上うへ野のの戦せん争そう後ご徳とく川がは様さまも瓦ぐわ解かいに相あひ成なりましたので、士しぞ族くさん方がたが皆みな夫それ々〴〵御ごし商やう売ばいをお始めなすつたが、お慣なれなさらぬから旨うまくは参まゐりませぬ。御おか徒ちま士ちあ町た辺りを通とほつて見るとお玄げん関くわんの処ところへ毛もう氈せんを敷しき詰つめ、お土く蔵らから取とり出だした色いろ々〳〵のお手てだ道う具ぐなぞを並ならべ、御ごけ家に人んやお旗はた下もと衆しゆうが道だう具ぐ商やをいたすと云いふので、黒くろ人うとの道だう具ぐ商やさんが掘ほり出だし物ものを蹈ふみ倒たほしにやつて参まゐります。﹁エヽ殿との様さま今こん日にちは。士﹁イヤ、好よい天気になつたの。﹁ヘイ、エヽ此この水みづ指さしは誠まことに結けつ構こうですな、夫それから向むかうのお屏びや風うぶ、三幅ぷく対つひの探たん幽にゆうのお軸ぢく夫それに此この霰あられの釜かまは蘆あし屋やでげせうな、夫それから此この長ちやう二郎らうのお茶ちや碗わん――是これは先せん達だつてもちよいと拝はい見けんをいたしましたが此この四よし品なでお幾いくらでげす。士﹁何どうもさう一いち時どきに纏まとめて聴きかれると解わからぬね、此この三幅ぷく対つゐの軸ぢくは己おれの祖そ父ふが拝はい領りやうをしたものぢやがね、釜かまや何なにかは皆みな己おれが買つたんだ、併しかし貴きさ様まの見みこ込みで何どの位くらゐの価ものがあるぢやらう、此この四よし品なで。﹁左さや様うでげすな、四よし品なで七円ゑん位ぐらゐでは如いか何ゞでげせう。士﹁ヤ、怪けしからぬことを云いふ、釜かまばかりでもお前まへ十五両りやうで買かうたのだぜ。﹁併しかし此この節せつは門かど並なみ道だう具ぐ屋やさんが殖ふえまして、斯かや様うな品しなは誰だれも見みむ向きもしないやうになりましたから、全まる然で値ねがないやうなもんでげす、何どうも酷ひどく下げら落くをしたもんで。士﹁成なる程ほどハー左さや様うかね、夫それぢや宅うちへ置おいても詰つまらぬから持もつてつて呉くれ、序ついでに其そ所こに大きな瓶かめがあるぢやらう、誠に邪じや魔まになつて往いかぬから夫それも一緒しよに持もつて行ゆくが宜よい。などと無た代ゞ遣やつたり何なにかいたし誠にお品ひん格かくの好よい事でござりました。是これは円わた朝くしが全く其その実じつ地ちを見て胆きもを潰つぶしたが、何なんとなく可をか笑し味みがありましたから一席せきのお話に纏まとめました。処ところが当たう今こんでは皆みな門もん弟てい等らや、孫まご弟でし子ど共もが面おも白しろをかしく種いろ々〳〵に、色いろ取どりを附つけてお話を致いたしますから其その方はうが却かへつてお面おも白しろい事でげすが、円わた朝くしの申まう上しあげまするのは唯たゞ実じつ地ちに見ました事を飾かざりなく、其その盤まゝお取とり次つぎを致いたすだけの事でござります。小をが川はま町ちへ辺んの去さる御おや邸しきの前まへを通つう行かうすると、御ごも門んの潜くゞ戸りどへ西にしの内うちの貼はり札ふだが下さがつてあつて、筆ふで太ぶとに﹁此この内うちに汁しる粉こあり﹂と認したゝめてあり、ヒラリ〳〵と風で飜あほつて居をつたから、何なんぞ落はな語しの種た子ねにでもなるであらうと存ぞんじまして、門な内かへ這は入いつて見ましたが、一向かう汁しる粉こ店やらしい結かゝ構りがない、玄げん関くわ正んし面やうめんには鞘さや形がたの襖ふすまが建たててありまして、欄らん間まには槍やり薙なぎ刀なたの類るゐが掛かゝつて居をり、此こな方たには具ぐそ足くび櫃つがあつたり、弓ゆみ鉄てつ砲ぱう抔などが立たて掛かけてあつて、最いとも厳いかめしき体てい裁さいで何ど所こで喫たべさせるのか、お長なが家やか知しら、斯かう思ひまして玄げん関くわんへ掛かゝり﹁お頼たのウ申まうします、え、お頼たのウ申まうします。﹁ドーレ。と木もめ綿んの袴はかまを着つけた御ごけ家ら来いが出て来きましたが当たゞ今いまとは違ちがつて其その頃ころはまだお武ぶ家けに豪えらい権けんがあつて町ちや人うに抔んなどは眼がん下かに見みお下ろしたもので﹁アヽ何ど所こから来きたい。﹁へい、え、あの、御ごも門んの処ところに、お汁しる粉この看かん板ばんが出でて居をりましたが、あれはお長なが家やであそばしますのでげせうか。﹁アヽ左さや様うかい、汁しる粉こを喰くひに来きたのか、夫それは何どうも千せん萬ばん辱かたじけない事ことだ、サ遠ゑん慮りよせずに是これから上あがれ、履はき物ものは傍わきの方はうへ片かた附づけて置け。﹁へい。﹁サ此こつ方ちへ上あがれ。﹁御ごめ免んく下ださいまして。……是これから案あん内ないに従したがつて十二畳でふ許ばかりの書しよ院ゐんらしい処ところへ通とほる、次は八畳でふのやうで正しや面うめんの床とこには探たん幽にゆうの横よこ物ものが掛かゝり、古こど銅うの花くわ瓶びんに花が挿さしてあり、煎せん茶ちやの器きか械いから、莨たば盆こぼんから火ひば鉢ちまで、何いづれも立りつ派ぱな物ばかりが出て居ゐます。﹁アヽ当たう家けでも此この頃ごろ斯かういふ営えい業げふを始めたのぢや、殿との様さまも退たい屈くつ凌しのぎ――といふ許ばかりでもなく遊あそんでも居ゐられぬから何なにがな商しや法うはふを、と云いふのでお始はじめになつたから、何どうかまア諸しよ方はうへ吹ふい聴ちやうして呉くんなよ。﹁へいへい。﹁貴きさ様まは何なんの汁しる粉こを喫たべるんだ。﹁えゝ何ど所このお汁しる粉こ屋やでも皆みなコウ札ふだがピラ〳〵下さがつて居ゐますが、エヘヽ彼あれがございませぬやうで。﹁ウム、下さげ札ふだは今いま誂あつらへにやつてある、まだ出で来きて来こんが蝋ろい色ろにして金きん蒔まき絵ゑで文も字じを現あらはし、裏うら表おもてとも懸かけられるやうな工ぐあ合ひに、少し気きど取つて注文をしたもんぢやから、手て間まが取れてまだ出で来きぬが、御ごぜ膳んじ汁る粉こと云いふのが普な通みの汁しる粉こで、夫それから紅べに餡あんと云いふのがある、是これは白しろ餡あんの中なかへ本ほん紅べにを入いれた丈だけのものぢやが、口こう熱ねつを冷さ却ますとか申まうす事ぢや、夫それに塩しほ餡あんと云いふのがある、是これも別べつに製せいすのではない、普な通みの汁しる粉こへ唯ただちよいちよいと焼やき塩しほを入いれるだけの事だ、夫それから団だん子ご、道だう明みや寺うじのおはぎ抔などがあるて。﹁へい〳〵、夫それでは何どう卒ぞソノ塩しほ餡あんと云いふのを頂ちや戴うだいしたいもので。﹁左さや様うか、暫しばらく控ひかへて居ゐさつしやい。奥おくでは殿との様さまが手たす襷きが掛けで、汗あせをダク〳〵流ながしながら餡あん拵ごしらへか何なにかして居ゐらつしやり、奥おく様さまは鼻の先を、真まつ白しろにしながら白しら玉たまを丸めて居ゐるなどといふ。﹁エヽ御ごぜ前ん、御ごぜ前ん。殿﹁何なんぢや。﹁エヽ唯たゞ今いま町ちや人うにんが参まゐりまして、塩しほ餡あんを呉くれへと申まうしますが如いか何ゞ仕つかまつりませう。殿﹁呉くれろといふならやるが宜よい。暫しばらくするとお姫ひめ様さまが、蒔まき絵ゑのお吸すひ物もの膳ぜんにお吸すひ物もの椀わんを載のせ、すーツと小をが笠さは原らり流うの目め八分ぶに持もつて出て来きました。﹁是これは何どうもお姫ひめ様さま恐おそ入れいります、へい〳〵有あり難がたう存ぞんじます。姫﹁アノ町ちや人うにん、お前まへ代かはりを喫たべるか。﹁へい〳〵有あり難がたう存ぞうじます、何どう卒ぞ頂ちや戴うだ致いいたしたいもので。姫﹁少せう々〳〵控ひかへて居ゐや。﹁へい。慌あはてゝ一杯ぱい﹇＃﹁一杯ぱい﹂は底本では﹁一抔ぱい﹂﹈掻かつ込こみ、何なに分ぶん窮きう屈くつで堪たまらぬから泡あはを食くつて飛とび出だしたが、余あまり取とり急いそいだので莨たば入こいれを置おき忘わすれました。すると続つゞいてお姫ひめ様さまが玄げん関くわんまで追おつ掛かけて参まゐられて、円わた朝くしを喚よび留とめたが何どうも凜りゝ々しくツて、何なんとなく身から体だが縮ちゞみ上あがり、私わたくしは縛しばられでもするかと思ひました。姫﹁コレ〳〵町ちや人うにん待まちや〳〵。﹁へい、何なにか御ごよ用うで。姫﹁これはお前まへの莨たば入こいれだらう。﹁へい、是これは何どうも有あり難がたう存ぞんじます。姫﹁誠に粗そこ忽つだノ、已い後ご気きを附つきや。﹁へい恐おそれ入いりました。どつちがお客だか訳わけが分わかりませぬ。是これから始はじまつたのでげせう、ごぜん汁じる粉こといふのは。