南方に五ごつ通うというみだらにして不思議な神のあるのは、なお北方に狐のあるようなものである。そして、北方の狐の祟たたりは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江こう蘇そせ浙つこ江う地方の五通に至っては、民家に美しい婦おんながあるときっと己おのれの所有として、親兄弟は黙って見ているばかりでどうすることもできなかった。それは害毒の烈はげしいものであった。
呉中の質屋に邵しょ弧うこという者があった。その細君は閻えんといって頗すこぶる美しい女であったが、ある夜自分の内い室まにいると一人の若い強そうな男が外から不意に入って来て、剣に手をかけて四あた辺りを見まわしたので、婢じょちゅうや媼ばあやは恐れて逃げてしまった。閻も逃げようとしたが、若い男はその前に立ちふさがっていった。
﹁こわがることはない。わしは五通神の四郎だ。わしは、あんたが好きだから、あんたに禍わざわいをしやしない。﹂
そういって嬰あか児んぼを抱きあげるように抱きあげ、寝台の上に置いた。閻は恐れて気を失ってしまった。五通神はやがて寝台からおりて、
﹁五日したらまた来るよ。﹂
といっていってしまった。弧はその夜門の外で典しち肆みせを張っていた。そこへ婢が奔はしって来て怪しい男の入って来たことを知らした。しかし弧はそれが五通ということを知っているので、そのままにしてあった。
翌朝になって閻は病人のようになって起きることができなかった。弧はひどく心にはじて、家の者にいいつけて他人に話させないようにした。
三、四日して閻はやっともとの体になったが、五日したらまた来るといった五通神の来るのを懼おそれて、その夜は婢や媼を内室の中へ寝かさずに外の舎へやへやって、ただ一人で燭ひに向って悲しそうにして待っていた。
間もなく五通神の四郎は二人の仲間を伴つれて入って来た。皆おっとりした少年であった。そこには一人の僮こどもがいて酒肴を列べて酒盛の仕度をした。閻ははじて頭をたれていた。四郎はそれに強いて酒を飲まそうとしたが、閻は恐ろしいのでどうしても飲まなかった。
四郎はじめ三人の者は、互いに杯をさしあって酒を飲みながら、
﹁大兄。﹂
﹁三弟。﹂
などと呼びあった。
夜半ごろになって上座に坐っていた二人の少年は起って、
﹁今日は四郎に美人を以て招かれたから、この次は、かならず二郎と五郎を邀むかえて、酒を買って健康を祝そう。﹂
といって出ていった。
四郎は閻の手をとって幃とばりの中へ入っていった。閻はその手からのがれようとしたがのがれることができなかった。四郎が去った後で閻は羞はじと憤いきどおりにたえられないので自殺しようと思って、帯で環をこしらえて縊い死ししようとしたが、帯が断きれて死ぬることができなかった。閻はそれにもこりずに死のうとしたが、そのつど帯が断れて死ぬることができないので、それを苦しいことに思った。
四郎はいつも来ずに閻の体がよくなるのを待って来た。そのうちに二、三ヵ月たった。一家の者は皆生きた心地がしなかった。
会かい稽けいに万ばんという姓の男があった。それは邵しょうの母がたのいとこであったが、強くて弓が上手であった。ある日万は邵の家へ来た。邵は客を泊める舎へやに婢や媼を入れてあるので、とうとう万生を内い院まへ伴れていって泊めた。
その夜、万は枕についたが長い間寝つかれなかった。と、庭の中を人の歩いていくような気配がするので、窓からそっと窺のぞいた。見ると一人の男が細君の室へやへ入っていくのであった。万は怪しいと思ったので刀を捉とってそっといってのぞいた。
細君の室には細君の閻と若い男が肩を並べ、肴を几の上に置いて酒盛をしようとしていた。万は火のように怒って、いきなり室の中へ入っていった。と、男は驚いて起ちあがった。万は刀を抜いて斬りつけた。刀はその男の頭蓋骨に中あたったので、頭が裂けてれた。
見るとそれは人間でなくて小さな驢ろばのような馬であった。万は愕おどろいて、
﹁これは一たいどうしたのです。﹂
といって訊いた。閻は五通神になやまされていたことを話して、それから、
﹁今にこの仲間が来ることになっているのです、どうしたらいいでしょう。﹂
といった。万は手を振って、
﹁いいのです。声を出さずに、そっとしていらっしゃい。﹂
といって、燭ひを消して弓を構え、暗い中に身をかくして待っていた。
間もなく四、五人の人が空から飛びおりて来た。万は急いで矢を飛ばした。その矢は先に立っていた者を殪たおした。すると後の三人が吼ほえるように怒って、剣を抜いて弓を射た者を捜しだした。万は刀をかまえて扉の後にぴったり脊せをくッつけて、すこしも動かずに待っていた。そこへ一人が入って来た。万はその頸くびに斬りつけた。相手はそのまま殪れてしまった。万はそこでまた扉の後へ背をくッつけて待っていたが、長い間待ってももう入って来る者もなければ声もしないので、出ていって扉を叩いて邵に知らした。
邵はひどく驚いて入って来て、一緒に燭を点つけて見た。室の中には彼の馬と二疋ひきの豕ぶたが死んでいた。
一家の者は喜びあったが、討ちもらした二つの怪しい物が復ふく讎しゅうに来るかも判らないので、万にいてもらうことにして、その豕を焼き馬を煮て御馳走をこしらえたが、その味はいつもの料理とちがってうまかった。
万生の名はそれから高くなった。万はそこに一ヵ月あまりもいたが、もう怪しいこともないので、そこで別れて帰ろうとした。その時材木商の某なにがしという者があって、万を自分の家へ招待した。その材木商の家にはまだ嫁にいかない女があったが、ある日不意に五通が来た。それは二十歳あまりのきれいな男であった。その五通は女を細君にするといって、百両の金を置いて日を決めてから帰っていったが、その期日もすでに迫って来たので、一家の者はおそれまどうているうちに万生の名が聞えて来た。一家の者は万に来てもらって五通の禍を除いてもらおうと思ったが、厭といわれるのが恐ろしいので、その事情はかくして饗きょ燕うえんにかこつけて招待したのであった。
そんな事とは知らない万は、材木商の家へ招待せられていって、酒盛が終ったので帰ろうとしていると、きれに化粧した女が出て拝礼をした。それは十六、七の可愛らしい女の子であった。万はひどく驚いて故わけは解らないが急いで起って礼をかえした。主人の材木商は強しいて万をもとの席に就つかして、
﹁どうか女をたすけてください。﹂
といってその故を話した。万ははじめは驚いたが、平生意気をたっとぶ男であったから承知した。
その日になって材木商の家では、五色の絹を門口にかけて婚礼をあげる目標をこしらえ、万を女のいる室の中に坐らしておいた。
午ひるをすぎても五通は来なかった。そこで万は今日の新郎となる五通は自分が殺したうちの者であったかも解らないと思って喜んだ。と、間もなくして簷のき先から不意に鳥の堕ちて来るようにおりて来た者があった。それは一人の立派な服装をした少年であったが、万を見るなり身をそらして逃げていった。万は追っていった。そこには黒い雲のような物があって飛ぼうとしていた。万は刀を以て躍おどりかかってその一方の足を斬りおとした。
怪しい少年は大声に叫びながらどこともなく逃げていった。万は俯うつ向むいて斬りおとした足を見た。それは手のような巨大な爪であったが、何物とも解らなかった。その血の痕をつけて尋ねていってみると江の中へいって消えていた。
材木商はひどく喜んで、万に細君のないことを聞くと、その夜、その日の結婚道具をそのまま用いて、女と結婚さした。
そこで五通を患うれえていた者は、一度その家へ来て泊ってくれといって頼みに来た。万はそこに一年あまりもいて、そのうえで細君を伴れて国へ帰っていった。それから呉中には一通ばかりいることになったが、敢て公然と害をしないようになった。
又
金きん生は字あざなを王おう孫そんといって蘇州の生れであった。淮わい安あんの縉しん紳しんの屋敷の中にいて土地の少年子弟を教授していた。その屋敷の中にはあまり家がなくて、花や木が一めんに植わっていた。夜が更けて僮こづ僕かいなどがいなくなると、ただ一人でぶらぶらしているが、何も気をまぎらすものがないのでつまらなくて仕方がなかった。
ある夜、それは十時ごろであったが、不意に人が来て、指先で軽く扉をたたいた。
﹁どなたです。﹂
金は早口に訊きいた。と、外の人は、
﹁すみませんが火を借してください。﹂
といった。その声が僮僕のようであるから金はすぐ戸を開けて入れた。それは十五、六の麗しい女で、その後には一人の婢がつきそっていた。金はどうしても人でないと思ったので、
﹁あなたは、どなたです。何というかたです、名をいってください。何しに来たのです。﹂
と追つい窮きゅうした。女は静かにいった。
﹁私は、あなたが風雅な方で、こうして寂しそうにしていらっしゃいますから、今晩お話しのお相手になろうと思ってまいりました。私のまいりました故わけをあまり精くわしく訊かれますと、私もあがることができませんし、あなたもまた私を入れてくださらないでしょうから。﹂
金はそこでまたこの女は隣の不身持な女だろうと思いだしたので、自分の品性を汚けがされるのを懼れて、
﹁それは大いに感謝しますが、若い男と女が、夜、同席するということは、世間の手前もありますし、だいいち、あなたにお気の毒ですから。﹂
といった。と女は流し目に金を見た。金はそれに魅せられて我を忘れてしまった。婢は金の容よう子すをもう見てとった。そこで女に向って、
﹁霞かさま、私はこれから帰りますよ。﹂
といった。女はうなずいたが、やがて婢を呵しかった。
﹁帰るなら帰ってもいいわ。雲うんだの霞かだのってなんです。﹂
婢はもういってしまった。女は笑っていった。
﹁だれも人がいなかったから、とうとうあれを伴つれてきましたが、ほんとにばかですよ。とうとう幼おさな名なをあなたに聞かしてしまいましたわ。﹂
金はいった。
﹁あなたがこんなにまで用心なさるのは、めんどうなことが起るからじゃないですか。僕はそれを心配するのですよ。﹂
女はいった。
﹁久しい間には、私のことも自然と解りますわ。私は決して、あなたの行いを敗るようなことは致しません。決して御心配なされることはありませんわ。﹂
そこで女は寝台の上にあがり、きちんと着ていた衣服を緩ゆるめて、臂うでにはめている腕うで釧わをあらわした。それは条じょ金うきんで紫金の色をした火かせ斉いし珠ゅをとおして、それに二つの明めい珠しゅをはめこんだものであった。燭ひを消してしまっても、その腕釧の光が室の内を照らして明るかった。金はますます駭おどろいたが、とうとうその女がどこから来たかということを知ることができなかった。
話がすんでから婢が来て窓を叩いた。女は起おきて腕釧の光で徑こみちを照らして、木立の中へ入っていった。
それから夜になって女の来ないことはなかった。金はある時、女の帰っていくのを遥かにつけていったが、女がもうそれを覚さとったものか遽にわかに腕釧の光を蔽おおった。すると木立の中は真暗になって、自分の掌てのひらさえ見えないようになったので引返した。
ある日金は河の北の方へいった。と、笠の紐ひもが断きれて風に吹かれて落ちそうになった。そこで金は馬の上で手を以ておさえていた。河へいって小舟に乗ったところで、強い風が来て笠を吹き飛ばして、波のまにまに流れていった。金はひどく残念に思ったが仕方がなかった。
そして河を渡ったところで、ふと見るとさっき流した笠が大風に漂わされて空に舞っていた。そして、それがだんだん落ちて来て風の前に来たので、手で以て承うけたが、不思議に断れていた紐がもとのようにつながっていた。
金は自分の室へ帰って女と顔をあわせた時、その日のことを精しく話した。女は何もいわずに微ひそかに晒わらった。金は女のしたことではないかと思って聞いた。
﹁君は神だろう。はっきりいって僕のうたがいをはらしてくれ。﹂
女はいった。
﹁寂しい中で、私のような女ができて、くさくさすることがなくなっておりましょう。私は悪いものではないということを自分でいいます。たとえ私がそんなことをしたとしても、やっぱりあなたを愛しておるからです。それを根ほり葉ほりするのは、きれようとなさるのですか。﹂
金はそこでもう何もいわなかった。
その時金は甥め女いを養っていたが、すでに結婚してから、五通の惑わすところとなった。金はそれを心配していたが、それでもまだ他人にはいわなかった。ところで女と知りあって久しくなって心の中に思ったことは何事も口にするようになったので、ある時そのことを話していた。すると女はいった。
﹁こんなことなんか私の父ならすぐ除くことができるのですが、どうしてあなたのことを父にいえましょう。﹂
金は女の力を借るより他に手段がないと思ったので、
﹁なんとかして、お父さんに頼むことができないだろうか。僕をたすけると思って、やってくれないか。﹂
といって頼んだ。女はそれを聞いてじっと考えていたが、
﹁なに、あんなものは何んでもありませんわ。ただ私がゆくことができないものですから。あんなものは皆私の家の奴隷です。もし、あんなものの指が私の肌にさわろうものなら、この恥は西江の水でも洗うことができないですから。﹂
といった。金はそれでもやめずに女に頼んだ。
﹁どうか、なんとかしてくれないか。甥女が可哀そうでしかたがない。﹂
女は承知した。
﹁では、なんとか致しましょう。﹂
その翌晩になって女はいった。
﹁あなたのために、婢を南へやりました。婢は弱いから、殺すことができないという恐れはありますが。﹂
その翌晩、女が来て寝ていると、婢が来て戸を叩いた。女が起きて扉を開けて内へ入れて、
﹁どうだね。﹂
と訊いた。婢は、
﹁つかまえることができないものですから、片輪にしてやりました。﹂
といった。女は笑ってその状を訊いた。婢はいった。
﹁はじめは旦那様のお家だと思っていましたが、いってみてそうでない事が解りました。で、婿さんの家へいってみますと、もう燈あかりが点ついておりました。入ってみますと奥様が燈の下に坐って、几つくえによりかかっておやすみになろうとするふうでした。私はそこで奥様の魂をとって、の中へ入れてしまって、待っておりますと、しばらくして彼あい奴つが来て室へやの中へ入りましたが、急に後にどいて、どうして知らない人を置いてあるのだといいました。それでもよく見ると何もいないものですから、また入って来ました。私はうわべに迷わされたようなふりをしておりますと、彼奴は衾ふとんをあけて入りかけましたが、また驚いて、どうして刃物があるのだといいました。私はもともと穢い物で指を汚すのはいやでしたが、ぐずぐずしていて間違いができると困りますから、とうとう捉えて片輪にしてしまいますと、彼奴は驚いて吼ほえながら逃げてしまいました。そこで起きてを開けると奥様もお醒めになったようですから、私も帰ってまいりました。﹂
金は喜んで女に礼をいった。そこで女と婢とは一緒に帰っていった。
その後半月あまりしても女は来なかった。金はもう女は来ないものだと諦あきらめてしまった。その時は歳の暮であった。金は塾を閉じて帰ろうとした。と、女が不思議にやって来た。金は喜んで女を迎えていった。
﹁君に見すてられたので、きっと何か怒られたと思っていたのだが、しあわせとすてられっきりでもなかったね。﹂
女はいった。
﹁一年もああしていたのに、別れに一言もなくては物足りないじゃありませんか。あなたがここをおひきあげになると聞いたので、それで、そっと来たのですよ。﹂
金は女を伴れて帰っていきたかった。
﹁一緒に僕の家へいこうじゃないか。﹂
女はためいきをついていった。
﹁申しにくいことですけれど、お別れしなくちゃなりませんから、あなたにかくすこともできません。私は金竜大王の女むすめなのですが、あなたと御縁があったものですから、それでこんなになったのです。口どめしておかなかったものですから、あの婢を江南にやったことが世間に知れて、私があなたのために五通を片輪にしたといいだしましたから、それをお父様が聞いて、たいへんな恥だといって、ひどく忿って私を死なせようとしましたが、いいあんばいに婢が自分のことにしてくれましたので、お父様の立腹もすこしおさまって、婢を何百とたたいてすみました。私はそれから一足出るにも、皆保ばあ姆やをつけられるのです。その隙を見てやっとまいりましたから、申しあげたいこともありますが、精しいことはいっていられないのです。﹂
女はそういってから別れていこうとした。金はその女の袖をとらえて涙を流した。女はいった。
﹁あなた、そんなになさらなくっても、三十年したなら、また一緒になります。﹂
金はいった。
﹁僕は今三十だが、これからまた三十年すると白髪の老人じゃないか。どんな顔をして君と逢うのだ。﹂
女はいった。
﹁そんなことはありませんよ。竜宮には白髪の老人はないのですから。それに人の長生と若死は、貌や容子によりません。もし若い顔をそのままにしておきたいというなら、それはなんでもないことです。﹂
そこで女は書物のはじめの方に一つの方法を書いていってしまった。
金は故郷へ帰った。金の甥め女いはそこで不思議なことのあったことを話した。
﹁その晩、夢のように、ある人が私をつかまえての中へ入れたと思いましたが、醒さめてみると血が衾に赤黒くついていたのです。それっきり怪しいことはなくなったのです。﹂
金はそこで、
﹁それは、俺が黄こう河がの神に祷いのったからだ。﹂
といったので、皆の疑いも解けてしまった。
彼、金は六十あまりになったが、容貌はなお二十ばかりの人のようであった。その金がある日、河を渡っていると、遥かの上流から蓮の葉が流れて来たが、その大きさは蓆むしろのようであった。それには一人の麗れい人じんが坐っていたが、近づいてから見るとそれは彼の仙女であった。金はそれを見るといきなり身を躍らして蓮の葉に乗り移った。と、蓮の葉は流れくだって、人は次第に小さくなり、やがて銭のようになって見えなくなってしまった。
この事は邵しょ弧うこの話と同じく倶ともに明みん末まつの事であるが、いずれが前、いずれが後ということは解らない。もし万ばん生が武を用いた後であったならば、すなわち呉の地方には僅かに半通だけが遺っているわけであるから、害をなすにたらないのである。