第一
余よ明めい治ぢ三十五年ねん春はる四月ぐわつ、徳とく島しまを去さり、北ほく海かい道だうに移いぢ住ゆうす。是これより先さき、四しな男ん又また一いちをして、十とか勝ちの國くに中なか川がは郡ごほり釧くし路ろの國くに足あし寄よろ郡ごほりに流ながるゝ斗とま滿むが川はの畔ほとりに牧ぼく塲ぢやうを經けい營えいせしむ。明めい治ぢ三十七年ねん戰せん爭さう起おこるや、又また一いち召せう集しふせられ、故ゆゑに余よは代かはりて此この地ちに來きたり留る守すを監かん督とくする事こととなれり。我わが牧ぼく塲ぢやうは事じげ業ふ漸やうやく其その緒ちよに就つきしものにて、創さう業げふの困こん難なんに加くはふるに交かう通つうの不ふべ便んあり。三十七年ねん一月げつ大おほ雪ゆきの害がいと、其その七しち月ぐわつ疫えき疾しつの爲ために、牛ぎう馬ば其その半なかばを失うしなひたるの災さい厄やくあり。其その他た天てん災さい人じん害がい蝟ゐし集ふし來きたり、損そん害がいを蒙かうむる事こと夥おびたゞしく、余よが心こゝろを惱なやましたる事こと實じつに尠すくなからざるなり。此この間あひだにありて余よが憂いう愁しうを掃はらひ去さり、心しん身〳〵を慰なぐさめたるものは、實じつに灌くわ水んすゐなりとす。
數すう十じふ年ねん前ぜんより行おこなひ居をれる灌くわ水んすゐは、北ほく海かい道だうに移いぢ住ゆう後ご、冬とう時じと雖いへども怠おこたりたる事ことあらず。此この地ちには未いまだ井ゐ戸どなきを以もつて、斗とま滿むが川はに入いりて行おこなへり︵飮いん用よう水すゐも此この川かはの水みづを用もちゆ︶。此この地ちの冬とう季きの寒かん威ゐは實じつに烈はげしく、河かす水ゐの如ごときは其その表へう面めん氷へう結けつして厚あつさ尺しや餘くよに到いたり、人じん馬ば共ともに其その上うへを自じい由うに歩あゆみ得う。冬とう時じ此この河かはに灌くわ水んすゐを行おこなふには、豫あらかじめ身しん體たいを入いるゝに足たる孔こう穴けつを氷こほりを破やぶりて設まうけ置おき、朝あさ夕ゆふ此この孔こう穴けつに身みを沒ぼつして灌くわ水んすゐを行おこなふ。
斗とま滿むが川はは余よが家いへを去さる半はん町ちや餘うよの處ところに在あり。朝あさ夕ゆふ灌くわ水んすゐに赴おもむくに、如い何かなる嚴げん寒かん大おほ雪ゆきの候こうと雖いへども、浴ゆか衣たを纒まとひ、草ざう履りを穿うがつのみにて、他たに何なん等らの防ばう寒かん具ぐを用もちゐず。
冬とう曉げう早はやく蓐じよくを離はなれて斗とま滿むが川はに行ゆき、氷へう穴けつ中ちゆうに結むすべる氷こほりを手てを斧のを以もつて破やぶり︵此この氷こほりの厚あつさにても數すう寸すん餘よあり︶身みを沒ぼつし、曉げう天てんに輝かゞやく星せい光くわうを眺ながめながら灌くわ水んすゐを爲なす時ときの、清せい爽さうなる情じや趣うしゆは、實じつに言げん語ごに盡つくす能あたはず。
第二
昨さく三十七年ねん十二月ぐわつ某ばう夜やの事ことなりき、例れいの如ごとく灌くわ水んすゐを了をへて蓐じよくに入いり眠ねむりに就つきし間まもなく、何なに者ものか來きたりて余よに七しち福ふくを與あたふと告つげたりと夢ゆめむ。痴ちじ人ん夢ゆめを説とく、されど夢ゆめを見みて自みづから悟さとるは必かならずしも痴ちじ人んにあらざる可べし。余よは現げん今こんに於おいても、將はた未みら來いに於おいても、七しち福ふくの來きたる可べきを信しんずる能あたはず。されど余よが現げん状じやうを顧かへりみれば、既すでに七しち福ふくを得えたるにはあらざるかと思おもふ。
一 災さい害がいに遇あふも驚おどろかず。
二 患くわ難んなんに向むかふとも悲かなしまず。
三 貧まづしけれども餓うゑず。
四 老おいて勞らうを厭いとはず。
五 衣ころも薄うすくも寒さむからず。
六 粗そし食よくにも味あぢあり。
七 雨あま漏もりにも眠ねむりを妨さまたげず。
此これ等らの七しち福ふくを余よは悉こと〴〵く灌くわ水んすゐの徳とくに歸きするものなり。
友いう人じん松まつ井ゐつ通うせ昭う氏し吾わが七しち福ふくを詠えいずるの歌うたを寄よせらる。左さに録ろくするもの此これなり。
一 災さい害がいに遇あふとも驚おどろかず
災わざはひの起おこれる本もとを知しる人ひとは
驚おどろきもせずはた悲かなしみもせず
二 患くわ難んなんに向むかふとも悲かなしまず
憂うきつらき重かさねかさねて今いまは世よに
かゝるものなき身みこそ安やすけれ
三 貧まづしけれども飢うゑず
雲くもに似にたる富とみを何なにせんあはれ世よの
人ひともかくこそあらまほしけれ
四 老おいて勞らうを厭いとはず
宜うべなりやかくありてこそ人ひととして
世よに生うまれつる甲か斐ひはありけれ
五 衣ころも薄うすくも寒さむからず
此この心こゝろあらずばいかに雪ゆき深ふかき
十とか勝ちの荒あら野の住すみ家か定さだめん
六 粗そし食よくにも味あぢはひあり
早はやくより養やしなふものゝあればこそ
此この味あぢはひを君きみは知しるらめ
七 雨あめ漏もりても眠ねむりを妨さまたげず
軒のき端ばもる雨あま夜よの夢ゆめもともすれば
浮うき世よに通かよふ事こともあるらむ
第三
北ほく海かい道だうに移いぢ住ゆう後ご、冬とう時じ余よの服ふく裝さうは、内ない地ちに在ありし時ときと殆ほとんど異ことならず。而しかして當たう地ちの寒かん氣きを左さほ程どに感かんぜざるのみならず、凍とう傷しやう等とうに一いち度ども犯をかされたる事ことあらず。思おもふに此かくの如ごときは、數すう十じふ年ねん來らい行おこなへる灌くわ水んすゐの功くど徳くなる可べし。
第四
余よは現げん時じ人ひとより羨うらやまるゝ程ほどの健けん康かうを保たもち居をれども、壯さう年ねんの頃ころまでは體たい質しつ至いたつて弱よわく、頭づつ痛うに惱なやまされ、胃ゐを病やみ、屡しば〳〵風ふう邪じやに犯をかされ、絶たえず病やまひの爲ために苦くるしめり。且かつ性せい來らい記きお憶くり力よくに乏とぼしき余よは、此これ等らの病びや症うしやうの爲ために益ます〳〵其その※げん退たい﹇#﹁冫+咸﹂、63-2﹈するを感かんじ、治ちれ療うは法ふに苦くし心んせる時とき、偶たま〳〵冷れい水すゐ浴よくを爲なして神かみに祷たう願ぐわんせば必かならず功こう驗けんある可べしと告つぐる人ひとあり。其その言げんに從したがひ、此これを行おこなひしも、冷れい水すゐ浴よくを永えい續ぞくする能あたはずして中ちゆ止うしするに至いたれり。後のち或ある書しよに感かん冐ばうを豫よば防うするに冷れい水すゐ浴よくの非ひじ常やうに利りえ益きある由よしを見み、再ふたゝび冷れい水すゐ浴よくを行おこなひ、春しゆ夏んかの候こうは能よく繼けい續ぞくするを得えしも、寒かん冷れいの頃ころとなりては何い時つとなく怠おこたるに至いたり、其その後のち數すう年ねん間かんは春しゆ夏んかの際さい折をり々〳〵行おこなふに過すぎざりしが、二十五六歳さいの頃ころ醫いを以もつて身みを立たつるに及および、日にち夜や奔ほん走そうの際さい頭づつ痛う甚はなはだしき時ときは臥ふし床どに就つきし事こと屡しば〳〵なりしが、其その際さいには頭とう部ぶを冷れい水すゐを以もつて冷れい却きやくし、尚なほ去さらざる時ときは全ぜん身しんに冷れい水すゐを灌そゝぎて其その痛いたみ全まつたく去さりし故ゆゑに、其その後ご頭づつ痛うの起おこる毎ごとに全ぜん身しん冷れい水すゐ灌くわ漑んがいを行おこなひしが、遂つひに習しふ慣くわんとなり、寒かん中ちゆうにも冷れい水すゐ灌くわ漑んがいに耐たゆるを得えたり。二十五六歳さいの頃ころより毎まい日にち朝てう夕せき實じつ行かうして、七十七歳さいの今こん日にちに及および、爾じら來い數すう十じふ年ねん間かん頭づつ痛うを忘わすれ、胃ゐは健けん全ぜんとなり、感かん冐ばうに犯をかされたる事こと未いまだ一いち度どもあらず。往わう時じを顧かへりみて感かん慨がいを催もよふすの時とき、換くわ骨んこ脱つだ體つたいなる語ごの意い味みを始はじめて解かいしたるの思おもひあり。
第五
我わが國こく民みん今こん後ごの責せき任にんは益ます〳〵重ぢう大だいならんとするの時とき、活くわ動つどうの根こん本ぽん機きく關わんとも言いふ可べき身しん體たいの攝せつ養やうには尤もつとも注ちゆ意ういを要えうす。如い何かなる事じげ業ふに從したがふとも、體たい力りよく此これに伴ともなふて強きや健うけんならずば、意いの如ごとく活くわ動つどうする能あたはず、又また所しよ期きの十一だも達たつする能あたはざるは、世せじ上やうに其その例れいを多おほく見みる處ところなり。實じつに身しん體たい攝せつ養やうの事ことは、一いち日じつと雖いへども忽ゆるかせに爲なす可べからず。
世よに傳つたはる攝せつ養やう法はふに種しゆ々〴〵ありと雖いへども、余よの實じつ驗けんに由よれば、尤もつとも簡かん易いにして尤もつとも巧こう驗けんあるものは冷れい水すゐ浴よくの他たにあらざる可べし。故ゆゑに余よは此この攝せつ養やう法はふの廣ひろく行おこなはれ、戰せん後ごてふ大たい任にんを負おへる我わが國こく民みんの體たい力りよくを一いつ層そう強きや固うこならしめ、各かく自じの職しよ責くせきを遺ゐか憾んなく遂すゐ行かうせられんことを深ふかく希きば望うする處ところなり。特ことに青せい年ねん輩はい身しん心〳〵發はつ育いくの時じだ代いにあるものには、今いまより此この法はふを實じつ行かうして體たい力りよくを培ばい養やうし、將しや來うらいの大たい成せいを謀はかる事こと、實じつに肝かん要えうならずや。