら一ちょ寸っと和尚が出て相談が有るからと云うて、早く行って﹂
男﹁はい左さ様よか、行いて参まいるますと﹂
永﹁お梅早く先へ帰りな﹂
梅﹁じゃア私は先へ帰ります﹂
永﹁潜ひそかに今宵忍んでお前の処へ行ゆくぜ﹂
梅﹁そうして死骸は﹂
永﹁しい、死骸で庭が血のりだらけに成ってるから、泥の処は知れぬように取とり片かた付づけて置いた、なそれ、縁の下へ彼あの様に入れて置いたから知れやアせん、江戸と違って犬は居ず、埋うずめるはまア後あとでも宜よい、お前は先へ帰りな﹂
梅﹁はい〳〵﹂
と云いますが、お梅は此こ処ゝに長居もしませんのは脛すねに疵きず持ちゃ笹さゝ原はら走るの譬たとえで、直すぐに門前へ出まして、これからお繼を捜して歩きましたが、何ど処こへ行ったか頓とんと知れなかったが、漸ようやく片かた原はら町まちの宗そう円えん寺じという禅宗寺から連れて来ました。この宗円寺の和尚さんは老人でございますからお繼を可愛がりますので、此の寺に隠れて居りましたのを連れて帰り、
梅﹁まアお前何処へ行って居たかと思って方ほう々〴〵捜したよ﹂
繼﹁はい宗円寺様へ行って居たのでございますわ﹂
梅﹁何でお前逃出したのだよ﹂
繼﹁あのお母っか様さん怖いこと、宗慈寺の和尚様が薪割を提さげて殺して仕舞うってね、怖くって一生懸命に逃げたけれど、行ゆく処がないから宗円寺様へ逃込んだの﹂
梅﹁お前本当じゃアないよ、嚇おどかしだよ、からかったのだね﹂
繼﹁いゝえ、おからかいでないの、一生懸命の顔で怖いこと〳〵﹂
梅﹁一生懸命だって、お前まいを可愛がって御おも供りも物のや何か下さる旦那さまだもの、ほんのお酒の上だよ﹂
繼﹁然そう、私わたしゃねお父とっ様さんを捜しに往ったの﹂
二十
梅﹁お父とっ様さんはあのお商いも隙ひまだから、あの金沢から山中の温泉場の方へ商いに往って、事に依ったら大阪へ廻って買出しを致したいからと云って、些ちっとばかり宗慈寺様からね資もと本でを拝借したのだよ、そうして買出しかた〴〵お商いに往ったから、半年や一年では帰らないかも知れないよ、その代り確しっかり仕入れて、以も前との半分にも成れば、お繼にも着物を拵こしらえて遣やられると云って、お前が可愛いからだね﹂
繼﹁そう、お父様が半年も帰らないと私は一人で寝るの﹂
梅﹁宜いいじゃないか、私が抱いて寝るから﹂
繼﹁嬉しい事ね、あの他よ処その子と異ちがって私は少ちいさい時からお父様とばかり一緒に寝ましたわ、お母っかさんと一緒に寝られるなら何い時つまでもお父様は帰らないでも宜よいの﹂
梅﹁然そうかえ、私と寝られゝばお父様は帰らないでも嬉しいとお思いかえ、然うお云いだと誠にお前がなア憫かわ然いそうで、なに可愛くなってね、どんなに私が嬉しいか知れないよ、本当に少さいうちから抱いて寝たいけれども、何だか隔てゝいる中で、己おれが抱いて寝るとお父とっさんに云われたが、お前の方から抱だかって寝たいと云うのは真しんに私は可愛いよ﹂
繼﹁私も本当に嬉しいの﹂
梅﹁あのお前私がお膳ぜん立だてするから、お前仏様へお線香を上げなよ、お父様へ、いえなにお先祖様へ﹂
とお梅は不ふび便んに思いますから膳立をして、常と異ちがってやさしくお繼に夕ゆう飯めしを食べさせ、あとで台所を片付けてしまい、
梅﹁お繼お前表口の締りをおしよ﹂
繼﹁はい﹂
とお繼は表の戸とじ締まりを為しようと致しますると、表から永禪和尚が忍んで参りまして、
永﹁お梅〳〵﹂
梅﹁はい今開けます、旦那でございますかえ﹂
と表を開あける。永禪が這入るを見るとお繼は驚きまして、
繼﹁あゝれ﹂
と鉄かな切きり声ごえで跣はだ足しでばた〳〵と逃出しますので。
永﹁あゝ恟びっくりした、何なんじゃい﹂
梅﹁今お前さんの顔を見てお繼が逃出したので﹂
永﹁おゝ左そ様うか、お繼は最前の事は何どうじゃ、死骸を隠した事は怜りこ悧うだから見たで有ろう﹂
梅﹁いゝえ見ませんよ﹂
永﹁いや見たじゃ﹂
梅﹁見やアしませんよ、お前さんは心配していらっしゃるが大丈夫ですよ﹂
永﹁然うかえ﹂
梅﹁お父様はと聞きますからお父様は山中の温泉場から上方へ往ったから、一二年帰らないと云ったら、私に抱かって寝られゝば帰らないでも宜いいと云います、お父さんは何ど処こへ往ったと聞くくらいだから知りませんよ﹂
永﹁知らぬか﹂
梅﹁大丈夫でございます、知る気きづ遣かいないと私は見抜いたから御安心なさいよ﹂
と云うので、是から亭主が無いから毎晩藤屋の家うちへ永禪和尚忍んで来ては逢引を致します。心しん棒ぼうが曲りますと附いて居る者が皆みな曲ります、眞達という弟子坊主が曲り、庄吉という寺男が曲る。旅たび魚さか屋なやの傳でん次じという者が此の寺へ来て、納所部屋でそろ〳〵天下御ごせ制いき禁んの賭いた博ずらを為する、怪けしからぬ事で、眞達は少しも知らぬのに勧められて﹇#﹁勧められて﹂は底本では﹁勤められて﹂﹈為ると負ける。
傳﹁眞達さん冗談じゃねえ、おいお前金を返さなくっちゃアいけねえ﹂
眞﹁今は無なえよ﹂
傳﹁今無くっちゃア困るじゃアねえか﹂
眞﹁無ねえ物を無理に取ろうて云うも無理じゃアねえか、だらくさい事を云いおるな﹂
傳﹁無ねえたってお前己おれが受ければ払いを附けなければ成らねえ﹂
眞﹁今無なえから袈けさ裟ぶ文ん庫こを抵か当たに預ける﹂
傳﹁こう袈裟文庫なんぞ己おらっちが抵当に預かっても仕様がねえ﹂
眞﹁是が無くては法事に往いくにも困るから、是をまア払うまで預かって﹂
傳﹁そんな事を云って困るよ、おい眞達さん一ちょ寸っと聞きねえ、まア此こ処ゝへ来きねえ﹂
と次の間へ連れて往いきまして
﹁こうお前めえ和尚に借りねえ﹂
眞﹁師匠だって貸しはしなえ﹂
傳﹁貸すよ﹂
眞﹁いや此の間私わしが一両貸しゃさませと云うたら何に入るてえ怖ろしい眼まなこして睨ねらんだよ、貸しはせんぞ﹂
傳﹁お前めえいけねえ、和尚は弱い足元を見られて居るぜ、お前知らねえのか、藤屋の亭主は留守で和尚は毎晩しけ込んで居る、一いっ箇か寺じの住職が女にょ犯はんじゃア遠島になる、己おらア二度見たぜ﹂
眞﹁じゃア藤屋の女じゃ房あまと悪い事やって居るか﹂
傳﹁やって居るよ、己ア見たよ﹂
眞﹁それははや些ちっとも知らぬじゃ﹂
傳﹁斯こう為しねえ、彼あす処こへ往ってお前が金を貸してと云えば、否いや応おうなしに貸そうじゃアねえか﹂
眞﹁成程、じゃア私わしが師匠に逢おうてお前様お梅はんと寝て居りみすから、私に何うか賭ばく博ちの資もと本でを貸してお呉んなさませと云うか﹂
傳﹁そんな事を云っちゃア貸すものか、そこがおつう訝おかしく云うのだ、人間は楽しみが無くってはいけません、私わたくしも女を抱いては寝ませんが、瞽女町へ往って芸者を買ったとか、娼じょ妓うろを買ったとか、旨いものが喰いたいから、二十両とか三十両とか貸せと云えば、直じきに三十両ぐらえは貸すよ、お前めえさんはお梅さんの酌でお楽たのしみぐらいの事を云いねえ﹂
眞﹁むう、巧うまい事を教えて呉れた、有難い〳〵﹂
と悦びまして、馬鹿な坊主で、じん〳〵端ばし折ょりで出掛け、藤屋の裏口の戸の節穴からそっと覗のぞくと、前に膳を置いて差向いで酒を飲んで居りますから、小声で、
眞﹁もしお梅はん〳〵﹂
二十一
梅﹁誰だえ﹂
眞﹁ちょっと開けてくださませ﹂
梅﹁誰だえ﹂
眞﹁眞達で、旦那に逢いたいので、一ちょ寸っとなア﹂
永﹁居ないてえ云え﹂
梅﹁あの旦那は此こち方らにおいでなさいませんが﹂
眞﹁その様なことを云うてもいかぬ、そこに並んで居るじゃ﹂
永﹁あゝ覗のぞいて居やアがる﹂
梅﹁おや覗いたり何かして人が悪いよ﹂
永﹁障子閉たてゝ置けば宜よいに﹂
梅﹁さア此こ方ちへお這入んなさい﹂
永﹁いや今近おう江み屋やへ往ってのう、本堂の修しゅ繕ぜんかた〴〵相談に往って、帰り掛に一寸寄ったら、詰らぬ物だが一杯と云うて馳走になって居いるじゃ、今帰るよ﹂
眞﹁帰らぬでも宜ええので、檀家の者が来ればお師匠さんが程の宜え事云うて畳替えも出で来け、飛とび石いしが斯こうなったとか何なんとか云えば檀家の者が寄進に付く、じゃけれど此こっ方ちゃも骨が折れる、檀家の機嫌気づまとるは容よう易えなものじゃアないじゃて、だから折々は気晴しも無ければ成らん、気を晴さんでは毒じゃ、泊っても宜ええがじゃ、眞達が檀家の者は宜え様にするから泊っても宜えがにして置くじゃ﹂
永﹁いや直じきに帰ります﹂
眞﹁もしお梅はん、大事に気晴しのなるようにして呉れんなさませ…あゝ私わしゃなア済まぬが金かね十両借りたいが、袈裟文庫を抵か当たに置くから十両貸してくんなさませ﹂
永﹁此こい奴つ此こな間いだ三両貸せてえから貸したが返さぬで、袈裟文庫、何なんじゃえ、出家の身の上で十両などと、汝われが身に何で金が入いる﹂
眞﹁此こな間いだ瞽女町へ往て芸者を買こうたが、面白くって抱いて寝るのではないが遊んだので、借金が有るから袈裟文庫を預けようと思うたが、明あし日た法事が有っても困りますから、是を貴あん方たへ預けて置いて、明日法事が有れば勤めてお布施で差引く﹂
永﹁黙れ、何だ二三百のお布施で埓らちが明くかえ、貸されぬ、うーん悪い処ところへ往ゆき居おって、瞽女町で芸者買うなんて不埓千万な奴じゃア﹂
眞﹁然そう云いやすなね、人は楽たのしみが無ければ成らぬ、葬とも式らいが有れば通夜に往いて眠い眼で直すぐに迎い僧を勤め、又本堂へ坐って経を読むは随分辛いが、偶たまには芸者の顔も見たい、人間に生れて何も出家じゃアって人間じゃア、釈迦も私わしも同じ事じゃ、済まぬが一ちょ寸っと、貴あん方ただって種いろ々〳〵此こっ方ちゃへ来てお梅はんとねえ、何事もないじゃアねえ、お梅はんと気晴しに一杯やれば甘うまいから、お互に一寸は楽しみをして気を晴らさんでは辛い勤めは出で来けん、お梅はんの処へ泊っても庄吉にも云わぬじゃ、私が心一つで﹂
永﹁うーん種々な事を云うな……貸すが跡で返せ、それ持って往ゆけ﹂
眞﹁有難い、これども……お梅はん余あんまり大だい切じに仕過ぎて、旦那の身体悪うしては成らぬから、こりゃはやおやかましゅう﹂
とさあッ〳〵と帰って来て、
眞﹁傳次さん貸したぜ﹂
傳﹁え﹂
眞﹁貸した﹂
傳﹁何うだい貸したろう﹂
眞﹁えらいもんじゃア十両貸した﹂
傳﹁なんだ十両か、たったそればかり﹂
眞﹁いや初めてだから十両、又追おい々〳〵と云うて貸りるのじゃ﹂
などと是から納所部屋にて勝負事をする。予かねて二番町まちの会所小川様から探索が行ゆき届とゞき、十分手が廻って居いるから突だし然ぬけに手が入りました。
﹁御用〳〵﹂
と云う声に驚きましたが、旅魚屋の傳次は斯う云う事には度たび々〳〵出会って馴れて居るから、場ばせ銭んを引ひっ攫さらって逃出す、庄吉も逃出し、眞達も往ゆく処がないから庫く裏りから庭へ飛下り、物置へ這入って隠れますと、旅魚屋の傳次は本堂へ出ましたが、勝手を知らんから木魚に躓つまづき、前へのめる機はずみに鉄かな灯どう籠ろうを突飛し、円まる柱ばしらで頭を打ちまして経きょ机うづくえの上へ尻餅をつく。須しゅ弥みだ壇んへ駈け上ると大日如来が転ひっ覆くりかえる。お位牌はばた〳〵落ちて参る。がら〳〵どんと云う騒ぎ。庄吉は無闇に本堂の縁の下へ這込みます。傳次は馴れて居るから逃げましたが、庄吉は怖こわ々〴〵縁の下へ段々這入りますと、先に誰か逃込んで居るから其の人の帯へ掴つかまると、捕とり物ものの上手な源げん藏ぞうと申す者が潜もぐって入いり、庄吉の帯を捕とらえて、
源﹁さア出ろ〳〵﹂
と引ひき出いだす。
庄﹁こりゃはい迚とても〳〵、どもはや私わしは見て居おったので﹂
自分の掴まえて居いる帯を放せば宜よいに、先の人の帯を確しっかりと捉とらえて居たからずるずると共に引ひき摺ずられて出るのを見ると、顔がん色しょく変じて血に染そみた七兵衞の死骸が出ますと云う、これから永禪和尚悪事露顕のお話、一寸一息つきまして。
二十二
お話は両ふたつに分れまして、大工町の藤屋七兵衞の宅へ毎夜参りまして、永禪和尚がお梅と楽しんで居ります。すると丁度真夜中の頃に表の方から来ましたのは眞達と申す納所坊主…とん〳〵、
眞﹁お梅はん〳〵ちょと明けてお呉くんなさい﹂
梅﹁はい…旦那、眞達はんが来ましたよ﹂
永﹁あゝ来やアがったか、居ないてえ云え、なに、いゝえ来ぬてえ云えよ﹂
梅﹁あの眞達さん、何の御用でございますか﹂
眞﹁旦那にお目に懸りたいのでげすが、何どうぞ一ち寸と和尚さんに逢わしてお呉んなさい﹂
梅﹁旦那はあの今夜は此こち方らにお出でなさいませんよ﹂
眞﹁そんな事を云うても来てえるのは知っているからえけません、宵にお目に懸って此こっ方ちゃに泊っても宜えいと云うたのだから﹂
永﹁じゃア仕方がない、明けて遣やれ﹂
と云うので、仕様がないからお梅が立って裏口の雨戸を明けますると、眞達はすっとこ冠かぶりにじんじん端ばし折ょりをして、跣はだ足しで飛込んで来ました。
永﹁何なんじゃ、どうした﹂
眞﹁お梅はん、後あとをぴったり締めてお呉んなさい、足が泥になってるから此の雑巾で拭きますからな﹂
永﹁何う為しよったじゃア、深しん更こうになってまア其の跣足で、そないな姿なりで此こ処ゝへ来ると云う事が有るかな、困った者もんじゃア、此処へ来い、何うした﹂
眞﹁和尚さん最前なア、私わしア瞽女町で芸者買って金が足りないから貴あな方たに十両貸してお呉んなさいましと、まアお願い申しましたが、あの金と云うものは実はその芸者や女じょ郎うろを買ったのではないので、実はその庄吉の部屋でな賭ばく博ちが始まって居ります所へ浮うっかり手を出して負けた穴あな塞ふさぎの金でございます﹂
永﹁此こい奴つ悪い奴じゃアぞ、己おのれ出家の身の上で賭博を為するとは怪けしからん、えゝ何じゃア其そ様んな穴塞ぎの金を私わしにを借かりるとは何ういう心得じゃア﹂
眞﹁それは重じゅ々う〳〵悪いがな、あれから帰って庄吉の部屋で賭博して居りますと、其そ処こへ二番町の町会所から手が這入ったので﹂
永﹁それ見ろ、えらい事になった、寺へ手の這入るというは此の上もない恥な事じゃアないか、どゞゞ何うした﹂
眞﹁私わしも慌あわてゝな庭の物置の中へ隠れまして、薪の間に身を潜めて居りますると、庄吉め本堂の縁いんの下へ逃げて這込んで見ると、先に一人隠れて居える奴が、ちま〳〵と其処に身を潜めて寝ねまって居ります所へ、庄吉が其そや奴つの帯へ一心に噛かじり付いて居える所へ、どか〳〵と御ごよ用うき聞ゝが這は入えって来て、庄吉の帯を取ってずる〳〵と引出すと、庄吉が手を放せば宜えいに、手を放さぬで居えたから、先に這は入えった奴と一緒に引ずり出されて来る、庄吉は直すぐに縛られてしまい、又是は何者か顔を揚げいと髻たぶさを取って引起すと若もし……此こ処ゝな家うちの夫とゝまの七兵衞さんの死骸が出たのじゃが﹂
永﹁えゝ何……死骸それは……どゞどうして出た﹂
眞﹁何うして出たもないもんじゃ、あんたは此こ所ゝなお梅はんと深い中になって、七兵衞さんが在あっては邪魔になるからと云うので、あんた七兵衞さんを殺して縁いんの下へ隠したじゃろう、隠さいでも宜えいじゃアないか、えゝ左そ様うじゃないか、直ぐに庄吉は縛られて二番町の町会所へ送られ、私わしは物置の中に隠れて居えて見付からなかったから、漸ようよう這出して、皆出た後あとでそうっと抜出して此処まで来たのでげすがな、私がぐずぐずしてると直すぐに捕つかまります、捕まって打ぶち叩はたきされて見れば、庄吉は知らぬでも私は貴あん方たが楽しんで居える事は知って居えるから、義理は済まぬと思いながらも打ぶたれては痛いから、実は師匠の永禪和尚はお梅はんと悪い事をして居ります、それ故七兵衞さんを殺して縁いんの下へ隠したのでございましょうと私が云うたら、あんたも直に縛られて行って、お処しお刑きを受けんではなるまいが、そうじゃないか﹂
永﹁ふうーん﹂
眞﹁ふうーんじゃない、斯うしてお呉んなさい、私わしは遠い処へ身を隠しますから旅ろぎ銀んをお呉んなさい、三十両お呉んなさい﹂
永﹁そりゃまア宜く知らしてくれた、眞達悪い事は出で来けぬものじゃな﹂
眞﹁出で来けぬたって殺さいでも宜えいじゃないか、仮たと令い殺しても墓場へでも埋うめれば知れやアせんのじゃ﹂
永﹁庄吉にも汝てまえにも隠し、汝てまいたちの居ぬ折に埋めようと思って少しの間凌しのぎに縁の下へ入れると、絶えず人が来るし、汝てまいや庄吉が絶えず側に居いるから、見られては成らぬと思って、拠よんどころなく床下へ入れた儘まゝにして置いたが私わしの過あやまりじゃな﹂
眞﹁過りでも宜えいが、路銀をお呉んなさいよ﹂
永﹁路銀だって今此処に無いからな、その路銀を隠して有る所から持って来るが、死人が出たので其処へ張番でも付きやアしないか﹂
眞﹁張番所どころでない、手先の者も怖い怖いと思って、庄吉を縛って皆附いて行ってしもうて、誰たれも居ませんわ﹂
永﹁お梅、何をぶる〳〵慄ふるえる事はない、其そん様なにめそ〳〵泣いたって仕様が無い、是れ七兵衞さんの褞どて袍らを貸しな、左そ様うして何か帯でも三尺でも宜えいから貸しな、己はちょっと往って金を持って来るから、少し待ってろ、其の間にどうせ山越しで逃げなければ成らぬから、草わら鞋じに紐を付けて、竹かわ皮づゝ包みでも宜いから握むす飯びを拵こしらえて、松かつ魚ぶ節しも入いるからな、食くい物ものの支度して梅干なども詰めて置け、己は一寸往って来るから﹂
二十三
永禪和尚も最もう是までと諦らめ、逐電致すより外ほかはないと心得ましたから、覗のぞきの手拭で頬ほゝ冠かぶりを致し、七兵衞の褞どて袍らを着て三尺を締め、だく〴〵した股ぱっ引ちを穿はきまして、どうだ気が利いてるだろうと裾すそをからげて、大工町の裏道へ出まして、寺の門へこわ〴〵這入って見ると、一向人がいる様子もござりませんから、勝手を知った庭伝いに卵らん塔とう場ばへ廻って自分の居間へ参り、隠して有りました所の金かね包づゝみを取出して、丁度百六拾金ばかり有りますのを、是を懐中へ入れて、そっと抜け出して来ました。又災わざわいも三年置けばと申す譬たとえの通りで、二にじ十ゅ五う歳ごの折に逃げて来ました其の時に、大の方は長くっていかぬから幾いく許らかに売払ったが、小が一本残って居りましたから、まさかの時の用心にと思って短かいのを一本差して、恐こわ々〴〵藤屋七兵衞の宅へ帰って来まして、
永﹁さア早く急げ〳〵﹂
と云うので、お梅は男の様な姿に致しまして、自分も頭にはぐるりと米こめ屋やか冠ぶりに手拭を巻き付けて皆形なりを変えましたが、眞達も其の後あとからすっとこ冠りを致し、予かねて袈裟文庫を預けて有ったが、これはまた何ど処こへ行っても役に立つと思って、その文庫をひっ脊し負ょって、せっせと逃出しました。これから富とや山まへ掛って行ゆけば道順なれども、富山へ行くまでには追おい分わけから堺さかいに関所がございますから、あれから道を斜はすに切れて立たて山やまを北に見て、だん〴〵といすの宮から大おお沓くつ川がわへ掛って、飛ひ騨だの高たか山やま越ごえをいたす心でございますから、神じん通つう川がわの川上の渡しを越える、その頃の渡し銭は僅わずか八文で、今から考えると誠に廉やすいものでござります。無むや暗みに駈通しに駈けまして、五里足らずの道でございますが、恐いが一生懸命、疵きず持つ足に笹原走ると、草くた臥びれを忘れて夜通し無暗に逃げて、丁度大沓へ掛って来ますると、神通川の水音がどうーどっと聞える。山から雲が吹出しますと、ぱら〳〵〳〵と霙みぞれが額へ当ります。
永﹁あゝー寒い、大だい分ぶ遅れた様子じゃな、眞達はまだ来ぬかな……眞達ようー〳〵﹂
眞﹁おおい﹂
永﹁早う来んかなア﹂
眞﹁来こうと云うたてもなア、お梅はんが歩けんと云うから、手を引ひっ張ぱったり腰を押したりするので、共に草臥れるがな、とても〳〵足も腰も痛んで、どうも歩けぬので﹂
永﹁確しっかりして歩かんではいかぬじゃアないか﹂
梅﹁歩かぬじゃいかぬと云ったってお前さん、休みもしないで延のべ続つゞけに歩くのだもの、何どうして歩けやアしませんよ﹂
永﹁しらりと夜が明け掛って来て、もうぼんやり人ひと顔がおが見える様に成って来るが、この霙の吹ふっ掛かけでぱったりと往来は止まって居いるが、今にも渡しが開あいて、渡しを渡って此こ処ゝへ来る者が有れば、何でも三人だと、何う姿を隠しても坊主頭は後うしろから見れば毛の無いのは分るから、眞達手前はなア三拾両金かね遣やるがなア、此処から別れて一人で行いんでくれ、己はお梅を連れて高山越えをする積りだから﹂
眞﹁私わしも其の方が宜えいのでげす、斯こうやって三人で歩くと、私はお梅はんを労いたわり、あんたは無暗に駈けるから歩けやアしない、どうも私は草臥れていかぬ、それじゃア三十両お呉んなさい、その方が私は仕合せじゃ﹂
永﹁うん然そうか、今金を遣るから、若もし渡し口の方から此こっ方ちゃへ人でも来ると何うも成らぬから、模様を見て居てくれ、金の勘定をするからよう、封を切って算かぞえる間向うを見て居ろよ﹂
眞﹁まだ渡しは開きやアしません、この霙の吹ッかけでは向うから渡って来やアしますまい﹂
と眞達が浮うっかり渡し口に眼を着けて居りますると、腰に差して居りましたる重ね厚あつの一刀を抜くより早く、ぷすりっと肩先深く浴あびせますと、ごろり横に倒れましたが、眞達は一生懸命、
眞﹁やアお師匠さん、私わしを殺す気じゃな﹂
とどん/″〳〵″〳〵″\と死しに物もの狂ぐるい、縋すがり付いて来る奴を、
永﹁えゝ知れたこっちゃ、静かにしろ﹂
と鳩みぞ尾おちの辺あたりをどんと突きまする。突かれて仰あお向むきに倒れる処を乗のッ掛かゝって止とゞめを刺しました処が、側に居りましたお梅は驚いて、ぺた〳〵と腰の抜けたように草くさ原はらへ坐りまして、
梅﹁旦那﹂
永﹁えゝ確しっかりせえ﹂
梅﹁確かりせえと云ったって、お前さん酷ひどい事をするじゃないか、眞達さんを殺すなら殺すと云ってお呉れなら宜いいに、突だし然ぬけで私は腰が抜けたよ﹂
永﹁えゝもう宜よいや、そんな意い気く地じのない事で成るか﹂
と眞達の着物で血のりを拭って鞘に納め、
永﹁さア来い﹂
と無暗に手を引いて渡わた場しばへ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹さゝ沢ざわ、のり原ばら、いぼり谷たに、片かた掛かけ、湯ゆの谷たにと六里半余の道でござりますが、これから先は極ごく難なん所じょで、小さい関所がござりますから、湯の谷の利りす助けと云う家うちへ泊りました。是れは本当の宿屋ではない、その頃は百姓家やで人を留めました。此処で、
永﹁お梅、厭いやでも有ろうけれども頭を剃って呉れえ、どうも女を連れて行ゆけば足が付くから﹂
と厭がるお梅を無理無体に勧めて頭を剃らせましたが、年はまだ三十で、滅相美しいお比びく丘さ様まが出来ました。当人も厭ではあろうが、矢張身が怖いから致し方がない。
永﹁さ、幸い下に着て居る己の無地の着物が有るから、是を内うち揚あげをして着るが宜よい﹂
と云うので、是から永禪和尚の着物を直してお梅が着て、その上に眞達の持って居りました文庫の中より衣を出して着、端はし折ょりを高く取って袈裟を掛けさせ、又袈裟文庫を頭ずだ陀ぶく袋ろの様にして頸くびに掛けさせ、先まずこれで宜いと云うので、俄にわかにお比丘尼様が一人出来ました。
二十四
永禪は縞しまの着物に坊主頭へ米こめ屋やか被ぶりを致し、小長いのを一本差して、これから湯の谷を出ましたが、その頃百疋ぴきも出しますと何どうやら斯こうやら書付を拵こしらえて呉れますから、かに寺まで往ゆく処ところの関所は金さえ遣やれば越えられたものでござります。漸ようやく金で関所を越えて、かゞぞへ出て小あず豆きざ沢わ、杉すぎ原はら、靱うつぼ、三みか河わば原らと五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります。殊ことに飛騨は難なん処じょが多くて歩けませんから、三河原の又また九くろ郎うという家に宿を取りました。
永﹁まア此こ処ゝは静かで宜よい、殊に夫婦とも誠に親切な者であるから、暫しばらく此処に足を留めようじゃアないか、おれも頭の毛の長く生えるまでは居なければならぬ、此処なれば決して知れる気遣いは有るまい、汝てまえも剃そりたて頭では青過ぎて目に立つから、少し毛の生えるまでは此処にいよう、只少し足あし溜だまりの手当さえすれば宜い、併しかし此処には食い物が無いが、これから古ふる河かわ町まちへ往ゆけば米も有るから米を買って、又酒や味噌醤油などの手当をして﹂
梅﹁それじゃア然そうしてお呉んなさい﹂
と云うので多分に手当を遣やって、米や酒醤油を買いに遣るから、是は大したお客様と又九郎爺おやじが悦びまして、米を買ったり何かして、来年まで居ても差支えないように成りました。その中うちに彼あの辺は雪がます〳〵降って来ますると、旅人の往来が止りまする事で、丁度足溜りには都合が好よいと云って、九月の二十日からいたして十一月の三日の日まで泊って居りましたが、段々と頭の毛も生えるが、けれども急には生えは致しません。宿屋の亭主は気が利いていて、年はとって居るが。多分に手当をして呉れるから﹇#﹁呉れるから﹂は底本では﹁呉るれから﹂﹈有難いお客だと云って、何か御馳走をしたいと山へ往って、小鹿を一匹撃って来まして、
又﹁おい婆さん〳〵﹂
婆﹁あい何だえ﹂
又﹁小鹿を一匹撃って来たよ﹂
婆﹁何ど処こで﹂
又﹁あの雪なだ崩れぐ口ちでな、何もお客様に愛想がねえから、温あったまる様に是れを上げたいものだ、己がこしらえるからお前味噌で溜りを拵こしらえて、燗かん鍋なべの支度をして呉んな﹂
とこれから亭主が料理をしてちゃんと膳立ても出来ましたから、六畳の部屋へ来て破れ障子を明けて、
又﹁はい御免﹂
永﹁いや御亭主か﹂
又﹁まことに続いてお寒いことでございます、なれども沢山も降りませんでまア宜うございますが、是からもう月つき末ずえになって、度たび々〳〵雪が降りますると道も止りますが、まア〳〵今年は雪が少ないので仕合せでござります、さぞ日々御退屈でございましょう﹂
永﹁いゝやもう種いろ々〳〵お世話に成りまして、それに此の尼様が坂道で足を痛めて歩けぬと云うこと、殊に寒さは寒しするから、気の毒ながら来年の三月迄は御厄介じゃア﹂
又﹁へい有難いことでございます、毎日婆アともはア然そう申して居ります、あなた方がお泊りでございますから、斯こうやって米のお飯めしのお余りや上じょ酒うしゅが戴いて居おられる、こんな有難い事はございませんと云って、婆アも悦んで居ります、何どうかなんなら二三年もおいでなすって下されば猶宜いと存じます、なんで此の山やま家がでは何もございませんが、鹿を一匹撃って参りまして調こしらえましたが、何うか鹿で一杯召上って、あの何ですかお比丘尼様は鹿は召上りませんか﹂
永﹁いや、何なんじゃ、それは何とも、まア一体は食われぬのじゃけれどもなア、旅をする中うちは仕方がない、却かえって寒気を凌しのぐ為に勧めて食わせるくらいだから、薬くす喰りぐいには宜えいわな﹂
又﹁左様でげすか、鹿は木きの実みや清らかな草を好んで喰うと申すことで、鹿の肉は魚よりも潔きよいから召上れ、御婦人には尚お薬でございます……おい婆さん何を持って来て、ソレこれへ打ぶっ込こみねえ、それその麁そ朶だを燻くべてな、ぱッ〳〵と燃もやしな……さア召上りまし、此こっ方ちの肉みが柔かなのでございますから、さア御比丘様﹂
梅﹁有難う存じます、まア本当に斯こう長くお世話に成りますとも思いませんでしたが、余あんまり御夫婦のお手当が宜よいから、つい泊る気になりました﹂
婆﹁何う致しまして、もうこんな爺じゞい婆ばゞアで何もお役には立ちませんから、どうか御退屈でない様にと申しましても、家もない山の中でございますから、外ほかに仕方もございません、どうか何い時つまでもいらしって下されば仕合せでと、爺も一層蔭でお噂致して居りますよ……爺さんお相手をなさいよ﹂
又﹁さアこの御酒を召上りませ、それから鍋は一つしかございませんから取分けて上げましょう﹂
永﹁いや皆此こ処ゝで一緒の方が宜えいから﹂
又﹁左様でげすか、いろ〳〵又爺じゞい婆ばゞあの昔話もございますから、少しはお慰みにもなりましょうと思いまして……婆さん、どうも美いい酒だのう、宜かろう何うだえ、えゝこの御酒はあの古河町へ往いかなければないので、又醤した油じが好よいから甘うまいねえ、これでね旦那様、江戸の様な旨い味噌で造ったたれを打ぶち込こんで、獣もゝ肉んじ屋いやの様にぐつ〳〵遣やれば旨いが、それだけの事はいきません、どうも是では旨くはないが、これへ蕨わらびを入れるもおかしいから止しましょう……へえお盃を戴きます、私わたくしも若い時分には随分大たい酒しゅもいたしましたが、もう年を取っては直すぐに酔いますなア、それでも毎晩酣かん鍋なべに一杯位ずつは遣やらかします﹂
と差さえつ押おさえつ話をしながら酒さか宴もりをして居りましたが、其の内にだん〳〵と爺さん婆さんも微ほろ酔よいになりました。
永﹁何うだい、お前方は何うも山の中にいる人とは違い、また言葉遣づかいも分るから屹きっ度と苦労人の果はてじゃろう、万事に宜く届くと云うて噂をして居ることだが、生れは何ど処こだね﹂
又﹁えゝ旦那様お馴染に成りましたから斯こんな事を伺いますが、あなたは元は御出家様でございますかえ﹂
永﹁私わしは出家じゃア無い﹂
又﹁へえー左様でげすかえ、貴あな方たは其の頭おぐ髪しがだん〳〵延びますけれども、元御出家様で是からだん〳〵お生はやしなさるのではないかと存じまして﹂
永﹁なに私わしは百姓だが、旅をする時にはむしゃくしゃして欝うっ陶とうしいから剃るのじゃ、それに寺へ奉公をして居るから、頭を剃る事なぞは頓と構わぬじゃア﹂
又﹁へえー左様で、お比丘尼様はこの頃御ごて剃いは髪つなすったのでげすな﹂
永﹁えゝいゝえ……なに然そう云う訳じゃアないのじゃ﹂
又﹁へえ左様でげすかえ﹂
永﹁尤もっとも幼少の時分からと云う訳じゃアないが、七八年前あとから少々因縁有って御出家にならっしゃッたじゃ﹂
又﹁へえー左様で、私わた共くしどもの家うちには御出家様が時々お泊りになりますが、御膳の時はお経を誦よんで御膳をお盖きせに取分けて召上りますな、あなたも此の間あいだお遣りなすったしお経もお読みなさいますが、お比丘尼様の方はそう云う事をなさる所を見ませんから、それで貴方は御出家お比丘尼様は此の頃御剃髪と思いまして﹂
永﹁それは門前の小僧習わぬ経を誦よむで、寺にいると自然と覚えて読んで見たいのだが、また此こな方たは御出家じゃアが、もう旅へ出ると経を読まぬてえ、是が紺こう屋やの白しら袴ばかまという譬たとえじゃアのう﹂
又﹁そうでございますかえ、私わたくしはまた御苦労の果じゃア無いかと思って、のう婆さん﹂
婆﹁お止しよ、ひちくどくお聞きで無いよ、欝陶しく思おぼ召しめすよう﹂
又﹁でもお互に昔は……旦那私わたくしはねえ、ちょっと気がさすので、然そういう事を云いますが、この婆ばゞあを連れて私が逃げまする時にゃア、この婆が若い時分だのにくり〳〵坊主に致しましてねえ、私も頭を剃すっこかして逃げたことが有るね、えゝ是は昔話でございますがねえ﹂
婆﹁爺さんお止しよ、詰らない事を言い出すね、よしなよ﹂
又﹁なに、いゝや、旦那の御退屈凌しのぎだ、爺じゞい婆ばゞあの昔話だから忌いやらしい事も何もねえじゃねえか﹂
二十五
又﹁旦那此の婆ばゞあはもと根津の増田屋で小こさ澤わと云った女じょ郎うろでございます﹂
婆﹁およしよ爺さん﹂
又﹇#﹁又﹂は底本では﹁婆﹂﹈﹁いゝやな、昔は鶯うぐいすを啼かして止まらした事もある……今はこんな梅干婆で見る影も有りませんがね、これでも二十三四の時分には中々薄手のあまっちょで、一ちょ寸っとその気象が宜うがしたね、時々、今日は帰さねえよと部屋着や笄こうがいなどを質に入れて、そうして遊んで呉れろと云うから、ついとぼけて遊ぶ気になり、爪つめ弾びき位は静かに遣やると云う、中々粋いきな女でございます﹂
婆﹁およしよう、詰らない事を言って間が悪いやね、恥かしいよ﹂
又﹁恥かしいも無いものだ、もう恥かしいのは通り過ぎて居るわ﹂
永﹁おや左様かえ、何でも然そうじゃろうと思った、中々お前苦労人の果でなければ、あの取廻しは出来ぬと思った、あゝ左様かえ、一旦泥水に這入った事がなければなア﹂
梅﹁おや然うかね、長く御厄介になって見ると私はどうも御当地の方じゃないと実は思って居ましたが、然うでございますか、不思議なものだねえ増田屋に、どうも妙だね、然うかね﹂
永﹁どうも妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者かえ﹂
又﹁いゝえ私わたくしはねえ旦那様富山稲いな荷りま町ちの加かが賀やへ屋い平ろ六くと云う荒物御用で、江戸のお前さん下した谷やか茅やち町ょうの富山様のお屋敷がございますから、出いず雲も様へ御機嫌伺いに参りまして、下谷に宿を取って居る時に、見物かた〴〵根津へ往って引ひっ張ぱられて登あがったのが縁さねえ、処が此こい奴つ中々手てく管だが有って帰さないから、とうとうそれがお前さん道楽の初はじまりで酷ひどいめに遭いましたけれども、此奴の気象が宜いいものだから借金だらけで、漸だん々〴〵年季が増して長いが、私の様な者でも女にょ房うぼにして呉れないかと云いますから、本当かと云うと本当だと申しますから、借金があっては迚とてもいかぬから、連れて逃げようと無分別にも相談をしたのが丁度三十七の時ですよ、それからお前さん連れて逃げたんだ、国には女にょ房うぼ子こが有るのに無茶苦茶に此奴を引ひっ張ぱって逃げましたが、年季は長いし、借金が有るから追おっ手ての掛るのを恐れて、逃げて〳〵信州路へ掛っても間に合わぬから、此奴をくり〳〵坊主にして私も坊主になってとうとう飛騨口へ逃込んだのよ﹂
永﹁ふうん然うかえ﹂
又﹁それがお前さん面白い話でどうも高山にもうっかり居いられないで、だん〳〵廻って落合の渡しを越えて、此の三河原と云う此こ処この家いえへ泊ったが不思議の縁でございます、先せんに又また九くろ郎うと云う夫婦が有ってそれが私が泊って翌日立とうかと思うと、寒さの時分では有るが、誠に天の罰ばちで、人が高い給金を出して抱えて居る女じょ郎うろを引ひき浚さらって逃げた盗賊の罪と、国に女房子を置おき放ぱなしにした罰が一緒に報って来て私は女こ房れのかの字を受けたと見えて痳りん病びょうに痔じと来ました、これがまた二度めの半はん病ど床やと来て発たつことが出来ませんで、此処の爺じゝい婆ばゝあに厄介になって居りますると、先の又九郎夫婦が誠に親切に二人の看病をして呉れ、その親切が有難いと思って稍やゝ半年も此処に居りまして、漸ようやく二人の病気が癒なおると、此処の爺婆が煩わずらい付いて、迚とても助からねえ様になると、その時私共を枕まく辺らもとへ喚よんで、誠に不思議な縁でお前方は長く泊って下すったが、私はもう迚とても助からねえ、どうもお前方は駈落者の様だが、段々月日も経って跡から追手も掛らぬ様子、何ど処こか是から指して行ゆく所がありますかと云うから、私わた共くしどもは何処も行く所はないが、まア越後の方へでも行こうと実は思うと云うと、そんなら沢山も有りません、金は僅わずかだが、この後うしろの山の焚たき木ゞは家うちの物だから、山の蕨わらびを取っても夫婦が食って行くには沢山ある、また此こ所こを斯こうすれば此所で獣けだ物ものが獲れる、冬の凌しのぎは斯う〳〵とすっぱり教えて、さて私の家いえには身寄もなし婆ばゝあも弱よぼくれて居るから、私が命のない後のちはお前さん私を親と思って香こう花はなを手た向むけ、此こ処こな家の絶えぬようにしてお呉んなさらんか、と云う頼みの遺言をして死んだので、すると婆ばあ様さまが又続いて看病疲れかして病気になり、その死ぬ前に何分頼むと言って死んだから、前に披ひろ露めもしてあったので、近辺の者も皆得心して爺さん婆さんを見送ったから、つい其の儘ずる〳〵べったりに二代目又九郎夫婦に成ったのでございます、あなた恰ちょうど今年で二十三年になるが、住めば都と云う譬たとえの通りで、蕨を食って此処に斯う遣やって潜んで居ますがねえ、随分苦労をしましたよ﹂
永﹁そうかねえ、苦労の果じゃがら万事に届く訳じゃのう、でも内か儀みさんと真実思おも合いおうての中じゃから、斯うして此の山の中に住んで居るとは、情じょ合うあいだね﹂
又﹁情合だって婆さんも私も厭いやだったが、外ほかに行ゆく所がなし詮しか方たがないから居たので﹂
永﹁じゃア富山の稲荷町で良い商あき人んどで有ったろうが、女房子はお前の此処に居る事を知らぬかえ、此の飛騨へは富山の方の者が滅多に来ないから知らぬのじゃなア﹂
又﹁えゝそれは私が家を出てから行方が知れぬと云って、家内が心配して亡なくなり、それから続いて家うちは潰れる様な訳で、忰せがれが一人ありましたが、その忰平太郎と云う者は、仕様がなくって到頭お寺様か何かへ貰われて仕まったと云う事を、ぼんやり聞いて居りましたが、妙な事で、去年富山の薬屋、それお前さん反はん魂ごん丹たんを売る清せい兵べ衞えさんと云う人が家へ来て、一晩泊って段々話を聞きました所が、私共の忰は妙な訳でねえ、良い出家に成られそうでございまして、越中の国高岡の大工町にある宗慈寺と云う寺の納所になって、立派な衣を着て居る﹇#﹁着て居る﹂は底本では﹁来て居る﹂﹈そうで﹂
永﹁はアそれは妙な事だなア、大だい工くま町ちの宗慈寺と云うは真言寺じゃアないか﹂
又﹁はい真言寺で﹂
永﹁そこにお前の忰が出家を遂とげて居るのかえ﹂
又﹁はい名は何とか云ったなア、婆さんお前めえ知って居るか、あゝそうよ……いゝや、眞達と云う名の納所でございます﹂
永﹁左様か﹂
とじろりっと横眼でお梅と顔を見合わした計ばかり、ぎっくり胸にこたえて、流さす石がの悪党永禪和尚も、これは飛んだ所へ泊ったと思いました。
二十六
又﹁それで婆さんの云うのには、前の事をあやまって尋ねて行ったら宜かろうと云いますが、何だか今更親子とも云い難にくいと云うのは、女房子を打うっ遣ちゃって女じょ郎ろうを連れて駈落する身の越おち度ど、本人が和尚さんとか納所とか云われる身の上になったからと云って、今私わしが親おや父じだと云っても、顔を知りますまいし、殊ことに向うは出家で堅固な処へ、何だか気が詰って往いけませんなれども、その話を聞いて一度尋ねて行いきたいとは思って心掛けては居りますが、たとえ是れで死にました処が、旦那様何でございます、まア其の本むこ人うが坊主でございますから、死んだと云う事を風の便りに聞いて、本当の親と思えば、死んだ後のちでも悪にくいとは思いますまいから、お経の一遍位は上げてくれるかと思って、それを楽しみに致して居いる訳で﹂
永﹁なるほど然そうかえ﹂
又﹁へえ……まことに長ながっ話ぱなしを致しまして﹂
婆﹁本当にお退屈様で嘸さぞお眠うございましょう、此の通り酔うとしつこう御座いまして、繰返し一つことを申しまして……さア、此こっ方ちへお出でよう﹂
又﹁宜いゝやな﹂
婆﹁誠にお邪魔さまで……さア…此方へお出でよ、また飲みたければお飲あがりな﹂
と手を引いてお澤さわと云う婆さんが又九郎を連れて部屋へ参りました跡で、
梅﹁旦那々々﹂
永﹁えゝ﹂
梅﹁もう、此こ処こには居られないからお立ちよ、早くお立ちよ﹂
永﹁立つと云っても直すぐに立つ訳にはゆかん﹂
梅﹁いかぬたってお前さん怖いじゃア無いか、此処は剣つるぎの中に這入って居るような心持がして、眞達の親父と云う事が知れては﹂
永﹁これ〳〵黙ってろ、明あし日た直に立つと、おかしいと勘付かれやアしないかと脛すねに疵きずじゃ、此の間も頼んで置いたが、広ひろ瀬せの追おい分わけを越える手形を拵こしらえて貰って、急には立たぬ振ふりをして、二三日の中うちにそうっと立つとしようじゃア無いか﹂
梅﹁何うかしてお呉んなさい、私は怖いから﹂
とその晩は寝ましたが、翌よく朝あさになりますと金を遣やって瞞ごまかして、何うか斯こうか広瀬の追分を越える手形を拵えて貰い、明日立とうか明あさ後っ日てに為しようかと、こそ〳〵支度をして居りますると、翌日申なゝつの刻さ下がりになりまして峠を下って参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬屋さんは風呂敷包を脊し負ょうのに結むす目びめを堅く縛りませんで、両肩の脇へ一ちょ寸っと挟みまして、先をぱらりと下げて居ります。懐には合あい口くちをのんで居る位に心掛けて、怪しい者が来ると脊しょ負って居る包を放はねて置いて、懐中の合口を引抜くと云う事で始終山やま国ぐにを歩くから油断はしません。よく旅慣れて居るもので御座ります。一体飛騨は医者と薬屋が少ないので薬が能よく売れますから、寒いのも厭いとわずになだれ下りに来まして。
薬屋清﹁やア御免なさいませ﹂
又﹁おやこれはお珍らしい……去年お泊りの清兵衞さんがお出いでなすった、さア奥へお通りなさい、いやどうも能く﹂
清﹁誠に、是れははや、去年は来けまして、えゝ長ながえこと御厄介ねなり居おりみした、いやもう二ね度どと再び山坂を越えて斯こう云う所へは来けますまいと思うて居りみすが、又慾と二人連れで来けました……おや婆様この前は御厄介になりみした、もうとても〳〵この山は下りは楽だが、登りと云うたら足も腰もめきり〳〵と致して、やアどうも草くた臥ぶれました、とても〳〵﹂
又﹁今夜はお泊りでげしょう﹂
清﹁いや然そうでない、今日は切せみて落合まで行よく積つもりで﹂
又﹁婆さん今日は落合までいらっしゃるてえが仕方が無いのう、まア今夜はお泊りなさいな、この頃は米が有ります、それに良い酒もありますからお泊りなさい、お裙すそ分わけをしますから﹂
清﹁いや然うは往よきませぬ、何どうでも彼こうでも落合まで未まだ日も高いから行よこ積りで﹂
又﹁それは仕方が無いなア、然うでしょうがまア一杯飲んで﹂
清﹁いゝや……﹂
又﹁そんな事を云わずに、これ婆さん早く一杯…﹂
婆﹁能くお出でなさいました、去年は誠にお草そう々〳〵をしたって昨ゆう宵べもお噂をして居りました﹂
又﹁清兵衞さん、去年お泊とまりの時に、私の忰は高岡の大工町の宗慈寺と云う寺に這入って、弟子に成って居ると云う貴あな方たのお話が有ったが、眞達と云う忰は達者で居りますかな﹂
清﹁いや何うも是こりゃはや、それを云おう〳〵と思って来けたが、お前まさん余あんまり草くた臥ぶれたので忘れてしまったが、いや眞達さんの事に就ついてはえらい事になりみした﹂
又﹁へいどうか成りましたか﹂
清﹁いやもうらちくちのつかない事に成りみしたと云う訳は、お前まさん宗慈寺の永禪和尚と云う者はえらい悪党でありみすと、前町の藤屋七兵衞と云う荒物屋が有って、その女じゃ房アまアのお梅というのと悪われえ事をしたと思いなさませ、永禪和尚とお梅と間男をして居りみして、七兵衞が在あっては邪魔になるというて、夫とゝまの七兵衞を薪割で打ぶち殺ころし、本堂の縁いんの下へ隠かこしたところが、悪われえ事は出で来けぬものじゃなア、心棒が狂い曲まごうたから、まア寺男からお前まさんの子じゃア有るけれども眞達さんまでも悪われえ事に染そまりまして、それからお前まさん此の頃寺で賭ばく博ちを為しますと﹂
又﹁賭博を、ふうん〳〵成程﹂
清﹁ところがお前まさん二番町の小川様から探索が届いて居いるもんじゃから直すぐに手が這入って、手が這入ると寺男の庄吉という者がお前まさん本堂の床よか下したへ逃のげたところが、先に藤屋七兵衞の死しげ骸えが隠かこして在あるのを死しげ骸えとは知らいで、寺男の庄吉が先へ誰か逃のげ込こんで床よか下したに此の通りちま〳〵と寝ねなって居おりみすと思って、帯おべの処へ後生大事にお前まさん取とッ付ついて居りみすと、さ、するとお前まさん出ろ〳〵と云うので役やこ人ねんが来けて庄吉の帯おべを取って引ひきずり出すと、藤屋の夫とゝまの死しげ骸えが出たと思いなさませ、さアこれはうさんな寺である、賭博どころではない、床よか下したから死しげ骸えが出る所を見ると、屹けっ度と調べを為しなければ成らぬと、お役やこ所しょまで参まえれと忽たちまちきり〳〵っと縛いましめられて、庄吉が引かれみしたと、もう事が破れたと思って永禪和尚が藤屋の女じゃ房アまアの手を取って逃のげた時に、お前まさんの御子息の眞達どんも一緒に逃のげたに相違ないのじゃが、それが此の世の生涯で、大沓の渡しを越える渡口の所に、いや最もうはや見る影もない姿で誠に情なさけない、それは〳〵迚とても〳〵何とも云い様のない姿に斬けれ殺ころされて居りみしたが﹂
又﹁えー忰が斬きり殺ころされて﹂
清﹁いやもう何とも﹂
又﹁誰が殺しました﹂
二十七
清﹁あとで小川様がだん〴〵お調べに成ったところが、流さす石が名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の女じゃ房アまアお梅を連れて逃のげる時のことを知って居いるから、これを生えかして置いては露顕する本もとというて、斬けって逃のげたに違いないと云うので、足を付けたが今えまに知れぬと云いますわ﹂
又﹁それはまア何どうも有難う存じます、お前さんがお通り掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知らずにしまいます、それは何い時つの事でございましたか﹂
清﹁えーとえーつい先々月十じょ九うく日にちの暁あけ方がたでありみしたか﹂
又﹁十九日の明方……そうとは知りませんでのう婆さん、昨ゆん宵べ余あんまり寒いからと云って、山へ鹿を打ちに往ゆきまして、よう〳〵能よい塩あん梅ばいに一疋の小鹿を打って、ふん縛じばって鉄砲で担かついで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ〳〵哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って来ましたが、四よし足あしでせえも、あゝ遣やって子を打たれゝば、うろ〳〵して猟りょ人うしの傍そばまでも山を下って探しに来るのに、人間の身の上で唯たった一人の忰を置いて遁にげると云うは、あゝ若い時分は無分別な事だった……のう婆さん……昨ゆん宵べ婆ばゞあと話をして居りましたが、まことに有難うございます、亡なくなりました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つも唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも……何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねて行ゆこうと存じて、婆さんとも然そう申して居りました﹂
清﹁えゝ私わしゃもう直そごに帰りましょう、まことに飛んだ事をお耳めゝに入れてお気けの毒に思いますが、云えわぬでも成りませんから詮しょ方うことなしにお知らせ申した訳で、能よくまア念仏ども唱えてお遣やりなされ、私ゃ帰りみすから﹂
又﹁じゃア帰りには屹きっ度とお寄よりなすって﹂
清﹁はい屹けっ度と寄って御厄介に成りみすよ、左さ様よなれば﹂
婆﹁どうぞお帰りにお待ち申します﹂
清﹁大おおけにお妨げを致しみした、左さ様よならば﹂
又﹁お前さん山手の方へよってお出いでなさいませんと、道が悪うございますよ、崩れ掛った所が有りますから、何時もいう通りにね、あの寄や生ど木りの出た大木の方に附いてお出でなさいよ……あゝまア思い掛がけなく清兵衞さんがお出でなすって、一晩お泊め申して緩ゆっくり話を聞きたいが、お急ぎと見えてハイもう影も見えなく成った、のう婆さん忰の殺されたのは十九日の明方大沓の渡口だったのう婆さん﹂
婆﹁あい﹂
又﹁奥に泊って居る客人は己おれの所とこへ幾いっ日かに泊ったっけな﹂
婆﹁あれは先々月のちょうど、二は十つ日かの晩に泊りました﹂
又﹁二十日……えー十九日の明方に川を渡って湯の谷泊りと仰おっしゃったが、ちょうど二十日が己の所へお泊りと……婆さん、あのお比丘さんの名はお梅という名じゃないか﹂
婆﹁何だか惠えば梅い様〳〵と云ったり、またお梅と呼びなさる事もあるよ﹂
又﹁はゝア何でも此の頃頭あた髪まを剃すった比丘様さんに違いない、毛の生えるまで足あし溜だまりに己の家うちへ泊って居るのだ、彼あい奴つら二人が永禪和尚にお梅かも知れねえぜ、のう婆さん﹂
婆﹁それア何とも云えないよ﹂
又﹁酒をつけろ﹂
婆﹁酒をつけろたってお前﹂
又﹁宜いいからつけろ、表の戸締りをすっぱりして仕舞え、一ちょ寸っと明けられねえ様に、しん張ばりをかってしまいな、酒をつけろ﹂
婆﹁酒をつけろたってお前さん無むり理ざ酒けを飲んではいけないよ、無理酒は身体に中あたるから、忰が死んだからってもやけ酒はいけないよう﹂
又﹁もう死んだっても構うものか、身体に中ったってよい〳〵になって打ぶっ倒たおれて死んだって、何も此の世に思い置く事はない、然うじゃないか、お前めえは己が死んだって、一生食うに困るような事はねえから心配しなさんな、己はもう何なにも此の世の中に楽しみはねえから、酒をつけろ﹂
と燗鍋で酒を温あたため、燗の出来るも待てないから、茶碗でぐいぐいと五六杯引っかけて、年は五十九でございますが、中々きかない爺じゞい、欄間に掛った鉄砲を下おろして玉たま込ごめをしましたから。
婆﹁爺さんお前何をするのだえ、また鹿でも打ちに往ゆくのかえ﹂
又﹁えゝ黙って居ろ、婆さん己は奥へ行って掛合ってな、何ど処こまでも彼奴ら二人に白状させるつもりだが、きゃアとかぱアとか云って逃げめえものでもねえ、若もし逃げに掛ったら、手てめ前えは此の細ほそ口くちから駈出して、落合の渡しへ知らせろ、此こっ方ちは山手だから逃げる気きづ遣かいはない、えゝ心配するな﹂
と山やま刀がたなを帯さして片手に鉄砲を提さげ、忍しの足びあしで来て破れ障子に手を掛けまして、窃そうっと明けて永禪和尚とお梅の居ります所の部屋へ参って、これから掛かけ合あいに成りますところ、一寸一息つきまして。
二十八
又九郎は年五十九でございますが、中々きかん気の爺おやじで、鉄砲の筒すぐ口ちを押し握ってそっと破れ障子を開けると、此こち方らはこそ〳〵荷にご拵しらえを致して居る処ところへ這入って来ましたから、覚さとられまいと荷を脇へ片付けながら、
永﹁誰じゃ﹂
又﹁へい爺じゞいでございます﹂
永﹁おや是は〳〵、さア此こち方らへお這入りなさい、未まだ寝ずかいのう﹂
又﹁まだ貴あな方たがたもお寝やすみでございませんか﹂
永﹁寝ようと思っても寒うて寝られないで、まだ起きて居ました﹂
又﹁へい早速お聞き申したいことが有って参りましたが、貴方がたのお国は、何どち処らでございますかな﹂
永﹁うーん何なんじゃ、私わしは大だい聖しょ寺うじの者じゃ﹂
又﹁大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でございましょうがな﹂
永﹁うゝんイヤ私わしは大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来た者じゃア、何で高岡の者とお前が疑って云いなさるか﹂
又﹁お隠しなさってもいかねえ、貴方は高岡の大工町宗慈寺という真言寺の和尚様で、永禪さんと仰しゃるだろうね﹂
永﹁何を言うのじゃ、そんな詰らぬ事をそれは覚えない、何どういう事で私わしを然そう云うか知らぬけれども、それは人違いだろう﹂
又﹁隠してもいけません、そちらの惠梅様というお比丘尼様さんは前町の藤屋という荒物屋の七兵衞さんのお内かみ儀さんで、お梅さんと云いましょうな﹂
永﹁何を詰らぬ事……飛んだ間違いでお前の事をあないな事を云う﹂
梅﹁まア何うもねえ、どう云うまアその間違だか知れませんが、けれどもねそんな何うもその、私共は尼の身の上で居いる者を、荒物屋の女にょ房うぼなんてまア何う云う何なんかね……お前さん﹂
永﹁さア何ういう訳で其そな様いなことを、さア誰がそんな事を言ったえ﹂
又﹁隠しちゃアいけねえ、あなたは一いっ箇か寺じ住職の身の上で、このお梅さんと間男をするのみならず、亭主の七兵衞が邪魔になるというので、薪割で打ぶち殺ころして縁の下へ隠した事が、博ばく奕ちの混雑から割れて、居いられねえのでお梅さんの手を引いて逃げて来なすった時に、私の忰の眞達と何ど処こでお別れなすったい﹂
永﹁これ何を云う、何を云うのじゃ、思い掛けない事を云って、眞達なんて、それはまるで人違いじゃア無いか、何ういう訳じゃ、眞達さんと云うのは昨ゆう夜べ話に聞いたが、私わしは知りアせぬが﹂
又﹁とぼけちゃアいけねえ、お前さん、しらアきったって種が上あがって居るから役に立たねえ、眞達を連れて逃げては足手まといだから、神通川の上かみ大沓の渡口で忰を殺して逃げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たねえ﹂
永﹁何うもこれは思いがけないことを言って、まアそんな事を言って何うもどゞ何ういう理窟で其そ様んな事を云うか……のう惠梅様﹂
梅﹁本当に何だって其そん様な事を云いますか、私どもの身に覚えのない事を言いかけられて、何うも何ういう訳で、その何だか、それが実に、それはお前は何ういう訳で﹂
又﹁何ういう訳だってもいかねえ、種が上って居るから隠さずに云え、云わなければ詮しか方たがねえ、お前方二人をふん縛じばって落合の役所へ引いても白状させずには置かねえ、さア云わねえか、云わなければ了簡が有る、おい云わねえか﹂
と云われこの時は永禪和尚もこれは隠ぼ悪くが顕われたわい、もう是れまでと思って爺じゞい婆ばゞあを切殺して逃げるより外ほかはないと、道どう中ちゅ差うざしの胴どう金がねを膝の元へ引寄せて半身構えに成って坐り、居いあ合いで抜く了簡、へ手をかけ身構える。爺も持って参った鉄砲をぐっと片手に膝の側へ引寄せて引金に手を掛けて、すわと云ったら打果そうと云うので斯こう身構えました。互いに竜虎の争いと云おうか、呼い吸きの止るようにうーんと睨にら合みあいました時は側に居るお梅はわな〳〵慄ふるえて少しも口を利くことも出来ません。永禪は不ふ図と後うしろに火縄の光るのを見て、此こい奴つ飛とび道どう具ぐを持って来たと思うからずーんと飛掛り、抜ぬき打うちに胸のあたりへ切付けました。
二十九
又﹁やア斬りやアがったな﹂
と引金を引いてどんと打つ、永禪和尚は身をかわすと運の宜いい奴、玉は肩を反それてぷつりと破やぶ壁れかべを打うち貫ぬいて落る。又九郎は汝おのれ斬りやアがったなと空から鉄でっ砲ぽうを持って永禪和尚に打って掛るを引ひっ外ぱずして、
永﹁猪ちょ口こざ才いな事をするな﹂
と肩先深く斬きり下さげました。腕は冴さえて居るし、刃きれ物ものは良し、又九郎横倒れに斃たおれるのを見て婆ばゞあは逃出そうと上かず総さ戸どへ手を掛けましたが、余り締りを厳重にして御座いまして、栓しん張ばりを取って、掛かけ金がねを外す間もございません、処ところへ永禪は逃げられては溜らぬと思いましたから、土間へ駈かけ下おりて、後うしろから一刀婆に浴せかけ、横倒れになる処を踏ふみ掛かゝってとゞめを刺したが、お梅は畳の上へ俯うつ伏ぶしになって、声も出ませんでぶる〳〵慄ふるえて居りました。ところへ見けん相そう変えて血だらけの胴金を引ひっ提さげて上って来ました。
永﹁あゝ危あやうい事じゃったな﹂
梅﹁はい﹂
永﹁確しっかりせえ﹂
梅﹁確かりせえたって私は窃そっと裏から逃げようと思ってる処に、鉄砲の音を聞いて今度ばかりは本当に死んだような心持になりましたよ﹂
永﹁毒喰わば皿まで舐ねぶれだ、止やむを得ぬ、えゝ悪い事は出来ぬものじゃ、怖いものじゃア無いか﹂
梅﹁本当に怖い事ね﹂
永﹁此こ処ゝに泊ったのが何うして足が附いたか、もう此処に長う足を留めて居る事は出来ぬ、広瀬の追分を越えるだけの手形が有るから差さし支つかえはないが、今夜此処を逃げて仕舞うと、死骸は有るし夜中に山路は越えられないから今夜は此処に寝よう﹂
梅﹁怖くって、寝られやアしません﹂
永﹁今夜は誰も尋ねて来きやアせんから﹂
梅﹁死骸は何うするの﹂
永﹁宜えゝわ﹂
と又九郎夫婦の死骸をごろ〳〵土間へ転がして、鉄砲を持って来て爺婆の死骸を縁の下へ入れましたが、能よく死骸を縁の下へ入れる奴です。これから血の掃除を致し、図ずう々〳〵しく残りの酒を飲んで永禪和尚は鼾いびきをかいて寝ましたが、実に剛胆な奴であります、翌よく朝ちょう身支度をして何喰わぬ顔で、此処を出ましたが、出ると急ぎまして、宜よい塩あん梅ばいに広瀬の渡わたしを越して、もう是れまで来れば宜いと思うと益々雪の降る気候に向って、行ゆく事も出来ませんから、人知れず千ちし島まむ村らという処へ参って、水み無な瀬せの神社の片かた傍ほとりの隠かく家れがに身を潜め、翌年雪も解け二月の月つき末ずえに越後地へ掛って来ます。芦あし屋やより平ひら湯ゆえ駅きに出で、大おお峠とうげを越し、信しん州しゅ松うま本つもとに出まして、稲いな荷りや山まより野のじ尻り、夫それより越後の国関せき川がわへ出て、高たか田たを横に見て、岡おか田だむ村らから水みず沢さわに出まして、川かわ口ぐちと云う処に幸い無むじ住ゅうの薬師堂が有ると云うので、これへ惠梅比丘尼を入れて、又市が寺男になって居てお経を教えて居る。其の中うちに尼はだん〳〵覚えてお経を読むようになると、村方から麦或いは稗ひえなどを持って来て呉れるから、貰う物を喰って漸ようやく此処に身を潜めて居る中に又市も頭か髪みは生えて寺男の姿になり、片かた方〳〵は坊主馴れて出家らしく口もきく此処に足掛三年の間居りますから、誰有って知る者はございません。爰こゝにお話は二つに分れまして寛政九年八月十日の事でございますが、信州水みの内ちご郡おり白しろ島しま村むらと申す処がございます。是は飯いい山やまの在で山やま家がでございます。大おお滝たき村むらという処に不動様がありまして、その側わきに掛茶屋があって、これに腰を掛けて居ります武さむ士らいは、少し羊よう羹かん色いろではありますが黒の羽織を着て、大小を差して紺足袋に中なか抜ぬきの草履を穿はき、煙草を呑んで居りますると、此の前を通りまする娘は年頃二十一二でございますが、色のくっきり白い、山家に似合わぬ人柄の能よい女で、誠におとなしやかの姿で、前を通って頻しきり﹇#﹁頻しきり﹂は底本では﹁頻しき﹂﹈に不動様を拝みお百度を踏んで居ります。武士は余念もなく彼かの娘の姿を見て居りますが、お百度だから長うございます。自分も用があるのに出掛けようともしませんで、お百度の済むまで、娘が往ったり来たりするのを見て、頭くびを彼あっ方ちへふり此こっ方ちへふり、お百度の歩く通りに左右へ頭を廻して、とうとう仕しま舞いまで見て居りました。
武士﹁あゝ美しいな、婆ア今あの不動様へお百度を上げて居た彼あの女は、何ど処この女だのう﹂
三十
婆﹁はいありゃア何なんでござりやすよ、あの白島村の者でござりやすが、能よく間があると参詣にひえー参めえりやすが、ありゃア信心者でござりやして、何でも廿八日には暴あ風ら雨しがあっても欠かさないでござりやしてな、ひやア﹂
武士﹁宜いい女だね﹂
婆﹁ひやア此こけ処いらにはまア沢山はねえ女でござりやすよ、ひやア﹂
武士﹁何ど処この何者の娘かな﹂
婆﹁何だか知りやしねえが武さむ士らいの娘で有りやすが、浪人してひやア此の山家へ引ひっ込こんだ者じゃアはと評判ぶって居りやす、ひやア﹂
武士﹁はア左様かのう﹂
男﹁ちょっと〳〵旦那え﹂
と後うしろに腰を掛けて居りました鯔いな背せの男、木綿の小こべ弁んけ慶いの単ひと衣えものに広ひろ袖そでの半はん纏てんをはおって居る、年三十五六の色の浅黒い気の利いた男でございます。
武士﹁いやお前はナニとんと心付かぬで、何処にお居いでかな﹂
男﹁この衝つい立たての後に有あり合あい物もので一杯やって居ります、へー、碌な物は有りませんが、此の家うちの婆さんは綺麗好ずきで芋を煮ても牛ごぼ蒡うを煮ても中々加減が上手でげす、それに綺麗好だから喰い心がようございます﹂
武士﹁はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸御ごし出ゅっ生しょうの様子だね﹂
男﹁へい旦那も江えど戸っ児このようなお言葉遣いでげすね﹂
武士﹁久しく山やま国ぐにへ来て居て田舎者に成りました﹂
男﹁今の娘を美いい女だと賞ほめておいでなすったが、あれは白島村の何なんです元は武さむ士らいだと云いますが、何どういう訳か伯父が有ると云うので、姉きょ弟うだいで伯父の世話になって居ますが、弟は十六七でございますが、色の白い好いい男で、女の様でございます、それで姉弟で遣やってるのだが彼あの位のは沢たん山とはありませんな﹂
武士﹁はゝあ、貴公は御存知かえ﹂
男﹁へい、私は白島村の廣ひろ藏ぞう親分の厄介で、傳でん次じと申す元は魚屋でございますが、江戸を喰くい詰つめてこんな処ところへ這入って、山の中を歩き廻り、極りが悪くって成らねえが、金が出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で﹂
武士﹁はゝア左様かえ、じゃア彼の婦人を御存知で﹂
傳﹁へい朝晩顔を見合せますからね﹂
武士﹁あゝ左様かえ、貴公些ちっと遊びに来て下さらんかえ、私は桑くわ名なが川わむ村らだから﹂
傳﹁じゃア隣り村で造作アございません﹂
武士﹁拙者も江戸児で、江戸府内で産れた者に逢うと、江戸児は了簡が小さいせえか、懐かしく親類のような心持がしますよ﹂
傳﹁そうです、変な言葉の奴ばかりいますから貴あな方たのような方に逢うと気丈夫でげす、閑ひまで遊んで居りますから何い時つでも参ります﹂
武士﹁何うだえ拙てま者えた宅くへ是を御縁としてな、拙てま者えは柳やな田ぎだ典てん藏ぞうと申す武骨者だが、何うやら斯こうやら村方の子供を相手にして暮して居ります﹂
傳﹁何で、何どち方らの御ごは藩んでげす﹂
典﹁なに元は神田橋近辺に居た者だ、櫻さく井らい監けん物もつの用人役をも勤めた者の忰だが、放蕩を致して府内にも居おられないで、斯ういう処へ参るくらいだから、別して野暮な事は言わぬが、兎も角も一緒に、直じき近い細川を渡ると直すぐだ﹂
傳﹁御一緒に参りましょう﹂
とずう〳〵しい奴で、ぴょこ〳〵付いて来ました。
典﹁さア、此こっ方ちへ這入りなさい……庄吉、今お客様をお連れ申したから﹂
庄﹁はい大層お早くお帰りで、今日は此の様にお早くお帰りはあるまいと思って居りました……さア此こち方らへお客様お這入りなさい﹂
傳﹁へいこれは何うも、御免なさい……おや庄吉さんか﹂
庄﹁や、こりゃア傳次さんか、いゝやア是れははや、何うも﹂
傳﹁何うした思い掛けねえ﹂
庄﹁何時も変りも無のうて目出とうありますと﹂
傳﹁いやア何うも、何なんとも彼かんとも、お前めえにも逢いたかったが、彼あれから行ゆき端はがねえので﹂
典﹁庄吉手てめ前えは馴染か﹂
三十一
庄﹁いや馴染だって互いに打明けて埓らちくちもない事をした身の上で……まア無事で宜いいな﹂
傳﹁何い時つ此こっ方ちへ来たのだえ﹂
庄﹁何時と云うてお前も此方へ何時来たでありますと﹂
傳﹁いや何どうも私わっちもからきし形かたはねえので、仕ようが無いから来たんだ﹂
庄﹁旦那妙なもので、これは本当に真の友達で、銭が無けりゃア貸して遣やろう、己おらが持もち合あわせが有れば貸そうという中で有りますと﹂
傳﹁随分此の人の部屋で燻くずぶった事もあるのでねえ﹂
典﹁左様かえ、兎も角も﹂
と是から有あり合あい物もので何かみつくろってと云って一杯始めると、傳次は改めて手を突き、
傳﹁私わっちア旅魚屋の傳次と申す者で、何うか御贔屓になすって……大層机などが有りますね﹂
典﹁あゝ田舎は様々やらでは成らんから、出来はしないが、村方の子供などを集めてな、それに以前少しばかり易えき学がくを学んだからな売うら卜ないをやる、それに又また少しは薬屋のような事も心得て居おるから医者の真似もするて﹂
傳﹁へえー手習の師匠に医者に売卜に薬屋でがすかこれは大丈夫でげす、どうも結構なお住すま居いですな﹂
典﹁田舎では種いろ々〳〵な事を遣らぬではいかぬ、荒物屋は荒物ばかりと極きめてはいかぬて﹂
傳﹁妙でげすな﹂
典﹁さアお酌を致しましょう﹂
傳﹁へえ…有難う﹂
典﹁まずい物だが召上れ﹂
傳﹁頂戴致します……庄吉さん久し振で酌をして呉んねえ、何うも懐かしいなア、何うして来たかなア﹂
庄﹁本当に思掛けなくゆやはや恥かしいな、何うしてお前も此こ処ゝへ来たか﹂
傳﹁旦那おかしい事があればあるものさ、此の人はね越中の高岡で宗慈寺という寺に居りました寺男でね、賭ばく博ちをしておかしい事がありやした……今では過すぎ去さった事だが、あれは何うなったえ﹂
庄﹁何うたって何うにも彼こうにも酷ひどい目に遭おうたぜ、私わしア縁の下に隠れて、然そうしてお前様死しび人ととは知らぬから先に逃げた奴が隠れて居ると思うたから、其そい奴つの帯を掴つかんでちま〳〵と隠れて居ると、さア出ろ、さア出ろと云うので帯を取って引かれるから、ずる〳〵と引ひき摺ずられて出ると、あの一件が出たので﹂
傳﹁旦那もう過去ったから構わねえが、此の人が死しび人とと知らずに帯に掴つかまって出ると、死しに人んが出たので到頭ぼくが割れて縛られて往いきました﹂
庄﹁すると彼あれから其の響けで永禪和尚が逃のげたので、逃げる時、藤屋の女じゃ房アまアと眞達を連れて逃げたのだが、眞達を途中で切殺して逃げたので、ところが眞達は死しに人んに口なしで罪を負うて仕舞い、此こち方らは小川様が情深い役人で、調べも軽かろくなって出る事は出たが、一えっ旦たん人殺しと賭とば博く騒ぎが出で来けたから、誰あって一えっ緒しょに飯い喰う者もないから、これは迚とても仕様がねえ、と色えろ々〳〵考え、何ど処こか外ほかへ行いこうと少しばかりの銭を貰うて流れ〳〵て此処へ来て、不思議な縁で、今は旦那の厄介になって居いるじゃ﹂
傳﹁旦那、……寺の坊主が前町の荒物屋の女にょ房うぼうと悪いことをしやアがって、亭主を殺して堂の縁の下へ死しび人とを隠して置いたのさ、ところで其の死人に此こい奴つが掴つかまって出たと云う可お笑かしい話だが、彼あの時おれは一生懸命本堂へ逃げ上あがったが、本堂の様子が分らねえから、木魚に蹴けつ躓まずいてがら〳〵音がしたので、驚いて跡から追おっ掛かけるのかと思ったが、然そうじゃアないので、又逃げようとすると、がら〳〵〳〵と位牌が転がり落る騒ぎ、何うか彼こうか逃げましたが、いまだに経机の角で向むこ脛うずねを打った疵きずは暑さ寒さには痛くってならねえ﹂
庄﹁怖おっかねえことであったのう﹂
傳﹁それが此処で遇おうとは思わなかったが、お互いに苦労人の果だ﹂
典﹁時に改って貴公にお頼み申したいことがあるが、今の婦人は主ぬしはないのか﹂
傳﹁えゝ主はない、たった姉きょ弟うだい二人で弟は十六七で美いい男さ、此の弟は姉さん孝行姉は弟孝行で二人ぎりです﹂
典﹁親はないのか﹂
傳﹁ないので、伯父さんの厄介になって機はたを織ったり糸を繰とったり、彼あのくらい稼ぐ者は有りませんが、柔やさしくって人柄が宜いい、いやに生なまっ世せ辞じを云うのではないから、あれが宜ようございます﹂
典﹁拙てま者えも当地へ来て何うやら斯うやら彼こうやって、家うちを持って、聊いさゝか田畑を持つ様になって村方でも何うか居おり着いて呉れと云うのだが、永住致すには妻さいがなけりア成らぬが、貴公今の婦人に手てづ蔓るが有るなれば話をして、拙者の処の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が媒なこ介う人どにでも、橋渡しにでもなって、貰もら受いうけて呉れゝば多分にお礼は出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金を遣つかってしまってはいかぬけれども、貴公も左そ様うして遊んで居るより村外れで荒物店みせでも出して、一軒の主あるじになって女にょ房うぼ子こでも持つようになれば、親類交づき際あいに末永く往ゆき通いも出来るから﹂
傳﹁有難うがす、私わっちも斯う遣やってぐずついて居ても仕様がねえから女にょ房うぼうも置おき去ざりにしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音たよ信りもしませんので、向うでも諦らめて、今では団子を拵こしらえて遣って居るそうですが、そうなれば有難い、力に成って下されば二十両戴かなくっても宜よい、併しかし苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、私わたしが話せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をしましょう﹂
典﹁早いが宜いいが﹂
傳﹁えゝなに直すぐに往いきましょう﹂
と止せば宜よいに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の処へ掛合に参る。是が間違の端こぐ緒ち、この娘お山やまは前ぜん申上げた白島山平の娘で、弟は山さん之のす助けと申して、親山平は十六年前ぜんから行方知れずになり、母は亡なくなって、この白島村の伯父の世話になって居りますが、これから姉きょ妹うだいが大難に遭いますお話、一寸一息つきまして。
三十二
おやま山之助の姉きょ弟うだいは、白島山平が江戸詰になりましてから行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はおやまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年の往ゆきません二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父多た右え衞も門んが引取り、伯父の手ても許とで十五ヶ年の間養育を受けて成人致しまして、姉は二十二歳弟おとゝは十七で、小こづ造くりな華きゃ者しゃ﹇#﹁華者﹂はママ﹈な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居りますが、堅い気象で、姉弟してひょっとお父とっ様さまがお帰りの有った時は、伺うかゞわずに元服しては済まないと云うので二十二で、大島田に結って居ると申す真実正しい者で、互いに姉弟が力に思おも合いあいまして、山之助は馬を引き或あるいは人の牛を牽ひきまして、山歩きをして麁そ朶だを積んで帰る。姉は織物をしたり糸を繰とったりして隙すきはございませんが、少し閑ひまが有れば大滝村の不動様へ親おや父じの生いき死しに行方が知れますようにと信心して、姉弟二人中ようして暮して居ります。門口から旅魚屋の傳次がひょこ〳〵お辞儀をして。
傳﹁へい御免なさい﹂
山之助﹁はいお出でなさい﹂
傳﹁今日は結構なお天気で﹂
山﹁はい、何どな方たさ様まで﹂
傳﹁へい私わっちも久しく此こち地らに居りますからお顔は知って居ります、私は廣藏親分の処ところに居る傳次と云う魚屋でございますが親分の厄やっ介けえ者もので﹂
山﹁へえそうでございますか﹂
傳﹁どうも感心でげすね、姉ねえ様さんを大事になすって、お中が宜いいって実に姉弟で斯こう睦ましく行ゆく家うちはねえてえ村中の評判でございますよ、へえ御免なさいよ﹂
やま﹁さアお掛けなさい、何か御用でございますか﹂
傳﹁へえ姉ねえ様さんまアね藪やぶから棒に斯こんな事を申しては極りが悪うございますが、頼まれたからお前さんの胸だけを聞きに来ましたが、あの大滝の不動様へお百度を踏みにいらっしゃいますね﹂
やま﹁はい﹂
傳﹁今日お百度を踏んで帰んなさる時、葮よし簀ずっ張ぱりの居酒屋でそれ御ぞんじでげしょうね、詰らねえ物を売る、彼あす処こにね腰を掛けて居た、黒の羽織を着て大小を差し色の浅黒い月さか代やきの生えた人柄の宜いい旦那をごらんなすったか﹂
やま﹁はい私わたくしは何だか急ぎましたから、薩さっ張ぱり存じません﹂
傳﹁彼あの方は元お使つか番いばんを勤めた櫻井監物の家来で、柳田典藏と仰しゃる大した者、今は桑名川村へ来て手てな習れえの師匠で医者をしてそれで売うら卜ないをする三さん点てん張ばりで、立派な家うちに這入って居て、これから追おい々〳〵田でん地じでも買おうと云うのだが、一人の身みの上うえでは不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の娘では否いやだが、聞けば何か此こち方らの姉ねえさんは元武さむ士れえのお嬢さんで、今は御運が悪くって山家へ這入って居る様子だが、彼の姉さんを嫁に貰もれえてえが傳次お前は同じ村に居るなら相談して貰いてえと頼まれましたが、そうすれば弟おと御ゝご様さまは一緒に引取り、先むこ方うで世話をしようと云う、お前さんも弟にい様さんも仕しや合あせで、此の上もねえ結構な事、お前さんの為を思って私わちきは相談に来たんだが、早速お話になるよう善は急げだが何どうでげしょう﹂
やま﹁まことに御親切は有難うございますが、私わたくしの身の上は伯父に任して居りますから、伯父さえ得心なれば私は何うでも宜よいので﹂
傳﹁へえ伯父さんあの多右衞門さんでげすかえ、へえ然そうで、堅い方で、長い茶の羽織を着て居るお人かね、時々逢います、あの伯父さんさえ得心なれば宜しいの、宜しい、左様なら﹂
と直すぐに伯父の処へ行ゆきまして。
傳﹁へえ御免なさい﹂
多﹁はい何どち方らから、さア此こち方らへ﹂
傳﹁へえ私わっちは廣藏親分の処に居ります、傳次てえ不調法者で﹂
多﹁左様で御ざりやすか、御近所に居りましても碌にお言葉も交かわしませんで、何分不調法者で、此の後ごともお心安く願います﹂
傳﹁へえ私わっちも何分お心易く願います、就ついてはね、今姉ねえさんの処へ往ったのでげすが……あなたには姪めい御ごさんでありますね﹂
多﹁へえ、おやまに﹂
傳﹁へえ姪御さんに逢ってお話をした処が、伯父さんさえ得心になれば宜いいと云う嫁の口が出来たので、誠に良いい口で、桑名川村の柳田典藏と云う大した立派な武さむ士れえだが、運が悪いとは云いながら此こっ方ちへ来て田地や何かも余程有り、また是から段々殖ふやそうという売うら卜ないに手てな習れえの師匠に医者の三点張と云う此のくらい結構な事は有りませんが、彼あす処こへお遣やりなすっては何うで、弟おと御ゝごぐるみ引取ると云うので、随分お為になる処でございますが﹂
多﹁おやまが貴あな方たに御挨拶致すに伯父が得心なれば構わぬと言いましたか﹂
傳﹁えゝ言いました﹂
多﹁何うも自分ではお断りが仕しに憎くいから、大概の事は私わしの処へ行って相談して呉れと、まず言いい抜ぬけに云いますよ、彼あれはなアとてもな無駄でございます﹂
傳﹁へえ何う云う訳で﹂
三十三
多﹁いえ十六年前あとに親おや父じが行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が存ぞん生しょうで帰った時は、親父に一言の話もしないで聟を取ったり嫁に行っては済まぬと云って、姉きょ弟うだいで、あゝ遣やって、元服もせずに居りますくらいでござりやすから、何ど処こから何なんと云っても駄目でござりやす、聟でも取って遣りたいが中々左そ様う言ったって聴きアしませんから﹂
傳﹁それじゃアお父とっさんが帰らねえでは相談は出来ませんか﹂
多﹁へえ親父が帰れば直すぐに相談が出来ますが、帰らぬうちは駄目でござりやして、ひやア﹂
傳﹁弱りましたね、左様なら﹂
と呆ぼん然やり帰って来て。
傳﹁へえ往って来ました﹂
典﹁いやもう待って居ました﹂
傳﹁へえ﹂
典﹁何どうもね、お前は弁舌が宜よし、何かの調子が宜いいから先方で得心するなら、多分のお礼は出来ぬが、直にうんと得心の上からは失礼の様だが、まア当座十金差上げるつもりで目録包にして此こ処ゝに有るので﹂
傳﹁へえー、からどうも仕様がねえね、誠に何うもいけません、幾ら金を包んでも仕様がねえあれは﹂
典﹁何ういう訳で﹂
傳﹁何うたっていけません、誠に話は無しだねえ、親父が十六年あとに行方知れずに成ったから、親父の帰けえらぬうちは嫁にも行いかぬ聟も取らぬ、元服もしねえ、親父に聴かねえうちにしては済まぬてえ彼あれは変り者もんでげす、いけませんよ、へえ﹂
典﹁いかぬと云うのか﹂
傳﹁えー往いかねえと云うのでげす﹂
典﹁左様か仕様がない、それは仕方がない、それは先むこ方うで厭いやなんでげしょうが、然そう云わなければ断り様がないからだ、今時の者が親父が十六年も行方知れず音沙汰のない者を待って元服もせずに居るなんて、そんなら二十年も三十年も四十年も帰らぬ時は何うする、白しら髪がになって島田で居る訳にもいかぬが、それは先方が断り様がないから、然う云うのだ、宜しい〳〵、宜しいけれども実は事を極めて来たら直に礼をする心得で、ちゃんと金も包んで置いたが、仕方がない、是までの事だ﹂
傳﹁から何うも仕様がねえ変り者もんでげすな、お前めえさんの云う通り白しら髪がの島田はないからねえ、何うも仕様がないね何うも﹂
典﹁貴公私わしの名前を先せん方ぽうへ言いますまいねえ﹂
傳﹁私わっちは左そ様う言いましたよ、柳田典藏様さんと云う手てな習れえの師匠で、易を立たって斯こうとすっかり列ならべ立ったので﹂
典﹁それは困りますね、姓名を打うち明あかして呉れては恥入るじゃアないか﹂
傳﹁だって余よっ程ぽど受けが宜かろうと思って列べたので﹂
典﹁それはいかぬ、先まず先方で縁談が調とゝのうか否いなかを聞いて詳くわしくは﹇#﹁詳くわしくは﹂は底本では﹁詳くはくは﹂﹈云わんで、然しかるべき為になる家うちぐらいの事を云って、お前行ゆくか、はい参りますとぼんやりでも云ったら、そく〳〵姓名を打明けて云っても宜いいが、極らぬうちから姓名を打明けては困りますな、何うも最もう少し何か事柄の解わかるお方かと思ったら存外考えがなかった、宜しい〳〵、実は荒物屋の店でも貴公に出させようと思って、二三十金は資もと本でを入れる了簡で、媒なこ介うど親おやと頼まんければ成らぬと思いまして……最う少し万事に届く方と思ったが、冒のっ頭けに姓名を明かされては困りますねえ、実に恥入る﹂
傳﹁然う怒ったっていけません、旦那、旦那怒っちゃいけません、斯う仕ようじゃアございませんか、種いろ々〳〵私わっちも路みち々〳〵考えたが私の云う事を聴いて然うお前まえさん云ってしまってはいけねえ、あれさ、そんな事をぷん〳〵怒ったっていけません、何でも気を長くしなければ成らねえ、あの娘は不動様へ又お参りに来ましょう、そこでまだ貴方を見ねえのだから先さっ刻き私わっちが話を聴いて見ると、斯ういう墨くろの羽織を着て、斯これ々〳〵の方を御覧かと云ったら急いだから存じませんと云うから、あの娘に貴方を見せたいや、貴方ね、二十二まで独ひと身りで居るのだから、十つ九ゞや二はた十ちで色いろ盛ざかり男欲しやで居るけれども、貴方をすうっとして美いゝ男おとこと知らず、矢やっ張ぱり村の百姓と思って居るから厭だと云うかも知れねえから、お前さんの色白で黒の羽織を着てね、それが見せたい、まだ当人に逢わないからで、娘が逢いさえすれば直すぐだからお逢いなさい﹂
典﹁逢うたって、それ程厭てえものを逢う訳にはいきません﹂
傳﹁それは工夫で、お前さんと二人で例の茶見世へ行って、旨くもねえ、碌なものはねえが、美いい酒を持って行って一ぱい遣やって、衝つい立たての内に居るのだね、それで娘がお百度を踏んで帰けえる所を引ひっ張ぱり込こんで、お前さんが乙おつう世辞を云って一杯飲んでお呉れと盃をさして、調子の好いい事を云うと、娘はあゝ程の宜いい人だ、あゝ云う方なら嫁に行ゆきたいとずうと斯う胸に浮うかんだ時に、手を取って斯う酔った紛れに□ってしまうが宜い、こいつは宜い、これは早い、それで伯父さんに掛合うからいけないが、当人に貴方を見せてえ、これが私わっちは屹きっ度と往いこうと思っている﹂
典﹁だけれども何かどうも赤面の至りだな、無むや暗みに婦人を引張込んで宜しいかねえ﹂
三十四
傳﹁宜しいたって、お前さんの様な人は近きん村そんに有りゃアしません、だからお前さんを見せたい、ちょっと斯こう大めかしに着物も着替え、髪も綺麗にしてね﹂
典﹁何どうも何なんだか、宜しいかねえ、旨く往いくかねえ﹂
傳﹁宜しいてえ是は訳はねえ、明あし日た遣やりましょう﹂
と悪い奴も有るもので、柳田典藏も己うぬ惚ぼれが強いから、
典﹁じゃア往いきましょう﹂
と翌あし日たは彼かの大滝村へ怪しい黒の羽織を引ひっ掛かけて、葮よし簀ずっ張ぱりの茶屋へ来て酒さけ肴さかなを並べ、衝つい立たての蔭で傳次が様子を窺うかゞって居ると、おやまが参って頻しきりにお百度を踏み、取急いで帰ろうとすると飛出して、
傳﹁姉ねえさん﹂
やま﹁はい﹂
傳﹁此の間は﹂
やま﹁はい此の間は誠に﹂
傳﹇#﹁傳﹂は底本では﹁ぱ﹂﹈﹁此こな間いだ話したね柳田の旦那が彼あす処こで一杯飲んで居るが、一ちょ寸っとお前さんに逢いたいと云って﹂
やま﹁有難うございますが、私わたくしは急ぎますから﹂
傳﹁お急ぎでしょうが、そんな事を云っちゃアいけねえ、此こな間いだね、旦那にお頼たのみの事はいけねえと云うと、手てめ前えは行ゆきもしねえで嘘だと云って疑ぐられて居て詰らねえから、お前さん厭でも一寸上あがって、傳次さん此間はお草そう々〳〵でしたと云えば宜いい、然そうすれば私わっちが行ったてえのが通じるのだから、彼あそ処こへ往って一寸私に挨拶するだけ﹂
やま﹁いけませんよ﹂
傳﹁いけねえてえ私わっちが困るから、野や暮ぼなことを云わずにお出でなさい﹂
と無理に引ひき摺ずり込んだから仕方なしにひょろ〳〵蹌よろけながら上あがり口ぐちへ手を突くと、臀しりを持って押しますから、厭々上って来ると、柳田典藏は嬉しいが満ちてはっと赤くなり、お世辞を云うも間が悪かったか反そり身みになって、無闇に扇で額を叩き、口も利かずに扇を振り廻したりして、きょと〳〵して変な塩あん梅ばいで有りますから、
傳﹁旦那、旦那お連れ申しました、此こち方らへ〳〵、ぐず〳〵して居てはいけねえ、姉ねえさんに御挨拶をさ﹂
典﹁これは何うも誠に、何か、御信心参りにお出での処ところを斯様なる処へお呼立て申して甚だ御迷惑の次第で有ろうと申した処が、何か、御迷惑でも御酒を飲あがらぬなれば御膳でも上げたいと思って、一寸これへ、何うも恐入ります、一寸只御酒はいけますまいから、じゃア御膳を﹂
と云うのを傳次は聞いて、
傳﹁いけねえね、そんな事ばかり云って困るな、めかして居て……一寸姉さんお盃を、お酌を致しますから﹂
やま﹁何をなさる、お前さん方は何をなさるのでございますえ、私わたくしの様な馬鹿でございますけれども、あなた方は何もお近ちか眤づきになった事もない方が無むり理や遣りにこんな処へ手を持って、厭がる者を引張込んで、人の用の妨げをして、酒を飲めなんて、私わたくしは酒のお相手をする様な宿屋や料理茶屋の女とは違います、余り人を馬鹿にした事をなさいますな﹂
傳﹁旦那、腹を立っちゃアいけねえ……姉さん然そう云っちゃアから何うも仕様がねえ、それは然うだがね姉さん人の云う事をお聞きなさいよ、この旦那は早く言えばお前さんに惚れたんだ……旦那、黙って其そっ方ちにおいでなせえ、お前さん口を出しちゃアいけねえ、黙って頭を叩いておいでなさい…姉さん、人の云う事をお聞きよ、此こな間いだ伯父さんへ掛合ったのだ、宜いいかえ、処がそれはお父とっさんが居ねえので元服もせずに待って居ると云うお話だから、その事を柳田さんに話すと、それは御ごも尤っともだてんで、今日も柳田さんがお前さんを呼んでくれと云ったのではない、全く私わっちの了簡で、旦那は誠に感心な娘だと云うので、どうも十六年も音おと信ずれをしない親おや父じを待って、それ程までに元服もせずに居るとは、実に孝行な事だから嫁が厭なら宜しいが、実にその志こゝ操ろざしに傳次や尚なお惚ほれるじゃアねえかと斯こういう旦那の心持で、誠に尤もっともだからそう云う事ならせめて盃の一つも献とり酬やりして、眤ちか近づきに成りたいと云うので、決して引張込んで何う斯うすると云う訳じゃアないが、お前さんが得心して嫁になれば弟も引取って世話をすると云う、実に仕合せだから、うんと云ったら宜いいじゃアないか﹂
やま﹁何をうんと云うのでございますえ、私わたくしの身の上は伯父に﹂
傳﹁それは伯父さんに聞いたよ、遁いい辞ぬけで伯父さんに托かこつけると云う事は知ってる﹂
やま﹁知って居るなれば何も仰しゃらんでも宜いいじゃア有りませんか、私わたくしも今は浪人しては居りますけれども、やはり以前は少々御ご扶ふ持ちを頂きました者の娘でございます、あなた方の御酒のお相手を致すような芸者や旅稼ぎの娼じょ妓うろとは違います、余りと申せば失礼を知らぬ馬鹿〳〵しいお方だ﹂
三十五
傳﹁あれ、それじゃア姉ねえさん、だがね、困るねどうも、然そうお前さん言ってしまっては……何とか云い様が有りそうなものだ、何どうも困るね、左そ様うじゃア﹂
やま﹁左様じゃアって考えて御覧なさい、お前さんは頼まれたか知らないが、此こ処ゝにいらっしゃる方は大小を差した立派なお武家様で、人の娘を知りもしない処ところへ無む理り遣やりに引ひき摺ずり込こんで、飲めもしない者に盃をさして何うなさる、彼あの方は本当に馬鹿々々しくて、私わたくしも武士の家に生れたが、武家はそんな乱暴な馬鹿な真似は為しはしません、余あんまり馬鹿な事で呆れて愛想もこそも尽果てた厚かましい人だ﹂
典﹁なに厚かましいと、何なんだ、馬鹿々々しいとは何だ、否いやなら否で宜しい、無理に嫁に貰おうと云う訳ではないが、手前が……﹂
やま﹁厚かましいから厚かましいと申しました、袖をお放しなさいよ﹂
と袖を引張るのを、
やま﹁お放しなさい﹂
と立上りながら振切って百度の籤くじをぽんと投付けると、柳田典藏の顔へ中あたったから痛いとうございます。はっと面つらを押えて居るうち戸おも外てへ駈出しました。
典﹁傳次々々﹂
傳﹁へえ、何うも彼あの通りで仕様がねえ﹂
典﹁だからいけぬと云うに、無理遣りに連れ出して、内ない々〳〵ならば仕様も無いが、斯こういう茶見世へ参って恥を与えるとは怪けしからん事﹂
傳﹁お前さん、そう怒っちゃアいけねえ﹂
典﹁貴様は最もう己おれの家うちへ来るな﹂
傳﹁そんな事を言ってはいけねえ、旦那腹を立ってはいけません、婆ばゝあがね、娘の跡を追おっ掛かけたが、居ないから最う仕方がないが、お前さん腹を立っちゃアいけません、そこは処きむ女すめで、仮たと令い向うが惚れていても、気き障ざだよお止しよと振払うのは娘っ子の情で、殊ことには二十二まで何だって島田で居る様な変り者もんだから、気短かに何う斯うと云うなア、からもう色をした事もないようで、極りが悪いじゃア有りませんか、何でも気長に往いかなければいけません、旦那斯うしましょう﹂
典﹁もう手前の云う事は聴かぬ、種いろ々〳〵の事を云って籤さしを投付けて﹂
傳﹁籤さしなんぞは何でも無い、此の前張倒されて溝どぶへ落ちた人も有るそうでねえ、斯うなさい、娘を何うかして、そーッと他わ処きへ連れて行こう﹂
典﹁連れて行って何うする﹂
傳﹁何うすると云ってまアお聞きなさい、何ど処こかへ夜連出して、酷ひどい様だが私わっち一人ではいけねえ、ぎゃア〳〵云わねえ様に猿さる轡ぐつわでも箝はめて、庄吉と二人で葉はび広ろや山まへ担かついで行って、芝しば原はらの綺麗な人の来こねえ処で、さて姉さん、是程惚れて居る者を宜く此こな間いだは大滝村で恥を掻かしたな、殺して仕舞うと云うのだが、可愛くって殺せねえ、若もし云う事を聴かぬ時は武士が立たぬとか男が立たぬとか云って、何でも女にょ房うぼに成って呉れ否いやてえば仕方がねえから、腕を押えても□□□寝るが何うだ、それよりは得心して知れない様にと云えば命が惜おしいから造作アねえ、それから家うちへ連れて来て、得心ずくでお前さん□□□寝ちゃア何うです宜うがすか、それで娘の方で屹きっ度と惚れるねえ、初めて男の味を覚えて、真にあゝ云う人ならと先むこ方うから惚れて、伯父さん嫁に遣やってようと先方から云うよ﹂
典﹁うーん然そう旨く往いくかえ﹂
傳﹁それは大丈夫いきますとも﹂
とそれから様子を窺うかゞって居ると、八月の十八日は白島村の鎮守の祭礼で、今日は屹度来るに相違ない、何うかして担ぎ出そうと昼から附けて居ると、昼の中うちは用が有るから物見遊山にも出ず、不動様へお参りに行ゆくだけで、夜よに入いって山之助と二人で、祭礼だから見て来ようと云って来ると、突だし然ぬけに竹藪の茂みから駈出して来て、おやまを担ぎ上げて、どん〳〵〳〵〳〵林の小こみ路ちへ駈上りました事でございますから、山之助は盗どろ賊ぼう……勾かど引わかし……と呼んで跣はだ足しで追おっ掛かけると山之助は典藏に胸をどんと突かれましたから、田の中へ仰あお向むけに転がり落ちます。其の中うちにどん〳〵と路みちを走り、葉広山まで担いで駈上ります。折から雨がざあー〳〵と降出して来ましたが、その中をどん〳〵滑る路を漸よう々〳〵と登りまして芝原へおやまを引ひき据すえて、三人で取巻く途端、秋の空の変り易やすく忽たちまちに雲は晴れ、木この間まを漏れる月影に三人の顔を睨にらみ詰め、おやまは口くや惜しいから身を慄ふるわして芝原へ泣倒れました。
三十六
傳﹁おい姉ねえさん、泣いたっていけねえ、おい、お前めえ本当に今日斯こう遣やって担かつぎ上げたのは酷ひどい、盗どろ賊ぼう勾かど引わかしと思うだろうが、然そうでない、実は旦那が又惚れたんだ、お前が籤さしをぽんと投付けて否いやだと云ったので、何うも堅い娘だ、感心だ、あんな女を女にょ房うぼに貰わないでは己おれが一旦口を出したのが恥だから、お父とっさんの帰った時はどの様にも詫わびをする……担ぎ上げたのは酷いが、話を為したいからの事だが、これから柳田の旦那の処ところへ行って……なに泊めやアしない、一ちょ寸っと彼あす処こで酒の相手をして、な、否てえば仕方がねえ、私わっちが中へ這入って旦那に済まねえ、済まねえから二人で腕を押え足を押えて居ても、否でも応でも旦那に思いを遂げさせなくちゃアならねえが、左そ様うすればお前得心ずくでなく疵きずを付けられて、他ほかへ縁付く事も出来ねえ、それよりはうんと云って得心さえすれば弟おと御うとごも仕しあ合わせ、旦那も斯こんな挙ま動ねを為たくはねえが、お前があゝ云う気性だから仕方がねえ、よう後生だ、ようそれで連れて来たんだ、私が困るから諾うんと云って、よう後生だから諾と云って呉んねえ﹂
やま﹁さア殺しておしまい、何うも恐しい悪党だ、徒党をして山へ連れて来て慰さもうとする気か、舌を噛んでも人に肌身を汚けがされるものか、さア殺してしまえ﹂
傳﹁それじゃア仕様がねえ、おいそんな事を……お前めえが否だと云えば手足を押えても□□ぜ﹂
やま﹁慰めば舌を喰切って﹂
典﹁なに﹂
傳﹁旦那腹を立ってはいけねえ、おい姉ねえさん、お前めえ否だと云えば仕方がない﹂
と無むり理や遣りに手を取りますると、
やま﹁何を、放せえ﹂
と手に喰付きますから、
傳﹁いけねえ、此のあまっちょ、おい庄吉さん□□□□□□﹂
と□□□押おし転こかし、庄吉は足を押える。
やま﹁ひー殺してしまえ、殺せえ﹂
と云う声は谺こだまに響きます、後うしろの三みみ峰ねど堂うの中に雨あま止やみをしていた行あん脚ぎゃの旅たび僧そう、今一人は供と見えて菅すげの深い三さん度どう笠がさに廻し合羽で、柄つか前まえへ皮を巻いて、鉄てつ拵ごしらえの胴どう金がねに手を掛け、千ちく草さも木め綿んの股引に甲こう掛がけ草わら鞋じば穿きで旅馴れた姿、明あけ荷にを脇に置き、一人は鼠の頭ず陀だを頸くびに掛け、白い脚きゃ半はんに甲掛草鞋。
男﹁あゝ気の毒な、助けて遣やらん﹂
と飛出しましたのは前ぜん申上げました水司又市の永禪和尚、彼かの川口の薬師堂に寺男になって居ると、尼様に寺男が御経を教えて居る、あれは寺男が本当の坊主の果で有ろうと段々噂が高くなり、薄気味が悪いから、川口を去って越後から倉くら下げみ道ちを山越をして信濃路へ掛って、葉広山の根方を通り掛ると村雨に逢い、少しの間雨あま止やみと三峰堂へ這入って居ると、雨も止みましたから、支度をして出ようと思う処へ人殺し、殺してしまえと云う女の鉄かな切きり声ゆえ、つか〳〵と飛出しまして、又市は物をも言わずに、娘の腕を押えて居りました傳次の襟えり髪がみを取って引倒し、足を押えて居た庄吉の頤あごを土足で蹴倒しますると、柳田典藏は驚き、何者だと長いのを引抜いて振上げる。此こち方らも透すかさず道中差をすらりっと引抜き、
又﹁何者とは何なんだ、悪い奴らだ、繊かよ弱わい女を連れて来て、手てま前いた達ちが何か慰もうと云うのか、ひい〳〵泣く者を不埓な奴だ、旅だから許してやる、さっ〳〵と行いけ、兎とや角こう云えば承知致さぬぞ、さっさっと行け﹂
傳﹁あゝ痛いたえ、突だし然ぬけに無闇と蹴やアがって、飛んだ奴だ、手てめ前えは訳を知るめえが己達は勾かど引わかしでも何でもねえ、この女あまっちょには訳があって旦那に済まねえ廉かどが有るから、此こっ方ちが為になる様に納得させようと思って居るのに、きいきい云やアがるから嚇おどしに押えるのだ、お前めえは何も知らねえで、何もいらざる所へ邪魔アしやアがるな、旅の者だと吐ぬかしやアがる手前は﹂
と月影で顔を見合せると、互に見忘れませぬ。又市も傳次も見たようなと思うと、庄吉は宗慈寺に旧来奉公して居りましたから永禪和尚の顔を能よく知って居りますから、
庄﹁えゝ〳〵〳〵貴方は高岡の永禪様﹂
永﹁庄吉か﹂
庄﹁永禪様か﹂
と此の時は又市も驚きまして、此こい奴つらは吾わが身みの上うえを知って居る上からは助けて置いては二人の難儀と思い、永禪和尚と声を掛けられるや否や持って居た刀で庄吉の肩へ深く切付ける、庄吉はきゃアと云って倒れる。傳次は驚いて逃げに掛る処を袈けさ裟が掛けに切りましたから、ばったり倒れると、柳田典藏は残念に思い、この乱暴人と自分の乱暴人を忘れ振ふり冠かぶって切掛ける。又市は受損じ、蹌よろめく機はずみに又市が小こび鬢んをはすって頭かしらへ少し切込まれたが、又市は覚えの腕前返す刀に典藏が肱ひじの辺あたりへ切込みますと、典藏は驚き、抜刀を持ちながらばら〳〵〳〵〳〵山から駈かけ下おりました。傳次は面部へ疵きずを受けながら、
﹁太ふてえ奴だ人殺し﹂
と又市の足へ縋すがり付く処を。
又﹁放せえ、うーん﹂
と止とゞめを刺しましたから、其の儘息は絶えました。
永﹁惠梅々々﹂
梅﹁はい恟びっくりしました﹂
又﹁宜いいかえ﹂
梅﹁あゝ怖い﹂
又﹁お前は嘸さぞ怖かったで有ろうのう、斯かよ様うな奴を助けて置くと村方を騒がして何どの様ようなる事を為するかも知れぬから、土地の助けに殺したのだ﹂
やま﹁有難うございます、命の親でございます﹂
と手を合せたが、おやまは後あとへ下さがる、是は又市が刃物を持って居りますから気味が悪いから後へ下る。
又﹁何も心配は無いから﹂
と血のりを拭ぬぐって鞘さやに納め、額の疵へ頭陀の中より膏こう薬やくを出して貼付け、後うし鉢ろは巻ちまきをして、
又﹁さア是から家うちまで送ろう﹂
とおやまの手を取って白島村へ帰ろうとする途中、山之助が帰って伯父に知らせたから、村方の百姓二十人許ばかりおやまの行方を捜しに来る者に途中で出逢い、これから家まで送り届けると云う。是が縁に成って惠梅と水司又市の二人がおやま山之助の家へ来て永く足を留める。これが又一つ仇あだ討うちに成りまする端いと緒ぐちでございます。
三十七
おやまの危あやうい処ところを助けて、水司又市と惠梅比丘尼は彼かのおやまの家うちまで送って参る途中で出会いました者は、弟山之助に村方の者でございます。
山﹁姉は何ど処こへ担がれて参ったかと、伯父多右衞門と大きに心配して尋ねに参る処で、貴方が助けて下すったか有難う存じます﹂
皆々も大悦びでございます。
又﹁実は斯こう云う訳で、図はからずも通り掛ってお助け申したが実に危あぶない事であった、併しかしお怪我もなくて幸いの事で有りましたが、就ついては私わしも止むを得ず二人まで殺したからは其の届を出さなければ成るまいが﹂
多﹁はい〳〵届けましても御心配はございません、重々悪い事が有る奴でございますから﹂
と是から名主へ届けました処が、素もとより悪人という事は村方で大概ほしの付いて居ります旅魚屋の傳次なり、おやまを辱はずかしめようとした廉かどがあり、直すぐに桑名川村へ調べに参ると、典藏は家を畳み、急に逐電致しました故、此の事は山家ではあるし、事なく済みましたが、此こっ方ちは急ぐ旅でないから疵きずの癒なおる間逗留して下さいと云われ、おやま山之助二人暮しの田舎住ずま居い、又市は幸いにして膏薬を貼って此の家いえに逗留して居る間は、惠梅比丘尼は方々へ斎ときに頼まれて参り、種いろ々〳〵な因縁話を致しまして、
梅﹁私も因縁あって尼になり、誠に私は若い時分種々の苦労も有ったが、只今では仏道に入いって胸の雲も晴れて、実に世の中を気楽に渡る、是が極楽と申します﹂
などと、尤もっともらしい事を云うと、田舎の百姓衆は此こち方らへ何どう卒ぞいらっしゃって、私の親類が三里先に有りますが、是へもと云ってお布施を貰い、諸方へ参ってお斎を致しますと、お布施の外ほかに割ひき麦わり或あるいは粟あわ稗ひえなどを貰って、おやまの家うちの物を食って居るから、実は何い時つまでも置いて貰いたいと思って居りますうちに疵も癒り、或ある日ひ惠梅比丘尼は山之助と隣村まで参りまして、又市は疵口の膏薬を貼替えまして、白布で巻いては居りますが、疵も大方癒いえたから酒さけ好ずきと云う事を知り、膳ぜん立だてをして種々の肴を拵こしらえまして、
やま﹁もしあなた、一杯お酒を癇つけましたから召上りませんか、お医者様も少し位召上っても障さわりには成らないと仰しゃりますから、一口召上りまして﹂
又﹁いや誠に有難う、大した事ではなし、一体酒が好すきで旅をするには一杯飲めば気が晴れるから、宿で一杯出せば尼様に隠して内ない所しょで飲むこともある、これは〳〵有難う……えゝお前はまア姉きょ弟うだ衆いしゅう二人ながら仲よう稼ぎなさる、暗いうちから起きて糸を繰ったり機はたを織ったり、また山之助さんは牛ぎゅ馬うばを牽ひいて姉弟で斯う稼ぐ人は余り見た事がない、実に感心の事じゃ﹂
やま﹁いゝえもう二人ながら未だ子供のようでございます、彼あれが年も往いきませんから届きません、只私を大事にして呉れます、日々あゝやって御城下へ参りまして、荷を置いて参ります、又彼あち方らから参る物は此こち方らへ積んで参りまして少々の賃ちん銭せんを戴きます、はい宜く稼ぎますが、丁度飯山の御城下へまいり、お酒の美よいのを買って参りましたが、お肴は何なんにもございませんが、召上って下さいまし﹂
又﹁いや此こ処ゝらは山家でも御城下近いから便利でございます、一杯頂戴致しましょう、是ははい御馳走に成ります……一杯酌ついで下さい、四五日酒を止やめて居たので酔いはせんかな﹂
やま﹁どうぞ召上って﹂
となみ〳〵とつぐ。素もとより好きな酒、又市二三杯飲むうち、少し止めて居たから顔へ色がぼうと出ましたけれども、桜色という訳にはいきません、栗くり皮かわ茶ちゃのような色に成りましたが、だん〳〵酔えいが廻りますと、もとより邪じゃ淫いん奸かん智ちの曲くせ者もの、おやまは年と齢し二十二でございます、美くしい盛りで、莞にっ爾こりと笑います顔を、余念なく見て居りましたが、
又﹁あゝ見み惚とれますねえ、お前さんの其の、品の良いこっちゃなア…あゝ最う十分に酔えいました、もしおやまさん〳〵﹂
やま﹁はい﹂
又﹁あの何なんで、この先に伯父さんが有るが、彼あれはあなたの真実の伯父さんかえ﹂
やま﹁はい私わたくしの真実の伯父でございます﹂
又﹁御両親はないのかえ﹂
やま﹁はい両親はまアない様なものでございます、母は亡なりましたが、親父は私わたくしの少ちいさい時分行方知れずに成りましてから、いまだに音沙汰がございません、死んだと存じまして出た日を命日として居りますが、ひょっとして存命で帰って来たらと姉きょ弟うだいで信心して居ります位で﹂
又﹁はア左様かえ、お前さんまだ御ごて亭い主しは持たずに﹂
やま﹁はい﹂
又﹁二十二に成って亭てい主しゅを持たずに、此のどうも花なら半開という処その何うも露を含める処を、斯う遣やって置くは実に惜しいものじゃアね、お前さん﹂
やま﹁はい﹂
又﹁お前まアねえ、一杯飲みなさいな﹂
やま﹁いゝえ私わたくしは御酒は少しも戴きません﹂
又﹁其そ様んな事云わんでも宜よい、私わしのじゃアに依よって半分ぐらい飲んで呉れても宜いじゃないか﹂
三十八
やま﹁いゝえ半分などと仰しゃっては困ります、お厭なれば何どう卒ぞ其そ処こへお残し遊ばして﹂
又﹁おやまさん、私わしは最うこれ四十に近い年をして、お前のような若い女おな子ごを想うても是は無駄と知っては居るが、真実お前のような柔やさしい、器量といい、其のどうも取廻しなり口の利きようといい別じゃアて、心に想うて居ても私はまア今まで口に出して言やせぬが何どうだえ、私は真実お前に惚れたぜ﹂
とおやまの手を取ってぐっと引寄せに掛りましたから堅い娘で驚きまして、振払って後あとへずうと下さがりまして、呆れて又市の顔を見て居りました。
又﹁怖がって逃げんでも宜えいじゃないか﹂
やま﹁あらまア貴あな方た御冗談ばかり仰しゃって困りますよ﹂
又﹁困る訳はない、宜よいじゃアないか、えゝ只たった一度でもお前私わしの云う事を聴いて呉れたら、お前の為には何どの様ようにも情じょ合うあいを尽そうと思うて居る﹂
やま﹁御冗談でございましょう、貴方の様な方が私わたくしの様な者にそんな事を仰しゃっても私は本当とは思いません﹂
又﹁何な故ぜ、私わしは年を取って冗談やおどけにお前さん此こ様んな事を言掛ける事はない、お前さん、実は疾とうから真に想うても云出し兼ていたが、酔うた紛れに云うじゃアないけれども、お前さん私は只たった一度で諦めますぜ﹂
やま﹁あなた本当に仰しゃるのですか﹂
又﹁本当だって今まで如い何かにも好よい娘じゃアと思うても色気も何も出やアせぬが、けれども朝夕膏薬を貼替えて呉れる其の優しい手で額を斯こう押えて呉れまする、其のどうも手当に私わしは惚れた、さア最う斯う云い出したら恥も外聞もないじゃア、誰たれも居おらぬは幸いじゃア、只たった一度で諦めるから﹂
やま﹁あら呆れたお方様で、それでは折角の貴方御親切も水の泡になります、伯父も彼あ様んなお方はない、額に疵きずを受けるまで命懸で助けて下すったから、その御恩を忘れては済まないよと伯父も申しますから、私わたくしも有難いお方と存じて居りまして、実に届かぬながらお世話致します心得でございますに、そんな事を仰しゃって下さると実に腹が立ちます﹂
又﹁腹が立ちますと云ったって、恩義に掛けるわけではないが、けれども、宜よいじゃアないか、私わしも命懸で彼あす処こへ這入って助け、私が通り掛らぬ時は、悪者に押え付けられて、否いやでも応でも三人のため瑕き瑾ずが付くじゃアないか、それを助けて上げたから、彼処で□□□□れたと思うて素性の知れた私に一度ぐらい云う事を聴いても宜いじゃアないか﹂
やま﹁貴方にはお内かみ儀さんがお有んなさるではございませんか﹂
又﹁女房は有りやせん﹂
やま﹁あら惠梅様は貴方のお内儀でございます、お比丘尼様に済みませんから貴方の側へは参りません﹂
又﹁比丘だって彼あれは女房ではない、彼れは山口の薬師堂に居た時に私わしは寺男に這入ったので﹂
やま﹁それでも夜分は一緒に御げ寝しなるじゃアございませんか﹂
又﹁御寝なるたって彼あい奴つが薬師堂に居た時、私わしは奉公に這入ったが、彼奴も未だ老おい朽くちる年でもないから、肌寒いよって、この夜着の中へ這入って寝ろと云うので、拠よんどころなく這入って寝たが、婆ア比丘尼じゃアから厭で〳〵ならん、お前がうんと云うてくれゝば、惠梅に別れて、私は此こ処ゝの家へ這入って働き男になり、牛うし馬うまを牽ひいたり、山で麁そ朶だをこなし、田畑へ出て鋤すき鍬くわ取っても随分お前の手助けしようじゃアないか、然そうして置いて下さい﹂
やま﹁そんな事を仰しゃっては困ります、それでは明あし日たにも直すぐにお発た足ち遊ばして下さい、私わたくしは御恩になったお方ゆえ大事と思うから手厚くお世話をするのでございます、それを恩に掛けるなれば、私も随分貴方へ御恩報じと思って出来ないながらも看病して居る心得でございます、はい﹂
又﹁お前のように堅く出られては面白くない、そんな事を云わずに﹂
と無理遣りに手を取って引寄せまする。この時は腹が立ちますから殴はり付つけてやりたいと思うが、そこは命を助けられた恩義が有るから、余り無下にしても愛あい想そう尽づかし気の毒と存じまして、おやまは何うしようかともじ〳〵して居ります。
三十九
又市は増長して無理に引付け、髯ひげだらけの頬ほう片ぺたをおやまに擦こすり付けようとする処ところへ、帰って来たは惠梅に山之助でございますが、山之助は気の毒だから後あとへ下さがる。惠梅は腹を立って、麁そ朶だを持って二三度続けて殴ったから胆きもを潰つぶして、
又﹁いや帰ったか﹂
梅﹁まことに呆れてしまって……おやまさん、さぞ腹が立ちましたろう、私も恟びっくりしました、山之助さんにも誠にお気の毒で、お前さん何をするのだよ、おやまさんにさ﹂
又﹁誠に困ったなア、今御馳走が出たので一杯遣やった処ところ、つい酔うてそのな、酒を飲めば若い女おな子ごに冗談をするは酒さけ飲のみの当り前だ、突いき然なり打ぶちやアがって、打たんでも宜えいわ﹂
梅﹁おやまさんお腹も立ちましたろうが堪忍して下さいよ、私は少し云う事が有りますから彼あち方らへ行って居て下さい、余あんまりやれこれ云って下さると増長するのでございますから、どうぞ其そち方らへ……又市さん今の真似はあれは何なんだえ﹂
又﹁酔うたのだよ、酔うて居るから宥ゆるせと云うに……困ったね、突いき然なり打ぶつとは酷えらい、疵きずが出来たらどうも成らん、みともないわ﹂
梅﹁何だえ今の真似は、ようお前幾いく歳つにお成りだよ、命を助けたの何のと恩義に掛けて、あの娘こが彼あん様なに厭がるものを無理に引寄せてなぐさむ了簡かえ、呆れた人だね、怖い人だね﹂
又﹁怖い事は有りやせん、若い娘にからかうは酒飲の当り前だ﹂
梅﹁当り前だって宿屋の女中や芸者じゃアない、一軒の主あるじじゃアないか、然そうして姉きょ弟うだいで堅くして彼あアやって、温おと和なしくして居る堅かた人じんだよ、伯父さんも村方で何なんとか彼かんとか云われる人で失礼ではないか、お前さんを主人の様に、姉弟二人で私の事を尼様々々と大事に云って呉れるじゃアないか、それに恩を被きせてあんな真似をすれば、今までの事は水の泡に成るじゃアないか﹂
又﹁己が悪いから宥せ﹂
梅﹁宥せじゃアない、お前さんは何だね、あの娘こがもし義理に引かされて、仕方なしにあいと云ったら、あの娘をなぐさんで、あの娘と訝おかしい中になると、私を見捨る気だね﹂
又﹁いゝや見捨てやアせんじゃア、そのような心ではない﹂
梅﹁おとぼけでない、嘘ばかり吐ついて、越後の山口でお前の処へ這込んだ助すけ倍べい比丘尼と云ったろう﹂
又﹁あゝ聞いて居たな、酔うた紛れだ……打ぶつな、血が染にじんで来た﹂
梅﹁私はお前さん故で斯こん様なに馴れない旅をして、峠を越したり、夜よる夜よな中か歩いて怖い思いをするのはお前さん故だよ、お前さんも元は榊原様の藩中で、水司又市と云う立派な侍では有りませんか、武士に二言はない、決して見捨てない、おれも今までの坊主とは違い、元の武士の了簡に成ったから見捨てないと云うから、亭主にしたけれども、お前さん何だろう、浮気をして私を見捨る人だと思うと心細くって、附いて居るも何だかどうも案じられて、見捨られたら何うしようと思うと、こんな山の中へ来てと考えると心細くなるよ﹂
又﹁見捨てやアせん﹂
梅﹁見捨てかねないじゃアないか、見捨てられて難儀するも罰ばちと思うのさ、終ついには七兵衞さんの祟たゝりでも、私の身も末すえ始終碌な事はないと思っては居りますけれどもね﹂
又﹁愚痴をいうな、一ちょ寸っと酔うた紛れに云うたのだ…大きな声をするなよ﹂
梅﹁お前さんも高岡の大工町で永禪和尚という一箇寺の住職の身の上で有りながら、亭主のある私に無理な事を云うから、否いやとも云えない義理詰に、お前さんと斯こういう訳に成ったのが私の因果さ、それで七兵衞さんを薪割で殺して﹂
又﹁これ馬鹿、大きな声をするな﹂
梅﹁云いたくもないけれどもさ、先さっ刻き云う事を聞けば、比丘尼を打うっ捨ちゃってしもうても、お前がうんと云う事を聴けば、おれは此の家うちへ這入って、寺男同様な働きをして牛うし馬うまを牽ひいて百姓にもなろうと云ったが、能よくそんな事が云われた義理だと思って居るよう﹂
四十
又﹁それは悪いよ、悪いが大きな声をして聞えると悪いやアな﹂
梅﹁いったって宜いいよ﹂
又﹁馬鹿いうなよ﹂
梅﹁言ったって宜ようございます﹂
又﹁宜よいたって、此の事が世間に知れちゃアお互に﹂
梅﹁お互だって当りまえで、馬鹿々々しいね、本当に能よくあんなことが云われたと思うのだよ、私は本当に高岡を出て、お前に連れられて飛騨の高山越ごえに﹂
又﹁そんな事を云うな、己が悪いよ﹂
梅﹁唯たゞ悪いと云えば宜いゝかと思って、お前は見捨る了簡になったね﹂
又﹁あいた〳〵〳〵痛い、捻ねじり上げて痛いわ、何なんじゃア﹂
梅﹁痛いてえ余あんまりで﹂
又﹁また殴はり付つけやアがる、これ己が悪いから宥ゆるせと云うに、おれが酔うたのだ、はっと云う機はずみじゃア﹂
梅﹁わたしはもう厭だ、此こ処ゝに居るのは厭だよ、立つよ﹂
又﹁おれも立つよ、おれが悪いから宥せ﹂
と悋りん気きでいうが、世間へ漏れては成りませんから、又市は種いろ々〳〵に宥なだめて、その晩は共に臥ふせりましたことで、先まず機嫌も直りましたが、翌よく朝あさになり、又市は此処に長く居ては都合が悪いと心得、正ひ午る時分までは何事もなくって居りましたが、昼飯を食ってしまって急に出立と成りましたから、おやまも悦び、いやな奴だから早く立った方が宜よい、それでも義理だから伯父を喚よんで詰らぬ物でも餞別など致します。これを又市が脊し負ょいまして暇いと乞まごいをして出立致しました。御案内の通りあれから白島村を出まして、青あお倉くらより横よこ倉くらへ掛り、筑ちく摩まが川わの川上を越えまして月つき岡おか村むらへ出まして、あれから城しろ坂さか峠とうげへ掛ります。此こち方らを遅く立ちましたから、月岡へ泊れば少し早いなれども丁度宜よいのを、長い峠を越そうと無むや暗みに峠へ掛りますると、松しょ柏うはく生おい茂しげり、下を見ると谷川の流れも木この間まより見え、月岡の市ま街ちを振返って見ると、最うちら〳〵灯あかりのつく刻限。
又﹁あゝまだ月が出ねえで、真まっ闇くらになったのう﹂
梅﹁ちょっと〳〵又市さん、私は斯こん様なに暗い処ところではないと思ったが、斯様に暗くなっては提ちょ灯うちんがなくっては歩けないよ﹂
又﹁提灯は持っている﹂
梅﹁灯あか火りをお点つけな﹂
又﹁もう些ちっと先へ行って﹂
梅﹁先へ行ゆくたって真まっ暗くらで仕様がない、全体月岡へ泊れば宜いいに、この峠を夜越して来たから仕様がないよ﹂
又﹁己も越したくも何ともないわ、えゝ汝てめえがぎゃア〳〵騒ぎ立てるから彼あす処この家うちにも居おられず、急ぐ旅ではなし、彼処に泊って彼処の物を喰って居て、お斎ときに出て貰った物が溜たまれば、後あとの旅をするにも宜よい、後の旅が楽じゃア、それを詰らぬ事に嫉やき妬もちでぎゃア〳〵云うから居おられないで、拠よんどころなく立って来たのだ﹂
梅﹁よんどころなく立ったにもしろ月岡へ泊れば宜いいのに、夜になって峠を越すのは困るね﹂
又﹁困って悪ければ是から別れよう﹂
梅﹁別れて何どうするの﹂
又﹁汝てめえおれが横よこ面ッつらを宜くも人中で打ぶったな﹂
梅﹁打ったってお前そんな事を何い時つまでも腹を立って居るがね、私も腹立紛れに打ったのじゃアないか、彼あの娘こが義理ずくで、命を助けられた恩義が有るから、お前の云う事を聴けば見捨てかねないよ﹂
又﹁仮たと令え見捨てると云ったにもせよ、何故苟かりそめにも亭主の横面を打うつという事が有るか﹂
梅﹁打ぶったのは悪いが、お前さんも彼あ様んな事をお云いだから、私も打ったのじゃアないか﹂
又﹁打ったで済むか、殊ことに面部の此の疵きず縫うた処が綻ほころびたら何うもならん、亭主の横面を麁そ朶だで打つてえ事が有るか、太ふてえ奴じゃア汝おのれ﹂
と拳を固めて、ぽんと惠梅比丘尼の横よこ面つらを打ったから眼から火が出るよう。
梅﹁あゝ……痛い、何をするのだね、何を打つのだよ﹂
又﹁打ったが何うした﹂
梅﹁呆れてしまう、腹が立つなればね、宿屋へ泊って落おち著ついてお云いな、何もこんな夜道の峠へかゝって、人も居ない処へ来て打ぶち擲たゝきするは余あんまりじゃアないか、此こ処ゝで別れるとお云いのはお前見捨てる了簡かえ﹂
四十一
又﹁己は愛あい想そが尽きて厭になった、ふつ〳〵厭になった、坊主頭を抱えて好よい年をして嫉やき妬もちを云やアがるし、いやらしい事ばかり云うから腹が立って堪たまらんわい、人中だから耐こらえて居た、殊ことに亭主の頭を打ぶちやアがって、さア是れで別れよう﹂
梅﹁呆れてしまった、私を見捨てる…あ痛い何をするのだね、何どうも怖ろしい人じゃアないか、腹立紛れに打ったのは悪いと謝まるじゃアないか、こんな峠へ来て何だねえ、私を見捨てゝ行ゆき処どころのない様にして何うする気だねえ﹂
又﹁何うも斯こうもない、一大事の事を嫉やき妬もち紛まぎれにぎゃア〳〵云って、二人の首の落るを知らぬか、余あんまり馬鹿で愛想が尽きた﹂
梅﹁愛想が尽きたってお前さん﹂
又﹁さっ〳〵と行ゆけ﹂
梅﹁あれ危い、胸を突いて谷へでも落ちたら何うするのだね、本当に怖い人だ、それじゃア何だね私にお前愛想がつきて邪魔になるから、お前の身の上を知って居るから谷へ突落して殺す了簡かえ﹂
又﹁えゝ知れた事だ﹂
と云いながら道中差の小長いのを引抜きましたから、お梅は驚きまして、ばた〳〵〳〵〳〵逃げかゝりましたなれども、足場の悪い城坂峠、殊には夜道でございますから、あれ人殺しと声を立てに掛ったが、相手は亭主、そこは情と云うものが有るから、人殺しと云ったら人でも出て来て、二人の難儀に成りはしないかと思い、
梅﹁あれ気を静めないか、全く別れるなら話合いに﹂
と言掛けまするが、最もう取とり上のぼせて居りますから、木の根に躓つまづき倒れる処を此こち方らは駈かけ下おりながら一刀浴せ掛ければ、惠梅比丘尼の肩先深く切付けました。
梅﹁あゝ私を切ったな悪党、お前は私を殺して彼あのおやまさんを又口説こうという了簡だな﹂
と足にしがみ付くを、
又﹁おゝ知れた事だ﹂
と云いながら、刀を逆さか手てに持直し、肩かい胛がらぼねの所からうんと力に任して突きながら抉こじり廻したから、只たった一突きでぶる〳〵と身を慄わして、其の儘息は絶えましたが、麓ふもとから人は来はせぬかと見ましたが、誰たれあって来る様子もないから、まず谷へ死骸を突落そうと思うと、又市の裾に縋すがり付いたなりで狂い死じにを致しました故中々放す事が出来ませんから、惠梅の指を二三本切落して、非道にも谷川へごろ〳〵〳〵〳〵どんと突落し、餞別に貰いました小あず豆きや稗ひえは邪魔になりますから谷へ捨て、血のりを拭って鞘に納め、これから支度をして、元来た道を白島村へ帰って来ました。悪い奴は悪い奴で、おやまの家うちの軒下へ佇たゝずんで様子を聞くと、おやま山之助は、何かこそ〳〵話をしている様子でございます。とん〳〵〳〵〳〵。
又﹁おやまさん﹂
山﹁はい誰だえ﹂
又﹁一ちょ寸っと開けてお呉んなさい、又市じゃア明けてお呉んなさい﹂
やま﹁又来たよ、又市が何うして来たねえ﹂
山﹁はい何でございますか、昼間お立ちなすった方ですか﹂
又﹁一寸開けて下さい、災難事が有って来たから﹂
山﹁はい〳〵﹂
と山之助が表の半はん戸どを開けますと、きょと〳〵しながら這入って、
又﹁此こち方らへ惠梅比丘尼は来ませんか﹂
山﹁いゝえお出いでなさいません﹂
又﹁はてな何うも、今に此方へ来るに相違ないが、城坂峠へ掛るとね、全体月岡へ泊れば宜かったが、修行の身の上路銀も乏しいから一二里は踏越そうと思ったから、峠の中ばまで掛ると、四人ばかり追剥が出まして、身ぐるみ脱いで置いて往いけという故、此こっ方ちは修行者でございますから路銀は有りませぬ、お比丘尼を助けてと云うに、然そうは往かぬときら〳〵する刀を抜いて威おどす故、私わしがお比丘に目めく配ばせしたら惠梅比丘尼は林の中へ駈込んで逃げたから、最う宜よいと思い、種いろ々〳〵云って透すきを見て逃げようと思い、只今上げます、些ちっとばかり旅ろぎ銀んも有るから差上げますから、手をお放しなさいと云うと、ほっと手が放れるが否いな﹇#ルビの﹁いな﹂は底本では﹁いや﹂﹈や、転がり落ちて死ぬるか生いきるか二つ一つと、一生懸命谷へ駈け下おり逃げたが、比丘尼は外ほかへ行ゆく処はない、お前さんの処とこへ来るに相違ないと思ったが、未だ来ませんか﹂
四十二
やま﹁あれまア、余あんまり遅うお立で、途中で間違が有ってはいけませんと思いましたが、それは〳〵お比丘様は今にお出いででしょうからお上りなすって……山之助お草わら鞋じでおいでなさるから足を洗って﹂
又﹁いや怖い目に遭いました、あゝ心持が悪い、二三人できら〳〵するのを抜きました故な、此こっ方ちも命がけで切抜けました故、疵きずを受けたかも知れぬ、着物に血が着いて居るようで﹂
山﹁足を洗ってお上りなさい﹂
又﹁はい、私わしは怖くて胸の動気が止まらない、どうぞ度胸定めに酒を一杯下さい﹂
と是から酒を飲んで空々しい事を云って寝ましたが、此こち方らは真まこ実とと心得伯父に話をすると、惠梅比丘尼の行ゆく方えを尋ねますと、月岡村の雪なだ崩れほ法うじ寿ゅい院んという寺の山清水の流れに尼の死骸が有ると云うので、その村の人々が気の毒な事と云うて、彼あち方らへ是を葬りました事が、翌日の日暮方に分りましたので、
山﹁何なにともお気の毒様で申そう様ようもございません﹂
又﹁いや私わしも今聞きましたが、山之助さん、まア情ないことに成りました、私は盗ぬす人びとに胸倉を取られて居る、惠梅は取られた胸倉を振切って先へ駈下りたなれどなア、女おな子ごで足は弱し、悪い奴に取囲まれ、切られて死んだかと思えば憫ふび然んじゃなア、月岡の寺へ葬りになりましたとは知らずに居りましたが、左様かえ、致し方はない、何うも情ないことで﹂
山﹁誠にお気の毒様、嘸さぞお力落しでございましょう﹂
又﹁年を取って女房に別れるは誠に厭な心持じゃア、大きに御苦労を掛けましたが何うも仕方がない、不思議の因縁じゃアに依って山之助さん、お前さん方も月岡まで寺参りに往って下さい、私わしも比丘を葬りました其のお寺で法事でも為して貰いたい、よく〳〵因縁の悪いと見えてまア是れ情ない、出家を遂げても剣難に遭うて死ぬは、何ぞ前世の約束で有りましょう、実に胸が痛うて成らん、お酒を一杯下さらんか﹂
と其そ様んな事を云っては酒ばかり飲んで居りますが其の夜部屋に這入って寝ますと、水司又市はぐう〳〵と空そら鼾いびきを掻いて寝た振りをして居ります。山之助おやまも寝ました様子でございますから、そうッと起きまして、おやまの寝て居ります後うしろの処へ来まして、横にころりと寝まして、おやまの□□襟の間へ手を入れましたから。おやまは眼を覚さまし、
やま﹁何をなさる﹂
又﹁静かに﹂
やま﹁えゝ恟びっくり致しました、何をなさるので﹂
又﹁おやまさん、私わしはお前さんに面目ないが、実は命がけで年にも恥じずお前さんに惚れました、それ故に此の間酔った紛れに彼あ様んな猥いやらしい事を云かけて、お前さんが腹を立てゝ愛あい想そづ尽かしを云うたが、何と云われても致し方はないと私は真実お前に惚れて、是からは何処へも行く処はない身の上じゃアに依って、私がお前さんの家うちの厄介者になり、まア年も往いかぬ若い姉きょ弟うだい衆の力になる心得で、何どの様にも真実を尽すが、なれどもお互いに此の気の置けぬ様に生涯一つ処に居る事は、□□れて居ないでは居られるものではないなア、本もとが他人じゃアが年を取って居るから亭てい主しに成ろうとは云わぬが、只たった一度でも□触れて居れば、是から先お前が亭主を持とうとも、どう成っても其そ処こが義理じゃ、追出しもせまい、是程まで思詰めたから只た一度云う事を聴いて下さい﹂
と云われ余りの事に腹が立ちますから起上って、おやまは又市の顔を睨にらみつけ、
やま﹁只た今出て行って下さい、呆れたお方だ、怖いお方だ、何ぞと云うと命を助けた疵が出来たと恩がましい事を仰しゃって猥いやらしい、此の間は御酒の機嫌と思いましたが、今の様子のは御酒も飲まずに白しら面ふの狂きち人がい、そんな事を仰しゃっては実に困ります、そんなお方とは存じませんで伯父も見損じました、只たった今出て行って下さい﹂
又﹁お前、何で私わしが是程まで惚れたに愛想尽しを云って、年を取って男は醜わるくも、それ程まで思うてくれるか憫ふび然んな人という情じょうがなければ成らぬが何んで其の様に憎いかえ﹂
四十三
やま﹁はい、あのお前さんが情知らずのお人かと存じます、惠梅様と云う女にょ房うぼが災難で切殺されて、明あし日た法事をなさると云う、お寺参りに往ゆく身の上じゃア有りませんか、その女にょ房うぼうが死んで七日も経たたぬ中うちに、私わたくしに其そ様んな猥いやらしい事を言掛けるのは、余あんまり情じょうのない怖ろしいお方と、ふつ〳〵貴方には愛あい想そが尽きました﹂
又﹁惠梅も憎くはないが、実は私わしが殺したのじゃア﹂
やま﹁え……﹂
又﹁さア、斯こう私わしが悪事を打明けたら致し方はない、実は私が殺したのじゃア、お前此の間何と云うた、惠梅さんと云うお方は貴方の女房じゃアないか、彼あのお方に義理が立ちません、私の云う事は聴かれませんと云うから、惠梅がなければ云う事を聴こうかと思うて、殺して此こち方らへ帰って来たのじゃア、何うじゃア﹂
やま﹁まアどうも怖いお方でございます﹂
と慄ふるえながら云うのを山之助は寝た振りをして聞いて居りましたが、うっかり口出しも出来ぬから、何うしよう、こっそり抜出し、伯父の処へ駈けて往いこうかと種いろ々〳〵心配して居りますと、
又﹁お前これ程まで云うても云うことを聴かれぬか﹂
やま﹁聴かれません、怖くって、恐ろしい、お置き申すわけにはいきません、只たった今おいでなすって下さい﹂
又﹁云う事を聴かれぬ﹇#﹁聴かれぬ﹂は底本では﹁聴かれね﹂﹈時は仕方がない、今こそは寺男なれども、元私わしは武士じゃア、斯う言出して恥を掻かゝされては帰られませんわ、さア此こ処ゝに私の刃物がある﹂
やま﹁あれ、脇差を持っておいでなすったね﹂
又﹁さア、可愛さ余って憎さが百倍で殺す気に成るが、何うじゃア﹂
やま﹁これは面白い、はい、私が云う事を聴かない時は殺すとは恐ろしいお方、さア殺すならお殺しなさい﹂
又﹁これさ、何うしてお前が可愛くって殺せやあせぬ、殺すまでお前に惚れたと云うのじゃ﹂
やま﹁何を仰しゃる、死ぬ程惚れられても私は厭だ、誰が云う事を聴くものか、厭で〳〵愛想が尽きたから行って下さいよう﹂
又﹁愛想が……本当に切る気に成りますぞ﹂
やま﹁さアお切りなさい﹂
又﹁然そう云われても殺す気ならば、是ほど思やアせんじゃアないか、えゝか、ほんに云う事を聴かぬと、私わしは思い切って切りますぞ﹂
と嚇おどす了簡と見えて、道中差を四五寸ばかり抜掛けました。是を見るとおやまは驚きまして、
やま﹁あれえ人殺し﹂
と云って駈出しました。山之助も驚き飛上り、又市の髻たぶさを把とって、
山﹁姉あねさんを何うする﹂
と引きましたが、引かれる途端に斯う脇差が抜けました。一かた方〳〵は抜身を見たから、
やま﹁人殺しイ﹂
と駈出しますのを又市は、人殺しと云うは惠梅を殺した事を訴そに人んすると心得ましたから、人を殺し又悪事を重ねても己おのれの罪を隠そうと思う浅ましい心からおやまを遣やっては成らぬと山之助を突つき除のけて土間へ駈かけ下おり、後うしろから飛かゝって、おやまの肩へ深く切掛けました。おやまは前へがっぱと倒れる、山之助は姉の切られたのを見て驚き、うろ〳〵して四あた辺りを見廻しますと、枕元に合図の竹たけ法ぼ螺らが有りますから、是を取って切られる迄もと、ぶうー〳〵と竹法螺を吹きました。山やま家がでは何どち方らにも一本ずつ有りまして、事が有れば必らず是を吹きますから、山之助が吹出すと直じき隣でぶうーと吹く、すると又向うの方でぶうーと云う、一軒吹出すと離れて居ても山で吹出す、川端の家でも吹出すと、村中で家いえ数かずも沢たん山とは有りませんが、ぶうー〳〵と竹法螺を吹出し、何事かと猟かり人ゅうども有るから鉄砲を担かつぎ、又は鎌或あるいは鋤すき鍬くわなどを持って段々村中の者が集まるという。これから水司又市を取押えようとする、山之助おやま大難のお話でございます。
四十四
水司又市は十方でぶう〳〵〳〵〳〵と吹く竹たけ螺ぼらの音ねを聞きまして、多勢の百姓共に取とり捲まかれては一大事と思いまして、何ど処こを何う潜くゞったか、窃ひそかに川を渡って逃げた跡へ村方の百姓衆が集って来ましたが、何分にも刃物は利よし、斬きり人ては水司又市で、お山は余程の深ふか傷ででございますから、もう虫の息になって居る処へ伯父が参り、
多﹁あゝ情ない事をした、そんな悪人とは知らずに、恩返しの為だから丹誠をして恩を返さんければならぬと云って、直すぐに行ゆこうと云うのを無理に留めたが、それが現在自分の連れて来た比丘まで殺して、其の上無理恋慕を言掛けて此の始末に及ぶと云うは悪にくい奴、お山何か思い置く事が有りはしないか﹂
と云うと、山之助も涙ばかり先立ち、胸が閉じて口を利く事も出来ませんが、漸ようやくに気を取直して。
山﹁姉ねえさん〳〵確しっかりしてお呉んなさいよ、今お医者様を呼びに遣やりましたから、確かりしてお呉んなさいよ﹂
と云う。伯父もお山の傍そばへ参り耳に口を寄せて、
多﹁お山やア〳〵しっかりして呉れよ﹂
と呼びまする。その声が耳に入いったから、がくりッと心付いて、起上って見ると、鼻の先に伯父が居り弟も居りますが、もう目も見えなくなりましたが、やっと這出して山之助の手を握り、
やま﹁山之助﹂
山﹁あい姉あねさん確かりしてお呉んなさいよ伯父さんも此こ処ゝへ来て居ますよ、村方の百姓衆も大勢来て、手分をして又市の跡を追おっ手てを掛けましたから、今にお前さんの敵かたきを捕えて、簀すま巻きにして川へ投ほうり込むか、生いき埋うめにして憂うき目めを見せて遣ります、姉さん今にお医者様が来ますから、確かりしてお呉んなさい﹂
やま﹁伯父さん﹂
多﹁あい此処に居りやすから心を慥たしかに持ってな、此の位の傷では死にやアしなえから、必ず気を丈夫に持たねえではいけないぞ﹂
やま﹁あい伯父さん、永々御厄介になりまして、十六年あとにお父とっ様さまが屋敷を出て行方知れずになってから、親子三人でお前様のお世話になり、其の中うちお母っか様さまも亡くなってからは、山之助も私もお前様に育てられ、お蔭で是れまでに大きく成りましたから、山之助に嫁を貰って、私はお前様さんのお力になり、御恩を送る積りで居りましたが、何の因果か悪人の為に、私は伯父さんもう迚とても助かりません、これまで信心をして、何どう卒ぞ御無事でお父様がお帰り遊ばすようにと、無理な願がん掛がけを致しましたが、一目お目に懸らずに死にまするのは誠に残念でございます、私の無い跡では猶更身寄頼りの無い弟、何卒目を掛けて可愛がって遣って下さい、よ伯父さんお頼み申しますよ﹂
多﹁あいよ、そんな心細い事を云って己も娘ばかりでござりやすし、外ほかに身寄頼りの無い身の上、娘はあの通りのやくざ阿魔で力に成りやアしねえから、お前めえ方がた二人が実の娘より優しくして呉れたから、力に思って居るのに、今汝われに死なれては、年を取った己は何も楽みが無いだ、よう達者に成って親父に逢おうと云う心で無くちゃアならないぞ﹂
やま﹁はい私は何うも助かりません……山之助や、は、は、は、又市の額には葉広山で受けた創きずが有るし、元は彼あい奴つも榊原の家来だと云ったが、彼奴の顔は見忘れはしまいなア﹂
山﹁あい見忘れはしません﹂
やま﹁汝てまえも武士の忰だ、心に懸けて又市の顔を忘れるな﹂
山﹁あい決して忘れやしません、姉様確かりして下さいよ﹂
やま﹁若もしお父様が御無事でお帰りが有ったら、私は災難で悪人の為に非業な死を致しました、一目お目に懸らないのが残念だと云って、お父様に先だつ不孝のお詫をしてお呉れ﹂
と後あとを言い残して、かかかかかっと続けて云うのは、咽の喉どが涸かわくから水をと云いたいが、口が利けなくなって手真似を致します。伯父が是を見て、
多﹁咽喉が涸くだから、水を飲ましたら宜かろう﹂
と手負いに水を与えてはならぬと申す事は素もとより心得て居りまするが、伯父は心ある者で、もう迚とても助からぬから、臨いま終わの別れと水を飲ませるのが此の世の別れ、おやまはそれなり息が絶えました。これを見ると山之助はわっと其の場に泣倒れます。なれども伯父は、
多﹁何うも致し方が無い、幾ら泣いても姉の帰るものじゃアないから諦めるが宜い、若し貴様が煩うような事が有っては己が困る﹂
と云い、村方のお百姓衆も色々と云って山之助に力を附け、漸ようやくの事で村方の寺院へ野辺の送りを致しました。
四十五
扨さてお話二つに分れまして、丁度此の年越中の国射水郡高岡の大工町、宗円寺といふ禅宗寺の和尚は年六十六歳になる信実なお方で、萬助という爺じゞいを呼びに遣やります。
和﹁おゝ萬助どんか、来たら此こっ方ちへ這入りなさい﹂
萬﹁へへえ何うも誠に御無沙汰を致しました、一ちょ寸っと上らんければならぬと存じましたが、盆前はお忙がしいと思いまして、それ故にはア存じながら御無沙汰を致しました、それに又婆ばゝあが病気で足腰が立ちませんで、私わしもまア迚とても〳〵助からぬと思って居ります……なに最う取る年でござりますから致しかたは無いと思いますが、私が先へ死んで婆が後あとへ残って呉れなければ都合が悪いと、へえ存じますが、何うも婆の方が先へ死にそうで……いゝえなに老とし病やみでござりましょうから、思うように宜くはなりません、それ故に御無沙汰を、えゝ只今急にお使で急いで出ましたが、何か御用で﹂
和﹁あいまア此こ処ゝへ来なさい﹂
萬﹁へえ御免を蒙ります﹂
和﹁さて萬助どん、外ほかの訳じゃア無いが、まアお前の頼みに依って私わしが処とこへ逃込んで来て、何う云うものか、それなりにずる〳〵べったりに成って居いるのは、藤ふじ屋やの娘のお繼じゃて﹂
萬﹁はい〳〵〳〵、何うも御厄介でござりまして、誠にはア私わしが貧乏な日ひよ傭うと取りで、育てる事も出来ませぬなれども、私の主人の娘で何どの様ようにもとは思いましたが、ついはや好よい気になって和尚様へ押おし付つけ放ぱなしにして何なにともお気の毒様、へえ誠に有難い事でござりまして、若し此こな方たが無ければ致し方のないわけでござります﹂
和﹁誠に彼あれは怜りこ悧うな者でなア、此処へ遁にげ込こんでから、私わしが手許を離さずに側で使うて居いる、私が塩あん梅ばい悪いと夜も寝ずに看病をする、両親が無いとは云いながら年の行ゆかぬのに、あゝ遣やって他人の世話をするのは実に感心じゃ、実にそりゃア立派な者も及ばぬくらい、それで私は彼が可愛いから、小さい時分から袴を着けさせて、檀家へ往ゆく時は必ず供に連れて行ゆくと、彼も中々気象が勝って居て、男の様で、ベタクサした女の様な事が嫌いだから、今迄は男のつもりで過ぎたが、もう今年は十六歳じゃ、十六と成っては若わか衆しゅ頭あたまでも何ど処こか女と見え、臀しりもぼて〳〵大きくなり、乳房もだん〳〵大きくなって何どな様いな事をしても男とは見えないじゃ、すると中には口の悪い者が有って、和尚様はまア男の積りにして彼あの娘を夜よさり抱いて寝るなどゝ云う者も有るで、誠に何うも困るて、それからまア何うか相当の処が有ったら縁付けたいと思って居ると、彼も方々で可愛がられるから、少し宛ずつの貰い物もある、処が小遣や着る物は皆私に預けて少しも無駄遣いはせんで、私の手許に些ちっ少とは預りもあり、私も永く使った事だから、給金の心得で貯のけて置いた金も有るじゃ、それに又少し足して、十両二十両と纒まとまった金が出来たから、支度をして相当の処へ縁付けたいと思って居るのじゃ﹂
萬﹁それははや有難い事でござります、それ程に思おぼ召しめして下さりますとは、何とお礼の申し様もないでござります、はい〳〵何うも有難い事でござります﹂
和﹁就いてなア彼あい奴つは何ういう訳だか知らぬが、この高岡に永く居る気は無いと見えてなア遠くへでも行ゆく心が頻しきりと支度をして、草わら鞋じを造る処へ行って、足を噛くわぬ様に何うか五足拵こしらえて呉れえとか、菅すげの笠を買うて来て、法ほう達たつに頼んで同どう行ぎょ二うに人にんと書いて呉れえとか、それから白の脚きゃ半はんも拵え笈おい摺ずるも拵えたから、何でも西国巡礼にでも出るという様子でなア﹂
萬﹁へえそれは〳〵何で其そ様んな馬鹿な事を致しますえ﹂
和﹁何ういう訳か知らぬが、まア此処に居るのが厭いやなので、並の女では旅が出来ぬから、巡礼の姿に成って故郷の江戸へでも行いこうと云う心かと思うが、それに就いても預かって居るのは心配じゃから、お前に此の事を話すのじゃ﹂
萬﹁こりゃアとんだ事で、何うも此こな方たさ様まの御恩を忘れてぷいと巡礼に成って、一体まア何ど処こへ行いく気でござりましょう﹂
和﹁何処と云って、まア西国巡礼だろう﹂
萬﹁はいイ大黒巡礼と申しますると﹂
和﹁なに西国巡礼だ、西国巡礼と云って西の国を巡めぐるのじゃ﹂
萬﹁成程、へえ成程、そう云えば左そ様ういう事を聞きました﹂
和﹁なにそう云う事を聞きましたも無いもの、西国巡礼を知らぬ奴が有りますか﹂
萬﹁和尚様、どうぞ一ちょ寸っとお繼を此こ処ゝへお呼なすって下さい﹂
和﹁あい呼びましょう……繼や居るか﹂
繼﹁はい…﹂
とは云ったが次の間で話を聞いて居りましたから、これは何でも叱られる事かと思いましたが、つか〳〵〳〵と出て来て和尚の前へ両手を突きます。……見ると大おお髻たぶさの若衆頭、着物は木綿物では有りまするが、生れ付いての器量好よしで、芝居でする久松の出たようです。
四十六
繼﹁お呼び遊ばしましたのは……おや叔父さん宜く﹂
萬﹁宜くたってお前急にお人だから来たんだ、おいお前なにか西国巡礼を始めるという事だが、何うも飛んだ話だぜ、和尚様の御恩を忘れては済まないじゃア無いか、それで和尚様は預かってる者が居なくなると困るから、私わしを呼んだと仰しゃるのだ、全体お前、何だって巡礼に出るのだえ、誰か其そ様んな﹇#﹁其そ様んな﹂は底本では﹁其そん様なな﹂﹈事を勧めたのかえ﹂
和﹁まア待ちなさい、お前のように半ばから突いき然なりに云い出しても、繼には分りゃアしない、始めから云いなさい﹂
萬﹁私わしは気が短いもんですから、突いき然なり出でま任かせに云いますので……えゝお繼お前何ういう訳で巡礼に出るのだえ、十二の時から御厄介になって十六まで和尚様が御丹誠なすって、全体お前は両親が無いじゃアないか、そこを和尚様が御丹誠なすって下すって誠に有難いことだ、それのみならず、もう年頃に成るから永く置いてはいけないから、相当な処へ縁付けたいと仰しゃってる、男の積りにして有ったがもう十六七に成れば臀しりがぶて〳〵して来るし、乳も段々とぽちゃ〳〵して﹂
和﹁これ萬助どん、余計なことを云わいでも宜いわな﹂
萬﹁でも貴方の仰しゃった通りに云うので……それで段々女に見えるから嫁かたづけたいと云って支度の金きんまでも出して下さる、それをお前が無にして行ゆかれちゃア私わしが申訳が無くて困る、何だってまた、西国とは何だえ、西国とは西の国だ、そんな遠い処へひょこ〳〵行いこうと云うのは屹きっ度と連れが有るに相違ない、えゝ私は永い間お祖じい父さ様んの時分から勤めたのだが、お前のお父とっさんが意い気く地じなしだから此こっ方ちへ引ひっ込こんで来なすった、それで私は銭も何も有りやアしないが、大工町に世帯を持たしたが、引込むくらいだから何も出来やアしない、それから和尚様の御丹誠で悪党の一件の後あとの始末を附けられないのを、皆御丹誠下すった、それを今お前がぷいと行ってしまっては和尚様に済まない、己も亦方丈様に済まない、済まないよ、方丈様によ﹂
和﹁まア〳〵そう小言を云いなさるな……お繼何も隠さいでも宜い、何ういう訳で白の脚半や笈おい摺ずるや柄ひし杓ゃくを買ったのだの、大方巡礼にでも出る積りであろうが、何の願いが有って西国巡礼をするのじゃい、巡礼と云えば乞食同様で、野に臥ふし山に寝、或あるいは地蔵堂観音堂などに寝て、そりゃもう難行苦行を積まなけりゃア中々三十三番の札を打つ事は出来ぬもんじゃ、何う云うものだえ、巡礼に出るのは﹂
繼﹁はい然そう旦那様が笈摺を拵こしらえた事までも御存じでございますれば、お隠し申しは致しません、叔父さん…萬助さんお前さんにも永々御厄介に成りましたけれども、私の親父を殺して逃げたのは、永禪和尚と継まゝ母はゝお梅の両ふた人りに相違ございません、小川様のお調べでも親を殺したのは永禪和尚と分って居り、永禪和尚は元は榊原様の家来で水司又市と申す侍と云う事も、小川様のお調べで分って居りますが、お父さんが非業に殺され堂の縁の下から死骸が出ましたのを見てから、寝ても覚めても今迄一時ときも忘れた事はございません、実に悔しいと思いまして、夜も枕を付けると胸が塞ふさがり、枕紙の濡れない晩は一晩もございません、それで何うかお父さんの敵かたきを打とうと思いましても、十一や十二では迚とても打つことは出来ませんが、もう十六にも成りましたし、お弟子さんのお話に三十三番札所の観音様を巡りさえすれば、何どんな無理な願がん掛がけでも屹きっ度と叶うということを聞きまして、何うせ女の腕で敵を打つ事は無理でございますが、三十三番の札を打うち納おさめたら、観音様の功くり力きで敵が打てようかと存じまして、それ故私は西国巡礼に参りたいので、実は笈摺も柄ひし杓ゃく﹇#ルビの﹁ひしゃく﹂は底本では﹁ひゃくし﹂﹈も草鞋までも造ってございますから、誠に永々お世話様に成りましたのを、ふいと出ては恐れ入りますが、いよ〳〵参る時はお断り申そうと思って居りましたところ、ちょうど只今お話が出ましたから隠さずにお話し申します、何どう卒ぞ叔父さんからお暇ひまを頂いて巡礼にお出しなすって下さい、私は江戸に兄が一人有りまして、今では音いん信しん不通、縁が切れては居りますが、その兄が達者で居りますれば、それが力でございますから、兄弟二人で敵を打ちまする心得、何いずれ無事で帰って来ましたら、御恩返しも致しましょうから、何卒叔父さん和尚様にお暇いとまを頂いて敵かた討きうちにお遣やりなすって下さいまし﹂
萬﹁旦那様え、敵討え、旦那様﹂
和﹁いやはや何うもえらい事を云い居おるな、何うじゃろう萬助﹂
萬﹁どうも、飛んだ事を云い出しました……敵討……年の行いかぬ身の上で、お父さんの敵を討ちたいというのは善よく々〳〵此の子も口く惜やしいと見えます、もし旦那様、私わしも何うも、それは止よすが宜よいとは云い悪にくうござりますが、何うしたら宜うございましょう﹂
四十七
和﹁これは何うも留とめることは出来ぬなア、思い立ったら遣やるが宜い﹂
萬﹁遣るたって何うも私わしは主人の娘が敵討をすると云うなら、一緒に行ゆきてえのだが、今いう通り婆が死に掛って居るから、それを置いて行く訳にもいきませんが、一人で行いかれましょうか﹂
和﹁いや其そ処こは所いわ謂ゆる観音力で、何どんな山でも何んな河でも越えられるのが観音力じゃ、敵を討ちたいという的まとが有って信心して札を打てば、観音の功くり力きで見事敵を討うち遂おわせるだろう、こりゃア望のぞみの通り立たせるが宜よい﹂
萬﹁はい〳〵〳〵﹂
和﹁じゃア斯こうしよう、是は追々に預かった小遣の貰い溜め、また別に私わしが遣りたい物もあり、檀家から貰うた物も有ります、沢たん山と持って行ゆくのは危いから、襦袢の襟や腹帯に縫い付けてなア、旅をするには重いから、軽い金に取換えて、そうして私が路銀に足して二十両にして遣ろうかえ﹂
繼﹁有難う存じます﹂
萬﹁私わしも遣りてえが、銭がねえ、此こ処ゝにある一分二朱と二百文、これを皆みんな遣ってしまおう、さ私は是れが一生懸命に遣るのだ﹂
繼﹁有難う存じます﹂
是から檀家へ此の話を致しますると、孝行の徳はえらいもので、彼あち方らこ此ち方らの檀家から大だい分ぶ餞別が集まって、都合三十両出来ました。その内二十両はぴったりと腹帯肌襦袢に縫付けて人に知れぬように致し、着慣れませぬ新らしい笈摺を引ひき掛かけ、雪ゆき卸おろしの菅すげの笠には同どう行ぎょ二うに人にんと書き、白の脚半に甲こう掛がけ草わら鞋じという姿で、慣れた大工町を出立致しまする。其の時には土地の者も憐あわれに心得て、とうとう坂井まで送り出したと申す事でござります。これから先まず高田へ来ましたのは、水司又市は以前高田藩でございますから、若もしも隠れて居りはせぬかと、高田中を歩きましたが、少しも心当りがございませんから、此処を出立して越後路を捜したが、頓とんと手掛りが有りません。だん〳〵尋ねて新潟へ参ると、新潟は御承知の通り人出入りの多い処でございますから、だん〳〵諸方を歩いて聞きますると、人の噂に川口には不思議な尼がある、寺男がお経を教えて、尼が教わるということだが、大方あれは野くッ合つきあって逃げた者であろう、寺男は何でも坊主で、女は何いく歳つぐらい、是これ々〳〵是々と云うことが、ぷいとお繼の耳に這入ったから、扨さてはと直すぐに川口へ来て尋ねると、つい先さき日のひ出立したと云うことを聞きましたから、さては山越しをして信州路へ掛ったのではないかと思いまして、信州路へかゝりましたが、更に手掛りがございませんから、信州路へ這入って善光寺へ参詣をいたし、善光寺から松本へかゝって、洗せ馬ばという宿しゅくへ出ました。洗馬から本もと山やまへ出、本山から新にい川がわ奈な良ら井いへ出て、奈良井から藪やぶ原はらへ参りまするには、此の間に鳥とり居いと峠うげがございます。其の日は洗馬に泊りまして、翌よく朝ちょう宿を立って、お繼が柄杓を持って向う側を流して居ると、その向むこ側うがわを流して行ゆく巡礼がある。と見ると、是も同じ扮いで装たちの若わか衆しゅ頭あたま、白い脚半に甲掛草鞋笈摺を肩に掛け、柄杓を持って御ごえ詠い歌かを唄って巡礼に御ごほ報うし謝ゃを…はてな彼あの人も一人で流している、私は随分今まで諸方を流して慣れてるから、もう此の頃はそんなに旅も怖いと思わぬが、彼の人は未だ慣れない様子、誰か連つれでもある事か、それとも一人で西国へ参詣をするのか、矢やっ張ぱり三十三番の札を打ちに行ゆく人では無いかと思いましたが、道中の事で気味が悪いから、迂うっ濶かりと尋ねることも出来ません。その此こち方らが側わを流して通ると云うのは、白島山之助が姉の敵を討ちたいと申して、無理に伯父に暇いとまを乞うて出立した者、山之助も向うへ巡礼が来るなと思いましたけれども、知らぬ人に言葉を懸けて何ど様んな事が有るかも知れぬ、姿は優しいが油断は成ならぬと思って言葉を懸けません、其の晩は鳥居峠を越して宮みや之のこ越しに泊りましたが、丁度八里余の道みち程のりでございます。翌朝お繼は早く泊りを立たち出いでゝ、前せん申す巡礼と両側を流し、向うが此こち方らへ来れば、此方が向側と云う廻り合せで、両側を流しながら遂とう々〳〵福島を越して、須すは原らという処に泊りましたが、宮之越から此処迄は八里半五丁の道程でございます。斯様に始終両側を流して同じ宿には泊りまするが、なれども互いに怖くて言葉を掛けません。これから皆様御案内の通り福島を離れまして、彼かの名高い寝ねざ覚めの里を後あとに致し、馬まご籠めに掛って落おち合あいへまいる間が、美み濃のと信濃の国くに境ざかいでございます。此の日は落合泊りのことで、少し遅くは成りましたが、急ぎ足ですた〳〵〳〵〳〵と馬籠の宿を出では外ずれにかゝりますると、其そ処こには八や重えに道が付いて居て、此こっ方ちへ往ゆけば十じっ曲きょ峠くとうげ……と見ると其処に葭よし簀ずば張りの掛かけ茶ぢゃ屋やが有るから、
繼﹁少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまいりますには何う参りましたら宜うございますか﹂
と云いましたが、婆さんは耳が遠いと見えて見返りもせずに、頻しきりに土へッ竈ついの下の火を焚たいて居りますから、また、
繼﹁あの是から、落合へ行ゆくには此こち方らへ参って宜うございますか﹂
と云うと、奥の方に腰を掛けて居た侍は、深い三度笠をかぶり、廻し合羽を着て、柄袋の掛った大小を差して、盲めく縞らじまの脚半に甲掛、草鞋という如何にも旅慣れた扮こし装らえ、
侍﹁是々巡礼落合へ行ゆくなら是を左の方へ付いて行け﹂
繼﹁有難う存じます﹂
と是から教えられた通り左へ付いて行くと、何処まで行ってもなだれ上あがりの山道で、見みお下ろす下の谷たに間あいには、渦を巻いてどっどと落す谷川の水音が凄まじく聞えます。日はとっぷりと暮れて四あた辺りは真まっ暗くらになる。とお繼は気味が悪いから誰か人が来れば宜いいと思うと、後うしろの方からばらばら〳〵〳〵〳〵
﹁巡礼、巡礼暫しばらく待て﹂
と云われたが真暗で誰だか分りません。
四十八
侍﹁これ巡礼﹂
繼﹁はい〳〵〳〵﹂
典﹁思い掛けねえ、手てめ前え久振で逢ったなア﹂
繼﹁はい何どな方たでございます﹂
侍﹁何方もねえもんだ、己は桑名川村にいた柳田典藏だが、汝てめえの姉のお蔭で苛ひどい目に逢って、あれまで丹誠した桑名川村に居いられないように成ったのだ、その時は家財や田地を売払って逃げる間も無いから、漸ようやく有合せの金を持って逃げて、再び桑名川村へ帰る事も出来ぬような訳だ、その上右の手の裏へ傷を受け、その疵きずを縫って養生するにも長く掛ったが、先さっ刻き己が寝覚を通りかゝると汝が通るから、これは妙だ、何ういう訳で巡礼に成って出るかと思って跡を尾つけて来たんだ﹂
繼﹁はい何方でございますか、人違いでございましょう、私わたくしは左様なものではございません﹂
典﹁汝は其そ様んなことを云って隠してもいけねえ、先刻おれが笈摺を見たら、信州水みの内ちご郡おり白島村白島山之助と書いて有った﹂
繼﹁えゝ﹂
典﹇#﹁典﹂は底本では﹁繼﹂﹈﹁さ其の通り書いて有るから仕方がねえ﹂
繼﹁いゝえ私わたくしは左様な者ではございません、私は越中高岡の者で﹂
典﹁えゝ幾ら汝が隠したっても役に立たねえ、姿は巡礼だが、汝てまえ﹇#ルビの﹁てまえ﹂はママ﹈が余よっ程ぽど金を持ってる事ア知ってる、さ己が汝てめえの姉の為に斯こう云う姿になった代りに金を強ふん奪だくって汝を殺すのだが、金を出しゃア命は宥ゆるして遣やろう、おれは追おい剥はぎをするのじゃアねえけれども、この頃では盗ぬす人びと仲間へ入へいった身の上だ、斯う成ったのも実はと云うと、汝兄弟﹇#﹁兄弟﹂はママ﹈のお蔭なんだ、さア金を出せえ﹂
繼﹁私わたくしは左様な者ではございません、私は其の山之助と云う者ではございません、私は越中高岡の宗円寺という寺から参りました者で﹂
典﹁えゝ何と隠してもいけねえや、ぐず〳〵云わんでさっさと出せ、若もし強情を張ればたゝんでしまうぞ﹂
繼﹁いゝえ私わたくしはそんな人じゃア﹂
典﹇#﹁典﹂は底本では﹁繼﹂﹈﹁えゝ打ぶっ斬きってしまうぞ﹂
と柳田典藏が抜いたから光りに驚いて、
繼﹁あれえ﹂
と一生懸命に逃げに掛るのを後うしろから、
典﹁待て﹂
と手を延のばして菅笠﹇#﹁菅笠﹂は底本では﹁管笠﹂﹈の端を捉とったが、それでも振払って逃げようとする機はずみに笠の紐がぷつりと切れる。一生懸命に逃げる途端道を踏ふみ外はずして谷たに間あいへずうーん…可愛そうにお繼は人違いをされて谷へ落ちまする。すると、是を知らぬ山之助は、是も落合まで行ゆく積りで山道へ掛って来ますると、後あとからぱた〳〵〳〵〳〵〳〵と追掛けて来たのは、勇ゆう治じという胡麻の灰。
勇﹁おい〳〵巡礼々々﹂
山﹁あい﹂
勇﹁己は汝てめえと須原で合あい宿やどになり、宮之越でも合宿に成った者だ﹂
山﹁左様でがすか﹂
勇﹁左様でがすかじゃアねえ、これ道中をするには男の姿でなけりゃア成らぬと云うので、そういう姿に成ってるが、汝は女だな﹂
山﹁いゝえ私は男でげす﹂
勇﹁隠したってもいけねえや、修行者でも商あき人んどでも宜く巡礼の姿に成って来ることが有るが、汝は手入らずの処きむ女すめに違ちげえねえ、口の利き様ようから外そと輪わに歩く処は、何う見ても男のようだが、無理に男の姿に成って居ても乳が大きいから仕方がねえ﹂
山﹁何を仰しゃるのだえ、私はそんな者ではございません、全く男でござります﹂
勇﹁いけねえ、何でも女に違えねえ、今夜己が落合へ連れて行って一緒に□□□□ようと思って来たんだ﹂
山﹁冗談を云っちゃアいけません﹂
勇﹁冗談じゃアねえ、汝を宿屋へ連れて行ってから、きゃアぱア云われちゃア面倒くさいから、こゝで己の云う事を聴いたら、得心の上で宿屋へ泊って可愛がって遣るのだ、ぐずッかすると宿場へ遣って永く苦しませるぞ、さア此処はもう誰も通りゃアしねえ、その横へ這入ると観音堂が有って堂の縁が広いから﹂
山﹁冗談しちゃアいけません、私は其そ様んな者じゃアございません﹂
勇﹁そんな事を云っちゃアいけないよ、お前が宿に泊って湯に這入る時に大騒ぎをするから、肌襦袢に縫付けて金を持ってる事もちゃんと承知だ﹂
山﹁何をなさる﹂
勇﹁何をと云って何うせ此こっ方ちは盗みが商売だから﹂
山﹁無闇な事をなさるな﹂
勇﹁無闇が何うする、斯うだぞ﹂
山﹁何うもいけません、何をなさるのだ﹂
と山之助が勇治の頬ほゝ片ぺたをぽんと打ちました。処が山之助は白島村に居る時分に、牛を牽ひいたり麁そ朶だを担かついだりして中々力のある者、その力のある手で横っ面を打たれたから、こりゃア女でも中々力がある、滅法に力のある女だと思って、
勇﹁何をする、汝がきゃアぱア云やア拠よんどころなく叩き斬るぞ﹂
本当に斬る気では有りませんが、嚇おどして抱いて寝る積りで、胡麻の灰の勇治がすらり抜くと山之助も脊し負ょっている苞つとから脇差を出そうかと思ったが、いや〳〵怪我でもしてはならぬ大事の身体と考え直して、
山﹁人ひと殺ごろしい……泥坊……﹂
と横道へばら〳〵〳〵〳〵〳〵。
四十九
勇﹁この女あまっちょめ﹂
と追おい掛かけられて逃にげ途どがないが、山之助年は十七で身が軽いから、谷たに間あいでも何でも足掛りのある処へ無茶苦茶に逃げ、蔦つた蘿かずらなどに手を掛けて、ちょい〳〵〳〵〳〵と逃げる。殊に山坂を歩き慣れて居るから、木の根方に足を掛けて歩く事は上手です。なれども始めての処で様子を知りませぬから、一生懸命死者狂いになって逃げると、細ほそ手くての勇治は、
勇﹁なに此の女っちょ﹂
とは云っても谷間を歩くのは下手で追掛ける事は出来ません。何うした事か山之助が足掛りを踏外したから、ずずうと蔦が切れたと見えて、両手に攫つかまったなり谷底へ落ると、下には草が生えた谷や地ちに成って居り、前はどっどと渦を巻いて細谷川が流れます、
山﹁はアー何うも怖い事、伯父さんがそう云った汝てめえ一人で縱たとえ敵討をする心でも大胆だ、とても西国巡礼は出来ぬ、道中は、怖いもので、昔これ〳〵のことが有ったと云って意見をなすった、それでもと云って覚悟はしたが怖いなア、こりゃアいけない、柄杓を落してしまった…だが彼あい奴つはまア何だろう、私を女と思って居やアがって、無闇と人の頬ほッ片ぺたへ髭ひげ面つらを摩こすり附けやアがって……おや笠を落してしまった、仕様が無いなア……おや笠は此処に落おッこちてる、先さっ刻き落おッこちる機はずみに柄杓を……おや柄杓も此処におや〳〵巡礼も此処に落おッこちてる……﹂
と谷や地ちを渡って向うへ行ゆきますると、草の上へ仰のけ向ぞ反りになって居る巡礼が有るから、
山﹁おう〳〵〳〵〳〵可愛そうに、此の人は洗馬で向むこ側うがわを流して居て、宮之越で合あい宿やどになった巡礼だ、其の時は怖いと思ったから言葉も掛けなかったが、何うも飛んだ災難じゃアないか、此の人は何うしたんだろう、目をまわして居る、おい巡礼さん何処の巡礼さんか確しっかりしなさいよ、此処は谷の中でございますよ、可愛そうに何うしたんだろう、此の笠も柄杓も此の人のだ、己のじゃアない、だがまア何うしたんだろう、おゝ薬が有ったッけ﹂
と貯えの薬を出して、飲ませようと思いましたが、確かり歯を喰くいしばって居りますから、自分に噛かみ砕くだいて、漸ようやくに歯の間から薬を入れ、谷川の流れの水を掬すくって来て、口移しにして飲ませると薬が通った様子、親切に山之助が摩さすって遣りますと、
繼﹁有難う〳〵﹂
山﹁お前さん確かりなさいよ﹂
繼﹁はい﹂
山﹁大丈夫です、私は胡うさ散んな者じゃアございませんよ、私はお前さんと後あと先さきに成って洗馬から流して来た巡礼でございますよ﹂
繼﹁はい有難う怖い事でございました﹂
山﹁成程お前さんは何うなすったの﹂
繼﹁何うしたんでございますか人違いでございましょうが、私が山路に掛って来ると、後あとから大きな侍が追掛けて来まして、左そ様うして私にねえ、汝てめえは白島の山之助とか何とか云って、誠に久しく逢わなかったが汝の姉のおやまゆえに斯んな浪人に成ったから、汝の持ってる金を取って意趣返しをすると云うから、私は左さよ様うな者で無いと云いますと、突いき然なり脇差を抜いたから、一生懸命に逃げようと思って足を踏外して、此処へ落ちましてございます﹂
山﹁それはお気の毒様、それじゃア私と間違えられたのだ、白島の山之助と云いましたか﹂
繼﹁はい﹂
山﹁その男は何と云う奴で﹂
繼﹁あの柳田典藏とか云いました﹂
山﹁それは大変、何うもお気の毒様、お前さんを私と間違えたのでございます﹂
繼﹁左そ様うでございますか、私はそんな者でないと言いわけを云っても聞きませんで﹂
山﹁そりゃア全く私の間違いです、お…前さん女でございますねえ﹂
繼﹁いゝえ﹂
山﹁それでも今私が抱いて起した時に乳が大きくて、口の利き様も女に違いないと思います﹂
繼﹁左様でございますか、私は本当は女でございます﹂
山﹁左様でしょう、それじゃア私はお前さんと間違えられたのだ、私が山道へ掛ると胡麻の灰が来て汝てめえは女だろうと云うから、いえ私は女ではないと云うと、そんな事を云っても乳を見たから女に違いない、金を持ってるから出せなんと云って私の頬ほっ片ぺたを嘗なめやアがったから、其そい奴つの横よこ面つらを打ぶった処が、脇差を抜いたから、私は一生懸命に泥坊〳〵と云って逃げる途端に、足を踏外して此処へ落おっこちたんだ﹂
繼﹁おやまアお気の毒様﹂
山﹁私の方がお気の毒様だ﹂
繼﹁お前さん何ど処こへお出でなさるの﹂
山﹁私は西国巡礼に﹂
繼﹁おや私も西国へ。よく似て居りますねえ﹂
山﹁えゝよく似て居りますねえ﹂
繼﹁お前さん何どち方らへお泊り﹂
山﹁山道へ掛って様子は知らぬが、落合まで日の暮くれ々〴〵はと思って急いで参りました、お前さんは何方へ﹂
繼﹁私も落合と思って、何うもよく似て居ますねえ﹂
山﹁えゝ何うもよく似て居ますなア﹂
繼﹁あなた私を連れて行って下さいませんか﹂
山﹁えゝ、一緒に参りましょう﹂
繼﹁それじゃア何どう卒ぞ﹂
山﹁一生懸命に攫つかまってお出でなさい﹂
繼﹁何卒お連れなすって下さい﹂
と互に信しん心じん参まいりの事でございますから、お互いに力に思い思われまして、
山﹁何か落すといけませんよ﹂
繼﹁はい柄杓も此処に有ります﹂
と笠を片手に提さげて、山之助の案内で、漸く往来まで這はい登のぼりまして、これから落合の宿しゅくに泊ったのが山之助とお繼の始めての合宿で、互いに同行二人力に思い合って、これから二人で西国三十三番の札を打ちますと云う、巡礼敵討の始りでございます。
五十
山之助お繼は其の晩遅く落合に泊り、翌よく朝ちょうになりまして落合を出立致して、大おお井いといふ処へ出ました。これから大おお久く手て細ほそ久く手てへ掛り、御おん嶽たけ伏ふし水みといふ処を通りまして、太おお田たの渡しを渡って、太田の宿の加かの納う屋やという木賃宿に泊ります。ちょうど落合から是れまでは十二里余の道でございますが、只今とは違って開ひらけぬ往来、その頃馬方が唄にも唄いましたのは木曾の桟かけ橋はし太田の渡し、碓うす氷いと峠うげが無けりゃア宜よいと申す唄で、馬ま士ごなどが綱を牽ひきながら大声で唄いましたものでございます。さて時候は未だ秋の末でございますが、此の年の寒さも早く、殊に山国の習いで、ちらり〳〵と雪が降って参りまする。山之助お繼も致し方がございませんから無理にも出立致そうと思いまするが、だん〳〵と雪の上に雪が積りまして、山又山の九つゞ十ら九お折りの道が絶えまするから、心ならずも先まず此こ処ゝに逗留致さんければ相成りません﹇#﹁相成りません﹂は底本では﹁相成りせん﹂﹈、なれども本もと来〳〵修行の身の上でございますから、雪も恐れずに立とうと思うと、山之助が慣れぬ旅の心配を致しました故せいか、初めて病と云うものを覚えて、どうと枕に就つきまする。加納屋の亭主も種いろ々〳〵心配致しまするが、連つれの者が居るから手当は出来ようと医者を連れて来て薬を貰い、種々と手当を致しますが、何分にも山之助の病気は容易に全快致しません。此の中うちの介抱は皆お繼が致して遣りますが、女で親の敵を討とうと云う位な真まご心ゝろな娘でございますから、赤の他人の山之助をば親身の兄を労いたわるように、寝る目も寝ずに親切に介抱を致します。山之助は心配をいたして種々と申しますると、
繼﹁なに仮たと令え半年一年の長なが煩わずらいをなすっても私が御詠歌を唄って報謝を受けて来れば、お前さん一人位に不自由はさせません、それに私も少しは儲たくわえが有るから、まア〳〵決して心配をなさるな﹂
と云って山之助に力を附けます。また時々塩を貰って温おん石じゃくを当てる、それは実に親切なもので。すると俗に申す通り一に看病二に薬で、お繼の親切が届いて其の年の暮には追々と全快致し、床の上に坐って味噌汁位が食えるように成りましたから、お繼は悉こと〴〵く悦んで、或日のこと、
繼﹁山之助さん、今日は余よっ程ぽどお加減が宜うございますねえ﹂
山﹁お繼さん誠に有難う、私はまア斯こん様なにお前さんの介抱を受けようとは思いませんかったが、不思議な縁で連に成ったのも矢やっ張ぱり笈摺を脊し負ょったお蔭、全く観音様の御ごり利や益くだと思います、実に此の御恩は死んでも忘れやア致しません﹂
繼﹁何う致しまして、斯こんな事はお互でございます、お前さんも西国巡礼私も西国を巡めぐるので、一人では何だか心細うございますが、一緒に行ゆけば何ど処こを流しても同行二人でお互いに力に成りますから﹂
山﹁誠に有難いことで﹂
繼﹁山之助さん、誠に寒くていけませんし、斯う遣やって別々に長く泊って居りますと、蒲団の代ばかりでも高く付きますから、私の考えでは蒲団を返してしまって、下へはお前さんと私の着物などを敷いて左そ様うして上に一枚蒲団を掛けて、一緒に寝る方が宜よいかと思いますが、お前さん厭でございますか﹂
山﹁えゝ寝ても宜うございますけれども、お前さんが男なら宜いが、女だからねえ、私は何うも一緒に寝るのは悪うございますから﹂
繼﹁何も宜いいじゃア有りませんか、お前さんの長い煩いの中うちには私が足を摩さすって居ながら、つい転ころりとお前さんの床の中へ寝た事もございますよ﹂
山﹁左さよ様うですかねえ﹂
繼﹁本当に費ついえでは有りませんか、是からも未だ長い旅をするのに、銘めい々〳〵蒲団の代を払うのは馬鹿々々しゅうございますよ、却って一人寝るより二人の方が温あったかいかも知れません﹂
山﹁じゃアお繼さん脊中合せに寝ましょう、けれどもねえ女と男と一つ寝をするのは何だか私は極りが悪いし、観音様にも済みませんから、茲こゝに洗った草鞋の紐が有りますから、是を仕切に入れて置いて、是から其そっ方ちがお前さん、是から此こっ方ちは私としてお互に此の仕切の外へ手でも足でも出したら、それだけの地じだ代いを取る事に致しましょう﹂
繼﹁それじゃア脊中合せが温あったかいから﹂
と云うので到頭脊せな中かあ合わせに成って寝ました処が木曾殿と脊中合せの寒さ哉かなで、何処となくすう〳〵風が這入って寒うございますから、枕の間へ脚半も入れましょう、股引も入れましょうと云って種々な物を肩に当てゝ、毎晩々々二人で寝る事に成りましたが、斯ういう事は決して遊ばさぬが宜よい。どんなに堅いお方でも其そ処こは男なん女にょの情じょ合うあいで、毛もくじゃらの男でも、寝ねぼ惚ければ滑すべっこい手足などが肌に触れゝば気の変るもの、なれども山之助お繼は互に大事を祈る者、一方は親の敵一方は姉の敵を打とうと云う二人で、固もとより堅い気象でございますから、決して怪しい事などはございませんが、だん〳〵親しくなって来ると。
繼﹁山之助さん﹂
山﹁あい﹂
繼﹁私はまア不思議な御縁で毎晩斯う遣ってまア、お前さんと一つ夜具の中で寝ると云うものは実におかしな縁でございますねえ﹂
山﹁えゝ余よっ程ぽどおかしな縁ですねえ﹂
繼﹁私はお前さんに少しお願いが有りますがお前さん叶えて下さいますか﹂
山﹁何の事でございますか、私は病気の時はお前さんが寝る目も寝ずに心配して看病して下すった、其の御恩は決して忘れませんから、私の出来る丈だけの事は仕しますがねえ、何ですえ﹂
繼﹁私は只斯う遣って、お前さんと共に流して巡礼をして西国を巡りますので、三十三番の札を打つ迄はお前さんも御信心でございますから、決して間違った心は出ますまいし、私も大丈夫な方とは思いますが、気が置かれてねえ、何か打明けてお話をする事も出来ませんけれども、私も身寄兄弟は無し、江戸に兄が一人有りますが、これも絶えて音おと信ずれが無いから、今では死んだか生きたか分りません、若もし兄が亡ない後のちは私は全く一粒種で﹂
山﹁何うもよく似た事が有りますねえ、私も一人の姉が有りましたが、姉が亡くなってからは私も一粒種で、親は有ると云っても、十六七年も音信が無いから、死んだか生きたか分らぬから、真に私も一人同様の身の上だがねえ﹂
五十一
繼﹁まア何うも、然そうでございますか、それじゃア三十三番の札を打ってしまって、お互いに大願成就の暁には生涯私の様な者でも力に成って下さいませんか、本当にお前さんの志の優しいのは見抜きましたから﹂
山﹁私もお前さんに力に成って貰いたいと思ってねえ、私は彼あ様んな煩いなどが有って、お前さんが無かったら大変な所を、信しん実じつに介抱して下すったので、お前さんの信実は見抜いたから、その信実には本当に感心して惚ほれる……と云う訳じゃア無いが、真にお前さんは好いい人と思って﹂
繼﹁えゝ﹂
山﹁だから私は真に力に思って居ますねえ﹂
繼﹁そうして斯う男と女と二人で一緒に寝ますと、肌を触ふれると云って仮たと令え訝おかしな事は無くっても、訝しい事が有ると同おんなじでございますとねえ﹂
山﹁なにそんな事は有りません、おかしい事が無くて同おんなじと云うわけは有りやアしません……だからいけない、互に観音様へ参る身の上だから、先せんに私が別に寝ようと云ったんだ﹂
繼﹁そんな無理なことを云っちゃア済みませんが、お前さんも身が定まれば、何い時つまでも一人では居おられないから、お内か儀みさんを持ちましょう﹂
山﹁えゝそりゃア是非持ちます﹂
繼﹁不思議な御縁で斯う遣って一緒に成りましたが、三十三番の札を打って、お互に大願成就してから、私の様な者でもお内儀さん……にはお厭でございましょうけれども、可愛そうな奴だから力になって遣ると仰しゃって置いて下されば、誠に私は有難いと思いますが﹂
山﹁そう成って下されば、私の方も有難い、本当に左そ様う成って呉れゝば有難いねえ﹂
繼﹁本当にお前さんが左そ様う仰しゃれば真実生涯見棄てぬ、末は夫婦という観音様に誓いを立って…貴方も私も外ほかに身寄は有りませんが、改めて仲なこ人うどを頼んで…斯うという事に成りますれば、私は江戸の葛西に伯父さんが有るから、その伯父さんが達者で居いれば、その人がちゃんと身を堅める時の力になろうと思います、勿論それを舅しゅうとにして始終一緒にいる訳でも有りませんが……左そ様うなれば私も一大事を打明けて云いますから、お前さんも身の上を隠さずに互に話をいたしたいと思いますが﹂
山﹁左そ様う観音様に誓いを立って、私の様な者を亭主に持って呉れるなら、私は本当にお前に打明けて云う事が有るけれども、若もし途中でひょっと別れる様な事に成って、喋られると大変だから、うっかりと打明けて云われないねえ﹂
繼﹁私も打明けて云いたいが一大事の事だから……若し男の変り易い心で気が変った後あとで、他へ此の話をされると望みを遂げる事が出来ぬと思って、隠して居りますが、本当に私は大事のある身の上﹂
山﹁私も一大事が有るのだよ﹂
繼﹁左そ様う……よく似て居ますねえ﹂
山﹁本当によく似てるねえ﹂
繼﹁まアお前さん云って御覧﹂
山﹁まアお前から云いなさい﹂
繼﹁まアお前さんからお云いなさいな、打明けて云やア私を見棄てないという証拠になるから﹂
山﹁でも一大事を云ってしまってから、お前がそれじゃア御免を蒙ると云って逃げられると仕様が無いからねえ﹂
繼﹁私は女の口から斯ういう事を云い出すくらいだから、そんな事は有りませんよ、本当にお前さんを力に思えばこそ、死しに身みに成って、亭主と思って、お前さんの看病をしました﹂
山﹁誠に有難う、そう云う訳なら私から云いましょうがねえ…実はねえ…まアお前から云って御覧﹂
繼﹁まアお前さんから仰しゃいな﹂
山﹁うっかり云われません……全体其のお前は何だえ﹂
繼﹁私は元は江戸の生れで、越中高岡へ引ひっ込こんで、継まゝ母はゝに育てられた身の上でございます…誰たれか合あい宿やどが有りやアしませんか﹂
山﹁あの怖い顔の六部が居ましたが、彼あい奴つが立って行って誰だれも居ないよ﹂
繼﹁実は山之助さん、私は敵かた討きうちでございますよ﹂
山﹁えゝ敵討だと、妙な事が有るものだねえ、お繼さん私も実は敵討で出た者だよ﹂
繼﹁あらまアよく似て居ますねえ﹂
山﹁本当によく似てるが、何ういう敵を討つのだえ﹂
繼﹁私はねお父とっさんの敵を討ちに出ました、その訳と云うのは越中高岡の大工町に居ます時、継母のお梅と云うのが、前の宗慈寺という真言寺の和尚と間男をして、然そうしてお父さんを薪割で殺して逃げました、其の時私は十二だったが、何どう卒ぞ敵を討ちたいと心に掛けて居る中うちに、もう十六にも成ったから、止めるのを無理に暇いと乞まごいをして出て来ました、三十三番の札を打納めさえすれば、大願成就すると云う事は予かねて聞いて居ますし、観音様の利りや益くで無理な事も叶うと云う事でございますから、目差す敵は討てようと思って居ますけれども、貴方は男だから、夫婦に成って下すったら助太刀もして下さるだろうと、力に思って居りますので﹂
山﹁それは妙だ、私も敵討をしたいと思ってねえ、私は姉あねさんの敵だが、それじゃアお前の敵は越中高岡の坊さんかえ﹂
繼﹁いゝえ坊さんに成ったのだが、その前は榊原様の家来でございます﹂
山﹁うん榊原の家来……私の親父も榊原藩で可なりに高も取る身の上に成ったのだが、何う云う訳か私と姉を置いて行方知れずに成りましたから、実は姉と私と神かみ仏ほとけに信心をして、行方を捜したのだが、今に死んだか生きたか生しょ死うしの程も分らずに居るが、私の姉を殺した奴も元は榊原藩で水司又市と云う奴……その名の分ったのは姉を口説いた時に、惠梅という比丘尼が嫉やき妬もちをやいて身の上を云う時に、次の間で聞いて知ってるので﹂
繼﹁まア何うも希きた代いなこと、私のねえお父さんを殺して逃げた奴も永禪和尚と申しますので、真言寺の住持に成ったが、元は水司又市と云う者で、やっぱり私の尋ねる敵だわ﹂
山﹁そりゃア妙な事が有るもんだねえ、よく似てるねえ﹂
繼﹁似て居ますねえ﹂
五十二
山﹁何うも不思議な事も有るものだ、それじゃア何だね、お前のお母さんは坊さんかえ﹂
繼﹁いゝえ、私の継母は元は根津の女じょ郎うろをしたお梅という者で、女郎の時の名は何と云ったか知りませんが、又市と逃げるには姿を変えて比丘尼に成ったかも知れません﹂
山﹁これは何うも不思議だ、あの十曲峠で私と間違えてお前を追おっ掛かけた、あの柳田典藏という奴が私の家うちの姉あねさんに恋慕を仕掛けた所が、姉さんは堅い気象で中々云う事を肯きかぬから、到頭葉広山へ連れて行って、手込めにしようと云う所へ、通り掛ったのが今の水司又市と云う者で、これが親切に姉さんを助けて家へ送って呉れたから、兎も角も恩人の事だからと云って家に留めて置く中うちに、水司又市が又姉さんに恋慕をしかけるから、姉さんは厭がって早く何どう卒ぞして突き出そうと思ったが、中々出て行かない、その中に宜い塩あん梅ばいに家を出立したと思うと、お前さんの継母か知らないが、惠梅比丘尼を山さん中ちゅうで殺して家へ帰って来て、又姉さんに厭な事を云い掛けたから、一生懸命に逃げようとすると、長いのを引抜いて姉さんを切った、それで私は竹たけ螺ぼらを吹いて村方の人を集め、村の者が大勢出たけれども、到頭又市に逃げられ、姉さんの臨終に云った事も有るから、始終心に掛けて、漸ようやく巡礼の姿に成って旅立をした所が、私の尋ねる敵をお前も尋ね、お互に合宿になって私が看病をして貰うと云うのは、余よっ程ぽど不思議なことで、これは互に遁のがれぬ縁だ﹂
繼﹁あゝ嬉しいこと、何卒私の助太刀をして下さいよ﹂
山﹁助太刀どころじゃアない、私が敵を討つのだから﹂
繼﹁いゝえ私が親の敵を討つのだから、お前さん一人で討っちゃアいけません、私の助太刀をしてしまってから姉さんの敵をお討ちなさい﹂
山﹁そんな事が出来るものか、何うせ私も討つのだから夫婦で一緒に斬りさえすれば宜よい﹂
繼﹁本当にまア嬉しい事﹂
山﹁私も斯こんな嬉しい事アない、これも観音様のお引合せだろうか﹂
繼﹇#﹁繼﹂は底本では﹁山﹂﹈﹁本当に観音様のお引合せに違いない……南無大慈大悲観世音菩薩﹂
と悦びまして、
山﹁もう斯う打明けた上は、仮たと令え見棄てゝも遁のがれぬ不思議な縁﹂
とこれから山之助は気が勇んで、思ったより早く病気が全快致しましたからまだ雪も解けぬ中うちを、到頭出立致し、おい〳〵旅を重ねまして、翌年二月の月つき末ずえに紀州へ参りました。紀州へ参りましたが、一向何も存じませんから、人に教わって西国巡りの帳面を見ると、三月十七日から打初めるのが本当だと云う事で、少々日ひか数ずは掛りまするが、仮たと令え月日が立とうが敵を尋ねる身の上でございますから、又市の隠れて居そうな処へ参っては此こ処ゝらに潜んで居ないかと敵の行方を探しながら、三十三番の札所を巡ります。先まず一番始まりが紀州の那智、次に二番が同国紀三井寺、三番が同じく粉こが川わで寺ら、四番が和泉の槙まきの尾お寺、五番が河内の藤井寺、六番が大和の壺坂、七番が岡寺、八番が長谷寺、九番が奈良の南なん円えん堂どう、十番が山城宇治の三みむ室ろ、十一番が上かみの醍だい醐ごで寺ら、十二番が近おう江みの岩いわ間まで寺ら、十三番が石山寺、十四番が大津の三井寺と段々打うち巡めぐりまして、三十三番美濃の谷たに汲くみまで打納めまする。其の年も暮れ翌年になると、敵を捜しながら、段々と東海道筋を下って参り、旅をすること丁度足掛三年目の二月の五日に江戸へ着ちゃく致しましたが、是と云って外ほかに頼る処もございませんから、先まず葛西の小岩井村百姓文吉の処に兄が居りはしまいかと思って、村の入口で聞きますると、それはあの榎えのきのある処から曲って行ゆくと、前に大きな榛はんの木が有るからと教えられて、其の通り参って見ると、百姓家は土間が広くしてある、その日当りの好よい処に婆ばあ様さまが何かして居りますから、
繼﹁御免なさいまし〳〵﹂
男﹁はい何だえ﹂
繼﹁あのお百姓の文吉さんのお宅は此こち方らでございますか﹂
男﹁あい文吉さんは此こっ方ちだが、何だえ﹂
繼﹁あのお婆さんはお達者でございますか、若もしお婆さんは亡くなって、伯母さんでございますか﹂
男﹁婆ばアさま〳〵巡礼どんが二人来て、婆アさまに逢いたいと云って立ってるだ﹂
婆﹁はい何どな方たでございます、巡礼どんかえ、修行者が銭を貰いに来たら銭を上げるが宜よい、知ってる人が尋ねて来たかえ﹂
繼﹁御免なさいまし、貴方が此こち方らのお婆さんでございますか﹂
婆﹁はい私わしが此こ処ゝの婆ばゝアでございますよ、あんたア誰だかねえ﹂
繼﹁あなたお忘れでございますか、私わたくしは湯島六丁目藤屋七兵衞の娘繼と申す者でございます﹂
婆﹁あれや何うも魂たま消げたとも、何うも巨でかく成ったアなア、まア宜く尋ねて来たアなア、巡礼に成って来ただかえ﹂
繼﹁はいお婆さんに逢いたいと思って遠とお隔〴〵の処を参りました﹂
婆﹁まア宜く尋ねて来たよ、是やア誰か井戸へ行って水を汲んで来て……足い洗って上りなよ……おう〳〵草鞋穿ばきで……汝われ話しい聞いた事ア無かっきアが、これア私わしの孫だよ、それ江戸へ縁付けて出で来かした娘だ……さア足い洗って上るが宜い﹂
と云われたから巡礼二人は安心して上へ上り、
繼﹁御機嫌宜う﹂
と挨拶を致しますると、
婆﹁お前は全く藤屋七兵衞の娘お繼かえ﹂
繼﹁はい全くお繼でございます、兄は縁えん切きりで此こち方らへ預けられた事は承知して居りますが、只今でも達者で居りますか﹂
婆﹁はあえ、彼あれは親父の心得違いで女じょ郎うろを呼ばったで、違った中だもんだから、虐いじめられるのが可愛そうでならなえから、跡目相続の惣領の正太郎だアけれど、私わしい方ほうへ引取り、音いん信しん不通になって、そうしてまア家うちい焼けてから跡は打ぶっ潰つぶれて麻布へ引ひっ込こんだきり行ゆき通かよいしない、後あとで聞けば遠い国へ引込んだと云うことで、七兵衞は憎いから心にも掛けなえけれども、己おれア為には真実の孫のあの娘が継母の手にかゝって居るかと心配して、汝われが事は忘れた日は無いだ…な、え十八だとえ、己おらアはア七十の坂を越して斯う遣って居るだけれども、まア用の無いやくざ婆ばゝあだから早く死にたい、厄介のないように眠りたいと思ってるだが、斯うやってまア孫が尋ねて来て顔が見られると思えば、生きて居て有難かっきア……父ちゃんは達者かえ﹂
五十三
繼﹁はいそれに就いてはお婆さん種いろ々〳〵訳が有って来ましたが、何どう卒か早く兄さんに逢いたいものでございます﹂
婆﹁おゝ正太郎かえ、あの正太郎には痩やせるほど苦労をしただ、その訳と云えば、あの野郎を連れて来て堅かた気ぎの商あき人ゅうどへ奉公に遣り、元の様な大でかい家うちを拵こしらえさせたいと思って奉公に遣ると、何処へ遣っても直すぐに駈かん出して惰なまけて仕様がない、そうしてる中うちに己おらあ家でこれ些ちっとべい土蔵という程でもないが、物を入れる物置蔵ア建てようと云って職人が這は入えってると、その職人と馴なじ染みになって職人に成りたいと云うから、それじゃア成んなさいと云うので、京橋の因いな幡ばち町ょうの左官の長ちょ八うはちと云う家へ奉公に遣っただ、左官でも棟梁になりゃア立派なもんだと云うから、奉公に遣った所が、職人の事だから道楽ぶちゃアがって、然そうして横根を踏出しやアがって、婆ばアさま小遣を貸せと云うから、小遣は無いと云うと、それじゃア此の布ぬの子こを貸せと云ってはア何でも持出して遣い果した後あとで、何うにも斯うにも仕方が無いが、まア真実の甥おいだからと云って文吉も可愛がって居たゞが、嫁の前めえも有るから一ちょ寸っと小言を云うと、それなり飛出しやアがって、丁度三年越し影も形も見せないから、本当に仕方が無いやくざな野郎になってしまったが、何処へ往いきやアがったか、能よく女じょ郎うろを買って銭が欲しい所から泥坊に成る者も有るからのう婆ばあ様さま、と云われる度たびに胸が痛くて寧いっそ放とん出さないば宜かったと﹇#﹁宜かったと﹂は底本では﹁宜かつと﹂﹈思ってなア、若もしや縄に掛って引かれやアしないかと心配して忘れる事はないだ…何ういう訳だい、巡礼に成って此こ処けえ来たのは﹂
繼﹁はい実はこれ〳〵〳〵〳〵でございまする﹂
と涙ながらに、三年前あとの越中の高岡から旅立を致しましてと細かに話をした時は、婆さんも大きに驚いて、親の敵を討とうと云う事なら、手てめ前えばかりではいけない、今に文吉が帰って来れば力に成って、仮たと令え相手は何どんな侍でも文吉が助太刀をして討たして遣るから、決して心配せずに、心丈夫に思って居るが宜よいが、此の連れの方は何ういう人だと問われて、是もこれ〳〵と身みの上うえを打明けると、婆ばゝあは一通りならぬ喜び、文吉も共に力に成りまして、田舎は親切でございますから、山之助までも大事に致して呉れます。山之助の身の上を聞いて伯父文吉が得心の上、改めて夫婦の盃をさせ内ない々〳〵の婚姻を致させましたから、猶更睦じく両人は毎日葛西の小岩井村を出て、浅草の観音へ参詣を致して、是から江戸市中を流して歩るきます。すると二月から二三四と四月の廿七日迄日々心に掛けて敵の様子を尋ねて居りましたが、頓とんと手掛りがございません。少し此の日は空そら合あいが悪くてばら〳〵〳〵と降出しましたから、毎いつもより早く帰って脚半を取って、山之助お繼が次の間に足を投出して居りまする。すると丁度夕刻前ぜん此の家へ這入って来ましたのは村方のお百姓と見えて、
百﹁はい御免なさい﹂
婆﹁誰だい﹂
百﹁おゝ婆ばあさまか、家のは何処へ﹂
婆﹁今日は細田まで行くってえなえ、嫁も今湯う貰いに行ったから留守うして居ますわ、まアお掛けなさい、一服お吸いなさい﹂
百﹁はア細田へ行ったゞかえ、それじゃアちょっくら帰らないなア、婆さま、まア何時も達者で宜えいのう﹂
婆﹁達者だってこれ何時までも生きてると厄やっ介けえだと思うけれども、何うも寿命だから仕様が無ねえだ、早く死にたいと云ったら死にたいと云うのは愚痴だって光こう恩おん寺じの和尚様に小言を云われただ﹂
百﹁長なが生いきすれア宜よかんばいじゃアないか﹂
婆﹁お前も何時も達者だねえ﹂
百﹁私わしアはア婆様より二十も下だが己おれの割にすると婆さまは達者だ﹂
婆﹁達者では私わし無ねいだ、腰もつん曲るし役にも立たないで、夜になると眠くてのう﹂
百﹁あんたア立派な好いい嫁を貰って、まだ孫が出来ないだねえ﹂
婆﹁まだ出来ないよ、あんたア子供は幾いく人たり有るだかなア﹂
百﹁私わしア二人でなア、惣領の姉に養子をしたゞが、養子は堅い人間だからまア宜よいでがすが、弟の野郎が十三になり奉公をすると云うので、それからまア深川の菓子屋へ奉公に行ってるだ﹂
婆﹁はえゝ然そうかえ、もう十三だって、早いもんだのう﹂
百﹁それで何だ、深川の猿子橋の側の田たげ月つという大でかい菓子屋の家に奉公をしてるだが、時々まアそれ親が恋しくなると見えて、来て呉れというので、私わしも野郎が厄介に成ると思って、菜の有る時は菜を抜いて持ってッたり、また茄な子すや胡きゅ瓜うりを切って売うりに持って行ゆく時にゃア折々店へも行くだ、するとまア私が帰ろうと云うと後あとから忰が出て来て、是は菓子の屑だから、父とっさま帰ったらお母っかあに食わせて呉れ、こりゃア江戸なア菓子だと云ってよこすから盗み物でア悪いぞと云うと、なに菓子屋じゃア屑は無むや暗みに食うのだが、己おれア食いたくないから取っといて遣るのだと云って己おらがにくれる、己も心嬉しいから持って来て婆ばゝあに斯う〳〵だと云うとなア、婆さま家の婆が悦びやアがって、江戸なア菓子はえらく甘あめえって悦ぶだア﹂
婆﹁はえーい感心な子だのう、親の為に食い物を贈る様な心じゃア末が楽しみだアのう﹂
百﹁所がのう婆さま、忘れもしねえ去年中ちゅう、飛んだ目に逢ったゞ﹂
婆﹁はえーい何うしたゞえ﹂
百﹁何うしただって婆さま、押おし込こみが這は入えったゞ﹂
婆﹁はえーい何ど処けえなア﹂
百﹁忰が行ってる菓子屋へ這は入えったなア、こりゃア何うも怖おっかなかったって、もう少しの事で殺される所だってえ﹂
婆﹁はえーい﹂
五十四
百﹁まだ宵の事だと云うが、商あき人ゅうどの店は在ざい郷ごと違って戸を締めても潜くゞりの障子が有るから灯あか火りが表から見えるだ、すると婆ばあ様さま、其そ処こをがらり明けて二人の泥坊が這は入えって、菓子呉れと云いながら跡をぴったり締めて、栓を鎖かってしまったゞ、店には忰と十七八の若い者と二人居る処とけえ来て、声﹇#﹁声﹂は底本では﹁處﹂﹈を立てると打ぶち斬きってしまうぞと云うから、忰も若い者も口が利けない、すると神妙にしろ、亭主は何ど処こにいる、金は何処に有るか教えろ、声を出すと打斬ってしまうぞと云うから何うも魂たま消げたねえ、それからなえ婆様、這は入えった奴は泥坊で自分が縛られつけてるから人を縛る事が上手で、すっかり縛って出られないようにして、中の間まの柱に繋くゝって置いて、然そうして奥の間へ這は入えると、旦那が奥の間で按あん摩まと取りを呼んで、横になって揉ませて居る其そ処けえずっと這は入いって来て、さア金え出せ、汝われが家うちは大でかい構えの菓子屋で、金の有る事は知ってる、さア出せ、ぐず〳〵しやアがると拠よんどころなく斬ってしまうぞ、さア金を出せと云うから、旦那は魂消たの魂消ないの、まるで旦那は口い利かれない、只今上げます〳〵命はお助け、命だけは堪忍して呉れと云うと、命までは取らぬ、金さえ出せば帰るから金え出せと云うので、其そ処けえ蹲つくなんでしまっただ、するとお前めえ旦那を揉んでいた按摩取がどえらい者で、其そ処こに有った火鉢を取って泥坊の顔へぶっ投ぽった﹂
婆﹁はえい怖おっかないなアまア、うん、ぶっ投ぽって火事い出で来かしたかえ﹂
百﹁なに火事でなえ、灰が眼に這は入えって、是アおいないと騒ぐ所へ按摩取が一人で二人の泥坊を押えて、到頭町の奉行所へ突つき出だしたと云うのだが、何と剛つえい按摩取じゃアないか、是でお前めえ旦那も助かり、忰も助かったゞ、それからお前、誠に有難い、お礼の仕様がないと云う訳で、物も取られず、怪我もせず斯こんな嬉しい事アないが、お前は何処なア按摩取だと云うと、私わしは是から五六町先の富とみ川かわ町ちょうにいて按摩取を致します、旅へ出てる中うちに眼まなこ悪くて旅按摩に成りましたと云うから、何か礼をしたいもんだが何か欲しい物はないか、金を遣やりましょうと云うと、金は入りません難儀を救うは人間の当あた然りまえで、私は何も欲しい物は有りませんが、富川町へ引ひき越こしてから家内が干ほし物ものをする処が無いに困ってる、私も草花が好すきだから草花でも植えて楽たのしみたいと思うそれには少し許ばかりの地面と井戸が欲しいと思って居りますと云うので、旦那は金持だから、それじゃア地面を買って遣ろうと云って、井戸も掘って﹇#﹁掘って﹂は底本では﹁堀って﹂﹈、茄子の二十本許ばかりも植える様にして充あてがったゞが、何うも彼あの按摩取は只の人でなえ、彼の泥坊を押える塩あん梅ばいが只ではなえと思って旦那が聞いたら、元は侍だが仔細有って坊様に成りまして、それから私が眼まなこ潰れましたが、だん〳〵又宜く成りまして、只今では按摩取を致しますと云うから、何うも然そうだんべえ、何でも只の人でなえと思ったッて、私わしもまア一ちょ寸っと年始に行った時見たが立派な武さむ士らいで、成程只の按摩取でなえ、黒の羽織を着て、短い木刀を差して、然そうして按摩をしたり、針をしたり何かするって、針も中々えらいもんだって、大変に流は行やるだ、何でもその按摩の名は一いっ徳とくとか何とか云ったっけ﹂
婆﹁はえーい元は侍だって、何ど様んな人だえ﹂
百﹁うん、何とか云ったッけ忘れた、ん、ん何よ元は榊原様の家来で、一旦坊様に成ってまた還げん俗ぞくしたと云うが、何でもはア年は四十二三で立派な男だ﹂
婆﹁はえーい然そうかなえ﹂
と話をして居ると、部屋に居ったお繼が突いき然なり飛出して来まして、
繼﹁おじさんお出いでなさい只今承わりました、元は侍で、一旦出家に成りまして、また還俗致して按摩取に成ったと云うのは、名前は何と申しますか、その人の額に疵きずが有りますか﹂
百﹁はい……おや巡礼どんが出掛けて来た﹂
婆﹁なにこれア己おらが孫だよ﹂
百﹁へえ婆さま、斯こんな孫が有ったかえ﹂
婆﹁少ちいさい時から他わきへ往ってたから、貴あん方たア知んなえが﹂
百﹁そうかねえ……額に疵が有りますよ﹂
繼﹁じゃア年は何でございますか、四十ぐらいに成りますか﹂
百﹁えゝ然うさ、四十もう一二ぐらいであろうか﹂
繼﹁元は榊原の家来に相違有りませんか﹂
百﹁えゝ然ういう話だなえ﹂
これを聞くと山之助が出て来て、
山﹁只今蔭で承まわりましたが、その男は顔に疵がございまして、もとは侍で、一旦出家いたして、その還俗した者というお話でございましたが、其の名前は水司又市と申しますか﹂
百﹁おや〳〵〳〵また巡礼どんが﹂
婆﹁是も己おらがの孫だよ﹂
百﹁婆さま、お前めえはまアえらく孫が幾いく人たりも有るなア……然うだ、己おらアもう忘れたが、アんたア﹇#﹁アんたア﹂はママ﹈云う通りの名前だっけ、あんたア宜く知ってるなア﹂
繼﹁それだよお婆さん﹂
婆﹁まあ然うかえ﹂
繼﹁本当だよ、観音様の御利益は有難いもの、本当に豪えらいもんだねえ﹂
百﹁えゝそりゃア実に豪いもんで、もう少しで忰もぶち斬られる所だったが……後あとで泥坊をお調べになったら、一人は浪人者で極ごく悪い奴だ、何とか云った、元は櫻井の家来で、それからが化ばけ物もののような名前で、柳の木の幽霊、細い手の幽霊いや柳の木に天てん水すい桶おけか、うんそうじゃない、浪人者は柳田典藏で、細い手と云うのは勇治とかいう胡麻の灰という事が分って、お処しお刑きに成ると云う話だ﹂
婆﹁……おいこれえ待て〳〵、これえ待たねえか、汝われが二人駈出しても文吉が帰って来ないば、向うは泥坊を生いけ捕どるくれえな又市だから、汝が駈かん出してもか細い腕で遣りそこなっては成んねえが、これ〳〵待っちろ、文吉が帰ったら相談ぶって三人で往いけよ…﹂
と云ったが敵に逃げられては成らぬと云うので富川町の斯これ々〳〵斯々と聞くや否や飛立つばかりの喜びで、是から直すぐに巡礼の姿に成って、苞つとの中へ脇差を仕込み、是を小脇に抱え込んで飛出し、深川富川町の按摩の家うちへ、山之助お繼が飛込みまして、愈いよ々〳〵猿子橋の敵討に相成りますると云うお話になります。一ちょ寸っと一ぷく。
五十五
引続きまする巡礼敵討のお話で、十八歳に成りまするお繼に、十九歳に相成りまする白島山之助が、互に姉の敵親の敵を討ちたいと、三年の間諸方を尋ねて艱難苦労を致しましたる甲斐有って、思わずも只今お百姓が来ての物語に、両ふた人りは飛立つ程嬉しく思いますから婆アの留とめるのも聞入れずに見けん相そうを変え、振払って深川富川町へ駈出します。すると暫しばらく経たって帰ったのは伯父の文吉でございます。婆ばゝあは両人が駈出してから立ちつ居つ心配して泣いて騒いでも、七十を越した婆ばあ様さまでございますから、只騒いで心配するばかり、何うする事も出来ません。
文﹁婆さま、今帰りました﹂
婆﹁おゝ文吉帰けえったか、己おらアまア心配ばかりして居ったが、何うもまア飛んだ訳に成ったゞよ﹂
文﹁何うしたゞえ、何時でも婆さまは仰山な事を云って己おらア本当に魂たま消げるよ、まア静かに﹂
婆﹁静かにたって、お前めえ先さっ刻き茂もざ左え衞も門んが家うちへ来ての話に、敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事を話したゞ、するとお前、お繼も山之助も飛上って、さア是から直すぐに敵を討ちに行ゆくと云うから、待てえ、向うは泥坊を取って押えるような豪えらい侍だから、か弱い汝おめえら二人で駈かん出しても仕様がない、返り討にでも成ってアならねえから待っちろと云うのに、聞かないで駈ん出すから、己おらア出て押えようと思ったら、突つき転こかして駈ん出すだ、追おっ掛かけることも出来なえから、早く汝われが帰らば宜よいと心配ぶって居たゞ、早く何うかして追掛けて呉んなよ﹂
文﹁こりゃア困ったなア、それだから己おらが不断から然そう云って置くだ、二人で行っても屹きっ度と先むこ方うに斬られもんだ、よしんば斬られんでも怪我アするは受合いだアから、何どんな事が有っても己を待ってる様に云うだ、婆様何故遣ったゞえ﹂
婆﹁何故遣るたっても遣らない様に仕ようと思うと、突つん除のけて行って、留とめても留らぬから仕様がないだ﹂
文﹇#﹁文﹂は底本では﹁山﹂﹈﹁そりゃア困ったなア……これ嘉かじ十ゅう手てめ前えも一緒に行ゆけ、二人に怪我をさしては成んねえから、己おらも直ぐに行くだから、手前長く奉公して世話に成ったから一緒に行いけ﹂
嘉﹁敵討に行いくだから一緒に行ゆけって、私わしい参めえりましょう、なに死んだって構いませんよ、参りましょう﹂
と田舎の人は正直で親切でございますから、本当に死ぬ了簡と見えて、藻もが刈りが鎌まを担かついで出掛けまする。文吉も小こな長がいのを一本差しまして、さっさと跡から飛とび出だして余程急ぎましたが、間に合いません。山之助お繼は富川町へ駈けて参りますると、其の頃は彼あす処こに土屋様の下しも屋やし敷きがあり、此こち方らにはまばらに人家が有りは有りまするが、只今とは違って至って人家の少ない時分でございます。成程来て見ると茂左衞門の云った通り入口が門もん形がたちに成りまして、竹の打ぶッ付つけの開ひら戸きどが片かた方〳〵明いて居て、其そ処こに按あん腹ぷく揉もみ療りょ治うじという標札が打ってございます。是から中へ這入ると左右が少し許り畠になって、その横が生いけ垣がきに成って居りますから、凡およそ七八軒奥の方ほうに家が建って居まして、表の方かたは小さい玄関様ようで、踏ふみ込こみが一間ばかり土間に成って居ります、又式台という程では有りませんが上あがり口は板いた間のまで、障子が二枚立って居り、此こち方らの方ほうは竹の打ぶッ付つけ窓まどでございます。あの辺は四月二十七日頃でももう蚊が出ると見えて、夕景に蚊かや遣りを焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥け子しや紫あじ陽さ花いなどが植えて有って、隣とな家りも遠い所のさびしい住すま居いでございます。二人は窃そっと藁わら苞づとの中から脇差を出して腰に差し、慄ふるえる足元を踏ふみ〆しめて此の家やの表に立ちましたのは、丁度日の暮掛りまする時。
山﹁御免なさいまし、お頼み申します﹂
太﹁はい誰どな方たえ﹂
山﹁あの揉療治をなさる一徳さんは此こち方らでございますか﹂
太﹁はい一徳の宅は手前だが何どな方ただえ、此方へお這入んなさいまし﹂
繼﹁少々承まわりとう存じますが、一徳さんのお年は幾つでございますえ﹂
太﹁何だ障子越しに己おれの年を聞くと云うのは何だ……御冗談や調から弄かいでは困ります、此方へお這入りなさい﹂
山﹁はい、あなたは何でございますか、額に疵がございますか﹂
太﹁何だ……左様でござる、手前は額に疵も有りますが、何方でげすえ﹂
山﹁えゝ、元は榊原様の御家来で、お年は四十一でいらっしゃいますか﹂
太﹁なんだ……はい私わしの年まで知っていて、面おも部てに疵が有ると仰しゃるのは何どち方らのお方でございますえ﹂
山﹁お名前は水司又市でございますか﹂
太﹁はい何どな方ただえ﹂
と水司又市と云う名を聞くや否や山之助は一刀を抜くより早く、がらり障子を明けながら、
山﹁姉の敵い…﹂
と一ひと声こえ一生懸命の声を出して無茶苦茶に切込んで来る。続いてお繼が、
繼﹁おのれ親の敵覚悟をしろ﹂
と鉄かな切きり声ごえを出した時には不意を打たれて驚きましたが、
太﹁これ何を致す、人違いをするな﹂
と云いながら傍そばに有りました今戸焼の蚊遣火鉢を取って打ぶッ付つけると、火鉢は山之助とお繼の肩の間をそれて向うの柱に当って砕け、灰は八方に散乱する。また山之助の突つき掛かける所を引ひっ外ぱずして釣つる瓶べが形たの煙草盆を投付け、続いて湯呑茶碗を打ぶッ付つけ小さい土瓶を取って投げる所を、横よこ合あいからお繼が、親の敵覚悟をしろと突掛けるのを身を転かわして利きゝ腕うでを打つと、ぱらり持っていた刃物を落し、是はと取ろうとする所を襟えり上がみを取って膝の下へ引摺寄せる、山之助は此こ所ゝぞと切込みましたが、此こち方らは何分手ぶらで居った所、幸いお繼が取落した小しょ刀うとうが有ったからそれを取って、
太﹁これ怪我を致すな、人違いを致すな、宜く心を静めて面めん体ていを見ろ、人違い〳〵﹂
と二三度打流したが、相手の方から無二無三に打って掛るから、
太﹁これ人違いを致すな﹂
と払い除けました、其の切きっ尖さきが山之助の肩先に当ると、腕が利いて居る、余程深く斬込みました。
山﹁あア﹂
どんと山之助が臀しり餅もちをついたなり起上る事が出来ません、山之助が斬られたのを見るとお繼が
﹁わーっ﹂
と其の場に泣倒れました。
太﹁これ何ど処こへ参って居おるかな、これ照や、狼藉者﹇#﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂﹈が這入ったが、何処へ参って居いるか、これ早く燈あか光りを持って参れ、燈光を……﹂
此の時女房は裏の井戸端で米を磨といで居りました。じゃ〳〵〳〵〳〵と米を磨いで居り、余程家うちから離れて居りまするから、右の騒ぎは聞えませんだったが、大声で呼びましたから、何事かと思って慌あわてゝ家へ這入って見ると右の始末、
照﹁おや何う…﹂
太﹁何うたって今狼藉者﹇#﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂﹈が這入ったのだ、何分暗くって分らぬから早く燈光を点つけて来い﹂
と云われて、女房は慌てながら火打箱でかち〳〵〳〵〳〵。
五十六
お照は火を打つ所が、慌てるから中々点つかないのを漸ようようの事で蝋燭を点ともして、
照﹁何うしたの﹂
と見ると若い男が一人血に染って倒れて居り、また一人の娘を膝の下へ引敷いて居りますから。
照﹁こりゃアまア何でございます﹂
太﹁何だって今此の狼藉者﹇#﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂﹈が這入ったのだ…さこれ能よく面めん体ていを見ろ、人違いを致すな、己は人を害あやめた覚えも無し、敵と呼ばれて打たれる覚えも無い、これ面おもてを見ろ、心を静めて面を見ろ﹂
と云われたから、山之助が漸うに起上って燈あか火りで顔を見ると、成程年とし齢ごろは四十一二にして色白く、鼻筋通り、口元が締って眉毛の濃い、散髪の撫なで付つけで、額から小こび鬢んに掛けて疵きずが有りますなれども、能く見ると顔かお形かたちが違って居りまする故、
山﹁あゝ是は人違いをした﹂
と思うと、
太﹁何うじゃ、違って居おろうな﹂
山﹁はい誠に申訳がございません、全く人違いでございます﹂
照﹁人違いで敵だと云って斬込むとは人違いにも程がある、何ぼ年が行いかぬと云って、斬ってしまった後あとで人違いで済みますか、良あな人たはお怪我は有りませんか﹂
太﹁そんな事を云わんでも宜よい、早く其そ処こらに散乱して居る火を消せ﹂
と云われて御ごし新ん造ぞが柄杓に水を汲んで蚊遣の火が落ちた処に掛けると、ちゅうぶうと云う大騒ぎ。此の時まで只泣いて居て口の利けぬのはお繼で、今燈火の影で山之助が血に染って居いる姿を見て、
繼﹁山之助さん確しっかりして下さいよ……全く人違いでございますから、何どの様ようにもお詫わびをいたしますが、何どう卒ぞお医者様を呼んでお手当を願います﹂
太﹁そりゃア人違いと分れば手当もして遣ろうが、油断は出来ませぬ、ひょッとして又、何うもなア……全く人違いであろう﹂
山﹁はい﹂
太﹁左様か﹂
山﹁お年と云い、額の疵と云い、榊原の家来で水司又市様と仰しゃいましたから、同じお名前故に取違えましたのでございます﹂
太﹁やア是ははや是ははや、私わしは水司又市じゃアない、私は水みず島しま太たい一ちろ郎うという者だが、按摩に成ってからは太一と申すが、其そ方ちは水司又市を敵と狙ねらうのか﹂
山﹁はい﹂
太﹁やアそれは気の毒千万な事を致した、うん、うん、姉の敵で、彼あの者には親の敵だと、未だ年も行ゆかんで親の敵姉の敵を討とうと云う其の志ある壮わか者ものを、怪我させまいと背むね打うちにする心得だったが、困った事を致したな、是こりゃア不ふび便んな事を致した、手が機はずんだから、余程深ふか傷でのようだ、まア〳〵〳〵待て﹂
と彼かの按摩取太一が山之助の傷を見ると、果して余程深く切込みました。
太﹁こりゃア機みも機んだので、迚とても助かりそうは無い……まアこれ表の鎖かけ鑰がねを掛けろ、誰たれも這入っては来こまいが、若もし来ては成らぬから締りをして参れ、これ誠に気の毒な事だけれども、私わしも刃物で切込まれるから、已やむを得ず気の毒ながらも深ふか傷でを負わしたが、一体何う云う仔細でまア水司又市を敵と探す者か、此こち方らは手てお負いで居るからせつない、これ娘お前泣かずに訳を云え﹂
繼﹁はい〳〵、私は越中の高岡大工町の藤屋七兵衞の娘繼と申しまする者でございますが、七年前あとに私の継まゝ母はゝと、つい前の宗慈寺と申す真言寺の永禪と申しまする和尚と不義をして、然そうして親共を薪割で殺して二人で逃げました、私は丁度十二の時で、何うぞ敵を討ちたいと心に掛けまして、三年前あとに高岡を出まして、巡礼を致して敵の行方を捜しました所が、更に心当りもなく、つい先せん達だって江戸へ出て参りました、参って伯父の処に厄介になって居りまする中うちに、この深川富川町に水司又市という人が有って、元は榊原様の家来で家やし敷きを出て、一度たび頭あた髪まを剃り、又還げん俗ぞくして按摩をして居る水司又市と聞きました故、親の敵という一心で此こち方らへ斬込みましたのでございます﹂
太﹁成程お前の為には親の敵だ、またこれは姉の敵だと云ったな﹂
山﹁はい〳〵﹂
と手てお負いに成りました山之助が、漸ようように血に染った手を突いて首を擡もたげましたが、
山﹁はア旦那様誠に申訳もございません、私は其の永禪と申しまする者が還俗して、また元の水司又市と申します者が、此のお繼の一旦親に成りましたお梅と申す者を尼の姿に扮やつして、私の宅に泊り合せ、私の姉に恋慕を云い掛けました所が、姉が云う事を聞かぬと云うので到頭姉を殺して逃げましたのが水司又市でございます、それから私は姉の敵を討ちたいと心に掛けまして、此のお繼と二人三年越し巡礼に成って西国三十三番の札所を巡りまして、漸よう々〳〵の事で今こん日にち只今敵に逢いましたと存じまして、是へ参って承わりましても、貴方のお年は四十一歳、額に疵が有って元は榊原の家来水司又市と仰しゃいます故に善よく々〳〵お顔も見ずに踏込んで斬掛けました不調法の段は幾重にもお詫を致します﹂
太﹁うん二人は兄弟か﹂
山﹁えゝ是は只今は私の女房でございます﹂
太﹁うん左様か、うん是は何うも誠に気の毒千万、えん、うん水司又市あーア何うも彼あい奴つは兇悪な奴だ、今に悪事を重ねる事で有るか、何う致してもなア、医者を呼んで手当をして遣ろうが、中々の深ふか傷でで有るて、なれども確しっかり致せよ、命数尽きざる中うちは何どの様ような深傷でも、数十ヶ所縫う様な傷でも決して死ぬものじゃアない、又万一療養相叶わずして相あい果はてる事があれば、後あとに残るは貴様の女房……二人が剣術も知らずに無むや暗みに敵を討とうと思っても、水司又市は中々の遣つかい手だから容易に討てやせぬ、手前も仔細有って其の水司又市に逢わんければ成らぬ事が有るから、貴様が万一の事が有れば娘は自分の娘にして剣術も教え、貴様は己が過あやまって殺したのじゃに依って、後のち々〳〵愈いよ々〳〵又市を討つ時には己が力に成って助太刀をして討たせるが、何か貴様申置く事があらば遠慮なく云えよ﹂
山﹁はい有難う、有難う、私は不調法から貴方に斬られて死ぬのは決してお怨みとは存じませんが、只水司又市に一ひと刀たちも怨まぬのが残念でございます、私の親と申しまする者は、元は榊原藩で貴方も御同藩なら御存じでいらっしゃいましょうが、十七年前あとに家出を致しまして、もう国を出ましてから十九年で、私が未いまだ生れぬ前に、江戸屋敷詰に成りまして、それから江戸屋敷から行方知れずに成りましたので、段々姉と両ふた人りで神かみ仏ほとけに祈念して行方を捜しましたが、いまだに行方も知れず、生しょ死うしの程も分りません、これお繼私のお父とっ様さまの事もお前に話して有るが、若もし御ごぞ存んし生ょうでお目に掛る事が有ったらば、私は斯これ々〳〵の訳で不覚を取ったが、何どう卒ぞ一目お目に懸りたいと云って居たと云って下さい﹂
繼﹁はい、確しっかりしてお呉んなさいよ﹂
太﹁貴様が側で泣くと手負が気力が落ちていかん……これお前の親は榊原藩で何という名前の人だえ﹂
山﹁はい私の祖じい父さ様んがお抱かゝえに成りましたのだそうでございますが、足軽から段々お取立に成りまして、お目め見み得え近くまで成りました、名は白島山平と申しまする者でございます﹂
太﹇#﹁太﹂は底本では﹁山﹂﹈﹁えゝ何だ貴様の親は白島山平……何か貴様は白島山平の忰か﹂
山﹁はい白島山之助と申しまする者で﹂
太﹁おゝ是は何うも、宥ゆるしてくれ、これ忰、貴様の親の山平は此の水島太一であるぞ﹂
五十七
山﹁えゝお父とっ様さまあの貴方が﹂
と云って二人ともに膝の上に縋すがり付く手を取って、
太﹁あゝ面目次第もない、己が貴様の親だと云って名な告のって逢われべき者ではない、実に非義非道の親である、其の方ほうが懐妊中に江戸詰を仰おお附せつけられて江戸屋敷に居る間に、若気の心得違いで屋敷を駈落する程の心得違いの親、実に情ない事だ、親らしい事も致さぬ親を憎いと恨まんで、宜く臨終に至るまで手前に逢いたい懐かしいと遺言まで致してくれた、あゝ面目ないが、母も歿ぼっしたか、うん、なに姉おやまも又市に討たれたか﹂
山﹁はい〳〵有難う存じます、お懐しゅうございます、お懐しゅうございます、貴方にお目に懸りたいと云って姉あねさんも何どん様なに待っておいでなすったか知れません、貴方が家出をなさいましても屋敷に居おられぬ事はございませんが、お母っかさんは心配して三年目に亡なくなりまして、私は少ちいさし姉さんも年が往いきませんし、外ほかに致いた方しかたがございませんで、伯父さんが此こっ方ちへ引取ろうと云って、信州白島の伯父さんの厄介に成って居りまする中うちに、姉さんが又市の為に斬きり殺ころされました、姉あね様さんが死にます時にも、お父とっ様さまに逢わずに死ぬのは残念だ、一目逢いたい〳〵と申しました﹂
太﹁うん左様か、実にそれ程までに私わしを慕って、今思い掛けなく面会致したが、現在親の手で子を殺すと云うのは如何なる事か、皆これまで非道な行いを致した天罰主しゅ罰うばつが酬むくい来きたって斯この様ような訳、あゝ親として手前を己が殺すと云うのは実に情ない、手前己を親と思わずに一ひと刀かたなでも怨んで呉れ﹂
山﹁いゝえ勿体ない事を﹂
照﹁あなた其そ様んな事を仰しゃっても仕様がございません……あのお前さん、初めてお目に懸りました、お前さんは定めてお父とっさんを憎いとお恨みでございましょうが、お父さんの悪いのではございません、みんな私が悪いのでございます、と申すは拠よんどころない訳で私がお前さんのお父とっ様さんを慕いまする故に、お父様がお屋敷を出る様な事に成りました、それも私の養子が得心で二人共にお屋敷を出ましたけれども、永い旅を致して宿やどへ着くとは、国へ残してお出でなさった御ごし新ん造ぞやお前さん方に済まないと云って、私も神かみ仏ほとけに心の中うちでお詫ばっかり致して居りました、何どう卒ぞ堪忍してお呉んなさい、お父様を怨まずに私を悪い者と恨んでお呉んなさいまし﹂
太﹁これ山之助今更懺ざん悔げを致す訳でも無いが、余儀なく屋敷を出んければならない訳に成ったのは、武田から来た養子の重次郎と同ひと衾つねを致さぬと云う情じょうを……立てる其の間に告つげ口ぐちを致す者も有って、表おも向てむきになれば名みょ跡うせきが汚けがれるから重次郎の情なさけで旅費を貰うて家出を致したが、丁度懐妊中の子を生うみ落おとして夏という娘を得たから、漸ようやく十五歳まで育って楽しみに致した所が、三年前あとに信州の鳥居峠へ掛る時、悪者に出逢い、勾かど引わかされんとする時に、一刀とうを抜いて切結んだが、向うは二人此こち方らは一人、其の時受けた疵が斯のように只今でも残っている、娘は其の時谷たに間あいへ落ちて到頭其の儘に相果てたから、私わしも此のお照も実に一月つき許ばかりの間は愁傷して、泣いてばかり居って、終ついには眼病と相成ったから、致いた方しかたなく按摩に成って揉もみ療りょ治うじを覚え、迚とても生涯世に出る事は出来ぬと心得て居った所が、追々眼病も快く成って段々見える様に相成ったから同じ死ぬなら故郷懐かしく、此の江戸へ立帰って、富川町に昨年世帯を持ち、相変らず按摩を致して居おる内に、よう〳〵の事で眼病も癒いえるような事なれども、揉療治を致すような身の上に成ったから、若もし屋敷の者に見られては相成らぬと思うて、屋敷近くへ参る事も出来ず、如いか何ゞ致そうかと照も心配致して、又々旅たび立だちを致そうか、但たゞしは謝あやまって信州の親族の処へ参ろうかと思って居った所で有るが、一人の娘を谷間へ落して殺したのも是も皆罰ばちで、両ふた人りの者へ歎なげきを掛けるような事が身に報むくったのだ、今また其の方を我わが手てで殺すとはあーア飛んだ事、是も皆天の罰ばち、こりゃア頭かし髪らを剃そり毀こぼって罪滅ぼしを致さんければ世に居おられぬ﹂
照﹁誠に御尤もでございます﹂
山﹁お父とっ様さまえ、貴方も水司又市を捜す身の上と仰しゃいましたが、何な故ぜあなたは水司又市に似た様な名をお附け遊ばした﹂
太﹁手前は何も存ぜんが、お祖じい父さ様まは元信州の者で、故ゆえ有って越後高田に近き山やま家がへ奉公住みを致して居いると、或ある日ひ榊原公が山やま猟がりにお出いで遊ばして、鳥を追って段々山の奥に入いり、道に迷って御難儀の処へお祖父様が通り掛って、御案内をして城中へお帰りに成ったから、うい奴と仰しゃって先せん君くんがお取立に成った、是が私わしの先祖で、其の時は白島太たい一ちという名前で有ったが、山を平らに歩かせたという所から山平という名を下すった、それ故先君から頂戴の名を大切に心得て名を汚けがすな〳〵という遺言が有ったなれども、私は実に家名を汚す不孝不義の山平ゆえ、先代が頂戴の名を附けて居ては成らぬと云うので、信州水内郡の水と白島村の島の字を取って苗みょ字うじに致し、これに父の旧名太一を名な告のって水島太一と致したが、今と成って見ると此の水島太一という姓名を附けなければ斯の様な間違いも有るまい、是も皆若い時分からの罪で斯う成るのであろう、あゝあ恐るべき事である、これ忰手前なア何うかして助けたいが、実は迚とても助からぬ事と存じて居ろうが、後あと々〳〵の事には心を残さず往生致せ、縁有って手前の家内に成って居いるお繼という此の娘は私が引取って剣術を仕込み、手前の為には姉の敵に当る水司又市を捜して屹きっ度と敵を討たせるから、心を残さず往生致せよ﹂
山﹁はい〳〵〳〵有難う〳〵、逢いたい〳〵と思うお父とっ様さまにお目に懸り、お父様のお手に懸って死にますれば何も心を残す事はございません、これお繼少しの間でも御厄介になった伯父さんやお婆さんに何どう卒ぞ宜しくお前云ってお呉れよ﹂
繼﹁はい山之助さん確しっかりして下さいよ、お前さんが死ねば私は此の世に生きて居おられません﹂
と山之助に取とり縋すがって泣きまするから、堪こらえ兼かねてお照も泣伏します。水島太一も膝の上に手を置くと、はら〳〵〳〵と膝へ涙が落ちる。すると台所の方から大きな声で
﹁御免なせえまし﹂
五十八
太﹁何だえ﹂
文﹁へえ〳〵真平御免を蒙ります﹂
太﹁何うも恟びっくりする、誰だえ﹂
文﹁私わしは此こ処ゝにいるお繼の実の伯父で百姓文吉と申します、私は今日他よ処そへ行って先さっ刻き家うちへ帰ると、敵討に行ったと云いますから、家の男を連れて駈けて参めえりましたが様子が知んない、其そ処こらで聞くと此こ家ゝだと云うから、済まぬようだが窃そっと這入って、裏へ廻って様子を聞いて居りますと、人違いだ〳〵と云う声がするから、はてと思って聞いて居りましたが、間違いとは云いながら、少ちいさい時分に別れたお前様の子、それを貴あん方たが知らないとは云いながらはア斬って殺すと云うは、若い時分の罪だと懺ざん悔げする其の心こゝ持ろもちを考えますと、我慢しようと思いましたがつい泣いたでがんす、何うも飛んだ間違いに成りました、これ嘉十、もう鎌なんざアぶっ放ぽってしまえ﹂
太﹁何うもお恥かしい事がお耳に入って面目次第もございません﹂
文﹁何うか助かり様が有りましょうか﹂
太﹁迚とても助かりますまいとは存じますが、此の辺に生あい憎にく療治を致す者もござらぬ、手前少々は傷を縫う事も心得て居りましたが、つい歎きに紛れて……何しろ焼しょ酎うちゅうで傷口を洗いましょう﹂
山﹁伯父様さん宜く来て下すった﹂
と云う声も絶たえ々〴〵でございますから、
太﹁確しっかりしろ、今傷口を洗うぞよ﹂
と云う中うちに山之助は最もう目も疎うとく成りますから、片かた方〳〵に山平の手を握り片方はお繼の手を握って、其の儘山之助は呼吸は絶えましたから、お繼も文吉も声を揚あげて泣倒れましたが、
太﹁幾ら歎いても致し方がない、私わしが親と知れてはぱっとして上かみ屋やし敷きへ知れては相成らぬから、何どう卒ぞ親でない事に致したい、それにはお前方が確かな証人だに依って、敵と間違えて斯かよ様う々々に成ったと云う事を細かに訴えて検屍を受けんければ成らぬから﹂
と是から百姓文吉に山之助の女房お繼が証人で、直すぐに細かに認したゝめて訴え出でましたから、早速検屍が出張に成って傷口を改めましたが、現在殺された山之助の女房と伯父両ふた人りが証人で、全く人違いで斯様な事に相成りましたと云うから、さしたる御おと咎がめもございませんで済みました。その跡の遺なき骸がらは文吉が引取りまして、別に寺もありませんから小岩井村の菩ぼだ提いし所ょへ葬むり、また山平は伯父と相談して兎も角もお繼を引取り、剣術を仕込み、草を分けても水司又市を捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川町へお繼を連れて参り、これから山平の手ても許とに置いて剣術を仕込みまする所が、親の敵を討とうと云う志の好いい娘でございますから、両親に仕えて誠に孝行に致します。またお照も山平も実の子の如くにお繼を愛します。是から竹ちく刀とうを買って来て、間が有れば前の畑に莚むしろを敷きまして剣術を教えまするが、親の敵姉の敵夫の敵を捜して、水司又市を討たんければ成らぬと云う一心でございますから、教えようも教え様よう、覚える方も尋た常ゞでないから段々〳〵と剣術が出来て腕も宜くなり、もし貴方を又市と心得まして斯う斬込んだら何うお受けなさると云うくらい、人の精神は恐ろしいもので、段々山平でも受け兼かねる程の腕に成りましたから山平も喜びまして、
山﹁先まず追々腕も出来て来たか、生なま兵びょ法うほうは敗れを取ると云う譬たとえも有るから、ひょっと途中で水司又市に出で遇あっても一人で敵と名な告のって斬掛ける事は決して成らぬ、相手の水司又市は今は何どの様ような身の上か知れんが、何でも腕の優れた奴だに依って、決して一人で名なの告り掛ける事は成らぬぞ﹂
と予かねて言付けて有ります。毎日々々朝は早く巡礼の姿で家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御詠歌を唄っては報謝を受けて帰り、月夜の時には夜になっても裏の畑に莚を敷いて一生懸命に剣術の稽古を致します。すると近きん処じょでは不思議に思いまして、
○﹁あの按摩の家うちは余よっ程ぽど変ってるぜ、巡礼の娘を貰ったとなア、妙な者を貰やアがったなア、でも腕は余程宜いいに違いない無闇に剣術を教えるんだが、それも夜中にどん〳〵初めやアがる、彼あい奴つは余程変り者もんだぜ﹂
と云う噂が高く成りまする。丁度九月の節句の事でございましてお繼は例の通り修行に出て家うちに居りません。山平も別に用事が無いから、寛くつろいで居いる所へ這入って来ましたのは、土屋様の足軽中なか村むら久きゅ治うじと申す人。
久﹁先生々々﹂
山﹁誰どな方たですえ﹂
久﹁えゝ中村久治でげす、さて先日は大きに﹂
山﹁えゝ貴方は先日急に御用で揉掛けになって、まだ腰の方だけが残って居りました﹂
久﹁いやもう私わしは酒は飲まず、外ほかに楽たのしみも無いので、まア甘い物でも食い、茶の一杯も飲むくらいが何よりの楽み、それに私はまア此の疝せん気きが有るので、疝気を揉まれる心持は堪こたえられぬて、湯に這入ってから横になって疝気を揉まれるのが何より楽しみだが、先生は私の様な者だからと思って安く揉んで下さるんで先生は柔やわ術ら剣術も余よっ程ぽどえらいと云うことを聞いて居りますが、何うも普あた通りまえの先生でない、たしか去年でげしたか、田月という菓子屋で盗賊を押えなすったって、私の屋敷でもえらい評判でねえ﹂
山﹁なに出来やア致しませんが、幸いに泥坊が弱かったから……これ照やお茶を上げろ……是やア詰らぬ菓子ですが、丁度貰いましたから召上るなら﹂
久﹁いやこれは有難い、先生の処はお茶は好よし菓子までも下さる、有難いと云って毎度噂を致します、何どう卒ぞ又少し療治を願いましょうか﹂
山﹁えゝお屋敷も御ごた大いは藩んでげすから、御家来衆も嘸さぞ多い事でございましょうが、御指南番は何どな方たでげすえ﹂
久﹇#﹁久﹂は底本では﹁山﹂﹈﹁なに杉すぎ村むら内ない膳ぜんと云って、一刀流ではまア随分えらい者だという事で﹂
山﹁へえ成程杉村内膳、柔やわ術らは……うん成程澁しぶ川かわ流りゅうの小こ江え田だというのが御指南番で、成程あれは老人だが余よっ程ぽど澁川流の名人という事を聞きました…成程して強い御家来衆も有る事でげしょうなア﹂
久﹁沢山ある上に其の上にも〳〵と抱えるのは、全体殿様が武張っていらっしゃるので、武芸の道が何よりもお好すきでなア、先年此の常ひた陸ちの土つち浦うらの城内へお抱えに成りました者が有りまして、これは元修しゅ行ぎょ者うじゃだとか申す事だが、余よっ程ぽど力量の勝れた者で、何どのくらい力量が有るか分らぬという事で﹂
山﹁はゝア大した力量の有る者をお抱えに成りましたな﹂
五十九
久﹁えゝお抱えに成りましたと云うのは、宇う陀だの浅せん間げん山やまに北ほう條じょ彦うひ五こご郎ろうという泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下の者が有るので、合ごう力りょくという名を附けて居いま廻わりの豪ごう家かや寺院へ強ごう談だんに歩き、沢山な金を奪い取るので、何うもこりゃア水み戸と笠かさ間ま辺までも暴あらすから助けて置いては成らぬと云うので、城中の者が評議をした、ところが何うも八州は役に立たぬから早川様が押えようという事になって、就きましては凡およそ二百人も人にん数ずが押出しました押出して浅間山を十分に取巻いて見た所が、北條彦五郎は岩穴の中に住んでいる、その穴の入口が小さくて、中へ這入るとずっと広くて、其そ処こに家うちを拵えて住すま居いとして居り、また筑波口の方にも小さい岩穴が有って、これから是れへ脱ぬけるように成って居いるから、此こち方らの方を固めて居ても、此方の方から谷に下りて水を汲んだり、或あるいは百姓家で挽ひき割わりを窃ぬすみ、米其の外ほかの食物を運んで隠れて居ります、さ、これでは成らぬと槍鉄砲を持って向った所が穴の中が斯こう成ってゝ鉄砲丸だまが通らぬから、何ど様んな事をしてもいかぬ、所でもう是こりゃア水攻めにするより外に仕方が無いと云って、どん〳〵水を入れて見ると、下へ脱ぬけて落おちる処が有るから遂とう々〳〵水みず攻ぜめも無駄になって、何うしたら宜かろうと只浅間山を多おお勢ぜいで取巻いて居るだけじゃが、肝腎の彦五郎は裏穴から脱けて、相変らず人を殺したり追おい剥はぎを為するので、これには殆ほとんど重役が困っている所に、一人の修しゅ行ぎょ者うじゃが来て、あなた方は幾ら此こ処ゝを取巻いて居ても北條彦五郎を取押える事は出来ません、殊に北條彦五郎は大だい力りき無ぶそ双うで、二十五人力も有るという事だから、兎とてもいけぬに依ってお引揚げなさいと云うから、引揚げたら何うすると云うと、私わたくし一人に盗賊取押え方かたを仰付けられゝば有難いと云うので、然らば修行者は何どのくらいな力が有るかと云うと、私は力が有ります、何うか盗賊取押えを仰付けられたいと云うから、段々評議をした所が、何せ今までのように頑張っていても出るか出ないか知れぬから、当人が取押えると云うなら遣やらして見ろという仰しゃり付けで、これから其の修行者に取押えを言い付けた所が、其そい奴つのいうには手前の脊し負ょった笈おいに目方が無くては成らぬから、鉄の棒を入れるだけの手当を呉れと云うから、多分の手当を遣ると全く金を取って逃げる者でも無く、それから手当の金で鉄の重い棒を買い、笈の中へ入れて、彼かの北條彦五郎の隠れて居るという穴の側へ行って、其そ処こへ笈を放り出して、労つかれた振ふりをして修行者が寝て居ると、ある月夜の晩に彦五郎の手下が穴の側へ見張に出て見ると、修行者が居るから、﹁これ何うした﹂﹁私わたくしは歩けません﹂﹁何ういう訳で歩けぬ﹂﹁道に労れて歩けませんから、寝て居ります﹂と云うと、﹁此処に居ては成らぬから行ゆけ﹂﹁行くにも行かないにも荷物が脊し負ょえません﹂﹁脊負えぬなら脊負わせて遣ろう﹂と云うので手下の奴が動かそうとしたが中々動かぬから、こりゃア何ういう重い物だか、是を脊負うのは剛えらい者だといって手下の者が皆寄ったが持てぬから﹁手てめ前えこれを脊負って歩くか﹂﹁歩けますが、此の通り足を腫はらしたから仕様が有りません﹂と云うので足を出して見せると、巧うまく拵えて膏薬を貼って居て﹁これだから担かつげません﹂と云うから﹁手てめ前えは何どのくらい力がある﹂﹁私わたくしは五十人力ある﹂と云うと、手下の奴が﹁そりゃア嘘だろう﹂﹁なに嘘じゃアない﹂﹁いや嘘だ、嘘は泥坊の初まりだが、こりゃア手前が嘘だ﹂﹁いや決して嘘でない﹂という争いになると、北條彦五郎が、なに此の位の物を脊負って動けぬことが有るものかと云うので、連れん尺じゃくを附けて脊負って立ちやアがった、大だい力りき無むそ双うの奴だから、脊負って立ちは立った所が歩けないで、やっとよじ〳〵五六足あし歩くと、修行者が後うしろから突つき飛とばしたから、ぐしゃッと彦五郎が倒れると、恐ろしい目方の物が上へ載ったから動きも引きも出来ない、すると修行者に首かし領らが打たれたと云うから、そりゃアと鉦かね太鼓で捕とり人てが行って、手下の奴を押えて吟味すると何ど処こから這入って何処から脱ぬけるという事まですっぱり白状に及んだから、よう〳〵の事で浅間山の盗賊を掃除したと云うので、是れから其の修行者は剣術も心得て居るだろうから当家へ抱えろという事になって、これまで桜さく川らがわの庵室に居ったから苗みょ字うじを櫻川と云って五十石にお抱えに成ったが、知慧もあり剣術も出来て余よっ程ぽど賢い奴だ、其の荷を拵えた工ぐあ合いは旨いもので、動けない様にする工夫が巧うまいものじゃアないか﹂
山﹁へえ、それは全く修行者で、六部でげすか﹂
久﹁いや段々聞いたら何でも尋た常ゞの奴でない、人の噂でも何うも尋たゞ常も漢のでない、大かた長脇差では無いかという評判を立てたら、当人がそんならお話をいたしますが、実は私わしは元は侍で、榊原藩でございますと云ったそうだが、面か部おに疵を受けた、総そう髪はつの剛えらい奴で﹂
山﹁それは何でげすか、名はなんと﹂
久﹁名は櫻川という処に居った者で、櫻川又市と云う﹂
山﹁へえ桜川という処の者で﹂
久﹁いゝえ桜川の庵室に居ったから、それを姓として櫻川又市というので、面か部おに疵があり、えゝ年は四十一二で、立派な逞たくましい骨ほね太ぶとの剛い奴で﹂
山﹁左様でげすか、そりゃア立派な者でげすなア、何うもその才智もえらい者だが、私わしは何どう卒ぞして其の方を見たいものでげすな﹂
久﹁なに、時々下屋敷へも来ますよ﹂
山﹁只今は何いず方かたに﹂
久﹁今は小おが川わま町ちの上屋敷に居ります﹂
山﹁若もしお下屋敷へお出でになったら一ちょ寸っと教えて下さいませんか、何いずれそりゃア尋たゞ常も漢のでは有りませんなア、こりゃア見たいな、何ういう男か一度は見て置きたいが何うか一寸ねえ﹂
久﹁そりゃア造作もない事だから知らせましょう﹂
山﹁じゃア一寸知らせて下さい、別にお礼の致し方は無いが、あなたの非番の時に無た代ゞ療治をして、好いい茶を煎いれて菓子を上げる位の事は致しますから﹂
久﹁それははや、そんな旨い事は無い、こりゃア有難いが、それは茶と菓子ばかりで療治の代を取らぬと云うこたア有りません、今度来たら屹きっ度と知らせますが、滅多に此こち方らへは来ません﹂
山﹁何うか知らせて﹂
久﹁えゝ宜しい﹂
山﹁さア御療治﹂
と云うので療治を致して、旨い菓子などを食わせて帰しました。跡で山平は、
山﹁屹度それに相違ない、何うかして見みあ顕らわして遣りたいもの﹂
と、中村に頼んで櫻川の来るのを待って居ると、天命免のがれ難く、十月十五日に猿子橋でお繼が水司又市と出で遇あいますると云う、これから愈いよ々〳〵巡礼敵討のお話でございます。
六十
さて図らずも白島山平が敵の手掛りを聞きましたから、お繼が帰って来るのを待って話を致すと、飛立つ程に悦び、
繼﹁少しも早く土屋様のお屋敷へ参って﹂
と云うを、
山﹁いや未だ確しかと認めも付かぬうち、先せんの様に人違いをしては成らぬ、人には随分似た者もあり、顔に疵のある者も有るから、先せん達だっての人違いに懲こりて、これからは善よく〳〵心を落着け、確と面めん体ていを認めてから静かに討たんければ成らぬ、殊に汝そちは剣術が出来てもまだ年功がなし年も往いかぬから其の痩やせ腕うででは迚とても又市には及ばぬ、私わしも共に討たんでは成らぬ、殊にお照の為にはお兄あに様いさまの仇あだであり、年頃心に掛けて居いる事ゆえ、お前一人で討つわけには往かぬに依って、宜く心を静めて又市が下屋敷へ参る時に認めて、私が討たせるから﹂
と言いい聞きけて置きましたが、お繼は是を聞いてからは何どう卒か早く又市を見出したいと心得、土屋様の長屋下を御詠歌を唄って日々に窓から首を出す者の様子を窺うかゞいます所が、ちょうど十月の十五日の日でございます、浅草の観音へ参詣を致して、彼あれから下谷へ出まして本郷へ上あがり、それから白はく山さんへ出て、白山を流して御ごて殿んざ坂かを下おり、小こい石しか川わご極くら楽くみ水ずじ自しょ証うい院んの和尚に逢って、丁度親父の祥しょ月うつ命きめ日いにち、聊いさゝか志を出して、何うかお経を上げて下さいと云う。和尚も巡礼の身みの上うえで聊かでも銭を出して、仏の回えこ向うをして呉れと云うのは感心な志と思いましたから、懇ねんごろに仏様へ回向を致します。お経の間待って居りますると、和尚が茶を点いれたり菓子を出したり、また精進料理で旨くはないが、有あり合あいで馳走に成りまして、是から極楽水を出まして、彼あれから壱いき岐どの殿ざ坂かの下へ出て参り、水道橋を渡って小川町へ来て、土屋様の下屋敷の長屋下を御詠歌を唄って、ひょっとして窓から報謝をと首を出す者が又市で有ったら何ういたそうと、八方へ眼まなこを着けて窓まど下したを歩くと、十月十五日の小こは春るな凪ぎで暖あったかいのに、すっぱり頭巾で面おもてを隠した侍と、外ほかに二人都合三人連の侍が通用門を出まして小川町へかゝるから、顔を隠しては居るが、ひょっとしたら彼あれが又市ではないかと、段々見え隠れに跡を追って参ります、なれども頓とんと様子が分りません。すると伊いが賀う裏らまで来ると一人の侍は別れ、後あとは二人になりまして、
侍﹁あゝ大きに熱うございました﹂
と云う。これは成程熱い訳で、気候がぽか〳〵暖あったかいに、頭巾を冠かむっていては堪たまらん訳でございます。やがて頭巾を取ると総そう髪はつの撫なで付つけで、額には斯う疵がある、色黒く丈せい高く、頬これから頤これへ一いっ抔ぱいに髯ひげが生えている逞たくましい顔がん色しょくは、紛れもない水司又市でございますから、親の敵と直すぐに討うち掛かかろうと思ったが、まだ連つれの侍が一人居りまするから、段々見え隠がくれに付いて参ると、浜はま町ちょうへ出まして、彼あれから大橋を渡りますると、また一人の侍は挨拶をいたして別れ、御おふ船なぐ蔵らま前えへ掛って六間堀の方へ曲りますと、水司又市は一人になりまして、深川の元町へ掛って来たから最う我慢は出来ません。先へ通り抜けると、御案内の通り片かた側かわは籾もみ倉ぐらで片側町になって居りまして、竹細工屋、瀬戸物屋、烟たば草こ屋やが軒を並べて居り、その頃田月堂という菓子屋があり、前町を出抜けて猿子橋にかゝりますると、此こち方らは猿子橋の際きわに汚い足あじ代ろを掛けて、苫とまが掛っていて、籾倉の塗ぬり直なおし、其の下に粘ねば土つちが有って、一方には寸す莎さが切ってあり、職人も大勢這入って居るが、もう日が西に傾きましたから職人も仕事をしまいかけて居ります、なれども夕日は一ぱいに映さす。其の中うちに空は時しぐ雨れで曇って、少し暗くなりました所で、笠を取って刎はね除のけ、小しょ刀うとうを引抜きながら、
繼﹁親の敵﹂
と名な告のりながらぴったり振ふり冠かぶった時は、水司又市も驚いたの驚かないの、恟びっくり致して少し後あとへ退さがる。往来の者も驚きました。人ひと中なかで始まったから、はあと皆後あとへ下さがりました。ちょうど此の時白島山平は少しも心得ませんから療治を致して一人の客を帰した後あとで、茶を点いれて一服遣やって居りますると、入口から年四十二三の色の浅黒い女が、半はん纒てんを着て居りましたが、暖あったかいから脱ぎまして、包つゝみへ入れて喘せい々〳〵して、
女﹁少しお頼みでございますがお手ちょ水うず場ばを拝借致しとうございます﹂
照﹁はい其そ処こは汚きたのうございますが、何ならお上あがりなすって﹂
女﹁いゝえ、汚ない処が心配が無くって宜しゅうございます﹂
とつか〳〵と雪せっ隠ちんへ這入り頓やがて出て参って、
女﹁あの少しお冷ひ水やを頂き度たいもんでございます、此こ処ゝに有るのを頂いても宜しゅうございましょうか﹂
照﹁其処にも有りますが、汚のうございますから、是れで……さア水を﹂
と柄杓で水を出すから、
女﹁有難うございます﹂
と手に水を受けながら顔を見て、
女﹁おや﹂
照﹁おやまアお前はきんかえ﹂
きん﹁あら誠にお嬢様﹂
照﹁なにお嬢様どころではないお婆ばあ様さんだよ﹂
きん﹁誠に暫く﹂
照﹁まア思おも掛いがけない……あの旦那様きんが﹂
山﹁なに﹂
照﹁あのそれ団子屋のきんが﹂
きん﹁おや〳〵あの山平様、誠に何うもまア貴方何う遊ばしたかと存じて居りましたが、宜くまアそれでも……私わたくしは何うもお見掛け申したお方だと考えて居りましたが、貴方の方がお忘れ遊ばさずにきんと仰しゃって下すった﹂
照﹁私は彼あの時は元服前で見忘れたろうが、私は何うも見た様だと思い、お前が口を利く声こえ柄がらで早く知れましたよ﹂
きん﹁誠に何うも思掛けない、まア〳〵旦那様御機嫌宜しゅう、何うしてね此処に入らッしゃるのでございますえ﹂
山﹁はい長い間旅をして、久しく播州の方へ参って、少しの間世せた帯いを持って居たり、種いろ々〳〵様々に流浪致し、眼病に成ってから故郷懐かしく、実は去年から此処へ来て世しょ帯たいを持って居る﹂
きん﹁何うも些ちっとも存じませんよ、尤も此こち方らの方へは滅多には参りませんけれどもねえお嬢様、あらついお嬢様と云って、あの御新造様え、私わたくしの亭主の傳次と申します者は旅魚屋でございますが、商売に出ても賭ばく博ちが好きで道楽ばかりして、女房を置去り同様音も沙汰もしずに居ましたが、旅魚屋の仲間の者が帰って来て聞きましたら、三年前あとに信州の葉広山とか村とかいう処で悪い事をして斬きり殺ころされたと聞きましたが、それとは知らず一旦亭主にしましたから、私わたしは馬鹿が夫を待つという譬たとえの通り、もう帰るかと待って居りましたが、三年経っても音沙汰がない所へ、それを聞いてから、日は分りませんが私わたくしもまア出た日を命日としまして、猿さる江えのお寺へ今日お墓参りをして、其処に埋めた訳でも有りませんけれども、まア志のお経を上げて帰って来る道で、あなたにお目に懸るとは本当にまア思掛けない事でねえ﹂
照﹁本当にねえ、だがお前は矢やっ張ぱりあの上野町に居るのかえ﹂
六十一
きん﹁はい上野町に居りましたが、彼あの近きん辺じょは家うちがごちゃ〳〵して居ていけませんし、ちょうど白山に懇意なものが居りまして、あちらの方はあの団子坂の方から染そめ井いや王おう子じへ行く人で人通りも有りますし……それに店たな賃ちんも安いと申すことでございますから、只今では白山へ引ひっ越こしまして、やっぱり団子茶屋をして居りますがねえ、何うも何でございますね、何うもつい此こち方らの方へは参りませんで﹂
山﹁じゃア何か屋敷の様子はお前御存じだろうが、武田や何か無事かえ﹂
照﹁あ、お父とっ様さまやお母っか様さまはお達者かえ…今以て帰る事も出来ない身の上で﹂
きん﹁あの御新造様も大旦那様もお逝かく去れになりました、それに御養子はいまだにお独ひと身りで御新造も持たず、貴方がお出いで遊ばしてから後あとで、書かき置おきが御新造様の手箱の引ひき出だしから出ましたので、是は親不孝だ、仮たと令え兄の敵を討つと云っても、女一人で討てるもんじゃ無い、殊に亭主を置いて家出をしては養子の重二郎に済まない、飛んだことだと云って御新造は一層御心配遊ばして、お神みく鬮じを取ったり御祈祷をなすったりしましたが、それから二年半ばかり経ちまして、御新造がお逝去になり、それから丁度四年ほど経って大旦那様もお逝去﹂
照﹁おやまア然そうかえ、心得違いとは云いながら親の死しに目めにも逢われないのは皆みんな不孝の罰ばちだね……私も家うちを出る時には身重だったが、翌年正月生れたんだよ﹂
きん﹁そう〳〵お懐妊でしたね﹂
照﹁それが女の子で、旅で難儀をしながらも子供を楽たのしみに何うかしてと思って、播州の知しる己べの処へ行って身を隠し、少しの内職をして世しょ帯たいを持っていた所が、其そ処こも思う様ように行かず、それから又長い旅をして、その娘こも十五歳まで育てたが亡なくなったよ﹂
きん﹁へえお十五まで、それは嘸さぞまア落がっ胆かり遊ばしたでございましょう、お力落しでございましょう御丹誠甲斐もない事でねえ﹂
照﹁まア種いろ々〳〵話も聞きたいから少し……﹂
山﹁何だか表が騒がしいが何だ﹂
と云って聞いて居ると、ばら〳〵〳〵〳〵と人通りがして、
甲乙﹁なに今敵討が始まった、巡礼の娘と大きな侍と切きり合あいが始まった、わーッ〳〵﹂
と云って人が駈けて通るから山平は驚きまして、
山﹁これ何を、それ大小を出しな﹂
きん﹁何でございますえ﹂
山﹁何でも宜しいから大小を……きんやお前此こ処ゝに居て…お前居ておくれ、二人往いかなければならんから留守居をして﹂
金﹁何うなすったんでございますえ﹂
山﹁何うなすった所どころじゃア無い何うでも宜しいから早く﹂
と是れから裾すそを端はし折ょって飛出したが、此こち方らは余よっ程ぽど刻限が遅れて居ります。お話は元へ戻りまして、お繼が親の敵と切りかけました時は水司又市も驚いて、一間ばかり飛とび退しさって長いのを引抜き、
又﹁狼藉者﹇#﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂﹈め﹂
と云うと往来の者はどやどや後あとへ逃げる、商あき人んど家やではどか〳〵ッと奥に居たものが店の鼻ッ先へは駈出して見たが、少し怖いから事に依ったら再び奥へ遁にげ込こもうと云うので、丁度臆病な犬が魚を狙うようにして見ている。四あた辺りは粛し然んとして水を撒いたよう。お繼は鉄かな切きり声ごえ、親の敵と呼んで振ふり冠かぶったなり、面めん体ていも唇の色も変って来る。然そうなると女でも男でも変りは無いもので、
繼﹁私を見忘れはすまい、藤屋七兵衞の娘お繼だ、汝てまえは永禪和尚で、今は櫻川又市と云おうがな﹂
と云う其の声がぴんと響く。その時に少し後あとへ下さがって又市が、
又﹁何だ覚えはないわ、左様な者でない﹂
とは云っても覚えが有るものでございますから、其そ所こは相手が女ながらも心に怯おくれが来て段々後へ下る。すると段々見物の人が群たかって、
甲﹁何でげす﹂
乙﹁今私は瀬戸物屋へ買物に来て見ていると、だしぬけに親の敵と云うから、はッと跡へ下ろうと思うと、はッと土瓶を放したから、あの通り石の上へ落ちて毀こわれてしまいました、あゝ驚きました、何うも彼あの娘でげすな﹂
甲﹁へえ彼の娘が敵討だと云って立派な侍を狙うのですか、感心な娘で、まだ十七八で美いい女だ、今は一生懸命に成ってるから﹇#﹁成ってるから﹂は底本では﹁成ってるらか﹂﹈顔つきが怖いが、彼あれが笑えば美い女だ﹂
乙﹁へえ、それは感心、あゝ云う巡礼の姿に成って居るが、やっぱり旗はた下もとのお嬢様か何かで、剣術を知らんでは彼あの大きな侍に切掛けられアしない、だが女一人じゃア危ないなア、誰か出れば宜いいなア﹂
丙﹁危ないから無闇に出る奴は有りやアしません﹂
甲﹁だって向うは大きな侍、此こっ方ちはか弱い娘で……あゝけんのんだ﹂
と見物がわい〳〵と云う。
丙﹁おい早く差お配お人やさんへ知らせろ﹂
丁﹁おれの差配人さんでは間に合わない、何ど処この差配人さんへ然そう云うのだ﹂
丙﹁差配人さんが間に合わぬなら自身番へ知らせろ……あッあー…危ねえ〳〵敵討は何とか云いましたか﹂
乙﹁何と云ったか聞えやアしない﹂
乙﹇#﹁乙﹂はママ﹈﹁何とか云ったッけ、汝なんじを討たんと十八年﹂
甲﹁何を云やアがる騒々しい喋っちゃアいけねえ﹂
丙﹁あゝ危ねえ〳〵﹂
と拳こぶしを握って見ている、人は人情でございますから、何うぞして娘に勝かたせたい、娘に怪我をさしたくないと見ず知らずの者も心配して、橋の袂たもとに一抔人が溜たまって居りますが、中々助太刀に出る者は有りません。
甲﹁向うに侍が二人立って見ているが、彼あい奴つが助太刀に出そうなもんだ、何だ覗いて居やアがる、本当に不人情な侍だ、あの畜ちき生しょう打ぶん擲なぐれ﹂
とわい〳〵云う中うちに、
繼﹁親の敵思い知ったか﹂
と一ひと足あし踏込んで切きり下おろすのを、ちゃり〳〵と二三度合せたが、一足下さがって相あい上じょ段うだんに成りました。よく上段に構えるとか正せい眼がんにつけるとか申しますが、中々剣術の稽古とは違って真剣で敵を討とうという時になると、只斬ろうという念より外ほかはございませんから、決して正眼だの中段などという事はない、唯双方相上段に振上げて斬ろう〳〵と云う心で隙すきを覘うかゞう、水司又市も眼まなこは血走って、此の小こあ娘ま只一撃うちと思いましたが、一心凝こった孝女の太たち刀す筋じ、此の年四月から十月まで習ったのだが一生懸命と云うものは強いもので、少しも斬込む隙がないから、此こい奴つ中々剣術が出来る奴だなと思い、又市も油断をしませんで隙が有ったら逃げようかなんと云う横着な根こん生じょうが出まして、後あとへ段々下さがる、此こち方らも油断はないけれども年功がないのはいかぬもので、段々呼いき吸づ遣かいが荒くなって労つかれて来るから最早死物狂いで、
繼﹁思い知ったか又市﹂
と飛込んで切込むのを丁と受け、引く所を附け入って来るから、一ひと足あし二ふた足あし後へ下ると傍そばの粘ねば土つちに片足踏みかけたから危ういかな仰あお向むけにお繼が粘土の上へ倒れる所を、得たりと又市が振ふり冠かぶって一ひと打うちに切ろうとする時大勢の見物の顔がん色しょくが変って、
見物﹁あゝ﹂
と思わず声を上げました。
六十二
見物﹁あゝ危ねえ、誰か助太刀が出そうなものだ﹂
と云って居るが、誰たれも出る者はない。すると側に立って居たのは左官の宰さい取とりで、筒つつ袖ッぽの長い半纏を片かた端はし折おりにして、二ふた重えま廻わりの三尺じゃくを締め、洗い晒ざらした盲めく縞らじまの股引をたくし上げて、跣はだ足しで泥だらけの宰取棒を持って、怖いから後あとへ下さがって居たが、今鼻の先へ巡礼が倒れ、大の侍が振ふり冠かぶって切ろうとするから、人情で怖いのを忘れて、宰取棒で水司又市の横っ面つらをぽんと打ぶった。
見物﹁あゝそら出た〳〵助太刀が出た、誰だれか出ずには居ないて、何うも有難うございます、いゝえ中々一人では討てる訳がない、あれは姿を※やつ﹇#﹁窶﹂の﹁穴かんむり﹂に代えて﹁うかんむり﹂、﹁窶﹂の俗字、514-11﹈して居ても、屹きっ度と旗はた下もとの殿様だ、有難い〳〵﹂
と喜び、わア〳〵と云う。又市は横よこ面ッつらを打たれるとべったり顔に泥が付いたが、よもや斯ういう者が出ようとは思わぬ所だから、是れに転てん動どうしたと見え、ばら〳〵〳〵〳〵と横手へ駈出した。すると宰取は追おっ掛かけて行って足を一つ打ぶッ払ぱらうと、ぱたーり倒れましたが、直ぐに起上ろうとする処を又また打ぶちますと、眉みけ間んさ先きからどっと血が流れる。すると見物は尚わい〳〵云う。
見物﹁そら逃げた殴れ〳〵﹂
と云う奴があり、又石を投げる弥次馬が有るので、又市は眼めが眩くらんで、田月堂という菓子屋へ駈込んだから菓子屋では驚きました。店の端はな先さきへ出て旦那もお内かみ儀さんも見ている処へ抜ぬき身みを提さげた泥だらけの侍が駈込んだから、わッと驚いて奥へ逃込もうとする途端に、蒸ふかしたての饅まん頭じゅうの蒸せい籠ろうを転ひっ覆くりかえす、煎せん餅べいの壺が落ちる、今いま坂さかが転がり出すという大騒ぎ。商あき人んどの店先は揚あげ板いたになって居て薄うす縁べりが敷いてある、それへ踏掛けると天命とは云いながら、何う云う機はずみか揚板が外はずれ、踏ふみ外はずして薄縁を天あた窓まの上から冠かぶったなりどんと又市は揚板の下へ落ちる、処へ得たりとお繼は、
繼﹁天命思い知ったか﹂
と上から力に任して抉こじったから、うーんと苦しむ。すると嬉しがって左官の宰取が来まして
宰取﹁この野郎〳〵﹂
と無闇に殴る処へ、人を分けて駈けて来たのは白島山平。
山﹁巡礼の娘お繼と申す娘は何ど処こに居りますか﹂
繼﹁あゝお父とっ様さま﹂
山﹁おゝ〳〵〳〵討ったか﹂
繼﹁お父様宜く来て下すった﹂
山﹁それだから申さぬ事じゃア無い一人で……怪我は無いか﹂
繼﹁いゝえ怪我は致しませぬ、首尾好よく仕留めました﹂
山﹁あゝそれは感服、敵の又市は何処にいる﹂
繼﹁縁の下に居ります﹂
山﹁縁の下に……じゃア縁の下へ隠れたか﹂
繼﹁いゝえ只今落ちましたから其そ処こを上から突きましたので﹂
山﹁うん然そうか、やい出ろ﹂
と髻たぶさを取ってずる〳〵と引出しますと、今こじられたのは急所の深手、
又﹁うーん﹂
と云うと田月堂の主ある人じはべた〳〵と腰が抜けて奥へ逃げる事も出来ません。山平が是を見ると、地面まで買ってくれた田月堂の主人が鼻の先に居るから、
山﹁これは何うもお店を汚けがしまして何とも、御迷惑でございましょうが、これは手前娘で、先せん達だって鳥ちょ渡っとお話をいたした、な、が全く親の仇あだ討うちに相違ございません、委くわしい事は後でお話を致しますが、決して御迷惑は懸けませんから御心配なく﹂
と云ったが田月堂の主人は中々口が利けません。
田月の主﹁え…あ…うん…うんお立派な事でございます﹂
と泣声を出してやっと云いました。
山﹁さア是れへ出ろ、これへ参れ……これ見忘れはせぬ、大だい分ぶに汝うぬも年を取ったが此の不届者め、汝てまえが今まで活いきているのは神しん仏ぶつがないかと思って居た、この悪人め、汝てまえは宜くも己の娘のおやまを、先年信州白島村に於て殺せつ害がいして逐電致したな、それに汝は屋敷を出る時七軒町の曲り角で中根善之進を討って立たち退のいたるは汝に相違ない、其の方の常々持って居た落らく書がきの扇おう子ぎが落ちて居たから、確たしかに其の方と知っては居れど、なれども確かな証しょうがないから其の儘打捨ておかれたのであるが、少女に討たれるくらいの事だから、最早どうせ其の方助かりはしない、さア汝も武士だから隠さず善之進を討ったら討ったと云え、云わぬ時に於ては五ごぶ分だ試めしにしても云わせる、さア云わんか﹂
と面おもてを土に摺すり付つけられ苦しいから、
又﹁手前殺したに相違ござらん﹂
と云うのが漸やっと云えた。
山﹁繼、予かねて一人で手出しをしては成らぬと云って置いたが、お前一人で此こい奴つを宜く討ったな﹂
繼﹁はい此こ処ゝにおいでなさいますお方様が、私が転びまして、もう殺されるばかりの処へ助太刀をなすって下すったので、何どう卒ぞ此のお方様にお父とっ様さまお礼を仰しゃって﹂
山﹁うん此のお方が……何うもまあ﹂
宰取﹁はアまことに何うもお芽め出で度とうございます、なに私わっちは側に立っていて見兼たもんですから、ぽかり一つ極きめると、驚いて逃げる所を又打ぶん殴なぐったんだか、まア宜いい塩あん梅ばいで……お前さんは此の方のお父とっさんで﹂
山﹁えゝ何うも恐入りました、只今は然そういうお身みな形りだが、前まえ々〳〵は然しかるべきお身の上のお方と存じます、左もなくて腕がなければ中々又市を一撃うちにお打ちなさる事は出来ぬ事でな、えゝ御尊名は何と仰しゃるか必ず然るべきお方でございましょう﹂
宰取﹁うーん、なに私わっちは弥次馬で﹂
山﹁矢島様と仰しゃいますか﹂
宰取﹁うん、なに矢島様じゃアねえ、只私わっちは見兼たからぽかり極めたので……お前さん親の敵だって親が在あるじゃアねえか﹂
山﹁いやこれは手前養女でござる、実父は湯島六丁目の糸いと問どい屋や藤屋七兵衞と申す、その親が討たれた故に親の敵と申すので、只今では手前の娘に致して居ります﹂
宰取﹁えゝ藤屋七兵衞、おい、それじゃア何か、妹のお繼か﹂
繼﹁あれまア何うも、お前は兄にいさんの正太郎さんでございますか﹂
六十三
正﹁おゝ正太郎だ……何うも大きくなりやアがった此こん畜ちき生しょう、親ちゃ父んは殺されたか……えゝなに高岡で、然そうか、己おらア九こゝ才のつの時別れてしまったから、顔も碌ろくそっぽう覚えやしねえくれえだから、手てめ前えは猶覚えやアしねえが、己おれが此こ処ゝへ仕事に来ていると前めえへ転んだから、真ほんの弥次馬に殴ったのが、丁度親おや父じを殺した奴を打ぶん殴なぐると云うなア是が本当に仏様の引合せで、敵討をするてえのは……何う云う訳なんです﹂
山﹁訳を申せば長いことでござる、予かねて噂に聞きゝましたがお前が正太郎様さんで、葛西の文吉殿の方かたに御厄介に成っていらしった﹂
正﹁え……彼あれは叔父で……お繼、何か小岩井のお婆さんの処とけえ行きてえから、お婆さんに己おれの詫わび言ごとして呉んねえ、父ちゃんの敵を討つ助太刀をしたと云う廉かどで詫言をして呉んねえ、己おらアもう腹一抔借かり尽つくして、婆さんも愛あい想そが尽きて寄せ附けねえと云うので、己おれも行ける義理は無ねえからなア、土浦へ行って燻くすぶって居たが、その中うちに瘡かさは吹出す、帰けえる事も出来ず、それからまア漸やっとの事こって因いな幡ばち町ょうの棟梁の処とけえ転がり込んだが、一いち人にん前めえ出来た仕事も身体が利かねえから宰取をして、今日始めて手てつ伝でえに出て、然そうして妹に遇あうと云うなア不思議だ、こりゃア神様のお引合せに違ちげえ無ねえ、何うも大きく成りやアがったなア此こん畜ちき生しょう、幼ちいせえ時分別れて知れやアしねえ、本当に藤屋の娘か、おい立って見や……これをお前めえさんのとこの子にしたのか……一廻り廻れ﹂
などと云う。
山﹁誠に是れは思掛けないことで、何うもその死んだ七兵衞殿のお引合せと仰しゃるは御尤もなこと、実は私わしの忰山之助と申す者と三年前から巡礼を致して、長い間旅寝の憂うき苦くろ労うを重ね、漸ようやく今日仇あだを討ちましたが、山之助は先せん達だって仔細有って亡なりました、それ故に手前忰の嫁故引取り娘に致して、手前が剣術を仕込みまして、何うやら斯うやら小太刀の持ち様も覚える次第、まことに思掛けないことで、葛西の文吉様にもお世話に成りましたから、手前同道致してお詫言に参りましょうが、まア兎も角も敵の……えゝ人が立って成らぬなア﹂
正﹁私わっちが一太刀﹂
山﹁いや、お前はお兄あに様いさんでも初しょ太た刀ちは成りません、お繼は七年このかた親の仇を討ちたいと心に掛けましたから、お繼が初太刀で、お前は兄あに様さんでも後あとですよ﹂
正﹁兄でもからもう面目次しで第えもねえ、じゃア後で遣やっ付けやしょう、此こ様んな嬉しい事アござえやせん……何でえ然そう立って見やアがんな、彼あっ方ちへ行け、何だ篦べら棒ぼうめえ己は弱虫で泣くのじゃアねえ此ん畜生……早く遣やっ付つけて﹂
山﹁なアに早く遣っ付けろと仰しゃっても、長く苦痛をさして緩ゆるりと殺すが宜いい﹂
繼﹁これ又市見忘れはすまい、お繼だ、よくも私のお父とっ様さまを薪割で打殺して本堂の縁の下へ隠し、剰あまつさえ継まゝ母はゝを連れて立たち退のき、また其の前に私を殺そうとして追おっ掛かけたな﹂
と続けて切ります。
山﹁さア〳〵照やお前も﹂
照﹁はい、兄の敵又市覚悟をしろ﹂
と切る。
山﹁さア〳〵今度は私に遣らしてくれ、可かあ愛いい忰が不ふび便んの死を遂げたも此こい奴つの為、また娘を斬きり殺ころしたのも此奴の業わざ、此奴め〳〵﹂
と四つ角で鮪を屠こなすようで。
山﹁さア兄あに様さんだ﹂
正﹁今こん度だア私わっしの番だ、此ん畜生め親父を殺しやアがって此ん畜生め﹂
と鏝こてで以て竈へっついの繕つくろい直しをするようにさん〴〵殴ってこれから立派に止とゞめを刺す。其の中うちに諸方から人が出て捨てゝも置かれぬから、お繼と山平は直すぐ様さま自身番へ参りまして、それより細やかに町奉行へ訴えに成りましたが、全く親の敵討と云う事が分りまして、殊に悪事を重ねましたる水司又市でございますから、別段にお咎とがめも無く此の事が榊原様のお屋敷へ聞えました所から、白島山平並ならびにお照は召返しの上、彼かのお繼は白島の家の養女になり、後のちに養子を致して白島の名みょ跡うせきを立てますと云う。また左官の正太郎は白島山平の手てづ蔓るから正しょ道うどうの者で有ると榊原様へお抱えになり、後には立派な棟梁となり、正太郎左官と云われて、下した谷やか茅やち町ょうの横よこ町ちょう池いけの端はたへ出ようと云う処に、つい十一二年前まで家も残って居りました。目出たく親の仇あだを討ちまして家栄えますると云う、巡礼敵討の物語は是が結局でございます。
︵拠小相英太郎速記︶