機縁
(友なる画家の画稿に題す)
蒲原有明
大(おほ)海(うみ)かたち定めぬ劫(はじ)初(め)の代(よ)に
水(みな)泡(わ)の嵐たゆたふ千(ちひ)尋(ろ)の底。
折しも焔(ほのほ)はゆるき﹃時﹄の鎖(くさり)、
まひろく永き刻みに囚(とらは)れつつ、
群(むら)鳥(どり)翔(かけ)る翼のその噪(さわ)ぎと、
その疾(と)さあらめ、宛(あたか)も眠(ねぶ)り転(まろ)び、
無際の上(ほつ)枝(え)下(しづ)枝(え)を火の殻(から)負(お)ひ
這(は)ひもてわたる蝸(くわ)牛(ぎゆう)の姿しめす。
火と水、相遇はざりし心を、今、
夜(よ)とせば、かりそめならぬ朝や日や、
舞ひたつ疾(はや)風(ち)歓(よろ)喜(こび)空を揺(ゆ)りて、
擁(いだ)きぬ、触れぬ、燃えなす願ひよ、将(は)た、
霑(うるほ)すおもひよ、ここに力の芽(め)は
男(をの)子(こ)と燻(くゆ)りて、雙(もろ)手(て)、見よ、披(ひら)けり。
水と火、噫(あゝ)相遇へり、青き膏(あぶら)、
浮浪ただよふひまをかぎろひたち、
くちづけ、手(たに)握(ぎ)るや、このひと時こそ
生(いの)命(ち)の精(き)なれ、よろづの調(しらべ)のもと。
歌へり﹃劫(ごふ)初(しよ)﹄、かかれば極(はて)のくまも
讃(ほめ)頌(うた)こだまにこたへ、化(な)り出でたる
真白き姿―しぶきと消えぬ花や、
奇(くす)しきにほひ焔の蘂(ずゐ)をまとふ。
現ぜる女(をみな)よ、胸乳抑(おそ)ふる手の
とこしへ解きもあへざる深きおもひ
つゝみて独りながむるけはひ著(し)るし
なべての秘(ひめ)事(ごと)孕(はら)むこは母ぞと
知れりや、水泡胡蝶のつばさ浮び、
千(ちす)条(じ)の烟いぶきて薫りみちぬ。
︵月刊スケツチ 第十一号 明治三十九年二月︶
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