旧作のなかからいくつかの戯曲を選んで一冊に纏めたわけだが、特に発行所の希望をも容れて、比較的長いものの大部分が収まることになつた。長いから力作だとも云へまいが、かうしてみると、なるほどそれぞれの時代に於ける紀念作といふやうなものばかりである。 ﹁牛山ホテル﹂は、昭和三年の秋に、ふと、当り前の戯曲を書いてみようと思ひ、それまではわざと避けてゐた﹁筋﹂を織り込み、自分の経験と現実の印象を基礎として、客観的な主題の取扱ひ方を試みてみた。仏領印度支那は曾遊の地であり、﹁牛山ホテル﹂は一字だけ変へた実在の旅館であり、登場人物のいくたりかは完全なモデルといふほどではないが、例の植民地的な風貌をもつたそれぞれの典型をとらへたつもりである。 植民地といへば、特にこの地方の日本人コロニイに一種独特の色彩を添へるものは、いはゆる娘子軍の地方訛りであつて、そこに作者は捨て難い興味を感じたので、友人の協力を得て、故ら﹁文字で見ると﹂難解のそしりを免かれぬ﹁方言﹂を使はせた。中央公論に発表した当時、その点を極力非難した月評家もあつたが、その後、築地座の舞台にかけ、白せりふとして肉声化されたところでは、さう聴きづらいこともなかつたやうである。 ﹁沢氏の二人娘﹂と﹁歳月﹂とは、昭和十年の一月と四月とに、それぞれ、前者は中央公論、後者は改造誌上に発表したものであるが、久しぶりで戯曲の創作欲が起り、この調子ならいくらでも書けるぞといふくらゐな意気込みで、たゞ余念なく、云ひかへれば、戯曲家としてのある種の落ちつきと自由さとをもつて、さらさらと書き上げたもの、どちらも上演されてゐないが、それはまた、それだけの理由のあるものである。しかし、なんと云つても、かういふ風に真向うから取組んだ作としては、まだまだ薄手な感じがし、結局、戯曲を雑誌に発表するといふ条件と習慣は、絶対ではないが、戯曲として多分の致命的な弱味を暴露することになるやうだ。つまり、文学としては密度が稀薄となり、演劇としては余白の不足を来すのである。 ﹁沢氏の二人娘﹂も﹁歳月﹂も、ともに、私の思想的遍歴の一段階を率直に語るものとして、感慨無量といふ作品である。封建性への反逆と自由への未熟な、しかし、止みがたき思慕の告白であり、そこに虚無的な何ものかを匂はし得たとすれば、現代に生きる日本人の厳粛な戯画が描かれてゐると云ひ得ないであらうか。 私の時代に対する関心は、概ね風俗的現象に注がれ、遂に﹁風俗時評﹂に到達する。 今、偶然この作の発表された直後に書いた感想が手許にみつかつたから、それを抄録すると、 ﹁……この﹃もやもやした考へ﹄は、いかに努力をしてみても追ひ払ふことはできない。固より雑誌の締切に追はれてゞはあるが、どれ、ひとつ書き出さうかと机に向ひ、あれこれと主題を択び、人物の風貌を頭に描いてみてゐるうちに、いつのまにか、その﹃もやもやした考へ﹄が、道具も揃はない舞台の上を占領し、勝手な芝居をしはじめるのである。︵中略︶言を左右に托して編輯者に勘弁してくれるやうに頼む。いや、勘弁せぬ。どうしても駄目か? どうしても駄目だ。よし、それならといふので、夜を徹してその﹃もやもやした考へ﹄を手あたり次第に書きなぐつてみた。︵中略︶が、それにも拘はらず、初めて、﹃何かを云ふために﹄書いた、この戯曲ならざる戯曲﹃風俗時評﹄は、私の十年に余る文筆生活を通じて、未だ嘗て遭遇したことのない反響を呼び得たのである。︵中略︶時代を隔てるとそれほどにも感じられまいが、同時代のものゝ眼に、諷刺文学の惨めさは、いかに映るであらうかといふことを私は第一に考へる。痛烈に、颯爽と、かのモリエールやゴーゴリの如く、相手選ばず喉笛を締めることができたら文句はないのであるが、片肱をあげて、及び腰で遠くから瘠犬の如く吠え立てる恰好は、われながらあさましく思はれる。作者自身溜飲はさがらぬのである。︵中略︶諷刺の槍玉に上つてゐる主人公は、痛くも痒くもないといふのでは、なんにもならず、万一辛辣に過ぎるやうなことがあれば、忽ち物騒な目に遭ふ前に、原稿は活字にならぬといふ不便が控へてゐる。︵中略︶われわれ日本人が、現在如何に精神的に堕落しつゝあるか︵為政者などの云ふ意味とは正に表裏の差で︶といふことを誰も注意しないとしたら、文学者の一部がそれを注意し、民衆の覚醒と為政者の反省を促したらどんなものであらうと、私はかねがね考へてゐる。︵中略︶一つの好い思想、好い目論見、好い言葉さへも、それを担ぎ、それに加はり、それを使ふ有象無象のために、折角の魅力が失はれてしまふ例が実に多いのだ。︵中略︶総理大臣の写真を毎日のやうに新聞に出すとか、野良犬の銅像を建てるとか、レヴユーガールが女学生の人気を集めるとか、凡そ国民教育が普及したと称する国にあり得べからざる卑俗低劣な現象がうようよ湧き出るのを誰もなんとも云はないではないか。︵中略︶さて、こゝまで書いて来て、ふと私はひとつの喜劇的主題を思ひついた。かのモリエールの﹃人間嫌ひ﹄に匹敵すべき主題であると思ふ。︵註、もちろん主人公は作者自身である︶﹂ 引用はこれだけにしておくが、この作品はその一つ一つの主題とその手法とを含めて、ともに今日もう一度書き改めてみる価値のあるものだとひそかに信じるが、しかし、それはまた逆に、何んとかの威を藉る狐の類になる惧れなしとしない。真の﹁自由﹂は生憎それが与へられた場所にはないのである。
昭和二十一年二月
著者