三島由紀夫
ナルシシスムの運命
神西清
﹁女が髭を持つてゐないやうに、彼は年齡を持つてゐなかつた。﹂――例によつて三島由紀夫得意のアフォリズムである。﹃禁色﹄に出てくる男色家ジャッキーを指して言つてゐるのだが、いつそそつくりそのまま、當の作者に當てはまりさうである。まつたく女に髭がないやうに、三島由紀夫には年齡がない。
もちろん年齡といつても、先天的な――いやつまり、戸籍上のそれぢやない。見た目が小ましやくれてるとか、變に大人つぽいとか、そんな世間話でもない。ぼくの言ふのは、いささか氣障つぽい言ひまはしだが、まあ﹁美の年輪﹂とでも言つたものを指すのだ。つまり彼の文學の胎生に關するわけである。
どういふ因縁か知らないが、ぼくは三島由紀夫の作品を、戰爭中から知つてゐる。﹃花ざかりの森﹄といふ本がある。彼のごく初期の作品をあつめたものだ。ぼくは偶然それを虎の門へんの小つちやな本屋で見かけて、燈火管制の黒幕のかげで讀んだ。空襲がはじまつて、黄色つぽい硝煙が東京の街路にただよひだしてゐた。終戰の前年の、たしかに暮れ近いころである。この本には短篇小説が五つ載つてゐる。短篇といつても、百ページ近いのもある。今でもおぼえてゐるが、﹃世々に殘さん﹄とか﹃苧莵と瑪耶﹄などといふ作品は、なかなかの力作であつた。ぼくは讀みだして、とたんに芥川龍之介の再來だと思つた。
もつともこの印象は、すぐ訂正せざるを得なかつた。藍より出でて藍より青いといふだけではなく、明らかに異質のものがあつたからである。龍之介の王朝物は、どうかすると苦勞の跡ばかり目について、しつくりついて行けない場合が多い。擬古文といふものは難かしいものだ。江戸中期に出た一代の才女、荒木田麗女の才筆をもつてしても、その王朝に取材した歴史物語には、措辭上の狂ひが少なくないさうだ。もちろん﹃花ざかりの森﹄の諸篇は、擬古文で綴られてゐるわけではない。王朝の文體を現代に生かしたものである。しかしその和文脈はみごとに生きてゐたのみならず、詩情またそれに伴なつて香り高かつた。ぼくは舌をまいた。この早熟な少年のうちに、わが貴族文藝の正統な傳承者を見る思ひがしたからである。
ぼくは何も回想にふけつてゐるのではない。だいいち貴族文學の傳統などと言つたら、今の世で笑ひださぬのは恐らくイギリス人ぐらゐなものだらう。それは百も承知である。ぼくの言ひたいのは、若い三島由紀夫がすでに王朝文學の情念と文辭とを、みごとにマスターしてゐたことである。つまり彼の出發點は、わが王朝文學にあつた。近ごろ︵いや、だいぶ前からかもしれない︶の文學青年が、せいぜい明治末期の自然主義か、もつとくだつて志賀文學か、あるひは葛西善藏か、ぐつと新しいところでは飜譯工場で大量生産されるアメリカものか、まあそんなところを出發點としてゐるのに比べて、これは恐ろしく特異なことである。三島由紀夫が特異兒童と呼ばれる原因の一半は、たしかにそこにも潜んでゐる。特異兒童とは要するに、年輪が不詳だといふことである。
とはいへ勿論、その時代の彼が日本古典一邊倒だつたと言ふのではない。ラディゲやワイルドの影響はすでにはつきりと認められるし、もし假にそれがないとしたら、現代のわが國の文學ずきな少年として、それこそ不自然きはまることと言はなければならない。それは次第にはつきりと、この青年の文學的思考の骨髓を形成しつつあつた。美が美學を得たのである。
太平洋戰爭たけなはの頃、彼の好尚はいちじるしく室町時代に傾いた形跡がある。老いたる義政をめぐつて美貌の能若衆と美しい巫(み)女(こ)とが演じる死のドラマ﹃中世﹄は、終戰の年に書かれてゐる。暗鬱と瑰(くわ)麗(いれい)の綾織り。その能樂趣味はワイルドの美學で昇華されてゐて、おそらく青年三島の完成を示す一道標である。それに二年ほど先だつて、﹃中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲學的日記の拔萃﹄といふ恐ろしく長い外(げだ)題(い)の作品がある。これも室町幻想である。そのなかで、殺人者は書いてゐる。
﹁殺人といふことが私の成長なのである。殺すことが私の發見なのである。忘れられてゐた生に近づく手だて。私は夢みる、大きな混沌のなかで殺人はどんなに美しいか。殺人者は造物主の裏、その偉大は共通、その歡喜と憂鬱は共通である。﹂
この語は箴(しん)をなした。三島由紀夫は終戰とともに、非情な﹁殺人者﹂として登場したからである。もつともこの正體を世間が認識するまでには、相當の時日を必要とした。人々ははじめ彼のうちに、季節はづれの蕩兒だけを見た。おそろしく氣前のいい才能の濫費者を見た。しかもその年齡は不詳であつた。
だが果して三島由紀夫には年齡がないのだらうか。斷じてさうではない。戰爭はたしかに、彼の美學の急速な確立をうながした。その意味で彼は明らかに戰爭の兒であつた。のみならず戰爭は、それまで樹皮に蔽はれて見えなかつた彼の年輪を、その幹に一痛打を與へることによつて露はにした。その意味で、彼もやはり戰爭の﹁直接被害者﹂であつた。美の信徒は、今やはつきりと美の行動者になつたからである。
終戰後二年ほどして、彼は﹃重症者の兇器﹄といふ短い文章を書いてゐる。それがどういふ機會に書かれたものかぼくは知らないが、かなり激越な、ほとんど喧嘩腰の文章である。人は怒ると本音が出る。賣られて買ふ言葉は誇張されがちだが、擴大されれば本音がいよいよはつきりするだけだらう。
﹁われわれ年代の者はいたるところで、珍奇な獸でも見るやうな目つきで眺められてゐる。﹂――といふのが、その文章の書出しである。そして、﹁私の同時代から強盜諸君の大多數が出てゐることを私は誇りとするが、かういふ一種意地のわるい、それでゐてつつましやかな誇りの感情といふものは、他の世代の人には通ぜぬらしい。﹂それから彼は、若い世代といふものは代々、その特有な時代病を看板にして登場して來たが、彼らはしかし一生のうちには必ず癒つて行つたこと、ただしそれはカルシウムの攝取で病(びや)竈(うさう)を固めたにすぎないことを述べ、
﹁しかしここに、不治の病を持つた一世代が登場したとしたら、事態はおそらく今までの繰り返しではすまないだらう。その不治の病の名は﹃健康﹄といふのだ﹂と開き直つてゐる。
﹁苦惱は人間を殺すのか? ――否。
思想的煩悶は人間を殺すか? ――否。
悲哀は人間を殺すか? ――否。﹂
これを彼は、﹁健康﹂の論理だと感じる。だから自分たちの世代を﹁傷ついた世代﹂と呼ぶのは誤りだ。﹁虚無のどす黒い膿(うみ)﹂をもらす傷口が精神に與へられるためには、もう少し退屈な時代が入用だ。退屈がなければ、心の傷痍は存在しない。つまり戰爭は、決して自分たちの精神に傷を與へはしなかつた。かへつて自分たちの皮膚を︵面の皮もろとも︶強(きや)靭(うじん)にした。傷つかぬ魂が、強靭な皮膚に包まれてゐるのだ。一種の不死身である。ところが、些細な傷にも血を流す人々は、自分たちを冷血漢と罵りながら、決して自殺できない不死身者の不幸を考へようともしない。﹁生の不安﹂といふ慰めをもたぬ、この魂の珍奇な不幸を理會しない。……
以上が、その文章のほぼ前半の要旨である。見らるる通り、これは彼自身のぞくしてゐる世代の﹁釋明﹂である。いや釋明といふより、宣言文であり、さらに的確に言へば、必死の挑戰状である。﹁必殺の﹂と言ひ直してもいいかもしれない。なぜならすぐそのあとで、話は急旋回して、たちまち﹁兇器﹂の問題に突入するからである。兇器とは何であるか。
彼はいふ、――自分たちが成長期をすごして來た戰爭時代から、自分たちは時代に擬すべき自分たちの兇器を作りだしてきた。若い強盜諸君が、今の商賣の元手であるピストルを軍隊からかつさらつて來たやうに、自分たちもやはり自分たち自身の文學を、この不法の兇器に託するほかはない。……︵大意︶
かうなると厭でもぼくたちは、前にかかげた外題の長たらしい﹃殺人常習者の哲學的日記﹄を思ひださずにはゐられないだらう。﹁殺すことが私の發見なのである。忘れられてゐた生に近づく手だて。﹂――そして今や三島由紀夫は、その必殺の﹁兇器﹂が、もはや美學的な或る觀念としてではなく、具體的な或る重量と或る鋭さをもつた現實の武器として、したがつて十分な使用價値と目的性とを以て、自分の掌に握りしめられてゐることを發見したのだ。その兇器とは、今さら言ふまでもないことだが、彼が戰時ちゆう孜(し)々(し)として研(と)ぎつづけた美といふ匕首であつた。ただしこの切尖のするどい道具が、突如として必殺の兇器に變じようとは、さすがの彼だつて意外の思ひを禁じえなかつたに違ひない。現に彼はかう書いてゐる。――﹁盜人にも三分の理といふことは、盜人が七分の背理を三分の理で覆はうとする切實な努力を、つまりはじめから十分の理をもつてゐる人間の與(あづか)り知らない哀切な努力を意味してゐる。それはまた、秩序への、倫理への、平靜への、盜人たけだけしい哀切な憧れを意味する。﹂︵﹃重症者の兇器﹇#﹁重症者の兇器﹂は底本では﹁重症者の凶器﹂﹈﹄後段︶ボオドレールの﹃旅への誘ひ﹄のルフランが、この青年強盜の耳にも、なつかしく響きつづけてゐたことが察せられる。當人にとつては哀切かも知れないが、ぼくたちから見れば悲痛である。それはぼくらにとつて、或る罪障感をさへ伴なつてゐるのだ。
ともあれ右に述べたことからして、三島由紀夫が自己のぞくする世代の宿命と使命についてはつきりした自覺を持つに至つたことだけは否定できないと思ふ。その世代といふのは二十代︵twenty-agers といふスラングがあるかどうか知らないが――︶である。戰爭から最も激甚な打撃を受けた世代、いはゆるロスト・ジェネレーションである。どうにも救濟の處置のない重症なので、世間の﹁良識﹂から置きざりにされた一世代である。さういふ厄介な世代の旗手として、イデオローグとして、いなそれのみならず殺(さつ)戮(りく)の先登者として、生きんがための行動者として、今や三島由紀夫は完全な自覺と決意とをわがものにしたと言つていいだらう。年齡不詳の、あるひは年齡のない彼ではあるが、さすがに世代の所屬だけははつきりし過ぎるほどはつきりしてゐるのだ。世間には三島由紀夫について、その政治的ないし社會的な無關心を言ふ人もあるが、これは些か見當ちがひである。もつと廣い觀點に立つて見れば、彼ほど自己の世代に決然と S'engager してゐる作家はゐないとさへ言へさうだ。彼の文學はりつぱなアンガジェの文學である。さう考へるほどの視野の廣さが、わが讀書界にもほしいものだ。
もつとも上に引いた一文は、いかにも彼のアンガジェ宣言文には違ひないのだが、それが只の啖(たん)呵(か)や證文だけだつたらつまらない。しかしどうやらその心配は無用のやうである。この宣言文の書かれたのは一九四八年のことだが、大體その頃を境にして、彼の短篇作品には著るしい變化があらはれてゐる。終戰後しばらくはまだ摸索時代で、贅澤な耽美主義的なところや、才能の過剩からくる美しい病氣みたいなものが主調を占めてゐたのが、急速に形式が引緊つて、はつきりと挑戰者の面魂をあらはして來たのである。美の殉教者が一變して、美による殺戮者になつたのだ。彼は美といふ兇器をふりかざして、あらゆる敵へ躍りかかつて行つた。戰後風俗、斜陽族の俗惡、感傷、不安、女性の痴愚、わけても精神といふものの不純。一々作品を擧げるにも及ぶまい。﹃春子﹄﹃怪物﹄﹃獅子﹄﹃親切な機械﹄﹃孝經﹄﹃頭文字﹄……擧げだしたら限りがないが、彼の作品には、きらきらしたサタイアと鮮やかな殺人美とが氾濫してゐると言へよう。その一方に﹃煙草﹄とか﹃殉教﹄とかいふ、少年期の男色の目覺めを扱つた作品も糸を引いてゐる。
殺人美などといふと、鶴屋南北あたりが聯想されてまづいが︵もつとも彼にはさういふ趣味もないことはない︶、主潮は決して頽廢的な怪奇味ではない。明な心理主義で處理された一種非情な典雅さ――それが特色である。﹁フランス十七世紀以來の心理小説の傳統に對する愛着が一方にある。もう一つワイルドなんかのヘレニズムの理想がある。この二つのものがぶつかり合つて止まる瞬間の火花のやうな美の表現﹂が自分の理想だと、慾ばつたことを言ふ彼である。そればかりではあるまい。彼のなかにはロートレアモンもゐれば、リラダンもゐる。後者が前者をきびしく制御してゐる形である。ユイスマン的なネオロギスム︵新語趣味︶やアルシアイスム︵古語趣味︶までが揃つてゐる。意匠が凝つてゐるもので、世間はなかなか彼のうちの殺戮者に氣がつかなかつたやうだ。ひよつとすると今でもさうかも知れない。だが彼の短篇小説の本質は、みづから二十代の良心として、あくまで復讐者――なんなら復員者といつてもいいだらう――の文學たるところにあつた。
いや、それどころか、やがて彼は長篇第三作﹃青の時代﹄では、つひに自己の世代の一代表者――光クラブの山崎晃嗣の名における――にまで、冷酷むざんな兇器をつきつけるに至る。武田泰淳氏はこの小説の讀後感で、光クラブの社長にラスコーリニコフ的重量感のないのに失望してゐるが、三島由紀夫にそんな親切氣を期待するのは無理といふものである。
牡の文學。わたしはさう呼びたいとさへ思ふ。彼にはちよつとフラソワ・ヴィヨンに似たところがある。
だが復讐者は、復讐の魔神につけ狙はれることを覺悟しなければなるまい。彼が殺戮の冷徹な快感に醉つてゐるうちに、魔神の罠はじりじり彼の身にくひこみつつあつた。それがナルシシスムである。思ふにナルシシスムは、牡の文學にとつて避け得られぬ宿業であらう。彼はむしろ自ら進んで︵とわたしには見える︶その罠(わな)に身をまかせた。長篇の第一作﹃假面の告白﹄を書いたのである。
女性があんまり鏡を愛用するので、ナルシシスムはどうやら女の專賣のやうな觀を呈しつつあるが、女における鏡は要するに化粧の一部にすぎない。裏には錫箔が張られ、表には白粉が塗つてある。美少年ナルシスと水精ニンフの性をとり違へなかつたのは、さすがに男色の盛んだつた古代ギリシャの智慧ではある。﹁ナルシスは申分ない美少年であつた。だからこそ彼は純潔であつた。彼はニンフたちを目はしにもかけなかつた。じぶん自身を戀ひ慕つてゐたからである。微風も泉もみださず、彼はそのほとりに身をかがめて、ひねもすわれとわが面影に見入つてゐた。……﹂現にジイドの﹃ナルシス論﹄もそんな文句ではじまつてゐる。昔ながらの神話である。なんべん繰り返しても、ナルシシスムの本質はこれ以上に變りやうはない。永遠の清純と永遠の孤獨が、その不可缺の要件である。はつきり言つてしまへば、彼は一莖の水仙に化してしまふほかはないのだ。花は身うごきすることはできない。水面にうつる自分の影に接吻することも許されぬ。影をとらへようとすれば、影は碎けてしまふだけだからである。﹁では何をしたらいいか? とジイドは問ひ且つ答へる、――注視することのみ﹂
ナルシシスムの純粹形式は、まさにそんなものと思はれる。清純と孤獨と注視と。――それは現(うつ)身(しみ)の死にこそ似てゐるだらう。ナルシシスムは無理に日本語に譯せば、自己陶醉とか自(うぬ)惚(ぼ)れとかいふことになつてしまふらしいが、本來的には畢竟、自己注視に歸する宿命をもつてゐる。死に酷似した清淨で不毛な状態がそこにはあるのだ。
三島由紀夫の場合を考へよう。前にも書いたやうに殺戮に殺戮をかさねてきたこの不逞な殺人犯人は、よしんば美といふ兇器のかげに作者たる自己の姿をかくす用意を絶えず忘れなかつたにせよ、所詮は彼自身もまた、死︵正確に言へば假死といふのかも知れない︶の状態に陷る運命を免れなかつたのである。天(てん)網(まう)恢(かい)々(かい)とはこのことだ。もちろん彼には些かの感傷性の持合せもない。罪障意識などといふ甘ちよろい前代の遺物もない。彼は不死身なのだ。にもかかはらず、やはり彼は死を免れなかつた。死屍累々たる原野のただなかに、彼は膂(りよ)力(りよく)比倫を絶した自分の姿だけを見いだす。彼だけは死をまぬかれたのだ。當り前のことである。彼の兇器はつひに彼自身には向けられなかつたのだから。彼はもはや自分自身を見つめるほかはない。純潔と孤獨と注視と――完全なるナルシシスムの條件が揃つたわけである。そこで彼は假死状態に陷る。
﹁この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域に遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映畫にとつて逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である﹂と、三島由紀夫は﹃假面の告白﹄に自註してゐる。ちよつと見には奇(きけ)矯(う)に思はれないでもないこの言葉も、ナルシシスムの本義をわきまへれば意外でも奇妙でもなくなる。大岡昇平との座談會で、彼は﹁あれは要するに、わかりやすい告白の小説でね﹂と、あつさり言ひ切つてゐる。その通りにちがひない。ただ奇怪なのは、假面の、といふ限定詞である。
それを大岡昇平に聞かれて、彼は、本當と嘘の見分けがつかなくなるのは﹁セックスの關係もあるけれど、男色家の免れがたい心理﹂で、さういふ先天的に相對的な考へ方しかできない男の告白――といふ意味だと言つてゐる。また別の場合では、告白の本質は﹁告白は不可能だといふことだ﹂とも書いてゐる。いよいよ得意の男色論が出てきたわけだが、さうなると門外漢のぼくなどには、ますます以て話がわからなくなる。そこで僕は僕なりに、自己流の解釋をして滿足することにする。それはこの告白者︵それは三島由紀夫自身だと假にしてもいい︶が、もともと否定者であり殺戮者だつたといふことである。ナルシシスムはナルシシスムでも、否定に呪はれたナルシシスムなのである。いはば自己陶醉を拒絶されたナルシシスムなのである。負數のナルシシスムと言つてもいいだらう。絶對主義のナルシシスムが日本流の私小説だとすれば、これは相對主義のナルシシスムだ。男色的といふ術語を使はないでも、近代的といふ一般語で間に合ふやうにぼくは思ふ。分裂はナルシシスムにとつても、近代の宿命なのである。
ぼくは﹃假面の告白﹄を讀んだとき、すこぶる奇異の思ひを禁じえなかつた。前半と後半とが、まるで異質なのである。さながら大理石と木とをつぎ合はしたやうな工合に見えた。前半、﹁私﹂なる主人公のペデラスト的性生活が展開される部分が實に健康で、眞に男性的なみづみづしい erectio と ejaculation とに滿ちてゐるに反して、後半、﹁私﹂が女の世界へ出ていつてからは、もちろんその性生活が不能といふ呪ひを受けることは當然だとしても、それでは説明しがたい作品としての無力と衰弱を示してゐるやうに思へた。先ほどあげた座談會で、作者自身もそれを認め、非常にくたびれて前半ほどの熱を持てなかつたと白状してゐる。だがどうも、疲勞とか熱の冷却とかいふせゐだけにしてしまへる問題かどうか。やはりこれは男色といふ分裂型ナルシシスムの宿命が、根本にあるのではなからうか。
勿論それはそれでいいのだ。近代のナルシシスムが、しよせん生と死の對立の形をとることを免れ得ないものなら、作品としての生命は、その對立そのものの浮彫のうちにあるはずである。そこを何かしら作者は計算ちがひをしてゐるやうだ。つまり僕の言ひたいのは、前半のペデラスティに對するに、後半の妙にストイックなプラトニック・ラヴを對立させたところに、作者の﹁方法論的﹂な勘ちがひがあつたといふことだ。そのため折角の野心作が、何か人工流産みたいなことになつてしまつたことは惜しい。
すこし誇張して言へば、あの作品は自分の手で殺されたみたいなものだ。あんまり人殺しをして來た罰かもしれない。だが三島由紀夫は不死身である。彼はみごとに立ち直つて、壯大な﹁男色﹂小説の創造に乘りだした。それが﹃禁色﹄であることは言ふまでもない。
﹃禁色﹄の特徴は、その非妥協性と、交響曲のやうな壯大な構成とにある。いはば本格的なロマンの骨格をそなへてゐる。まだ第一部が終つたばかりで、第一主題はすでに十分提示され展開されてゐるけれど、第二主題は提示されただけで、まだほとんど展開されてゐない。その第二主題とはつまり女に關する部分である。だからこの第一部だけをとつて、又しても﹃假面の告白﹄の轍(てつ)を踏みはしまいかと心配するのは、おそらく杞憂といふものだらう。
ぼくはこの第一部を讀みながら、モンテルランの﹃若き女たち﹄四部作を思ひ浮べた。勿論あれは男色小説ではない。女色小説である。いや、むしろ女性蔑視小説であり、あるひは警世小説でもある。彼はこの小説の附録で、近代西ヨーロッパの重病を五つ擧げてゐる。非(イレ)現(ア)實(リ)主(ス)義(ム)、苦(ドロ)惱(リ)主(ス)義(ム)、お(ヴー)追(ロア)從(ル・)主(プレ)義(ール)、群(グレ)居(ガリ)主(ス)義(ム)、それに感(サン)傷(テイ)主(マン)義(タリスム)。そして、社會の肉體についてゐる以上五つの病傷の中には、女陰の形をした無數のバチルスが見いだされるといふ。つまりさうした病氣はみんな、本質的には、女性のものである――と、モンテルランは言ふのである。﹃若き女たち﹄四部作は、いはばそれらバチルスの生きた陳列室にほかならない。
﹃禁色﹄は、このモンテルランの四部作が終つた所に始まつてゐると言つていいだらう。つまり女色家︵だとぼくは信じるが︶モンテルランの仕事はすでに終つて、それ以上に進むことはできない。なんといつても彼は、やはり女性の肯定者だからである。バトンはそこで、是非ともペデラストに引き繼がれなければならぬ。そこで三島由紀夫がスタートする。目的は、女性的文化からの快癒である。すこぶる建設的な壯大なプランだ。つまり一種のユートピア小説であり、その意味では逆のユートピア小説である﹃チャタレイ夫人の戀人﹄に似てゐる。清潔さや牧歌性の面でもすこぶる似てゐる。ファロス再誕の理念の面でも似てゐる。
方々にあらはれた評を見ると、人間が描けてゐないといふ評判である。殊に女がさうだといふ評判だ。相も變らぬ自然主義談義である。もちろんこの小説の意圖は、男色主義といふ雄大な巨像を刻む︵ただし出來あがつたあとで、作者は爆彈仕掛かなんかで再びそれを粉みぢんに壞すかも知れないが――︶ことにあるのだが、それでゐて作者はちつとも觀念的なんかになつてはゐない。たださうしたイデーにふさはしく、作者はすこぶる清潔な意識をもつて、彫刻的な描法を嚴守してゐるまでの話である。小説造形の一新體だと言つていい。いつたい日本の讀者は、かうした彫刻的なスタイルに甚だ不慣れである。彼らは繪畫性を貴ぶ。小説とは描くものだと一途に思ひこんでゐて、べとべとした繪具に惚れこむのである。彼らは乾燥した、非情な、三次元の、刻まれた小説もあるのだといふことを知らない。男色主義の小説が、今までの手口で描かれるものとしたら、それこそ背理といふものである。ギリシャ彫刻では、好んで少年青年の肉體を取扱つた。そしてあくまで女の肉體は蔽ひかくした。けだし男性美は彫刻で勝利を占めるに反し、女性の肉體は色彩の配合︵つまり繪畫︶に適する。そんなことはジイドがとうの昔に言つてゐることだ。女性のいはゆる代用魅力なるものは、何も服飾的なアクセッサリーのみに限らない。緋ぢりめんのやうにまとひつく情調がふるふ力は、よしんばそれが逆に男性の贅澤な發明だつたにしても、怖るべきものがある。殊に風土濕潤の日本において然り。いやどうも、日本脱出も容易なわざではない。
俊輔といふ老人が妙にもたもたして、うまく描けてゐないといふ評判もある。つまり、ファウストにおけるメフィストの役割を怠けてゐるといふのである。これも困つた批評だ。
悠一對俊輔の關係は、決してファウスト對メフィストではない。悠一が決して自分で欲望したのでないところを見ても、それは分るはずである。彼らの關係は、むしろリラダンの﹃未來のイヴ﹄におけるアダリイとエディソンの關係に似てゐる。人造の美女アダリイは悠一である。みづからは無能力者である。﹁精神上の父親﹂俊輔は、發明家エディソンである。そして第一部に關する限り、そのクライマックスは第一章﹁家常茶飯﹂におけるこの二人の問答にある。
悠一は、女性への復讐に燃える俊輔の教唆によつて娶(めと)つた妻・康子の姙娠におどろく。﹁欲望がないのに子供が生れる。欲望のみから生れた不義の兒には或る反抗の美しさが現はれるものだが、欲望なしに生れる子は、どんな目鼻立ちをしてゐるだらう。人工受精でさへ、その精子は女を欲した男のそれだ。﹂そして墮胎を決意して、俊輔に相談をもちかける。俊輔は驚きかつ怒つて、墮胎に反對する。
﹁私は君にかう言つたよ。女を物質と思はなくてはいけない。女に決して精神を認めてはいけないと。君が私と同じ躓(つまづ)き方をするなんて思ひも寄らない。女を愛さない君が! ︵中略︶美は自分の不測の力の影響についていちいち責任を負つてゐる暇がないんだ。美は幸福なんかについて考へてゐる暇はないんだ。……しかしそれだからこそ美は、そのために苦しんで死ぬ人をさへ幸福にする力をもつてゐるんだ。﹂
悠一は、墮胎などといふ解決法では康子がまだ苦しみ足りないと思つてゐる俊輔の底意を見ぬいて、かう叫ぶ。――
﹁自由になりたいんです。僕は本當をいふと、どうして自分が先生の仰言るとほりになつてゐるのか自分でもよくわからないんです。僕は意志がない人間かと思ふと淋しいんです。﹂
さらにまた、――﹁僕はなりたいんです。現實の存在になりたいんです。﹂
はたして、人造の美青年悠一は、その精神上の父親を裏ぎるだらうか。第二部への發展のためのみごとな伏線は、ここに引かれてゐるやうに思はれる。そしてまた、現在の夫と悠一との男性愛の現場を目撃した鏑木夫人の今後の動き――おそらくそれが第二主題の展開の重要なモメントをなすものと豫想される。とにかく樂しみである。
三島由紀夫は、こんど海外旅行に出るにあたつて、一ばん樂しみなのは南米のパンパスを思ひつきり馬で乘りまはすことだと言つた。今頃はもう、彼の素志は果されてゐる頃かも知れぬ。さうだ、存分に乘りまはして來たまへ。そして、わが國の牡の文學をますます豐かにする膂力を蓄へて來たまへ。ナルシシスムの運命は君の肩にかかつてゐるのだ。
︵昭和二十七年三月﹁文學界﹂︶
底本:「日本現代文學全集 91 神西清・丸岡明・由起しげ子集」講談社
1966(昭和41)年10月19日発行
初出:「文學界」文藝春秋新社
1952(昭和27)年3月
入力:阿部哲也
校正:sogo
2020年12月30日作成
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