戀は盲目だとか、昔からの諺である。相手が惚れた男なら、あばたもえくぼに見えるように、所詮、戀人は批評の外の存在である。私の﹁大菩薩峠﹂に對する氣持も、正直に言えばその通りで、全く批評を超えたものである。
がしかし、私がかほど戀する﹁机龍之助﹂とは、原作者がいうところの机龍之助とは違うかも知れない。
或は小説が﹁大菩薩峠﹂の作者には思いも及ばない龍之助であるかも知れない。何となれば、私の謂う﹁机龍之助﹂とは、曾つて私が舞臺上に創作した机龍之助であるから。もつと詳しく云えば、その龍之助は、小説畑に生えた﹁大菩薩峠﹂の種子を、別に、全然地味に、異つた演劇畑に播いて育てた別の龍之助である。︵これは如何なる小説の劇化にも已むを得ない當然の結果である︶――しかもこれを栽培した私は、全然私自身の遵奉する私の演劇主義によつてその枝ぶりを作り、その葉を刈つたことは、これもまた已むを得ぬ演劇藝術の必然といわねばなるまい。要するに同じ松でもその松は別個の松である。同じ﹁大菩薩峠﹂の机龍之助でも、これは私の演劇術によつて創作された別の机龍之助である。言わば私は、松の木の有するあるよさを選んだのである。
そして別に畑の異う舞臺の上の松を創造したのである。自然そこには私獨自なるものがある。從つて、私の謂う﹁机龍之助﹂は、原作者が恐れる訪問作者の筆や、映畫の上に剽盜さることを憂うることは少しもないものである。
例えば何人が眞似ようと、何人が改作しようと、嚴として獨自の存在性を持して保ち得る私の藝﹁机龍之助﹂なのである。
そこで、私が私の戀する﹁机龍之助﹂を批評する――これは甚だ困難なことになる。それは、とりもなおさず、私自身の創作を發表し、辯護することになる。これではどうしても批評にはならない。たゞ一と口、強いて云えば、それは難かしい法樂とか、悟道とか、そういう言葉ではなく、はなしに即してベストの効果を期してなされた私の藝術的法悦――即ち眞演劇的なる藝術に即してベストの効果を期してなされた私の創作、これ以外多くを語る氣持にはなれない。と云つて、私の胸から、かくいう戀人﹁机龍之助﹂の姿を除いて、そこに他の﹁机龍之助﹂の思い描かれよう筈がない。
かように戀人﹁机龍之助﹂を心に持つ私が、例えいかに力めるにしても、その他の﹁机龍之助﹂を批判し云爲することは、これこそ評される﹁机龍之助﹂にとつて有利な譯がない、これは避くべきであると同時に、またその時期でもあるまいと信ずる。
要するに私は小説﹁大菩薩峠﹂を批判するには、餘りに多く自分自身の﹁机龍之助﹂に心ひかれるのである。――これを以て私の﹁机龍之助﹂感に代えることにする。
︵﹁中央公論﹂昭和三年三月︶