動員挿話[第一稿]

岸田國士




宇治少佐
鈴子夫人
馬丁友吉
妻 お種
従卒太田
女中よし

明治三十七年の夏

東京
[#改ページ]


第一場


宇治少佐の居間。――夕刻
従卒太田が軍用鞄の整理をしてゐる。
宇治少佐が和服姿で現はれる。

少佐。もう大概揃つたか。
太田。はあ。
少佐。家の者には会つとかんでもいゝのか。
太田。…………。
太田。はあ……(その辺を片づけて)では、帰ります。御判をどうぞ……(証明書に捺印したる後、一礼して起ち去る)
殿

少佐。(腕を組んで、何事か考へ込む)


夫人現はる。

夫人。後のことは、ほんとに、御心配なさらないで……。
少佐。心配してやしないさ。
夫人。ぢや、何を考へていらつしやるの。
少佐。何も考へてやしない。
夫人。うそばつかし……(夫の顔を見つめてゐるが、いきなり、その膝に泣き伏す)
友吉。はあ。
友吉。…………。
友吉。…………。
友吉。…………。
友吉。…………。
友吉。(頭を掻く)
夫人。それに、危いつたつて、普通の兵隊さん見たいなことはないんでせう。
友吉。(思つ切つて)ぢや、一つ、嬶に相談して見ます。
友吉。へえ。
少佐。でも、なんだ。
友吉。でも、一寸相談して見ませんと……。
友吉。へえ。
少佐。それでいゝか。

友吉。(しかたがなく)へえ。


少佐は、夫人に眼くばせをする。夫人起つて奥に行く。

友吉。(困つて)へゝゝゝゝ。
少佐。お前は、女房の云ふことなら、何んでも聞くか。
鹿
友吉。へえ、それやもう……そのつもりでをります。
少佐。そんなら何も文句はないぢやないか。
友吉。ですから、勤めの時間は、旦那さまのなんで……。
少佐。さうでない時間は、女房のものだと云ふのか。
友吉。まあ、さういふわけで……。






西
宿
少佐。それや、どうして……。
お種。別れるのがいやで御座います。
少佐。そこを一つ……。
友吉。お種……。
友吉。そんなことはないさ。
友吉。…………。
宿使
友吉。(頭をさげる)
友吉。(また頭を下げる)
退
お種。明日だけ、お前さんが来てしたらいゝでせう。
お種。(キツとなつて、少佐の後を見送る)

お種。(黙つてうつむく)


長い沈黙。

夫人。よく旦那さまの前で、あれだけのことが云へたね。
お種。すみません。
夫人。いゝえ、あたしはなんとも思つてやしないよ。

夫人。わかつてるよ。


長い沈黙。

お種。奥さま、もう、お目にはかゝりません。
お種。飛んでもない……。
夫人。そんなことはないわ。
夫人。それやまあ、さうだけれど……。
友吉。そんなこたあ、ねえさ……。
夫人。うちの旦那さまは、ほんとに戦争がお好きなのか知ら。
お種。お好きなればこそ、軍人におなりになつたんで御座いませう。
夫人。さうか知ら……。
お種。奥さまも、軍人さんがお好きなればこそ、旦那さまのところへお片づきになつたんで御座いませう。
夫人。そればかりではなかつたけれど……。
お種。それも御座いましたでせう。
夫人。あの頃は夢中だつたからね。
お種。どうかよろしく。
お種。どうしませう、あんた。
友吉。(頭をかいてゐる)
お種。頂いときませうか。
友吉。そんなら、頂いとかう。
少佐の声。(奥より)鈴子! 鈴子!
夫人。はい、只今……。(奥に去る)
友吉。(涙を拭き)おれにはやつぱり、旦那のお伴をした方がよくはねえか知ら……。
お種。どうしてさ。
友吉。世間の奴等に大きな顔が出来るやうな気がするんだ。
お種。さうして?
友吉。あれや、もと宇治少佐の馬丁で、戦争に行くのを怖わがつた男だつて云はれて見ろ。
お種。あたしが、どうもなきや、それでいゝでせう。
友吉。おれや、戦争は怖くはねえんだ。
友吉。(お種の顔を見る)
お種。何も東京にゐなくつたつていゝんでせう。
友吉。旦那にも済まねえつて気がするんだ。
お種。あんたのからだは誰のものなの。
友吉。お前のものさ。



――幕――
[#改段]


第二場





お種。こら、どれもこれも、みんな奥さまのお流れよ。
よし。随分たまつたわね。
お種。これ、あんまり派手だから、あんたに置いてかうか。
お種。軍人の奥さんなんかになるもんぢやないわね。
よし。普段はいゝけれどね。
お種。奥さま、何かおつしやつてやしなかつた、あたしのこと。
よし。いゝえ、別に。
よし。旦那さまは、もう今晩から、隊の方にお泊りになりつきりなんですつて……。
お種。お発ちになるまで?
お種。さういふところが違ふのね。
よし。奥さまは、でも、お眼をすつかり泣き膨らしていらしつたわ。
お種。坊つちやまは、今日は、学校は。
よし。もう、とつくにいらしつたわ。

よし。そんなこと云つてないで、一寸顔をお出し下さいな。


此の時、鈴子夫人が現れる。

夫人。まあ、荷物ごしらへはあとにして、話しに来ておくれよ。
お種。只今、一寸……。
お種。はい、それはもう……。
使
お種。有りがたう御座います。
姿
夫人。まあ、詳しく見てたのね。
夫人。気楽でいゝわ、その方が……。
夫人。どんなこと、恐ろしいことつて……。
お種。お宅へ伺ふまへに出会つたやうなことで御座います。
お種。…………。
夫人。あたしに云へないこと?
お種。いゝえ申上げるのはかまひませんが、あの人の耳にはひりますと、どんなことが起るか知れませんから……。
よし。はい。(去る)
お種。あん時は、ほんとにお心配をかけまして……。
夫人。済んでしまへば何んでもないことだけれどね。
お種。(笑ひながら)きまりの悪い思ひを致しました。
夫人。そんなにきまりが悪るさうでもなかつたけれど……。
お種。あら、奥さま。
夫人。兎に角しほらしい娘だつたよ。
お種。大胆なことを致しました割りにはね。
お種。それは、わたくしが、知恵をつけたんで御座います。
お種。奥さま、びつくりなさいますわ。
夫人。…………。
お種。わたくし、監獄へはいつたことが御座いますの。
夫人。え?
お種。それ御覧遊ばせ。
夫人。でも、どんなことをしてさ。
夫人。…………。
夫人。まあ。

お種。あ、帰つて参りました。


成る程、此の時、友吉が悄然として現はれる。

夫人。代りが見つかつたの。
友吉。へい、いえ。
夫人。よく暇が取れたわね。
お種。どつか悪いんぢやない。
友吉。いゝや。
夫人。旦那さまから、何かお伝言でもありやしなかつた。
友吉。実は、たうとう、私がお伴することになりましたんで……。
お種。どう云ふの、それは……。
友吉。旦那が、やつぱり、おれに行つてくれつておつしやるんだ。
お種。人は人、あんたはあんたぢやないの。
お種。あんた、昨夜約束したことは忘れたの。
お種。そんな元気がなにになるの。
友吉。そんな無茶なことを云つたつて……。
お種。何が無茶なの。



友吉とお種とは、しばらく無言のまゝ対ひ合つてゐる。

お種。あんたは、ほんとに行く気なの。
友吉。うん。
お種。旦那にどう云はれたの。
友吉。それもあるが、それより、おれが心得違ひをしてたつてことがわかつたんだ。
お種。心得違ひつて、どういふの。
友吉。お前には、わからん。
お種。どうして。
調
姿
友吉。困るなあ。
友吉。……。
お種。お腹が大きかつたのよ。
お種。つまんないことを云ふのはお止しよ。
友吉。死ぬやうなへまな真似はしねえから、今度だけ行かしてくれ。
お種。死ぬ死なないより、離れてるのがいやなんだからしやうがないの。
友吉。すぐ病気になつて帰つて来るよ。
友吉。どうしてだか知らねえが、やつぱりいけねえんだ。
お種。あんたは、あたしがいやになつたのね。
友吉。さうぢやねえつたら、わからないかなあ。
お種。ぢや、あたしがかうしてるから行つて御覧なさい。
友吉。(行く真似をしかける)
お種。行くなら、かうするわよ(友吉の喉を締める真似をする)
友吉。おい、止せ。
お種。ぢや、どうしても行く気なの。
友吉。そんなことしちや、息がつまるぢやねえか。
お種。(急に手をゆるめ)そんなら、あたしを殺してから行くならいゝわ。
友吉。そんなことしたら、行く前につかまつちまはあ。
お種。あたしが、自分で死んであげるわ。
友吉。そんなことして貰ひたかねえよ。
友吉。(戯談にして)あぶねえつたら……。(刃物を取り上げようとする)
お種。(それを渡すまいとする)
友吉。云ふことを聴かねえか。
友吉。(慌てゝそれを制する)
お種。放して……放して……。
友吉。おい、馬鹿、止さねえか。(刃物をもぎ取る)
お種。死ぬのには、別の方法がいくらもあつてよ。
友吉。(途方に暮れて)悪巫山戯はよしてくれ。

お種。巫山戯てると思つてるの、あんた。


長い沈黙。

友吉。旦那には、行くつて云つて来たんだ。
友吉。…………。
お種。あたしを欺す気ぢやない。
友吉。そんなこたねえ。
お種。そんならどつち。



突然、夫人が現はれる。




女中のよしが慌しく入り来る。

夫人。種がどうしたのさ。

よし。井戸で御座います、井戸……。


夫人と友吉は、愕然として、外に走り出る。


――幕――






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kompass

201214

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