私わたくしは昨さく年ねんの十二月ぐわつ芝しば愛あた宕ごし下た桜さく川らが町はちやうへ越こしまして、此この春はるは初はつ湯ゆに入はいりたいと存ぞんじ、つい近きん辺ぺんの銭せん湯たうにまゐりまして﹁初はつ湯ゆにも洗あらひのこすや臍へそのあか﹂といふのと、﹁をしげなくこぼしてはいる初はつ湯ゆかな﹂と二句くやりました。板いたの間まには余あまり人が居をりませぬで、四五人にん居をりました。此この湯ゆは昔むか風しふうの柘ざく榴ろぐ口ちではないけれども、はいる処ところが一ちよ寸つと薄うす暗ぐらくなつて居をります。板いたの間まに留とめ桶をけを置いて洗つてゐる年ねん輩ぱいの人が、御ごき近んぺ辺んのお心こゝ安ろやすい方かたと見えて言葉をかけ、甲﹁お目め出で度たうございます。乙﹁はい、お目め出で度たうございます。甲﹁昨さく日じつは御ごね年んと頭うまりでございましたか。乙﹁いやもう草くた臥びれて……年としを老とつてはいけませぬ、実じつにがツかりしました。甲﹁へー御ごゑ遠んぱ方うをお歩きでしたか。乙﹁えゝ初はじめ宅たくを出まして、それから霊れい南なん坂ざかを上あがつて麻あざ布ぶへ出ました、麻あざ布ぶから高たか輪なわへ出まして、それから芝しばへ帰かへつて来きて、新しん橋ばしを渡り、煉れん瓦がど通ほりをりまして、京きや橋うばしから日にほ本んば橋しから神かん田だへ出ましてな、下した谷やから浅あさ草くさをつて、それから貴あな方た、本ほん郷がう台だいへかゝりました、それから牛うし込ごめへ出まして、四よつ谷やから麹かう町ぢまちをつて帰かへつてまゐりまして、いやもうがつかり致いたしました。と話をしてゐると、湯の中で、甲﹁どうしたい昨きの日ふは。乙﹁どうも草くた臥びれたつてねえサ、ひどい草くた臥びれやうをしたぜ。甲﹁どうしたえ。乙﹁どうしたつて無ねえぢやア無ねえか、昨きの日ふは年ねん始しまりだ、朝あさ家うちを出て霊れい南なん坂ざかを上あがつて、麻あざ布ぶへ出たんだ、麻あざ布ぶから高たか輪なわへ出て、それから芝しばへ帰かへつて来きて、新しん橋ばしを渡り、煉れん瓦がど通ほりをつて神かん田だへ出て、下した谷やから浅あさ草くさへ出たらう、それから本ほん郷がう台だいへ上あがつて、牛うし込ごめへ出て四よつ谷やから麹かう町ぢまちへ出て帰かへつて来きた、いやもうがつかりした。と云いふのを板いたの間まにゐる前まへの人が聞いて、﹁誰だれだ己おれの真ま似ねをするのは。と云いつて腹を立て、其その男をとこを引ひき摺ずり出して打ぶん殴なぐつたところが、昨きの日ふ自分の連つれて歩いた車しや夫ふでございました。
︵拠武陽生筆記︶