︵一︶
町ちや立うり病つび院やうゐんの庭にはの内うち、牛ごば蒡う、蕁いら草ぐさ、野のあ麻さなどの簇むらがり茂しげつてる邊あたりに、小さゝやかなる別べつ室しつの一棟むねがある。屋や根ねのブリキ板いたは錆さびて、烟えん突とつは半なかば破こはれ、玄げん關くわんの階かい段だんは紛しつ堊くひが剥はがれて、朽くちて、雜ざつ草さうさへのび〳〵と。正しや面うめんは本ほん院ゐんに向むかひ、後こう方はうは茫ひろ廣〴〵とした野の良らに臨のぞんで、釘くぎを立たてた鼠ねず色みいろの塀へいが取とり繞まはされてゐる。此この尖せん端たんを上うへに向むけてゐる釘くぎと、塀へい、さては又また此この別べつ室しつ、こは露ロ西シ亞アに於おいて、たゞ病びや院うゐんと、監かん獄ごくとにのみ見みる、儚はかなき、哀あはれな、寂さびしい建たて物もの。 蕁いら草ぐさに掩おほはれたる細ほそ道みちを行ゆけば直すぐ別べつ室しつの入いり口ぐちの戸とで、戸とを開ひらけば玄げん關くわんである。壁かべ際ぎはや、暖だん爐ろの周まは邊りには病びや院うゐんのさま〴〵の雜がら具くた、古ふる寐ねだ臺い、汚よごれた病びや院うゐ服んふく、ぼろ〳〵の股ヅボ引ンし下た、青あをい縞しまの洗あら浚ひざらしのシヤツ、破やぶれた古ふる靴ぐつと云いつたやうな物ものが、ごたくさと、山やまのやうに積つみ重かさねられて、惡あく臭しうを放はなつてゐる。 此この積つみ上あげられたる雜がら具くたの上うへに、毎いつでも烟きせ管るを噛くはへて寐ねそ辷べつてゐるのは、年としを取とつた兵へい隊たい上あがりの、色いろの褪さめた徽きし章やうの附ついてる軍ぐん服ぷくを始ふだ終ん着きてゐるニキタと云いふ小こづ使かひ。眼めに掩おほひ被かぶさつてる眉まゆは山や羊ぎのやうで、赤あかい鼻はなの佛ぶつ頂ちや面うづら、脊せは高たかくはないが瘠やせて節ふし塊くれ立だつて、何ど處こにか恁かう一癖くせありさうな男をとこ。彼かれは極きはめて頑かたくなで、何なによりも秩ちつ序じよと云いふことを大たい切せつに思おもつてゐて、自じぶ分んの職しよ務くむを遣やり終おほせるには、何なんでも其その鐵てつ拳けんを以もつて、相あい手ての顏かほだらうが、頭あたまだらうが、胸むねだらうが、手てあ當たり放はう題だいに毆な打ぐらなければならぬものと信しんじてゐる、所いは謂ゆる思しり慮よの廻まはらぬ人にん間げん。 玄げん關くわんの先さきは此この別べつ室しつ全ぜん體たいを占しめてゐる廣ひろい間ま、是これが六號がう室しつである。淺あさ黄ぎい色ろのペンキ塗ぬりの壁かべは汚よごれて、天てん井じやうは燻くすぶつてゐる。冬ふゆに暖だん爐ろが烟けぶつて炭たん氣きに罩こめられたものと見みえる。窓まどは内うち側がはから見みに惡くく鐵てつ格がう子しを嵌はめられ、床ゆかは白しろちやけて、そゝくれ立だつてゐる。漬つけた玉たま菜なや、ランプの燻いぶりや、南なん京きん蟲むしや、アンモニヤの臭にほひが混こんじて、入はひつた初はじめの一分ぷん時じは、動どう物ぶつ園ゑんにでも行いつたかのやうな感かん覺かくを惹ひき起おこすので。 室しつ内ないには螺ね旋ぢで床ゆかに止とめられた寐ねだ臺いが數すう脚きやく。其その上うへには青あをい病びや院うゐ服んふくを着きて、昔むか風しふうに頭づき巾んを被かぶつてゐる患くわ者んじ等やらが坐すわつたり、寐ねたりして、是これは皆みんな瘋ふう癲てん患くわ者んじやなのである。患くわ者んじやの數すうは五人にん、其その中うちにて一ひと人りだ丈けは身みぶ分んのある者ものであるが他たは皆みな卑いやしい身みぶ分んの者もの計ばかり。戸とぐ口ちから第だい一の者ものは、瘠やせて脊せの高たかい、栗くり色いろに光ひかる鬚ひげの、眼めを始しゞ終ゆう泣なき腫はらしてゐる發はつ狂きやうの中ちゆ風うぶ患くわ者んじや、頭あたまを支さゝへて凝ぢつと坐すわつて、一つ所ところを瞶みつめながら、晝ちう夜やも別わかず泣なき悲かなしんで、頭あたまを振ふり太とい息きを洩もらし、時ときには苦にが笑わらひをしたりして。周あた邊りの話はなしには稀まれに立たち入いるのみで、質しつ問もんをされたら决けつして返へん答たふを爲したことの無ない、食くふ物ものも、飮のむ物ものも、與あたへらるゝまゝに、時とき々〴〵苦くるしさうな咳せきをする。其その頬ほゝの紅べに色いろや、瘠やせ方かたで察さつするに彼かれにはもう肺はい病びやうの初しよ期きが萠きざしてゐるのであらう。 其それに續つゞいては小こが體らな、元げん氣きな、※あご鬚ひげ﹇#﹁丿+臣+頁﹂、34-下-21﹈の尖とがつた、髮かみの黒くろいネグル人じんのやうに縮ちゞれた、些すこしも落おち着つかぬ老らう人じん。彼かれは晝ひるには室しつ内ないを窓まどから窓まどに往わう來らいし、或あるひはトルコ風ふうに寐ねだ臺いに趺あぐらを坐かいて、山やま雀がらのやうに止とめ度どもなく囀さへづり、小こゞ聲ゑで歌うたひ、ヒヽヽと頓とん興きように笑わらひ出だしたり爲してゐるが、夜よるに祈きた祷うをする時ときでも、猶やは且り元げん氣きで、子こど供ものやうに愉ゆく快わいさうにぴん〳〵してゐる。拳こぶしで胸むねを打うつて祈いのるかと思おもへば、直すぐに指ゆびで戸との穴あなを穿ほつたりしてゐる。是これは猶ジ太ウ人のモイセイカと云いふ者もので、二十年ねん計ばかり前まへ、自じぶ分んが所しよ有いうの帽ばう子しせ製いざ造う場ばが燒やけた時ときに、發はつ狂きやうしたのであつた。 六號がう室しつの中うちで此このモイセイカ計ばかりは、庭にはにでも町まちにでも自じい由うに外で出るのを許ゆるされてゐた。其それは彼かれが古ふるくから病びや院うゐんにゐる爲ためか、町まちで子こど供も等らや、犬いぬに圍かこまれてゐても、决けつして他たに何なん等らの害がいをも加くはへぬと云いふ事ことを町まちの人ひとに知しられてゐる爲ためか、左とに右かく、彼かれは町まちの名めい物ぶつ男をとことして、一ひと人り此この特とく權けんを得えてゐたのである。彼かれは町まちを廻まはるに病びや院うゐ服んふくの儘まゝ、妙めうな頭づき巾んを被かぶり、上うは靴ぐつを穿はいてる時ときもあり、或あるひは跣はだ足しでヅボン下したも穿はかずに歩あるいてゐる時ときもある。而さうして人ひとの門かどや、店みせ前さきに立たつては一錢せんづつを請こふ。或ある家いへではクワスを飮のませ、或ある所ところではパンを食くはして呉くれる。で、彼かれは毎いつも滿まん腹ぷくで、金かね持もちになつて、六號がう室しつに歸かへつて來くる。が、其その携たづさへ歸かへる所ところの物ものは、玄げん關くわんでニキタに皆みんな奪うばはれて了しまふ。兵へい隊たい上あがりの小こづ使かひのニキタは亂らん暴ばうにも、隱かくしを一いち々〳〵轉ひつ覆くりかへして、悉すつ皆かり取とり返かへして了しまふので有あつた。 又またモイセイカは同どう室しつの者ものにも至いたつて親しん切せつで、水みづを持もつて來きて遣やり、寐ねる時ときには布ふと團んを掛かけて遣やりして、町まちから一錢せんづつ貰もらつて來きて遣やるとか、各めい〳〵に新あたらしい帽ばう子しを縫ぬつて遣やるとかと云いふ。左ひだりの方はうの中ちゆ風うぶ患くわ者んじやには始しゞ終ゆう匙さじでもつて食しよ事くじをさせる。彼かれが恁かくするのは、別べつ段だん同どう情じやうからでもなく、と云いつて、或ある情じや誼うぎからするのでもなく、唯たゞ右みぎの隣となりにゐるグロモフと云いふ人ひとに習ならつて、自しぜ然ん其その眞ま似ねをするので有あつた。 イワン、デミトリチ、グロモフは三十三歳さいで、彼かれは此この室しつでの身みぶ分んの可いいもの、元も來とは裁さい判ばん所しよの警けい吏り、又また縣けん廳ちやうの書しよ記きをも務つとめたので。彼かれは人ひとが自じぶ分んを窘きん逐ちくすると云いふ事ことを苦くにしてゐる瘋ふう癲てん患くわ者んじや、常つねに寐ねだ臺いの上うへに丸まるくなつて寐ねてゐたり、或あるひは運うん動どうの爲ためかのやうに、室へやを隅すみから隅すみへと歩あるいて見みたり、坐すわつてゐる事ことは殆ほとんど稀まれで、始しゞ終ゆう興こう奮ふんして、燥いら氣〳〵して、曖あい※まい﹇#﹁目+末﹂、37-上-24﹈なある待まつことで氣きが張はつてゐる樣やう子す。玄げん關くわんの方はうで微かすかな音おとでもするか、庭にはで聲こゑでも聞きこえるかすると、直すぐに頭あたまを持もち上あげて耳みゝを欹そばだてる。誰だれか自じぶ分んの所ところに來きたのでは無ないか、自じぶ分んを尋たづねてゐるのでは無ないかと思おもつて、顏かほには謂いふべからざる不ふあ安んの色いろが顯あらはれる。さなきだに彼かれの憔せう悴すゐした顏かほは不ふか幸うなる内ない心しんの煩はん悶もんと、長ちや日うじ月つげつの恐きよ怖うふとにて、苛さい責なまれ※ぬ﹇#﹁抜﹂の﹁友﹂に代えて﹁ノ/友﹂、35-下-3﹈いた心こゝろを、鏡かゞみに寫うつしたやうに現あらはしてゐるのに。其その廣ひろい骨ほね張ばつた顏かほの動うごきは、如い何かにも變へんで病びや的うてきで有あつて。然しかし心こゝろの苦くつ痛うにて彼かれの﹇#﹁彼かれの﹂は底本では﹁後かれの﹂﹈顏かほに印いんせられた緻ちみ密つな徴ちよ候うこうは、一見けんして智ち慧ゑありさうな、教けう育いくありさうな風ふうに思おもはしめた。而さうして其その眼めには暖あたゝかな健けん全ぜんな輝かゞやきがある、彼かれはニキタを除のぞくの外ほかは、誰たれに對たいしても親しん切せつで、同どう情じやうが有あつて、謙けん遜そんであつた。同どう室しつで誰だれかゞ釦ぼた鈕んを落おとしたとか匙さじを落おとしたとか云いふ場ばあ合ひには、彼かれが先まづ寐ねだ臺いから起おき上あがつて、取とつて遣やる。毎まい朝あさ起おきると同どう室しつの者もの等らにお早はやうと云いひ、晩ばんには又またお休やす息みなさいと挨あい拶さつもする。 彼かれの發はつ狂きや者うしやらしい所ところは、始しゞ終ゆう氣きの張はつた樣やう子すと、變へんな眼めつ付きとをするの外ほかに、時とき折をり、晩ばんになると、着きてゐる病びや院うゐ服んふくの前まへを神しん經けい的てきに掻かき合あはせると思おもふと、齒はの根ねも合あはぬまでに全ぜん身しんを顫ふるはし、隅すみから隅すみへと急いそいで歩あゆみ初はじめる、丁ちや度うど激はげしい熱ねつ病びやうにでも俄にはかに襲おそはれたやう。と、施やがて立たち留とゞまつて室しつ内ないの人ひと々〴〵をして昂かう然ぜんとして今いまにも何なにか重ぢゆ大うだいな事ことを云いはんとするやうな身みが構まへをする。が、又また直たゞちに自じぶ分んの云いふ事ことを聽きく者ものは無ない、其その云いふ事ことが解わかるものは無ないとでも考かんがへ直なほしたかのやうに燥いら立だつて、頭あたまを振ふりながら又また歩あるき出だす。然しかるに言いはうと云いふ望のぞみは、終つひに消きえず忽たちまちにして總すべての考かんがへを壓あつ去しさつて、此こん度どは思おもふ存ぞん分ぶん、熱ねつ切せつに、夢むち中ゆうの有あり樣さまで、言ことばが迸ほとばしり出でる。言いふ所ところは勿もち論ろん、秩ちつ序じよなく、寐ねご言とのやうで、周あわ章てて見みたり、途と切ぎれて見みたり、何なんだか意い味みの解わからぬことを言いふのであるが、何ど處こかに又また善ぜん良りやうなる性せい質しつが微ほのかに聞きこえる、其その言ことばの中うちか、聲こゑの中うちかに、而さうして彼かれの瘋ふう癲てん者しやたる所ところも、彼かれの人じん格かくも亦また見みえる。其その意い味みの繋つながらぬ、辻つじ妻つまの合あはぬ話はなしは、所しよ詮せん筆ふでにする事ことは出で來きぬのであるが、彼かれの云いふ所ところを撮つまんで云いへば、人にん間げんの卑ひれ劣つなること、壓あつ制せいに依よりて正せい義ぎの蹂じう躙りんされてゐること、後こう世せい地ちじ上やうに來きたるべき善ぜん美びなる生せい活くわつのこと、自じぶ分んをして一分ぷん毎ごとにも壓あつ制せい者しやの殘ざん忍にん、愚ぐど鈍んを憤いきどほらしむる所ところの、窓まどの鐵てつ格がう子しのことなどである。云いはゞ彼かれは昔むかしも今いまも全まつたく歌うたひ盡つくされぬ歌うたを、不ふじ順ゆん序じよに、不ふて調う和わに組くみ立たてるのである。︵二︶
今いまから大おほ凡よそ十三四年ねん以いぜ前ん、此この町まちの一番ばんの大おほ通どほりに、自じぶ分んの家いへを所も有つてゐたグロモフと云いふ、容よう貌ばうの立りつ派ぱな、金かね滿もちの官くわ吏んりが有あつて、家いへにはセルゲイ及およびイワンと云いふ二ふた人りの息むす子こもある。所ところが、長ちや子うしのセルゲイは丁ちや度うど大だい學がくの四年ねん級きふになつてから、急きふ性せいの肺はい病びやうに罹かゝり死しば亡うして了しまふ。是これよりグロモフの家いへには、不ふか幸うが引ひき續つゞいて來きてセルゲイの葬さう式しきの終すんだ一週しう間かん目め、父ちゝのグロモフは詐さ欺ぎと、浪らう費ひとの件かどを以もつて裁さい判ばんに渡わたされ、間まもなく監かん獄ごくの病びや院うゐんでチブスに罹かゝつて死しば亡うして了しまつた。で、其その家いへと總すべての什じふ具ぐとは、棄すて賣うりに拂はらはれて、イワン、デミトリチと其その母はゝ親おやとは遂つひに無む一物ぶつの身みとなつた。 父ちゝの存ぞん命めい中ちゆうには、イワン、デミトリチは大だい學がく修しう業げふの爲ためにペテルブルグに住すんで、月つき々〴〵六七十圓ゑんづゝも仕しお送くりされ、何なに不ふじ自い由うなく暮くらしてゐたものが、忽たちまちにして生くら活しは一變ぺんし、朝あさから晩ばんまで、安あん値ちよくの報はう酬しうで學がく科くわを教けう授じゆするとか、筆ひつ耕かうをするとかと、奔ほん走そうをしたが、其それでも食くふや食くはずの儚はかなき境きや涯うがい。僅わづかな收しう入にふは母はゝの給きふ養やうにも供きようせねばならず、彼かれは遂つひに此この生せい活くわつには堪たへ切きれず、斷だん然ぜん大だい學がくを去さつて、古こき郷やうに歸かへつた。而さうして程ほどなく或ある人ひとの世せ話わで郡ぐん立りつ學がく校かうの教けう師しとなつたが、其それも暫ざん時じ、同どう僚れうとは折をり合あはず、生せい徒ととは親な眤じまず、此こゝをも亦また辭じして了しまふ。其その中うちに母はゝ親おやは死しぬ。彼かれは半はん年としも無むし職よくで徘うろ徊〳〵して唯たゞパンと、水みづとで生いの命ちを繋つないでゐたのであるが、其その後ご裁さい判ばん所しよの警けい吏りとなり、病やまひを以もつて後のちに此この職しよくを辭じするまでは、此こゝに務つとめを取とつてゐたのであつた。 彼かれは學がく生せい時じだ代いの壯さう年ねんの頃ごろでも、生せい得とく餘あまり壯さう健けんな身から體だでは無なかつた。顏かほ色いろは蒼あを白じろく、姿すがたは瘠やせて、初しよ中つち終ゆう風か邪ぜを引ひき易やすい、少せう食しよくで落おち々〳〵眠ねむられぬ質たち、一杯ぱいの酒さけにも眼めが廻まはり、往ま々ゝヒステリーが起おこるのである。人ひとと交かう際さいする事ことは彼かれは至いたつて好このんでゐたが、其その神しん經けい質しつな、刺しげ激きされ易やすい性せい質しつなるが故ゆゑに、自みづから務つとめて誰たれとも交かう際さいせず、隨したがつて亦また親しん友いうをも持もたぬ。町まちの人ひと々〴〵の事ことは彼かれは毎いつも輕けい蔑べつして、無むけ教うい育くの徒と、禽きん獸じう的てき生せい活くわつと罵のゝしつて、テノルの高たか聲ごゑで燥いら立だつてゐる。彼かれが物ものを言いふのは憤ふん懣まんの色いろを以もつてせざれば、欣きん喜きの色いろを以もつて、何なに事ごとも熱ねつ心しんに言いふのである。で、其その言いふ所ところは終つひに一つ事ことに歸きして了しまふ。町まちで生せい活くわつするのは好このましく無ない。社しや會くわいには高かう尚しやうなる興イン味テレースが無ない。社しや會くわいは曖あい※まい﹇#﹁目+末﹂、36-下-9﹈な、無む意い味みな生せい活くわつを爲なして居ゐる。壓あつ制せい、僞ぎぜ善ん、醜しう行かうを逞たくましうして、以もつて是これを紛まぎらしてゐる。是こゝに於おいてか奸かん物ぶつ共どもは衣いし食よくに飽あき、正せい義ぎの人ひとは衣いし食よくに窮きうする。廉れん直ちよくなる方はう針しんを取とる地ちは方うの新しん聞ぶん紙し、芝しば居ゐ、學がく校かう、公こう會くわ演いえ説んぜつ、教けう育いくある人にん間げんの團だん結けつ、是これ等らは皆みな必ひつ要えう缺かぐ可べからざるものである。又また社しや會くわい自みづから悟さとつて驚おどろくやうに爲しなければならぬとか抔などとの事ことで。彼かれは其その眼がん中ちゆうに社しや會くわいの人ひと々〴〵を唯たゞ二種しゆに區くべ別つしてゐる、義ぎし者やと、不ふぎ義し者やと、而さうして婦ふじ人んの事こと、戀れん愛あいの事ことに就ついては、毎いつも自みづから深ふかく感かんじ入いつて説とくのであるが、偖さて自じし身んには未いまだ一度ども戀れん愛あいてふものを味あぢはふた事ことは無ないので。 彼かれは恁かくも神しん經けい質しつで、其その議ぎろ論んは過くわ激げきであつたが、町まちの人ひと々〴〵は其それにも拘かゝはらず彼かれを愛あいして、ワアニア、と愛あい嬌けうを以もつて呼よんでゐた。彼かれが天てん性せいの柔やさしいのと、人ひとに親しん切せつなのと、禮れい儀ぎの有あるのと、品ひん行かうの方はう正せいなのと、着きぶ古るしたフロツクコート、病びや人うにんらしい樣やう子す、家かて庭いの不ふぐ遇う、是これ等らは皆みな總すべて人ひと々〴〵に温あたゝかき同どう情じやうを引ひき起おこさしめたのであつた。又また一面めんには彼かれは立りつ派ぱな教けう育いくを受うけ、博はく學がく多たし識きで、何なんでも知しつてゐると町まちの人ひとは言いふてゐる位くらゐ。で、彼かれは此この町まちの活いきた字じび引きとせられてゐた。 彼かれは非ひじ常やうに讀どく書しよを好このんで、屡しば倶く樂ら部ぶに行いつては、神しん經けい的てきに髭ひげを捻ひねりながら、雜ざつ誌しや書しよ物もつを手てあ當たり次しだ第いに剥はいでゐる、讀よんでゐるのではなく咀かみ間まに合あはぬので鵜うの呑みにしてゐると云いふやうな鹽あん梅ばい。讀どく書しよは彼かれの病びや的うてきの習しふ慣くわんで、何なんでも凡およそ手てに觸ふれた所ところの物ものは、其それが縱よ令し去きよ年ねんの古ふる新しん聞ぶんで有あらうが、暦こよみであらうが、一樣やうに饑うえたる者もののやうに、屹きつ度と手てに取とつて見みるのである。家いへにゐる時ときも毎いつも横よこになつては、猶やは且り、書しよ見けんに耽ふけつてゐる。︵三︶
ある秋あきの朝あさのこと、イワン、デミトリチは外ぐわ套いたうの襟えりを立たてゝ泥ぬ濘かつてゐる路みちを、横よこ町ちやう、路ろ次じと經へて、或ある町ちや人うにんの家いへに書かき付つけを持もつて金かねを取とりに行いつたのであるが、猶やは且り毎まい朝あさのやうに此この朝あさも氣きが引ひき立たたず、沈しづんだ調てう子しで或ある横よこ町ちやうに差さし掛かゝると、折をりから向むかふより二ふた人りの囚しう人じんと四人にんの銃じゆうを負おふて附つき添そふて來くる兵へい卒そつとに、ぱつたりと出でつ會くわす。彼かれは何い時つが日ひも囚しう人じんに出でつ會くわせば、同どう情じやうと不ふゆ愉くわ快いの感かんに打うたれるのであるが、其その日ひは又また奈ど何う云いふものか、何なんとも云いはれぬ一種しゆの不い好やな感かん覺かくが、常つねにもあらずむら〳〵と湧わいて、自じぶ分んも恁かく枷かせを箝はめられて、同おなじ姿すがたに泥ぬか濘るみの中なかを引ひかれて、獄ごくに入いれられはせぬかと、遽にはかに思おもはれて慄ぞ然つとした。其それから町ちや人うにんの家いへよりの歸かへ途り、郵いう便びん局きよくの側そばで、豫かねて懇こん意いな一ひと人りの警けい部ぶに出で遇あつたが警けい部ぶは彼かれに握あく手しゆして數すう歩ほば計かり共ともに歩あるいた。すると、何なんだか是これが又また彼かれには只たゞ事ごとでなく怪あやしく思おもはれて、家いへに歸かへつてからも一日にち中ぢゆう、彼かれの頭あたまから囚しう人じんの姿すがた、銃じゆうを負おふてる兵へい卒そつの顏かほなどが離はなれずに、眼がん前ぜんに閃ちら付ついてゐる、此この理わ由けの解わからぬ煩はん悶もんが怪あやしくも絶たえず彼かれの心こゝろを攪かく亂らんして、書しよ物もつを讀よむにも、考かんがふるにも、邪じや魔まをする。彼かれは夜よるになつても燈あかりをも點つけず、夜よもすがら眠ねむらず、今いまにも自じぶ分んが捕ほば縛くされ、獄ごくに繋つながれはせぬかと唯たゞ其それ計ばかりを思おもひ惱なやんでゐるのであつた。 然しかし無むろ論ん、彼かれは自じし身んに何なんの罪つみもなきこと、又また將しや來うらいに於おいても殺さつ人じん、窃せつ盜たう、放はう火くわなどの犯はん罪ざいは斷だんじて爲せぬとは知しつてゐるが、又また獨ひとりつく〴〵と恁かうも思おもふたのであつた。故こ意いならず犯はん罪ざいを爲なすことが無ないとも云いはれぬ、人ひとの讒ざん言げん、裁さい判ばんの間まち違がひなどは有あり得うべからざる事ことだとは云いはれぬ、抑そもそも裁さい判ばんの間まち違がひは、今こん日にちの裁さい判ばんの状じや態うたいにては、最もつとも有あり有うべき事ことなので、總そうじて他たに人んの艱かん難なんに對たいしては、事じむ務じや上う、職しよ務くむ上じやうの關くわ係んけいを有もつてゐる人ひと々〴〵、例たとへば裁さい判ばん官くわん、警けい官くわん、醫い師し、とかと云いふものは、年ねん月げつの經けい過くわすると共ともに、習しふ慣くわんに依よつて遂つひには其その相あい手ての被ひこ告く、或あるひは患くわ者んじやに對たいして、單たんに形けい式しき以いじ上やうの關くわ係んけいを有もたぬやうに望のぞんでも出で來きぬやうに、此この習しふ慣くわんと云いふ奴やつがさせて了しまふ、早はやく言いへば彼かれ等らは恰あだかも、庭にはに立たつて羊ひつじや、牛うしを屠ほふり、其その血ちには氣きが着つかぬ所ところの劣れつ等とうの人にん間げんと少すこしも選えらぶ所ところは無ないのだ。 翌よく朝あさイワン、デミトリチは額ひたひに冷ひや汗あせをびつしよりと掻かいて、床とこから吃びつ驚くりして跳はね起おきた。もう今いまにも自じぶ分んが捕ほば縛くされると思おもはれて。而さうして自みづから又また深ふかく考かんがへた。恁かくまでも昨きの日ふの奇くしき懊なや惱みが自じぶ分んから離はなれぬとして見みれば、何なにか譯わけがあるのである、さなくて此この忌いまはしい考かんがへが這こん麼なに執しふ念ねく自じぶ分んに着つき纒まとふてゐる譯わけは無ないと。 ﹃や、巡じゆ査んさが徐そろ々〳〵と窓まどの傍そばを通とほつて行いつた、怪あやしいぞ、やゝ、又また誰たれか二ふた人り家うちの前まへに立たち留とゞまつてゐる、何な故ぜ默だまつてゐるのだらうか?﹄ 是これよりしてイワン、デミトリチは日にち夜やを唯たゞ煩はん悶もんに明あかし續つゞける、窓まどの傍そばを通とほる者もの、庭にはに入いる者ものは皆みな探たん偵ていかと思おもはれる。正ひ午るになると毎まい日にち警けい察さつ署しよ長ちやうが、町まち盡はづ頭れの自じぶ分んの邸やしきから警けい察さつへ行いくので、此この家いへの前まへを二頭とう馬ばし車やで通とほる、するとイワン、デミトリチは其その度たび毎ごと、馬ばし車やが餘あまり早はやく通とほり過すぎたやうだとか、署しよ長ちやうの顏かほ付つきが別べつで有あつたとか思おもつて、何なんでも此これは町まちに重ぢゆ大うだいな犯はん罪ざいが露あ顯らはれたので其それを至しき急ふ報はう告こくするのであらうなどと極きめて、頻しきりに其それが氣きになつてならぬ。 家いへ主ぬしの女をん主なあ人るじの處ところに見み知しらぬ人ひとが來きさへすれば其それも苦くになる。門もんの呼よび鈴りんが鳴なる度たびに惴びく々〳〵しては顫ふる上へあがる。巡じゆ査んさや、憲けん兵ぺいに遇あひでもすると故わざと平へい氣きを粧よそほふとして、微びせ笑うして見みたり、口くち笛ぶえを吹ふいて見みたりする。如い何かなる晩ばんでも彼かれは拘こう引いんされるのを待まち構かまへてゐぬ時ときとては無ない。其それが爲ために終よつ夜ぴて眠ねむられぬ。が、若もし這こん麼なこ事とを女をん主なあ人るじにでも嗅かぎ付つけられたら、何なにか良りや心うしんに咎とがめられる事ことがあると思おもはれやう、那そん樣なう疑たがひでも起おこされたら大たい變へんと、彼かれはさう思おもつて無む理りに毎まい晩ばん眠ねた振ふりをして、大おほ鼾いびきをさへ發かいてゐる。然しかし這こん麼なこ心ゝろ遣づかひは事じゝ實つに於おいても、普ふつ通うの論ろん理りに於おいても考かんがへて見みれば實じつに愚ばか々〳〵しい次しだ第いで、拘こう引いんされるだの、獄らう舍やに繋つながれるなど云いふ事ことは良りや心うしんにさへ疚やましい所ところが無ないならば少すこしも恐おそ怖るるに足たらぬ事こと、這こん麼なこ事とを恐おそれるのは精せい神しん病びやうに相さう違ゐなき事こと、と、彼かれも自みづから思おもふて是こゝに至いたらぬのでも無ないが、偖さて又また考かんがへれば考かんがふる程ほど迷まよつて、心しん中ちゆうは愈いよ々〳〵苦くも悶んと、恐きよ怖うふとに壓あつしられる。で、彼かれももう思かん慮がへる事ことの無むえ益きなのを悟さとり、全すつ然かり失しつ望ばうと、恐きよ怖うふとの淵ふちに沈しづんで了しまつたのである。 彼かれは其それより獨どく居きよして人ひとを避さけ初はじめた。職しよ務くむを取とるのは前まへにも不い好やであつたが、今いまは猶なほ一層そう不い好やで堪たまらぬ、と云いふのは、人ひとが何い時つ自じぶ分んを欺だまして、隱かくしにでも密そつと賄わい賂ろを突つき込こみは爲せぬか、其それを訴うつたへられでも爲せぬか、或あるひは公こう書しよの如ごときものに詐さ欺ぎ同どう樣やうの間まち違がひでも爲しはせぬか、他たに人んの錢ぜにでも無なくしたり爲しはせぬか。と、無むや暗みに恐おそろしくてならぬので。 春はるになつて雪ゆきも次しだ第いに解とけた或ある日ひ、墓はか場ばの側そばの崖がけの邊あたりに、腐ふら爛んした二つの死しが骸いが見み付つかつた。其それは老らう婆ばと、男をとこの子ことで、故こさ殺つの形けい跡せきさへ有あるのであつた。町まちではもう到いたる所ところ、此この死しが骸いのことゝ、下げし手ゆに人んの噂うは計さばかり、イワン、デミトリチは自じぶ分んが殺ころしたと思おもはれは爲せぬかと、又またしても氣きが氣きではなく、通とほりを歩あるきながらも然さう思おもはれまいと微びせ笑うしながら行いつたり、知しり人びとに遇あひでもすると、青あをくなり、赤あかくなりして、那あん麼な弱よわ者いも共のどもを殺ころすなどと、是これ程ほど憎にくむべき罪ざい惡あくは無ないなど、云いつてゐる。が、其それも此これも直ぢきに彼かれを疲つ勞からして了しまふ。彼かれは乃そこでふと思おもひ着ついた、自じぶ分んの位ゐ置ちの安あん全ぜんを計はかるには、女をん主なあ人るじの穴あな藏ぐらに隱かくれてゐるのが上じや策うさくと。而さうして彼かれは一日にち中ゞゆう、又また一ひと晩ばん中ぢゆう、穴あな藏ぐらの中なかに立たち盡つくし、其その翌よく日じつも猶やは且り出でぬ。で、身から體だが甚ひどく凍こゞえて了しまつたので、詮せん方かたなく、夕ゆふ方がたになるのを待まつて、こツそりと自じぶ分んの室へやには忍しのび出でて來きたものゝ、夜よあ明けまで身みう動ごきもせず、室へやの眞まん中なかに立たつてゐた。すると明あけ方がた、未まだ日ひの出でぬ中うち、女をん主なあ人るじの方はうへ暖だん爐ろつ造くりの職しよ人くにんが來きた。イワン、デミトリチは彼かれ等らが厨くり房やの暖だん爐ろを直なほしに來きたのであるのは知しつてゐたのであるが、急きふに何なんだか然さうでは無ないやうに思おもはれて來きて、是これは屹きつ度と警けい官くわんが故わざと暖だん爐ろし職よく人にんの風ふう體ていをして來きたのであらうと、心こゝろは不そゞ覺ろ、氣きは動どう顛てんして、卒いきなり、室へやを飛とび出だしたが、帽ばうも被かぶらず、フロツクコートも着きずに、恐おそ怖れに驅かられたまゝ、大おほ通どほりを眞ま一文もん字じに走はしるのであつた。一匹ぴきの犬いぬは吠ほえながら彼かれを追おふ。後うしろの方はうでは農のう夫ふが叫さけぶ。イワン、デミトリチは兩りや耳うみゝがガンとして、世せか界いぢ中ゆうの有あらゆる壓あつ制せいが、今いま彼かれの直すぐ背うし後ろに迫せまつて、自じぶ分んを追おひ駈かけて來きたかのやうに思おもはれた。 彼かれは捕とらへられて家いへに引ひき返かへされたが、女をん主なあ人るじは醫いし師やを招よびに遣やられ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは來きて彼かれを診しん察さつしたのであつた。 而さうして頭あたまを冷ひやす藥くすりと、桂けい梅ばい水すゐとを服ふく用ようするやうにと云いつて、不い好やさうに頭かしらを振ふつて、立たち歸かへり際ぎはに、もう二度どとは來こぬ、人ひとの氣きの狂くるふ邪じや魔まを爲するにも當あたらないからとさう云いつた。 恁かくてイワン、デミトリチは宿やどを借かりる事ことも、療れう治ぢする事ことも、錢ぜにの無ないので出で來き兼かぬる所ところから、幾いく干ばくもなくして町ちや立うり病つび院やうゐんに入いれられ、梅ばい毒どく病びや患うく者わんじやと同どう室しつする事こととなつた。然しかるに彼かれは毎まい晩ばん眠ねむらずして、我わが儘まゝを云いつては他ほかの患くわ者んじ等やらの邪じや魔まをするので、院ゐん長ちやうのアンドレイ、エヒミチは彼かれを六號がう室しつの別べつ室しつへ移うつしたのであつた。 一年ねんを經へて、町まちではもうイワン、デミトリチの事ことは忘わすれて了しまつた。彼かれの書しよ物もつは女をん主なあ人るじが橇そりの中なかに積つみ重かさねて、軒のき下したに置おいたのであるが、何ど處こからともなく、子こど供も等らが寄よつて來きては、一册さつ持もち行ゆき、二册さつ取とり去さり、段だん々〳〵に皆みんな何いづれへか消きえて了しまつた。︵四︶
イワン、デミトリチの左ひだりの方はうの隣となりは、猶ジ太ウ人のモイセイカであるが、右みぎの方はうにゐる者ものは、全まる然きり意い味みの無ない顏かほをしてゐる、油あぶ切らぎつて、眞まん圓まるい農のう夫ふ、疾とうから、思しり慮よも、感かん覺かくも皆かい無むになつて、動うごきもせぬ大おほ食ぐひな、不ふけ汚つ極きはまる動どう物ぶつで、始しゞ終ゆう鼻はなを突つくやうな、胸むねの惡わるくなる臭しう氣きを放はなつてゐる。 彼かれの身みの周まはりを掃さう除ぢするニキタは、其その度たびに例れいの鐵てつ拳けんを振ふるつては、力ちからの限かぎり彼かれを打うつのであるが、此この鈍にぶき動どう物ぶつは、音ねをも立たてず、動うごきをもせず、眼めの色いろにも何なんの感かんじをも現あらはさぬ。唯たゞ重おもい樽たるのやうに、少すこし蹌よろ踉けるのは見みるのも氣き味みが惡わるい位くらゐ。 六號がう室しつの第だい五番ばん目めは、元も來と郵いう便びん局きよくとやらに勤つとめた男をとこで、氣きの善いいやうな、少すこし狡ず猾るいやうな、脊せの低ひくい、瘠やせたブロンヂンの、利りか發うらしい瞭はつ然きりとした愉ゆく快わいな眼めつ付き、些ちよつと見みると恰まるで正しや氣うきのやうである。彼かれは何なにか大たい切せつな祕ひみ密つな物ものを有もつてゐると云いふやうな風ふうをしてゐる。枕まくらの下したや、寐ねだ臺いの何ど處こかに、何なにかをそツと隱かくして置おく、其それは盜ぬすまれるとか、奪うばはれるとか、云いふ氣きづ遣かひの爲ためではなく人ひとに見みられるのが恥はづかしいのでさうして隱かくして置おく物ものがある。時とき々〴〵同どう室しつの者もの等らに脊せを向むけて、獨ひとり窓まどの所ところに立たつて、何なにかを胸むねに着つけて、頭かしらを屈かゞめて熟み視いつてゐる樣やう子す。誰たれか若もし近ちか着づきでもすれば、極きまり惡わるさうに急いそいで胸むねから何なにかを取とつて隱かくして了しまふ。然しかし其その祕ひみ密つは直すぐに解わかるのである。 ﹃私わたくしをお祝いはひなすつて下ください。﹄ と、彼かれは時とき々〴〵イワン、デミトリチに云いふことがある。 ﹃私わたくしは第だい二等とうのスタニスラウの勳くん章しやうを貰もらひました。此この第だい二等とうの勳くん章しやうは、全ぜん體たいなら外ぐわ國いこ人くじんでなければ貰もらへないのですが、私わたくしには其その、特とく別べつを以もつてね、例れい外ぐわいと見みえます。﹄ と、彼かれは訝いぶかるやうに些ちよつと眉まゆを寄よせて微びせ笑うする。 ﹃實じつを申まをしますと、是これはちと意いぐ外わいでしたので。﹄ ﹃私わたくしは奈ど何うもさう云いふものに就ついては、全まる然で解わからんのです。﹄ と、イワン、デミトリチは愁うれはしさうに答こたへる。 ﹃然しかし私わたくしが早さう晩ばん手てに入いれやうと思おもひますのは、何なんだか知しつておゐでになりますか。﹄ 先もとの郵いう便びん局きよ員くゐんは、さも狡ず猾るさうに眼めを細ほそめて云いふ。 ﹃私わたくしは屹きつ度と此こん度どは瑞スウ典エーデンの北ほく極きよ星くせいの勳くん章しやうを貰もらはうと思おもつて居をるです、其その勳くん章しやうこそは骨ほねを折をる甲か斐ひのあるものです。白しろい十字じ架かに、黒くろリボンの附ついた、其それは立りつ派ぱです。﹄ 此この六號がう室しつ程ほど單たん調てうな生せい活くわつは、何ど處こを尋たづねても無ないであらう。朝あさには患くわ者んじ等やらは、中ちゆ風うぶ患くわ者んじやと、油あぶ切らぎつた農のう夫ふとの外ほかは皆みんな玄げん關くわんに行いつて、一つ大おほ盥だらひで顏かほを洗あらひ、病びや院うゐ服んふくの裾すそで拭ふき、ニキタが本ほん院ゐんから運はこんで來くる、一杯ぱいに定さだめられたる茶ちやを錫すゞの器うつはで啜すゝるのである。正ひ午るには酢すく漬つけた玉たま菜なの牛にく肉じ汁ると、飯めしとで食しよ事くじをする。晩ばんには晝ひる食めしの餘あまりの飯めしを食たべるので。其その間あひだは横よこになるとも、睡ねむるとも、空そらを眺ながめるとも、室へやの隅すみから隅すみへ歩あるくとも、恁かうして毎まい日にちを送おくつてゐる。 新あたらしい人ひとの顏かほは六號がう室しつでは絶たえて見みぬ。院ゐん長ちやうアンドレイ、エヒミチは新あらたな瘋ふう癲てん患くわ者んじやはもう疾とくより入にふ院ゐんせしめぬから。又また誰ゝれとて這こん麼なふ瘋うて癲んし者やの室へやに參さん觀くわんに來くる者ものも無ないから。唯たゞ二ヶ月げつに一度ど丈だけ、理と髮こ師やのセミヨン、ラザリチ計ばかり此こゝへ來くる、其その男をとこは毎いつも醉よつてニコ〳〵しながら遣やつて來きて、ニキタに手てつ傳だはせて髮かみを刈かる、彼かれが見みえると患くわ者んじ等やらは囂がや々〳〵と云いつて騷さわぎ出だす。 恁かく患くわ者んじ等やらは理と髮こ師やの外ほかには、唯たゞニキタ一ひと人り、其それより外ほかには誰たれに遇あふことも、誰たれを見みることも叶かなはぬ運うん命めいに定さだめられてゐた。 しかるに近ちか頃ごろに至いたつて不ふ思し議ぎな評ひや判うばんが院ゐん内ないに傳つたはつた。 院ゐん長ちやうが六號がう室しつに足あし繁ゝげく訪はう問もんし出だしたとの風ひや評うばん。︵五︶
不ふ思し議ぎな風ひや評うばんである。 ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風ふう變がはりな人にん間げんで、青せい年ねんの頃ころには甚はなはだ敬けい虔けんで、身みを宗しゆ教うけ上うじやうに立たてやうと、千八百六十三年ねんに中ちゆ學うがくを卒そつ業げふすると直すぐ、神しん學がく大だい學がくに入いらうと决けつした。然しかるに醫いが學くは博か士せにして、外げく科わ專せん門もん家かなる彼かれが父ちゝは、斷だん乎ことして彼かれが志しば望うを拒こばみ、若もし彼かれにして司しさ祭いとなつた曉あかつきは、我わが子ことは認みとめぬと迄まで云いひ張はつた。が、アンドレイ、エヒミチは父ちゝの言ことばではあるが、自じぶ分んは是これ迄まで醫いが學くに對たいして、又また一般ぱんの專せん門もん學がく科ゝわに對たいして、使しめ命いを感かんじたことは無なかつたと自じは白くしてゐる。 左とに右かく、彼かれは醫いく科わだ大いが學くを卒そつ業げふして司しさ祭いの職しよくには就つかなかつた。而さうして醫いし者やとして身みを立たつる初はじめに於おいても、猶なほ今こん日にちの如ごとく別べつ段だん宗しゆ教うけ家うからしい所ところは少すくなかつた。彼かれの容よう貌ばうはぎす〳〵して、何ど處こか百ひや姓くし染やうじみて、※あご鬚ひげ﹇#﹁丿+臣+頁﹂、40-上-12﹈から、ベツそりした髮かみ、ぎごちない不ぶざ態まな恰かつ好かうは、宛まる然で大たい食しよくの、呑のみ※ぬけ﹇#﹁抜﹂の﹁友﹂に代えて﹁ノ/友﹂、40-上-13﹈の、頑ぐわ固んこな街かい道だう端ばたの料れう理り屋やなんどの主しゆ人じんのやうで、素そつ氣け無ない顏かほには青あを筋すぢが顯あらはれ、眼めは小ちひさく、鼻はなは赤あかく、肩かた幅はゞ廣ひろく、脊せい高たかく、手てあ足しが圖づ※ぬ﹇#﹁抜﹂の﹁友﹂に代えて﹁ノ/友﹂、40-上-15﹈けて大おほきい、其その手てで捉つかまへられやうものなら呼こき吸ふも止とまりさうな。其それでゐて足あし音おとは極ごく靜しづかで、歩あるく樣やう子すは注ちゆ意うい深ぶかい忍しの足びあしのやうである。狹せまい廊らう下かで人ひとに出で遇あふと、先まづ道みちを除よけて立たち留どまり、﹃失しつ敬けい﹄と、さも太ふとい聲こゑで云いひさうだが、細ほそいテノルで然さう挨あい拶さつする。彼かれの頸くびには小ちひさい腫はれ物ものが出で來きてゐるので、常つねに糊のり付つけシヤツは着きないで、柔やはらかな麻あ布さか、更さら紗さのシヤツを着きてゐるので。而さうして其その服ふく裝さうは少すこしも醫いし者やらしい所ところは無なく、一つフロツクコートを十年ねんも着きつ續ゞけてゐる。稀まれに猶ジ太ウ人の店みせで新あたらしい服ふくを買かつて來きても、彼かれが着きると猶やは且り皺しわだらけな古ふる着ぎのやうに見みえるので。一つフロツクコートで患くわ者んじやも受うけ、食しよ事くじもし、客きやくにも行ゆく。然しかし其それは彼かれが吝りん嗇しよくなるのではなく、扮な裝りなどには全まつたく無むと頓んぢ着やくなのに由よるのである。 アンドレイ、エヒミチが新あらたに院ゐん長ちやうとして此この町まちに來きた時ときは、此この病びや院うゐんの亂らん脈みやくは名めい状じやうすべからざるもので。室しつ内ないと云いはず、廊らう下かと云いはず、庭にはと云いはず、何なんとも云いはれぬ臭しう氣きが鼻はなを衝ついて、呼い吸きをするさへ苦くるしい程ほど。病びや院うゐんの小こづ使かひ、看かん護ご婦ふ、其その子こど供もら等な抔どは皆みな患くわ者んじやの病びや室うしつに一所しよに起きぐ臥わして、外げく科わし室つには丹たん毒どくが絶たえたことは無ない。患くわ者んじ等やらは油あぶ蟲らむし、南なん京きん蟲むし、鼠ねずみの族やからに責せめ立たてられて、住すんでゐることも出で來きぬと苦くじ情やうを云いふ。器きか械いや、道だう具ぐなどは何なにもなく外げく科わよ用うの刄はも物のが二つある丈だけで體たい温をん器きすら無ないのである。浴よく盤ばんには馬じや鈴がた薯らいもが投なげ込こんであるやうな始しま末つ、代だい診しん、會くわ計いけい、洗せん濯たく女をんなは、患くわ者んじやを掠かすめて何なんとも思おもはぬ。話はなしには前さきの院ゐん長ちやうは往ま々ゝ病びや院うゐんのアルコールを密みつ賣ばいし、看かん護ご婦ふ、婦ふじ人んく患わん者じやを手てあ當たり次しだ第い妾めかけとしてゐたと云いふ。で、町まちでは病びや院うゐんの這こん麼なあ有りさ樣まを知しらぬのでは無なく、一層そう棒ぼう大だいにして亂だら次しの無ないことを評ひや判うばんしてゐたが、是これに對たいしては人ひと々〴〵は至いたつて冷れい淡たんなもので、寧むしろ病びや院うゐんの辯べん護ごをしてゐた位くらゐ。病びや院うゐんなどに入はひるものは、皆みんな病びや人うにんや百ひや姓くし共やうどもだから、其その位くらゐな不ふじ自い由うは何なんでも無ないことである、自じ家かにゐたならば、猶なほ更さら不ふじ自い由うを爲せねばなるまいとか、地ちは方うじ自ち治た體いの補ほじ助よもなくて、町まち獨どく立りつで立りつ派ぱな病びや院うゐんの維ゐ持ぢされやうは無ないとか、左とに右かく惡わるいながらも病びや院うゐんの有あるのは無ないよりも増ましであるとかと。 アンドレイ、エヒミチは院ゐん長ちやうとして其その職しよくに就ついた後のち恁かゝる亂らん脈みやくに對たいして、果はたして是これを如いか何や樣うに所しよ置ちしたらう、敏てき捷ぱきと院ゐん内ないの秩ちつ序じよを改かい革かくしたらうか。彼かれは此この不ふじ順ゆん序じよに對たいしては、さのみ氣きを留とめた樣やう子すはなく、唯たゞ看かん護ご婦ふなどの病びや室うしつに寐ねることを禁きんじ、機きか械いを入いれる戸とだ棚なを二ふた個つ備そな付へつけた計ばかりで、代だい診しんも、會くわ計いけいも、洗せん濯たく婦をんなも、元もとの儘まゝに爲して置おいた。 アンドレイ、エヒミチは知ちし識きと廉れん直ちよくとを頗すこぶる好このみ且かつ愛あいしてゐたのであるが、偖さて彼かれは自じぶ分んの周まは圍りには然さう云いふ生せい活くわつを設まうける事ことは到たう底てい出で來きぬのであつた。其それは氣きり力よくと、權けん力りよくに於おける自じし信んとが足たりぬので。命めい令れい、主しゆ張ちやう、禁きん止し、恁かう云いふ事ことは凡すべて彼かれには出で來きぬ。丁ちや度うど聲こゑを高たかめて命めい令れいなどは决けつして致いたさぬと、誰たれにか誓ちかひでも立たてたかのやうに、呉くれとか、持もつて來こいとかとは奈ど何うしても言いへぬ。で、物ものが食たべたくなつた時ときには、何い時つも躊ちう躇ちよしながら咳せき拂ばらひして、而さうして下げぢ女よに、茶ちやでも呑のみたいものだとか、飯めしにしたいものだとか云いふのが常つねである、其それ故ゆゑに會くわ計いけ係いがゝりに向むかつても、盜ぬすむではならぬなどとは到たう底てい云いはれぬ。無むろ論ん放はう逐ちくすることなどは爲なし得えぬので。人ひとが彼かれを欺あざむいたり、或あるひは諂へつらつたり、或あるひは不ふせ正いの勘かん定ぢや書うがきに署しよ名めいをする事ことを願ねがひでもされると、彼かれは蝦えびのやうに眞まつ赤かになつて只ひた管すらに自じぶ分んの惡わるいことを感かんじはする。が、猶やは且り勘かん定ぢや書うがきには署しよ名めいをして遣やると云いふやうな質たち。 初はじめにアンドレイ、エヒミチは熱ねつ心しんに其その職しよくを勵はげみ、毎まい日にち朝あさから晩ばんまで、診しん察さつをしたり、手しゆ術じゆつをしたり、時ときには産さん婆ばをも爲したのである、婦ふじ人ん等らは皆みな彼かれを非ひじ常やうに褒ほめて名めい醫ゝである、殊ことに小せう兒にく科わ、婦ふじ人んく科わに妙めうを得えてゐると言いひ囃はやしてゐた。が、彼かれは年とし月つきの經たつと共ともに、此この事じげ業ふの單たん調てうなのと、明あき瞭らかに益えきの無ないのとを認みとめるに從したがつて、段だん々〳〵と厭あきて來きた。彼かれは思おもふたのである。今け日ふは三十人にんの患くわ者んじやを受うければ、明あ日すは三十五人にん來くる、明あさ後つ日ては四十人にんに成なつて行ゆく、恁かく毎まい日にち、毎まい月げつ同おな事じことを繰くり返かへし、打うち續つゞけては行ゆくものゝ、市ま中ちの死しば亡うし者やの數すうは决けつして減げんじぬ。又また患くわ者んじやの足あしも依いぜ然んとして門もんには絶たえぬ。朝あさから午ひるまで來くる四十人にんの患くわ者んじやに、奈ど何うして確かく實じつな扶たす助けを與あたへることが出で來きやう、故こ意いならずとも虚きよ僞ぎを爲なしつゝあるのだ。一統とう計けい年ねん度どに於おいて、一萬二千人にんの患くわ者んじやを受うけたとすれば、即すなはち一萬二千人にんは欺あざむかれたのである。重おもい患くわ者んじやを病びや院うゐんに入にふ院ゐんさせて、其それを學がく問もんの規きそ則くに從したがつて治ちれ療うする事ことは出で來きぬ。如い何かなれば規きそ則くはあつても、茲こゝに學がく問もんは無ないのである。哲てつ學がくを捨すてて了しまつて、他たの醫いし師や等らのやうに規きそ則くに從したがつて遣やらうとするのには、第だい一に清せい潔けつ法はふと、空くう氣きの流りう通つう法はふとが缺かくべからざる物ものである。然しかるに這こん麼なふ不け潔つな有あり樣さまでは駄だ目めだ。又また滋じや養うぶ物つが肝かん心じんである。然しかるに這こん麼なく臭さい玉たま菜なの牛にく肉じ汁るなどでは駄だ目めだ、又また善よい補ほじ助よし者やが必ひつ要えうである、然しかるに這こん麼なぬ盜すび人とば計かりでは駄だ目めだ。 而さうして死しが各かく人じんの正せい當たうな終をはりであるとするなれば、何なんの爲ために人ひと々〴〵の死しの邪じや魔まをするのか。假かりにある商しや人うにんとか、ある官くわ吏んりとかゞ、五年ねん十年ねん餘よけ計いに生いき延のびたとして見みた所ところで、其それが何なんになるか。若もし又また醫いが學くの目もく的てきが藥くすりを以もつて、苦くつ痛うを薄うすらげるものと爲なすなれば、自しぜ然ん茲こゝに一つの疑ぎも問んが生しやうじて來くる。苦くつ痛うを薄うすらげるのは何なんの爲ためか? 苦くつ痛うは人ひとを完くわ全んぜんに向むかはしむるものと云いふでは無ないか、又また人じん類るゐが果はたして丸ぐわ藥んやくや、水すゐ藥やくで、其その苦くつ痛うが薄うすらぐものなら、宗しゆ教うけうや、哲てつ學がくは必ひつ要えうが無なくなつたと棄すつるに至いたらう。プシキンは死しに先さきだつて非ひじ常やうに苦くつ痛うを感かんじ、不ふか幸うなるハイネは數すう年ねん間かん中ちゆ風うぶに罹かゝつて臥ふしてゐた。して見みれば原げん始しち蟲ゆうの如ごとき我われ々〳〵に、切せめて苦くな難んてふものが無なかつたならば、全まつたく含がん蓄ちくの無ない生せい活くわつとなつて了しまふ。からして我われ々〳〵は病びや氣うきするのは寧むしろ當たう然ぜんでは無ないか。 恁かゝる議ぎろ論んに全まる然で心こゝろを壓あつしられたアンドレイ、エヒミチは遂つひに匙さじを投なげて、病びや院うゐんにも毎まい日にちは通かよはなくなるに至いたつた。︵六︶
彼かれの生せい活くわつは此かくの如ごとくにして過すぎ行ゆいた。朝あさは八時じに起おき、服ふくを着き換かへて茶ちやを呑のみ、其それから書しよ齋さいに入はひるか、或あるひは病びや院うゐんに行ゆくかである。病びや院うゐんでは外ぐわ來いら患いく者わんじやがもう診しん察さつを待まち構かまへて、狹せまい廊らう下かに多たに人ん數ず詰つめ掛かけてゐる。其その側そばを小こづ使かひや、看かん護ご婦ふが靴くつで煉れん瓦ぐわの床ゆかを音おと高たかく踏ふみ鳴ならして往わう來らいし、病びや院うゐ服んふくを着きてゐる瘠やせた患くわ者んじ等やらが通とほつたり、死しに人んも舁かつぎ出だす、不ふけ潔つぶ物つを入いれた器うつはをも持もつて通とほる。子こど供もは泣なき叫さけぶ、通とほ風りかぜはする。アンドレイ、エヒミチは恁かう云いふ病びや院うゐんの有あり樣さまでは、熱ねつ病びや患うく者わんじや、肺はい病びや患うく者わんじやには最もつとも可よくないと、始しゞ終ゆう思おもひ〳〵するのであるが、其それを又また奈ど何うする事ことも出で來きぬので有あつた。 代だい診しんのセルゲイ、セルゲヰチは、毎いつも控ひか所へじよに院ゐん長ちやうの出でて來くるのを待まつてゐる。此この代だい診しんは脊せの小ちひさい、丸まるく肥ふとつた男をとこ、頬ほゝ髯ひげを綺きれ麗いに剃そつて、丸まるい顏かほは毎いつも好よく洗あらはれてゐて、其その氣き取どつた樣やう子すで、新あたらしいゆつとりした衣いふ服くを着つけ、白しろの襟えり飾かざりをした所ところは、全ま然るで代だい診しんのやうではなく、元げん老らう議ぎゐ員んとでも言いひたいやうである。彼かれは町まちに澤たく山さんの病びや家うかの顧とく主いを持もつてゐる。で、彼かれは自じぶ分んを心こゝ窃ろひそかに院ゐん長ちやうより遙はるかに實じつ際さいに於おいて、經けい驗けんに積つんでゐるものと認みとめてゐた。何なんとなれば院ゐん長ちやうには町まちに顧とく主いの病びや家うかなどは少すこしも無ないのであるから。控ひか所へじよは、壁かべに大おほきい額がく縁ぶちに填はまつた聖せい像ざうが懸かゝつてゐて、重おもい燈とう明みようが下さげてある。傍そばには白しろい布きれを被きせた讀どき經やう臺だいが置おかれ、一方ぱうには大だい主しゆ教けうの額がくが懸かけてある、又またスウャトコルスキイ修しう道だう院ゐんの額がくと、枯かれた花はな環わとが懸かけてある。此この聖せい像ざうは代だい診しん自みづから買かつて此こ所ゝに懸かけたもので、毎まい日にち曜えう日び、彼かれの命めい令れいで、誰だれか患くわ者んじやの一ひと人りが、立たつて、聲こゑを上あげて、祈きた祷うぶ文んを讀よむ、其それから彼かれは自じし身んで、各かく病びや室うしつを、香かう爐ろを提さげて振ふりながら廻まはる。 患くわ者んじやは多おほいのに時じか間んは少すくない、で、毎いつも極ごく簡かん單たんな質しつ問もんと、塗ぬり藥ぐすりか、※ひま麻しあ子ぶら油ぐら位ゐ﹇#﹁箆﹂の﹁竹かんむり﹂に代えて﹁くさかんむり﹂、42-上-12﹈の藥くすりを渡わたして遣やるのに留とゞまつてゐる。院ゐん長ちやうは片かた手てで頬ほゝ杖づゑを突つきながら考かん込がへこんで、唯たゞ機きか械いて的きに質しつ問もんを掛かけるのみである。代だい診しんのセルゲイ、セルゲヰチが時とき々〴〵手てを擦こすり〳〵口くちを入いれる。﹃此この世よには皆みな人ひとが病びや氣うきになります、入いり用ようなものがありません、何なんとなれば、是これ皆みな親しん切せつな神かみ樣さまに不ふね熱つし心んでありますから。﹄診しん察さつの時ときに院ゐん長ちやうはもう疾とうより手しゆ術じゆつを爲する事ことは止やめてゐた。彼かれは血ちを見みるさへ不ふゆ愉くわ快いに感かんじてゐたからで。又また子こど供もの咽の喉どを見みるので口くちを開あかせたりする時ときに、子こど供もが泣なき叫さけび、小ちひさい手てを突つツ張ぱつたりすると、彼かれは其その聲こゑで耳みゝがガンとして了しまつて、眼めが廻まはつて涙なみだが滴こぼれる。で、急いそいで藥くすりの處しよ方はうを云いつて、子こど供もを早はやく連つれて行いつて呉くれと手てを振ふる。 診しん察さつの時とき、患くわ者んじやの臆おく病びやう、譯わけの解わからぬこと、代だい診しんの傍そばにゐること、壁かべに懸かゝつてる畫ぐわ像ざう、二十年ねん以いじ上やうも相あひ變かはらずに掛かけてゐる質しつ問もん、是これ等らは院ゐん長ちやうをして少すくなからず退たい屈くつせしめて、彼かれは五六人にんの患くわ者んじやを診しん察さつし終をはると、ふいと診しん察さつ所じよから出でて行いつて了しまふ。で、後あとの患くわ者んじやは代だい診しんが彼かれに代かはつて診しん察さつするのであつた。 院ゐん長ちやうアンドレイ、エヒミチは疾とうから町まちの病びや家うかを有もたぬのを、却かへつて可いい幸さいはひに、誰だれも自じぶ分んの邪じや魔まをするものは無ないと云いふ考かんがへで、家いへに歸かへると直すぐ書しよ齋さいに入いり、讀よむ書しよ物もつの澤たく山さんあるので、此この上うへなき滿まん足ぞくを以もつて書しよ見けんに耽ふけるのである、彼かれは月げつ給きふを受うけ取とると直すぐ半はん分ぶんは書しよ物もつを買かふのに費つひやす、其その六間ま借かりてゐる室へやの三つには、書しよ物もつと古ふる雜ざつ誌しとで殆ほとんど埋うづまつてゐる。彼かれが最もつとも好このむ所ところの書しよ物もつは、歴れき史し、哲てつ學がくで、醫いが學くじ上やうの書しよ物もつは、唯たゞ﹃醫ヴラ者ーチ﹄と云いふ一雜ざつ誌しを取とつてゐるのに過すぎぬ。讀どく書しよ爲しは初じめると毎いつも數すう時じか間んは續つゞ樣けさまに讀よむのであるが、少すこしも其それで疲つか勞れぬ。彼かれの書しよ見けんは、イワン、デミトリチのやうに神しん經けい的てきに、迅じん速そくに讀よむのではなく、徐しづかに眼めを通とほして、氣きに入いつた所ところ、了れう解かいし得えぬ所ところは、留とゞまり〳〵しながら讀よんで行ゆく。書しよ物もつの側そばには毎いつもウオツカの壜びんを置おいて、鹽しほ漬づけの胡きう瓜りや、林りん檎ごが、デスクの羅らし紗やの布きれの上うへに置おいてある。半はん時じか間んご毎と位くらゐに彼かれは書しよ物もつから眼めを離はなさずに、ウオツカを一杯ぱい注ついでは呑のみ乾ほし、而さうして矢やは張り見みずに胡きう瓜りを手てさ探ぐりで食くひ缺かぐ。 三時じになると彼かれは徐しづかに厨くり房やの戸とに近ちかづいて咳せき拂ばらひをして云いふ。 ﹃ダリユシカ、晝ひる食めしでも遣やり度たいものだな。﹄ 不ま味づさうに取とり揃そろへられた晝ひる食めしを爲なし終をへると、彼かれは兩りや手うてを胸むねに組くんで考かんがへながら室しつ内ないを歩あるき初はじめる。其その中うちに四時じが鳴なる。五時じが鳴なる、猶なほ彼かれは考かんがへながら歩あるいてゐる。すると、時とき々〴〵厨くり房やの戸とが開あいて、ダリユシカの赤あかい寐ねぼ惚けが顏ほ﹇#ルビの﹁ねぼけがほ﹂は底本では﹁ねぼけがは﹂﹈が顯あらはれる。 ﹃旦だん那なさ樣ま、もうビールを召めし上あがります時じぶ分んでは御ご座ざりませんか。﹄ と、彼か女れは氣きを揉もんで問とふ。 ﹃いや未まだ……もう少すこし待またう……もう少すこし……。﹄ と、彼かれは云いふ。 晩ばんには毎いつも郵いう便びん局きよ長くちやうのミハイル、アウエリヤヌヰチが遊あそびに來くる。アンドレイ、エヒミチに取とつては此この人ひ間と計ばかりが、町まち中ゞゆうで一ひと人り氣きの置おけぬ親しん友いうなので。ミハイル、アウエリヤヌヰチは元もとは富とんでゐた大おほ地ぢぬ主し、騎きへ兵いた隊いに屬ぞくしてゐた者もの、然しかるに漸だん々〳〵身しん代だいを耗すつて了しまつて、貧びん乏ばふし、老らう年ねんに成なつてから、遂つひに此この郵いう便びん局きよくに入はひつたので。至いたつて元げん氣きな、壯さう健けんな、立りつ派ぱな白しろい頬ほゝ鬚ひげの、快くわ活いくわつな大おほ聲ごゑの、而しかも氣きの善よい、感かん情じやうの深ふかい人にん間げんである。然しかし又また極ごく腹はら立だち易ツぽい男をとこで、誰だれか郵いう便びん局きよくに來きた者もので、反はん對たいでもするとか、同どう意いでも爲せぬとか、理りく屈つでも並ならべやうものなら、眞まつ赤かになつて、全ぜん身しんを顫ふるはして怒おこ立りたち、雷らいのやうな聲こゑで、默だまれ! と一喝かつする。其それ故ゆゑに郵いう便びん局きよくに行ゆくのは怖こはいと云いふは一般ぱんの評ひや判うばん。が、彼かれは町まちの者ものを恁かく部ぶ下かのやうに遇あつかふにも拘かゝはらず、院ゐん長ちやうアンドレイ、エヒミチ計ばかりは、教けう育いくがあり、且かつ高かう尚しやうな心こゝろを有もつてゐると、敬うやまひ且かつ愛あいしてゐた。 ﹃やあ、私わたしです。﹄ と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは毎いつものやうに恁かう云いひながら、アンドレイ、エヒミチの家いへに入はひつて來きた。 二ふた人りは書しよ齋さいの長なが椅い子すに腰こしを掛かけて、暫ざん時じ莨たばこを吹ふかしてゐる。 ﹃ダリユシカ、ビールでも欲ほしいな。﹄ と、アンドレイ、エヒミチは云いふ。 初はじめの壜びんは二ふた人りと共も無むご言んの行ぎやうで呑のみ乾ほして了しまふ。院ゐん長ちやうは考かん込がへこんでゐる、ミハイル、アウエリヤヌヰチは何なにか面おも白しろい話はなしを爲しやうとして、愉ゆく快わいさうになつてゐる。 話はなしは毎いつも院ゐん長ちやうから、初はじまるので。 ﹃何なんと殘ざん念ねんなことぢや無ないですかなあ。﹄ と、アンドレイ、エヒミチは頭かしらを振ふりながら、相あひ手ての眼めを見みずに徐のろ々〳〵と話はな出しだす。彼かれは話はなしをする時ときに人ひとの眼めを見みぬのが癖くせ。 ﹃我われ々〳〵の町まちに話はなしの面おも白しろい、知ちし識きのある人にん間げんの皆かい無むなのは、實じつに遺ゐか憾んなことぢや有ありませんか。是これは我われ々〳〵に取とつて大おほいなる不ふか幸うです。上じや流うり社うし會やくわいでも卑ひれ劣つなこと以いじ上やうには其その教けう育いくの程てい度どは上のぼらんのですから、全まつたく下かと等うし社やく會わいと少すこしも異ことならんのです。﹄ ﹃其それは眞まつ實たくです。﹄と、郵いう便びん局きよ長くちやうは云いふ。 ﹃君きみも知しつてゐられる通とほり。﹄ と、院ゐん長ちやうは靜しづかな聲こゑで、又また話はな續しつゞけるので有あつた。 ﹃此この世よの中なかには人にん間げんの知ちし識きの高こう尚しやうな現げん象しやうの外ほかには、一ひとつとして意い味みのある、興きよ味うみのあるものは無ないのです。人じん智ちなるものが、動どう物ぶつと、人にん間げんとの間あひだに、大おほいなる限さか界ひをなして居をつて、人にん間げんの靈れい性せいを示しめし、或ある程てい度どまで、實じつ際さいに無ない所ところの不ふ死しの換かはりを爲なしてゐるのです。是これに由よつて人じん智ちは、人にん間げんの唯ゆゐ一いつ﹇#ルビの﹁ゆゐいつ﹂は底本では﹁ゐいつ﹂﹈の快くわ樂いらくの泉いづみとなつてゐる。然しかるに我われ々〳〵は自じぶ分んの周まは圍りに、些いさゝかも知ちし識きを見みず、聞きかずで、我われ々〳〵は全まる然で快くわ樂いらくを奪うばはれてゐるやうなものです。勿もち論ろん我われ々〳〵には書しよ物もつが有ある。然しかし是これは活いきた話はなしとか、交かう際さいとかと云いふものとは又また別べつで、餘あまり適てき切せつな例れいでは有ありませんが、例たとへば書しよ物もつはノタで、談だん話わは唱しや歌うかでせう。﹄ ﹃其それは眞まつ實たくです。﹄と、郵いう便びん局きよ長くちやうは云いふ。 二ふた人りは默だまる。厨くり房やからダリユシカが鈍にぶい浮うかぬ顏かほで出でて來きて、片かた手てで頬ほゝ杖づゑを爲して、話はなしを聞きかうと戸とぐ口ちに立たち留どまつてゐる。 ﹃あゝ君きみは今いまの人にん間げんから知ちし識きをお望のぞみになるのですか?﹄ と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは嘆たん息そくして云いふた。而さうして彼かれは昔むかしの生せい活くわつが健けん全ぜんで、愉ゆく快わいで、興きよ味うみの有あつたこと、其その頃ころの上じや流うり社うし會やくわいには知ちし識きが有あつたとか、又また其その社しや會くわいでは廉れん直ちよく、友いう誼ぎを非ひじ常やうに重おもんじてゐたとか、證しよ文うもんなしで錢ぜにを貸かしたとか、貧ひん窮きゆうな友いう人じんに扶たす助けを與あたへぬのを恥はぢとしてゐたとか、愉ゆく快わいな行かう軍ぐんや、戰せん爭さうなどの有あつたこと、面おも白しろい人にん間げん、面おも白しろい婦ふじ人んの有あつたこと、又また高カフ加カ索ズと云いふ所ところは實じつに好いい土と地ちで、或ある騎きへ兵いだ大いた隊いち長やうの夫ふじ人んに變かは者りものがあつて、毎いつでも身みに士しく官わんの服ふくを着つけて、夜よるになると一ひと人りで、カフカズの山さん中ちゆうを案あん内ない者しやもなく騎き馬ばで行ゆく。話はなしに聞きくと、何なんでも韃だつ靼たん人じんの村むらに、其その夫ふじ人んと、土と地ちの某ぼう公こう爵しやくとの間あひだに小せう説せつがあつたとの事ことだ、とかと。 ﹃へゝえ。﹄ と、ダリユシカは感かん心しんして聞きいてゐる。 ﹃而さうして可よく呑のみ、可よく食くつたものだ。又また非ひじ常やうな自じい由うし主ゆ義ぎの人にん間げんなども有あつたツけ。﹄ アンドレイ、エヒミチは聞きいてはゐたが、耳みゝにも留とまらぬ風ふうで、何なにかを考かんがへながら、ビールをチビリ〳〵と呑のんでゐる。 ﹃私わたしは奈ど何うかすると知ちし識きのある秀しう才さいと話はなしを爲してゐることを夢ゆめに見みることがあります。﹄ と、院ゐん長ちやうは突だし然ぬけにミハイル、アウエリヤヌヰチの言ことばを遮さへぎつて言いふた。 ﹃私わたしの父ちゝは私わたしに立りつ派ぱな教けう育いくを與あたへたです、然しかし六十年ねん代だいの思しさ想うの影えい響きやうで、私わたしを醫いし者やとして了しまつたが、私わたしが若もし其その時ときに父ちゝの言いふ通とほりにならなかつたなら、今いま頃ごろは現げん代だい思して潮うの中ちゆ心うしんとなつてゐたであらうと思おもはれます。其その時ときには屹きつ度と大だい學がくの分ぶん科くわの教けう授じゆにでもなつてゐたのでせう。無むろ論ん知ちし識きなるものは、永えい久きうのものでは無なく、變へん遷せんして行ゆくものですが、然しかし生せい活くわつと云いふものは、忌いま々〳〵しい輪わ索なです。思しさ想うの人にん間げんが成せい熟じゆくの期きに達たつして、其その思しさ想うが發はつ展てんされる時ときになると、其その人にん間げんは自しぜ然ん自じぶ分んがもう已すでに此この輪わ索なに掛かゝつてゐる遁のがれる路みちの無なくなつてゐるのを感かんじます。實じつ際さい人にん間げんは自じぶ分んの意い旨しに反はんして、或あるひは偶ぐう然ぜんな事ことの爲ために、無むから生せい活くわつに喚よび出だされたものであるのです……。﹄ ﹃其それは眞まつ實たくです。﹄ と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは云いふ。 アンドレイ、エヒミチは依やは然り相あひ手ての顏かほを見みずに、知ちし識きある者ものの話はな計しばかりを續つゞける、ミハイル、アウエリヤヌヰチは注ちゆ意ういして聽きいてゐながら﹃其それは眞まつ實たくです。﹄と、其それ計ばかりを繰くり返かへしてゐた。 ﹃然しかし君きみは靈れい魂こんの不ふ死しを信しんじなさらんのですか?﹄ と、俄にはかにミハイル、アウエリヤヌヰチは問とふ。 ﹃いや、ミハイル、アウエリヤヌヰチ、信しんじません、信しんじる理りい由うが無ないのです。﹄と、院ゐん長ちやうは云いふ。 ﹃實じつを申まをすと私わたしも疑うたがつてゐるのです。然しかし尤もつとも、私わたくしは或ある時ときは死しなん者もののやうな感かんじもするですがな。其それは時とき時〴〵恁かう思おもふ事ことがあるです。 這こん麼なら老うき朽うな體からだは死しんでも可いい時じぶ分んだ、とさう思おもふと、忽たちまち又また何なんやら心こゝろの底そこで聲こゑがする、氣きづ遣かふな、死しぬ事ことは無ないと云いつて居ゐるやうな。﹄ 九時じ少すこし過すぎ、ミハイル、アウエリヤヌヰチは歸かへらんとて立たち上あがり、玄げん關くわんで毛けが皮はの外ぐわ套いたうを引ひつ掛かけながら溜ため息いきして云いふた。 ﹃然しかし我われ々〳〵は隨ずゐ分ぶん酷ひどい田ゐな舍かに引ひつ込こんだものさ、殘ざん念ねんなのは、這こん麼なと處ころで往わう生じやうをするのかと思おもふと、あゝ……。﹄︵七︶
親しん友いうを送おく出りだして、アンドレイ、エヒミチは又また讀どく書しよを初はじめるのであつた。夜よるは靜しづかで何なんの音おとも爲せぬ。時ときは留とゞまつて院ゐん長ちやうと共ともに書しよ物もつの上うへに途と絶だえて了しまつたかのやう。此この書しよ物もつと、青あをい傘かさを掛かけたランプとの外ほかには、世よに又また何なに物ものも有あらぬかと思おもはるる靜しづけさ。院ゐん長ちやうの可むく畏つけき、無ぶに人んさ相うの顏かほは、人じん智ちの開かい發はつに感かんずるに從したがつて、段だん々〳〵と和やはらぎ、微びせ笑うをさへ浮うかべて來きた。 ﹃あゝ、奈ど何うして、人ひとは不ふ死しの者ものでは無ないか。﹄ と、彼かれは考かんがへてゐる。﹃腦なう髓ずゐや、視しく官わん、言げん語ご、自じか覺く、天てん才さいなどは、終つひには皆みな土どち中ゆうに入はひつて了しまつて、旋やがて地ちか殼くと共ともに冷れい却きやくし、何なん百びや萬くま年んねんと云いふ長ながい間あひだ、地ちき球うと一所しよに意い味みもなく、目もく的てきも無なく廻まはり行ゆくやうになるとなれば、何なんの爲ために這こん麼なも物のが有あるのか……。﹄冷れい却きやくして後のち、飛ひさ散んするとすれば、高かう尚しやうなる殆ほとんど神かみの如ごとき智ちり力よくを備そなへたる人にん間げんを、虚きよ無むより造つく出りだすの必ひつ要えうはない。而さうして恰あたかも嘲あざけるが如ごとくに、又また人ひとを粘ねん土どに化くわする必ひつ要えうは無ない。あゝ物ぶつ質しつの新しん陳ちん代たい謝しやよ。然しかしながら不ふ死しの代だい替たいを以もつて、自じぶ分んを慰なぐさむると云いふ事ことは臆おく病びやうではなからうか。自しぜ然んに於おいて起おこる所ところの無むい意し識きなる作さよ用うは、人にん間げんの無む智ちにも劣おとつてゐる。何なんとなれば、無む智ちには幾いく分ぶんか、意いし識きと意い旨しとがある。が、作さよ用うには何なにもない。死しに對たいして恐きよ怖うふを抱いだく臆おく病びや者うものは、左さの事ことを以もつて自じぶ分んを慰なぐさめる事ことが出で來きる。即すなはち彼かの體たいを將しや來うらい、草くさ、石いし、蟇ひきがへるの中うちに入いつて、生せい活くわつすると云いふ事ことを以もつて慰なぐさむることが出で來きる。 ﹃其それとも物ぶつ質しつの變へん換くわん……物ぶつ質しつの變へん換くわんを認みとめて、直すぐに人にん間げんの不ふ死しと爲なすと云いふのは、恰あだかも高かう價かなヴアイオリンが破こはれた後あとで、其その明あき箱ばこが換かはつて立りつ派ぱな物ものとなると同おなじやうに、誠まことに譯わけの解わからぬ事ことである。﹄ 時とけ計いが鳴なる。アンドレイ、エヒミチは椅い子すの倚より掛かゝりに身みを投なげて、眼めを閉とぢて考かんがへる。而さうして今いま讀よんだ書しよ物もつの中うちの面おも白しろい影えい響きやうで、自じぶ分んの過くわ去こと、現げん在ざいとに思おもひを及およぼすのであつた。 ﹃過くわ去こは思おも出ひだすのも不い好やだ、と云いつて、現げん在ざいも亦また過くわ去こと同どう樣やうではないか。﹄ と、彼かれは其それから患くわ者んじ等やらのこと、不ふけ潔つな病びや室うしつの中うちに苦くるしんでゐること、抔などを思おもひ起おこす。﹃未まだ眠ねむらないで南なん京きん蟲むしと戰たゝかつてゐる者ものも有あらう、或あるひは強つよく繃はう帶たいを締しめられて惱なやんで呻うなつてゐる者ものも有あらう、又また或ある患くわ者んじ等やらは看かん護ご婦ふを相あい手てに骨かる牌たあ遊そびを爲してゐる者ものも有あらう、或あるひはヴオツカを呑のんでゐる者ものも有あらう、病びや院うゐんの事じげ業ふは總すべて二十年ねん前まへと少すこしも變かはらぬ。窃せつ盜たう、姦かん淫いん、詐さ欺ぎの上うへに立たてられてゐるのだ。であるから、病びや院うゐんは依いぜ然んとして、町まちの住ぢゆ民うみんの健けん康かうには有いう害がいで、且かつ不ふと徳く義ぎなものである。﹄ と、彼かれは思おもひ來きたり、更さらに又また彼かの六號がう室しつの鐵てつ格がう子しの中なかで、ニキタが患くわ者んじ等やらを打な毆ぐつてゐる事こと、モイセイカが町まちに行いつては、施ほどこしを請こふてゐる姿すがたなどを思おもひ出だす。 其それより又また彼かれは醫いが學くの此この近ちかき二十五年ねん間かんに於おいて、如い何かに長ちや足うそくの進しん歩ぽを爲なしたかと云いふ事ことを考かんがへ初はじめる。 ﹃自じぶ分んが大だい學がくにゐた時じぶ分んは、醫いが學くも猶やは且り、錬れん金きん術じゆつや、形けい而じゝ上やう學がくなどと同おなじ運うん命めいに至いたるものと思おもふてゐたが、實じつに驚おどろく可べき進しん歩ぽである。大だい革かく命めいとも名なづけられる位くらゐだ、防ばう腐ふは法ふの發はつ明めいによつて、大たい家かのピロウゴフさへも、到たう底てい出で來き得うべからざる事ことを認みとめてゐた手しゆ術じゆつが、容たや易すく遣やられるやうにはなつた。今いまでは腹ふく部ぶせ截つか開いの百度たびの中うち、死しを見みることは一度どぐ位らゐなものである。梅ばい毒どくも根こん治ぢされる、其その他た遺ゐで傳んろ論ん、催さい眠みん術じゆつ、パステルや、コツホなどの發はつ見けん、衞ゑい生せい學がく、統とう計けい學がくなどは奈ど何うであらう……。﹄ 我われ々〳〵ロシヤの地ちは方うだ團んた體いの醫いじ術ゆつは如ど何うであらうか、先まづ精せい神しん病びやうに就ついて云いふならば、現げん今こんの病びや氣うきの類るゐ別べつ法はふ、診しん斷だん、治ちれ療うの方はう法はふ、共ともに皆みな是これを過くわ去この精せい神しん病びや學うがくと比ひか較くするならば、其その差さはエリボルスの山やまの如ごとき高かう大だいなるものである。現げん今こんでは精せい神しん病びや者うしやの治ちれ療うに冷れい水すゐを注そゝがぬ、蒸むし暑あつきシヤツを被きせぬ、而さうして人にん間げん的てきに彼かれ等らを取とり扱あつかふ、即すなはち新しん聞ぶんに記きさ載いする通とほり、彼かれ等らの爲ために、演えん劇げき、舞ぶた蹈ふを催もよほす。 彼かれは又また恁かく思かん考がへた。 現げん時じの見けん解かい及および趣しゆ味みを見みるに、六號がう室しつの如ごときは、誠まことに見みるに忍しのびざる、厭えん惡をに堪たへざるものである。恁かゝる病びや室うしつは、鐵てつ道だうを去さること、二百露ヴエ里ルスタの此この小せう都とく會わいに於おいてのみ見みるのである。即すなはち此こ所ゝの市しち長やう並ならびに町ちや會うく議わい員ぎゐんは皆みな生ゝま物もの知しりの町ちや人うにんである、であるから醫い師しを見みることは神しん官くわんの如ごとく、其その言いふ所ところを批ひゝ評やうせずして信しんじてゐる。例たとへば、溶よう解かいせる鉛なまりを口くちに入いるゝとも、少すこしも不ふ思し議ぎには思おもはぬであらう。が、若もし是これが他たの所ところに於おいては如ど何うであらうか、公こう衆しゆうと、新しん聞ぶん紙しとは必かならず此かくの如ごとき監バス獄テリヤは、とうに寸すん斷だんにして了しまつたであらう。 ﹃然しかし其それが奈ど何うである。﹄ と、彼かれはパツと眼めを開ひらいて自みづから問とふた。 ﹃防ばう腐ふは法うだとか、コツホだとか、パステルだとか云いつたつて、實じつ際さいに於おいては世よの中なかは少すこしも是これ迄までと變かはらないでは無ないか、病びや氣うきの數すうも、死しば亡うの數すうも、瘋ふう癲てん患くわ者んじやの爲ためだと云いつて、舞ぶた踏ふく會わいやら、演えん藝げい會くわいやらが催もよほされるが、然しかし彼かれ等らをして全まつたく開かい放はうすることは出で來きないでは無ないか。而して見みれば、何なんでも皆みな空むなしい事ことだ、ヴインナの完くわ全んぜんな大だい學がく病びや院うゐんでも、我われ々〳〵の此この病びや院うゐんと少すこしも差さべ別つは無ないのだ。 然しかし俺おれは有いう害がいな事ことに務つとめてると云いふものだ、自じぶ分んの欺あざむいてゐる人にん間げんから給きふ料れうを貪むさぼつてゐる、不ふし正やう直ぢきだ、然けれども俺おれ其その者ものは至いたつて微び々ゞたるもので、社しや會くわいの必ひつ然ぜんの惡あくの一分ぶん子しに過すぎぬ、總すべて町まちや、郡ぐんの官くわ吏んり共どもでも皆みな詰つまり無むよ用うの長ちや物うぶつだ。唯ただ給きふ料れうを貪むさぼつてゐるに過すぎん……而さうして見みれば不ふし正やう直ぢきの罪つみは、敢あへて自じぶ分んば計かりぢや無ない、時じせ勢いに有あるのだ、もう二百年ねんも晩おそく自じぶ分んが生うまれたなら、全まる然で別べつの人にん間げんで有あつたかも知しれぬ。﹄ 三時じが鳴なる、彼かれはランプを消けして寐ねべ室やに行いつた。が、奈ど何うしても睡ねむ眠りに就つくことは出で來きぬのであつた。︵八︶
二年ねん此この方かた、地ちは方うじ自ち治た體いはやう〳〵饒ゆたかになつたので、其その管くわ下んかに病びや院うゐんの設た立てられるまで、年ねん々〳〵三百圓ゑんづつを此この町ちや立うり病つび院やうゐんに補ほじ助よき金んとして出だす事こととなり、病びや院うゐんでは其それが爲ために醫いゐ員んを一ひと人り増ます事ことと定さだめられた。で、アンドレイ、エヒミチの補ほじ助よし手ゆとして、軍ぐん醫いのエウゲニイ、フエオドロヰチ、ハヾトフといふが、此この町まちに聘へいせられた。其その人ひとは未まだ三十歳さいに足たらぬ若わかい男をとこで、頬ほゝ骨ぼねの廣ひろい、眼めの小ちひさい、ブルネト、其その祖そせ先んは外ぐわ國いこ人くじんで有あつたかのやうにも見みえる、彼かれが町まちに來きた時ときは、錢ぜにと云いつたら一文もんもなく、小ちひさい鞄かばん只たゞ一ひと個つと、下げぢ女よと徇ふれてゐた醜みに女くい計をんなばかりを伴ともなふて來きたので、而さうして此この女をんなには乳ちの呑み兒ごが有あつた。彼かれは常つねに廂ひさしの附ついた丸まる帽ばうを被かぶつて、深ふかい長なが靴ぐつを穿はき冬ふゆには毛けが皮はの外ぐわ套いたうを着きて外そとを歩あるく。病びや院うゐんに來きてより間まもなく、代だい診しんのセルゲイ、セルゲヰチとも、會くわ計いけいとも、直すぐに親しん密みつになつたのである。下げし宿ゆくには書しよ物もつは唯たゞ一册さつ﹃千八百八十一年ねん度どヴインナ大だい學がく病びや院うゐん最さい近きん處しよ方はう﹄と題だいするもので、彼かれは患くわ者んじやの所ところへ行ゆく時ときには必かならず其それを携たづさへる。晩ばんになると倶く樂ら部ぶに行いつては玉たま突つきをして遊あそぶ、骨かる牌たは餘あまり好このまぬ方はう、而さうして何い時つもお極きまりの文もん句くを可よく云いふ人にん間げん。 病びや院うゐんには一週しうに二度どづつ通かよつて、外ぐわ來いら患いく者わんじやを診しん察さつしたり、各かく病びや室うしつを廻まはつたりしてゐたが、防ばう腐ふは法ふの此こゝでは全まつたく行おこなはれぬこと、呼きふ血けつ器きのことなどに就ついて、彼かれは頗すこぶる異い議ぎを有もつてゐたが、其それと打うち付つけて云いふのも、院ゐん長ちやうに恥はぢを掻かかせるやうなものと、何なんとも云いはずにはゐたが、同どう僚れうの院ゐん長ちやうアンドレイ、エヒミチを心こゝ祕ろひそかに、老おい込こみの怠なま惰けも者のとして、奴やつ、金かね計ばかり溜ため込こんでゐると羨うらやんでゐた。而さうして其その後こう任にんを自じぶ分んで引ひき受うけ度たく思おもふてゐた。︵九︶
三月ぐわつの末すゑつ方かた、消きえがてなりし雪ゆきも、次しだ第いに跡あとなく融とけた或ある夜よ、病びや院うゐんの庭にはには椋むく鳥どりが切しきりに鳴ないてた折をりしも、院ゐん長ちやうは親しん友いうの郵いう便びん局きよ長くちやうの立たち歸かへるのを、門もん迄まで見みお送くらんと室しつを出でた。丁ちや度うど其その時とき、庭にはに入はひつて來きたのは、今いましも町まちを漁あさつて來きた猶ジ太ウ人のモイセイカ、帽ばうも被かぶらず、跣はだ足しに淺あさい上うは靴ぐつを突つツ掛かけたまゝ、手てには施ほどこしの小ちひさい袋ふくろを提さげて。 ﹃一錢せんおくんなさい!﹄ と、モイセイカは寒さむさに顫ふるへながら、院ゐん長ちやうを見みて微びせ笑うする。 辭じすることの出で來きぬ院ゐん長ちやうは、隱かくしから十錢せんを出だして彼かれに遣やる。 ﹃これは可よくない﹄と、院ゐん長ちやうはモイセイカの瘠やせた赤あかい跣はだ足しの踝くるぶしを見みて思おもふた。 ﹃路みちは泥ぬ濘かつてゐると云いふのに。﹄ 院ゐん長ちやうは不そゞ覺ろに哀あはれにも、又また不ぶ氣き味みにも感かんじて、猶ジ太ウ人の後あとに尾ついて、其その禿はげ頭あたまだの、足あしの踝くるぶしなどをしながら、別べつ室しつまで行いつた。小こづ使かひのニキタは相あひも變かはらず、雜がら具くたの塚つかの上うへに轉ころがつてゐたのであるが、院ゐん長ちやうの入はひつて來きたのに吃びつ驚くりして跳はね起おきた。 ﹃ニキタ、今こん日にちは。﹄ と、院ゐん長ちやうは柔やさしく彼かれに挨あい拶さつして。 ﹃此この猶ジ太ウ人に靴くつでも與あたへたら奈ど何うだ、然さうでもせんと風か邪ぜを引ひく。﹄ ﹃はツ、拜かし承こまりまして御ご坐ざりまする。直すぐに會くわ計いけいに然さう申まをしまして。﹄ ﹃然さうして下ください、お前まへは會くわ計いけいに私わたしがさう云いつたと云いつて呉くれ。﹄ 玄げん關くわんから病びや室うしつへ通かよふ戸とは開ひらかれてゐた。イワン、デミトリチは寐ねだ臺いの上うへに横よこになつて、肘ひぢを突ついて、さも心しん配ぱいさうに、人ひと聲ごゑがするので此こな方たを見みて耳みゝを欹そばだてゝゐる。と、急きふに來きた人ひとの院ゐん長ちやうだと解わかつたので、彼かれは全ぜん身しんを怒いかりに顫ふるはして、寐ねど床こから飛とび上あがり、眞まつ赤かになつて、激げき怒どして、病びや室うしつの眞まん中なかに走はしり出でて突つゝ立たつた。 ﹃やあ、院ゐん長ちやうが來きたぞ!﹄ イワン、デミトリチは高たかく※さけ﹇#﹁口+斗﹂、47-上-10﹈んで、笑わらひ出だす。 ﹃來きた々々! 諸しよ君くんお目め出でたう、院ゐん長ちや閣うか下くかが我われ々〳〵を訪はう問もんせられた! 此こン畜ちく生しやうめ!﹄ と、彼かれは聲こゑを甲かん走ばしらして、地ぢだ鞴んだ踏ふんで、同どう室しつの者もの等らの未いまだ甞かつて見みぬ騷さわ方ぎかた。 ﹃此こン畜ちく生しやう! やい毆ぶち殺ころして了しまへ! 殺ころしても足たるものか、便べん所じよにでも敲たゝ込きこめ!﹄ 院ゐん長ちやうのアンドレイ、エヒミチは玄げん關くわんの間まから病びや室うしつの内なかを覗のぞ込きこんで、物もの柔やはらかに問とふので有あつた。 ﹃何な故ぜですね?﹄ ﹃何な故ぜだと。﹄と、イワン、デミトリチは嚇おどすやうな氣き味みで、院ゐん長ちやうの方はうに近ちか寄より、顫ふるふ手てに病びや院うゐ服んふくの前まへを合あはせながら。 ﹃何な故ぜかも無ないものだ! 此この盜ぬす人びとめ!﹄ 彼かれは惡にく々〳〵しさうに唾つばでも吐はつ掛かけるやうな口くち付つきをして。 ﹃此この山やま師し! 人ひと殺ごろし!﹄ ﹃まあ、落おち着つきなさい。﹄ と、アンドレイ、エヒミチは惡わるかつたと云いふやうな顏かほ付つきで云いふ。 ﹃可よくお聽ききなさい、私わたしは未まだ何なんにも盜ぬすんだ事こともなし、貴あな方たに何なにも致いたしたことは無ないのです。貴あな方たは何なにか間まち違がつてお出いでなのでせう、酷ひどく私わたしを怒おこつてゐなさるやうだが、まあ落おち着ついて、靜しづかに、而さうして何なにを立りつ腹ぷくしてゐなさるのか、有おつ仰しやつたら可いいでせう。﹄ ﹃だが何なんの爲ために貴あな下たは私わたしを這こん麼なところに入いれて置おくのです?﹄ ﹃其それは貴あな君たが病びや人うにんだからです。﹄ ﹃はあ、病びや人うにん、然しかし何なん百人にんと云いふ狂きや人うじんが自じい由うに其そこ處らへ邊んを歩あるいてゐるではないですか、其それは貴あな方たが々たの無むが學くなるに由よつて、狂きや人うじんと、健けん康かうなる者ものとの區くべ別つが出で來きんのです。何なんの爲ために私わたしだの、そら此こ處ゝにゐる此この不ふか幸うな人ひと達たち計ばかりが恰あだかも獻けん祭さいの山や羊ぎの如ごとくに、衆しゆうの爲ために此こゝに入いれられてゐねばならんのか。貴あな方たを初はじめ、代だい診しん、會くわ計いけい、其それから、總すべて此この貴あな方たの病びや院うゐんに居ゐる奴やつ等らは、實じつに怪けしからん、徳とく義ぎじ上やうに於おいては我われ々〳〵共どもより遙はるかに劣れつ等とうだ、何なんの爲ために我われ々〳〵計ばかりが此こゝに入いれられて居をつて、貴あな方たが々たは然さうで無ないのか、何ど處こに那そん樣なろ論ん理りがあります?﹄ ﹃徳とく義ぎじ上やうだとか、論ろん理りだとか、那そん樣なこ事とは何なにも有ありません。唯たゞ場ばあ合ひです。即すなはち此こ處ゝに入いれられた者ものは入はひつてゐるのであるし、入いれられん者ものは自じい由うに出であ歩るいてゐる、其それ丈だけの事ことです。私わたしが醫いし者やで、貴あな方たが精せい神しん病びや者うしやであると云いふことに於おいて、徳とく義ぎも無なければ、論ろん理りも無ないのです。詰つまり偶ぐう然ぜんの場ばあ合ひのみです。﹄ ﹃那そん樣なへ屁り理く窟つは解わからん。﹄ と、イワン、デミトリチは小こゞ聲ゑで云いつて、自じぶ分んの寐ねだ臺いの上うへに坐すわり込こむ。 モイセイカは今け日ふは院ゐん長ちやうのゐる爲ために、ニキタが遠ゑん慮りよして何なにも取とり返かへさぬので、貰もらつて來きた雜ざふ物もつを、自じぶ分んの寐ねだ臺いの上うへに洗あらひ浚ざらひ廣ひろげて、一つ〳〵並ならべ初はじめる。パンの破かけ片ら、紙かみ屑くづ、牛うしの骨ほねなど、而さうして寒さむさに顫ふるへながら、猶エヴ太レイ語ごで、早はや言ことに歌うたふやうに喋しやべり出だす、大おほ方かた開かい店てんでも爲した氣きど取りで何なにかを吹ふい聽ちやうしてゐるので有あらう。 ﹃私わたしを此こ處ゝから出だして下ください。﹄と、イワン、デミトリチは聲こゑを顫ふるはして云いふ。 ﹃其それは出で來きません。﹄ ﹃如ど何う云いふ譯わけで。其それを聞ききませう。﹄ ﹃其それは私わたしの權けん内ないに無ない事ことなのです。まあ、考かんがへて御ごら覽んなさい、私わたしが假かりに貴あな方たを此こゝから出だしたとして、甚どん麼なり利え益きが有ありますか。先まづ出でて御ごら覽んなさい、町まちの者ものか、警けい察さつかが又また貴あな方たを捉とらへて連つれて參まゐりませう。﹄ ﹃左さや樣うさ〳〵其それは然さうだ。﹄と、イワン、デミトリチは額ひたひの汗あせを拭ふく、﹃其それは然さうだ、然しかし私わたしは如ど何うしたら可よからう。﹄ アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顏かほ付つき、眼めい色ろ抔などを酷ひどく氣きに入いつて、如ど何うかして此この若わか者ものを手てな懷づけて、落おち着つかせやうと思おもふたので、其その寐ねだ臺いの上うへに腰こしを下おろし、些ちよつと考かんがへて、偖さて言いひ出だす。 ﹃貴あな方たは如ど何うしたら可よからうと有おつ仰しやるが。貴あな方たの位ゐ置ちを好よくするのには、此こゝから逃にげ出だす一方ぱうです。然しかし其それは殘ざん念ねんながら無むえ益きに歸きするので、貴あな方たは到たう底てい捉とらへられずには居をらんです。社しや會くわいが犯はん罪ざい人にんや、精せい神しん病びや者うしやや、總すべて自じぶ分ん等らに都つが合ふの惡わるい人にん間げんに對たいして、自じゑ衞いを爲なすのには、如ど何うしたつて勝かつ事ことは出で來きません。で、貴あな方たの爲なすべき所ところは一つです。即すなはち此こ處ゝに居ゐる事ことが必ひつ要えうであると考かんがへて、安あん心しんをしてゐるのみです。﹄ ﹃いや、誰たれにも此こ處ゝは必ひつ要えうぢや有ありません。﹄ ﹃然しかし已すでに監かん獄ごくだとか、瘋ふう癲てん病びや院うゐんだとかの存そん在ざいする以いじ上やうは、誰たれか其その中うちに入はひつてゐねばなりません、貴あな方たでなければ、私わたくし、でなければ、他ほかの者ものが。まあお待まちなさい、左さや樣う今いまに遙はるか遠とほき未みら來いに、監かん獄ごくだの、瘋ふう癲てん病びや院うゐんの全ぜん廢ぱいされた曉あかつきには、即すなはち此この窓まどの鐵てつ格がう子しも、此この病びや院うゐ服んふくも、全まつたく無むよ用うになつて了しまひませう、無むろ論ん、然さう云いふ時ときは早さう晩ばん來きませう。﹄ イワン、デミトリチはニヤリと冷わ笑らつた。 ﹃然さうでせう。﹄と、彼かれは眼めを細ほそめて云いふた。﹃貴あな方ただの、貴あな方たの補ほじ助よし者やのニキタなどのやうな、然さう云いふ人にん間げんには、未みら來いなどは何なんの要えうも無ない譯わけです。で、貴あな方たは好よい時じだ代いが來こやうと濟すましてもゐられるでせうが、いや、私わたくしの言いふことは卑いやしいかも知しれません、笑を止かしければお笑わらひ下ください。然しかしです、新しん生せい活くわつの曉あかつきは輝かゞやいて、正せい義ぎが勝かちを制せいするやうになれば、我われ々〳〵の町まちでも大おほいに祭まつりをして喜よろこび祝いはひませう。が、私わたしは其それ迄までは待またれません、其その時じぶ分んにはもう死しんで了しまひます。誰たれかの子こか孫まごかは、遂ついに其その時じだ代いに遇あひませう。私わたくしは誠まご心ゝろを以もつて彼かれ等らを祝しゆくします、彼かれ等らの爲ために喜よろこびます! 進すゝめ! 我わが同どう胞ばう! 神かみは君きみ等らに助たすけを給たまはん!﹄と、イワン、デミトリチは眼めを輝かゞやかして立たち上あがり、窓まどの方はうに手てを伸のばして云いふた。 ﹃此この格こう子しの中うちより君きみ等らを祝しゆ福くふくせん、正せい義ぎ萬ばん歳ざい! 正せい義ぎ萬ばん歳ざい!﹄ ﹃何なにを那そん樣なに喜よろこぶのか私わたくしには譯わけが分わかりません。﹄と、院ゐん長ちやうはイワン、デミトリチの樣やう子すが宛まる然で芝しば居ゐのやうだと思おもひながら、又また其その風ふうが酷ひどく氣きに入いつて云いふた。 ﹃成なる程ほど、時ときが來くれば監かん獄ごくや、瘋ふう癲てん病びや院うゐんは廢はいされて、正せい義ぎは貴あな方たの有おつ仰しやる通とほり勝かちを占しめるでせう、然しかし生せい活くわつの實じつ際さいが其それで變かはるものではありません。自しぜ然んの法はふ則そくは依いぜ然んとして元もとの儘まゝです、人ひと々〴〵は猶やは且り今こん日にちの如ごとく病やみ、老おい、死しするのでせう、甚どん麼なり立つ派ぱな生せい活くわつの曉あかつきが顯あらはれたとしても、畢つま竟り人にん間げんは棺くわ桶んをけに打うち込こまれて、穴あなの中なかに投とうじられて了しまふのです。﹄ ﹃では來らい世せいは。﹄ ﹃何なに、來らい世せい。戯じや談うだんを云いつちや可いけません。﹄ ﹃貴あな方たは信しんじなさらんと見みえるが私わたしは信しんじてます。ドストエフスキイの中うちか、ウオルテルの中うちかに、小せう説せつ中ちゆうの人じん物ぶつが云いつてる事ことが有あります、若もし神かみが無なかつたとしたら、其その時ときは人ひとが神かみを考かんがへ出ださう。で、私わたくしは堅かたく信しんじてゐます。若もし來らい世せいが無ないと爲したならば、其その時ときは大おほいなる人にん間げんの智ち慧ゑなるものが、早さう晩ばん是これを發はつ明めいしませう。﹄ ﹃フヽム、旨うまく言いつた。﹄ と、アンドレイ、エヒミチは最いと滿まん足ぞく氣げに微びせ笑うして。 ﹃貴あな方たは然さう信しんじてゐなさるから結けつ構こうだ。然さう云いふ信しん仰かうが有ありさへすれば、假たと令ひ壁かべの中なかに塗ぬり込こまれたつて、歌うたを歌うたひながら生せい活くわつして行ゆかれます。貴あな方たは失しつ禮れいながら何ど處こで教けう育いくをお受うけになつたか?﹄ ﹃私わたくしは大だい學がくでゝす、然しかし卒そつ業げふせずに終しまひました。﹄ ﹃貴あな方たは思しさ想う家かで考かん深がへぶかい方かたです。貴あな方たのやうな人ひとは甚どん麼なば場し所よにゐても、自じし身んに於おいて安あん心しんを求もとめる事ことが出で來きます。人じん生せいの解かい悟ごに向むかつて居をる自じい由うなる深ふかき思しさ想うと、此この世よの愚おろかなる騷さわぎに對たいする全ぜん然〳〵の輕けい蔑べつ、是これ即すなはち人にん間げんの之これ以いじ上やうのものを未いま甞だかつて知しらぬ最さい大だい幸かう福ふくです。而さうして貴あな方たは縱たと令ひ三重ぢゆうの鐵てつ格がう子しの内うちに住すんでゐやうが、此この幸かう福ふくを有もつてゐるのでありますから。ヂオゲンを御ごら覽んなさい、彼かれは樽たるの中なかに住すんでゐました、然けれども地ちじ上やうの諸しよ王わうより幸かう福ふくで有あつたのです。﹄ ﹃貴あな方たの云いふヂオゲンは白はく癡ちだ。﹄と、イワン、デミトリチは憂いう悶もんして云いふた。﹃貴あな方たは何なんだつて私わたくしに解かい悟ごだとか、何なんだとかと云いふのです。﹄と、俄にはかに怫む然きになつて立たち上あがつた。﹃私わたくしは人ひと並なみの生せい活くわつを好このみます、實じつに、私わたくしは恁かう云いふ窘きん逐ちく狂きやうに罹かゝつてゐて、始しゞ終ゆう苦くるしい恐おそ怖れに襲おそはれてゐますが、或ある時ときは生せい活くわつの渇かつ望ばうに心こゝろを燃もやされるです、非ひじ常やうに人ひと並なみの生せい活くわつを望のぞみます、非ひじ常やうに、其それは非ひじ常やうに。﹄ 彼かれは室しつ内ないを歩あるき初はじめたが、施やがて小こゞ聲ゑで又また言いひ出だす。 ﹃私わたくしは時とき折をり種いろ々〳〵な事ことを妄まう想ざうしますが、往わう々〳〵幻まぼ想ろしを見みるのです、或ある人ひとが來きたり、又また人ひとの聲こゑを聞きいたり、音おん樂がくが聞きこえたり、又また林はやしや、海かい岸がんを散さん歩ぽしてゐるやうに思おもはれる時ときも有あります。何どう卒ぞ私わたくしに世よの中なかの生せい活くわつを話はなして下ください、何なにか珍めづらしい事ことでも無ないですか。﹄ ﹃町まちの事ことをですか、其それとも一般ぱんの事ことに就ついてゞすか?﹄ ﹃先まづ町まちの事ことからして伺うかゞひませう。其それから一般ぱんのことを。﹄ ﹃町まちでは實じつにもう退たい屈くつです。誰だれを相あひ手てに話はなしするものもなし。話はなしを聞きく者ものもなし。新あたらしい人にん間げんはなし。然しかし此この頃ころハヾトフと云いふ若わかい醫いし者やが町まちには來きたですが。﹄ ﹃甚どん麼なに人んげ間んが。﹄ ﹃いや、極ごく非ひぶ文んめ明いて的きな、奈ど何う云いふものか此この町まちに來くる所ところの者ものは、皆みな、見みるのも胸むねの惡わるいやうな人にん間げん計ばかり、不ふか幸うな町まちです。﹄ ﹃左さや樣うさ、不ふか幸うな町まちです。﹄と、イワン、デミトリチは溜ため息いきして笑わらふ。﹃然しかし一般ぱんには奈ど何うです、新しん聞ぶんや、雜ざつ誌しは奈ど何う云いふ事ことが書かいてありますか?﹄ 病びや室うしつの中うちはもう暗くらくなつたので、院ゐん長ちやうは靜しづかに立たち上あがる。然さうして立たちながら、外ぐわ國いこくや、露ロ西シ亞ヤの新しん聞ぶん雜ざつ誌しに書かいてある珍めづらしい事こと、現げん今こんは恁かう云いふ思しさ想うの潮てう流りうが認みとめられるとかと話はなしを進すゝめたが、イワン、デミトリチは頗すこぶる注ちゆ意ういして聞きいてゐた。が忽たちまち、何なにか恐おそろしい事ことでも急きふに思おもひ出だしたかのやうに、彼かれは頭かしらを抱かゝへるなり、院ゐん長ちやうの方はうへくるりと背せを向むけて、寐ねだ臺いの上うへに横よこになつた。 ﹃奈ど何うかしましたか?﹄と、院ゐん長ちやうは問ふ。 ﹃もう貴あな方たには一言ごんだつて口くちは開ききません。﹄ イワン、デミトリチは素そつ氣けなく云いふ。﹃私わたくしに管かまはんで下ください!﹄ ﹃奈ど何うしたのです?﹄ ﹃管かまはんで下くださいと云いつたら管かまはんで下ください、チヨツ、誰だれが那そん樣なも者のと口くちを開きくものか。﹄ 院ゐん長ちやうは肩かたを縮ちゞめて溜ため息いきをしながら出でて行ゆく、而さうして玄げん關くわんの間まを通とほりながら、ニキタに向むかつて云いふた。 ﹃此こ處ゝ邊らを少すこし掃さう除ぢしたいものだな、ニキタ。酷ひどい臭にほひだ。﹄ ﹃拜かし承こまりました。﹄と、ニキタは答こたへる。 ﹃何なんと面おも白しろい人にん間げんだらう。﹄と、院ゐん長ちやうは自じぶ分んの室へやの方はうへ歸かへりながら思おもふた。﹃此こゝへ來きてから何なん年ねん振ぶりかで、恁かう云いふ共ともに語かたられる人にん間げんに初はじめて出でつ會くわした。議ぎろ論んも遣やる、興きよ味うみを感かんずべき事ことに、興きよ味うみをも感かんじてゐる人にん間げんだ。﹄ 彼かれは其その後ゝち讀どく書しよを爲なす中うちにも、睡ねむ眠りに就ついてからも、イワン、デミトリチの事ことが頭あたまから去さらず、翌よく朝てう眼めを覺さましても、昨きの日ふの智ち慧ゑある人にん間げんに遇あつたことを忘わすれる事ことが出で來きなかつた、便べん宜ぎも有あらばもう一度ど彼かれを是ぜ非ひ尋たづねやうと思おもふてゐた。︵十︶
イワン、デミトリチは昨きの日ふと同おなじ位ゐ置ちに、兩りや手うてで頭かしらを抱かゝへて、兩りや足うあしを縮ちゞめた儘まゝ、横よこに爲なつてゐて、顏かほは見みえぬ。 ﹃や、御ごき機げ嫌んよう、今こん日にちは。﹄院ゐん長ちやうは六號がう室しつへ入はひつて云いふた。﹃君きみは眠ねむつてゐるのですか?﹄ ﹃いや私わたくしは貴あな方たの朋ほう友いうぢや無ないです。﹄と、イワン、デミトリチは枕まくらの中うちへ顏かほを愈いよ埋うづめて云いふた。﹃又また甚どん麼なに貴あな方たは盡じん力りよく仕しやうが駄だ目めです、もう一言ごんだつて私わたくしに口くちを開ひらかせる事ことは出で來きません。﹄ ﹃變へんだ。﹄と、アンドレイ、エヒミチは氣きを揉もむ。﹃昨きの日ふ我われ々〳〵は那あん麼なに話はなしたのですが、何なにを俄にはかに御ごり立つぷ腹くで、絶ぜつ交かうすると有おつ仰しやるのです、何なにか其それとも氣きに障さはることでも申まをしましたか、或あるひは貴あな方たの意いけ見んと合あはん考かんがへを云いひ出だしたので?﹄ ﹃いや、那そん樣なら貴あな方たに云いひませう。﹄と、イワン、デミトリチは身みを起おこして、心しん配ぱいさうに又また冷れい笑せう的てきに、ドクトルを見みるので有あつた。﹃何なにも貴あな方たは探たん偵ていしたり、質しつ問もんをしたり、此こゝへ來きて爲するには當あたらんです。何ど處こへでも他ほかへ行いつて爲した方はうが可よいです。私わたくしはもう昨きの日ふ貴あな方たが何なんの爲ために來きたのかゞ解わかりましたぞ。﹄ ﹃是これは奇きめ妙うな妄まう想ざうを爲したものだ。﹄と、院ゐん長ちやうは思おもはず微びせ笑うする。﹃では貴あな方たは私わたくしを探たん偵ていだと想さう像ざうされたのですな。﹄ ﹃左さや樣う。いや探たん偵ていにしろ、又また私わたくしに窃ひそかに警けい察さつから廻まはされた醫いし者やにしろ、何どち方らだつて同どう樣やうです。﹄ ﹃いや貴あな方たは。困こまつたな、まあお聞ききなさい。﹄と、院ゐん長ちやうは寐ねだ臺いの傍そばの腰こし掛かけに掛かけて責せむるがやうに首くびを振ふる。 ﹃然しかし假かりに貴あな方たの云いふ所ところが眞しん實じつとして、私わたくしが警けい察さつから廻まはされた者もので、何なにか貴あな方たの言ことばを抑おさへやうとしてゐるものと假かて定いしませう。で、貴あな方たが其その爲ために拘こう引いんされて、裁さい判ばんに渡わたされ、監かん獄ごくに入いれられ、或あるひは懲ちよ役うえきに爲されるとして見みて、其それが奈ど何うです、此この六號がう室しつにゐるのよりも惡わるいでせうか。此こゝに入いれられてゐるよりも貴あな方たに取とつて奈ど何うでせうか? 私わたくしは此こゝより惡わるい所ところは無ないと思おもひます。若もし然さうならば何なにを貴あな方たは那そん樣なに恐おそれなさるのか?﹄ 此この言ことばにイワン、デミトリチは大おほいに感かん動どうされたと見みえて、彼かれは落おち着ついて腰こしを掛かけた。 時ときは丁ちや度うど四時じ過すぎ。毎いつもなら院ゐん長ちやうは自じぶ分んの室へやから室へやへと歩あるいてゐると、ダリユシカが、麥ビー酒ルは旦だん那なさ樣ま如いか何ゞですか、と問とふ刻こく限げん。戸こぐ外わいは靜しづかに晴はれ渡わたつた天てん氣きである。 ﹃私わたくしは中ちゆ食うじ後きご散さん歩ぽに出で掛かけましたので、些ちよつと立たち寄よりましたのです。もう全まる然で春はるです。﹄ ﹃今いまは何なん月ぐわつです、三月ぐわつでせうか?﹄ ﹃左さよ樣う、三月ぐわつも末すゑです。﹄ ﹃戸そ外とは泥ぬ濘かつて居をりませう。﹄ ﹃那そん樣なでも有ありません、庭にはにはもう小こみ徑ちが出で來きてゐます。﹄ ﹃今いま頃ごろは馬ばし車やにでも乘のつて、郊かう外ぐわいへ行いつたらさぞ好いいでせう。﹄と、イワン、デミトリチは赤あかい眼めを擦こすりながら云いふ。﹃而さうして其それから家うちの暖あたゝかい閑かん靜せいな書しよ齋さいに歸かへつて……名めい醫ゝに恃かゝつて頭づつ痛うの療れう治ぢでも爲して貰もらつたら、久ひさしい間あひだ私わたくしはもうこの人にん間げんらしい生せい活くわつを爲しないが、其それにしても此こ處ゝは實じつに不い好やな所ところだ。實じつに堪たへられん不い好やな所ところだ。﹄ 昨きの日ふの興こう奮ふんの爲ためにか、彼かれは疲つかれて脱ぐつ然たりして、不い好や不い好やながら言いつてゐる。彼かれの指ゆびは顫ふるへてゐる。其その顏かほを見みても頭あたまが酷ひどく痛いたんでゐると云いふのが解わかる。 ﹃暖あたゝかい閑かん靜せいな書しよ齋さいと、此この病びや室うしつとの間あひだに、何なんの差さも無ないのです。﹄と、アンドレイ、エヒミチは云いふた。﹃人にん間げんの安あん心しんと、滿まん足ぞくとは身しん外ぐわいに在あるのではなく、自じし身んの中うちに在あるのです。﹄ ﹃奈ど何う云いふ譯わけで。﹄ ﹃通つう常じやうの人にん間げんは、可いい事ことも、惡わるい事ことも皆みな身しん外ぐわいから求もとめます。即すなはち馬ばし車やだとか、書しよ齋さいだとかと、然しかし思しさ想う家かは自じし身んに求もとめるのです。﹄ ﹃貴あな方たは那そん樣なて哲つが學くは、暖あたゝかな杏あんずの花はなの香にほひのする希ギリ臘シヤに行いつてお傳つたへなさい、此こ處ゝでは那そん樣なて哲つが學くは氣きこ候うに合あひません。いやさうと、私わたくしは誰たれかとヂオゲンの話はなしを爲しましたつけ、貴あな方たとでしたらうか?﹄ ﹃左さや樣う昨きの日ふ私わたくしと。﹄ ﹃ヂオゲンは勿もち論ろん書しよ齋さいだとか、暖あたゝかい住すま居ゐだとかには頓とん着ぢやくしませんでした。是これは彼かの地ちが暖あたゝかいからです。樽たるの中うちに寐ねこ轉ろがつて蜜みか柑んや、橄かん欖らんを食たべてゐれば其それで過すごされる。然しかし彼かれをして露ロ西シ亞ヤに住すまはしめたならば、彼かれ必かならず十二月ぐわつ所どころではない、三月ぐわつの陽やう氣きに成なつても、室へやの内うちに籠こもつてゐたがるでせう。寒かん氣きの爲ために體からだも何なにも屈ま曲がつて了しまふでせう。﹄ ﹃いや寒かん氣きだとか、疼とう痛つうだとかは感かんじない事ことが出で來きるです。マルク、アウレリイが云いつた事ことが有ありませう。﹁疼とう痛つうとは疼とう痛つうの活いきた思しさ想うである、此この思しさ想うを變へんぜしむるが爲ためには意い旨しの力ちからを奮ふるひ、而しかして之これを棄すてゝ以もつて、訴うつたふる事ことを止やめよ、然しからば疼とう痛つうは消せう滅めつすべし。﹂と、是これは可よく言いつた語ことばです、智ちし者や、哲てつ人じん、若もしくは思しさ想う家かたるものゝ、他たに人んに異ことなる所ところの點てんは、即すなはち此こゝに在あるのでせう、苦くつ痛うを輕かろんずると云いふ事ことに。是こゝに於おいてか彼かれ等らは常つねに滿まん足ぞくで、何なに事ごとにも又また驚おどろかぬのです。﹄ ﹃では私わたくしなどは徒いたづらに苦くるしみ、不ふま滿んを鳴ならし、人にん間げんの卑ひれ劣つに驚おどろいたり計ばかりしてゐますから、白はく癡ちだと有おつ仰しやるのでせう。﹄ ﹃然さうぢや無ないです。貴あな方たも愈いよ深ふかく考かん慮がへるやうに成なつたならば、我われ々〳〵の心こゝろを動うごかす所ところの、總すべての身しん外ぐわいの些さゝ細いなる事ことは苦くにもならぬとお解わかりになる時ときが有ありませう、人ひとは解かい悟ごに向むかはなければなりません。是これが眞しん實じつの幸かう福ふくです。﹄ ﹃解かい悟ご……。﹄イワン、デミトリチは顏かほを顰しかめる。﹃外ぐわ部いぶだとか、内ない部ぶだとか……。いや私わたくしには然さう云いふ事ことは少すこしも解わからんです。私わたくしの知しつてゐる事ことは唯たゞ是これ丈だけです。﹄と、彼かれは立たち上あがり、怒おこつた眼めで院ゐん長ちやうを睨にらみ付つける。﹃私わたしの知しつてゐるのは、神かみが人ひとを熱ねつ血けつと、神しん經けいとより造つくつたと云いふ事こと丈だけです! 又また有いう機きて的きそ組し織きは、若もし其それが生せい活くわ力つりよくを有もつてゐるとすれば、總すべての刺しげ戟きに反はん應おうを起おこすべきものである。其それで私わたくしは反はん應おうしてゐます。即すなはち疼とう痛つうに對たいしては、絶ぜつ※けう﹇#﹁口+斗﹂、51-下-12﹈と、涙なんだとを以もつて答こたへ、虚きよ僞ぎに對たいしては憤ふん懣まんを以もつて、陋ろう劣れつに對たいしては厭えん惡をの情じやうを以もつて答こたへてゐるです。私わたくしの考かんがへでは是これが抑そも〳〵生せい活くわつと名なづくべきものだらうと。又また有いう機きた體いが下かと等うに成なれば成なる丈だけ、より少すくなく物ものを感かんずるので有あらうと、其それ故ゆゑにより弱よわく刺しげ戟きに答こたへるのである。で、高かう等とうに成なれば隨したがつてより強つよき勢せい力りよくを以もつて、實じつ際さいに反はん應おうするのです。貴あな方たは醫いし者やでおゐでて、如ど何うして那こん麼なわ譯けがお解わかりにならんです。苦くるしみを輕かろんずるとか、何なんにでも滿まん足ぞくしてゐるとか、甚どん麼なこ事とにも驚おどろかんと云いふやうになるのには、那あれです、那あゝ云いふ状ざ態まになつて了しまはんければ。﹄と、イワン、デミトリチは隣となりの油あぶ切らぎつた彼かの動どう物ぶつを差さしてさう云いふた。﹃或あるひは又また苦くつ痛うを以もつて自じぶ分んを鍛たん練れんして、其それに對たいしての感かん覺かくを恰まるで失うしなつて了しまふ、言ことばを換かへて言いへば、生せい活くわつを止やめて了しまふやうなことに至いたらしめなければならぬのです。私わたくしは無むろ論ん哲てつ人じんでも、哲てつ學がく者しやでも無ないのですから。﹄と、更さらに激げきして。﹃ですから、那こん麼なこ事とに就ついては何なにも解わからんのです。議ぎろ論んする力ちからが無ないのです。﹄ ﹃如ど何うしてなか〳〵、貴あな方たは立りつ派ぱに議ぎろ論んなさるです。﹄ ﹃貴あな方たが例れい證しように引ひきなすつたストア派はの哲てつ學がく者しや等らは立りつ派ぱな人ひと達たちです。然しかしながら彼かれ等らの學がく説せつは已すでに二千年ねん以いぜ前んに廢すたれて了しまひました、もう一歩ぽも進すゝまんのです、是これから先さき、又また進しん歩ぽする事ことは無ない。如いか何んとなれば是これは現げん實じつ的てきでない、活くわ動つど的うてきで無ないからで有ある。恁かう云いふ學がく説せつは、唯たゞ種しゆ々〴〵の學がく説せつを集あつめて研けん究きうしたり、比ひか較くしたりして、之これを自じぶ分んの生しや涯うがいの目もく的てきとしてゐる、極きはめて少せう數すうの人ひと計ばかりに行おこなはれて、他たの多たす數うの者ものは其それを了れう解かいしなかつたのです。苦くつ痛うを輕けい蔑べつすると云いふ事ことは、多たす數うの人ひとに取とつたならば、即すなはち生せい活くわつ其その物ものを輕けい蔑べつすると云いふ事ことになる。如いか何んとなれば、人にん間げん全ぜん體たいは、餓うゑだとか、寒さむさだとか、凌はづ辱かしめだとか、損そん失しつだとか、死しに對たいするハムレツト的てきの恐おそ怖れなどの感かん覺かくから成なり立たつてゐるのです。此この感かん覺かくの中うちに於おいて人じん生せい全ぜん體たいが含ふくまつてゐるのです。之これを苦くにする事こと、惡にくむ事ことは出で來きます。が、之これを輕けい蔑べつする事ことは出で來きんです。で有あるから、ストア派はの哲てつ學がく者しやは未みら來いを有もつ事ことが出で來きんのです。御ごら覽んなさい、世せか界いの始はじめから、今こん日にちに至いたるまで、益ます進しん歩ぽして行ゆくものは生せい存ぞん競きや爭うさう、疼とう痛つうの感かん覺かく、刺しげ戟きに對たいする反はん應おうの力ちからなどでせう。﹄と、イワン、デミトリチは俄にはかに思しさ想うの聯れん絡らくを失うしなつて、殘ざん念ねんさうに額ひたひを擦こすつた。 ﹃何なにか肝かん心じんなことを云いはうと思おもつて出でなくなつた。﹄ と、彼かれは續つゞける。﹃其それぢや基ハリ督ストスでも例れいに引ひきませう、基ハリ督ストスは泣ないたり、微びせ笑うしたり、悲かなしんだり、怒おこつたり、憂うれひに沈しづんだりして、現げん實じつに對たいして反はん應おうしてゐたのです。彼かれは微びせ笑うを以もつて苦くるしみに對むかはなかつた、死しを輕けい蔑べつしませんでした、却かへつて﹁此この杯さかづきを我われより去さらしめよ﹂と云いふて、ゲフシマニヤの園そので祈きた祷うしました。﹄ イワン、デミトリチは恁かく云いつて笑わら出ひだしながら坐すわる。 ﹃で假かりに人にん間げんの滿まん足ぞくと安あん心しんとが、其その身しん外ぐわいに在あるに非あらずして、自じし身んの内うちに在あるとして、又また假かりに苦くつ痛うを輕けい蔑べつして、何なに事ごとにも驚おどろかぬように爲しなければならぬとして、見みて、第だい一貴あな方た自じし身んは何なんに基もとづいて、這こん麼なことを主しゆ張ちやうなさるのか、貴あな方たは一體たい哲ワイ人ゼですか、哲てつ學がく者しやですか?﹄ ﹃いや私わたくしは哲てつ學がく者しやでも何なんでも無ない。が、之これを主しゆ張ちやうするのは、大おほいに各かく人じんの義ぎ務むだらうと思おもふのです、是これは道だう理りの有ある事ことで。﹄ ﹃いや私わたくしの知しらうと思おもふのは、何なんの爲ために貴あな方たが解かい悟ごだの、苦くつ痛うだの、其それに對たいする輕けい蔑べつだの、其その他たの事ことに就ついて自みづから精せい通つう家かと認みとめてお出いでなのですか。貴あな方たは何い時つにか苦くるしんだ事ことでも有あるのですか、苦くるしみと云いふ事ことの理りか解いを有もつてお出いでゝすか、或あるひは失しつ禮れいながら貴あな方たはお幼ちひ少さい時じぶ分ん、打ぶた擲れでもなされましたことがお有ありなのですか?﹄ ﹃否いえ、私わたくしの兩りや親うしんは、身しん體たい上じやうの處しよ刑けいは非ひじ常やうに嫌きらつて居ゐたのです。﹄ ﹃私わたくしは父ちゝには酷ひどく仕しお置きをされました。私わたくしの父ちゝは極ごく苛かこ酷くな官くわ員んゐんで有あつたのです。が、貴あな方たの事ことを申まをして見みませうかな。貴あな方たは一生しや涯うがい誰だれにも苛かし責やくされた事ことは無なく、健けん康かうなること牛うしの如ごとく、嚴げん父ぷの保ほ護ごの下もとに生せい長ちやうし、其それで學がく問もんさせられ、其それからして割わりの好よい役やくに取とり付つき、二十年ねん以いじ上やうの間あひだも、暖だん爐ろも焚たいてあり、燈あかりも明あかるき無むれ料うの官くわ宅んたくに、奴ぬ婢ひをさへ使つかつて住すんで、其その上うへ、仕しご事とは自じぶ分んの思おもふ儘まゝ、仕しても仕しないでも濟すんでゐると云いふ位ゐ置ち。で、生せい來らい貴あな方たは怠なま惰けも者ので、嚴げん格かくで無ない人にん間げん、其それ故ゆゑ貴あな方たは何なんでも自じぶ分んに面めん倒だうでないやう、働はたらかなくとも濟すむやうと計ばかり心こゝ掛ろがけてゐる、事じげ業ふは代だい診しんや、其その他たのやくざものに任まかせ切きり、而さうして自じぶ分んは暖あたゝかい靜しづかな處ところに坐ざして、金かねを溜ため、書しよ物もつを讀よみ、種しゆ々〴〵な屁へり理く窟つを考かんがへ、又また酒さけを︵彼かれは院ゐん長ちやうの赤あかい鼻はなを見みて︶呑のんだりして、樂らく隱いん居きよのやうな眞ま似ねをしてゐる。一言げんで云いへば、貴あな方たは生せい活くわつと云いふものを見みないのです、其それを全まつたく知しらんのです。而さうして實じつ際さいと云いふ事ことを唯たゞ理りろ論んの上うへから計ばかり推おしてゐる。だから苦くつ痛うを輕けい蔑べつしたり、何なに事ごとにも驚おどろかんなどと云いつてゐられる。其それは甚はなはだ單たん純じゆんな原げん因いんに由よるのです。﹁空くうの空くう﹂だとか、内ない部ぶだとか、外ぐわ部いぶだとか、苦くつ痛うや、死しに對たいする輕けい蔑べつだとか、眞しん正せいなる幸かう福ふくだとか、と那こん麼ない言ひぐ草さは、皆みなロシヤの怠なま惰けも者のに適てき當たうしてゐる哲てつ學がくです。で、貴あな方たは恁かうなのだ、先まづ齒はが痛いたむと云いふ農のう婦ふが來くる……と、其それが奈ど何うしたのだ。疼とう痛つうは疼とう痛つうの事ことの思しさ想うである。且かつ又また、病びや氣うきが無なくては此この世よに生いきて行ゆく譯わけには行ゆかぬものだ。早はやく歸かへるべし。俺おれの思しさ想うとヴオツカを呑のむ邪じや魔まを爲するな。と恁かう云いふでせう。又また或ある若わか者ものが來きて奈ど何う云いふ風ふうに生せい活くわつを爲したら可いいかと相さう談だんを掛かけられる、と、他たに人んは先まづ一番ばん考かんがへる所ところで有あらうが、貴あな方たには其その答こたへはもう丁ちやんと出で來きてゐる。解かい悟ごに向むかひなさい、眞しん正せいの幸かう福ふくに向むかひなさい。と恁かう云いふです。我われ々〳〵を這こん麼なか格う子しの内うちに監かん禁きんして置おいて苦くるしめて、而さうして是これは立りつ派ぱな事ことだ、理りく窟つの有ある事ことだ、奈いか何んとなれば此この病びや室うしつと、暖あたゝかなる書しよ齋さいとの間あひだに何なんの差さべ別つもない。と、誠まことに都つが合ふの好いい哲てつ學がくです。而さうして自じぶ分んを哲ワイ人ゼと感かんじてゐる……いや貴あな方た是これはです、哲てつ學がくでもなければ、思しさ想うでもなし、見けん解かいの敢あへて廣ひろいのでも無ない、怠たい惰だです。自じめ滅つです。睡すゐ魔まです! 左さや樣う!﹄と、イワン、デミトリチは昂かう然ぜんとして﹃貴あな方たは苦くつ痛うを輕けい蔑べつなさるが、試こゝろみに貴あな方たの指ゆび一本ぽんでも戸とに挾はさんで御ごら覽んなさい、然さうしたら聲こゑ限かぎり※さけ﹇#﹁口+斗﹂、53-上-13﹈ぶでせう。﹄ ﹃或あるひは※さけ﹇#﹁口+斗﹂、53-上-15﹈ばんかも知しれません。﹄と、アンドレイ、エヒミチは言いふ。 ﹃那そん樣なこ事とは無ない、例たとへば御ごら覽んなさい、貴あな方たが中ちゆ風うぶにでも罹かゝつたとか、或あるひは假かりに愚ぐし者やが自じぶ分んの位ゐ置ちを利りよ用うして貴あな方たを公こう然ぜん辱はづかしめて置おいて、其それが後のちに何なんの報むくいも無なしに濟すんで了しまつたのを知しつたならば、其その時とき貴あな方たは他たの人ひとに、解かい悟ごに向むかひなさいとか、眞しん正せいの幸かう福ふくに向むかひなさいとか云いふ事ことの効かう力りよくが果はたして、何なに程ほどと云いふことが解わかりませう。﹄ ﹃これは奇きば※つ﹇#﹁抜﹂の﹁友﹂に代えて﹁ノ/友﹂、53-上-21﹈だ。﹄と院ゐん長ちやうは滿まん足ぞくの餘あまり微びせ笑うしながら、兩りや手うてを擦こすり〳〵云いふ。﹃私わたくしは貴あな方たが總すべてを綜そう合がふする傾けい向かうを有もつてゐるのを、面おも白しろく感かんじ且かつ敬けい服ふく致いたしたのです、又また貴あな方たが今いま述のべられた私わたくしの人じん物ぶつ評ひやうは、唯たゞ感かん心しんする外ほかは有ありません。實じつは私わたくしは貴あな方たとの談だん話わに於おいて、此この上うへも無ない滿まん足ぞくを得えましたのです。で、私わたくしは貴あな方たのお話はなしを不のこ殘らず伺うかゞひましたから、此こん度どは何どう卒ぞ私わたくしの話はなしをもお聞きき下ください。﹄︵十一︶
恁かくて後のち、猶なほ二ふた人りの話はなしは一時じか間んも續つゞいたが、其それより院ゐん長ちやうは深ふかく感かん動どうして、毎まい日にち、毎まい晩ばんのやうに六號がう室しつに行ゆくのであつた。二ふた人りは話はな込しこんでゐる中うちに日ひも暮くれて了しまふ事ことが往ま々ゝ有ある位くらゐ。イワン、デミトリチは初はじめの中うちは院ゐん長ちやうが野やし心んでも有あるのでは無ないかと疑うたがつて、彼かれに左とか右く遠とほざかつて、不ぶあ愛いさ想うにしてゐたが、段だん々〳〵慣なれて、遂つひには全まつたく素そぶ振りを變かへたので有あつた。 然しかるに病びや院うゐんの中うちでは院ゐん長ちやうアンドレイ、エヒミチが六號がう室しつに切しきりに通かよひ出だしたのを怪あやしんで、其その評ひや判うばんが高たかくなり、代だい診しんも、看かん護ご婦ふも、一樣やうに何なんの爲ために行ゆくのか、何なんで數すう時じか間ん餘よも那あん麼なと處ころにゐるのか、甚どん麼なは話なしを爲するので有あらうか、彼かし處こへ行いつても處しよ方はう書がきを示しめさぬでは無ないかと、彼あつ方ちでも、此こつ方ちでも、彼かれが近ちか頃ごろの奇きなる擧きよ動どうの評ひや判うばんで持もち切きつてゐる始しま末つ。ミハイル、アウエリヤヌヰチは此この頃ごろでは始しゞ終ゆう彼かれの留る守すに計ばかり行ゆく。ダリユシカは旦だん那なが近ちか頃ごろは定てい刻こくに麥ビー酒ルを呑のまず、中ちゆ食うじ迄きまでも晩おくれることが度たび々〳〵なので困こ却まつてゐる。 或ある時とき六月ぐわつの末すゑ、ドクトル、ハヾトフは、院ゐん長ちやうに用よう事じが有あつて、其その室へやに行いつた所ところ、居をらぬので庭にはへと探さがしに出でた。すると其そ處こで院ゐん長ちやうは六號がう室しつで有あると聞きき、庭にはから直すぐに別べつ室しつに入いり、玄げん關くわんの間まに立たち留とゞまると、丁ちや度うど恁かう云いふ話はな聲しごゑが聞きこえたので。 ﹃我われ々〳〵は到たう底てい合がつ奏そうは出で來きません、私わたくしを貴あな方たの信しん仰かうに歸きせしむる譯わけには行ゆきませんから。﹄ と、イワン、デミトリチの聲こゑ。 ﹃現げん實じつと云いふ事ことは全まつたく貴あな方たには解わからんのです、貴あな方たは未いま嘗だかつて苦くるしんだ事ことは無ないのですから。然しかし私わたくしは生うまれた其その日ひより今こん日にち迄まで、絶たえず苦くつ痛うを嘗なめてゐるのです、其それ故ゆゑ私わたくしは自じぶ分んを貴あな方たよりも高たかいもの、萬ばん事じに於おいて、より多おほく精せい通つうしてゐるものと認みとめて居をるです。ですから貴あな方たが私わたくしに教をしへると云いふ場ばあ合ひで無ないのです。﹄ ﹃私わたくしは何なにも貴あな方たを自じぶ分んの信しん仰かうに向むかはせやうと云いふ權けん利りを主しゆ張ちやうはせんのです。﹄院ゐん長ちやうは自じぶ分んを解わかつて呉くれ人ての無ないので、さも殘ざん念ねんと云いふやうに。﹃然さう云いふ譯わけでは無ないのです、其それは貴あな方たが苦くつ痛うを嘗なめて、私わたくしが嘗なめないといふことではないのです。詮せんずる所ところ、苦くつ痛うも快くわ樂いらくも移うつり行ゆくもので、那そん樣なこ事とは奈ど何うでも可いいのです。で、私わたくしが言いはうと思おもふのは、貴あな方たと私わたくしとが思しさ想うするもの、相あひ共ともに思しさ想うしたり、議ぎろ論んを爲したりする力ちからが有あるものと認みとめてゐるといふことです。縱たと令ひ我われ々〳〵の意いけ見んが何どの位くらゐ違ちがつても、此こゝに我われ々〳〵の一致ちする所ところがあるのです。貴あな方たが若もし私わたくしが一般ぱんの無む智ちや、無むの能うや、愚ぐど鈍んを何どれ程ほどに厭いとふて居をるかと知しつて下くだすつたならば、又また如い何かなる喜よろこびを以もつて、恁かうして貴あな方たと話はなしをしてゐるかと云いふ事ことを知しつて下くだすつたならば! 貴あな方たは知ちし識きの有ある人ひとです。﹄ ハヾトフは此この時とき少すこ計しばかり戸とを開あけて室しつ内ないを覗のぞいた。イワン、デミトリチは頭づき巾んを被かぶつて、妙めうな眼めつ付きをしたり、顫ふるへ上あがつたり、神しん經けい的てきに病びや院うゐ服んふくの前まへを合あはしたりしてゐる。院ゐん長ちやうは其その側そばに腰こしを掛かけて、頭かしらを垂たれて、凝じつとして心こゝ細ろぼそいやうな、悲かなしいやうな樣やう子すで顏かほを赤あかくしてゐる。ハヾトフは肩かたを縮ちゞめて冷れい笑せうし、ニキタと見み合あふ。ニキタも同おなじく肩かたを縮ちゞめる。 翌よく日じつハヾトフは代だい診しんを伴つれて別べつ室しつに來きて、玄げん關くわんの間まで又またも立たち聞ぎゝ。 ﹃院ゐん長ちや殿うどの、とう〳〵發はつ狂きやうと御ご坐ざつたわい。﹄と、ハヾトフは別べつ室しつを出でながらの話はなし。 ﹃主しゆ憐あはれめよ、主しゆ憐あはれめよ、主しゆ憐あはれめよ!﹄と、敬けい虔けんなるセルゲイ、セルゲヰチは云いひながら。ピカ〳〵と磨みが上きあげた靴くつを汚よごすまいと、庭にはの水みづ溜たまりを避よけ〳〵溜ため息いきをする。 ﹃打うち明あけて申もをしますとな、エウゲニイ、フエオドロヰチもう私わたくしは疾とうから這こん麼なこ事とになりはせんかと思おもつてゐましたのさ。﹄︵十二︶
其その後ご院ゐん長ちやうアンドレイ、エヒミチは自じぶ分んの周まは圍りの者ものの樣やう子すの、ガラリと變かはつた事ことを漸やうやく認みとめた。小こづ使かひ、看かん護ご婦ふ、患くわ者んじ等やらは、彼かれに往ゆき遇あふ度たびに、何なにをか問とふものゝ如ごとき眼めつ付きで見みる、行ゆき過すぎてからは私さゝ語やく。折をり々〳〵庭にはで遇あふ會くわ計いけ係いがゝりの小こむ娘すめの、彼かれが愛あいしてゐた所ところのマアシヤは、此この節せつは彼かれが微びせ笑うして頭あたまでも撫なでやうとすると、急いそいで遁にげ出だす。郵いう便びん局きよ長くちやうのミハイル、アウエリヤヌヰチは、彼かれの所ところに來きて、彼かれの話はなしを聞きいてはゐるが、先さきのやうに其それは眞まつ實たくですとはもう云いはぬ。何なんとなく心しん配ぱいさうな顏かほで、左さや樣う々/々\、々/々\、と、打うち濕しめつて云いつてるかと思おもふと、やれヴオツカを止よせの、麥ビー酒ルを止やめろのと勸すゝめ初はじめる。又また醫いゐ員んのハヾトフも時とき々〴〵來きては、何なに故ゆゑかアルコール分ぶん子しの入はひつてゐる飮のみ物ものを止よせ。ブローミウム加か里りを服のめと勸すゝめて行ゆくので。 八月ぐわつにアンドレイ、エヒミチは市しや役くし所よから、少すこし相さう談だんが有あるに由よつて、出しゆ頭つとうを願ねがふと云いふ招せう状じやうが有あつた、で、定てい刻こくに市しや役くし所よに行いつて見みると、もう地ちは方うぐ軍んれ令いぶ部ちや長うを初はじめ、郡ぐん立りつ學がく校かう視しが學くゝ官わん市しや役くし所よゐ員ん、それにドクトル、ハヾトフ、又またも一ひと人りの見み知しらぬブロンヂンの男をとこ、ずらりと並ならんで控ひかへてゐる。傍そばにゐた者ものは直すぐに院ゐん長ちやうに此この人にん間げんを紹せう介かいした、猶やは且りドクトルで、何なんだとかと云いふポーランドの云いひ惡にくい名な、此この町まちから三十ヴエルスタ計ばかり隔へだゝつてゐる、或ある育いく馬ばし所よに居ゐる者もの、今け日ふ此この町まちを何なにかの用ようで些ちよつと通とほ掛りかゝつたので、此この場ばし所よへ立たち寄よつたとのことで。 ﹃えゝ只たゞ今いま、足そく下かに御ごく關わん係けいの有ある事こと柄がらで、申まを上しあげたいと思おもふのですが。﹄と、市しや役くし所よゐ員んは居ゐな並らぶ人ひと々〴〵の挨あい拶さつが濟すむと恁かう切きり出だした。﹃あ、エウゲニイ、フエオドロヰチの有おつ仰しやるには、本ほん院ゐんの藥やく局きよくが狹せま隘いので、之これを別べつ室しつの一つに移う轉つしては奈ど何うかと云いふのです。勿もち論ろん是これは雜ざふ作さも無ない事ことですが、其それには別べつ室しつの修しう繕ぜんを要えうすると云いふ其その事ことです。﹄ ﹃左さや樣う、修しう繕ぜんを致いたさなければならんでせう。﹄と、院ゐん長ちやうは考かんがへながら云いふ。﹃例たとへば隅すみの別べつ室しつを藥やく局きよくに當あてやうと云いふには、私わたくしの考かんがへでは、極ごく少せう額がくに見みつ積もつても五百圓ゑんは入いりませう、然しかし餘あまり不ふせ生いさ産んて的きな費ひよ用うです。﹄ 皆みなは少すこ時し默もくしてゐる。院ゐん長ちやうは靜しづかに又また續つゞける。 ﹃私わたくしはもう十年ねんも前まへから、さう申まを上しあげてゐたのですが、全ぜん體たい此この病びや院うゐんの設た立てられたのは、四十年ねん代だいの頃ころでしたが、其その時じぶ分んは今こん日にちのやうな資しり力よくでは無なかつたもので。然しかし今こん日にちの所ところでは病びや院うゐんは、確たしかに市しの資ちか力ら以いじ上やうの贅ぜい澤たくに爲なつてゐるので、餘よけ計いな建たて物もの、餘よけ計いな役やくなどで隨ずゐ分ぶん費ひよ用うも多おほく費つかつてゐるのです。私わたくしの思おもふには、是これ丈だけの錢ぜにを費つかふのなら、遣やり方かたをさへ換かへれば、此こゝに二つの模もは範んて的きの病びや院うゐんを維ゐ持ぢする事ことが出で來きると思おもひます。﹄ ﹃では一つ遣やり方かたを換かへて御ごら覽んになつたら如いか何ゞです。﹄ と、市しや役くし所よゐ員んは活くわ發つぱつに云いふ。 ﹃私わたくしは前さきにも申まを上しあげました通とほり、醫いが學くじ上やうの事じ務むを地ちは方うじ自ち治た體いの方はうへ、お渡わたしになつては如ど何うでせう?﹄ ﹃地ちは方う自じ治ちに錢ぜにを渡わたしたら、其それこそ彼かれ等らは皆みな盜ぬすんで了しまひませう。﹄と、ブロンヂンのドクトルは笑わらひ出だす。 ﹃其そりや極きまつてます。﹄と、市しや役くし所よゐ員んも同どう意いして笑わらふ。 院ゐん長ちやうは茫ぼん然やりとブロンヂンのドクトルを見みたが。﹃然しかし公こう平へいに考かんがへなければなりません。﹄と云いふた。 皆みなは又また少しば時し默もくして了しまふ。其その中うちに茶ちやが出でる。ドクトル、ハヾトフは皆みなとの一般ぱんの話はなしの中うちも、院ゐん長ちやうの言ことばに注ちゆ意ういをして聞きいてゐたが突だし然ぬけに。﹃アンドレイ、エヒミチ今け日ふは何なん日にちです?﹄其それから續つゞいて、ハヾトフとブロンヂンのドクトルとは下へ手たなのを感かんじてゐる試しけ驗んく官わんと云いつたやうな調てう子しで、今け日ふは何なに曜えう日びだとか、一年ねんの中うちには何なん日にち有あるとか、六號がう室しつには面おも白しろい豫よげ言んし者やがゐるさうなとかと、交かは々る〴〵尋た問づねるので有あつた。 院ゐん長ちやうは終をはりの問とひには赤せき面めんして。﹃いや、那あれは病びや人うにんです、然しかし面おも白しろい若わか者もので。﹄と答こたへた。 もう誰たれも何なんとも質しつ問もんを爲せぬのである。 院ゐん長ちやうは玄げん關くわんの間まで外ぐわ套いたうを着き、市しや役くし所よの門もんを出でたが、是これは自じぶ分んの才さい能のうを試しけ驗んする所ところの委ゐゐ員んく會わいで有あつたと初はじめて悟さとり、自じぶ分んに懸かけられた質しつ問もんを思おもひ出だし、一ひと人り自みづから赤せき面めんし、一生しやうの中うち今いま初はじめて、醫いが學くなるものを、つくづくと情なさ無けない者ものに感かんじたのである。 其その晩ばん、郵いう便びん局きよ長くちやうのミハイル、アウエリヤヌヰチは彼かれの所ところに來きたが、挨あい拶さつもせずに匆いき卒なり彼かれの兩りや手うてを握にぎつて、聲こゑを顫ふるはして云いふた。 ﹃おゝ君きみ、ねえ、君きみは僕ぼくの切せつなる意いち中ゆうを信しんじて、僕ぼくを親しん友いうと認みとめて呉くれる事ことを證しようして下くださるでせうね……え、君きみ!﹄ 彼かれは院ゐん長ちやうの云いはんとするのを遮さへぎつて、何なにかそわ〳〵して續つゞけて云いふ。﹃私わたしは貴あな方たの教けう育いくと、高かう尚しやうなる心こゝろとを甚はなはだ敬けい愛あいして居をるです。何どう卒ぞ君きみ、私わたしの云いふことを聞きいて下ください。醫いが學くの原げん則そくは、醫いし者や等らをして貴あな方たに實じつを云いはしめたのです。然しかしながら私わたしは軍ぐん人じん風ふうに眞まつ向かうに切きり出だします。貴あな方たに打うち明あけて云いひます、即すなはち貴あな方たは病びや氣うきなのです。是これはもう周まは圍りの者ものの疾とうより認みとめてゐる所ところで、只たゞ今いまもドクトル、エウゲニイ、フエオドロヰチが云いふのには、貴あな方たの健けん康かうの爲ためには、須すべからく氣きば晴らしをして、保ほや養うを專せん一と爲せんければならんと。是これは實じつ際さいです。所ところが、丁ちや度うど私わたしも此この節せつ、暇ひまを貰もらつて、異かはつた空くう氣きを吸すひに出で掛かけやうと思おもつてゐる矢やさ先き、如ど何うでせう、一所しよに付つき合あつては下くださらんか、而さうして舊ふる事いことを皆みんな忘わすれて了しまひませうぢや有ありませんか。﹄ ﹃然しかし私わたしは少すこしも身から體だに異いじ状やうは無ないです、壯さう健けんです。無むや暗みに出で掛かける事ことは出で來きません、何どう卒ぞ私わたしの友いう情じやうを他たの事ことで何なんとか證しようさせて下ください。﹄ アンドレイ、エヒミチは初はじめの一分ぷん時じは、何なんの意い味みもなく書しよ物もつと離はなれ、ダリユシカと麥ビー酒ルとに別わかれて、二十年ねん來らい定さだまつた其その生せい活くわつの順じゆ序んじよを破やぶると云いふ事ことは出で來きなく思おもふたが、又また深ふかく思おもへば、市しや役くし所よで有ありし事こと、其その自みづから感かんじた不ふゆ愉くわ快いの事こと、愚おろかな人ひと々〴〵が自じぶ分んを狂きや人うじ視んししてゐる這こん麼なま町ちから、少すこしでも出でて見みたらば、とも思おもふので有あつた。 ﹃然しかし貴あな方たは一體たい何ど處こへお出で掛かけにならうと云いふのです?﹄院ゐん長ちやうは問とふた。 ﹃モスクワへも、ペテルブルグへも、ワルシヤワへも……ワルシヤワは實じつに好よい所ところです、私わたしが幸かう福ふくの五年ねん間かんは彼あす處こで送おくつたのでした、其それは好いい町まちです、是ぜ非ひ行ゆきませう、ねえ君きみ。﹄︵十三︶
一週しう間かんを經へてアンドレイ、エヒミチは、病びや院うゐんから辭じし職よくの勸くわ告んこくを受うけたが、彼かれは其それに對たいしては至いたつて平へい氣きであつた。恁かくて又また一週しう間かんを過すぎ、遂つひにミハイル、アウエリヤヌヰチと共ともに郵いう便びんの旅たび馬ばし車やに打うち乘のり、近ちかき鐵てつ道だうのステーシヨンを差さして、旅りよ行かうにと出で掛かけたのである。 空そらは爽さはやかに晴はれて、遠とほく木こだ立ちの空そらに接せつする邊あたりも見みわ渡たされる凉すゞしい日ひよ和り。ステーシヨン迄までの二百ヴエルスタの道みちを二晝ちう夜やで過すぎたが、其その間あひだ馬うまの繼つぎ場ば々/々\で、ミハイル、アウエリヤヌヰチは、やれ、茶ちやの杯こつぷの洗あらひやうが奈ど何うだとか、馬うまを附つけるのに手て間まが取とれるとかと力りきんで、上あげ句くには、何いつも默だまれとか、彼かれ此これ云いふな、とかと眞まつ赤かになつて騷さわぎを返かへす。道みち々〳〵も一分ぷんの絶たえ間まもなく喋しやべり續つゞけて、カフカズ、ポーランドを旅りよ行かうしたことなどを話はなす。而さうして大おほ聲ごゑで眼めを剥むき出だし、夢むち中ゆうになつてドクトルの顏かほへはふツ〳〵と息いきを吐ふつ掛かける、耳みゝ許もとで高たか笑わらひする。ドクトルは其それが爲ために考かんがへに耽ふけることもならず、思おもひに沈しづむ事ことも出で來きぬ。 汽きし車やは經けい濟ざいの爲ために三等とうで、喫きつ烟えんを爲せぬ客かく車しやで行いつた。車しや室しつの中うちはさのみ不ふけ潔つの人にん間げん計ばかりではなかつたが、ミハイル、アウエリヤヌヰチは直すぐに人ひと々〴〵と懇こん意いになつて誰たれにでも話はなしを仕し掛かけ、腰こし掛かけから腰こし掛かけへ廻まはり歩あるいて、大おほ聲ごゑで、這こん麼なふ不つ都が合ふ極きはまる汽きし車やは無ないとか、皆みな盜ぬす人びとのやうな奴やつ等らば計かりだとか、乘じよ馬うばで行ゆけば一日にちに百ヴエルスタも飛とばせて、其その上うへ愉ゆく快わいに感かんじられるとか、我われ々〳〵の地ちは方うの不ふさ作くなのはピン沼ぬまなどを枯からして了しまつたからだ、非ひじ常やうな亂らん暴ばうをしたものだとか、などと云いつて、殆ほとんど他ひとには口くちも開きかせぬ、而さうして其その相あひ間まには高たか笑わらひと、仰ぎや山うさんな身みぶ振り。 ﹃私わた等しら二ふた人りの中うち、何いづれが瘋ふう癲てん者しやだらうか。﹄と、ドクトルは腹はら立だゝしくなつて思おもふた。﹃少すこしも乘じよ客うきやくを煩わづらはさんやうに務つとめてゐる俺おれか、其それとも這こん麼なに一ひと人りで大おほ騷さわぎをしてゐた、誰たれにも休きう息そくも爲させぬ此この利りこ己しゆ主ぎを義と男こか?﹄ モスクワへ行いつてから、ミハイル、アウエリヤヌヰチは肩けん章しやうの無ない軍ぐん服ぷくに、赤あか線すぢの入はひつたヅボンを穿はいて町まちを歩あるくにも、軍ぐん帽ばうを被かぶり、軍ぐん人じんの外ぐわ套いたうを着きた。兵へい卒そつは彼かれを見みて敬けい禮れいをする。アンドレイ、エヒミチは今いま初はじめて氣きが着ついたが、ミハイル、アウエリヤヌヰチは前さきに大おほ地ぢぬ主しで有あつた時ときの、餘あまり感かん心しんせぬ風ふう計ばかりが今いまも殘のこつてゐると云いふことを。机つくゑの前まへにマツチは有あつて、彼かれは其それを見みてゐながら、其その癖くせ、大おほ聲ごゑを上あげて小こづ使かひを呼よんでマツチを持もつて來こいなどと云いひ、女ぢよ中ちゆうのゐる前まへでも平へい氣きで下した着ぎ一つで歩あるいてゐる、下しも僕べや、小こづ使かひを捉つかまへては、年としを寄とつたものでも何なんでも構かまはず、貴きさ樣ま々/々\と頭あた碎まごなし。其その上うへに腹はらを立たつと直すぐに、此この野やら郎う、此この大おほ馬ば鹿かと惡あく體たいが初はじまるので、是これ等らは大おほ地ぢぬ主しの癖くせであるが、餘あまり感かん心しんした風ふうでは無ない、とドクトルも思おもふたのであつた。 モスクワ見けん物ぶつの第だい一着ちやくに、ミハイル、アウエリヤヌヰチは其その友ともを先まづイウエルスカヤ小せう聖せい堂だうに伴つれ行ゆき、其そ處こで彼かれは熱ねつ心しんに伏ふく拜はいして涙なみだを流ながして祈きた祷うする、而さうして立たち上あがり、深ふかく溜ため息いきして云いふには。 ﹃縱たと令ひ信しんじなくとも、祈きた祷うをすると、何なんとも云いはれん位くらゐ、心こゝろが安やすまる、君きみ、接せつ吻ぷん爲した給まへ。﹄ アンドレイ、エヒミチは體きま裁りわ惡るく思おもひながら、聖せい像ざうに接せつ吻ぷんした。ミハイル、アウエリヤヌヰチは唇くちびるを突つき出だして、頭あたまを振ふりながら、又またも小こゞ聲ゑで祈きた祷うして涙なみだを流ながしてゐる。其それから二ふた人りは其そ處こを出でて、クレムリに行ゆき、大たい砲はう王わう︵巨大な砲︶と大たい鐘しよ王うわう︵巨大な鐘、モスクワの二大名物︶とを見けん物ぶつし、指ゆびで觸さはつて見みたりした。其それよりモスクワ川かは向むかふの町まちの景けし色きなどを見みわ渡たしながら、救きう世せい主しゆの聖せい堂だうや、ルミヤンツセフの美びじ術ゆつ館くわんなんどを廻まはつて見みた。 中ちゆ食うじきはテストフ亭ていと云いふ料れう理りて店んに入はひつたが、此こゝでもミハイル、アウエリヤヌヰチは、頬ほゝ鬚ひげを撫なでながら、暫やゝ少しば時らく、品しな書がきを拈ひね轉くつて、料れう理り店やを我わが家やのやうに擧ふる動まふ愛あい食しよ家くか風ふうの調てう子しで。 ﹃今け日ふは甚どん麼なご御ち馳そ走うで我われ々〳〵を食くはして呉くれるか。﹄と、無むや暗みと幅はゞを利きかせたがる。︵十四︶
ドクトルは見けん物ぶつもし、歩あるいても見み、食くつても飮のんでも見みたのであるが、たゞもう毎まい日にちミハイル、アウエリヤヌヰチの擧きよ動どうに弱よわらされ、其それが鼻はなに着ついて、嫌いやで、嫌いやでならぬので、如ど何うかして一日にちでも、一時ときでも、彼かれから離はなれて見みたく思おもふので有あつたが、友ともは自じぶ分んより彼かれを一歩ぽでも離はなす事ことはなく、何なんでも彼かれの氣きば晴らしをするが義ぎ務むと、見けん物ぶつに出でぬ時ときは饒しや舌べり續つゞけて慰なぐさめやうと、附つき纒まとひ通どほしの有あり樣さま。二日かと云いふものアンドレイ、エヒミチは堪こらへ堪こらへて、我がま慢んをしてゐたのであるが、三日か目めにはもう如ど何うにも堪こらへ切きれず。少すこし身から體だの工ぐあ合ひが惡わるいから、今け日ふ丈だけ宿やどに殘のこつてゐると、遂つひに思おも切ひきつて友ともに云いふたので有あつた、然しかるにミハイル、アウエリヤヌヰチは、其それぢや自じぶ分んも家いへにゐる事ことに爲しやう、少すこしは休きう息そくも爲しなければ足あしも續つゞかぬからと云いふ挨あい拶さつ。アンドレイ、エヒミチはうんざりして、長なが椅い子すの上うへに横よこになり、倚より掛かゝりの方はうへ突ついと顏かほを向むけた儘まゝ、齒はを切くひしばつて、友ともの喋べら喋〳〵語しやべるのを詮せん方かたなく聞きいてゐる。然さりとも知しらぬミハイル、アウエリヤヌヰチは、大だい得とく意いで、佛フラ蘭ン西スは早さう晩ばん獨ドイ逸ツを破やぶつて了しまふだらうとか、モスクワには攫す客りが多おほいとか、馬うまは見みか掛けば計かりでは、其その眞しん價かは解わからぬものであるとか。と、其それから其それへと話はなしを續つゞけて息いきの繼つぐ暇ひまも無ない、ドクトルは耳みゝが﹇#﹁耳みゝが﹂は底本では﹁耳みゝを﹂﹈ガンとして、心しん臟ざうの鼓こど動うさへ烈はげしくなつて來くる。と云いつて、出でて行いつて呉くれ、默だまつてゐて呉くれとは彼かれには言いはれぬので、凝じつと辛しん抱ばうしてゐる辛つらさは一倍ばいである。所ところが仕しあ合はせにもミハイル、アウエリヤヌヰチの方はうが、此こん度どは宿やどに引ひつ込こんでゐるのが、とうとう退たい屈くつになつて來きて、中ちゆ食うじ後きごには散さん歩ぽにと出で掛かけて行いつた。 アンドレイ、エヒミチはやつと一ひと人りになつて、長なが椅い子すの上うへにのろ〳〵と落おち着ついて横よこになる。室しつ内ないに自じぶ分ん唯たゞ一ひと人り、と意いし識きするのは如い何かに愉ゆく快わいで有あつたらう。眞しん實じつの幸かう福ふくは實じつに一ひと人りでなければ得うべからざるもので有あると、つく〴〵思おもふた。而さうして彼かれは此この頃ごろ見みたり、聞きいたりした事ことを考かんがへやうと思おもふたが、如ど何うしたものか猶やは且り、ミハイル、アウエリヤヌヰチが頭あたまから離はなれぬので有あつた。 其その後のちは彼かれは少すこしも外ぐわ出いしゆつせず、宿やどに計ばかり引ひつ込こんでゐた。 友ともは態わざ々〳〵休きう暇かを取とつて、恁かく自じぶ分んと共ともに出しゆ發つぱつしたのでは無ないか。深ふかき友いう情じやうによつてゞは無ないか、親しん切せつなのでは無ないか。然しかし實じつに是これ程ほど有あり難がた迷めい惑わくの事ことが又またと有あらうか。降かう參さんだ、眞まつ平ぴらだ。とは云いへ、彼かれに惡あく意いが有あるのでは無ない。と、ドクトルは更さらに又また沁しみ々〴〵と思おもふたので有あつた。 ペテルブルグに行いつてからもドクトルは猶やは且り同どう樣やう、宿やどにのみ引ひき籠こもつて外そとへは出でず、一日にち長なが椅い子すの上うへに横よこになり、麥ビー酒ルを呑のむ時ときに丈だけ起おきる。 ミハイル、アウエリヤヌヰチは、始しゞ終ゆうワルシヤワへ早はやく行ゆかうと計ばかり云いふてゐる。 ﹃然しかし君きみ、私わたしは何なにもワルシヤワへ行ゆく必ひつ要えうは無ないのだから、君きみ一ひと人りで行ゆき給たまへ、而さうして私わたしを何どう卒ぞ先さきに故こき郷やうに歸かへして下ください。﹄アンドレイ、エヒミチは哀あい願ぐわんするやうに云いふた。 ﹃飛とんだ事ことさ。﹄と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは聽きゝ入いれぬ。﹃ワルシヤワこそ君きみに見みせにやならん、僕ぼくが五年ねんの幸かう福ふくな生しや涯うがいを送おくつた所ところだ。﹄ アンドレイ、エヒミチは例れいの氣きし質つで、其それでもとは云いひ兼かね、遂つひに又また嫌いや々〳〵ながらワルシヤワにも行いつた。其そ處こでも彼かれは宿やどから出でずに、終しゆ日うじつ相あひ變かはらず長なが椅い子すの上うへに轉ころがり、相あひ變かはらず友ともの擧きよ動どうに愛あい想さうを盡つかしてゐる。ミハイル、アウエリヤヌヰチは一ひと人りして元げん氣き可よく、朝あさから晩ばん迄まで町まちを遊あそび歩あるき、舊きう友いうを尋たづね廻まはり、宿やどには數すう度ども歸かへらぬ夜よが有あつた位くらゐ。と、或ある朝あさ早はやく非ひじ常やうに興こう奮ふんした樣やう子すで、眞まつ赤かな顏かほをし、髮かみも茫ばう々〳〵として宿やどに歸かへつて來きた。而さうして何なにか獨ひと語りごとしながら、室しつ内ないを隅すみから隅すみへと急いそいで歩あるく。 ﹃名めい譽よは大だい事じだ。﹄ ﹃然さうだ名めい譽よが大たい切せつだ。全ぜん體たい這こん麼なま町ちに足あしを踏ふみ込こんだのが間まち違がひだつた。﹄と、彼かれは更さらにドクトルに向むかつて云いふた。﹃實じつは私わたしは負まけたのです。で、奈ど何うでせう、錢ぜにを五百圓ゑん貸かしては下くださらんか?﹄ アンドレイ、エヒミチは錢ぜにを勘かん定ぢやうして、五百圓ゑんを無むご言んで友ともに渡わたしたのである。ミハイル、アウエリヤヌヰチは未まだ眞まつ赤かになつて、面めん目ぼく無ないやうな、怒おこつたやうな風ふうで。﹃屹きつ度と返か却へします、屹きつ度と。﹄などと誓ちかひながら、又また帽ばうを取とるなり出でて行いつた。が、大おほ約よそ二時じか間んを經たつてから歸かへつて來きた。 ﹃お蔭かげで名めい譽よは助たすかつた。もう出しゆ發つぱつしませう。這こん麼なふ不と徳く義ぎ極きはまる所ところに一分ぷんだつて留とゞまつてゐられるものか。掏す摸りども奴め、墺あう探たんども奴め。﹄ 二ふた人りが旅りよ行かうを終をへて歸かへつて來きたのは十一月ぐわつ、町まちにはもう深みゆ雪きが眞まつ白しろに積つもつてゐた。アンドレイ、エヒミチは歸かへつて見みれば自じぶ分んの位ゐ置ちは今いまはドクトル、ハヾトフの手てに渡わたつて、病びや院うゐんの官くわ宅んたくを早はやく明あけ渡わたすのをハヾトフは待まつてゐるといふとの事こと、又また其その下げぢ女よと名なづけてゐた醜しう婦ふは、此この間あひだから、別べつ室しつの内うちの或ある處ところに移いて轉んした。町まちには、病びや院うゐんの新しん院ゐん長ちやうに就ついての種いろ々〳〵な噂うはさが立たてられてゐた。下げぢ女よと云いふ醜しう婦ふが會くわ計いけいと喧けん嘩くわをしたとか、會くわ計いけいは其その女をんなの前まへに膝ひざを折をつて謝しや罪ざいしたとか、と。 アンドレイ、エヒミチは歸かへ來り早さう々〳〵先まづ其その住すま居ひを尋たづねねばならぬ。 ﹃不ぶゑ遠んり慮よな御おた質づ問ねですがなあ君きみ。﹄と郵いう便びん局きよ長くちやうはアンドレイ、エヒミチに向むかつて云いふた。 ﹃貴あな方たは何どの位くらゐ財ざい産さんをお所も有ちですか?﹄ 問とはれて、アンドレイ、エヒミチは默もくした儘まゝ、財さい嚢ふの錢ぜにを數かぞへ見みて。﹃八十六圓ゑん。﹄ ﹃否いえ、然さうぢやないのです。﹄ミハイル、アウエリヤヌヰチは更さらに云いひ直なほす。﹃其その、君きみの財ざい産さんは總そう計けいで何どの位くらゐと云いふのを伺うかゞうのさ。﹄ ﹃だから總そう計けい八十六圓ゑんと申まをしてゐるのです。其それ切ぎり私わたしは一文もんも所も有つちや居をらんので。﹄ ミハイル、アウエリヤヌヰチはドクトルの廉れん潔けつで、正しや直うぢきで有あるのは豫かねても知しつてゐたが、然しかし其それにしても、二萬圓ゑん位ぐらゐは確たしかに所も有つてゐることゝのみ思おもふてゐたのに、恁かくと聞きいては、ドクトルが恰まるで乞こじ食きにも等ひとしき境きや遇うぐうと、思おもはず涙なみだを落おとして、ドクトルを抱いだき締しめ、聲こゑを上あげて泣なくので有あつた。︵十五︶
ドクトル、アンドレイ、エヒミチはベローワと云いふ婦をんなの小こぎ汚たない家いへの一間まを借かりることになつた。彼かれは前まへのやうに八時じに起おきて、茶ちやの後のちは直すぐに書しよ物もつを樂たのしんで讀よんでゐたが、此この頃ごろは新あたらしい書しよ物もつも買かへぬので、古ふる本ほん計ばかり讀よんでゐる爲せゐか、以いぜ前んほ程どには興きよ味うみを感かんぜぬ。或ある時とき徒つれ然〴〵なるに任まかせて、書しよ物もつの明めい細さいな目もく録ろくを編へん成せいし、書しよ物もつの背せには札ふだを一々貼はり付つけたが、這こん麼なき機かい械て的きな單たん調てうな仕しご事とが、却かへつて何なに故ゆゑか奇きめ妙うに彼かれの思しさ想うを弄ろうして、興きよ味うみをさへ添そへしめてゐた。 彼かれは其その後ご病びや院うゐんに二度どイワン、デミトリチを尋たづねたので有あるがイワン、デミトリチは二度どながら非ひじ常やうに興こう奮ふんして、激げき昂かうしてゐた樣やう子すで、饒しや舌べる事ことはもう飽あきたと云いつて彼かれを拒きよ絶ぜつする。彼かれは詮せん方かたなくお眠やすみなさい、とか、左さや樣うなら、とか云いつて出でて來こやうとすれば、﹃勝かつ手てにしやがれ。﹄と怒ど鳴なり付つける權けん幕まく。ドクトルも其それからは行ゆくのを見み合あはせてはゐるものゝ、猶やは且り行ゆき度たく思おもふてゐた。 前さきには彼かれは中ちう食じき後ごは、屹きつ度と室へやの隅すみから隅すみへと歩あるいて考かんがへに沈しづんでゐるのが常つねで有あつたが、此この頃ごろは中ちう食じきから晩ばんの茶ちやの時とき迄までは、長なが椅い子すの上うへに横よこになる。と、毎いつも妙めうな一つ思しさ想うが胸むねに浮うかぶ。其それは自じぶ分んが二十年ねん以いじ上やうも勤つと務めを爲してゐたのに、其それに對たいして養やう老らう金きんも、一時じき金んも呉くれぬ事ことで、彼かれは其それを思おもふと殘ざん念ねんで有あつた。勿もち論ろん餘あまり正しや直うぢきには務つとめなかつたが、年ねん金きんなど云いふものは、縱たと令ひ、正しや直うぢきで有あらうが、無なからうが、凡すべて務つとめた者ものは受うけべきで有ある。勳くん章しやうだとか、養やう老らう金きんだとか云いふものは、徳とく義ぎじ上やうの資しか格くや、才さい能のうなどに報はう酬しうされるのではなく、一般ぱんに勤つと務め其その物ものに對たいして報はう酬しうされるので有ある。然しからば何なんで自じぶ分んば計かり報はう酬しうをされぬので有あらう。又また今いま更さら考かんがへれば旅りよ行かうに由よりて、無む慘ざ々/々\と惜あたら千圓ゑんを費つかひ棄すてたのは奈い何かにも殘ざん念ねん。酒さか店やには麥ビー酒ルの拂はらひが三十二圓ゑんも滯とゞこほる、家やち賃んとても其その通とほり、ダリユシカは密ひそかに古ふる服ふくやら、書しよ物もつなどを賣うつてゐる。此この際さい彼かの千圓ゑんでも有あつたなら、甚どん麼なに役やくに立たつ事ことかと。 彼かれは又また恁かゝる位ゐ置ちになつてからも、人ひとが自じぶ分んを抛うつ棄ちやつては置おいて呉くれぬのが、却かへつて迷めい惑わくで殘ざん念ねんで有あつた。ハヾトフは折をり々〳〵病びや氣うきの同どう僚れうを訪はう問もんするのは、自じぶ分んの義ぎ務むで有あるかのやうに、彼かれの所ところに蒼うる蠅さく來くる。彼かれはハヾトフが嫌いやでならぬ。其その滿まん足ぞくな顏かほ、人ひとを見みさ下げるやうな樣やう子す、彼かれを呼よんで同どう僚れうと云いふ言ことば、深ふかい長なが靴ぐつ、此これ等らは皆みな氣き障ざでならなかつたが、殊ことに癪しやくに障さはるのは、彼かれを治ちれ療うする事ことを自じぶ分んの務つとめとして、眞ま面じ目めに治ちれ療うをしてゐる意つもりなのが。で、ハヾトフは訪はう問もんをする度たびに、屹きつ度とブローミウム加カ里リの入はひつた壜びんと、大だい黄おうの丸ぐわ藥んやくとを持もつて來くる。 ミハイル、アウエリヤヌヰチも猶やは且り、初しよ中つち終ゆう、アンドレイ、エヒミチを訪た問づねて來きて、氣きば晴らしを爲させることが自じぶ分んの義ぎ務むと心こゝ得ろえてゐる。で、來くると、宛まる然で空そら々〴〵しい無む理りな元げん氣きを出だして、強しひて高たか笑わらひをして見みたり、今け日ふは非ひじ常やうに顏かほ色いろが好いいとか、何なんとか、ワルシヤワの借しや金くきんを拂はらはぬので、内ない心しんの苦くるしく有あるのと、恥はづかしく有ある所ところから、餘よけ計いに強しひて氣きを張はつて、大おほ聲ごゑで笑わらひ、高たか調てう子しで饒しや舌べるので有あるが、彼かれの話はなしにはもう倦うん厭ざりしてゐるアンドレイ、エヒミチは、聞きくのもなか〳〵に大たい儀ぎで、彼かれが來くると何い時つもくるりと顏かほを壁かべに向むけて、長なが椅い子すの上うへに横よこになつた切きり、而さうして齒はを切くひしばつてゐるのであるが、其それが段だん々〳〵度たび重かさなれば重かさなる程ほど、堪たまらなく、終つひには咽の喉どの邊あたりまでがむづ〳〵して來くるやうな感かんじがして來きた。︵十六︶
或ある日ひ郵いう便びん局きよ長くちやうミハイル、アウエリヤヌヰチは、中ちゆ食うじ後きごにアンドレイ、エヒミチの所ところを訪はう問もんした。アンドレイ、エヒミチは猶やは且り例れいの長なが椅い子すの上うへ。すると丁ちや度うどハヾトフもブローミウム加カ里リの壜びんを携たづさへて遣やつて來きた。アンドレイ、エヒミチは重おもさうに、辛つらさうに身みを起おこして腰こしを掛かけ、長なが椅い子すの上うへに兩りや手うてを突つツ張ぱる。 ﹃いや今こん日にちは、おゝ君きみは今け日ふは顏かほ色いろが昨きの日ふよりも又またずツと可いいですよ。まづ結けつ構こうだ。﹄と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは挨あい拶さつする。 ﹃もう全ぜん快くわいしても可いいでせう。﹄とハヾトフは欠あくびをしながら言ことばを添そへる、 ﹃平な癒ほりますとも、而さうしてもう百年ねんも生いきまさあ。﹄と、郵いう便びん局きよ長くちやうは愉ゆく快わい氣げに云いふ。 ﹃百年ねんてさうも行ゆかんでせうが、二十年ねんや其そこ邊らは生いき延のびますよ。﹄ハヾトフは慰なぐさめ顏がほ。﹃何なんんでも有ありませんさ、なあ同どう僚れう。悲ひく觀わんももう大たい抵ていになさるが可いいですぞ。﹄ ﹃我われ々〳〵は未まだ隱いん居きよするには早はやいです。ハヽヽ左さ樣うでせうドクトル、未まだ隱いん居きよするのには。﹄郵いう便びん局きよ長くちやうは云いふ。 ﹃來らい年ねん邊あたりはカフカズへ出で掛かけやうぢや有ありませんか、乘じよ馬うばで以もつてからに彼あ方ち此こ方ちを驅かけ廻まはりませう。而さうしてカフカズから歸かへつたら、此こん度どは結けつ婚こんの祝しゆ宴くえんでも擧あげるやうになりませう。﹄と片かた眼めをパチ〳〵して。﹃是ぜ非ひ一つ君きみを結けつ婚こんさせやう……ねえ、結けつ婚こんを。﹄ アンドレイ、エヒミチはむかツとして立たち上あがつた。 ﹃失しつ敬けいな!﹄と、一ひと言こと※さけ﹇#﹁口+斗﹂、60-上-5﹈ぶなりドクトルは窓まどの方はうに身みを退よけ。﹃全ぜん體たい貴あな方たが々たは這こん麼なし失つけ敬いな事ことを言いつてゐて、自じぶ分んでは氣きが着つかんのですか。﹄ 柔やはらかに言いふ意つもりで有あつたが、意いに反はんして荒あら々〳〵しく拳こぶしをも固かためて頭かし上らのうへに振ふり翳かざした。 ﹃餘よけ計いな世せ話わは燒やかんでも可いい。﹄益ます荒あら々〳〵しくなる。 ﹃二ふた人りながら歸かへつて下ください、さあ、出でて行ゆきなさい。﹄ 自じぶ分んの聲こゑでは無ない聲こゑで顫ふるへながら※さけ﹇#﹁口+斗﹂、60-上-11﹈ぶ。 ミハイル、アウエリヤヌヰチとハヾトフとは呆あつ氣けに取とられて瞶みつめてゐた。 ﹃二ふた人りとも、さあ出でてお行いでなさい。さあ。﹄アンドレイ、エヒミチは未まだ※さけ﹇#﹁口+斗﹂、60-上-15﹈び續つゞけてゐる。﹃鈍とん痴ちん漢かんの、薄うす鈍のろな奴やつ等ら、藥くすりも絲へち瓜まも有あるものか、馬ば鹿かな、輕かる擧はずみな!﹄ハヾトフと郵いう便びん局きよ長くちやうとは、此この權けん幕まくに辟へき易えきして戸とぐ口ちの方はうに狼まご狽〳〵出でて行ゆく。ドクトルは其その後あとを睨にらめてゐたが、匆ゆき卒なりブローミウム加カ里リの壜びんを取とるより早はやく、發はつ矢しと計ばかり其そ處こに投なげ付つける、壜びんは微みぢ塵んに粉ふん碎さいして了しまふ。 ﹃畜ちく生しやう! 行ゆけ! さツさと行ゆけ!﹄と彼かれは玄げん關くわ迄んまで駈かけ出だして、泣なき聲ごゑを上あげて怒ど鳴なる。﹃畜ちく生しやう!﹄ 客きや等くらが立たち去さつてからも、彼かれは一ひと人りで未まだ少しば時らく惡あく體たいを吻ついてゐる。然しかし段だん々〳〵と落おち着つくに隨したがつて、有さす繋がにミハイル、アウエリヤヌヰチに對たいしては氣きの毒どくで、定さだめし恥はぢ入いつてゐる事ことだらうと思おもへば。あゝ思しり慮よ、知ちし識き、解かい悟ご、哲てつ學がく者しやの自じゝ若やく、夫それ將はた安いづくにか在あると、彼かれは只ひた管すらに思おもふて、慙はぢて、自みづから赤せき面めんする。 其その夜よは慙ざん恨こんの情じやうに驅かられて、一睡すゐだも爲せず、翌よく朝てう遂つひに意いを决けつして、局きよ長くちやうの所ところへと詑わびに出でか掛ける。 ﹃いやもう過くわ去こは忘わすれませう。﹄と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは固かたく彼かれの手てを握にぎつて云いふた。﹃過くわ去この事ことを思おもひ出だすものは、兩りや眼うがんを抉くじつて了しまひませう。リユバフキン!﹄と、彼かれは大おほ聲ごゑで誰たれかを呼よぶ。郵いう便びん局きよくの役やく員ゐんも、來き合あはしてゐた人ひと々〴〵も、一齊せいに吃びつ驚くりする。﹃椅い子すを持もつて來こい。貴きさ樣まは待まつて居をれ。﹄と、彼かれは格かう子しご越しに書かき留とめの手てが紙みを彼かれに差さし出だしてゐる農のう婦ふに怒ど鳴なり付つける。﹃俺おれの用ようの有あるのが見みえんのか。いや過くわ去こは思おもひ出だしますまい。﹄と彼かれは調てう子しを一段だんと柔やさしくしてアンドレイ、エヒミチに向むかつて云いふ。﹃さあ君きみ、掛かけ給たまへ、さあ何どう卒か。﹄ 一分ぷん間かん默もくして兩りや手うてで膝ひざを擦こすつてゐた郵いう便びん局きよ長くちやうは又また云いひ出だした。 ﹃私わたくしは决けつして君きみに對たいして立りつ腹ぷくは致いたさんので、病びや氣うきなれば據よん無どころないのです、お察さつし申もをすですよ。昨きの日ふも君きみが逆のぼ上せられた後のち、私わたしはハヾトフと長ながいこと、君きみのことを相さう談だんしましたがね、いや君きみも此こん度どは本ほん氣きになつて、病びや氣うきの療れう治ぢを遣やり給たまはんと可いかんです。私わたしは友いう人じんとして何なにも彼かも打うち明あけます。﹄と、彼かれは更さらに續つゞけて。﹃全ぜん體たい君きみは不ふじ自い由うな生せい活くわつをされてゐるので、家いへと云いへば清せい潔けつでなし、君きみの世せ話わをする者ものは無なし、療れう治ぢをするには錢ぜには無なし。ねえ君きみ、で我われ々〳〵は切せつに君きみに勸すゝめるのだ。何どう卒ぞ是ぜ非ひ一つ聽きいて頂いたゞきたい、と云いふのは、實じつは然さう云いふ譯わけであるから、寧むしろ君きみは病びや院うゐんに入はひられた方はうが得とく策さくであらうと考かんがへたのです。ねえ君きみ、病びや院うゐんは未まだ比ひか較くて的き、食しよ物くもつは好よし、看かん護ご婦ふはゐる、エウゲニイ、フエオドロヰチもゐる。其それは勿もち論ろん、是これは我われ々〳〵丈だけの話はなしだが、彼かれは餘あまり尊そん敬けいをすべき人じん格かくの男をとこでは無ないが、術じゆつに掛かけては又またなか〳〵侮あなどられんと思おもふ。で願ねがはくはだ、君きみ、何どう卒ぞ一つ充じゆ分うぶんに彼かれを信しんじて、療れう治ぢを專せん一にして頂いたゞきたい。彼かれも私わたしに屹きつ度と君きみを引ひき受うけると云いつてゐたよ。﹄ アンドレイ、エヒミチは此この切せつなる同どう情じやうの言ことばと、其その上うへ涙なみだをさへ頬ほゝに滴たらしてゐる郵いう便びん局きよ長くちやうの顏かほとを見みて、酷ひどく感かん動どうして徐しづかに口くちを開ひらいた。 ﹃君きみは彼かれ等らを信しんじなさるな。嘘うそなのです。私わたしの病びや氣うきと云いふのは抑そも〳〵恁かうなのです。二十年ねん來らい、私わたしは此この町まちにゐて唯たゞ一ひと人りの智ちし者やに遇あつた。所ところが其それは狂きち人がひで有あると云いふ、是これ丈だけの事じゝ實つです。で私わたしも狂きち人がひにされて了しまつたのです。然しかしなあに私わたしは奈ど何うでも可いいので、からして畢つま竟り何なんにでも同どう意いを致いたしませう。﹄ ﹃病びや院うゐんへお入はひりなさい、ねえ君きみ。﹄ ﹃左さや樣う、奈ど何うでも可いいです、縱よし令んば穴あなの中なかに入はひるのでも。﹄ ﹃で、君きみは萬ばん事じエウゲニイ、フエオドロヰチの言ことばに從したがふやうに、ねえ君きみ、頼たのむから。﹄ ﹃宜よろしい、私わたしは今いまは實じつ以もつて二につちも三さつちも行ゆかん輪わ索なに陷は沒まつて了しまつたのです。もう萬お事し休ま矣ひです覺かく悟ごはしてゐます。﹄ ﹃いや屹きつ度と平なほ癒るですよ。﹄ 格こう子しの外そとには公こう衆しゆうが次しだ第いに群むらがつて來くる。アンドレイ、エヒミチは、ミハイル、アウエリヤヌヰチの公こう務むの邪じや魔まを爲するのを恐おそれて、話はなしは其それ丈だけにして立たち上あがり、彼かれと別わかれて郵いう便びん局きよくを出でた。 丁ちや度うど其その日ひの夕ゆう方がた、ドクトル、ハヾトフは例れいの毛けが皮はの外ぐわ套いたうに、深ふかい長なが靴ぐつ、昨きの日ふは何なに事ごとも無なかつたやうな顏かほで、アンドレイ、エヒミチを其その宿やどに訪た問づねた。 ﹃貴あな方たに少せう々〳〵お願ねがひが有あつて出でたのですが、何どう卒ぞ貴あな方たは私わたくしと一つ立たち合あひ診しん察さつを爲しては下くださらんか、如いか何ゞでせう。﹄と、然さり氣げなくハヾトフは云いふ。 アンドレイ、エヒミチはハヾトフが自じぶ分んを散さん歩ぽに誘さそつて氣きば晴らしを爲させやうと云いふのか、或あるひは又また自じぶ分んに那そん樣なし仕ご事とを授さづけやうと云いふ意つもりなのかと考かんがへて、左とに右かく服ふくを着き換かへて共ともに通とほりに出でたのである。彼かれはハヾトフが昨きの日ふの事ことは噫おくびにも出ださず、且かつ氣きにも掛かけてゐぬやうな樣やう子すを見みて、心しん中ちゆう一ひと方かたならず感かん謝しやした。這こん麼なひ非ぶん文めい明て的きな人にん間げんから、恁かゝる思おも遣ひやりを受うけやうとは、全まつたく意いぐ外わいで有あつたので。 ﹃貴あな方たの有おつ仰しやる病びや人うにんは何ど處こなのです?、﹄アンドレイ、エヒミチは問とふた。 ﹃病びや院うゐんです、もう疾とうから貴あな方たにも見みて頂いたゞき度たいと思おもつてゐましたのですが……妙めうな病びや人うにんなのです。﹄ 施やがて病びや院うゐんの庭にはに入いり、本ほん院ゐんを一ひと周まはりして瘋ふう癲てん病びや者うしやの入いれられたる別べつ室しつに向むかつて行いつた。ハヾトフは其その間あひだ何なに故ゆゑか默もくした儘まゝ、さツさと六號がう室しつへ這は入ひつて行いつたが、ニキタは例れいの通とほり雜がら具くたの塚つかの上うへから起おき上あがつて、彼かれ等らに禮れいをする。 ﹃肺はいの方はうから來きた病びや人うにんなのですがな。﹄とハヾトフは小こご聲ゑで云いふた。﹃や、私わたしは聽ちや診うし器んきを忘わすれて來きた、直すぐ取とつて來きますから、些ちよつと貴あな方たは此こ處ゝでお待まち下ください。﹄ と彼かれはアンドレイ、エヒミチを此こゝに一ひと人り殘のこして立たち去さつた。︵十七︶
日ひは已すでに沒ぼつした。イワン、デミトリチは顏かほを枕まくらに埋うづめて寐ねだ臺いの上うへに横よこになつてゐる。中ちゆ風うぶ患くわ者んじやは何なにか悲かなしさうに靜しづかに泣なきながら、唇くちびるを動うごかしてゐる。肥ふとつた農のう夫ふと、郵いう便びん局きよ員くゐんとは眠ねむつてゐて、六號がう室しつの内うちはとして靜しづかであつた。 アンドレイ、エヒミチは、イワン、デミトリチの寐ねだ臺いの上うへに腰こしを掛かけて、大おほ約よそ半はん時じか間んも待まつてゐると、室へやの戸とは開あいて、入はひつて來きたのはハヾトフならぬ小こづ使かひのニキタ。病びや院うゐ服んふく、下した着ぎ、上うは靴ぐつ抔など、小こわ腋きに抱かゝへて。 ﹃何どう卒ぞ閣かく下か是これをお召めし下ください。﹄と、ニキタは前ぜん院ゐん長ちやうの前まへに立たつて丁てい寧ねいに云いふた。﹃那あれが閣かく下かのお寐ねだ臺いで。﹄と、彼かれは更さらに新あたらしく置おかれた寐ねだ臺いの方はうを指さして。﹃何なんでも有ありませんです。必かならず直すぐに御ごぜ全んく快わいになられます。﹄ アンドレイ、エヒミチは是こゝに至いたつて初はじめて讀よめた。一言ごんも言いはずに彼かれはニキタの示しめした寐ねだ臺いに移うつり、ニキタが立たつて待まつてゐるので、直すぐに着きてゐた服ふくをすツぽりと脱ぬぎ棄すて、病びや院うゐ服んふくに着き換かへて了しまつた。シヤツは長ながし、ヅボン下したは短みじかし、上うは着ぎは魚さかなの燒やいた臭にほひがする。﹃屹きつ度と間まもなくお直なほりでせう。﹄と、ニキタは復また云いふてアンドレイ、エヒミチの脱ぬぎ捨すてた服ふくを一ひと纏まとめにして、小こわ腋きに抱かかへた儘まゝ、戸とを閉たてゝ行ゆく。 ﹃奈ど何うでも可いい……。﹄と、アンドレイ、エヒミチは體きま裁り惡わるさうに病びや院うゐ服んふくの前まへを掻かき合あはせて、さも囚しう人じんのやうだと思おもひながら、﹃奈ど何うでも可いいわ……燕えん尾びふ服くだらうが、軍ぐん服ぷくだらうが、此この病びや院うゐ服んふくだらうが、同おなじ事ことだ。﹄ ﹃然しかし時とけ計いは奈ど何うしたらう、其それからポツケツトに入いれて置おいた手てち帳やうも、卷まき莨たばこも、や、ニキタはもう着きも物のを悉のこ皆らず持もつて行いつた。いや入いらん、もう死しぬ迄まで、ヅボンや、チヨツキ、長なが靴ぐつには用ようが無ないのかも知しれん。然しかし奇きめ妙うな成なり行ゆきさ。﹄と、アンドレイ、エヒミチは今いまも猶なほ此この六號がう室しつと、ベローワの家いへと何なんの異かはりも無ないと思おもふてゐたが、奈ど何う云いふものか、手てあ足しは冷ひえて、顫ふるへてイワン、デミトリチが今いまにも起おきて自じぶ分んの此この姿すがたを見みて、何なんとか思おもふだらうと恐おそろしいやうな氣きもして、立たつたり、居ゐたり、又また立たつたり、歩あるいたり、やうやく半はん時じか間ん、一時じか間んば計かりも坐すわつてゐて見みたが、悲かなしい程ほど退たい屈くつになつて來きて、奈ど何うして這こん麼なと處ころに一週しう間かんとゐられやう、况まして一年ねん、二年ねんなど到たう底てい辛しん棒ぼうをされるものでないと思おもひ付ついた。さう思おもへば益ます居ゐた堪まらず、衝つと立たつて隅すみから隅すみへと歩あるいて見みる。﹃さうしてから奈ど何うする、あゝ到たう底てい居ゐた堪ゝまらぬ、這こん麼なふ風うで一生しやう!﹄ 彼かれはどつかり坐すわつた、横よこになつたが又また起おき直なほる。而さうして袖そでで額ひたひに流ながれる冷ひや汗あせを拭ふいたが顏かほ中ぢゆう燒やき魚ざかなの腥なまい臭にほひがして來きた。彼かれは又また歩あるき出だす。﹃何なにかの間まち違がひだらう……話はな合しあつて見みにや解わからん、屹きつ度と誤ごか解いが有あるのだ。﹄ イワン、デミトリチはふと眼めを覺さまし、脱ぐつ然たりとした樣やう子すで兩りやうの拳こぶしを頬ほゝに突つく。唾つばを吐はく。初はじめ些ちよつと彼かれには前ぜん院ゐん長ちやうに氣きが付つかぬやうで有あつたが施やがて其それと見みて、其その寐ねぼ惚けが顏ほには忽たちまち冷れい笑せうが浮うかんだので。 ﹃あゝ貴あな方たも此こゝへ入いれられましたのですか。﹄と彼かれは嗄しはがれた聲こゑで片かた眼めを細ほそくして云いふた。﹃いや結けつ構こう、散さん々〴〵人ひとの血ちを恁かうして吸すつたから、此こん度どは御ごじ自ぶ分んの吸すはれる番ばんだ、結けつ構こう々/々\。﹄ ﹃何なにかの多たぶ分ん間まち違がひです。﹄とアンドレイ、エヒミチは肩かたを縮ちゞめて云いふ。﹃間まち違がひに相さう違ゐないです。﹄ イワン、デミトリチは又またも床ゆかに唾つばを吐はいて、横よこになり、而さうして呟つぶやいた。﹃えゝ、生いき甲が斐ひの無ない生せい活くわつだ、如い何かにも殘ざん念ねんな事ことだ、此この苦くつ痛うな生せい活くわつがオペラにあるやうな、アポテオズで終をはるのではなく、是これがあゝ死しで終をはるのだ。非ひに人んが來きて、死しし者やの手てや、足あしを捉とらへて穴あなの中なかに引ひき込こんで了しまふのだ、うツふ! だが何なんでもない……其その換かはり俺おれは彼あの世よから化ばけて來きて、此こ處ゝらの奴やつ等らを片かた端ツぱしから嚇おどして呉くれる、皆みんな白しら髮がにして了しまつて遣やる。﹄ 折をりしもモイセイカは外そとから歸かへり來きたり、其そ處こに前ぜん院ゐん長ちやうのゐるのを見みて、直すぐに手てを延のばし、 ﹃一錢せんお呉くんなさい!﹄︵十八︶
アンドレイ、エヒミチは窓まどの所ところに立たつて外そとを眺ながむれば、日ひはもうとツぷりと暮くれ果はてゝ、那むか方ふの野のび廣ろい畑はたは暗くらかつたが、左ひだりの方はうの地ちへ平いせ線んじ上やうより、今いましも冷つめたい金こん色じきの月つきが上のぼる所ところ、病びや院うゐんの塀へいから百歩ぽば計かりの處ところに、石いしの牆かきの繞めぐらされた高たかい、白しろい家いへが見みえる。是これは監かん獄ごくで有ある。 ﹃是これが現げん實じつと云いふものか。﹄アンドレイ、エヒミチは思おもはず慄ぞ然つとした。 凄せい然ぜんたる月つき、塀へいの上うへの釘くぎ、監かん獄ごく、骨ほね燒やき場ばの遠とほい焔ほのほ、アンドレイ、エヒミチは有さす繋がに薄うす氣きみ味わ惡るい感かんに打うたれて、しよんぼりと立たつてゐる。と直すぐ後うしろに、吐ほつと計ばかり溜ため息いきの聲こゑがする。振ふり返かへれば胸むねに光ひかる徽きし章やうやら、勳くん章しやうやらを下さげた男をとこが、ニヤリと計ばかり片かた眼めをパチ〳〵と、自じぶ分んを見みて笑わらふ。 アンドレイ、エヒミチは強しひて心こゝろを落おち着つけて、何なんの、月つきも、監かん獄ごくも其それが奈ど何うなのだ、壯さう健けんな者ものも勳くん章しやうを着つけてゐるではないか。と、然さう思おも返ひかへしたものゝ、猶やは且り失しつ望ばうは彼かれの心こゝろに愈いよ募つのつて、彼かれは思おもはず兩りやうの手てに格かう子しを捉とらへ、力ちか儘らまかせに搖ゆす動ぶつたが、堅けん固ごな格かう子しはミチリとの音おとも爲せぬ。 荒くわ凉うりやうの氣きに打うたれた彼かれは、何なにかなして心こゝろを紛まぎらさんと、イワン、デミトリチの寐ねだ臺いの所ところに行いつて腰こしを掛かける。 ﹃私わたくしはもう落がつ膽かりして了しまひましたよ、君きみ。﹄と、彼かれは顫ふる聲へごゑして、冷ひや汗あせを拭ふきながら。﹃全まつたく落がつ膽かりして了しまひました。﹄ ﹃では一つ哲てつ學がくの議ぎろ論んでもお遣やんなさい。﹄と、イワン、デミトリチは冷れい笑せうする。 ﹃あゝ絶ぜつ體たい絶ぜつ命めい……然さうだ。何い時つか貴あな方たは露ロ西シ亞ヤには哲てつ學がくは無ない、然しかし誰たれも、彼かれも、丁め斑だ魚かでさへも哲てつ學がくをすると有おつ仰しやつたつけ。然しかし丁め斑だ魚かが哲てつ學がくをすればつて、誰だれにも害がいは無ないのでせう。﹄アンドレイ、エヒミチは奈い何かにも情なさ無けないと云いふやうな聲こゑをして。﹃奈ど何うして君きみ、那そん樣なに可いい氣き味みだと云いふやうな笑わら樣ひやうをされるのです。幾いくら丁め斑だ魚かでも滿まん足ぞくを得えられんなら、哲てつ學がくを爲せずには居をられんでせう。苟いやしくも智ち慧ゑある、教けう育いくある、自じそ尊んある、自じい由うを愛あいする、即すなはち神かみの像ざうたる人にん間げんが。唯たゞに醫いし者やとして、邊へん鄙ぴなる、蒙もう昧まいなる片かた田ゐな舍かに一生しやう、壜びんや、蛭ひるや、芥から子し粉こだのを弄いぢつてゐるより外ほかに、何なんの爲なす事ことも無ないのでせうか、詐さ欺ぎ、愚ぐど鈍ん、卑ひれ劣つか漢ん、と一所しよになつて、いやもう!﹄ ﹃下くだらん事ことを貴あな方たは零こぼして居ゐなさる。醫いし者やが不い好やなら大だい臣じんにでもなつたら可いいでせう。﹄ ﹃いや、何ど處こへ行ゆくのも、何なにを遣やるのも望のぞまんです。考かんがへれば意い氣く地ぢが無ないものさ。是これ迄までは虚きよ心しん平へい氣きで、健けん全ぜんに論ろんじてゐたが、一朝てう生せい活くわつの逆ぎや流くりうに觸ふるゝや、直たゞちに氣きは挫くじけて落らく膽たんに沈しづんで了しまつた……意い氣く地ぢが無ない……人にん間げんは意い氣く地ぢが無ないものです、貴あな方たとても猶やは且り然さうでせう、貴あな方たなどは、才さい智ちは勝すぐれ、高かう潔けつではあり、母はゝの乳ちゝと共ともに高かう尚しやうな感かん情じやうを吸すひ込こまれた方かたですが、實じつ際さいの生せい活くわつに入いるや否いなや、直たゞちに疲つかれて病びや氣うきになつて了しまはれたです。實じつに人ひとは微びじ弱やくなものだ。﹄ 彼かれには悲ひさ愴うの感かんの外ほかに、未まだ一種しゆの心こゝ細ろぼそき感かんじが、殊ことに日ひぐ暮れよりかけて、しんみりと身みに泌しみて覺おぼえた。是これは麥ビー酒ルと、莨たばことが、欲ほしいので有あつたと彼かれも終つひに心こゝ着ろづく。 ﹃私わたしは此こ處ゝから出でて行ゆきますよ、君きみ。﹄と、彼かれはイワン、デミトリチに恁かう云いふた。﹃此こゝへ燈あかりを持もつて來くるやうに言いひ付つけますから……奈ど何うして這こん麼なま眞つく暗らな所ところにゐられませう……我がま慢ん爲し切きれません。﹄ アンドレイ、エヒミチは戸とぐ口ちの所ところに進すゝんで、戸とを開あけた。するとニキタが躍をど上りあがつて來きて、其その前まへに立たち塞ふさがる。 ﹃何どち方らへ! 可いけません、可いけません!﹄と、彼かれは※さけ﹇#﹁口+斗﹂、63-下-12﹈ぶ。﹃もう眠ねる時ときですぞ!﹄ ﹃いや些ちと庭にはを歩あるいて來くるのだ。﹄と、アンドレイ、エヒミチは怖おど々〳〵する。 ﹃可いけません、可いけません! 那そん樣なこ事とを爲させても可いいとは誰たれからも言いひ付つかりません。御ごぞ存んじでせう。﹄ 云いふなりニキタは戸とをぱたり。而さうして背せを閉しめた戸とに當あてゝ猶やは且り其そ所こに仁にわ王うだ立ち。 ﹃然しかし俺おれが出でたつて其それが爲ために誰だれが何なんと云いふ。﹄アンドレイ、エヒミチは肩かたを縮ちゞめる。﹃譯わけが分わからん、おいニキタ俺おれは出でなければならんのだ!﹄彼かれの聲こゑは顫ふるへる。﹃用ようが有あるのだ!﹄ ﹃規きり律つを亂みだす事ことは出で來きません、可いけません!﹄とニキタは諭さとすやうな調てう子し。 ﹃何なんだと畜ちく生しやう!﹄と、此この時ときイワン、デミトリチは急きふにむツくりと起おき上あがる。﹃何なんで彼きや奴つが出ださんと云いふ法はふがある、我われ々〳〵を此こゝに閉とぢ込こめて置おく譯わけは無ない。法はふ律りつに照てらしても明あき白らかだ、何なに人びとと雖いへども、裁さい判ばんもなくして無むや暗みに人ひとの自じい由うを奪うばふ事ことが出で來きるものか! 不ふら埒ちだ! 壓あつ制せいだ!﹄ ﹃勿もち論ろん不ふら埒ちですとも。﹄アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの加かせ勢いに頓とみに力ちからを得えて、氣きが強つよくなり。﹃俺おれは用ようが有あるのだ! 出でるのだ! 貴きさ樣まに何なんの權けん利りが有ある! 出だせと云いつたら出だせ!﹄ ﹃解わかつたか馬ばか鹿や野ら郎う!﹄と、イワン、デミトリチは※さけ﹇#﹁口+斗﹂、64-上-6﹈んで、拳こぶしを固かためて戸とを敲たゝく。﹃やい開あけろ! 開あけろ! 開あけんか! 開けんなら戸とを打ぶち破こはすぞ! 人ひと非でな人し! 野けだ獸もの!﹄ ﹃開あけろ!﹄アンドレイ、エヒミチは全ぜん身しんをぶる〳〵と顫ふるはして。﹃俺おれが命めいずるのだツ!﹄ ﹃もう一度ど言いつて見みろ!﹄戸との那むか裏ふでニキタの聲こゑ。﹃もう一度ど言いつて見みろ!﹄ ﹃ぢや、エウゲニイ、フエオドロヰチでも此こ處ゝへ呼よんで來こい、些ちよつと俺おれが來きて呉くれツて云いつて居ゐると然さう云いへ……些ちよつとで可いいからツて!﹄ ﹃明あし日たになればお出いでになります。﹄ ﹃何い日つになつたつて我われ々〳〵を决けつして出だすものか。﹄イワン、デミトリチは云いふ、﹃我われ々〳〵を茲こゝで腐くさらして了しまふ料れう簡けんだらう! 來らい世せいに地ぢご獄くがなくて爲なるものか、這こん麼なひ人とで非なし人ど共もが如ど何うして許ゆるされる、那そん樣なこ事とで正せい義ぎは何ど處こにある、えい、開あけろ、畜ちく生しやう!﹄彼かれは嗄しやがれた聲こゑを絞しぼつて、戸とに身みを投なげ掛かけ。﹃可いいか、貴きさ樣まの頭あたまを敲たゝき破わるぞ! 人ひと殺ごろ奴しめ!﹄ ニキタはぱツと戸とを開あけるより、阿あし修ゆら羅わ王うの荒あれたる如ごとく、兩りや手うてと膝ひざでアンドレイ、エヒミチを突つき飛とばし、骨ほねも碎くだけよと其その鐵てつ拳けんを眞まつ向かうに、健したゝか彼かれの顏かほを敲たゝき据すゑた。アンドレイ、エヒミチはアツと云いつたまゝ、緑みど色りいろの大おほ浪なみが頭あたまから打うち被かぶさつたやうに感かんじて、寐ねだ臺いの上うへに引ひいて行ゆかれたやうな心こゝ地ち。口くちの中うちには鹽しほ氣けを覺おぼえた、大おほ方かた齒はからの出しゆ血つけつであらう。彼かれは泳およがんと爲するものゝやうに兩りや手うてを動うごかして、誰たれやらの寐ねだ臺いにやう〳〵取とり縋すがつた。と又またも此この時とき振ふり下おろしたニキタの第だい二の鐵てつ拳けん、背せぼ骨ねも歪ゆがむかと悶もだゆる暇ひまもなく打うち續つゞいて、又また々〳〵三度ど目めの鐵てつ拳けん。 イワン、デミトリチは此この時とき高たかく※さけ聲びごゑ﹇#﹁口+斗﹂、64-下-3﹈。彼かれも打ぶたれたのであらう。 其それよりは室しつ内ない復また音おともなく、ひツそりと靜しづまり返かへつた。折をりから淡あは々〳〵しい月つきの光ひかり、鐵てつ窓さうを洩もれて、床ゆかの上うへに網あみに似にたる如ごとき墨すみ畫ゑを夢ゆめのやうに浮うき出だしたのは、謂い﹇#ルビの﹁い﹂は底本では﹁いは﹂﹈ふやうなく、凄せい絶ぜつ又また慘さん絶ぜつの極きはみで有あつた、アンドレイ、エヒミチは横よこたはつた儘まゝ、未まだ息いきを殺ころして、身みを縮ちゞめて、もう一度ど打ぶたれはせぬかと待まち構かまへてゐる。と、忽たちまち覺おぼゆる胸むねの苦くつ痛う、膓ちやうの疼とう痛つう、誰たれか鋭するどき鎌かまを以もつて、刳ゑぐるにはあらぬかと思おもはるゝ程ほど、彼かれは枕まくらに強し攫がみ着つき、きりゝと齒はをば切くひしばる。今いまぞ初はじめて彼かれは知しる。其その有う耶や無む耶やになつた腦なう裏りに、猶なほ朧おぼ朦ろ氣げに見みた、月つきの光ひかりに輝てらし出だされたる、黒くろい影かげのやうな此この室へやの人ひと々〴〵こそ、何なん年ねんと云いふ事ことは無なく、恁かゝる憂うき目めに遭あはされつゝ有ありしかと、堪たへ難がたき恐おそろしさは電いなづまの如ごとく心こゝろの中うちに閃ひらめき渡わたつて、二十有いう餘よね年んの間あひだ、奈ど何うして自じぶ分んは是これを知しらざりしか、知しらんとは爲せざりしか。と空そら恐おそろしく思おもふので有あつたが、又また剛がう情じやう我がま慢んなる其その良りや心うしんは、とは云いへ自みづからは未いまだ嘗かつて疼とう痛つうの考かんがへにだにも知しらぬので有あつた、然しからば自じぶ分んが惡わるいのでは無ないのであると囁さゝやいて、宛さな然がら襟えり下もとから冷ひや水みづを浴あびせられたやうに感かんじた。彼かれは起おき上あがつて聲こゑ限かぎりに※さけ﹇#﹁口+斗﹂、64-下-18﹈び、而さうして此こゝより拔ぬけ出いでて、ニキタを眞まつ先さきに、ハヾトフ、會くわ計いけい、代だい診しんを鏖みな殺ごろしにして、自じぶ分んも續つゞいて自じさ殺つして終しまはうと思おもふた。が、奈ど何うしたのか聲こゑは咽の喉どから出いでず、足あしも亦また意いの如ごとく動うごかぬ、息いきさへ塞つまつて了しまひさうに覺おぼゆる甲か斐ひなさ。彼かれは苦くるしさに胸むねの邊あたりを掻かき毟むしり、病びや院うゐ服んふくも、シヤツも、ぴり〳〵と引ひき裂さくので有あつたが、施やがて其その儘まゝ氣きぜ絶つして寐ねだ臺いの上うへに倒たふれて了しまつた。︵十九︶
翌よく朝てう彼かれは激はげしき頭づつ痛うを覺おぼえて、兩りや耳うみゝは鳴なり、全ぜん身しんには只たゞならぬ惱なやみを感かんじた。而さうして昨きの日ふの身みに受うけた出でき來ご事とを思おもひ出だしても、恥はづかしくも何なんとも感かんぜぬ。昨きの日ふの小せう膽たんで有あつた事ことも、月つきさへも氣き味み惡わるく見みた事ことも、以いぜ前んには思おもひもしなかつた感かん情じやうや、思しさ想うを有ありの儘まゝに吐と露ろしたこと、即すなはち哲てつ學がくをしてゐる丁め斑だ魚かの不ふま滿んぞ足くの事ことを云いふた事ことなども、今いまは彼かれに取とつて何なんでもなかつた。
彼かれは食くはず、飮のまず、動うごきもせず、横よこになつて默もくしてゐた。
﹃あゝもう何なにも彼かもない、誰たれにも返へん答たふなどするものか……もう奈ど何うでも可いい。﹄と、彼かれは考かんがへてゐた。
中ちゆ食うじ後きごミハイル、アウエリヤヌヰチは茶ちやを四半はん斤ぎんと、マルメラドを一斤きん持も參つて、彼かれの所ところに見みま舞ひに來きた。續つゞいてダリユシカも來き、何なんとも云いへぬ悲かなしそうな顏かほをして、一時じか間んも旦だん那なの寐ねだ臺いの傍そばに凝じつと立たつた儘まゝで、其それからハヾトフもブローミウム加カ里リの壜びんを持もつて、猶やは且り見みま舞ひに來きたのである。而さうして室しつ内ないに何なにか香かうを薫くゆらすやうにとニキタに命めいじて立たち去さつた。
其その夕ゆふ方がた、俄がぜ然んアンドレイ、エヒミチは腦なう充じゆ血うけつを起おこして死しき去よして了しまつた。初はじめ彼かれは寒さむ氣けを身みに覺おぼえ、吐はき氣けを催もよほして、異いや樣うな心こゝ地ち惡あしさが指ゆび先さきに迄まで染しみ渡わたると、何なにか胃ゐから頭あたまに突つき上あげて來くる、而さうして眼めや耳みゝに掩おほひ被かぶさるやうな氣きがする。青あをい光ひかりが眼めに閃ちら付つく。彼かれは今いま已すでに其その身みの死し期きに迫せまつたのを知しつて、イワン、デミトリチや、ミハイル、アウエリヤヌヰチや、又また多おほ數くの人ひとの靈れい魂こん不ふ死しを信しんじてゐるのを思おもひ出だし、若もし那そん樣なこ事とが有あつたらばと考かんがへたが、靈れい魂こんの不ふ死しは、何なにやら彼かれには望のぞましくなかつた。而さうして其その考かんがへは唯たゞ一瞬しゆ間んかんにして消きえた。昨きの日ふ讀よんだ書しよ中ちゆうの美うつくしい鹿しかの群むれが、自じぶ分んの側そばを通とほつて行いつたやうに彼かれには見みえた。此こん度どは農ひや婦くしやうをんなが手てに書かき留とめの郵いう便びんを持もつて、其それを自じぶ分んに突つき出だした。何なにかミハイル、アウエリヤヌヰチが云いふたので有あるが、直すぐに皆みな掻かき消きえて了しまつた。恁かくてアンドレイ、エヒミチは永えい刧ごふ覺さめぬ眠ねむりには就ついた。
下げな男んど共もは來きて、彼かれの手てあ足しを捉とり、小こせ聖いだ堂うに運はこび去さつたが、彼かれが眼め未いまだ瞑めいせずして、死むく骸ろは臺だいの上うへに横よこ臥たはつてゐる。夜よに入いつて月つきは影かげ暗くらく彼かれを輝てらした。翌よく朝てうセルゲイ、セルゲヰチは此こゝに來きて、熱ねつ心しんに十字じ架かに向むかつて祈きた祷うを捧さゝげ、自じぶ分ん等らが前さきの院ゐん長ちやうたりし人ひとの眼めを合あはしたので有あつた。
一日にちを經へて、アンドレイ、エヒミチは埋まい葬さうされた。其その祈きた祷うし式きに預あづかつたのは、唯たゞミハイル、アウエリヤヌヰチと、ダリユシカとで。