風俗時評

岸田國士




一 医院


医師  どうも不思議だねえ。どこも、なんともないが、それでも痛むかね?
患者  痛むかはひどいですよ、先生、このしかめつ面がわかりませんか!
    
  
   
  
医師  刃物も錐も使つた形跡はない。してみると、神経的なもんだ。
患者  神経だと、どういふことになるんですい? お宅の専門ぢやないんですか?
医師  いや、専門でないといふわけぢやないが、厄介だね。電気でもかけてみるか。
  
医師  道を歩いてたのかね。
患者  さつき、さう云つたでせう、お祭りの寄附を集めて廻つてたつて……。
  
  
医師  あの家なら、僕も一度往診したことがある。縁なし眼鏡をかけて、ちよつと綺麗な奥さんがゐらあ。
  
医師  はゝあ、よほど出すもんと思つたんだね。
  
医師  声色、うまいねえ。なるほど、その通りだ。
  
医師  君、さう云つたのか?
  
  
   
医師  すると、また追加したかね?
  
医師  そこで、眼がくらんで、道ばたへしやがんぢまつたわけだね。
患者  肩先ですぜ、先生……やられたツと思ひました、そん時は……。
医師  まだ痛むかね。
患者  また痛み出したやうだね。
医師  腫れてもゐない。凹んでもゐない。
患者  変だな、気のせいつてこたないね。
  
看護婦  先生!
医師  なんだ。
  
医師  足の裏が痛む。……? どういふ風に?
看護婦  さあ、それは伺ひませんでしたけれど、お熱はないさうです。
医師  よし、自転車の掃除はできてるね。それから、もう一人待つてる患者さんは?
  
  湿湿
  
医師  まあ、ちよつと、お坐りになつて……。お名前は……。
  
医師  ちよつと、拝見……。御商売は?
紳士  口を開けたまゝぢや、云へない商売なんですが……。
医師  ぢや、どうぞ……。
紳士  貿易商……。
  
紳士  さあ、指がどこに当つてるか見えないですな。
医師  いや、感じで結構です。
  
  
  
医師  はゝあ、あなたも浪曲党ですか?
  
医師  痛み出したんですな?
紳士  あんまり頬つぺたに力を入れすぎて、これや、破れたかなツと思つたほどです。
   使
紳士  いや、その方は、別に……。
  
紳士  いや強ひてとは申しませんが、やはり、その、安静の必要がありませうか?
医師  頬だけは、無理にお動かしにならない方がよろしいでせう。
看護婦  先生、また根本さんからお電話なんですけれど……。
医師  あゝ、今すぐ伺ふからつて……。やあ、御大事に……。
紳士  診察料は如何ほど……?

   



 


署長  会ひますよ。誰も会はないと云つてやしない。何の用事ですか?
  
署長  誰だね、その怪しからんといふのは?
洋服の男  誰だかわかつてれや、君なんかに会ふ必要はないんだ。
署長  大分興奮してるやうだが、どうしたんだね、鼻を押へて?
洋服の男  鼻を押へてるのは、痛いからですよ。わかつてるでせう!
署長  喧嘩でもしたのか?
洋服の男  君、人をなんだと思つてるんです?
署長  君こそ、此処を何処だと思つてるんだ!
洋服の男  僕は、かういふもんだ。
署長  あゝ、さうですか。
洋服の男  県学務委員の資格で、特に御相談したいんだがね、犯人を即刻逮捕して貰ひませう。
署長  犯人と云ひますと?
  
  
  姿
署長  それまで、そばには誰かゐましたか、さういふことをしさうな男でも……?
洋服の男  さあ、それまでは、ゐなかつたな。
署長  乗客は、無論、少いでせうな。
洋服の男  さやう、それでも、腰かけるところは満員でした。
署長  車の中でゞすか、外でゞすか?
洋服の男  無論、中さ。
署長  中? 乗客は誰も降りないんですか?
洋服の男  いや、降りた。みんな降りた。
出者長  あなたは?
洋服の男  降りない。
署長  すると、車の中には、あなた一人といふわけですね?
  
署長  そんなら、痛いツ、なにするんだツとあなたが云つた時、姿がもう見えないわけはありませんね。
  
署長  ぢや、僕の方もどうしようもありませんね。どんな人物だか見当がつかないぢやありませんか。
  
署長  乗客は、みんなどうしてましたか?
  
署長  あなたは、車の中で居眠りでもしてゐたんですか?
  稿
署長  乗客のうちで、土地のもの以外には?
  
署長  そんなに痛いくらゐ擲られたら、鼻血ぐらゐ出さうなもんですね。
      
  
橋爪巡査  はい。
  調
橋爪巡査  をつたらどうしますか?
署長  をつたら、拘留だ。
  
署長  証拠がないとさういふわけにも行きませんが……。
  
署長  お祭りだからだらう。
橋爪巡査  いや、そればかりでなく、痛い、痛いといふ声が方々に聞えるさうです。
    
  
洋服の男  痛いツ、どうも堪らん……この辺で、一番うまい医者つていふと、誰ですね。
  
洋服の男  それには及ばんが、ちよつと、君から電話で僕を紹介しといて下さい。
橋爪巡査  なんです、今のは?
         
橋爪巡査  お出掛けになりますか。

署長  サイド・カアの用意! あ、消防隊は全部、すぐ配備につくやうに……。



三 小学校(多分私立ならん)


  
  
  
教師B  十一名……。僕は修身の時間が一番ひどかつた。
校長  四年以上は数へきれないほどと……。
教師D  あたくしの組は一人もございません。
校長  高等一年の女生だね。
教師D  はあ、裁縫の時間も体操の時間も、なんともございませんでした。
校長  で、君自身は?
教師D  別にどこも痛みません。みなさんがさうおつしやるのが不思議ですわ。
教師B  ふむ、さういふ人もあるんだな。
  ()
  
教師F  それもさうですが、さつきからの話を聞いてゐますと、なんだか授業の課目によつてやられ方が違ふやうです。なにかさういふことと関係はないでせうか?
校長  ふむ、それは少し穿ちすぎた観察のやうだが、君は何の時間に一番ひどかつた?
  
校長  さう云へば、あゝして校庭で遊んでるのをみると、誰もなんともないらしいね。
教師A  此処でかういふ話をしてゐても、誰もなんともありませんしね。
  使
  
校長  痛む場所がめいめい違ふといふのは変だね。生理的にそこが弱点といふわけだらう。
教師G  すると、わたしは脇の下が弱点かな。
  退退
教師D  新聞社へ報らせるのはどうかと思ひますが……。
  ()
 
 
  
   
写真屋  ちよつと、お動きにならないで。

   



 


  
客  ふむ、誰だね。さういふ説を立てたのは……?
主人  そこの後藤さんつていふ家の坊つちやんですよ、今年高等学校を出る方ですがね、秀才ださうです。
  
主人  えツ、毒瓦斯ですつて!
  
主人  おどかしちやいやですよ、旦那。お髭も剃りますか?
   
主人  おや、なんにもしやしませんぜ。今、首筋の毛を払つてるんですよ。
  
主人  をかしいなあ、どうもしやしませんよ。この刷毛は一番やあらかな刷毛で……。
客  こゝだ、どうもなつてないか?
  
  
  
  
主人  旦那はどうもないですか。
若い客  役所でなんともないのは僕一人さ。平生の心掛が違ふからな。
  
  
主人  わたしぢやありませんよ、云ひ出したのは……。
若い客  取り次ぐ奴がゐるからいけないんだ。が、さういふことは、ちよつと云つてみたいもんだよ。
  
若い客  早く年を取りたいよ。
  
若い客  二十九だ。
主人  まだお一人らしいですね。
若い客  結婚は断じてしないよ。
主人  おや、これも変つてらあ。どうしてですね。
若い客  今時結婚する女も、今時生れて来る子供も可哀さうだからさ。
主人  悲観論者ですね。なにをさう悲観するんです?
若い客  君たちにやわからないよ。
  使
  
主人  酒なんか飲むつて方も、若い人には少くなりましたね。
  
主人  陰気だね。
若い客  自分つていふ人間を、ちやんと見てくれる相手がゐなくなつた、これが現代青年の淋しさだよ。
主人  表面だけでなんでも判断しちまふつてところはたしかにありますね。忙しいからでせうな。
  
  
  
   使
若い客  日本は今、十八世紀といふところだからね。ボオマルシエがゐたら、悦んで書くだらうな。
主人  旦那がお書きになつちやどうです。
   
主人  どこです?
  
  
職工服の男  ちつとばかり男振りを上げてくんな。
主人  ほう、その上かね。
  
主人  あんたたちの会社はえらい景気だつて云ふぢやないか。
  
主人  あんたは、まだ、痛い目にや遭はないかね。
職工服の男  それが妙ぢやねえか。この服を着てると、あんまりやられないらしいよ。
主人  工場ぢやどうだね?
  
主人  戦争が起るつていふやうな話はないかね、あんたたちの方ぢや……。

職工服の男  二三年前から、あるにやあるね。



五 ある家庭


父  号外かい?
  
父  場所を撰ばず日本人だけか。
母  うちだけ助かつてるのは不思議なやうですね。お隣でもお向ひでも、今朝から変な声を立て通してますよ。
息子  子供はあんまりやられないやうですね。忠坊が二年の組では四人とか五人とか云つてましたよ。
母  静子はどこにゐるの?
  
母  南無阿弥陀仏。
息子  およしなさいよ、念仏なんか唱へるのは……。
母  あんたは聞いてないだつていゝよ。
息子  あ、また拝みに行つた。
父  いちいち、お前もうるさく云ふな。
息子  お父さん、今日、僕、なにをする気にもなれないんですが、少し面倒臭いお話してもよござんすか?
父  お前の話はいつでも面倒臭いが、まあいゝ、聴かう。
  
父  そんなこと我慢せんでよろしい。学校の先生で、さういふ相談に乗つてくれる人はゐないのか?
  
父  えらさうなことを云ふな。年をとりすぎてゐても、同様に危いと思はないか。
息子  同じ見当違ひでも、年寄の方は魅力がないから大丈夫のやうな気がするんです。酔はす力つていふもんがないですからねえ。
父  圧へつける力だけか?
  
  
息子  僕、近頃勉強が少し厭やになつて来たんです。つまり、努力を必要とする程度が大きくなつて来たんです。
父  高等な学問に進めば進むほど、それや当り前ぢやないか。
  
父  では、日本に生れたことは不幸だと云ふんだね。
  西
父  人間らしくない仮面とはなんのことだ。
  
  
息子  天才なら、その戦ひに勝てるとおつしやるんですか?
  
   西西
  西姿調西調
息子  お父さんは、僕の問ひに答へては下さいませんでしたね。
父  おや、さうだつたかな。
息子  ですから、ぢや、僕なんかはどうすればいゝんです。
父  中庸を行くさ。
   
父  なにを見つけた?
息子  麹町をバスで通つたら、六丁目へんのところの角に、床屋があるんです。その看板が変つてるでせう。「中等理髪店」
父  なるほど、中庸を行く主義だな。
  
父  だから、お前の求めてゐる中庸の道が、そこに一例として示されてゐたからだらう。
息子  しかし、それより、もつとユウモラスなものを感じましたよ。
父  この世間に、そんな神妙な、謙虚な看板がほかにないことを知つてゐるからだらう。
  
父  しかし、可愛らしい話だ。
息子  すねてるみたいなところもあるんですよ。主人つていふのの顔が見たかつた。
父  一種の革命家だな。
   
静子  あんたが、痛いツていふとこ、一度見たかつたのよ、ごめんなさい。

息子  お母さんにして来てやれ!



六 ホテル


夫  帰らなくつて大丈夫かねえ。
妻  帰つたつておんなじぢやないの。
夫  いや、若しか、これがだんだんひどくなつて行くやうだと、旅行先ぢやどうにもならないぜ。
  
夫  旅行先で落ちつけなんていふ意味ぢやないよ、それや。会社のことも心配だからなあ。
妻  どう心配なの?
夫  どうつて、みんなどうしてるかと思つてさ。
妻  迷子になつたら、あたしがついてるとお思ひなさい。
  
妻  あたしがかゝつたらなほして下さる?
  宿
妻  あら、だつて、それはあなたとお話を合せるつもりよ。お医者さんにはお医者さんの話をするのが一番似合ふと思つてるのよ。
夫  さうかも知れんが、わざわざ帝大のなんとか博士と云はんでもいゝだらう。僕は田舎の医専出であつてみれば。
妻  そんなの、可笑しいわ、ひがんでるみたいで……。
  
妻  さうね、ところが、七八流どころに、存外神経だけはまともな人物がゐるんぢやない?
  
妻  ぢや、大衆にはひらないものは、ないわけね。
夫  ある。官吏と政治家さ。
妻  あゝ、さういふ意味でね。
  
妻  あら、大きな声で、駄目よ。あのポスタアがこつちをにらんでてよ。
   
妻  どうなすつたの? ねえ、どこがお痛いの?
夫  あゝ、変なとこが痛いんだ。
妻  だから、どこかおつしやいよ。
  
妻  その押へてらつしやるとこ?
夫  違ふ。仮に押へてみてるんだ。
妻  いやあねえ、早くお探しなさいよ。
  
妻  いゝわよ、そんなこと、どうだつて……。
   
妻  なに、お尻なの?
夫  寧ろ脚に属する部分。
妻  どつちでもいゝから、おズボンお脱ぎになつてごらんなさいよ。
    
妻  かう?
夫  もつと力いつぱい! あゝ、その方が楽だ。
  
夫  わざと間違へるつてやつは、なかなかむづかしいんだね。見破られないつていふことは殆んどないね。
妻  ほら、あれあれ、あのお嬢さんのそばへ寄つて行くわ。
夫  娘なんだらう。
妻  違ふわよ。さういふこと、あなたにはわからないか知ら?
夫  娘か娘でないかがかい? わからん場合もあるだらう。
妻  この場合は明瞭だわ。そら、近所をあんなにうろうろしてるお父さんつてありますか。
夫  見ちやわるいみたいにして見てるね。
妻  あれで、決して話しかけなんてしないわよ。
夫  よくわかるね。
奏  さういふもんよ。あゝいふ男が、電車なんかで、女に悪戯をするのよ。
  
妻  西洋にもあゝいふ男ゐるか知ら?
夫  西洋の男はみんなあゝだらう。
  
夫  なるほど、話しかけるね、映画なんかでも……。
妻  若い学生なんかには、日本でも近頃、さういふのがゐるわ。
夫  さうすると、どんな返事をするんだい。
妻  したくなけれや、しないのよ。
  宿   
妻  あたしたちのやうにね。
夫  君と僕とは、話をする前から、道が定つてゐたのだ。
  
  
妻  それこそ、「痛いツ」ぢやないの。
夫  あゝ、さうさう、痛いのはどうなつたつけな。君まだつねつてるの?
妻  あらいやだ、おズボンだけ一生懸命でつまんでたわ。もう、よくつて?
  
妻  それがいけないのよ、あなた、それがいけないのよ。もつと自信をお持ちなさいつたら……。
夫  よし、自信をもたう。
妻  なにを見てらつしやるの?
夫  うむ、なに、ちよつと沖の景色を眺めてるんだ。
  ()

夫  参つた! まだ女つていふもんがこんなに珍しいのかなあ。



七 警察署


  
  
  
巡査B  因業婆らしいですね。近所の評判もよくありませんです。
署長  息子二人の教育のために蓄財を費ひ果し、と書いてある。ほう、息子の一人は相当に暮してるんだね。
  
署長  それやまあいゝが、この金は届けてやらんわけにや行くまい。好意は好意だからな。
巡査B  しかし、婆さんのためには懲らしめになりませんね。
  
  
  
巡査C  掏摸をつかまへて来ました。
巡査A  よう、お前か。また来たな。
掏摸  恐れ入ります。
署長  ぶち込んどけ。
巡査C  お前みたいな奴こそ、今日は、滅茶苦茶にやられるといゝんだ。
  
巡査C  ふとい野郎だ。
  
巡査B  あんまり顔なじみでも有難くありませんが……。
  
巡査A  あ、今度は、激しいらしいですな。
  
巡査部長  署長、大変です。選挙の演説会場で、弁士が総倒れです。

    









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   19913510

   194015725
 
   19361131
5-86
kompass

2011528

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●表記について


●図書カード