ゼンマイの戯れ(映画脚本)

岸田國士




主なる人物
  
  
  
   
  
  
   


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第一巻



古ぼけた柱時計が大きく映る。針が零時十五分を指してゐる。
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振子を振つて見るが、すぐ止まつてしまふ。



時計の内部が映る。ゼンマイが外れる。

此の画面が次第に消えて、次の情景が写し出される。



妻のたけ子は庭の一隅で張物をしてゐる。
富子は母に何かせがんでゐる様子である。
――お父さん、富子が、お友達のとこへ行きたいつて云ひますよ。
平造の慈愛と威厳とを無器用に交へた表情。
――今日はやめとけ。後でお客さんがあるから……。
富子の不服らしい顔附。
母親の富子をたしなめてゐる様子。
平造は、娘の気を惹くやうに、
――安田が、また、トランプをしに来るつて云つとつた。
姿

――今年は芍薬がよく出た。



簿
――はゝあ、なるほど、これは便利なもんだね。君の考案かい。
平造一寸恐縮する。
――此の写真は、大連汽船にゐるつていふ息子さんだね。
――はあ。
上役は、なほ、その組立てを検めながら、
安田君と呼ばれた隣席の男は、どつちもつかぬ笑ひ方をしてゐる。上役は、上機嫌で、
――暇があつたら、僕にもこれと同じやつを一つ、こしらへて呉れないか。
平造は、大いに面目を施して、上役に一礼する。
隣席の青年は、更めて、そのカレンダアを取り上げる。
――さう云や、さうですね。新案特許なんてものは、すぐ取れるらしいですよ。
向ひ側の男が手を出す。隣席の男の手からカレンダアを受け取る。それをつくづく見ながら、

――笠原式……何とつけたらいゝかね。



平造は、隣席の安田と共に役所の門を出て来る。
青年が頻りに話しかけるのを、上の空で聞いてゐる平造――彼は時々、自分の空想に向つて笑ひかけてゐるらしい。
平造の頭の中をかすめる幻影――

汽缶車――自動車――飛行機――電線――電話――ラヂオのアンテナ――電車――工場に於ける歯車の廻転――化学実験室――学者が試験管を振つてゐる――図書館の本棚――欧文の書籍――その頁が順々にめくれて行く。



退

――畜生! あんなものは、なんでもない。水の圧力を利用しただけだ!



家の門口である。平造は元気よく玄関の格子を開ける。
たけ子の話

姿姿姿

妻と娘とは、あつけに取られて、平造の顔を見る。



夕食後――
平造は、夕刊を読んでゐる。
妻と娘は、針仕事をしてゐる。
圭次は、腹這ひになつて、絵を描いてゐる。

平造は、次の新聞記事に目をとめてゐる――




遠山平造氏の世界的発明
    ――飛行機垂直離陸の実験成功――

      ▲航空史上の一大記録▼

平造は、新聞を下に置いて、眼をつぶる。すると、次のやうな活字が表はれる――


笠原平造氏の世界的発明





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1


平造の考へ込んでゐる顔――










2


平造は、いろいろな読物を読みはじめる。







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姿


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――五月蠅い! おれが何をしてるか、それがわからんか。

たけ子は諦めて部屋を出る。



――どうしたんだ。
――少し熱があるらしいんです。
 と、たけ子が答へる。
平造は、病人の顔をのぞき込む。
――どこが痛い?
病人は何か云つてゐるやうであるが、平造の耳にはいらない。
――富子、医者を呼んで来い。
――お待ち、わたしが行くから……。
たけ子は、かう云つて起ち上る。

此の時、三人の眼は、云ひ合はしたやうに、止つた時計の上に注がれる。



役所の卓子の前で考へ込んでゐる平造。




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――君は近頃、どうかしてるね。

平造は、やゝ窮屈な笑ひ方をする。が、だんだん反抗的な態度を示して来る。


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ある小さなカフエー。――平造と安田とが卓子に向ひ合つてゐる。
――新案特許は駄目でしたか。
――何んです、今度のは?
――何んだと思ふね?
――さあ……? 鉛筆削りですか?
――馬鹿云つちやいかん。
それから、平造は、手真似身振を交へて、新発明品の説明をする。
――ねえ、安田君、さう思はないかね。
――そいつは、たしかに、いゝですな。
――第一資本を手に入れる必要があるんだ。
――いやだ。あいつの力は借りたくない。
――からだを動かすことなら、僕を使つて下さい。
――あゝ、君には、いろいろ相談するつもりだ。君は文章がうまいから広告文を書いて貰ふかな。
――ビラ撒きだつてやりますよ。
――はゝゝゝゝ。

両人は愉快さうに笑ふ。


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圭次の病床。――

医者が脈を看てゐる。そこへ平造が帰つて来る。


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座敷。――平造と医者とが対坐してゐる。
――どうも、私では少し不安ですから、どなたか専門医にお見せ下さいませんでせうか。
――余程重態でせうか。
――可なり重態だと思ひます。どうですか、いつそ病院へお入れになつては……。

平造は黙つて考へ込む。


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茶の間。――
たけ子が独り、圭次の枕元に坐つてゐる。

襖越しに医者の云ふことを聴き取らうとしてゐる。


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――北野に相談して見ようか。
――およしなさいね、それだけは……。
――ぢや、どうする。
――政一のところへ云つてやつて見ませうか。
――あいつにか……。

――でも、ほかの場合と違ひますからね……。


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使




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――実は、このことについて、御相談に上つたんですが。
良作の怪訝な顔。
平造は、こゝぞとばかり、
――なに、少し資本さへあれば、きつと成功するだらうと思ふんです。
良作は苦笑しながら、
――わたしも、自分の関係してゐる仕事に、もつと資本が欲しいくらゐなので……。
平造は、黙つて対手の顔を見てゐる。明かに失望の色が見える。
良作はそれを慰めるやうに、

平造は、頭を下げる。そして、逃げるやうに外へ出る。


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1


港に碇泊してゐる汽船の舷梯。
三等運転士笠原政一は、今、一通の長い手紙を読み了つたところである。唇がかすかに顫える。

手紙の一端が翻る。



政一どの   母より


 といふ字がはつきり読める。
政一の顔はだんだん悲痛な色を帯びて来る。彼は今、眼の前に一つの情景を描き出してゐる。
退




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3


平造の役所の事務室。
平造の席ばかり空いてゐる。隣席の安田は、向ひ例の同僚と笑ひながら話をしてゐる。
――笠原君には、近頃会ふかい。先生よりも、娘さんにやどうだい。
安田は案外真面目である。
――えゝ。
――箱車の日覆は、やつぱり駄目かい。
――雇主に理解がないんで、どうにもならないつて云つてました。しかし、今度考案したのが当れば大したものでせう。
――何だ、今度のは?
――当てゝ御覧なさい。
――鼠取りだらう。
――あ、どうして知つてるんです。
宿
――結局、気楽だつて云つてましたよ。

――あれで、なかなか、負惜みが強いから……。



病院。圭次の病室。




5


平造の家。――小使風の男が玄関を開ける。
――佐竹病院から参りました。すぐ皆さん、病院へおいで下さい、坊ちやんの御容態が少しお悪いやうですから……。
富子が飛んで出て来る。すぐに奥にはいる。
富子は座敷と茶の間との間を行つたり来たりする。そして、おろおろ声で、

――お父さんはどうしたらいゝだらう。



病院。
――お父さんは、何処へいらつしやつたか、わからないの。
医師は脈を取りながら、
――まだ大丈夫です。

一同は気が気でないといふ風に、絶えず戸口の方に眼をやる。富子だけが、眼にハンケチを当てゝゐる。



荒物屋の店先で、新案蠅取器を手に取つて仔細に見てゐる平造の姿。



男は、かう云ひながら、それらの動物を動かして見せる。
 
かう云ひながら、手早く、玩具のゼンマイを捲き直す。
鹿
――どうです、一つ、旦那、お土産に亀の子は如何です。
此の頃から、買手が盛に現はれる。銀貨や白銅をつまんだ手が、あつちからもこつちからも出る。
――兎をくれ給へ。
――おい、亀の子。
――蛇を二匹くれ、二匹。
――蛇と蛙を交ぜてくんな。
みんなの笑ひ顔。
忽ち商人の膝の前には白銅と銀貨の山が築かれる。




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病院。

戸が開く。平造が悄然と、疲れ切つた姿を現す。たけ子の険しい眼付。平造は圭次の枕元に近づく。圭次の手を取る。その間、一言も発しないたけ子は、遂にゐたゝまらないやうに座を立つ。よろけながら戸口に近づく。戸を開ける。と同時に、袖を眼に押し当てる。姿が消える。


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病院の長い廊下。――薄暗い電燈の光り。
――ちつとも知らなかつたよ。
――あなたは、まだ、御自分のしてらつしやることがわからないんですか。
――わるいことはしてやしない。
――結果は同じことですわ。あたしは、もう決心をしました。
――どういふ決心――?
――おれの仕事を、もう少し理解してくれなくちや困る。おれの才能を何処までも伸ばさせてはくれないのか。
――それよりも、あなたはあなただけの仕事をしてゐて下さい。その方がみんなのためですわ。
――それが解る前に、あたしたちは世間から見放されてしまふでせう。

此の時、病室の戸があいて、看護婦が手招きをする。たけ子、急いで病室に入る。平造之に従ふ。但し、看護婦の様子は、決して、彼等に危険を予感させる程度であつてはならない。


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――ようし、あした来る時持つて来よう。




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姿


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1


平造の家。




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玩具屋の店先。




5






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――あれですか、あれやお手に合ひますまい。
 と云つて取り合はない。




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姿

しばらくスケートは調子よく滑走を続けてゐたが、忽ち、車が廻らなくなる。平造は、前にのめる。急いで、修繕に取りかゝる。子供がたかつて来る。平造は、汗だくだくで、大人の面目を立てようとあせつてゐる。



病院。
圭次の枕元で、たけ子が居眠りをしてゐる。――静かな病室の朝の日ざし。
医者が回診に来る。
――もう一と息です。今が一番大事な時ですよ。

――お蔭様で命拾ひを致しました。



北野法律事務所の応接室。
良作と平造とが向ひ合つてゐる。
――どうです、一つわたしの会社で働いて見ませんか。
――家内から、さういふことをお願ひしたのではありませんか。
――あゝ、さうですか……。信用できないと云はれゝばそれまでゝす。
――笠原君……。
平造は黙つて立ち上る。明らかに憤懣の情を抑へてゐる。

良作は沈痛な面持で平造を見上げる。


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公園。――薄暮。

野良犬が一匹、尾を垂れて通る。


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電車の中。――

電車の中に並んでゐる無表情ないくつもの顔。


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夜店。
平造の顔が、大きく笑ふ。

――何と、うまいものを考へ出す奴がゐることよ! だが、おれは一体、何をどう工夫すればいゝのだ?


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平造は富子の給仕で、形ばかりの夕食の膳に向つてゐる。




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其処へ、ノンキナトオサンがノコノコ歩いて来る。
ノンキナトオサンは、いきなり踊り子の手を取らうとする。
――あれだ!
調
――ようし、占めた!

平造は更にかう叫んで、富子の両手を取る。


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大きな白い手が、ゼンマイのネヂを捲き終つたところである。




第五巻



次の文面が読まれる。
便便
退


十月二十一日
政一殿

――危い!
 退
母と妹の淋しく笑ふ顔が、その瞬間、政一の眼の前に浮ぶ。
白い服を着た支那の女が、手を叩いて笑つてゐる。

政一は苦笑する。



長い間。
襖が開いて平造が首を出す。
――お母さんは?
富子は答へる。
――まだ。
平造首をひつ込める。
長い間。

平造再び顔を出す。今度はすぐひつ込める。



姿




4


平造の家の茶の間。
たけ子は風呂敷をほどいて、着物を出す。富子がそれを検めてゐる。
――やつぱりお前にや地味だね。
そこへ、出し抜けに平造が帰つて来る。二人の方にちらと視線を投げ、黙つて奥にはひる。

――少し地味だね。



そこへ人間の手が出て、両方の独楽を廻し直す。
――はつけよい、のこツた。

勝負が終る毎に、この勝負相応の笑ひ方で、盛んに景気をつける。







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8


――お前はすぐにお父さんの肩を持つけれど、お父さんは、あたしたちのことを、ちつとも考へてやしないんだよ。
――その「いよいよ」……を、何度聴かされたことやら……。それよりお前、あの返事を聞きに行かなくつてもいいのかい。




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――いつか話した玩具ね、やつと出来上つたんですがね、一つ、見てくれませんか。
平造は、包みをほどく。独楽を取り出して、それを廻して見せる。
――誰にでも出来る遊びなんです。
――なるほどね。
――特許出願中ですが、むろん、おりると思ふんです……。
――面白いですな。
――面白いでせう。
――しかし、よつぽど広告をしないと売れませんな。
――それやもう、広告はするつもりです。
――どうです、玩具を作る会社へ相談なすつて見たら……。
――はゝあ、さうですな。然し権利を手放したくないんです。
――それもさうですね。
――千や二千の端た金でね。
――それなら一つ、御自分で工場でもお建てになるんですな。
――それには、やはり、なんでしてね。
――さやう。
――どうでせう、一つ、共同でやつて見る気はありませんか。
――共同と云ひますと……。
――いや、資本を少し出して下されば、わたしが万事仕事の方は引受けますから……。
――資本をね……。




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姿


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姿


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北野法律事務所の入口。

平造がその前に往つたり来たりする。


13


平造の家である。
退
――僕、立つて見ようか。
――駄目だよ、そんなことしちや……。
――もう、立てるよ、きつと……。
――駄目、駄目……。おつ母さんに云ひつけるよ。
そこへ、たけ子が現はれる。
――どうもお世話様……。富はどうしました。
――まさか……。
安田はさう云つたものゝ、相手の返事が、ぴたりと来ないので、てれかくしに、
――遅いなあ、大将は……。

――どうせ、何時のことだかわかりませんよ。


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北野法律事務所の応接室。
平造は、例の独楽を機械的に廻しながら、努めて対手の顔を見まいとしてゐる。
呼鈴を押す。給仕が現はれる。
――あ、此の方を御案内して……。それから、すぐに出掛けるから車の用意……。

平造は、しかたなしに独楽をしまふ。


15


再び平造の家。安田が帰るところである。
――ぢや、今日の結果はあしたの朝聞きに来ます。どうかよろしく。
安田が帰ると、入れ変りに、富子が、何処からか姿を現はす。
――お前何処へ行つたの。
返事をしない。
たけ子は馬鹿らしくつてたまらないといふやうな顔をして台所に行く。
富子は、圭次の傍にすわる。
――もう一軒、頼んで来とかうかしら……カフエーだつていゝぢやあないの……。
返事がない。
――圭ちやん、もう横におなり。あんまりさうしてるとくたびれてよ。
――うゝん、もうさつき寝たんだよ。姉ちやん、こら……。

――おつ母ちやん。
 富子も、之に和して、
――母さん、はやく来て御覧なさい。圭ちやんが、立てるわよ。
 此の声に、母は、台所から姿を現はす。
――あら……。
 
――圭坊……。

 遠くから両手を前に出す、両眼に涙が光る。


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日東玩具製造会社といふ表札のかゝつた門。




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平造は、ある玩具屋の飾窓をのぞいてゐる。その中に、「新案特許相撲独楽」といふ札のついた箱入の玩具が陳列してある。
――一寸、そいつを見せて呉れないか。
玩具屋の主人が出て来て、奥から別の箱を出す。
――これは、何処で作つてゐるのですか。
――えゝと、裏に書いてありませう。
――これは何時頃から売り出したんですか。
――さあ、最近は最近ですが……。
――他処では、あんまり売つてませんね。
――左様ですか。
かう云つて、平造は、包みを解く。主人は訝しげに平造のすることを見てゐる。
――なるほど。




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玄関の格子が開く。二人は同時に耳を聳てる。
玄関では、平造が、今迄見たこともないやうなはしやぎ方で、
――万歳、万歳!

 


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平造は、徐ろに口を開く。
――さあ、いよいよ、おれも本望を達した。

――今度は大成功だ。
――なに、どんなもの? ね、お父さん。
――なにを作るのよ、お父さん。
 
――これだ。ね、最新式拳闘独楽つて云ふんだ。
二つの独楽は、皿のやうな台の上で廻る。

圭次は、まだ、無心に独楽を見つめてゐる。
富子の眼が、先づ曇りはじめる。

たけ子は、流石に、失望を通り越して、ある新しい危機を予感してゐる。しかし、その予感は、平造の、あまりにも打ち萎れた姿の前で、寧ろ、一種の深い喜びに似た感動に変つて来る。彼女は、はじめて、何かしら、熱いものを胸の奥に感じてゐるらしい。


22


(終り)






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tatsuki

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