現代訳論語

下村湖人






 
      

 ()
      
西

      
姿
 ※(「形のへん+おおざと」、第3水準1-92-63)※(「日/丙」、第3水準1-85-16)
      
調
 西退
 退退
 退退
 
      


      

 
 使

      
 
 西歿
 
 
 

 
 退
 西
調
 
      
 便
○ 彼の出生・死亡の年代、並びに出生地は既述の通り。
 ()()※(「糸+乞」、第3水準1-89-89)()()
 
○ 青年時代の職業は魯の大夫季氏の委史(倉庫番)司職(家畜番)等で、極めて低い地位であった。
○ 二十五歳、母を亡った。
○ 二十八歳、古代官制に通じた※(「炎+おおざと」、第3水準1-92-72)子が魯に来朝したのを機会に教えをうけた。
○ 三十一歳、はじめて周都に旅してその文物を見、諸家の教えをうけた。
 
○ 四十三歳、斉より魯に帰り、子弟の教育に専心。
○ 四十四歳、魯の定公即位、空位時代終る。
 
○ 五十一歳、公山不狃(魯の大夫季氏の宰)の乱があった。陽虎の専制終る。
 
 使
○ 五十五歳、魯の大夫三桓子の専横をおさえ、その城を毀たんとしたが、最後に不成功に終った。
 退
 漂泊の国名、順序及び重要事件はおおむね左の通りである。
 衛――陳(匡の難)――衛――曹――宋(桓※(「魅」の「未」に代えて「隹」、第4水準2-93-32)の難)――鄭――陳――衛――陳――蔡――葉――蔡(陳蔡の難)――衛
○ 六十九歳、漂泊の旅より魯にかえる。その後研学と教育に専心。
○ 七十四歳、死。
[#改ページ]



 
 
 
 便
 













 先師がいわれた。――
「聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。何と生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなつたら、何と人生は楽しいことだろう。だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか。」

 
 
 



 ()


 
 
○ 「仁」は儒教において至高完全な徳を意味する。

三(三)


 先師がいわれた。――
「巧みな言葉、媚びるような表情、そうした技巧には、仁の影がうすい。」

○ 参照四五一章。
○ 本章は「巧言令色、すくなし仁」という文語訳で有名である。



 ()


 輿
○ 論語の中で、特に有子と曾子とが「子」という尊称を附して呼ばれているところから、その編述がこの二人に師事した人たちによつて行われたのではないか、という説がある。
○ 原文の最後の句「伝不習乎」を「伝えられて習わざるか」と読み、「教わつたことを復習実践しない」という意味に解する説もある。



 
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調調調調



 




 




 

 

 

()
()
()
()


 
 
()

 
○ 賜==子貢の名。孔子は門人を呼ぶ時には、姓やあざ名を呼ばず、必ず名を呼ぶのである。
○ 原文「往」は「過去」を意味し、「来」は「未来」を意味するが、ここでは必ずしも時間的のことだけに局限されず、「一をきいて二を知る」或は「打てばひびく」というような意味に解すべきであろう。



 













 




 先師がいわれた。――
「詩経にはおよそ三百篇の詩があるが、その全体を貴く精神は『思いよこしまなし』の一句につきている。」

○ 詩経==世界最古の詩集の一つで、大体周代の詩を孔子が編纂したものだと伝えられている。総計三百十一首を集録したといわれているが現在に伝つているのは三百五首である。
 ()()※(「馬+炯のつくり」、第4水準2-92-82)※(「馬+炯のつくり」、第4水準2-92-82) 



 




 
使

○ 耳順(原文)==耳が真理に順うというので、何の無理もなく、真理を理解するの意。
○ 本章は孔子一生の向上の道程を端的に表現したものとして有名な言葉である。
 使



 ()()

 ()()
()()
 ()()

 


 
○ 樊遅==孔子門人。
 



 ()()()


○ 孟武伯==前節の孟懿の子。虚弱で病気がちの人であつた。



 ()()


○ 子游==孔子の門人、姓は言(げん)、名は偃(えん)、子游はその字。



 ()()


○ 子夏==七章註参照。



 
()鹿鹿

 



 




 先師がいわれた。――
「古きものを愛護しつつ新しき知識を求める人であれば、人を導く資格がある。」

○ 原文の「温故知新」は名高い熟語である。

一二(二八)


 先師がいわれた。――
「君子は機械的な人間であってはならぬ。」

○ 原文の器は道具で、使用目的が一定し、自由のきかない機械的人間の意。



 




 




 




 先師がいわれた。
「異端の学問をしても害だけしかない。」

○ 異端==古聖の道以外の学問。



 
()

 



 ()()


○ 子張==孔子の門人。姓は※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)孫(せんそん)、名は師(し)、子張はその字。



 ()()

 


○ 哀公==孔子の仕えた魯(ろ)の主権者。「哀」というおくり名があつたほど気が弱くて、佞臣を退けることが出来なかつた人である。



 ()()()

 


○ 季康子==魯の大夫で、季孫家の主。驕慢で失政の多かつた人である。



 

 


○ 書経==儒教経典の一つで、歴史と政治学とをかねたような内容のものである。



 


○ 大車==荷車に用い、牛にひかせた。
○ 小車==乗用車で馬にひかせた。



 ()()

 
()()()

○ 夏・殷・周==支那古代の王朝。孔子は周代に生きた人である。



 


○ この一章は脈絡のない二つの訓言から成立つている。原典に何かの錯誤が生じたものであろう。
○ 第一の訓言は、迷信的な淫詞邪神を祭つたり、自分の祖先でもない権力者の祖先を祭つたりする風習を戒めたものである。




()※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)









 ()()
()※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)

○ 季氏==魯(ろ)の大夫、季孫(きそん)。
 ※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)※(「にんべん+(八がしら/月)」、第3水準1-14-20)



 
()

○ 三家==魯の大夫、孟孫(もうそん)叔孫(しゆくそん)、季孫(きそん)の三家をいう。
○ 雍==詩経の中にある篇名。



 
()



 ()()


○ 林放  魯の人、字は子丘(しきゆう)。孔子の門人らしいが、不確実である。



 


○ 夷狄==当時野蠻視されていた東夷、北狄などの国々。



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()()

 
 
 調



 




 ()()

 
 
 
 

 

 
()

○ 子夏==前出(七章)
○ 商==子夏の名。



 
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○ 夏・殷==夏(か)は禹(う)王によつて創始され、殷(いん)は湯(とう)王によつて創始された王朝。いずれもその初期における政治は、孔子のあこがれの的になつていたものである。



 
※(「示+帝」、第3水準1-89-34)

 ※(「示+帝」、第3水準1-89-34)※(「示+帝」、第3水準1-89-34)



 ※(「示+帝」、第3水準1-89-34)
※(「示+帝」、第3水準1-89-34)

 ※(「示+帝」、第3水準1-89-34)※(「示+帝」、第3水準1-89-34)



 




 ()()()
()()
 


○ 王孫賈==衛(えい)の大夫。
○ 奥==家の主神。
○ 竈==台所の神。
 



 
()()()



 
※(「聚+おおざと」、第4水準2-90-28)
 


○ 大廟==魯の国祖周公旦(しゆうこうたん)の廟。
 ※(「聚+おおざと」、第4水準2-90-28)



 
()()()

 



 ()()※(「飮のへん+氣」、第4水準2-92-67)()
()

 
○ ※(「飮のへん+氣」、第4水準2-92-67)羊==煮燒せぬ生肉の羊。
○ 賜==前出(一〇章、一五章)
 



 


 



 ()()
使
 
使

○ 定公==魯の国君、名は宋(そう)。



 
()()

○ 関雎==詩経中の名篇だといわれている詩。



 ()()()()
()()()()()()()
 


○ 哀公==魯の国君。
 
○ 社==土地の神。
○ 松・柏・栗==ここでは音読しないと、「戦慄」という言葉にひびかない。原文には「戦慄」は「戦栗」となつている。
 



 

 

 
 ()()()使

()()U+576B259--11

 
○ 反※[#「土へん+占」、U+576B、259-下-2]==盃をふせる一種の台、献酬に用いられたもの。
○ 孔子は管仲の斉における功績は十分認めていた。(三四九章参照)しかし、功にほこつて非礼の行があつたため、人物が小さいといつたのである。



 ()
()()()()※(「激」の「さんずい」に代えて「白」、第3水準1-88-68)()()()

 ※(「激」の「さんずい」に代えて「白」、第3水準1-88-68)



 ()()()

 
()()()

○ 儀==衛(えい)の邑名。国境に近いので、そこには関所が設けられていた。
 
 



 ()

 ()


○ 韶==古代の帝王舜(しゆん)の作つた楽曲。
○ 武==周朝の祖武(ぶ)王の作つた楽曲。
 



 













 


○ 本章原文の「仁」は至高完全の徳というほど強い意味には用いられていない。



 


 



 




 




 




 




 




 先師がいわれた。――
「朝に真実の道をきき得たら、夕には死んでも思い残すことはない。」

○ 孔子の功利を超越した、燃えるような求道心から出た荘厳な言葉である。



 




 


○ 適(原文)==是が非でも行おうと思うこと。
○ 莫(原文)==是が非でも行うまいと思うこと。



 




 




 




 




 
()
 

 

 


○ 參==曾子(そうし)の名。
○ 忠恕==忠は自分の真心に訴えること、恕は自分の心を他におし及ぼすことで、真心からの同情による愛の実践という意。仁というに近い。



 




 




 


○ 幾諌(原文)==幾は微に同じ。角立たぬように柔らかに諌める意。



 




 先師がいわれた。
「もし父の死後三年間その仕来りを変えなければ、その人は孝子といえるだろう。」

○ この語は一一章の末尾と同一。



 




 




 




 
調



 


○ 隣==共鳴、同感、親近する者の意。
○ 文語訳「徳は孤ならず、必ず隣有り」の方が却つてぴつたりするであろう。



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 ()()()

 婿
 ()()

 

 
 ※(「二点しんにょう+舌」、第4水準2-89-87)



 ()()


 ※(「宀/必」、第3水準1-47-56)



 

 
()
 

 
()()

○ 器==二八章參照。
○ 瑚連==宗廟の祭典に用いた最も貴重な食器で、玉をちりばめたものである。
 



 
()
 
()

○ 雍==孔子の門人。姓は冉(ぜん)、字は仲弓(ちゆうきゆう)、魯の人。



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()()
 
()

○ 由==子路の名。
○ 本章の孔子の言葉は、道の行われないのを歎き、冗談まじりに海外旅行のことなどいいながら、子路の急所をついたところに妙味がある。



 ()()()

 

 
()
()
 

()
 
使

○ 孟武伯==二二章參照。
○ 由==子路の名。
○ 求==冉有の名。
 西
○ 千乗の国==諸侯の国。
○ 千戸の邑==当時の都会。
○ 百乗の衆==大夫の家。
 西



 
()
 

 


○ 囘==門人顔囘。
○ 一をきいて十を知る==十は全体の意。物事の一端を説き聞かされると全体がわかる、というのである。
○ 一をきいて二を知る==二は第二の意。物事の一端を説き聞かされると、つぎのことがわかるというのである。(一五章參照)



 ()()

 


○ 宰予==宰我(さいが)。



 

 
()※(「木+長」、第4水準2-14-94)
 
※(「木+長」、第4水準2-14-94)

○ 申※(「木+長」、第4水準2-14-94)==孔子の門人で魯の人だといわれているが、たしかでない。
○ 孔子が剛者といつたのは、道に精進してひるまない人を意味したのである。



 

 
()



 
()

 
 

一三(一〇五)


 子路は、一つの善言をきいて、まだそれを実現することが出来ない間は、更に新しい善言を聞くことを恐れた。

○ これは孔子の評語であるか、門人の評語であるか明らかでない。



 
()()()
 


 



 
()()使

 



 
()()()()

 
○ 原文の「敬之」が「人敬之」となつているのもある。それによると、他の人が晏平仲を敬したことになる。



 
()()()()()※(「木+兌」、第3水準1-85-72)

 
○ 蔡==卜亀。
○ 節==室の柱の頭の桝形(ますがた)。
○ ※(「木+兌」、第3水準1-85-72)==梁上の小柱。



 
()()()()
 

 

 

 
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○ 子張==三四章參照。
 
○ 令尹==官名、国務大臣のようなもの。
○ 崔子==斉の大夫。名は抒(じよ)。
○ 陳文子==斉の大夫。名は須無(すうむ)。
○ 十乘==乗は車、一乗に馬四頭をつけるので馬十乗は四十頭の馬になる。
 



 ()()()


 



 
※(「宀/心/(甬−マ)」、第3水準1-88-41)()()

○ ※(「宀/心/(甬−マ)」、第3水準1-88-41)武子==衛の大夫。名は兪(ゆ)、武はおくり名。
○ 原文の「其愚不可及也」(その愚は及ぶべからず)は、日本ではしばしば、「非常な馬鹿者」という意味に俗用されている。



 




 先師がいわれた。――
伯夷はくい叔斉しゅくせいは人の旧悪を永く根にもつことがなかった。だから人に怨まれることがほとんどなかったのだ。」

 祿



 
()()()()

○ 微生高==微生は姓、高は名。魯の人で、正直者という評判のあつた人である。



 
()()()

 



 ()()()()

 

 

 

 


○ 季路・子路==同一人。共に門人仲由の字。



 




 先師がいわれた。――
「十戸ほどの小村にも、まじめで偽りがないというだけのことなら、私ぐらいな人はきっといるだろう。だが、学問を愛して道に精進している点では、私以上の人はめったにあるまい。

 




()()









 
()

      

 ()()()()

 

 


○ 雍・仲弓==同一人。姓は冉(ぜん)、仲弓は字、雍は名。
○ 南面==天子、諸侯の政務を見る座は南面し、臣下の座は北面するのがきまりであつた。
○ 子桑伯子==魯の人といわれているが詳かでない。
 
一、前の部分に引きつづいてか、或は後日か、とにかくあとになつて後の部分の対話が行われたと見る説。
二、時間的には、後の部分の対話が先で、そういう対話を根拠に前の部分の孔子の評語が生れたと見る説。
 しかしいずれにしても、仲弓の人物をうかがう材料としては変りはないであろう。



 

 


○ 孔子の学問という意味が、道徳的精進を意味することは、本章に極めて明瞭にあらわれている。



 ()()使()()

 

 
 
()

      

 ()()祿退


○ 子華・赤==同一人。(九九章參照)
○ 冉==門人冉求。原文に子という敬称があるので特に先生と訳した。
 
 ※(「广+諛のつくり」、第3水準1-84-13)



 


○ 仲弓==名は雍(よう)(一二〇章參照)
○ まだら牛は駄牛とされ、祭典のいけにえには用いられなかつた。全身赤毛で、角の端正なのだけが選ばれたのである。
○ 仲弓の父がつまらぬ人物であつたため。仲弓自身までが悪評をうけていたので、孔子にこの言があつたのである。
○ 孔子が仲弓を励ますために直接彼に対していつた言葉だという説と、間接に仲弓をほめるためにいつた言葉だという説とがある。本書では後者に従つたが、いずれでもいいであろう。



 


○ 囘==顔囘。
 



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()
 
()
 
()
 
()
 


 



 ()()()()使使
※(「さんずい+(吝−口)」、第3水準1-86-53)

 
○ 費==季氏の領地。
○ ※(「さんずい+(吝−口)」、第3水準1-86-53)水==魯の隣国斉にある。川の名。
○ 当時季氏は権力をほしいままにしていたので、潔癖な閔子騫はこれに仕えるを欲しなかつたのである。



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()

 



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()()()()

○ 武城==魯の公室に属する土地の名。
 



 
()()()退殿()()

○ 孟子反==魯の大夫。名は側(そく)。
○ これは魯の哀公の時代に、斉軍に攻められて敗れた時の話らしい。



 
()()U+9B80288--8()()

 U+9B80288--11
 

一五(一三四)


 先師がいわれた。――
「外に出るのに戸口を通らないものはない。然るに、どうして人々は、人間が世に出るのに必ず通らなければならないこの道を通ろうとしないだろう。」

 



 
()()

 
 



 




 


 



 




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 先師がいわれた。――
「知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽み、仁者は永遠の中に安住する。」

○ 孔子が知者を高く評価しつつ、仁者を一層高く評価した気持がよくうかがわれる。

二二(一四一)


 先師がいわれた。――
せいが一飛躍したら魯のようになれるし、魯が一飛躍したら真の道義国家になれるのだが。」

 



 
()()()()()()()()()

○ 觚==かどのある酒盃。原文には「かど」の意味にも觚という字を用い、「觚、觚ならず」となつている。
 



 ()()

 


 



 




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○ 中庸==過不及なく、常に平正を保ち、過激極端にならぬこと。



 

 













 先師がいわれた。――
「私は古聖の道を伝えるだけで、私一箇の新説を立てるのではない。古聖の道を信じ愛する点では、私は心ひそかに自分を老彭ろうほうにも劣らぬと思っているのだ。」

○ 老彭==殷(いん)の賢大夫。
 



 


○ これは孔子の謙遜か、それとも大自信か。いずれにしても心ある門人にはつよくこたえたことであろう。



 




 先師が家にくつろいでいられる時は、いつものびのびとして、うれしそうな顔をしていられた。

○ 孔子の家居の面目がよくあらわれている。彼は決してこちこちな儀式ばつた家庭人ではなかつたのである。



 


 



 


○ 六芸==原文には単に「芸」とあるが、礼・楽・射・御・書・数などをいうのであろう。今日でいえば各種の技能・文学・芸術・健全なスポーツ等にあたる。

七(一五四)


 先師がいわれた。――
「かりそめにも束脩そくしゅうをおさめて教えを乞うて来たからには、私はその人をなまけさしてはおかない。」

 使
 



 


○ この一章は、孔子の啓発教育を端的に物語る有名な言葉である。



 



 
退退
 

 
()()

 退
○ 子路は孔子の答をきいて、おそらく、虎をうちそこねて崖から真逆さまに落ちて行くような気がしたであろう。



 


○ 富貴は天命だという孔子の思想を基礎にして、本章を「もし富が求めて得られるものなら云々」という意味に解する人が多いが、それでは「得られるものなら泥棒でもする」ということにもなつて、大変である。

一二(一五九)


 先師が慎んだ上にも慎まれたのは、斎戒さいかいと、戦争と、病気の場合であった。

○ 斎戒==祭事のまえに物忌みをして、身を清めること。



 ()


○ 韶==舜の音楽(前出、六五章)
○ 肉の味を知らないというのは、飲食を忘れた、というような意味であろう。



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()
 

 
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○ 伯夷・叔斉==(前出一一四章)の如く兄弟相譲り、不義をにくんで一生を貫き、最後に悲惨な死をとげた人たちである。
 



 
()



 先師がいわれた。――
「私がもう数年生き永らえて、五十になる頃までえきを学ぶことが出来たら、大きな過ちを犯さない人間になれるだろう。」

○ 易==陰陽の消長、宇宙の運行、人間の運命を説いた深遠な哲理である。孔子が「五十にして天命を知る」(参照二〇章)といつたのと照合して味つて見たい一章である。

一七(一六四)


 先師が毎日語られることは、詩・書・執礼の三つである。この三つだけは実際毎日語られる。

○ 原文の「雅」は「常」と同じ。
 
○ 詩は情操をゆたかにし、書は知見をひろめ。礼は実生活を錬磨するのである。



 ()()


○ 葉公==楚の葉(しよう)県の長官、沈諸梁(ちんしよりよう)、字は子高(しこう)。



 




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○ 原文の「怪・力・乱・神」はそれぞれ「常・徳・治・人」に相対して用いられている。



 


○ 八三章参照。

二二(一六九)


 先師がいわれた。――
「私は天に徳を授かった身だ。※(「魅」の「未」に代えて「隹」、第4水準2-93-32)かんたいなどが私をどうにも出来るものではない。」

 ※(「魅」の「未」に代えて「隹」、第4水準2-93-32)
 ※(「魅」の「未」に代えて「隹」、第4水準2-93-32)
○ この一章は、孔子の言葉としてはめずらしく壮烈味を帶びたもので、門人たちの危難に際しての狼狽ぶりがうかがわれる。



 
()

○ 丘==孔子自身の名。
○ 孔子の教育態度の真面目がこの一章によくあらわれている。

二四(一七一)


 先師は四つの教育要目を立てて指導された。典籍の研究、生活体験、誠意の涵養、社会的信義がそれである。

○ 学んで行い、心を誠にして人と交るに信を以てするというのが、要するに孔子の修養の眼目でもあり、教育の要目でもあつたのである。



 

 


 
  

二六(一七三)


 先師は釣りはされたが、はえなわはつかわれなかった。また矢ぐるみで鳥をとられることはあったが、ねぐらの鳥を射たれることはなかった。

 
○ 矢ぐるみ==原文に「弋」(よく)とある。矢に糸をつけ、それを島の羽根にからませ、生擒する方法であつた。

二七(一七四)


 先師がいわれた。――
「無知で我流の新説を立てる者もあるらしいが、私は絶対にそんなことはしない。私はなるべく多くの人の考えを聞いて取捨選択し、なるべく多く実際を見てそれを心にとめておき、判断の材料にするようにつとめている。むろん、それではまだ真知とはいえないだろう。しかし、それが真知にいたるみちなのだ。」

○ 作(原文)==「事を為す」の意に解する説もあるが、一四八章の「述べて作らず」の「作」と同じく、道理に関する意見を立てる意味に解する方が、後段との関係がぴつたりする。
○ 次(原文)==一般に「つぎ」「第二」の意味に解されているが、私は「途次」などという場合の「次」と同じく、目標に達する一歩手前の意に解したい。



 ()()
退

○ 本章については異説が多いが、孔子の言葉の真意を動かすほどのものではないので、一々述べない。



 




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 退()()()
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○ 陳==国名。
○ 司敗==官名、司法官。この人の姓名は明らかでない。
○ 昭公==魯の国君、名は稠(ちよう)、襄公(じようこう)の子。
○ 巫馬期==孔子の門人。巫馬は姓、期は字、名は施(し)。
 
 



 

○ 孔子自身が当時第一流の音楽家であつたことを忘れては、この一章の妙味は半減する。



 




 

 ()西()()




 

 
()
 


○ 誄==死者を哀しんでその徳行を述べ、その霊前に献ぐる言葉。
 使



 


○ 原文の「固」は、「窮屈」でなくて「頑固」だという説もある。



 




 












 
()()

 
○ 天下==当時はまだ殷の時代で。周室の天下ではなかつたが、後に天下を支配したので、この語が用いられたのであろう。
○ 老子に「善行轍迹無し」とあるが、至徳の境地については、老子も孔子も同一であるのが面白い。



 

 


○ 前段と後段とは、原文では一連の孔子の言葉になつているが、内容に連絡がないので、定説に従つて二段に区分した。



 

深渕ふかぶちにのぞむごと、
おののくこころ。
うす氷ふむがごと、
つつしむこころ。


 



 


 
○ 政治家の態度、顔色、言語というものは、いつの時代でも共通の弊があるものらしい。



 


○ 友人というのは、おそらく顔囘のことであろう。



 




 




 
()



 先師がいわれた。――
「民衆というものは、範を示してそれに由らせることは出来るが、道理を示してそれを理解させることはむずかしいものだ。」

 



 


 



 


 

一二(一九六)


 先師がいわれた。――
「三年も学問をして、俸祿に野心のない人は得がたい人物だ。」

○ 孔子の門人たちの中にも就職目あての弟子入りが多かつたらしい。
 祿



 
退



 




 先師がいわれた。――
「楽師のがはじめて演奏した時にきいた関雎かんしょの終曲は、洋々として耳にみちあふれる感があったのだが――」

○ 摯==魯の楽官ですぐれた音楽家であつた。
○ 関雎==詩経の中にある篇の名。
○ この章は、いい音楽が今はきかれないという孔子のなげきでもあろうか。――諸説は紛々としている。



 




 




 
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一九(二〇三)


 先師がいわれた。――
「堯帝の君徳は何と大きく、何と荘厳なことであろう。世に真に偉大なものは天のみであるが、ひとり堯帝は天とその偉大さを共にしている。その徳の広大無辺さは何と形容してよいかわからない。人はただその功業の荘厳さと文物制度の燦然たるとに眼を見はるのみである。」

○ 堯は支那の歴史で知られている最初の聖天子。



 
()()
 


○ 乱臣(原文)==この語は現在普通に用いられている意味と全く反対に、乱を防止し、乱を治める臣という意味に用いられている。
○ 唐・虞==堯は陶唐氏、舜は有虞氏なる故、堯・舜の時代を唐・虞の時代という。
 



 





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()



 



 ()


 
○ 本章は一六九章の桓※(「魅」の「未」に代えて「隹」、第4水準2-93-32)の難にあつた場合の言葉と同様、孔子の強い信念と気魄とをあらわした言葉で、論語の中で極めて目立つた一章である。



 ()()

 

 

 ()


○ 大宰==官名であるが、どんな官であるか明らかでない。呉の官吏だろうという説がある。
○ 牢==孔子の門人。姓は琴(きん)、字は子開(しかい)、又は子張(しちよう)。



 


 



 
()()

○ 鳳鳥==鳳凰。麒麟・亀・竜と共に四霊と称せられ、それらが現われるのは聖王出現の瑞祥だと信ぜられていた。
○ 河==黄河。
 
○ 本章は孔子がすぐれた君主の出ないのを嘆いた言葉で、それを直接いうのをはばかり、伝説の瑞祥を以てこれに代えたのである。



 



 
()()

○ 孔子と顔淵とのそれぞれの面目、並に両者の結びつきがこの一章に躍如としている。さすがに顔淵の言葉であり、彼ならでは出来ない表現である。



 
()

 



 

 


 
 



 ()()

 


○ 九夷==九種の蠻族が住んでいるといわれていた東方の地方。

一四(二一九)


 先師がいわれた。――
「音楽が正しくなり、しょうもそれぞれその所を得て誤用されないようになったのは、私が衛から魯に帰って来たあとのことだ。」

 
 



 


○ こういう言葉の深刻さがわからないと、論語の妙味はわからない。



 
()

 



 




 
()()

○ 簣==土をはこぶ籠、もつこ。

一九(二二四)


 先師がいわれた。――
「何か一つ話してやると、つぎからつぎへと精進して行くのはかいだけかな。」

○ 囘==門人顔囘(顔渕)



 




 




 


○ 四十づら、五十づらをさげ、先輩顔をして孔子の前に並んでいた門人たちは、どんな顔をしたであろう。



 




 先師がいわれた。――
「忠実に信義を第一義として一切の言動を貫くがいい。安易に自分より知徳の劣った人と交って、いい気になるのは禁物だ。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ。」

○ 本章は重出。八章末段參照。



 


○ こんな有名な言葉は、「三軍も帥を奪うべし、匹夫も志を奪うべからず」という文語体の直訳があれば充分かも知れない。

二六(二三一)


 先師がいわれた。――
「やぶれた綿入を着て、上等の毛皮を着ている者と並んでいても、平気でいられるのはゆうだろうか。詩経に、
有るをねたみて
こころやぶれず
無きを恥じらい
こころまどわず、
よきかなや、
よきかなや。

 


○ 子路は無邪気ですぐ得意になる。孔子は、すると、必ず一太刀あびせるのである。



 


○ 柏==「かや」である。「かしわ」ではない。



 


○ 孔子の言葉は、平凡らしく見える時ほど深いということを、私はこの言葉によつて特に痛感する。



 




 民謡にこういうのがある。
ゆすらうめの木
花咲きゃ招く、
ひらりひらりと
色よく招く。
招きゃこの胸
こがれるばかり、
道が遠くて
行かりゃせぬ。
 


 
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 退




 退



 使()

○ 圭==君の代理の証明となるもので、玉で作つてある。



 鹿()退()()

○ 黒色は吉事に用いられ、喪事には白色を用いるのが禮であつた。



 



 ()()()



 



 退退



 使使
 


 使使

一二(二四七)


 先生の馬屋が焼けた。朝廷からお帰りになった先生は人にけがはなかったか、と問われたきり、馬のことは問われなかった。

○ 孔子に動物愛護の心がなかつたからではない。馬を問題にして責任者を苦しめるに忍びなかつたのである。



 調

○ 東を枕にするのは、君公を南面せしめるためである。

一四(二四九)


 大廟に入られると、ことごとに係の人に質問される。

○ 五五章參照。



 
 



 

 
○ 最後の一句「迅雷風烈必変」(原文)は、名高い言葉で、古来の為政家で、この言葉によつて自己を戒慎したものが非常に多い。



 



 
 
 
 


()() 
 

 ()
 
 ()
 

 
 
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先進第十一









 


○ 形式美のみあつて内容の空虚なのを排したのである。



 
()()
 ()()()

 
 



 


○ これは無論顔囘の理解と実践力の秀抜さに対する讃辞である。二五章参照。



 
()()()



 南容なんよう白圭はくけいの詩を日に三たびくりかえしていた。先師はそれを知られて、ご自分の兄の娘を彼にめあわされた。

○ 南容==九三章参照。
 ※(「王+占」、第4水準2-80-66)※(「王+占」、第4水準2-80-66)
白玉のかけたるは
みがきても見む、
言の葉のかけたるは
せんすべもなし。



 

 


○ 一二一章参照。



 ()()()()

 
()

○ 顔路==顔渕の父で、孔子がはじめて教育に従事した時の最初の門人であつた。顔渕の父としては、よほど不肖の父であつたらしい。
 



 


○ 孔子はこの時、齢すでに七十歳であつた。道統をつぐ者を失つた悲痛な歎きである。



 

 




 


 
○ 孔子の葬儀についての考え方は、四四章参照。



 

 

 


○ 一三九章参照。



 ()
()

○ 子路についての孔子のこの豫言は適中した。子路は衛に仕官中乱にあつて死んだのである。



 ()()()()()()

 


○ 長府==府は藏、財物を入れる建物、長府は藏の名称。



 
()()
 


○ 瑟==琴の一種。はじめ五十絃であつたが、後二十五絃に改められた。
 
○ 孔子が子路の音楽を自分の門内ではききたくない、といつたのは、子路に蠻勇があり、その音楽にも殺伐の風があつたからである。



 
()()
 

 

 


○ 師==門人子張。姓は※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)孫(せんそん)、名は師。
○ 商==門人子夏。
○ 本章の最後の孔子の言葉は、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という文語訳で有名である。



 
()

○ 季氏==魯の大夫。
 
○ 求==門人冉求。孔子の彼を責めることの特にきびしいのは、それによつて季氏を責める意があるからであろう。
 



 
()()()()

○ 柴==孔子の門人。姓は高(こう)、字は子羔(しこう)、衛の人。
○ 参・師・由==曾参(そうしん)、子張(しちよう)、子路(しろ)(前出)
○ 原文には「子曰」がない。しかし、孔子が門人四人をとらえて冗談まじりに悪口をいつた言葉であることは、柴・参・師・由といういつもの呼名が使われているので明らかである。



 
()

○ 顔囘と子貢とを対比した孔子の人物評は前にもあつたが。端的に全貌をつくしたものとしては、この一章を推すべきであろう。



 

 


○ 異説の多い一章だが、独自の見解に基いて訳して見た。



 




 

 

 

 

 西

 


○ 公西華==孔子の門人。名は赤(せき)。



 ()

 


○ 匡の難==二一〇章参照。



 ()()()
()()()()()()
 
退()()
 

 


○ 季子然==魯の権臣季氏の一門で、季桓子(きかんし)の弟、季平子(きへいし)の子。
 
○ 具臣==その任にあれば、どうなりそれだけの役に立ちうる忠実な人。
 



 ()()()

 

 


 
○ 費==季氏の私邑。難治で有名であつた。



 ()()()()()西()()

 

 
()
 

 
()
 西

 
()
 ()()()

 

 
()()※(「樗のつくり」、第3水準1-93-68)
 
()
 
 

 

 
()
 

 

 

 
()
 
()

 
○ 千乗の国==兵車千乗の国、大諸侯につぐ国。
○ 方六七十里==方百里は大国、方七十里は中国、方五六十里は小国とされていた。
○ 沂==川の名。
○ 舞※(「樗のつくり」、第3水準1-93-68)==天に雨を祈る祭壇のあるところ。
 












 
調
 

 

 


 



 

 


○ 「己の欲せざる所人に施すこと勿れ」――論語といえば、すぐこの言葉を思い出すほど、この言葉は有名である。(一〇三章參照)



 

 

 


○ 司馬牛==孔子の門人、名は犂(り)、又は耕(こう)。宋の人
 



 

 

 


○ 司馬牛は兄桓※(「魅」の「未」に代えて「隹」、第4水準2-93-32)(かんたい)(參照一六九章)をはじめ、兄弟たちの悪行を恥じ、常に悩みおそれていたので、孔子はとくにこんなことをいつて励ましたのであろう。(次章參照)



 

 
調

○ 司馬牛には兄弟がなかつたのではない。(前章の註參照)。



 




 

 

 

 

 


 
 調



 ()()()

 


○ 原文「駟不及舌」は「駟も舌に及ばず」という文語訳で有名である。駟は四頭立の馬車で、速力がはやいが、その速い馬車で追いかけても失言は取消せないの意。
○ 參照一三五章「文質彬々」。



 ()()

 

 

 


 



 

 


 



 ()()()

 


○ 景公治下の斉は上下をあげて人倫がみだれていたので、孔子は先ずその根本を正すことの必要を説いたのである。しかし景公はそれを単なる言葉として賛意を表したに過ぎなかつた。



 
()
 



 




 




 


○ 本章は一四四章と重出。ただ「君子」の二字がないだけである。



 




 
()()

○ 季康子==魯の大夫。



 


○ 季氏は魯の公室を四分してその二を奪つたほどの大盗であつたのである。孔子のこのきびしい言葉もなるほどとうなずかれる。



 

 




 

 

 

 
()()



 ()()()※(「樗のつくり」、第3水準1-93-68)

 


○ 舞※(「樗のつくり」、第3水準1-93-68)==雨乞の祭壇を設ける台の名。
○ 子張もほぼ同じような質問をしているが、孔子の答はちがつている。(參照二八八章)



 ()()

 

 

 

 
()()()()()

○ 樊遅は頭は鈍い方であつたが、探究心の強い人であつたといわれている。
○ 子夏は樊遅よりも先輩であつた。
○ 參照三五章。



 




 













 

 

 


○ 子路は勇者で実行力に富んでいたが、辛抱づよい人ではなかつたのである。
○ 原文「労之」を民をねぎらう意味に解する説もある。



 ()()

 

 




 
()
 

 

 


○ 衛君==出公。当時父と国を争つて居り、大義名分がみだれていた。(参照一六一章註)



 ()()

 

 退
()()

○ 樊須==須は樊遅の名。
 調



 
()使

○ 孔子においては、詩に親しむことは。人情風俗に通じ、政治外交の真髄を会得する道であつたのである。



 




 先師がいわれた。――
の政治とえいの政治とはやはり兄弟だな。」

 

八(三一〇)


 衛の公子けいのことについて、先師がいわれた。――
「あの人は家庭経済をよく心得て、奢らなかった人だ。はじめ型ばかり家財があった時に、どうなり間にあいそうだといい、少し家財がふえると、どうやらこれで十分だといい、足りないものがないようになると、いささか華美になりすぎたといった。」

○ 公子荊==荊は名。衛の公子で、同時に大夫であつた。



 

 

 

 

 


 



 




 


○ 善人==人の上に立つための学問修養はつんでいないが、本質的には善良な人。(参照――一七二章、二七二章)

一二(三一四)


 先師がいわれた。――
「たとえ真の王者が現われても、少くも一世代を経なければ、民をあまねく仁に化することは出来ない。」

○ 王者==聖徳をそなえ、天命をうけて王となる人。
○ 原文の「世」は一世代、即ち三十年。



 




 ()退

 

 


○ 冉==冉有のこと。原文に「冉子」とあつて敬称になつている。
 



 

 

 

 




 ()()


○ 葉公==楚の大夫。楚領内の一地方を領し、王を僣称していた人である。



 ※(「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87)()


○ ※(「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87)父==魯国の邑名。



 

 


○ 葉公==三一八章參照。
 



 ()()


 
 



 
()
 
使
 

 

 

 

 

 
()

○ 「士」は士農工商の士で、現在では時代錯誤的な匂いのする社会階級の観念が含まれている。
○ 原文の「斗※(「竹かんむり/悄のつくり」、第3水準1-89-66)之人」を「桝ではかるような小人物」と訳したが原語のままでも、ある程度通用している。「斗」も「※(「竹かんむり/悄のつくり」、第3水準1-89-66)」も量器である。

二一(三二三)


 先師がいわれた。――
「願わくば中道を歩む人と事を共にしたいが、それが出来なければ、狂熱狷介な人を求めたい。狂熱的な人は志が高くて進取的であり、狷介な人は節操が固くて断じて不善を為さないからだ。」

 



 
()

 ()()()



 


○ 原文の「同」は「附和雷同」の「同」である。
○ 參照――三〇章。



 

 

 



 



 
使使使



 




 


○ 「剛毅木訥は仁に近し」という文語訳はあまりにも有名で、すでにわれわれの言葉になつている。新たに冗長な口語訳を必要としないであろう。
○ 三章參照。



 

 


○ とかく、がさつな性質を丸出しにしたがる子路に対しての教訓であることを忘れては、本章の妙味がない。

二九(三三一)


 先師がいわれた。――
「有徳の人が人民を教化して七年になったら、はじめて戦争に使ってもよいようになるだろう。」

 調

三〇(三三二)


 先師がいわれた。――
「教化訓練の行き届かない人民を率いて戦にのぞむのは、民を棄てるのと同じである。」

 












 ()
祿()()祿

 
 祿



 

 


○ 原文では、この質問者の名は出ていないが、定説に従つて原憲の質問として訳した。

三(三三五)


 先師がいわれた。――
「士たる者が、安楽な家庭生活のみを恋しがるようでは、士の名に値しない。」

○ 参照 一四章。



 


 



 




 ()()※(「二点しんにょう+舌」、第4水準2-89-87)
※(「栩のつくり/廾」、第3水準1-90-29)()U+5961372--12()()
 ※(「二点しんにょう+舌」、第4水準2-89-87)


 ※(「二点しんにょう+舌」、第4水準2-89-87)
 ※(「栩のつくり/廾」、第3水準1-90-29)()※(「さんずい+足」、第4水準2-78-51)
 U+5961373--13※(「さんずい+足」、第4水準2-78-51)
○ 禹==禹は治水に大功のあつた人で、治水を終ると耕作に従事していたが、舜帝が崩ずると、その位をゆずられた。
 
 ※(「二点しんにょう+舌」、第4水準2-89-87)※(「栩のつくり/廾」、第3水準1-90-29)U+5961373--1



 




 




 
()U+2871F374--2()※(「言+甚」、第3水準1-92-13)稿()()()()()()()()

○ 原文には※[#「猶のつくり+おおざと」、U+2871F、374-上-6]国という語はないが定説に従つて補つた。
○ 列挙されている四人はみな賢大夫であり、子産が総理格であつた。
○ 東里==子産の居住地名。
 U+2871F374--10



 ()U+2871F374--14

 ()西

 
()()()()

 西西
 

一一(三四三)


 先師がいわれた。――
「貧乏でも怨みがましくならないということは、めったな人に出来ることではない。それに比べると、富んでおごらないということはたやすいことだ。」

○ そのたやすいことが門人たちになかなか出来ないので、孔子はこの言を発したのであろう。こういう言葉を単なる難易の比較だと見て、甲論乙駁するようでは論語は死ぬ。



 
()()()()()()()()

 



 
()()()()()()()()()()
 


 
○ 臧武仲==魯の大夫、名は※(「糸+乞」、第3水準1-89-89)。知者として聞えた。
○ 公綽==前章の孟公綽。
○ 卞荘子==魯の一邑卞の大夫。虎を刺殺したので名高い。
○ 冉求の芸==一二五章参照。
 調



 ()()()()()()()

 

 


○ 公叔文子==衛の大夫、公孫抜。
○ 公明賈==衛の人、公叔文子の門人だろうという説がある。
 ※(「くさかんむり/遽」、第4水準2-87-18)使



 
()()()()

 
○ 原文は甚だ簡単で、逐字訳をしても意味が通らないので、右のことを補つて訳した。

一六(三四八)


 先師がいわれた。
しんの文公は謀略を好んで正道によらなかった人であり、斉の桓公かんこうは正道によって謀略を用いなかった人である。」

 



 
()()()()()()()()
 
()()

○ 公子糾==桓公の庶弟。糾は名。
 ※(「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87)



 

 
()()

 
 



 ()()()()※(「にんべん+饌のつくり」、第4水準2-1-88)


 ※(「にんべん+饌のつくり」、第4水準2-1-88)



 ()()()

 
()()()()()()()()

○ 原文の「賓客」は外国の使臣、「治賓客」は外交を意味する。
○ 原文の「宗廟」は祭祀の意味だが、祭祀は内政の最重要事とされていた。



 




 ()()()()()
()()
 

 退

 


○ 斉は魯の隣国であつたが、孔子は大義名分に関する天下の大事だと考えたのである。
 



 




 




 




 ※(「くさかんむり/遽」、第4水準2-87-18)()()使使

 使

 使
使使

 ※(「くさかんむり/遽」、第4水準2-87-18)※(「王+爰」、第3水準1-88-18)
○ 四〇八章の孔子の言葉を參照しつつ本章を味いたい。

二七(三五九)


 先師がいわれた。――
「その地位にいなくて、みだりにその職務のことに口出しすべきではない。」

○ 本章は一九八章の重出である。

二八(三六〇)


 曾先生がいわれた。――
「君子は自分の本分をこえたことは考えないものである。」

○ 古註では、前章と合して一章となつている。



 


○ 原文「而」が「之」になつている本がある。それだと、「君子はまだ実行の出来ないことを口にすることを恥じる」という意味になる。



 

 


○ 孔子の同様の言葉が二三三章にもあつた。ただ知・仁・勇の順序がちがつている。
○ 原文の最初の「道」は「みち」、最後の「道」は「言う」の意味である。
 



 
()

○ 賜==子貢の名。



 


○ ほぼ同様の言葉が一六章、八〇章、三九七章に見えている。



 




 ()()()
()
 


○ 微生畝==どういう人か明らかでない。多分当時世を避け、孤高を誇つていた老荘流の隱士で、孔子より老人であつたろうと想像されている。
 



 
調



 

 


○ ここに、ある人というのは、おそらく老荘流の人をさすのであろう。老子は明らかに「怨みに報いるに徳を以てす」といつているのだから。
 



 

 

 


 
 
 



 ()()()()()()()

 


○ 公伯寮==魯の人というだけで、どんな人か不明。
○ 季孫==魯の権臣、三家の一人。
○ 子服景伯==魯の大夫の一人。
 使
 
 



 
退退

○ 本章は原文が極めて簡単で、ほとんどその意味が捕捉されない。古来の諸説を參考にして説明的に訳して見た。

四〇(三七二)


 先師がいわれた。――
「立ちあがったものが、七人だ。」

 退



 ()()宿

 

 


○ 石門==地名、魯の国境に近い。
○ やはりこの門番も老荘的隱士であろう。



 ()

 

 


()()

 


○ 磬==石の楽器、矩形の石をつるしたもの。
 ※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)
○ 門前を通りがかつた男は、やはり老荘的隱士であろう。



 
()()
 


○ 書経==儒教経典の一つで、歴史と政治学とをかねたようなもの。
○ 高宗==殷の天子、名は武丁。
○ 時代がちがうので、こうしたことになると、論語も全く興味がない。ただ親の喪につつしむ心だけは永久に生かさるべきであろう。



 




 

 

 

 

 


 調



 ()()
()()
 ()

 
○ それにしても、孔子が友人に対する忠告に暴力を用いたということが論語に記されているということは、変である。或は軽くさわつたぐらいのことかも知れぬ。



 ()

 
()()()()

○ 闕==邑の名、原文に「党」とあるのは五百戸の村のこと。
○ 取次役は大事な仕事でもあり、孔子に接近する機会も多いのでかような質問が出たのであろう。
○ 孔子の答は、その教育法をうかがう好材料である。












 
使使
 
 ()

 


 
○ 陳の難については前に委しく書いた。(二五五章の註参照)
 



 
()
 

 


○ 賜==子貢の名。
○ 孔子は曾参にも同じことをいつている。(八一章参照)

三(三八二)


 先師がいわれた。――
ゆうよ、ほんとうに徳というものが腹にはいっているものは少いものだね。」

○ 由==子路の名。
○ 原文の「知」は「体得」の意味に解すべきである。徳は実践上のことであり、実践なくしてはその真味を知ることが出来ないからである。
○ 孔子が特に子路を名ざしてこういつた理由は、想像して見るより仕方がない。



 


○ 舜については二〇二章、二〇四章、三〇〇章参照。
 
○ 南面==君主の座は南面、臣下はそれに対して北面するのがきまりである。



 

 ()

○ 紳==大帶を前に結んでたれたところ。



 
()()
 
※(「くさかんむり/遽」、第4水準2-87-18)()()

 
○ ※(「くさかんむり/遽」、第4水準2-87-18)伯玉==衛の大夫。(參照――三五八章註)
 ※(「くさかんむり/遽」、第4水準2-87-18)



 


○ 「言葉を失う」のは、単に言葉が「むだになる」だけでなく、「大害の原因になる」ということも忘れてはならないだろう。



 


○ あまりにも有名な句なので、出来るだけ原文の形をくずさないで訳した。
○ 「志士」は仁に志す人、「仁人」は成徳の人である。



 


○ この場合の「士」は「大夫」に対していつたのである。「賢」と「仁」とは大夫にも士にも共通する形容詞と見ていい。



 
()()()()()()U+2871F395--8()()U+2871F395--9

○ 夏・殷・周==王朝の名。
○ 夏の暦法は今日の大陰暦で、農事に便利。
○ 殷の輅は質素で堅牢。しかも威厳がある。
○ 周の冕は華美でも粗末でもなく最も中庸を得ている。
○ 韶は舜の音楽(參照六五章、一六〇章)
○ ※[#「猶のつくり+おおざと」、U+2871F、395-下-1]の音楽(參照四五二章)
○ 佞人は口上手にへつらう人。
○ 孔子は範を過去歴代の長をとることを子貢に説いたのである。

一一(三九〇)


 先師がいわれた。
「遠い将来のことを考えない人には、必ず間近かに心配ごとが待っている。」

○ これも文語訳で有名である。



 


○ 二二二章と同一の言葉。ただはじめに「巳矣乎」が多いだけである。



 
()()()()()()

○ 臧文仲==魯の大夫。一〇九章參照。
 



 




 


○ 一五五章參照。



 




 




 


○ 殆ど同じような意味の言葉が一六章、八〇章、三六四章に出ている。

一九(三九八)


 先師がいわれた。――
「君子といえども、死後になっても自分の名がたたえられないのは苦痛である。」

 



 




 


○ 本章の後段と同じ意味の言葉は、三〇章、三二五章にも出ている。



 




 

 
()

○ 孔子のこの有名な言葉は、二八〇章の仲弓の問に対する答の中にも出ている。



 


○ 原文の末尾の一句は、忠実に訳しただけでは意味が通らないので、言葉を補足した。
○ 「三代」は夏・殷・周三代のこと。



 
調

 



 




 




 先師がいわれた。――
「人が道を大きくするのであって、道が人を大きくするのではない。」

 

二九(四〇八)


 先師がいわれた。――
「過って改めないのを、過ちというのだ。」

 



 


○ 三一章や一六五章の孔子の言葉とは矛盾するようにも思える。しかし、これは考えてばかりいて学ばないものに対して、ある場合に自然に発した言葉であろうと思われる。



 
祿



 


○ 本章は君道を説いたものという説があるが、必ずしも君道と限らず、広く為政者の道を説いたものと見たい。



 
使

○ 本章の君子・小人は単に道徳的の差異だけでなく人物の大小をいつたものであろう。



 


 

三五(四一四)


 先師がいわれた。――
「仁の道にかけては、先生にも譲る必要はない。」

○ 謙譲の点においても先生に譲らぬ、ということを忘れると、この言葉は厳しく強いだけに危険でないとはいえない。



 




 
祿



 




 




 先師がいわれた。――
「言葉というものは、十分に意志が通じさえすればそれでいい。」

 



 ()

 ()

 ()
 ()

 


○ 昔は楽師には盲人が用いられた。聴覚が鋭敏だという理由から、また、盲人に仕事を与えるという理由から。
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 ※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)()
※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)()
 
()※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)()()()
 

 
()()()退
 
※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)()()
 
()()()※(「端のつくり+頁」、第3水準1-93-93)()

○ 季氏==魯の三家の一人、季孫。
○ 季路==子路。
○ 周任==古代の史官であつた。
 
○ 「乏しきをうれえず、均しからざるをうれう」という名高い言葉は、ここに出所がある。



 


○ 大夫==諸侯の大臣。
○ 陪臣==「またげらい」天子からいえば大夫がそれであるが、ここでは大夫の臣、即ち諸侯からいつて「またげらい」である。
 



 


○ 本章は、前章に大夫が政権をにぎると五代とつづかぬといつたのをうけた言葉である。
○ 三桓==魯の権臣、孟孫・叔孫・季孫の三家。三家は桓公の子孫なる故「三桓」というのである。



 




 




 


○ ここに君子というのは、単に有徳の人というだけでなく、目上の人という意味をもつている。

七(四二七)


 先師がいわれた。――
「君子に戒むべきことが三つある。青年時代の血気がまだ定まらないころに戒むべきは性慾である。壮年時代の血気が最も盛んなころに戒むべきは闘争である。老年時代の血気がおとろえるころに戒むべきは利慾である。」

○ ここに君子というのは道に志すものという意である。



 
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○ ここに「畏れる」というのは恐怖ではない。敬虔の念を以ておそれつつしむのである。



 




 
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黄金も玉も何かせん
心ばえこそ尊けれ。
とあるが、そういうことをいったものであろう。」

○ 本章の原文にカツコを附した部分は、もと闕文になつていたのを、学者が研究の結果補つたものである。(二八八章の註參照)
 



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○ 陳亢==門人子禽(參照一〇章)
○ 伯魚==孔子の子、名は鯉(參照二六〇章)
○ 原文「不学礼無以立」の「立」を「人としての根本が立つ」という意味に解する人があるが、礼の性質からいつて、「社会に立つ」という意味に解すべきであろう。
 

一四(四三四)


 国君の妻は、国君が呼ぶ時には「夫人」といい、夫人自ら呼ぶ時には「小童」といい、国内の人が呼ぶ時には「君夫人」といい、外国に対しては「寡小君」といい、外国の人が呼ぶ時にはやはり「君夫人」という。

 












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○ 陽貨が孔子の匡における遭難の遠因を作つた人であることは前に述べた。(參照二一〇章註)



 


○ この言葉は、どう訳して見ても、「性相近し、習相遠し」という文語訳に及ばないであろう。
 

三(四三七)


 先師がいわれた。――
「最上位の賢者と、最下位の愚者だけは、永久に変らない。」

○ 原文の「不移」は「上知」にとつては「求道心の不変なること」を意味し、「下愚」にとつては「愚昧の不変なること」を意味する。
○ 本章もまた、「上知と下愚とは移らず」という文語訳を、そのまま生かしたい言葉である。



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※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)使
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○ 武城==魯の邑名。
○ 偃==子游の名。
○ 弦歌==絃歌。孔子の耳に入つたのは、いい音楽だつたので、子游が正しい礼楽を以て民を導いているのを知つたのである。
○ 「※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)を割くに牛刀を以てす」は有名な言葉だ。
 



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○ 原文「東周」の「周」は文王武王が建設した道義の国、周である。魯は周都の東方にあるので、そこを第二の周にするという意味で「東周」といつたのである。
 



 

 




 ()※(「月+(八がしら/十)」、第4水準2-85-20)
()※(「月+(八がしら/十)」、第4水準2-85-20)()()
 
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○ 仏※(「月+(八がしら/十)」、第4水準2-85-20)==晋の大夫趙簡子の領地中牟の代官。
 ※(「月+(八がしら/十)」、第4水準2-85-20)※(「月+(八がしら/十)」、第4水準2-85-20)



 
()
 

 


○ 原文の「六言六蔽」は名高い言葉である。

九(四四三)


 先師が門人たちにいわれた。――
「お前たちはどうして詩経を学ぼうとしないのか。詩は人間の精神にいい刺戟を与えてくれる。人間に人生を見る眼を与えてくれる。人とともに生きるこころを培ってくれる。また、怨み心を美しく表現する技術をさえ教えてくれる。詩が真に味わえてこそ、近くは父母に仕え、遠くは君に仕えることも出来るのだ。しかも、われわれは、詩をよむことによって、鳥獣草本のような自然界のあらゆるものに親しむことまで出来るのではないか。」

○ 一八章の「思無邪」という簡単な表現とあわせ読むと、孔子の詩に対して抱いていた考えが、ほぼつかめるような気がする。
○ 原文「可以怨」は、くだいていうと、「怨むにも詩にあらわれているような怨み方なら罪がない、怨みごとをいうなら詩に学べ」といつたような意味である。



 
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○ 周南・召南==詩経の最初の篇が周南、その次の篇が召南で、共に十首の詩から成つており、修身斉家の道を歌つたものである。



 
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○ 玉・帛==儀式の時に諸侯その他が捧げもつもの。帛は絹製。
○ 本章はむろん礼楽の精神を忘れて、形式の末に走つているのをなげいた言葉である。



 
()



 先師がいわれた。――
「郷党のほめられ者の中には、得てして、道義の賊がいるものだ。」

 調



 


○ 原文の「道聴塗説」は熟語として通用している。
○ 孔子は、実践も出来ないくせに、論語の現代語訳などやるのは徳を棄てるのも甚しいものだと、叱つているわけである。



 




 




 先師がいわれた。――
「ご機嫌とりにろくな人間はいない。」

 



 
()()U+2871F420--6()()

 
 U+2871F420--12U+2871F420--12
○ 楽雅==正しい音楽。



 

 

 


○ 本章の孔子の言葉の解釈にはつぎのような四つの異説がある。
(一)「言葉よりも実行が大切だ、天に学べ、」と教えたという説。
 調



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○ 孺悲==魯の人。哀公の命で、かつて孔子に喪礼を学んだと伝えられているだけで、どんな人か明らかでない。
 
(二)誰の紹介もなしにやつて来たので、右のようなことになつた。
 以上いずれも、孔子の平常の対人的態度から推して首肯しがたいし、あと味がわるい。要するに本章は疑問符を付してなお将来の研究にまつべきであろう。



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○ 予==宰我の名。晝寝をして孔子にひどく叱られたので有名だが(一〇一章參照)ここでもまたきびしい小言を食つている。
 
○ 原文の「期」は一年の意味。



 




 

 




 

 

 

 




 先師がいわれた。――
「女子と小人だけには取扱いに苦労をする。近づけるとのさばるし、遠ざけると怨むのだから。」

 



 








退




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○ 本章は原文があまりに簡約で、そのままではわからないので、筋がとおるだけに補足して訳した。
 
 
 
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○ 柳下恵==參照三九二章註。
 



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○ 季氏・孟氏==共に魯の大夫で、季氏は最上席、孟氏は末席であつた。



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○ 本章は意味が通ずるだけに補足して訳した。
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 ()輿()


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 輿輿

 輿輿
○ この話は、孔子六十四歳の時で、楚に行こうとした頃のことだといわれている。



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○ 列挙された人々のうち、伯夷・叔斉(一六一章參照)柳下恵(三九二章參照)以外の人々は、どんな人か詳らかでない。
○ 朱張についての孔子の評言がないのは、多分脱落したのであろう。
 使



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○ 亜飯・三飯・四飯==王の食事は毎日四回で、食間に音楽を奏させたので、その時々の受持の楽師を「何飯」と呼んだ。「亜飯」は第二の食事の時の楽師をいうのである。
 



 


○ 周公==參照二六九章。
○ 魯公==周公の子伯禽、魯公に封ぜられた人。
○ この言葉は伯禽が封をうけてはじめて魯に入国した時に与えられた訓戒である。
○ 本章にも原文に「子曰」がないが、全体が孔子の言葉であろう。

一一(四七一)


 周に八人の人物がいた。伯達はくたつ※(「二点しんにょう+舌」、第4水準2-89-87)はくかつ仲突ちゅうとつ仲忽ちゅうこつ叔夜しゅくや叔夏しゅくか季随きずい季※きか[#「馬+咼」、U+9A27、433-下-2]がそれである。

○ これも原文に「子曰」がないが孔子の言葉であろう。
 
[#改ページ]











 




 




 

 

 


 



 




 




 




 




 子夏がいった。――
「小人が過ちを犯すと、必ずそれをかざるものである。」

○ この言葉は痛い。論語の中でも最も痛い言葉の一つである。



 




 


○ ここでの君子はむろん郷大夫の如き為政家を意味する。

一一(四八二)


 子夏がいった。――
「大徳が軌道をはずれていなければ、小徳は多少の出入りがあっても、さしてとがむべきではない。」

○ 大徳は五倫五常といつたような道徳の大本になるもの、小徳は坐作進退の如きものを指すであろう。
○ この言葉は、万事にひかえ目で細心な性格の子夏の言としてはめずらしい。次章における子夏と照らし合せると一層そういう感じがする。



 

 


○ 言游==子游。
 



 


○ この語は前段と後段との順序が逆になつているのではないか、という説がある。なるほど、それがわれわれの常識に合致する。



 




 
()

○ 張==子張



 


○ 前章といい、本章といい、子張は同門の人たちにきびしく批難されているが、よほど人と相容れないところがあつたと見える。



 




 
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○ 孟荘子==魯の大夫、仲孫速。父の孟献子は賢大夫としてきこえた人であつた。



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○ 孟氏==魯の大夫、孟孫氏。
○ 陽膚==曾子の門人。



 
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○ 紂王については四六一章註參照。



 




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○ 公孫朝==衛の大夫。
○ 仲尼==孔子のあざ名。



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殿()()()

○ 叔孫武叔==魯の大夫。名は州仇。
○ 子服景伯==三七〇章註參照。
○ 原文に「夫子」という語が二回出ているが、前の「夫子」は孔子を指し、後の「夫子」は叔孫武叔を指す。



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○ 子貢が孔子のことを「仲尼」と呼んだのは、相手が大夫で、孔子より高位の人であつたからである。



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○ 本章は孔子の死後の対話だという説もある。
[#改ページ]











 

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○ 履==湯王自身の名である。



 

 

 

 
()
 
姿
 

 




 


○ 「君子」という言葉は「天命」に関してだけ用いられているが他の二つの場合にも共通するものと見るべきであろう。
 





底本:「下村湖人全集 第五巻」池田書店
   1965(昭和40)年5月15日発行
※「參」と「参」、「參照」と「参照」、「万事」と「萬事」、「帯びた」と「帶びた」、「野蛮」と「野蠻」、「禮楽」と「礼楽」、「晋」と「晉」、「萬一」と「万一」、「昼寝」と「晝寝」、「回」と「囘」、「民謡」と「民謠」、「祝[#「魚+它」、U+9B80、288-下-8]」と「祝駝」、「鄭」と「[#「猶のつくり+おおざと」、U+2871F、374-上-2]」、「大司冦」と「大司冠」、「礼」と「禮」、「乗」と「乘」、「糸」と「絲」、「焼」と「燒」、「台」と「臺」、「隠」と「隱」、「栄」と「榮」、「予」と「豫」、「双」と「雙」、「偽」と「僞」の混在は、底本通りです。
※各章の終りの語句の註解、訳者の簡単な所見、感想等の拗音、促音の大書きは、底本通りですが、ルビの拗音、促音は、小書きしました。
※なお各章本文の拗音、促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。
入力:tatsuki
校正:酒井和郎
2016年5月1日作成
2021年10月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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