桃花源記序

狩野直喜




桃花源記并序
桃花源の記ならびにはしがき、
12
晉の代、太元の頃かとよ、武陵の魚を捕ふる業なすをのこ、谷川にそひ、(舟にて上りしが)路の遠近を辨まへず、上りける程にふと見れば、桃花の林あり、兩岸を夾さみたる數百歩の中には、ひとつの雜木だになく、(其(3)下には)、かうばしき草うるはしく茂りあひ、風に吹かれ花びらのひらひらと「散るさま得も言はれぬ景色なり」
4便便

5※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)
また數十歩ばかり行きけるが、胸すくばかりにひろ/″\と打開らきたる處へ出でつ、見ればいかめしき家居の傍に、良田(よきた)美池(うるはしきいけ)桑竹くはたけのたぐひあり、東西南北に人のゆきかふ小路正しく連らなりて、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)犬の此處彼處になく聲もいとのどかなり、
其中往來種作。男女衣着悉如外人。黄髮垂髫。並怡(6)然自樂。
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便7※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)
漁人を見つゝいたく打驚き、いづかたより來り給ひしと問ふに、くはしく答へたりしかば、いざ我家わがやへとて、いなむをうながし、つれ還へり、酒をまうけ、にはとりを殺し、ねんごろに、ふるまひなすうちに、村のものども、まれびとありと聞きつ、みなこの家へ尋ね來りぬ、
8※(「りっしんべん+宛」、第3水準1-84-51)

餘人各復延至其家。皆出酒食。停數日。辭去。
かくて村のものどもまた各をのこを家へ請じ、酒食を供へてもてなしければ、覺えずとゞまること數日にして去りぬ。
此中人語云。不足爲外人道也。
其時(9)皆々見送りける其中の一人、御身ここへ來たり給ひしこと他の人々に語るにも及ばぬことに候ぞやといひつつ相別れけり、
便10

南陽劉子驥高尚士也。聞之欣然親往。未果。尋病終。後遂無問津者。

南陽の(11)劉子驥といへるは世に聞えたる氣高き人物なりしが、此話を傳へきき、(めづらしき處かな、我こそ親ら往き見むと)いさみしに、未だ果たさぬうちに病を得てみまかりぬ、かくて其後にかの船着場を問ふ人は絶えてなかりしと言傳へける、


1
(2)「逢フ」ハ思ハズ出逢ヒタル事ナレバ、「ふと見れば」ト譯セリ。
(3)「其の下には」ト原文ニナキモ、木ト花草ノ關係ヨリ入レ候ヘドモ、必要ナキヤウニ思ハル。
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7便()便()便
(8)原文ニハ「自云」トノミアリテ、何人ノ言タルヲ明言セザレドモ、家ノ主人ノ語ト見ルベキヲ以テ「あるじ」ヲ加ヘタリ。カヽル文字ハ後世古文ヲ書クニモ使用セズ、必ズ何人ト明記ベキ所ト思ハル。
9
10)即遣人隨其往。ノ助辭甚力アルヲ以テ、「さらばとて」ト譯セリ。

11)南陽劉子驥。此レハ俗物ノ太守ト反對ナル人物ヲ取上ゲ、一ハ人ヲ遣リテ失敗シ、一ハ病死シテ目的ヲ達セズ、之ヲ双ツ列ベタル處ニ面白味アリ。高尚士ヲ氣高キトシタレドモ、内容狹キ感アリ、他ニ適當ノ邦語無之候哉。其人柄及ビ當時此話ヲキヽシ時ノ心持ヲ想像シテ數語ヲ加ヘタリ。






※(「簒」の「ム」に代えて「良」、第4水準2-83-75)
   198055630
 5
   1948238
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2006113

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