プルウストの文體について

堀辰雄




 散文の本質といふものは、自分の考へをどんな風にでも構はずに表現してしまふところにある、と言つてもいいやうであります。スタンダァルにしろ、バルザックにしろ、さういふ意味での、本當の散文家でありました。それから、いまお話ししようとするプルウストも、さういふ散文家の最もすぐれた一人であります。
 プルウストの文體は、一見しますと、いかにも書きつぱなしのやうで、混亂してゐて、冗漫に見えるのであります。しかし、それだからと言つて、その文體そのものを非難する訣には行きません。プルウストの場合には、その驚くべき冗漫さも已むを得ぬと我々に首肯せしめるだけの充分な理由があるからであります。「スワン家の方」の何處でもいいから開いて御覽なさい。例へば、ここにアスパラガスを描寫した數行があります。
 私は、女中がいまさやを剥いだばかりの小豌豆が、テエブルの上に球ころがしの緑色の球のやうに澤山ならんでゐるのを見ようと思つて立ち止つた。しかし私がうつとりしたのはアスパラガスの前だつたのだ、――それはすつかり群青色ウルトラメエルと薔薇色とに濡れてゐて、その穗先は葵色モオヴと空色とにうつすら染まりながら、まだ畑の土のこびりついてゐるその先端に行くにしたがつて漸々に、天上の虹のやうにかされてしまつてゐた。さういふこの世ならぬ色合ニュアンスのせゐか、私にはそのアスパラガスが、何んだか或る微妙な生物が面白半分にそんな野菜に變身してゐるやうな氣がし、そしてその變裝(食べようと思へば食べられる、硬い肉の)ごしにまるであの曙の生れようとしてゐるやうな色合、あの虹の下描きのやうな色合、青味を帶びた夕暮れの消えんとしてゐるやうな色合となつて、その風變りなエッセンスが――それを晩飯に食べた晩は、夜中ずつと、シェクスピアの夢幻劇フェアリイみたいな詩的でばかばかしい笑劇ファースでも演ぜられてゐるかのやうに、私の尿瓶を香水瓶に變へてしまふところの、それほど風變りなエッセンスが、そのうちに認められるやうに私には思はれた。
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          ※(アステリズム、1-12-94)

 
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 西 sans rigueur senza rigore 

          ※(アステリズム、1-12-94)

辿
 

 
 


 稿姿稿






底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:「日本現代文章講座 鑑賞篇」厚生閣
   1934(昭和9)年5月19日
※初出時の表題は「マルセル・プルウストの文章」、「狐の手套」野田書房(1936(昭和11)年3月20日)収録時「プルウストの文体について」と改題、「曠野」養徳社(1944(昭和19)年9月20日)収録時「リラの花など――プルウストの文体について」と改題、「堀辰雄作品集第二・美しい村」角川書店(1948(昭和23)年10月30日)収録時「リラの花など」と改題
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2008年1月19日作成
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