遂に「知らん」文六(三場)

岸田國士




河津文六
妻 おせい
倅 廉太
娘 おちか
梶本京作
お園
其他 亡者、鬼など大勢

時――大正×××年一月三十二日

処――大都会の場末
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第一場









文六  れん太のやつ、一体、何処へ行つてやがるんだらう、今ごろまで……。


(沈黙)

おせい  ほんとなんでせうかね、一体、地球がつぶれるなんて……。


(沈黙)

文六  (頤で二階を指し)おちかは、もう呼ばんでいゝか。
おせい  いゝぢやありませんか。どうせ今夜限りの命なら、一つ時でも、先生のそばに……。

文六  それがいゝことかどうか、おれにはまだわからん。




文六  (独言のやうに)また始まつたな。

おせい  (これも独言のやうに)どういふつもりでゐるんだらうね、あの人達は。


(楽隊の音次第に遠ざかり、人影消え去る。長い間)

文六  (居眠りをしはじめる)
おせい  あんた、風邪を引きますよ。
文六  (夢現にて)おれは、何んにも悪いことをした覚えはない。
おせい  ねえ、あたし一人、ほうつといちや、いやですよ。
文六  うん……? いま、すぐだよ。
おせい  あんたつてば……なんて呑気な人でせうね。居眠りなんかしてる場合ですか。

文六  うん……お前にはいろ/\苦労をかけたよ。




おせい  あんた。

文六  (答へない)




おせい  (悸えて)あんた、いよ/\時間ですよ、もう……。

文六  (答へない)



――幕――



第二場






文六  一寸、お尋ね致します。
女の声  (勿論、事務員らしき口調)なんですか。
文六  私は河津文六と申すものですが……。
女の声  河津文六さんですか。(傍らの誰かに)ちよいと、あんた、名簿を見て頂戴。
別の女の声  ないわ、そんな名前。戒名を聞いて御覧なさい。
女の声  あなた、戒名はなんておつしやいます。
文六  戒名……戒名と申しますと、あの、私は……救世軍……。
女の声  救世軍……何ですか。
文六  あの、耶蘇教の……。
女の声  救世軍耶蘇教居士やそけうこじですか。
文六  (曖昧に)へえ。
  簿
文六  葬式もなにも……実は、その、昨夜でござんしたかな……例の、地球と彗星はうきぼしとが衝突いたしまして……。
女の声  (別の女に)気ちがひよ、これや。
文六  まだ、さういたしますと、こちらへは通知がまゐつてをりませんのですか。
女の声  しばらく待つてゐらつしやい。調べてあげますから。

  

(この時、右手より、一人の亡者、何か考へ込みながら現はれる。)

亡者甲  (一寸、文六に笑ひかけ)こゝに待つてゐればいゝんですか。
  
  
文六  へえ、何か……。
亡者甲  昨晩、何かあつたんですか。

文六  (膝を乗り出し)実はね……なるほど御存じありますまいな、実は、一昨日の夕方でした……。




女の声  あら、また、いらしつたの。
亡者乙  (苦笑しながら)今度は、いよいよほんものぢやよ。
別の女の声 (名簿を探しながら)えゝと、金山高成さんはと……一月十九日……いゝわ。
亡者乙  もうぢきかね。
女の声  (別の女に)もう三人だから知らせてもいゝわ。
  
  
文六  (恭しく頭を下げ)私も、元老院の書記をしとつたことがございます。閣下がまだ副議長をしてをられたころでございますから、例の大正十二年の震災前でございます。
亡者乙  はゝあ、さうぢやつたか。
文六  (親しげに)長らくお患ひになつてをられましたやうに、新聞で承知いたしてをりましたが、ついお見舞にも……。

亡者乙  いや、どうも、今度は弱つたよ。なにしろ(胃を押へ)こゝが利かんのでな。


(此の時、城門の扉が、サツト開き、士官の服装をした青鬼と、下士らしき赤鬼、兵卒らしき黒鬼が、それぞれ武器を手にして現はる)

赤鬼  (亡者一同に向ひ)みんなこゝへ出ろ。


(文六を先頭に、亡者甲、乙、程よき処に並ぶ)

青鬼  (赤鬼に向ひ)点呼。
  簿調()()
亡者甲  はい。(一歩前に出る)
赤鬼  戒名は。
亡者甲  近隣迷惑妻惚居士きんりんめいわくさいのろこじ。(あたりを見まはし、一寸、もぢ/\する)
赤鬼  在世中の職業。
亡者甲  音楽家。
青鬼  (優しく)専門は。
亡者甲  ヴアイオリンです。
  
亡者乙  足が冷たくてしやうがないが、なんとかならんもんかね。
赤鬼  口を利くんぢやない。
青鬼  まあ、判決でも済んだら、ゆつくり話しませう。(赤鬼に、続けろといふ合図をする)
赤鬼  姓名は音羽久一……戒名が近隣迷惑妻惚居士……職業は……。
亡者甲  音楽家。
赤鬼  位階勲等。
亡者甲  は? いや、ありません。
赤鬼  (青鬼に向ひ何か耳打ちしたる後)よし……その次、金山高成。
亡者乙  わしぢや。
黒鬼  わしぢやとは何んか。
亡者乙  (よく聞き取れぬらしく)あ、戒名をいふのか。
赤鬼  (青鬼と顔を見合せて笑ふ)これが、例の一遍、送り返された奴であります。
青鬼  (うなづき)いゝから調べろ。
赤鬼  戒名。
亡者乙  一ぺん死殿またゐん天下狼狽居士らうばいこじ
女事務員  (大声にて笑ひながら顔を引込める)
赤鬼  在世中の職業。
亡者乙  元老院議長……正一位……。
赤鬼  まだ、まだ。位階勲等。

亡者乙  正一位大勲位公爵。


(此の時、女亡者丙、疲れた足を引摺りながら現はれる)

青鬼  (赤鬼に)また一人来た。序に調べちまへ。
  
文六  河津文六と申します。
赤鬼  戒名は。
  
青鬼  そんなことは、後で聞かう。戒名なしとしとけ。
赤鬼  はツ。在世中の職業。
文六  麺麭ぱん屋でございます。大正十二年の震災前までは……。
赤鬼  最近のだけでいゝ。
文六  へえ。
赤鬼  位階勲等はないな。
  
赤鬼  よし。(女亡者丙を院で招き)えゝとお前は、気むらの……だね。
亡者丙  (はにかんで)はい。
赤鬼  戒名は。
亡者丙  (気取つて)あの、独身其実どくしんそのじつ情信じやうしん女と申しますんでございますんですよ。
赤鬼  在世中の職業。
亡者丙  あの、女医でございます。産科婦人科と小児科を専門にいたしてをりますんでございますんですけれど……。
青鬼  詳しいことはいゝです。
亡者丙  あの一寸伺ひますが、わたくしの信仰といたしましては……。
赤鬼  何かいふことがあれば、後で聞くから。(独言のやうに)位階勲等はなしと。
青鬼  終つたね。
赤鬼  はあ。ぢや、連れてまゐりますか。
青鬼  (うなづく)

赤鬼  気をつけツ。


(一同、姿勢を正す)

赤鬼  (黒鬼に)上等兵は先頭。(黒鬼一同の右翼に列す)右へならへツ。


(一同、右へならふ)

赤鬼  番号!


(一同、番号をつける)

赤鬼  そのまゝ、右向け右ツ。


(一同、右を向く)

赤鬼  しつかり、歩調を取つて、前へオイ。


(一同歩調をそろへて歩き出す)

赤鬼  オイチ、ニイ……オイチ、ニイ……オイチ、ニイ……。


調

――幕――



第三場







おせい  ちよいと、あんた、どうしたんでせう。もう十一時すぎましたよ。
文六  (之には答へないで、時計の方を見る。全く無表情)

おせい  うそだつたんでせうか。


(この時、二階より、京作、おちかと共に降りて来る)

京作  どうしたんでせう。


(長い間)

おせい  先生この時計は合つてをりますでせうね。
京作  (手に握つた懐中時計を見せて)合つてますとも。
おせい  間違ひだつたんでせうか。

京作  さあ。外も静かですね。




京作  (おちかに)寒くはありませんか。

おちか  (かぶりを振る)


(この時、戸外が急に騒がしくなる。「号外」「号外」と呼ぶ声。京作、勢よく起ち上り、外に飛げ出す。しばらくして、一枚の号外を手にもち、帰り来る)

  
おちか  (京作の手から号外を奪ひ取り)もういゝわよ、あとは読まないだつて。
  
文六  (黙つて炬燵の上に顔を伏せる)
京作  (おせいに)お神さん、あなたからも一つ、よろしく、そこを……。

  

(戸外に叫ぶ声、笑ふ声、泣く声などが聞える。それが、一としきり鎮まると、今度は、例の三味線、笛の囃子と、ラツパ、太鼓の楽隊が聞え出す。それに交つて、「こら、こら、静かにせんか」「早く家へはいつて眠ろ」「職務の妨碍をするかツ」といふやうな声が聞える。群集の喚声。「軍隊が来たツ」といふ声。あとは寂寞)

おせい  (いきなり、文六の手を取りて泣き出す。文六はうつ伏したまゝでゐる)

京作  (おちかの手を握り、感極まつた笑ひ方をする。おちか、うつとりとして、その手を頬にあてる)


(俄かに、表の戸が開く。廉太が飛び込んで来る。一同の顔を見比べる。一寸、もぢもぢする。)

おせい  あらツ!
文六  (廉太の顔をしげしげと見守る)
廉太  お父ツつあん、よかつたね。
おせい  お前、何処へ行つてたの。
廉太  新町公園……。
おせい  なにしにさ。
廉太  何にしたつて……。
おせい  寒いね。まあ、障子をお閉めよ。
  
おせい  病人なら、早くいれておあげよ。外は寒いぢやないか。

廉太  (この言葉に勢ひを得たらしく、いそいそ店先に行き)おはいんなさい。


(廉太の後ろに続いて、二十前後の、恐ろしくけばけばしい扮りをした、それでゐて、ひどく不恰好な女が現はれる。閾ぎはに手をついて、一同に挨拶する。)

おせい  さあ、こつちへ、火のそばへいらつしやい。お加減が悪いんですつてね。
女  (口の中にて)いゝえ、もう、お蔭さまですつかり……(図々しい媚びのある眼附)
廉太  (少しきまりが悪いのと、少し得意なのとが、半分半分の笑ひ方をする)おちかお茶ある?
おちか  (突慳貪に)お茶なんかないわよ。
京作  さうだ、火も起さなくつちや。(自ら台所に炭取を取りに行く)
  
女  (廉太の方を見て、にらむやうな眼附きをした後で)ええ、いゝえ……。
  
おせい  何時のこと、それや。
廉太  (何気なく)昨日の晩さ。
文六  (黙つて、廉太の顔を見る)
おちか  (おせいに)あら、駄目よ、そんなに吹いたつて。(時々、廉太の方に反感を含んだ視線を投げかける)
廉太  (弁解らしく)この人は、歩けなかつたんだよ、昨日は……。しばらくうちへ置いてあげてもいゝだらう。行く処がないんだつていふから……。
おせい  お宅はどちらです。
女  ずつと田舎なんでございます……。
おせい  それで、東京へは……?
女  店へ勤めてゐたんでございますけれど、もうそこは出ましたもんですから……。
廉太  ほら、終点の前のうち洋食屋ね……。
おせい  御覧の通り、家も手狭でしてね。置いてあげたいのは、山々ですけれど……。
廉太  おツ母さん。
おせい  お前も、家はこんなだつていふことはわかつてるのに……。
廉太  それがね、おツ母さん……(あたりに気を兼ねて)僕……。
  
廉太  あのね、おツ母さん、僕……この人と約束したんだよ。結婚するつて……。
女  (廉太に)あたしは、かまはないのよ、どつちでも……(おせいに)この方がたつてとおつしやるもんですから……。
  
文六  (黙りこくつてゐる)
  

文六  (突然顔をあげ)どうするといふんだ。


(長い沈黙)

女  (ゐたゝまらず)あたくし、これでおいとましますわ。
廉太  (女に取縋り)そんなことないよ。
女  そんなことないつたつて、こんな場所に、あたしがをれますかよ。
  

文六  (恨めしげに廉太の顔を見上げ)お前やつぱり帰つて来たのか。


(長い沈黙)

京作  昨日から、ずつと公園にゐたんですか。
廉太  えゝ。
京作  (二人の顔を見比べる)食べものはどうしました。
  辿
京作  それで。
  
京作  なるほど。
  調()()
京作  ふん。
  
京作  なるほど……。
  

京作  (大きく首肯いて)わかりました。


(此の間、文六は、眼をつぶつたり開けたり、耳を掻いたり、鼻をほぢくつたり、時によるとまた、廉太の云ふことよりも、何処かほかで、誰か別の人間が喋舌つてゐるのを聞き入るやうに、首を傾け、眼を細くし、唇をゆがめなどする。)

廉太  僕たちは、死といふことを忘れました。ねえ、おそのちやん。


(お園、軽くうなづく)

京作  僕達も、さうです。ねえ、おちかさん。


(おちか、大きくうなづく)

文六  (うなづく)オイチ、ニイ……オイチ、ニイ……。
京作  それで、たうとう、公園の森の中で夜を明かしたのですか。

  ()()



  
京作  すると……なんですか……。
  
おちか  手で。
廉太  いゝや(笑ひながらお園の顔を見る)
  ()()
お園  一ぱいでもなかつたわ。
京作  なに、腹がすいてさへすれや、なんでもうまいもんです。
  ()()()
京作  なるほどね。
  

文六  オイチ、ニイ……オイチ、ニイ……。


(一同、不安げに文六の方を見る。廉太も訝かしげに口を噤む)

おせい  あんた、どうかしたんですか。
文六  (うるさゝうに首をふる)

廉太  (哀願するやうに)ねえ、お父ツつあん……。


(長い沈黙)

  ()

  












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tatsuki

201214

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