築地座の『旧友』

岸田國士




 エドモン・セエの「旧友」は、辰野隆氏によつて巧みな翻案が企てられ、私が予て主張する「西洋劇の消化」が、ここに、一個の前例なき舞台的見本を提供したことは、ひそかに快とするところだ。
 勿論、あの舞台に、西洋劇のもつ「エキゾチズム」を求めるなら求める方が無理で、そこは翻案者の意図に俟つべきであるが、それだけ、原作の「戯曲的スタイル」を保ちつつ、わが国の作家が未だ企て及ばなかつた心理表現の妙味を発揮し、且つ、人物の性格に思はせぶりな曖昧さを残さなかつたといふことが、俳優の演技感覚を「隅々まで」行き亘らせる結果となつたのである。
 作品そのものは、他奇のない小品であり、一九二〇年代のありふれた写実的心理劇にすぎぬが、現代の演劇は、如何なる流派も、一旦、この関門を通過した為であつて、俳優の表現能力は、これを試金石、乃至、踏台として、個々の鍛錬を加ふべき性質のものである。また、それは同時に、かくの如き舞台の到達し得る妙境こそ、一個の優れた俳優が、その至芸を破綻なく、自由に、そして最も「個性的に」示すことによつて、観客を完全な陶酔境に導き終るものである。果して、築地座の舞台は、新劇が嘗て「突き破り」得なかつた殻の一部を見事に突き破り、それは、必ずしも眼を聳たしめるやうなものではないが、見るものが見れば、そこには、日本新劇の将来を、微かに認めさせる程度の成功が匂つてゐた。(一九三三・一)





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tatsuki

200995

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