桜の園

――喜劇 四幕――

アントン・チェーホフ

神西清訳




人物
ラネーフスカヤ(リュボーフィ・アンドレーエヴナ)〔愛称リューバ〕 女地主
アーニャ その娘、十七歳
ワーリャ その養女、二十四歳
ガーエフ(レオニード・アンドレーエヴィチ)〔愛称リョーニャ〕 ラネーフスカヤの兄
ロパーヒン(エルモライ・アレクセーエヴィチ) 商人
トロフィーモフ(ピョートル・セルゲーエヴィチ)〔愛称ペーチャ〕 大学生
ピーシチク(ボリース・ポリーソヴィチ・シメオーノフ) 地主
シャルロッタ(イワーノヴナ) 家庭教師
エピホードフ(セミョーン・パンテレーエヴィチ) 執事
ドゥニャーシャ 小間使
フィールス 老僕ろうぼく、八十七歳
ヤーシャ 若い従僕
浮浪人
駅長
郵便局の官吏
ほかに客たち、召使たち

 ラネーフスカヤ夫人の領地でのこと
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     第一幕




()()


ロパーヒン やっと汽車が着いた、やれやれ。何時だね?
ドゥニャーシャ まもなく二時。(蝋燭を吹き消す)もう明るいですわ。
   ()()
ドゥニャーシャ お出かけになったとばかり思ってました。(耳をすます)おや、もういらしたらしい。
 ()()()()() ()()()()
ドゥニャーシャ 犬はみんな、夜っぴて寝ませんでしたわ。ぎつけたんですわね、ご主人たちのお帰りを。
ロパーヒン おや、ドゥニャーシャ、どうしてそんなに……
ドゥニャーシャ 手がぶるぶるしますの。あたし気が遠くなって、倒れそうだわ。

 ()()()()


()


エピホードフ (花束をひろう)これを庭男がとどけてよこしました。食堂にすようにってね。(ドゥニャーシャに花束をわたす)
ロパーヒン ついでにクワスをおれに持ってきとくれ。
ドゥニャーシャ かしこまりました。(退場)
 ()()()()調
ロパーヒン やめてくれ。もうたくさんだ。

 ()





 調()()() 退
ドゥニャーシャ じつはね、ロパーヒンさん、あのエピホードフがあたしに、結婚を申しこみましたの。
ロパーヒン ほほう!
 ()()()()
ロパーヒン (きき耳を立てて)さあ、こんどこそお着きらしいぞ……
ドゥニャーシャ お着き! どうしたんでしょう、あたし……からだじゅう、つめたくなったわ。
  

 


()()()()()使


アーニャ ここを通って行きましょうよ。ねえママ、この部屋なんだか覚えてらっしゃる?
ラネーフスカヤ (うれしそうに、なみだ声で)子供部屋!
 
 
ガーエフ 汽車は二時間もおくれた。え、どうだい? なんてざまだろう?
シャルロッタ (ピーシチクに)わたしの犬は、クルミも食べるのよ。

ピーシチク (あきれ顔で)へえ、こりゃ驚いた!


アーニャとドゥニャーシャのほか、一同退場。


ドゥニャーシャ やっとお帰りになった、……(アーニャの外套と帽子をぬがせる)
アーニャ わたし途中四晩も眠れなかったの……今じゃもう、こごえあがっちまったわ。
 ()()() ()  ()()
アーニャ (だるそうに)また、なんの話……
ドゥニャーシャ 執事のエピホードフが、復活祭のあとで、あたしに結婚を申込みましたのよ。
アーニャ いつも、おんなし事ばかり……(髪を直しながら)わたし、ピンをみんな落してしまったわ。……(疲れきって、よろよろしている)
 
   
ドゥニャーシャ 一昨日いっさくじつ、トロフィーモフさんがいらっしゃいました。
アーニャ (嬉しそうに)ペーチャが!

 ()()() ()


()()


ワーリャ ドゥニャーシャ、コーヒーを早く……。お母さんがコーヒーをご所望だからね。
ドゥニャーシャ はい、ただ今。(退場)
 () 
アーニャ ずいぶんつらかったわ、わたし。
ワーリャ 察しるわ!
  
ワーリャ だって、あんたひとりで旅へ出すわけにも行かないじゃないの、アーニャ。十七やそこらで!
 ()()()()
ワーリャ (涙ごえで)もういいわ、もう言わないで……
  
ワーリャ 見たわ、いやなやつ。
アーニャ で、どうなの、その後? 利子は払えた?
ワーリャ それどころじゃないわ。
アーニャ 困るわね、どうしましょう。……
ワーリャ 八月には、この領地が競売になるわ……
アーニャ ああ、どうしよう。
ロパーヒン (ドアからのぞいて、牛のなき真似まねをする)モオ・オ・オ……(去る)
ワーリャ (涙ごえで)ええ、こうしてやりたい……(拳固げんこでおどす)
  ()
 調()()
 調

  


()


 ()() 
アーニャ お庭で鳥がないている。今なん時?

 


()()


ヤーシャ (舞台を横ぎりながら、いんぎんに)こちらを通ってもよろしいでしょうか?
 
ヤーシャ ふむ。……どなたでしたっけ?
ドゥニャーシャ あんたがここを発った時は、あたしまだこんなだったわ……(床からの高さを手で示す)ドゥニャーシャよ、フョードル・コゾエードフの娘よ。覚えていないのね!
  ()退
ワーリャ (ドアの敷居で、不興げな声で)また何かしたの?
ドゥニャーシャ (涙ごえで)お皿を割りました。……
ワーリャ そりゃいい前兆ね。
アーニャ (自分の部屋から出てきながら)ママに言っとかなくちゃいけないわ、ペーチャが来ているって……
ワーリャ わたし、あの人を起さないように言いつけたの。

 ()()()()()() 





   
ドゥニャーシャ あら、どうしましょう……(あたふたと退場)
フィールス (コーヒー沸かしのまわりをそわそわしながら)ええ、この出来そこねえめが……(ぼそぼそ独り言をいう)パリからお帰りになった。……旦那だんなさまもいつぞや、パリへおいでなすったっけな……馬車でな……(声を立てて笑う)
ワーリャ フィールス、お前なに言ってるの?

 ()  ()()


() 


ラネーフスカヤ どうするんでしたっけ? ちょっとおさらいして……。黄玉はすみへ! からクッションで真ん中へ!
ガーエフ 薄く当てて隅へだ! ねえお前、むかしはお前といっしょに、ほれこの子供部屋で寝たもんだが、今じゃわたしも五十一だ、なんだか妙な気もするがなあ……
ロパーヒン さよう、時のたつのは早いものです。
ガーエフ なんだって?
ロパーヒン いや、時のたつのは早い、と言ったので。
ガーエフ この部屋は、虫とり草のにおいがする。
アーニャ わたし、行って寝るわ。おやすみなさい、ママ。(母にキスする)
  
アーニャ おやすみなさい、伯父さま。

   





ラネーフスカヤ あの子すっかりくたくたなのね。
ピーシチク 道中がさぞ長かったでしょうからな。
ワーリャ (ロパーヒンとピーシチクに)どうなすって、皆さん? やがて三時ですよ、そろそろ紳士の体面をお考えになったらどうでしょう。
 ()
ワーリャ ちょっと見てこよう、荷物がみんな来ているかどうか。……(退場)
 ()  
フィールス おとといでございます。
ガーエフ 耳が遠いんだよ。
  
ピーシチク (息をはずませながら)むしろ器量があがられたくらいだ。……お召物もパリ好みでな……わしらなど、どだい目がくらんで、まともにゃ拝めんほどですわい……
 ()()() ()()()()
 ()()()()()
ガーエフ お前の留守のまに、乳母ばあやが死んだよ。
ラネーフスカヤ (腰をおろし、コーヒーを飲む)ええ、天国にやすらわんことを。知らせをもらいました。
 
ピーシチク わしの娘のダーシェンカが……よろしくと申しました……
 () 沿()
ガーエフ 失礼だが、つまらん話だな!
ラネーフスカヤ あなたのお話、どうもよくわからないわ、ロパーヒンさん。
 ()
  
 
ガーエフ 『百科事典』にだって、この庭のことは出ている。
 ()() 
 ()
ガーエフ 黙っていろ、フィールス。
  ()()()
ラネーフスカヤ そのこさえ方が、今どうなったの?
フィールス 忘れちまいましたので。だれも覚えちゃおりません。
ピーシチク (ラネーフスカヤ夫人に)パリはいかがでした? ええ? かえるをあがりましたか?
ラネーフスカヤ ワニを食べましたよ。
ピーシチク こりゃ、どうだ……
 ()()

ガーエフ (憤慨して)じつにくだらん!


ワーリャ、ヤーシャ登場。


 ()()
ラネーフスカヤ パリからね。(ろくに読まずに、二通とも引裂く)パリとは、もう縁きりだわ……
 ()  
ピーシチク (びっくりして)百年……。こりゃ、どうだ! ……
  ()()()()
ロパーヒン なるほど……
ラネーフスカヤ あなた相変らずねえ、兄さん。
ガーエフ (いささか照れて)右へ押して隅へ! 薄く当てて真ん中へスポリ!
ロパーヒン (時計を出して見て)どれ、行かなくては。
ヤーシャ (ラネーフスカヤ夫人に薬をさし出す)いかがでございます、丸薬をただ今召し上がっては……
 
ラネーフスカヤ (あきれて)まああなた、気でもちがったの?
ピーシチク 丸薬をすっかり頂きました。
ロパーヒン なんて大食おおぐらいだ! (一同わらう)
フィールス このかたは、復活祭の時おいでになって、キュウリを半たる召し上がりましたよ……(ぶつぶつつぶやく)
ラネーフスカヤ 何を言ってるのかしら?
ワーリャ もう三年ごし、あんなふうにぶつぶつ言ってますの。わたしたち、れてしまいました。

 


()()()


ロパーヒン どうも失礼、シャルロッタさん、まだご挨拶をしませんでしたね。(彼女の手にキスしようとする)
シャルロッタ (手を引っこめながら)あなたに手をキスさせたら、次にはひじとおいでなさるでしょうよ、それから肩とね……
ロパーヒン どうも運が悪い、今日は。(一同わらう)シャルロッタさん、手品を見せてくださいよ!
ラネーフスカヤ ほんとにシャルロッタ、手品を見せてちょうだい!
シャルロッタ だめです。わたし眠いんですから。(退場)
 ()()
ワーリャ (腹だたしく)さ、いい加減でいらっしゃいよ!
ロパーヒン 行きます、行きますよ……(退場)
 ()()()()
ワーリャ おじさん、余計なこと言わないで。
 
 
ワーリャ (仰天して)だめよ、だめですよ!
ラネーフスカヤ わたし、ほんとに一文もないのよ。
 ()()
ラネーフスカヤ コーヒーも飲んだから、これでもう休めるわ。
フィールス (ブラシでガーエフの服を払いながら、訓戒口調で)またズボンをお間違えになった。ほんとに困ったお人だ!
   ()
   
 ()   使()() 
ガーエフ そう、だがこの庭も、借金のカタに売られてしまう。妙な話だが、仕方がない……
 () 
ガーエフ どれ、どこに?
ワーリャ しっかりなすって、お母さん。

 





ラネーフスカヤ ほんとにすばらしい庭! 花が真っ白にかさなって、あの青い空……

トロフィーモフ 奥さん! (夫人は彼をふりかえる)ぼくはちょっとご挨拶だけして、すぐ引きさがります。(熱烈に手にキスする)朝まで待つように言われたんですが、とても我慢がならないもんで……


ラネーフスカヤ夫人、けげんそうに彼を見る。


ワーリャ (涙ごえで)ペーチャ・トロフィーモフよ……

トロフィーモフ ペーチャ・トロフィーモフ、お宅のグリーシャの家庭教師でした。……僕そんなに変ったでしょうか?


夫人は彼を抱いて、静かに泣く。


ガーエフ (当惑して)もういい、もういいよ、リューバ。
ワーリャ (泣く)だから言ったじゃないの、ペーチャ、あしたまでお待ちなさいって。
ラネーフスカヤ わたしのグリーシャ……ああ坊や……グリーシャ……可愛かわいい子……
ワーリャ 仕方がないわ、お母さん。神さまの思召おぼしめしですもの。
トロフィーモフ (やさしく、涙ごえで)いいですよ、もういいですよ……
 ()   ()() ()
トロフィーモフ 汽車のなかでも、どっかの百姓ばあさんに、“ねえ、禿げの旦那だんな”って言われました。
  
トロフィーモフ きっと僕は、万年大学生でしょうよ。
 
 
ガーエフ あいつ、自分のことばかりだ。
ピーシチク 二百四十ルーブリ……担保の利子を払うんでね。
ラネーフスカヤ お金なんかありませんよ、わたし……
ピーシチク 返しますからさ、奥さん。……わずかな金高じゃありませんか……
ラネーフスカヤ じゃいいわ、レオニードにたのみましょう。……出してあげて、レオニード。
ガーエフ よし、出してやろう。ポケットをあけて待ってるがいい。

 


退


 
ヤーシャ (冷笑をうかべて)そういう旦那は、相変らずでらっしゃるね。
ガーエフ なに? (ワーリャに)こいつ、なんと言ったのかね。
ワーリャ (ヤーシャに)お前のおっ母さんが村から出て来て、きのうからしもの部屋で待ってるよ、ちょっと会いたいって……
ヤーシャ ちえっ、うるさいったらありゃしねえ!
ワーリャ まあ、いけ図々ずうずうしい!
ヤーシャ 余計なこった。あすでも来りゃいいのにさ。(退場)
ワーリャ お母さんは相変らずで、ちっともお変りにならない。勝手にさせておいたら、何もかも人にやってしまうわ。
 ()()
ワーリャ (泣く)どうぞそうなればねえ。

 ()()()()





 ()
ワーリャ (ひそひそ声で)アーニャがドアのところにいますよ。

  ()





ワーリャ どうして寝ないの、アーニャ?
アーニャ 寝られないの。だめなの。
 ()
   ()
 ()  ()()()() 
 
アーニャ 黙ってらっしゃれば、ご自分だって気が休まるわ。
 ()()()
ワーリャ どうぞそうなればねえ!
    

アーニャ (気持の落ちつきがもどってきて、彼女は幸福だ)あなたは、なんていい人でしょう、伯父さま、なんて利口な! (伯父を抱く)やっと安心したわ! わたし安心して、とても幸福!


フィールス登場。


フィールス (とがめるように)旦那さま、ばちが当りますぞ! いつおやすみになりますので?
 ()() 退 
アーニャ また、伯父さま!
ワーリャ 伯父さん、黙ってらっしゃい。
フィールス (腹だたしげに)旦那さま!
  退
 ()

 ()使()()鹿()  


()()()()


 
 
ワーリャ 行きましょう、アーニチカ、行きましょうね……(アーニャの部屋へはいる)
トロフィーモフ (感きわまって)おお、ぼくの太陽! ぼくの青春!
――幕――
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     第二幕


()

()


 ()()()()()()()()()
エピホードフ (ギターを弾きながら歌う)
浮世を捨てしこの身には
友もかたきも何かせん……
マンドリンを弾くのは、いいもんだなあ!
ドゥニャーシャ それはギターよ、マンドリンじゃないわ。(ふところ鏡を見ながら白粉おしろいをはたく)
エピホードフ 恋に狂った男にとっちゃ、これもマンドリンさね。……(口ずさむ)

たがいの恋の炎もて
胸もえ立ちてあるならば……

ヤーシャ、声をあわせる。


シャルロッタ すごい歌い方だこと、この人たち……ふッ! 山犬みたいだ。
ドゥニャーシャ (ヤーシャに)それにしても、外国へ行くなんて、ほんとにいいわねえ。
ヤーシャ そりゃ、もちろんさ。あえて異論は唱えませんねえ。(あくびをして、葉巻を吸いはじめる)
 ()  Complexion 使
ヤーシャ もちろんね。
 ()()()()
 () ()鹿()退
 ()()  
ドゥニャーシャ どうぞ。
エピホードフ それが実は、さし向いでお願いしたいんですが……(ため息をつく)
 ()()()()()()()
 退
ヤーシャ 二十二の不仕合せか! ばかなやつだよ、ここだけの話だが。(あくび)
 ()()
 ()() ()
ドゥニャーシャ あたし、あんたが大好き。教養があって、どんな理屈だってわかるんだもの。(間)

 





 ()()()()

 ()退





 () ()
ラネーフスカヤ 誰だろう、ここでいやらしい葉巻をふかすのは! (腰をおろす)
 便 ()
ラネーフスカヤ まだ大丈夫ですよ。
ロパーヒン ね、ほんの一言! (哀願するように)ねえ、どうかお返事を!
ガーエフ (あくびまじりに)なんだね、そりゃ?
 ()()()()()()
ヤーシャ ご免ください、ただ今ひろって差上げます。(金貨をひろう)
 ()    
ロパーヒン なるほど。
ガーエフ (片手を振って)わたしのあの癖は、とても直らんよ。とても駄目だ……(癇癪かんしゃくまぎれにヤーシャに)なんというやつだ、しょっちゅう人の前をちらちらしおって……
ヤーシャ (笑う)わたしゃ、旦那だんなの声をきくと、つい笑いたくなるんで。
ガーエフ (妹に)わたしが出てくか、それともこいつが……
ラネーフスカヤ あっちへおいで、ヤーシャ、さ早く……
ヤーシャ (ラネーフスカヤ夫人に巾着をわたす)ただ今まいります。(やっと噴きだすのをこらえて)はい、ただ今……(退場)
ロパーヒン お宅の領地は、金満家のデリガーノフが買おうとしています。競売当日は、大将自身が出馬するという話です。
ラネーフスカヤ どこでお聞きになって?
ロパーヒン 町で、もっぱらの評判です。
ガーエフ ヤロスラーヴリの伯母さんから、送ってよこす約束なんだが、いつ幾ら送ってくれるつもりか、それがわからん……
ロパーヒン 幾ら送ってよこされるでしょうかな? 十万? それとも二十万?
ラネーフスカヤ そうね……一万か――せいぜい一万五千、それで恩にきせられて。
 
ラネーフスカヤ 一体どうしろとおっしゃるの? 教えてちょうだい、どうすればいいの?
   
ラネーフスカヤ 別荘、別荘客――俗悪だわねえ、失礼だけど。
ガーエフ わたしも全然同感だ。
 ()  ()
ガーエフ なんとね?
ロパーヒン 婆あですよ! (行こうとする)
 
ロパーヒン 今さら、なんの考えることが!
 ()
ガーエフ (沈思のていで)からクッションですみへ。……ひねって真ん中へ……
ラネーフスカヤ わたしたち、神さまの前に、あんまり罪を作りすぎたのよ……
ロパーヒン なんです、罪だなんて……
ガーエフ (氷砂糖を口に入れて)世間じゃ、わたしが全財産を、氷砂糖でしゃぶりつくしたと言っているよ……(笑う)
 使()()()()()()()() ()() 
 
ラネーフスカヤ あれ、まだあるの? なんとかあれを呼んで、夜会を開きたいものね。
ロパーヒン (耳をすます)聞えないな……(小声で口ずさむ)「かねのためならドイツっぽうは、ロシア人かしてフランス人に変える」(笑う)いや、きのうわたしが劇場で見た芝居といったら、じつに滑稽こっけいでしたよ。
 ()
 鹿()()
ラネーフスカヤ 結婚しなくちゃいけないわ、あなたは。
ロパーヒン なるほど。……そりゃそうです。
ラネーフスカヤ うちのワーリャはどう? いい子ですよ。
ロパーヒン なるほど。
 ()
ロパーヒン そりゃまあ、わたしも嫌いじゃありません。……いい娘さんです。(間)
ガーエフ わたしを銀行へ世話しよう、と言ってくれる人があるんだがね。年収六千というんだが……。聞いたかね?

ラネーフスカヤ がらでもないわ! まあ、じっとしてらっしゃい……


フィールス登場。外套をもってきたのである。


フィールス (ガーエフに)さあさ、旦那さま、お召しになって。じめじめして参りましたよ。
ガーエフ (外套を着る)お前には閉口だよ、じいや。
フィールス あきれたお人だ。……今朝だって、黙ってふらりとお出かけにはなるし。(彼をじろじろ眺めまわす)
ラネーフスカヤ なんて年をとったの、お前は。ええフィールス!
フィールス なんと仰しゃいましたので?
ロパーヒン お前さんがひどくけたと仰しゃるんだよ!
  ()()
ロパーヒン 昔はまったくかったよ。とにかく、存分ひっぱたいたからなあ。
 
 
ロパーヒン なあに物になりゃしませんよ。利子だって払えるもんですか、まあ安心してらっしゃい。

ラネーフスカヤ このひと寝言を言ってるのよ。将軍なんて、いるものですか。


トロフィーモフ、アーニャ、ワーリャ登場。


ガーエフ さあ、連中がやってきた。
アーニャ ママがいるわ。

 ()





ロパーヒン わが万年大学生先生は、いつもお嬢さんがたと一緒だね。
トロフィーモフ 君の知ったことじゃない。
ロパーヒン この人は、そろそろ五十になるというのに、相変らずまだ大学生だ。
トロフィーモフ 愚劣な冗談はいい加減にしたまえ。
ロパーヒン 何を怒るんだね、変ってるなあ?
トロフィーモフ ほっといてくれったら。
ロパーヒン (笑う)ところで一つ伺うけれど、君はぼくのことを、なんと思ってるかね?

トロフィーモフ 僕はね、ロパーヒン君。こう思ってますよ――あんたは金持だ、おっつけ百万長者になるだろう。新陳代謝の意味では、猛獣が必要だ。なんでも手当り次第、食っちまうやつがね。君の存在理由も、要するにそれさ。


一同わらう。


ワーリャ ねえペーチャ、あんたは遊星ほしの話でもしたほうが似合うわ。
ラネーフスカヤ それよか、どう、きのうの話の続きをしたら。
トロフィーモフ なんの話でしたっけ?
ガーエフ 人間の誇りのことさ。
 ()()()()()()()()
ガーエフ どっちみち死ぬのさ。
   
ラネーフスカヤ なんてお利口さんなんでしょう、ペーチャ! ……
ロパーヒン (皮肉に)おっそろしくね!
 ()使()()()()()()() 湿()()  ()()
 ()

 ()()





ラネーフスカヤ (もの思わしげに)エピホードフが歩いてる。……
アーニャ (もの思わしげに)エピホードフが歩いてる。
ガーエフ 日が沈んだよ、諸君。
トロフィーモフ そう。
 調
ワーリャ (哀願するように)伯父さん!
アーニャ 伯父さま、また!
トロフィーモフ あなたは、黄玉をからクッションで真ん中へ、のほうがいいですよ。

 


()


ラネーフスカヤ なんだろう、あれは?
 ()()()
ガーエフ もしかすると、何か鳥が舞いおりたのかも知れん……あおサギか何かが。……
トロフィーモフ それとも、大ミミズクかな……
ラネーフスカヤ (身ぶるいして)なんだか厭な気持。(間)
フィールス あの不幸の前にも、やはりこんなことがありました。フクロウもきたてたし、サモワールもひっきりなしにうなりましたっけ。
ガーエフ 不幸の前というと?
フィールス 解放令の前でございますよ。(間)
 () 
アーニャ なんでもないの、ママ。ただ、ちょっと。

 ()


()()


浮浪人 ちょっとお尋ねしますが、ここをまっすぐ、停車場へ出られますかね?
ガーエフ 出られますよ。その道をお行きなさい。

 ()()() 





ロパーヒン (憤然として)無作法にも程度というものがあるぞ。
ラネーフスカヤ (怖気おじけづいて)持ってらっしゃい……さあ、これを……(巾着きんちゃくの中をさがす)銀貨がないわ。……まあいい、さ、この金貨を……

浮浪人 ご親切に、おそれ入ります! (退場)


笑い。


ワーリャ (あきれて)わたし行くわ……あっちへ行くわ。……お母さまったら、うちの人たちに食べさせる物がないというのに、あんな男に金貨をやるなんて。
 ()鹿()  
ロパーヒン 承知しました。
 
ワーリャ (涙ごえで)そんなこと、冗談におっしゃるもんじゃないわ、ママ。
ロパーヒン オフメーリア(訳注 オフィーリアをわざわざ、オストロフスキーの有名な芝居の登場人物の名にもじったもの。この名は「一杯きげん」の意味を含んでいるおかしみがある)、ささ尼寺へ……
ガーエフ どうも手がふるえてならん、久しく玉突きをやらないもんだから。
ロパーヒン オフメーリア、おお水妖ニンフよ。が上も祈り添えてたもれ!
ラネーフスカヤ 行きましょうよ、皆さん。そろそろお夜食よ。
ワーリャ あの男のおかげで、ほんとにびっくりしたわ。胸がこんなにドキドキしている。

   


退


アーニャ (笑いながら)浮浪人さん、ありがとう。ワーリャをおどかしてくれたおかげで、やっと二人きりになれたわ。
 ()()()() ()()  
アーニャ (手をたたいて)すてきだわ、あなたの話! (間)今日、ここはなんていいんでしょう!
トロフィーモフ そう、すばらしい天気です。
  
 ()()()()()()()()()() ()使()() ()()()()
 ()
 ()
アーニャ (感激して)それ、すばらしい表現だわ!
   ()()() 

 


 


  
ワーリャの声 アーニャ! どこにいるの?
トロフィーモフ またワーリャだ! (忌々いまいましそうに)厭になるなあ、まったく。
 
トロフィーモフ 行きましょう。(ふたり歩きだす)
ワーリャの声 アーニャ! アーニャ!
――幕――
[#改ページ]

     第三幕


() P()r()o()m()e()n()ade ※(グレーブアクセント付きA小文字)()u()ne()p()a()ire! 便
G()r()a()nd ()r()ond,() ()b()a()lancez! L()esc()a()v()a()l()i()ers ※(グレーブアクセント付きA小文字)()g()e()n()oux ()et()r()e()m()e()rciez ()v()os()d()a()mes! 

()()()()()


 ()()()()()()()()()()  ()()
トロフィーモフ そう言えば、あなたの格好には、実際なにか馬に通ずるところがありますね。

ピーシチク なあに……馬はいい獣だ……だいいち売れるからな……


となりの部屋で、玉突きの音がする。広間のアーチの下に、ワーリャが姿を見せる。


トロフィーモフ (からかって)マダム・ロパーヒン! マダム・ロパーヒン! ……
ワーリャ (ムッとして)禿げの旦那だんな
トロフィーモフ いかにも、ぼくは禿げの旦那だ、それを誇りとしてるんだ!
ワーリャ (くよくよ案じながら)楽隊をやとったりして、払いはどうするつもりかしら? (退場)
トロフィーモフ (ピーシチクに)あなたが一生のあいだに利子を払う金の工面に費やしたエネルギーが、何かもしほかのことに向けられたとしたら、おそらくあなたはとどのつまり、地球をひっくり返すこともできたろうになあ。
ピーシチク ニーチェがね……哲学者の……だれしらぬ者もない、えらぶつちゅうのえら物の……あのすごい知恵者がな、その著述のなかで、にせ札は作ってもいいとか言っているが。
トロフィーモフ あなたは、ニーチェを読んだんですか?

 ()()()   ()





ラネーフスカヤ (コーカサスの舞曲を口ずさむ)レオニードは、どうしてこう遅いのだろう? 町で何をしているのかしら? (ドゥニャーシャに)ドゥニャーシャ、楽隊の人にお茶をあげて……
トロフィーモフ 競売はお流れになったんですよ、きっとそうです。
ラネーフスカヤ 楽隊の来たのも折が悪かったし、舞踏会も生憎あいにくの時に開いたものだわ。……まあ、いいさ。……(腰かけて、そっと口ずさむ)
シャルロッタ (ピーシチクにカードを一組わたす)さあ、カードを一組あげましたよ。どれか一枚だけ、頭のなかで考えてください。
ピーシチク 考えました。
 ()()() ()
ピーシチク (脇ポケットからカードを取りだす)スペードの八、まさにその通り! (驚嘆して)こりゃ、どうだ!
シャルロッタ (手の平にカードを一組のせて、トロフィーモフに)早く言ってください、一ばん上のカードは?
トロフィーモフ なにさ? じゃ、スペードのクイン。
シャルロッタ はい! (ピーシチクに)では? 一ばん上のカードは?
ピーシチク ハートのエース。
  () 
駅長 (拍手する)よう、腹話術の名人、ブラヴォー!
ピーシチク (驚嘆して)こりゃ、どうだ! いや、あなたは魔女か妖精ようせいか、シャルロッタさん……わしはすっかりあんたにれましたよ……
シャルロッタ 惚れたですって? (肩をすくめて)あなたに恋ができまして? Guterグータ Menschメンシ, aberアーバ schlechterシレヒタ Musikantムジカント.(訳注 ドイツ語。「人はいいが音楽は下手」
トロフィーモフ (ピーシチクの肩をたたいて)まったく、なんて馬だろう、あんたは……
 ()()()()()()()()()
ピーシチク (驚いて)こりゃどうだ!
  ()()
ラネーフスカヤ (拍手して)ブラヴォー、ブラヴォー! ……
シャルロッタ では、もう一番! アイン・ツワイ・ドライ! (布を上げると、うしろにワーリャが立って、おじぎをする)
ピーシチク (驚いて)こりゃ、どうだ!
シャルロッタ はい、おしまい! (布をピーシチクに投げかけ、膝をかがめて会釈し、広間へ走り去る)
ピーシチク (いそいで追いかけながら)この悪者……いやはや! なんという! (退場)
  
ワーリャ (なだめようと懸命に)伯父さんが落札なすったのよ、きっとですわ。
トロフィーモフ (冷笑的に)なるほどね。
 ()
 
トロフィーモフ (ワーリャをからかう)マダム・ロパーヒン!
ワーリャ (怒って)万年大学生! 二度ももう、大学を追い出されたくせに。
   ()()
ワーリャ わたし正直に言えば、このことは真剣に考えていますの。あの人はいい人間で、わたし好きですわ。
ラネーフスカヤ じゃ、ったらいいじゃない。何を待つことがあるの、気が知れないわ!
 
トロフィーモフ そいつはすばらしい!

  調()()() ()





ヤーシャ (やっと笑いをこらえながら)エピホードフが、撞球棒キューを折りました! ……(退場)
ワーリャ なんだってエピホードフがいるの? 誰があれに、玉突きをしろと言いました? あの人たちの気が知れないわ。……(退場)
ラネーフスカヤ あの子をからかわないでね、ペーチャ、ただでさえ、苦労の多い子なんですから。
 () ()()
   ()()鹿()
  
  ()() 姿() ()()()()
トロフィーモフ ぼくがしんから同情してること、ご存じじゃないですか。
 ()()  ()()()
トロフィーモフ (電報を拾って)僕は好男子になりたかありません。
 () () ()()()
トロフィーモフ (涙ごえで)率直に言わせてください、お願いです。あの男は、あなたからすっかりきあげたじゃないですか!
ラネーフスカヤ いや、いや、いや、それを言わないで……(両耳をふさぐ)
トロフィーモフ あいつはろくでなしです、それを知らないのはあなただけだ! あいつはケチなやくざ野郎で、虫けらみたいな……
ラネーフスカヤ (ムッとするが、じっとこらえて)あなたは二十六か七のはずね。だのに、まるで中学の二年生みたい!
トロフィーモフ かまやしません!
   ()()
トロフィーモフ (呆気あっけにとられて)何を言うんだ、この人は!
   
  ※(疑問符感嘆符、1-8-77) 退 退

   






 





アーニャ (笑いながら)ペーチャがね、階段から落っこちたの! (走り去る)

 


 



 



()


ヤーシャ どうした、じいさん?
 ()()便()()()()()()
 

  ()






 ()()()





アーニャ (わくわくして)いま台所で、どこかの人が、桜の園は今日、売れてしまったと話していたわ。
ラネーフスカヤ だれが買ったの。
アーニャ 誰とも言わずに、行ってしまったの。(トロフィーモフと踊る。ふたり広間へ去る)
ヤーシャ それはね、どこかの爺さんがしゃべってたんでさあ、よそもんでしたがね。
 ()()
 
ヤーシャ でも、とっくに行ってしまいましたよ、その爺さんは。(笑う)
ラネーフスカヤ (いささかムッとして)まあ、何を笑うの、お前は? 何がうれしいの?
 
ラネーフスカヤ フィールス、この領地が売れてしまったら、おまえどこへ行くつもり?
フィールス おおせのままに、どこへでも参ります。
ラネーフスカヤ お前、どうしてそんな顔をしてるの? 加減でも悪いの? 向うへ行って、やすんだらどう? ……
 () 

   ()退





ピーシチク どうぞ奥さん……ワルツを一番ねがいます……(ラネーフスカヤ、彼と歩きだす)天女のような奥さん、とにかく百八十ルーブリは拝借しますよ……。ぜひ拝借しますよ……(踊る)百八十ルーブリ……(広間へ移る)

 


()()()



 ()()()殿便





フィールス なんと仰しゃったかい?
ドゥニャーシャ あんたは花のようだ、ですって。
ヤーシャ (あくび)無学な連中だ……(退場)
 

フィールス そろそろおっぱじめるな、お前さんも。


エピホードフ登場。


 ()()
ドゥニャーシャ 何のご用ですの?
 宿()()
 

 





  ()
エピホードフ こう申しては失礼ですが、あなたからお小言を頂く筋合いはありません。
 
 
ワーリャ よくも言えたね、わたしにそんなことが! (カッとなって)言ったわね? つまりわたしが、わからずやだと言うんだね? とっとと出てくがいい! さあ今すぐ!
エピホードフ (怖気おじけづいて)もう少々その、デリケートな言葉で、どうぞ。
      退   
ロパーヒン これはどうも恐縮。
ワーリャ (怒りと嘲笑ちょうしょうをまぜて)失礼!
ロパーヒン どうしまして。結構なご馳走ちそうで、あつくお礼を。
ワーリャ 礼には及びません。(その場から離れ、やがて振りかえって、やさしく尋ねる)お怪我けがはなかったかしら?
ロパーヒン いや、なあに。もっとも、でっかいこぶぐらいできそうですがね。
広間の声々 ロパーヒンが来た! ロパーヒンさんだわ!

 ()()()()()





ラネーフスカヤ まあ、あなたでしたの、ロパーヒンさん? どうしてこんなに遅かったの? レオニードはどうしまして?
ロパーヒン お兄さまも、一緒にもどられました。すぐ見えます……
ラネーフスカヤ (わくわくしながら)で、どうでしたの? 競売はありまして? さ、話してちょうだい!

  





ラネーフスカヤ リョーニャ、どうだったの! ねえ、リョーニャ! (じりじりして、涙ぐんで)早くして、後生だから……
   
ピーシチク どうだったね、競売は? 話してくれよ、さあ!
ラネーフスカヤ 売れたの、桜の園は?
ロパーヒン 売れました。
ラネーフスカヤ 誰が買ったの?

 


()()()()()退



      ()()()()()()()()()()()()調 () ()()





  ()()
 

     ()() 退





    ()()   
――幕――
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     第四幕


()()()()
()




 


()()()


  

ラネーフスカヤ わたし駄目だめなの! わたし駄目なんだもの!


ふたり退場。


     
   
ロパーヒン 一本八ルーブリしたがな。(間)ここは、やけに寒いなあ。
ヤーシャ 今日はかなかったんでね、どうせ行っちまうんですからね。(笑う)
ロパーヒン 何がおかしいんだ?
ヤーシャ ついうれしくってね。

 ()() 


()()


 ()() 
 
トロフィーモフ おっつけ、みんな行っちまいますよ。そこでまた有益な事業とやらに、着手なさるがいいさ。
ロパーヒン どう、一杯やらないかね。
トロフィーモフ いや、結構。
ロパーヒン じゃ、こんどはモスクワかね?
トロフィーモフ そう、皆さんを町まで送って行って、あしたはモスクワだ。
 
トロフィーモフ よけいなお世話だ。
ロパーヒン 君は一体、大学に何年いるんだね?
トロフィーモフ 何かもっと、新しい手を考えたらどうだい? その手は古いし、平凡だよ。(オーバーシューズをさがす)ねえ君、僕たちはこれで、おそらく二度と会う時はあるまい。そこで一つ君に、お別れの忠告をさせてもらいたいんだがね――両手を振りまわすな、これさ! そのぶんぶん振りまわす癖を、ひとつやめるんだね。こんどの別荘建築案にしてもそれだ。やがてその別荘の連中が、だんだん独立した農場主になって行くだろうなんてソロバンをはじくこと――そんな目算を立てることがそもそも、両手を振りまわすことなんだよ。……まあそれはそれとして、僕はやっぱり君が好きだ。君は役者か音楽家にでもありそうな、やさしい華奢きゃしゃな指をしている。そして君の心もちも、根はやさしくて華奢なんだよ。……
 
トロフィーモフ なんだって僕に? いらないよ。
ロパーヒン だって、ないじゃないか!
 
ワーリャ (隣の部屋から)さっさと持ってって頂だい、この汚ならしいもの! (ゴムのオーバーシューズを一足、舞台へほうり出す)
トロフィーモフ 何をそう怒るんです、ワーリャ? ふん……こりゃ僕の〔オーバーシューズ〕じゃない!
 ()  
 ()()綿
ロパーヒン 行き着けるかね?

トロフィーモフ 行き着けるとも。(間)自分で行き着くか、さもなけりゃ、行き着く道をひとに教えてやる。


遠くで、桜の木におのを打ちこむ音がきこえる。


 ()()()() ()()
アーニャ (ドアの口で)ママのお願いなんだけど、出かけるまでは、庭の木をらないでくださいって。
トロフィーモフ ほんとにそうだ、君も気が利かないじゃないか。……(次の間を通って退場)
ロパーヒン ただ今、ただ今。……なんというやつらだ、まったく。(彼につづいて退場)
アーニャ フィールスを病院へ送ったの?
ヤーシャ 今朝そう言っときましたから、送ったものと思われます。
アーニャ (広間を通って行くエピホードフに)エピホードフさん、フィールスを病院へ送ったかどうか、ちょっと調べてちょうだいな。
ヤーシャ (ムッとして)今朝エゴールに言っときましたったら。何を十ぺんもくことがあるんです!
 ()()退
ヤーシャ (あざけるように)二十二の不仕合せめ……
ワーニャ (ドアの向うで)フィールスを病院へ送ったの?
アーニャ 送りました。
ワーリャ なんだって、ドクトルあての手紙を持って行かなかったんだろう?
アーニャ それじゃ、追っかけて持たせてやらなけりゃ……(退場)
ワーリャ (隣の部屋から)ヤーシャはどこ? おっ母さんがお別れに来てるって、そう言ってちょうだい。

 





ドゥニャーシャ ちらりと一目ぐらい、見てくれたっていいじゃないの、ヤーシャ。あなたは行ってしまうのね……あたしを捨てるのね……(泣きながら、男の首にすがりつく)
     
 ()()便 

 ()()()





ガーエフ そろそろ出かけなくちゃ。もう幾らもないぞ。(ヤーシャを見て)誰だい、ニシンのにおいをぷんぷんさせる奴は?
 ()()()() () 
アーニャ ええ。とても! 新しい生活が始まるんですもの、ママ!
 
 使 
  () 

 ()()





ガーエフ シャルロッタはいいなあ、歌なんか歌ってる!
    ()() 
ロパーヒン さがしたげますよ、シャルロッタさん、大丈夫です。
ガーエフ みんな、われわれを捨ててくんだな、ワーリャも行っちまうし……どうもとたんに、用なしの人間になっちまった。

 





ロパーヒン よう、天然記念物! ……
ピーシチク (息を切らして)やれやれ、まあ一息つかしてください……へとへとだ。……皆さん、ご機嫌……。水をいっぱい……
ガーエフ どうせまた金のことだろう? 桑原桑原、まっぴらご免……(退場)
ピーシチク 久しくごぶさたしましたなあ……奥さん……(ロパーヒンに)君もいたのか……こいつは嬉しい……よう、天下一の知恵ぶくろ……取ってくれ……まあこれを。……(ロパーヒンに金を渡す)四百ルーブリだ……あとまだ八百四十、借りになってるが……
ロパーヒン (けげんそうに肩をすくめる)こりゃ夢のようだ。……一体どこで手に入れたんだね?
 ()()()()  
ロパーヒン イギリス人って、いったい何者かね?
 
ラネーフスカヤ わたしたち、すぐこれから町へ引越して、あしたわたしは外国へ〔ちますの〕……
   便()退() 退
 
アーニャ ママ、フィールスはもう病院へやったわ。ヤーシャがけさやったの。
 ()退
 
 
ロパーヒン ちょうどシャンパンもあります。(小型グラスをすかして見て)おや、からだ、誰かもう飲んじまった。(ヤーシャ咳払せきばらいをする)がぶ飲みとはこのことだ……
 ()()  退

ロパーヒン (時計をのぞいて)そう……(間)


ドアの向うで忍び笑い、ひそひそ声、やがてワーリャ登場。


ワーリャ (長いこと、あれこれと荷物を調べる)おかしいわ、どうしても見つからない……
ロパーヒン 何がないんですか?
ワーリャ 自分でしまいこんだくせに、覚えがないんですの。(間)
ロパーヒン あなたはこれからどうされます、ワルワーラ(訳注 ワーリャの正式の名)さん?
ワーリャ わたし? ラグーリンのところへ行きます。……あすこの家政を見ることになりましたの……女の家令とでもいうのかしら。
ロパーヒン ではヤーシネヴォ村ですね? 七十キロもありますよ。(間)いよいよこの家の生活もおしまいになりましたね。……
ワーリャ (荷物を見まわしながら)どこへ行ったんだろう、あれは……もしかすると、長持へ入れたのかもしれない。……ええ、この家の生活もおしまいですわ……もう二度と返っては来ませんわ……
 
ワーリャ あら、そう!
 
ワーリャ わたし見ませんでした。(間)それに、うちの寒暖計はこわれていますから……(間)
戸外の声 (ドアの口で)ロパーヒンさん! ……

  退


()


ラネーフスカヤ どうだったの? (間)もう行かなくちゃ。
 

 


()()()()使()()


ラネーフスカヤ さあ、もうこれで発てるわ。
アーニャ (うれしそうに)出発だわ!
  
アーニャ (哀願するように)伯父さま!
ワーリャ 伯父さん、およしなさいったら!

ガーエフ (しょげて)黄玉をからクッションで真ん中へ……。黙るよ。……


トロフィーモフ、つづいてロパーヒン登場。


トロフィーモフ まだですか、皆さん、もう出発の時間ですよ!
ロパーヒン エピホードフ、おれの外套を!
  ()()
ガーエフ いまだに覚えてるが、わたしが六つのとき、聖霊降臨トロイツァの日曜日に、わたしがこの窓に腰かけて見ていると、お父さんが教会へ出かけて行ったっけ……
ラネーフスカヤ 荷物はみんな出まして?
 
エピホードフ (しゃがれ声で)ご心配なく、行ってらっしゃいまし。
ロパーヒン 一体どうしたんだ、その声は?
エピホードフ いま水を飲んだ拍子に、何かのみこみましたんで。
ヤーシャ (軽蔑けいべつして)間抜けめ!
ラネーフスカヤ わたしたちが行ってしまうと、ここには人っ子ひとり残らないのねえ……
ロパーヒン 春が来るまではね。
 ()()
トロフィーモフ 皆さん、さあ乗りこみましょう。……もう時間です! 間もなく汽車がはいりますよ!
 
トロフィーモフ (オーバーシューズをはきながら)さあ行きましょう、皆さん! ……
ガーエフ (泣きだしそうになり、ひどくうろたえる)汽車が……その、停車場が……。ひねって真ん中へ、白玉はからクッションですみへ……
ラネーフスカヤ 行きましょう!
 ()   
アーニャ さようなら、わたしのうち! さようなら、古い生活!

  退


退退



 ()() 退


()


ガーエフ (身も世もあらず)ああ妹、可愛い妹……
ラネーフスカヤ ああ、わたしのいとしい、なつかしい、美しい庭! ……わたしの生活、わたしの青春、わたしの幸福、さようなら! ……さようなら! ……
アーニャの声 (浮き浮きと、招き寄せるような声で)ママ! ……
トロフィーモフの声 (浮き浮きと、感激をこめて)おーい! ……
 ()
ガーエフ ああ妹、可愛い妹! ……
アーニャの声 ママ! ……
トロフィーモフの声 おーい! ……

  退


()()
穿()



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